憲法学界は猛省すべし。
昨日、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の第1回会合が開催されましたが、そのメンバー構成には大いに問題があります。懇談会の構成員名簿を、そのバックグラウンドを付記して掲げれば次のとおりです。
- 岩間陽子 政策研究大学院大学准教授
-
政治学者(国際政治)
- 岡崎久彦 岡崎研究所理事長
-
元外交官
- 葛西敬之 東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長
-
経営者
- 北岡伸一 東京大学大学院教授
-
政治学者(日本政治外交史)
- 坂元一哉 大阪大学大学院教授
-
政治学者(国際政治)
- 佐瀬昌盛 拓殖大学海外事情研究所客員教授
-
政治学者(国際政治)
- 佐藤謙 世界平和研究所副会長
-
元官僚(財務(大蔵)省出身)
- 田中明彦 東京大学教授
-
政治学者(国際政治)
- 中西寛 京都大学教授
-
政治学者(国際政治)
- 西修 駒澤大学教授
-
法学者(憲法)
- 西元徹也 日本地雷処理を支援する会会長
-
元自衛官
- 村瀬信也 上智大学教授
-
法学者(国際法)
- 柳井俊二 国際海洋法裁判所判事
-
元外交官
いやしくも集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため
と謳っている懇談会であるにもかかわらず、憲法学者がひとりしか入っていません。しかもその憲法学者は、別に西先生個人に対して含むところがあるわけではありませんが、斯界において所論への賛否を超えて一目置かれるような業績を残した方では決してありません。
となれば、憲法問題を論じようというのに、日本の憲法学界を代表するような学者を呼ばない安倍総理をwebmasterは批判しようとしている、と受け取られる向きもあるかもしれません。もちろん批判的ではありますが、しかし、よほど重大な問題だと思う点は、憲法学界の側にこそあります。
かつてwebmasterは、靖国神社への公式参拝に関連して、次のように書きました。
日本国憲法の硬性憲法性から考えて成文でそのように規定することは事実上困難でしょうけれど、最高裁が違憲判決を出しても無視して続けることにより、事実上憲法規範を変更してしまうことはあり得ます。憲法学者は憲法規範に公然と反する総理は、総理の座そのものが憲法に由来する以上、自ら総理たることを否定しておりもはや総理ではない、などと言うのでしょうけれど、そんな主張は机上の空論の極みです。憲法違反を理由に拘束し自由を奪うことができない以上、負け犬の遠吠えに過ぎません。
その意味で、先に政治的責任と法的判断という2つの基準を示しましたが、後者も前者に究極的には従属するものであると言えます。もちろんこのようなことが行われれば最高裁に代表される司法府の権威は地に堕ちるわけで、だからこそそうした危険性がある話題については、これまでは統治行為論などで判断を避けてきました。しかしながらこれまでに出してきた判例がある以上、訴訟物がないといった逃げ道がなく判断が迫られる場合に判断を避ければ、事実上負けを認めたに等しいことが明らかになり、そうもできないでしょう。そんな場合に裁判所が真正面から玉砕する道を選ぶのか、形式はなお取り繕おうとするのか、法学をかじった身としては一度見てみたい気もしないではありません。できれば他国で(笑)。
集団的自衛権の問題にしても、これまでの憲法学界の一般的傾向は、この「机上の空論の極み」との批判は免れません。その結果、相手にしても無意味だとばかりに無視され、第9条の問題に関しておよそ現実的でない解釈を少なからず崇め奉り、それを「無視して続けることにより、事実上憲法規範を変更してしまうことはあり得」る状況において、なんら有効な打つ手がない羽目に陥っているわけです。
これまで第9条についてもっと現実的な解釈を模索し、話が通じる相手だと思われていれば、議論に参画し、仮に集団的自衛権の行使を認めるにせよ、その条件なり手続なりについて必要な歯止めを講じることも可能だったかもしれません。あるいは現実問題への取り組みにおいて存在感を示していれば、彼/女らを入れない場での議論にはまったく権威が認められないといったことになったかもしれません。ところが現実は、たとえば次の朝日新聞の社説が示すように、
集団的自衛権について研究する首相の私的懇談会がきょう、初会合を開く。秋には結論を得たいという。憲法の根幹にかかわる解釈の検討が始まる。
(略)
自衛隊を普通の軍隊にしたい首相にすれば、この解釈は目の上のたんこぶなのだろう。行使容認に前向きな人をずらりと並べた懇談会のメンバーを見れば、首相の意図は明白だ。
朝日「集団的自衛権―何のために必要なのか」(5/18付社説)
この懇談会に否定的な意見であっても、結論先にありき、あるいは仲間うちでの議論だとの批判はあれど、憲法学者がひとりである、あるいは一流の憲法学者が参加していないといった批判は、webmasterは寡聞にして知りません。憲法学界は、総力を挙げてこのような事態になってしまったことを総括するべきです。そして、政府が公然とこれまで積み上げてきた憲法学の成果を無視しようとしている現状に対して、その存在意義をかけて何らかの行動を起こすべきです。
はっきり申し上げれば、学術誌で批判することは当然ながら、一般誌で批判したところで無駄でしょう。その程度で何とかなるならば、そもそもこのような事態になっているはずもありません。その程度の行動しか起こさなかった結果、憲法学界の意見がまったく反映されなかったとしても、それは自業自得としか評しようがないのです。
個人的には、有志の学者が連帯して、そのような解釈を通すようであれば全員で辞職する程度は最低でも必要だと思います。それが数人であれば何のインパクトもないでしょうけれども‐そうなればもって瞑すべしですなぁ‐、旧帝大に早稲田、慶応、中央あたりの著名法学部の教授のほとんどが辞めるような事態になれば、さすがに安倍総理とてまずいと判断するのではないでしょうか。あくまで報道ですので事実である保証はありませんが、
安倍は官房長官時代から、解釈の見直しの可能性を法制局に尋ねてきたが、「解釈は変えられない」とする法制局の姿勢は微動だにしなかった。
しかし、安倍は昨年9月に首相になり、「法制局も内閣の一部局なのでトップは私」(国会答弁)となった。
「これだったら法制局長官は辞表を出すかな、これくらいだったら出さないかな」
安倍は1月、外交・安保ブレーンの一人に、そう問いかけた。すでに内閣発足に伴い、阪田雅裕・前長官が勇退していたからだ。
前段の「これ」とは、「従来、9条が禁じる集団的自衛権の行使に関係すると見られてきた事例について、自衛隊の対処が法的に可能だと政府が結論を出す」ということ。後段の「これくらい」は「有識者会議で研究させる」というものだ。
(略)
安倍ブレーンは、会議設置の狙いをこう証言する。
「首相は昨年12月の時点で、自分の判断で集団的自衛権の結論を出しそうな感じがあった。しかし、法制局を押し切るような形で急いで結論を出すと、また、長官以下バタバタと辞表を出し、大騒ぎになる。どうしたら辞めずにすむか考えてのことだ」
読売「憲法改正への道/国民投票法成立(下)/「9条変える」最終目標/集団的自衛権 まずは解釈議論」
とのことで、少なくとも内閣法制局幹部は、今後の動向によっては集団で辞表を出す覚悟を決めているようです。官僚ですらそうだというのに、一生を捧げた学問をそこまでコケにされて感じるものはないのですか?
ちなみにwebmasterは、集団的自衛権の行使を可能とすることは必要だと思います。しかし、それは憲法改正によるべきであって、政権与党たるもの、その改正が失敗したとしても何度でも挑戦すべきでしょう。3年後にならないと改正できないから遅すぎる? そうだとすれば、そんな国民投票法にしたことが問題なのです。





5月 19th, 2007 at 7:50:10
うーみゅ、辞任という手は相手が無視するとかこれ幸いと同調者を補充するとかしたら無駄に終わることが確定する方法ですからねぇ。
トップが改憲派の場合、日本国憲法学などいらない、今後は改正大日本帝国憲法学の時代だとか言い出す危険性に加えて、それにそれなりの数の国民が支持を与える可能性を考えると、
>旧帝大に早稲田、慶応、中央あたりの著名法学部の教授のほとんどが辞めるような事態になれば、
>安倍総理
がこれ幸いと居直る可能性が無視できないように思いますが。
そういうわけで、個人的には、辞任作戦はやってほしくありません。
>集団的自衛権の行使を可能とする
ならば
>憲法改正によるべき
という意見には賛成ですが、自衛隊の創設時の経緯があるので、毒皿でなし崩しという方向も追求されうるのでしょう。orz
5月 19th, 2007 at 10:12:22
時代の変わり目を認識できず、それに応じた自分を律するルールを変更できないから、解釈で切り抜け一部組織の独走を許すのは戦前と同じだな。
適応しようとしないから、適応に失敗する。
憲法改正は、ソ連崩壊後の数年以内にしなければいけなかったのだろう。
5月 19th, 2007 at 10:58:37
>憲法学者がひとりである、あるいは一流の憲法学者が
>参加していないといった批判は
このコメントは、経済学者にも当てはまる気がします。例えば、政府税調は元農林官僚の小倉氏や税制は専門外の加藤氏が会長でした。その後石氏、本間氏と税制専門の会長が続きましたが、香西現会長、そして噂された伊藤元重さんも税制は専門外です。ちなみに日銀の前篠塚審議委員も労働経済学が専門だったはずです。
そもそも「社会分析なんて俺でもできる」と思われている日本社会科学の宿命かもしれません。また、社会科学は池田信夫氏のブログでいう「古い脳」には反しますから、受け入れられにくい。
5月 19th, 2007 at 11:25:26
内閣法制局幹部が集団で辞表を出す覚悟なのはわからなくもないですが、憲法学者は関係あるのかな?というのが素朴な感想です。仕事で多少このような事柄に関わりましたが、憲法学界の存在は全くと言ってよいほど意識されていませんでした。
そもそも、こと9条に関する限り、現在の政府解釈は「これまで積み上げてきた憲法学の成果」などではなく、「積み上げてきた政府解釈の結果」にしか過ぎません。言い換えれば、憲法学者の関わらないところで内閣法制局を中心とする政府が作り上げたものでしょう。その理由や是非はどうであれ、かように憲法学界と現実の政策とが乖離してきたというのは事実かと思います。
5月 19th, 2007 at 11:31:21
「古い脳」なんてあるの?
