憲法学界の「原罪」
昨日のエントリは勢いで書いてしまった部分もあるわけですが(笑)、「憲法学界は、総力を挙げてこのような事態になってしまったことを総括するべきです」とした部分について、具体的に何について向き合うべきか、webmasterの考えるところを書きたいと思います。もちろん、第9条の解釈というのは大きなテーマではありますが、それに先立つ「原罪」があるのでは、という問題意識をwebmasterは持っています。
天皇機関説事件
日本史の教科書に書いてある話ですから、ご存知の方も多いでしょうけれども、概要を示せば次のとおりです。
- 大正時代には、それ以前の天皇主権説を覆し、天皇機関説が明治憲法上の天皇の地位に関する通説となっていた。
- 昭和10年、この説の主導者であった美濃部達吉貴族院議員・東京帝大名誉教授に対して、国体を否定するものであるとの批判が貴族院にてなされた。
- その批判は在郷軍人会を含む軍部や右翼の間に広まり、さらには野党政友会の倒閣運動にも利用された。
- 政府が国体明徴声明を発表するなどして収集を図る中、美濃部は貴族院議員を辞職、その著書も発禁。
一般には軍部による言論弾圧・学問の自由の封殺として理解されている事件ですが、webmasterが本件の文脈において問題視したいのは、美濃部以外の憲法学者の転向です。たとえば、次のような話があります。
「学説に殉ずるは本懐」中島 関西学院大学教授 は言いながら、実際は改説または排説
「著書発売禁止等の場合は在職の不可」の結果、発禁は美濃部の本のみ。
東大の宮沢「教授は従来の講義案を変更し訓令の趣旨に副う様務めたり従て本年四月以降の憲法講義は右の改めたる講義案に依り講義し居る状況なり」
本文書の表紙には秘の角印が捺されているが、その中に「憲法関係著書にして発禁、改訂、絶版となりたるもの」という極秘の角印があるページがある。そこにあげられている17人のうち、美濃部を除く16人が教鞭をとっていたが、解職の憂き目をみたのは一人だけだった。関西の3大学で非常勤講師をしていた森口繁治(元京大教授、滝川事件で辞職)だけが解職。
17人の研究者のうち(憲法学者) 教鞭をとっていた16人のうち、15人が生き延びた。
発売禁止が美濃部の3点
改訂が美濃部の2点
それ以外の33点が絶版(文部省、大学、教員の馴れ合いの構造?)
「調査の性質上私文書―――行政指導」(@Non title(Tsuneishi) 無題(常石)2006/12/22付)
軍部や文部省が悪かったのであって、憲法学者は被害者だということになっているわけですが、そのように他を責めるのではなく、自らの身の処し方をどう評価するのか、少なくとも学界を挙げて戦後総括したという話はwebmasterは聞いたことがありません。webmasterとて弱い人間ですから、事件の際に転向したことそれ自体の責任を問うべきとも思いません。しかし、戦後になってなお、自らの失敗として整理できなかったことについては、同情の余地はないでしょう。
八月革命説
こちらは天皇機関説事件とは異なり一般的な知名度は低いですが、大日本帝国憲法と日本国憲法の接続に関する学説です。日本国憲法は、大日本帝国憲法が定める