それから、サラ金規制なども、歴史的超低金利で金融機関は構造的に利益が出るから、不祥事を演出して利益を外に出している面があるでしょう?
日本は市場型経済ではなく割当て経済だった上に、米国の民主党に脅されて対外投資も妨害されていたから、歴史的低金利から何から至るところ歪んで、市場以外で配分しなければカッコがつかない状態だ。
金融機関の不祥事が多発しているのは、その配分を取り繕うためでしょ?
5月 19th, 2007 at 19:31:14
ご無沙汰しております。
私は法学は知識皆無(記憶力ゼロなので、こういう学問は苦手です・・・)なので、素人としての質問なのですが、改正が極めて困難な硬性憲法においては、その運用(解釈)を十分に柔軟にし、憲法改正は現状を追認する形で行うのが最適なのではないでしょうか。いかな法律であれ、厳しすぎたり現状にそぐわなかったりすればimplicit ruleに取って代わられるというのはLaw Economicsにもある議論だと思うのですが(法の経済学もも良く知らないので、勘違いかもしれませんが。ただ、直観的には当然それが最適解であろうと思います。その法律に罰則規定がない限り)。
改正が困難な法律は、まさにその理由ゆえに金科玉条にはなりえないと思います。そして、他の法律は憲法の制約を受けるという点で法解釈学の範疇かもしれませんが、憲法自体は他の法律の制約を受けないのでしょうから、逆に法解釈は柔軟になしうるのではないのでしょうか。(それでは他の法律の規範?たりえない、という反論もあるかもしれませんが、そもそも硬性憲法とした時点でそれは困難なわけで)
日銀のボードメンバーに経済学者どころか博士号取得者すらほとんど居ないということを嘆かわしく思うのと同じ意味で、この懇談会に憲法学者が居ない点は問題だと思いますが。アドバイザーとして海外の学者に参加してもらうわけにはいかないのでしょうかね。
5月 20th, 2007 at 0:26:15
憲法学者と政治の関わりについては、中曽根内閣の靖国懇に参加した芦部教授の「挫折」を取り上げずには論じられないように思います。安倍総理は「呼ばなかった」のではなく、「呼べなかった」(断られた)と邪推します。
また、「専門家」(憲法学者)の不在が社会的に注目されないのは、他の方もご指摘の通り、社会科学一般に共通の傾向だと感じるのですが、憲法学についてこれだけ熱く論じられるというのは、それだけ期待があったという証左でしょうか?学部時代の私は、(リソースは有限ですから)第9条に変なこだわりを持っていないという点こそ、まともな憲法学者の必要条件だと思って授業聞いておりましたので、興味深く本エントリーを拝読しました。
なお、大学教員の仕事が研究だけだとは思いませんから、自分の説が無視されたことを理由として(学生を無視して)連れ立って辞任するなど、個人的には到底支持できません。
5月 20th, 2007 at 1:15:29
無学です。
憲法なんて、お題目なんだから、好きなだけ議論してよ。
国際力学は、待ったなしで動くから、動ける様にしてよ。
犠牲になるのは、一般人なんだから、憲法学者は一般人じゃないから、好きなこと言える。
日本人として生きたいから、海外の例はいらないから、最低限の生存の保障は持ちたいよ。
5月 20th, 2007 at 1:40:48
追加
http://dole.moe-nifty.com/etc/2007/05/post_aa4a.html
「安価なサービスに絶対を求めても無理」
9条は似たような状態なんだと考えてます。
現状認識さえ、議論が出来ないで、神学論争に入らず、現実に即した議論が出来る日が来るのが早いか、世の中がおかしくなる方が早いか。
他人事ならいいけど、当事者なら、安心して過ごしたい。
5月 20th, 2007 at 7:35:12
法律にはド素人の感想ですが・・・・
そもそも憲法成立当時吉田総理(当時)は、「9条は自衛権も認めていない」と明言されたはずですよね?にもかかわらず自衛隊を認めた時点で政府の解釈次第という今日の状況は予想されたのでないでしょうか。まして、「非武装中立」を標榜していた野党が政権を取った途端に自衛隊も安保も丸飲みしたんですから、いまさら「解釈改憲」を批判したって天に唾するようなものでしょう。
「国民投票法案」成立の今、自称「平和主義者」こそ9条改正を主張すべきでなのしょう。「非核3原則」を明記したり、「国連憲章で定める集団自衛権を放棄する」という条文を入れるなり。そうしてこそ国民が本気で憲法9条を考える契機になるでしょう。
5月 20th, 2007 at 8:58:30
共同通信の調査によれば国民の62%は集団的自衛権の憲法解釈の見直し必要なしとしている。なのに、有識者会議のメンバーは全員集団的自衛権の憲法解釈の見直しに賛成だという。安倍総理もバカですね。最低1人は反対論者を入れておけばよかったのに。過去の歴代総理が憲法上認められていないと断言してきたものを、こんな会議でひっくり返せるのであれば、今後の安全保障に関する法案の国会論戦は気楽なものになるでしょうね。後で適当な会議を開けば、答弁をいくらでも変更できるのですから。過去の答弁との整合性も気にする必要なくなります。総理が「私が政府の考え方を変えました!」と強弁すれば済むのですから。こんな議会軽視のやり方に国民や国会はもっと怒るべきでしょう。
5月 20th, 2007 at 10:05:19
再投稿すみません。今日の読売に憲法学会に関する記事があり驚きました。安念教授の「改憲を主張している憲法学者には1流はいない」旨のコメントが非常に印象的です。
ところで、かつて(いまでも?)経済学には「実社会と交わるのは卑しい」という雰囲気があったという記事を読んだことがあります。法学についてみると民事系はそうでもないですが、公法系はそんな雰囲気を多少感じます。
これと「社会科学なんて」という社会の雰囲気とあわさり、社会から遊離した学会構造が確立した気がします。
このような学会構造が確立すれば、「下等な実社会がどう動こうと眼中にない」ことになるでしょう。
BEWAADさんの嫌いな構造改革でもないと、自発的な改革は無理ではないでしょうか。
5月 20th, 2007 at 16:26:51
> 内閣法制局幹部は.. 集団で辞表を出す覚悟
どうぞお辞めください、と思います。憲法学者も含め、現実的な法解釈をしないのだったら不要です。むしろ害がある。今後、勢いづいて行き過ぎた方向に触れる危険もありますし。
お辞めになったら、よい人件費削減です。あいたポストは誰かが入るんでしょうけど、兼任にして一つ二つポストを減らせれば良し、と思いました。
5月 20th, 2007 at 17:36:15
↑(13)
なんというか、>>1(http://bewaad.com/2007/05/19/119/#comment-4357)での指摘そのままの展開というのは、何かの罠なのでしょうか? (^_^;)
現実的だろうが空想的だろうが、法の文言に正面から反する解釈が通るんだったら法律はいらないわけで、なんでもありの無茶が通らないように法律という枠を決めておくのだ…とか言って通じるかどうか、いまいち自信がないなぁ。orz
5月 20th, 2007 at 17:43:21
>13 現実的な法解釈をしないのだったら不要です。
あなたのいう「現実的」とは、おそらく、アルカイダに対して自衛権を行使しているアメリカと一緒になって、アフガニスタンの奥地で自衛隊が掃討作戦を展開することなのですね。集団的自衛権が行使できることになれば、自衛隊はアメリカの自衛戦争にとことん付き合うということになります。自衛隊がアメリカ本土沿岸にイージス艦をずらりと配備させられることになります。アメリカにとっては、さぞかしコスト削減につながることでしょう。安倍総理の挙げた4類型などは、集団的自衛権を認めなくても、ある程度できると言われています。集団的自衛権を憲法上認めた途端、アメリカからの無茶苦茶な要請に付き合うことを拒否する「歯止め」がなくなるという事実をもっと認識すべきです。
5月 20th, 2007 at 18:22:10
>自衛隊がアメリカ本土沿岸にイージス艦をずらりと配備
まあここまで行かなくても、日本海にちょめちょめ(軍事には疎いのでよくわからない)を配備して某国の太平洋向けデモンストレーション用ミサイルを自衛隊(その時は国防軍か?)が迎撃、怒った某国は今度は実戦用のミサイルを九州(射程の関係でまともに届くのはそのへんまでらしい)に発射…。
こ、恐っ。m(_@_;)m
5月 20th, 2007 at 20:27:01
↑BUNTENさん
たびたびの書き込みですいません。
アメリカ本土沿岸にイージス艦を配備というのは、言い過ぎのようにも見えるかもしれませんが、実はそうでもありませんよ。アメリカがどこかの国から本土対してにミサイルを撃ち込まれるかもしれないと少しでも思えば、1隻でも多くのイージス艦で本土を守って欲しいから、当然平時だとしても日本にも応援を求めてくるはずです。だって、アメリカ軍も日本に駐留して日本を守ってくれているわけですから。それが安倍総理の考える「日米同盟の双務性」を高めることなのです。僕から見れば、「日米同盟の属国性」を高める以外の何物でもないのですが・・・。
5月 20th, 2007 at 21:10:23
>>1隻でも多くのイージス艦で本土を守って欲しいから、
>>当然平時だとしても日本にも応援を求めてくるはずです
判らない事なら一次ソース位ご自分で当たって調べる
位の事はされては如何ですかね?日本から態々イージス艦
なんて借りなくても、アメリカは自国だけでMDシステム
を稼動させうる意思も能力も有りますが。
アメリカ海軍がイージス艦だけでどの位保有していて、
かつイージスシステム対応の艦の数がどの位あって、そ
の上、それらをどの辺に配備しているか、なんて事は、
公式サイトを見るだけで簡単に確認できる事なのですから。
上記引用は貴殿の思い込みだけで根拠すら示しえない
ものですが、それは議論にあたってこちらの読者に対して
誠実さに欠けていませんか?
5月 20th, 2007 at 21:14:29
>なんでもありの無茶が通らないように法律という枠を決めておくのだ…とか言って通じるかどうか
通じにくいんじゃないでしょうか。
9条からずれたレスで申し訳ありませんが、コントロールや法治国家であることに対する日本人の意識の低さは何の名残なのでしょうか。そんな事に関する本があれば読みたいのですが、ご存知でしたらご紹介願えませんか??
5月 20th, 2007 at 21:30:14
よく分からないのですが、そもそも集められた「国際政治学者」はみな「斯界において所論への賛否を超えて一目置かれるような業績を残した」方々なのですか?
5月 20th, 2007 at 22:09:59
憲法9条解釈は「密教」という例えを聞いたことがあります。確かに、あまりに複雑で、専門的に関わっていないと経緯や現状を正確に把握するのはおそらく困難だろうと思いますし、主要紙の記事の中にすら不正確な内容を見つけます。
一方で、外交・安保というのは、素人でも物が言い易い分野なのだろうと、最近の一連の議論を見ていて思います。もちろん、専門的になりすぎた隘路から引き戻してくれるという点で、非専門家の視点も大事なのですけれど。
5月 21st, 2007 at 0:06:21
15>
余計なお世話かもしれませんが、傍から見てると、貴方の文章は、自分と異なる意見の持ち主を自分に都合のいい形に悪魔化して、それを叩いているだけにしか見えません。
>あなたのいう「現実的」とは、おそらく、アルカイダに
>対して自衛権を行使しているアメリカと一緒になって、
>アフガニスタンの奥地で自衛隊が掃討作戦を展開することなのですね。
13の方は、斯様なことを一文も書いておられず、貴方の仰るようなお話は全て貴方の想像に過ぎないわけで、そのような文章に何の意味があるのですか?
5月 21st, 2007 at 0:11:45
>BUNTENさん
後任人事としてそのようなことが行われ(といっても、大学教授の任命は教授会の権限であって、政府介入はさすがにないのでは、とは思いますが)、それが世間的に許容されるというのであれば、それもまた以って瞑すべし、ということなのではないでしょうか。
5月 21st, 2007 at 0:12:05
>PKさん
後知恵としては、極東委員会からの勧めにしたがって制定直後に改正しておくのが一番よかったのでしょうねぇ。
5月 21st, 2007 at 0:12:45
>択一52点さん
いわゆる六法のうち、他の五法においてはそれなりの法学者が参画しており、まあそれらは法務省が事務局としてそのあたりに目配りしていることも大きいのでしょうけれども、憲法の特異さが際立つように思います。まあ商法でも、小泉・竹中時代には野村(修)先生が重用されたりもしていましたが、これもまた政治的人事だったとも言えるのかもしれません。
政府税調については、会長は以前紹介した森田朗「会議の政治学」(http://www.amazon.co.jp/dp/4903425096/)で克明に描かれているように、あくまで会議の仕切り役でむしろ自分の意見をそれほど押し出せない立場でもありますから、その座に専門家がいないことはそれほど嘆くべき状況にはないように思います。
「古い脳」問題は、自然科学でも当然に存在することで(代表例が「それでも地球は周る」でしょう)、社会科学に特有の問題ではないというのが私の理解です。
安念先生のコメントは、当該記事を見ていないのでそれだけで判断することに問題があり得ることを注記した上ではありますが、憲法学界のどうしようもなさが端的に表れているように思います。他の法律ですと、学者があるべき改正を議論するなんていうのは、普通にあることなんですけれどもねぇ。
5月 21st, 2007 at 0:13:13
>一小役人さん
そもそもご指摘のように「憲法学界の存在は全くと言ってよいほど意識されていませんでした」「憲法学者の関わらないところで内閣法制局を中心とする政府が作り上げた」「憲法学界と現実の政策とが乖離してきた」という状況が問題だ、というのがエントリの本旨です。内閣法制局解釈ですら不適切だ(自衛隊を違憲だとすれば、それを合憲とする法制局解釈の評価はそうならざるを得ません)などと空想的な議論ばかりをしてきたから、こういう肝心なときに相手にされないんだよなぁ、ということです。
5月 21st, 2007 at 0:13:57
>馬車馬さん
第9条だと政治的な側面が多分に入ってしまうとは思うのですが、たとえば言論の自由について、それを尊重しようという社会であることが、その憲法条項がきちんと守られていくことの前提でしょう。言論の自由を尊重しないような社会において、憲法に書いてあるから守れ(あるいは言論の自由を抑圧する政府は違憲状態にある)といってみたところで、負け犬の遠吠えにしかならないわけです。
結局この意味で、解釈論といえども政治運動を意識せざるを得ないわけで、この政治運動としての失敗をろくに自覚もせずに、現実が間違っているといわんがばかりの態度をとってきたことが、このように現実からしっぺ返しを食らう結果につながったと思うわけです。
なお、法解釈学は実際の条文に強く制約されますから、なかなか海外の学者に知見を求めるというわけにはいかないように、個人的には思います。
5月 21st, 2007 at 0:14:17
>すがりーさん
本当に断ったのだとしたら、それこそ末期症状ではないかと思います。靖国懇での芦部先生を挫折というなら、今回は挫折すらできなかったということで、象牙の塔で勝手に腐っていけ、という感じですねぇ。
社会科学者一般が無視されているわけではない、というのは択一52点さんへのお応えで書いたとおりで、まあ学生時代から憲法学が好きになれなかったことが影響していないという気はありませんが(笑)、やっぱり他に比べてもどうしようもなさが際立っていると思います。
このご時世、辞任したところでネットその他でいくらでも知識を伝えることは可能で、純粋に教育ということでいうならば、無責任ということになるとは限らないと思います。単位をどうするかは大学当局の課題ですし。
5月 21st, 2007 at 0:14:38
>通行人さん
おっしゃるような問題から逃げてきたことが憲法学界の責任なのだと認識しています。
5月 21st, 2007 at 0:15:13
>通りすがりの金融マンさん
世の中、解釈変更があり得ないというわけではなく、どういう理屈でどういう内容についてどの程度の変更をするのかについて、法学の出番があると思うわけです。そういう議論をすることなく、政府の解釈は適当でないとのみ言ってきた歴史が、出番のはずなのにお茶をひく原因なのだろうと。
5月 21st, 2007 at 0:15:32
>役人素人さん
お示しの点については、反対派の意見も聞いて最大公約数的な議論をまとめるという、従来の調整型意思決定自体に批判がある状況も大きいと思います。
5月 21st, 2007 at 0:15:53
>素人ですがさん
BUNTENさんがお書きですが、「現実」がすべてであるならば、法律などそもそも存在意義がないことになるわけです。あらゆる法律を全廃すべきだとお考えでしょうか?
5月 21st, 2007 at 0:16:23
>別スレ6124さん
私もそれほど詳しいわけではありませんが、少なくともアメリカが自国防衛について他国に依存しようとすることは、想像しがたいですね。政府もそうでしょうし、万が一政府がそうしようと思ったところで、どこまで国民が許容するのやら、とも思います。
5月 21st, 2007 at 0:16:53
>おのさん
ご関心にどこまで対応するものかはわかりませんが、私が読んだものの中では、ダニエル・H・フット「裁判と社会」(http://www.amazon.co.jp/dp/4757140959/)がお薦めです。↓で取り上げたこともありますので、ご参考にしていただければ。
http://bewaad.sakura.ne.jp/20061101.html#p01
5月 21st, 2007 at 0:17:20
>はんなりさん
政治学界にそれほど詳しくはありませんが、少なくとも北岡先生や田中先生は該当するでしょう(したがって、それ以外の先生方が当てはまらないとするものではありません)。
5月 21st, 2007 at 1:28:05
>一小役人さん
密教どころか、長尾先生など「カルト」とまで呼んでますから(笑)。↓で紹介していますので、もしよろしければお目通しを。
http://bewaad.sakura.ne.jp/20050703.html#p01
5月 21st, 2007 at 1:30:39
>とみとみおさん
図らずも、第9条改正反対派の主張の典型であったように思います。
5月 21st, 2007 at 3:42:31
webmaster様
私が支持できないと書いたのは、少なくとも国立大学の教授は、まさに「大学当局」の一員であるが故です。戦前のように文部大臣が人事に介入できた時代ならともかく、教育公務員特例法(もしくは独法化)によって大学人事の自治が認められた戦後において、大学を辞任することが政府に対する抗議になるという感覚が全く理解できません。
※自らを愧じて辞任しろとおっしゃっているのなら理解可能ですが。
5月 21st, 2007 at 3:52:54
>すがりーさん
そのあたりは、極めて政治運動としての文脈を勘案しています。たとえば、ヴェトナム戦争時のティック・クアン・ドックの焼身自殺は、理屈からすれば抗議になるものでもありませんでしたが、その政治的インパクトは多大で、最終的にはゴ・ディン・ジエム政権の崩壊をももたらしたわけです(マダム・ヌーの発言がなければそうとも限らなかったかもしれませんが)。それと同様の文脈において、生活の糧をなげうってでも訴えたいのだ、とデモンストレイトすることの政治的意味は、それほど小さなものではなかろうと思うわけです。
5月 21st, 2007 at 22:58:57
焼身自殺と「辞表を出す」ことは大分違いますよね。
リストラも珍しくない時代に、辞表を出した程度でインパクトがあるという考えは、古臭く思います。なんだかエリート意識丸出しで嫌味にも感じます。
本当に辞める気なんでしょうか。天下り集団再就職していたらお笑いですが。
法制局の幹部が辞める前に、きちんと啓蒙活動する手があるはずです。議員・報道機関へのレクチャーなり、ネットで国民へ直接情報発信するなり、役所の高位のポジションに就いているからこそできる仕事があるだろう、と思うのですがね。
結局のところ、口先だけ反対していて、決まってしまったら、後付けで法論理を作ってくれるんだろうな、と思ってしまいます。新教祖誕生、そして新学派の旗揚げです。
5月 21st, 2007 at 23:50:53
「裁判と社会」ご紹介頂いて有難うございました。よんでみます。
5月 22nd, 2007 at 2:33:09
ここは酷い通期黒字ですね…
NEC、PC事業は2006年度通期黒字に
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0521/nec.htm
でも面白いPCが (more…)
5月 22nd, 2007 at 5:36:08
この国際政治学者の顔触れは、「現実主義」系国際政治学者の第一線級を「ごっそり」集めたという風情です。中西、坂元、岩間の各教授は、高坂正堯門下の中心的人物です。拙者などは、「よくも、これだけ、はっきりしたカラーを出してきたな」と思ってます。
5月 22nd, 2007 at 6:05:43
>素人ですがさん
少なくとも報道を見る限り、内閣法制局のことは相当程度安倍総理やその周辺は警戒しているといいますか、気を遣っているようです。
>おのさん
ご関心に適えば幸いです。
>雪斎さん
ご教示いただきありがとうございました。
なお、重なるテーマをお取り上げのエントリ、拝読させていただきました。やっぱり法学の外からはそのように見えているのだなぁ、と寂しい現実を改めて思い知らせていただきました。
5月 22nd, 2007 at 16:43:51
はじめまして。
正直なところ,客観法たる憲法(=憲法はまずもって国家権力を制限する規範)という認識が,自由を戦いで勝ち取った欧州に比べ,国民・権力者両方には著しくかけているのだと思われます。それ故,最高裁にもある意味政治的な事柄は権威をもたれなしし,最高裁自信それを認識しているので統治行為論で逃げているのでしょう。
学会は,憲法調査会などでは,まともな学者もそれなりにコメントしておられますが,樋口陽一先生を始め,憲法調査会に行かれない方も沢山おられます。また,最近は長谷部先生などが少し一般向けの本などを出しておられますが,こういった一般向けのアピールも,かなりの程度不足しているものと感じております。
こういった,学会の「閉鎖性」は,個人的には,批判されてしかるべきであると考えます。ですが,今回の有識者会議は安倍政権で,とくに安倍さんの肝いりの<集団的自衛権>の事柄なだけに,靖国懇の芦部先生のような「言い訳」的地位に大物を据える,ということすら安倍さん自身が嫌がったのではないでしょうかね。
5月 22nd, 2007 at 19:55:25
なるほど。法の有効性が、その法律自体や、法律の法律たる憲法によって維持されるものではなく、民意の(絶え間ない)賛同によって保たれるものであるとすると、憲法の存在意義ってなんなのでしょうね。「民意」が三権に反映されるシステムの存在が上の文章の前提ですから、その部分だけを憲法に記述し、ついでに人権や民主主義の定義、前文だけを付け加えて、残りの具体的な条文は全て削除して硬性法を維持するほうが最適解に近づくと思うのですが(そう考えると、軍備の有無などを憲法で記述すること自体が問題外ということになりますが)。
憲法学というのは法解釈学以外にはないのでしょうか?ざっと考えても、憲法がいかにあるべきかというトピックだけでも幾らでも議論することがあるように思うのですが。憲法の法解釈は一般法との整合性をチェックする際には必要ですが、憲法そのものを考える際には無意味ですから、そうなると憲法学者が呼ばれなかったのは全く当然だと思います。しかし、海外でも憲法学=解釈学なのでしょうか?というか、解釈学って学問なのかという素朴な疑問が頭をもたげるのですが・・・。
5月 22nd, 2007 at 20:21:42
>樋口陽一先生
>一般向けの本
一般人対象の、自分で考えて貰うために書かれたと思われる本「日本国憲法資料集」(初版は確かお蔵入りで手元にあるのは二版/樋口陽一・大須賀明)を取り出して、民主制下で法学者が政治と関わる方法としてこういうのもアリだよなぁ、とか思いつつ出遅れて書かなかったのでした。
私は、憲法論議の現状から結果的には憲法学者ないし憲法学会から「一般向けのアピールも,かなりの程度不足している」と言えるのかも知れないとは思いますが、この本には、主権者国民の中に入っていくという積極的な姿勢を感じたので、かなり肯定的に評価しています。
初版は「この種の地味な出版物としては少なくない数の読者の支持に恵まれ」た(二版はしがき)ということですが、>>1にもかかわらず>>13が書かれるということで、十分な効果を上げるには至っていないのでしょう。これは、良書だと感じた読者である私の普及活動の不十分さにも責任があるのだろうと感じます。orz
5月 22nd, 2007 at 20:30:38
お示しの例については、カッコ内で言及あるように、夫人の傲慢さ(政権指導者の腐敗)が大きく取り上げられたことで、ゴ政権の正統性が揺らいだとの認識でおりました。言われてみれば、彼の地における仏僧の地位の高さも影響しているのでしょうね。
いずれにせよ、投げ打ったものの大きさによって主張の当否を判断する人々が一定数いることは否定しませんが、個人的には、学者がそういったルートを利用して主張を広げることには矛盾を感じます。加えて、自説が採用されなかったなんて理由で、学生と同僚に迷惑をかけるのかよ、と。後者は大学関係者ならでは、かもしれません。(言うまでもありませんが、解任されるとわかっていながら自説に拘るという局面であれば別論です。)
それに、もし(理屈とは無関係に、すなわち私は反対ですが)政治的インパクトから逆算して行動すべしと言うならば、「人を出さない」という判断も選択肢の一つとして肯定的に評価すべきように思いますがいかがでしょう?芦辺教授的な役回りが存在しない分だけ、「結論先にありき」とのラベル貼りが容易になりそうですが。(メンバー選定の経緯がわかりませんので、あくまで仮定の話です。)
もう一点は、私は、第9条は、憲法学界の中でも声の大きい方々が崇めているだけだと思っていましたので、現行解釈守るべしと叫ぶ方々と著名法学部教授が一致するというイメージを持たれている(?)事が不思議でした。思い返せば、試験に出る分野くらいしか勉強していなかったせいなのかもしれませんが(笑)
5月 22nd, 2007 at 22:01:31
>>BUNTEN 様
その本は私も持っておりますが,私もよい本だと思います。
されど,やっぱり,新書レベルまで行かないと,本当に数多く一般に出回らないという感じがします。樋口先生は新書を何冊かお書きですが,やっぱり一般の人からすれば「小難しい」気もしないでもないので,その「小難しさ」を乗り越えてもらうために,販売戦略だとかでカバーできないものかなぁ,と。この点,長谷部先生は「うまく」やっておられるようですが・・・。
5月 22nd, 2007 at 22:25:27
>「小難しい」
「あるある」ではありませんが、最もウケやすいのは自信ありげな断定だったりします。
対して、「日本国憲法資料集」は、読者に考えさせる本ですから、普通に考えればウケが取れそうにない本の筆頭格。orz
いくら断定的な表現がウケるからといっても、こーゆー本で「脳トレ」すれば10歳は若返る、とかフカすわけにもいかんしなぁ。でも、脳には適度な刺激になると思います、本当に。\(^o^;)/
5月 22nd, 2007 at 23:43:16
>18
> 判らない事なら一次ソース位ご自分で当たって調べる
>位の事はされては如何ですかね?日本から態々イージス艦
>なんて借りなくても、アメリカは自国だけでMDシステム
>を稼動させうる意思も能力も有りますが。
今回の憲法解釈の見直しの議論がなぜ始まったのかといえば、アメリカが日本のイージス艦にアメリカに向かうミサイルを撃墜してほしいからではなかったでしたっけ??アメリカが自分のシステムだけで対応する意思も能力もあるのなら、なぜそんな要望をしてきたのでしょう??
> 上記引用は貴殿の思い込みだけで根拠すら示しえない
>ものですが、それは議論にあたってこちらの読者に対して
>誠実さに欠けていませんか?
少し批判の仕方が違うのではないでしょうか。
5月 23rd, 2007 at 5:59:52
>とおりすがりの憲法専攻さん
結局のところ、政府を縛るという趣旨に一番忠実、あるいは一番それを意識していたのは法制局なんだろうなぁと思います。皮肉なことですが。
>馬車馬さん
その路線をつきつめればイギリスのような不文憲法ということになるのでしょうけれども、一般的には成文憲法が通例です。なぜそうかを考えますと、
(1) 憲法制定時の広範な議論を通じた法体系への帰属心の醸成
(2) あいまいさの排除
(3) 対外的なアナウンスメント効果(明治期に、不平等条約改正の文脈で憲法制定が要請されたことが典型例ではないかと)
といったものがあるのかな、というように思います。
憲法学としては、比較憲法などの分野もあり、必ずしも解釈論に限られているわけではありません。
今回の懇談会については、憲法改正案の検討であるならば、憲法学者を呼ばないことの合理性は相対的にあると思いますが、あくまで今回は解釈を論ずる場であるわけですから。
解釈論が学問かといえば、科学ではないと個人的には認識していますが、古より学問として扱われてきたことを踏まえても、学問でないわけではないと思います。
>BUNTENさん
非常に突き放した言い方をするなら、
>初版は「この種の地味な出版物としては少なくない数の読者の支持に恵まれ」た
といって、その程度の読者数で満足しちゃいかんのでしょう。あるいは、その程度で満足していたからこその現状であると(とおりすがりの憲法専攻さんのご指摘と若干重なりますが)。
>すがりーさん
もちろん、人を出さないことに政治的インパクトがあればそれはそれでいいわけですが、エントリで書いたように、そのようなインパクトは皆無といってよい状況だと認識しています。馬車馬さんへのお応えとも関連しますが、解釈を論ずる場にそれを専門とする分野のそれなりの人間を呼ばないというのは、学問の存在意義を丸ごと否定されたようなもので、それに対して世の中がほとんど問題だと思っていないわけですから、危急存亡の危機でしょう。もちろん辞職を引き合いに出すのはほめられた話ではありませんが、そのぐらいの危機感を持って何らかの行動を起こさないとすれば、学問として座して死を待つに等しいといいますか、辞職せずに現在の地位にとどまってもまったく意味がないといいますか、その程度の存在であるにもかかわらず辞職もせず給料をもらい続けることの方が犯罪的といいますか。
>役人素人さん
MDでイージス艦が担うのは、再突入段階ではなく慣性飛行段階ですので・・・。
5月 23rd, 2007 at 8:29:17
最初から結論が決まっていてあとはいいわけを考えるだけの会議に、結論を異とする人が呼ばれないのはある意味予測の範囲内ではないかと思います。
なお、我が国で戦後憲法改正が行われなかった最大の要因は、憲法が硬性だったからではなく(米国憲法だって、同程度の硬性です)、憲法改正を党是とする与党第1党が希望する改正の方向が時代遅れだったからだと思います(新憲法草案ですら基本的人権の制約原理事態を変えようとしていますし、その前の案だと24条(婚姻における男女の平等等)すら変えようとしていたわけですし。)。
そういう意味では、まともな憲法学者からみて、立法論的にはかみ合う議論ができる素地がなかったのではないかという気がしないではありません。
5月 24th, 2007 at 5:26:16
>52
>>役人素人さん
>MDでイージス艦が担うのは、再突入段階ではなく慣性飛行段階ですので・・・。
それはもちろんそうなのですが、誤解されているといけないので指摘させていただくと、例えば、久間大臣は、以下のような答弁をしています。
平成18年11月30日 衆議院安全保障委員会
○久間国務大臣 日本に今配置しようとしておりますミサイル防衛システムでは、これは難しい。将来、技術的に高高度の迎撃ができるようなことになりましても、今言うように、日本海に置いておいたもので追っかけるというのは難しい。しかし、例えば日本のイージス艦がたまたま太平洋のハワイ近くにおって、そっちに行っているぞということでやったら、それは可能といえば可能ですよ、そういう技術が進めば。
(中略)・・ミサイル防衛システムというのは大体迎え撃つというシステムですから、追っかけて撃つというようなことはまず考えられないわけであります。(後略)
つまり、現在の技術は言うまでもなく、将来的にも、日本海に置かれたイージス艦から発射されたミサイルでアメリカ本土に向かって飛んでいくミサイルを追っかけることはできないのですね。少なくとも、日本のイージス艦をハワイ辺りには展開させない限り、アメリカに向かうミサイルを撃ち落としてほしいというアメリカの強い要請には応えられないということなのです。
ちなみに、23日の東京新聞によれば、麻生外相も同じよなことを言っているようです。
「首相に代わって答弁した麻生太郎外相も、米国に向かう弾道ミサイルの迎撃については「技術的に可能なのか。成層圏に出たものを追いかけて当たるなんて話は世界中にないと思う」との疑問を投げかけた。」
5月 24th, 2007 at 6:01:22
>小倉秀夫さん
もちろん召集側にそうしたいという気持ちがあることは自然ですが、エントリ及び上でのコメントと一部重なりますが、それが問題視されない環境・状況はいかがなものか、というところに私はより重きを置いています。
なお、これまでの自民党の人権規定に関する考え方を憲法学界が論難するのであれば、これまた繰り返しとなりますが、戦後直後には美濃部は改正を不要とし、宮沢・清宮等は旧憲法と大差ない規定を考えていたことの総括が必要でしょう。自民党案が、旧憲法よりも人権抑制的でない限りは。
>役人素人さん
そういう目的で日本海に展開することはないと理解しています。
5月 24th, 2007 at 14:48:06
>役人素人氏
というかそもそもロシアとか中国とか北朝鮮とかが撃ったICBMは
太平洋を横断しないわけですが(ry
答弁でもハワイはたとえ話で出してるだけでしょう。
アメリカ本土のミサイル防衛に
日本が果たせる役割というのはそんなないですよ。
せいぜいレーダー基地ぐらいでしょう。
http://obiekt.seesaa.net/article/15231732.html
5月 24th, 2007 at 22:10:08
エントリーの内容から少しずれて申し訳ないのですが、教育再生会議にも教育学者は一人も入っていませんね。この政権は結論ありきの会議体を結構露骨に作るという印象がありますが、同時に、「戦後」教育学(者)の「総括」も必要なのでしょうね(『思想』3月号で広田照幸氏がいうように、戦後教育学はあまりにも「閉鎖的」であり、また「逆コース」以降「野党的な政治的ポジション」に立ち「与党の政策策定過程において影響力を持つことはまれになった」)。ただ、専門家を排除した教育改革論議の「惨状」は、憲法論議の今後を暗示しているような気もします。
5月 25th, 2007 at 2:02:09
問題視されていないというか、これまで自民党右派や読売新聞等が一応新憲法草案を提案したけれども、一度も国民からまともに取り合ってもらったことがない(「サヨク」がタブー視したから賛同の声を上げることができなかったのではなく、そもそも検討するに値するものとすら認識されてこなかった)という意味では、例えば、戦後民主主義的な考え方は国民の間に根付いたのであって、これを放棄しなければならないという考え方は国民のうちのごく一部の間でしか共有されていないのではないかという気がします。
といいますか、世論調査をみても、国民が支持しているのは、環境権やプライバシー権の明記等国民の基本的人権を拡充する方向での憲法改正であって、自民党が望んでいるような国民の基本的人権をより制限する方向での憲法改正というのはほとんど支持されていないのです。
5月 25th, 2007 at 2:56:53
役人素人さん:
>>今回の憲法解釈の見直しの議論がなぜ始まったのかといえば、
>>アメリカが日本のイージス艦にアメリカに向かうミサイルを撃墜してほしいからではなかったでしたっけ??
>>アメリカが自分のシステムだけで対応する意思も能力もあるのなら、なぜそんな要望をしてきたのでしょう??
違います。MDシステムに関して言うなら、アメリカは
そもそもイージス艦だけに頼るようなシステムを作って
ませんし、仮にイージス艦だけに頼るようなシステムだ
としても、わが国とは違ってアメリカはイージス艦をそ
れこそ「佃煮に出来そうなほど」持っていますし作って
います。態々少しスペックを落としている(日本に渡さ
れたイージスシステムには一部機能が省かれている)品
物を、政治的リスクを背負ってまで借りる必要がありま
せん。大体MD対応のイージス艦を態々日本近海に張り付
けているのは何故なんでしょうね?
寧ろ情報共有の観点から見て、日本が参加している部
分をより効率的に使用する為に憲法解釈の見直しが必要
になっている、と言うのが現実ですが。
それに、法的厳密さを問うならば、そもそも憲法解釈
の見直しは国連に参加する際に、行われていなくてはな
らなかったマターではないですかね?
5月 25th, 2007 at 6:37:23
>56
そのとおりだと思いますが、だからこそ、アメリカのシーファー大使が「米国への弾道ミサイルを迎撃できなければ、日米同盟が変質しかねない」と述べている真意を探りたくなってしまうわけですね。
>58 別スレ6124氏
米国への弾道ミサイルの迎撃への期待については、昨年来シーファー大使がたびたび言及していますよね。
> 寧ろ情報共有の観点から見て、日本が参加している部
>分をより効率的に使用する為に憲法解釈の見直しが必要
>になっている、と言うのが現実ですが。
一般的な情報共有なら、憲法解釈の見直しは必要はありませんし、そもそも情報共有については今回の検討事項にもなっていないはず。
> それに、法的厳密さを問うならば、そもそも憲法解釈
>の見直しは国連に参加する際に、行われていなくてはな
>らなかったマターではないですかね?
国連軍への兵力提供の話をされているのでしょうか??それならば、今やっている憲法解釈の見直しとは全く関係のない話では?
5月 25th, 2007 at 9:20:23
>名無しさん
ご教示ありがとうございました。そのエントリ、見たことがあったはずなのに、思い出さなかった自分が恥ずかしいです・・・。
>はんなりさん
中教審はそうでもないわけで、そのあたり、中教審での議論の忌避=反官僚=反インテリ、といった構図も影響しているのでしょう(↓で書いたことの延長になります)。
http://bewaad.com/2007/05/01/98/
>小倉秀夫さん
少なくとも憲法学者が最終的に有権者の支持を持ち出すのであれば、立憲主義によって民主政の行き過ぎを抑える、なんてことを言えるはずもないのではないでしょうか。自らの見解に沿うものであればそうした国民的支持を是とし、そうでなければ立憲主義により抑制されるべき民主政の「行き過ぎ」だというのは、ご都合主義に映ってもやむを得ないのではないかと思います。
>別スレ6124さん
>法的厳密さを問うならば、そもそも憲法解釈の見直しは国連に参加する際に、行われていなくてはならなかったマターではないですかね?
理論上はおっしゃるとおりかと。現実的には、朝鮮戦争以後国連軍の結成が事実上あり得なくなったので、そうは迫られなかったということではありますが、湾岸戦争(とそれに先立つ冷戦構造崩壊)で再度環境が変わってしまったにもかかわらず、今まで対応がなされてこなかったということと理解しています。
>役人素人さん
シーファー大使の発言は、思考の枠組みについての問題を指摘したものと理解しています。
5月 26th, 2007 at 7:36:55
こんばんは。
役人素人さん:
>>米国への弾道ミサイルの迎撃への期待については、
>>昨年来シーファー大使がたびたび言及していますよね。
(改行変更失礼)
シーファー大使が述べているのはwebmaster氏の述べて
いるように思考の枠組みレベルの問題でしかありませんよ。
(弾道ミサイル警戒の為の航空機や衛星迄も飛ばそうとし
ている国が、政治的状況に左右される可能性が高い同盟国
の装備を現実に当てにしている、と考える方が個人的には
疑問です)
シーファー大使は飽く迄政治家であって、少なくともア
メリカの政治家であれば、政治家が軍に指示を出すのは
「要求達成」の「要求レベル」までの問題であって、その
「要求」を「どのように達成するのか」に対しては口を挟
んだりしないですよ(それは「シビリアンコマンド」に他
ならないので)。
>>一般的な情報共有なら、憲法解釈の見直しは必要はあり
>>ませんし、そもそも情報共有については今回の検討事項
>>にもなっていないはず。
私の触れ方が悪かったとは思いますが、そもそも現行法
制の元では、自衛隊と米軍が共同作戦を取るにしても、現
場レベルでの情報のやり取りですら政治的掣肘が多すぎて、
対ミサイル警戒のような「バッファ時間」の少ないマター
に対応するには現実的ではない、と言うのが憲法解釈見直
しが提起された起こりのはずですが(同じシステムを使っ
ていても、政治上の制約でお互いの情報をシームレスに共
有出来ないんですよ、現実には)。
>>国連軍への兵力提供の話をされているのでしょうか??
いいえ。そもそも論のレベルの問題です。そもそも国連
と言う組織は集団的安全保障を考え方の中心に据えている
組織です。
「集団的自衛権は行使出来ない」と言う法解釈を是とす
るならば、厳密に言えば国連に参加する行為は違法行為と
する解釈も成立する筈です。
兵力提供と言うのはいわば編成や編制の問題であって、
それ以前の政治的意思は国連に参加するか否か、と言う時
点で決定されていなくてはならないものでしょう。
5月 26th, 2007 at 11:04:58
> シーファー大使が述べているのはwebmaster氏の述べて
>いるように思考の枠組みレベルの問題でしかありません
>よ。
シーファー大使が現実の問題として述べたのか、おっしゃるように思考の枠組みの問題として述べたのかは、どちらとも取れるのかもしれません。
(私が「自衛隊がアメリカ本土沿岸にイージス艦をずらりと配備させられる」と書いたのは、この発言が現実の問題を述べたものという前提で日本がアメリカ向けのミサイルを実際に撃ち落とすことを求められることになれば、そういうことになるはずだという趣旨で述べたものです。)
> 「集団的自衛権は行使出来ない」と言う法解釈を是とす
>るならば、厳密に言えば国連に参加する行為は違法行為と
>する解釈も成立する筈です。
国連の集団的安全保障を集団的自衛権の行使の一形態として捉えれば、そういう解釈も成り立つのかもしれませんが、一般的には、集団的自衛権と集団的安全保障は別の議論だとされていますね。そうだとすれば、日本が集団的自衛権の行使ができないままで、国連の集団的安全保障に参加することは、論理的には可能と思われます。
5月 27th, 2007 at 6:33:25
>別スレ6124さん
補足ありがとうございました。
>役人素人さん
前回のコメントでおっしゃっていたように、せいぜいがハワイであって、本土沿岸では意味がないわけです。
また、集団的自衛権の行使によらない集団的安全保障への参加といっても、後方参加等に限られ、戦闘は行わないということですよね。
5月 27th, 2007 at 13:49:33
webmaster氏
>前回のコメントでおっしゃっていたように、せいぜいがハ
>ワイであって、本土沿岸では意味がないわけです。
誤解されているようですが、アメリカ本土向けのミサイルはハワイ上空を通過しませんので、ハワイでは撃ち落とせません。ハワイで打ち落とせるのは、ハワイ向けのミサイルなどであって、アメリカ本土に向かうミサイルを打ち落とそうと思えば、アメリカ本土沿岸にイージス艦を配備するのが時間的余裕も考えれば最も確実でしょう。ミサイル防衛はあくまで「迎撃」であって、迎え撃たなければならないのです。
>また、集団的自衛権の行使によらない集団的安全保障への
>参加といっても、後方参加等に限られ、戦闘は行わないと
>いうことですよね。
こちらも誤解されているようですが、集団的自衛権と集団的安全保障は基本的には違う次元の概念と捉えるべきなのであって、日本が集団的自衛権が行使できないからといって、国連の集団的安全保障の枠組みの中で日本が他国と一緒になって戦闘を行うことが論理的には必ずしも否定されるわけではないということです。
5月 27th, 2007 at 15:34:59
アメリカ本土向けのミサイルは、基本的にいわゆるアンカレッジ経由となるということで。大圏航路という奴ですね。
5月 27th, 2007 at 21:35:31
こんばんは。
役人素人さん:
>>アメリカ本土沿岸にイージス艦を配備するのが
>>時間的余裕も考えれば最も確実でしょう。
違います。沿岸以外が目標だったらどうするんですか?
そもそも、可能ならば発射前にミサイルサイトを叩くのが
一番確実なんですが。
すみませんが、貴方が一番「大圏航路」の概念を理解さ
れていません。
アメリカ本土沿岸のミサイル防衛の為に、呼んで来るか
来ないか政治的状況に左右されるイージス艦の派遣を要請
するなら、そもそも現在日本の沿岸に配置中のMD対応のイ
ージス艦を引き上げる方を選択するし、その方がアメリカ
にとっての政治的・軍事的選択肢が多くなりますが。
(それに、現実の問題として、アメリカで年3隻ペースで
建造している新造のイージス艦を振り分ける方が遥かに現
実に即していますが)
また、終末部迎撃のシステムも、別にイージス艦が無け
ればMDシステムは成り立たない訳ではありません。その為
にPAC-3システムは存在するのです。MDシステムの中では、
イージス艦は飽く迄一つの歯車に過ぎないのです。
>>シーファー大使が現実の問題として述べたのか、
現実問題として扱った、となると、彼はアメリカの政治
家としての未来を自分で閉ざす事になりますが。日本の政
治家ならともあれ、アメリカで「政治マター」と「軍事マ
ター」の区別が出来ない政治家、と言う烙印が押されたら、
彼の政治家としての未来は面白くも楽しくも無いでしょう。
>>集団的自衛権と集団的安全保障は基本的には違う次元の
>>概念と捉えるべきなのであって、
それは日本のローカルな捉え方であって、国際的に共通
した捉え方とは言えないでしょう。
5月 28th, 2007 at 12:52:13
>役人素人さん、鍋象さん
大圏コースについては、上でJSFさんのエントリを紹介してもらっているというのに・・・orz。×ハワイ→○アラスカということで。
>役人素人さん
失礼しました。主権行使の程度の違いですよね? ご指摘のとおり混同していました。
他方、その前提ですと、そもそもの別スレ6124さんの問題意識にはうまくかみ合わないのではないでしょうか。
>別スレ6124さん
世界に存在するのは集団的自衛権を認めている国ばかりですので、通常はそれと集団的安全保障の概念との違いは議論する実益がないのですが(その意味では、「ローカルな捉え方」ではあります)、概念的には違うという話は、一応はグローバルに成立する話ではあります。集団的自衛権は理念的にはあくまで各国の主権の発動で、集団的安全保障になると上位機関の指示により主権の行使でない武力行使があり得る、と。日本以外での問題になった事例としては、たとえば、国際連盟にアメリカが参加しなかった理由は、もちろんあれこれ複雑に絡み合った話ではありますが、法理論的な論点のひとつとしては、その主権制約性を問題視するものがありました。
法律屋の空理空論との批判があることは自認いたしております・・・。
5月 30th, 2007 at 1:53:48
こんばんは。
管理人様:
>>概念的には違うという話は、一応はグローバルに成立する
>>話ではあります。
但し、その場合ですと、国家の主権発動と上位機関の指示
とが不整合であった場合、どちらを優先して処理を行うのか
について、政治の役割として予め明確にしておく事が要求さ
れると愚考します。
そして、同時に行使を行う際の細則についても政治の役割
として枠組みを予め定めておく事が要求されると思います。
(アメリカのようなやり方も、一つの方法ではあるでしょう
ね、事の可否は措くとしますが)
本来的には、そこで法律的アプローチが要求されるものと
考えます。
そして、日本の場合、憲法の条文解釈には熱心でも、憲法
と国際法や各条約との整合性について、本気で論じたり論考
しているものを(私が不勉強である故やも知れませんが)見
掛けません。
管理人様もエントリーで触れられている内閣法制局でさえ
も、流石に「憲法護持の為に国民に座して死ね」とは言って
いないように記憶していますが。如何でしょうか。
5月 30th, 2007 at 7:21:28
>別スレ6124さん
そこは、結局のところ幸か不幸か国連軍の結成が朝鮮戦争以後は現実問題にはならなかったことが大きかったのだと思います。とりあえず日米安保では集団的自衛権行使はダメ、国連傘下の集団的安全保障は機能せずとなれば、議論を詰めなければならない必要に迫られなかったわけです。
だからこそ、今困ったことになっているわけですが(笑)。
6月 12th, 2007 at 6:39:35
コメント欄も含めて読ませていただきました。
webmasterさんは「憲法問題を論じようというのに、日本の憲法学界を代表する
ような学者を呼ばない安倍総理(…に対して)もちろん批判的ではあ」る、と
断ってらっしゃいます。しかし、そのような批判的実質はほとんどないように
見えます。
webmasterさんがこのエントリで現に行いえている批判は、憲法学者に関する
「机上の空論」的イメージを再生産し、「現実」的なニュアンスをからめつつ、
裏側から安倍への批判を封じることでしかないからです。
webmasterさんが、もし、ほんとうにこのエントリで言われているような趣旨と
事情を念頭に置いているのであれば、そこでの第一次的な反応は、常識的に見て、
現状を無念がるものになり、また多少の希望に触れる、というセンになるハズです。
また、安倍の判断でどうにかなる側面を無視ないし軽視するような論じ方にも、
ならないはずです。
なぜなら、憲法に関して、広範な意見を反映させる必要は、国民の側から見れば、
経過はどうあれ、法的な実益の観点から求められることであるはずだからです。
現に実益が達せられない状況を前にして、歴史的な経過までさかのぼった責任論を
展開することの実際上の意味は、実益を度外視して、現状追認することでしか
ありません。この帰結は、現に憲法学者に対して向けているのと同種の問題性が
あると思うのですが、いかがでしょうか。
また、とおりすがりの憲法専攻さんらが長谷部教授の名前を出したにも関わらず、
webmasterさんが全く反応していない(45.〜52.)ことは、非常に不自然です。
西修教授について、エントリのようなコメントをする人が、長谷部教授について
無視というのは、どう考えても、エントリの論旨に不利だからそうしたとしか
思えません。
それから、小倉さんの58.の意見に対して、61.のように、「(憲法学者が)
自らの見解に沿うものであればそうした国民的支持を是とし、そうでなければ
立憲主義により抑制されるべき民主政の「行き過ぎ」だというのは、ご都合
主義に映ってもやむを得ない、とまで批判する意味は、どこにあるのでしょうか?
国民的支持が、立憲主義の実効性からみて肯定的な方向に作用しているなら、
それを好ましく思うのは、実益の判断に過ぎず、ことさらに矛盾を追求する
必要があるとは思えないのですが…。
トータルで見ると、今回の懇談会の件は、目的(憲法学界に対する批判)を
実現するためのネタ程度の扱いにしかなっていないように思います。
6月 12th, 2007 at 6:46:36
訂正します;
現に実益が達せられない状況を前にして、歴史的な経過までさかのぼった責任論を
展開することの実際上の意味は、実益を度外視して、現状追認することでしか
ありません。この帰結は、現に憲法学者に対して向けているのと同種の問題性が
あると思うのですが、いかがでしょうか。
↓
現に実益が達せられない状況を前にして、歴史的な経過までさかのぼった責任論を
展開することの実際上の意味は、現状追認することでしか
ありません。この帰結は、webmasterさんが憲法学者に対して向けられた批判と同種の問題性があると思うのですが、いかがでしょうか(もちろん、それが目的なら、問題はないとも言えるわけですが)。
6月 12th, 2007 at 9:26:22
>poleさん
憲法学界の憲法改正試案に対する態度は、小倉弁護士がお示しのような「右」からのものに冷淡であっただけでなく、大沼先生(国際法学者なので、憲法学界から見れば部外者です)のような現行憲法の秩序に対して肯定的な立場からの提言であっても、それを無視してきたというのが実態だと認識しています。
長谷部先生の試みについては、個人的にはそのご主張の内容を含め高く評価するものではありますが(って、えらそうですねぇ、われながら)、結果が出ていないことからすれば、厳しい言い方をすればマスターヴェーションにすぎないわけです。最近岩波の講座憲法シリーズにおいて、その第1巻で井上正仁先生がこのエントリに近い問題提起をされていらっしゃいましたが、それが現実に影響し得るのかどうか、法学者の営為が最終的には現実の法解釈・運用を動かしてこそ意味があると私は思うのですが、そのような価値観からは、理屈として正しいことをおっしゃっているというだけでは無意味で、現実への働きかけの度合いで図るべきであろうし、他の法学の分野に比べても、憲法学界はそうした観点からの自己評価が極めて甘いのではないかと思っているのが私の現状理解だということになります。
6月 15th, 2007 at 23:12:41
こんばんは。
私は、webmasterさんの、憲法学界に対する現状認識に対して疑義を呈したのではありません。
webmasterさんの現状認識が妥当だとしても、このエントリのような批判の仕方には問題があるのではないか、と指摘したつもりです。
73.前段のコメントは、それへの答えにはなっていないと思います。
73.後段の長谷部教授に関するコメントは、長谷部教授に対して、というより、一般論として疑問に感じます。
その理屈ですと、webmasterさんが(一般人が閲覧可能な形で)ブログを書くことは、一般人にマスターヴェーション(以下オナニー)のネタを提供することに過ぎないし、一般人が憲法問題を論ずることは、オナニーの見せ合いをしているに過ぎない(から、無意味)、ということになりますよね。
一般人は、長谷部教授以上に、現実の法解釈・運用と関わりがありませんから。
ですが、「一般人がみんなでオナニーすれば、現実の法解釈や運用が変わりうる」から、長谷部教授が憲法に関する新書を書いたり、webmasterさんがブログ記事を書く、という面もあるわけですよね。ところで、一般人がオナニーをする場合には、73.の文脈でいう「現実の法解釈・運用を動か」しているかどうかより、「(現実の法解釈・運用を動かしうる)理屈として正しい」かどうかが重要ですから、オナニーだから無意味、という理屈は、必ずしも成り立たないんじゃないかと思います。
むしろ、盛大にオナニーしてもらって、より「現実」の法解釈・運用を、「弾力的」にしたい方たちが大勢いらっしゃるのではないですか?
また、「法学者の営為が最終的には現実の法解釈・運用を動かしてこそ意味がある」は、原則論としては正しいのですが、一般論として言ってしまうのは問題があるのではないでしょうか。
それですと、現状の解釈を変更する解釈は提出された段階では概ね無意味であり、せいぜい、提出された段階で実現可能性がありそうな場合だけ意味がある、ということになります。これって、法学者は全て御用学者たれ、という考えを、形を変えて言っているだけのことにもなりかねないですよね。
まあ、確かにそういう考え方もあるとは思いますが、個人的にはそれはどうなのかな、という感じがします。
6月 16th, 2007 at 21:31:55
>poleさん
このあたりになりますと人生観といいますか、主張は実現してなんぼと考えるからこそ私は霞が関に就職したという面がありますし、他方で社会科学であっても実現可能性にとらわれて理屈の彫琢が歪むのは堕落だと考える立場もあるわけです。ここで書いているのも、私はこういう立場で、私はそれがいいと思っているのだ、というものを超えていないのは事実だと思います。もちろんそれがオナニーであることはそのとおりです(たまに感情的になってそうした理解に基づく抑制がはずれることもありますが(笑))。
私がエントリにおいて安倍総理よりも憲法学界に厳しく書いているのも、まだ憲法学界の方が何とかなる可能性があるのでは、と思っていることの表れなのかもしれません(笑)。が、同時に、現実として集団的自衛権の行使に対して(憲法を改正した後で、という条件がつくにせよ)私が肯定的であるのも事実で、それを否定的に見ることへの批判がより大きいのだと認識しています。安倍総理の場合、きちんと反対意見も聞くという手続における瑕疵の話になりますが、集団的自衛権を問題視するのは、中身の話ですし(もちろん、私の価値観にしたがってものを見るならば、ということです)。
法学者の役割については、たとえばハートやドゥウォーキンといった法哲学・法思想学者の思考が裁判所での法解釈の在り様・判決による法の実現に向いていることからしても、そんなに妙なことを言っているとは自分では思っていないのです。御用学者にならないと現実が動かせないというのは、行政における法解釈が念頭にあると思いますが、法学者の解釈論が世を動かすかどうかの主戦場は司法でしょう。司法判断が下されれば行政は必ずそれに従いますし、他方で行政の判断は簡単に司法で覆されますので。
6月 16th, 2007 at 23:47:30
こんばんは。
■1段目
私は、webmasterさんが行っていることが、オナニーのネタを提供することだ、
と書きました。webmasterさんがなさっていること自体が、オナニーだとは
書いていないです。
74.のオナニー云々のくだりは、主張の実効性のなさ(オナニーであること)を
理由に批判することは、必ずしも成り立たない、という主張です。
オナニーも、みんなでそろってオナニーをすれば単なるオナニーではないし、
民主主義社会は、オナニーのネタに関するアンケートに意味を持たせるしくみを
含む社会だからです。
■2段目
「きちんと反対意見も聞く」ことは「手続における瑕疵」だとあっさり書いて
らっしゃいますが、かなり違和感があります。webmasterさんの書きようですと、
まるで、反対意見は、賛成意見の正統性を担保するために存在するかのようです。
それから、話がわきにそれますが、安倍総理よりも憲法学界の方が「まだ何とか
なる」と考えてらっしゃるのであれば、大沼教授やwebmasterさんが意図される
ような形で、集団的自衛権の行使が認められる可能性も、あまり現実的でない
恐れがあると思うのですが、どうお考えになりますか?
また、集団的自衛権が、「近くはないが遠くもない」将来憲法上認められずに
終わるよりは、限定的でない形であっても、集団的自衛権が認められたほうがマシ、
という判断に流れる可能性がありますが、この点についてはどういう考えでしょうか。
現実性をいうのであれば、限定がうまくいくところまで含めて保証が欲しいところですが…。
■3段目
憲法学者も含む、法学者の解釈論が世を動かすかどうかの主戦場は司法である、
というスタンスで議論をするのでしたら、そもそも憲法学者の主張の非現実性を
エントリのような形で記述するのは、アンフェアではないでしょうか。
6月 18th, 2007 at 20:50:33
>poleさん
>オナニーも、みんなでそろってオナニーをすれば単なるオナニーではない
これは、私の申し上げていることとそれほど差はないのではないでしょうか。つまりは「みんなそろって」はじめて意味が出てくるわけで、そろっていない段階ではやはり肯定的な評価は下せないでしょう。無論、それは将来の可能性を否定するものではありませんし。
>「きちんと反対意見も聞く」ことは「手続における瑕疵」だとあっさり書いてらっしゃいますが、かなり違和感があります。webmasterさんの書きようですと、まるで、反対意見は、賛成意見の正統性を担保するために存在するかのようです。
反対論者と議論することは、それを経た議論がまっとうなものと評価可能であることの必要条件であり、十分条件ではないと考えています。
>それから、話がわきにそれますが(略)
前段はよく趣旨がわかりかねるのですが、憲法学界が集団的自衛権の行使を認める改憲よりも解釈変更を是とする、ということでしょうか? そうだとすれば、私はその可能性は低いと思います。
後段は、「限定がうまくいくところまで含めて保証が欲しい」けれども保証がないからダメ、ということでは、なおさら限定なしの集団的自衛権であってもよしとする世論が形成される可能性があるのではないでしょうか。
>憲法学者も含む、法学者の解釈論が世を動かすかどうかの主戦場は司法である、というスタンスで議論をするのでしたら、そもそも憲法学者の主張の非現実性をエントリのような形で記述するのは、アンフェアではないでしょうか。
自衛隊の違憲訴訟が典型ですが、憲法学界が示す主要な解釈が司法にとって現実的でなければ、司法に採用されずかえって統治行為論によってフリーハンドを与えるということになってしまうわけです。こと自衛隊について言うならば、内閣法制局解釈と同等のものを憲法学界が通説ないし有力説として示し、司法がそれに追随していたならば、ずいぶんと状況は変わっていただろうと個人的には思っています。
7月 25th, 2007 at 3:22:33
「思想としての日本憲法史」(長尾)長らくamazonのカートに入れたままでしたが、久しぶりに書店に行ったので手にとって開いてみると… これは買わずにはいられない!
右も左も日本の近代史に興味のある人は必読って感じでしょうか。 あとがき「戦争中に軍国主義、戦後スターリンや文革を賛美した人々の中には〜中略〜剃刀を持参して図書館の手洗いで切り取る者までいるという」 いやあ、長尾先生 飛ばしますね。
7月 26th, 2007 at 8:49:20
>NOB.Yさん
そうですよね、憲法改正云々がそれなりに議題となる現在、もっともっと売れて欲しい本のひとつです。
9月 10th, 2007 at 20:14:16
岡崎さんってイラク戦争で国民を騙した大嘘つきですよねぇ。
大量破壊兵器、アメリカ議会がなかったって結論づけたじゃん。
なんで岡崎さん、こんな偉そうなところにいられるんでしょう?
あれだけホラふいたら、普通、二度と世間に顔向けできないと思うんじゃないかなぁ・・・
9月 11th, 2007 at 5:47:46
>ゲストさん
おそれがある、といっていたならばまだ整合性が保てたのでしょうけれども。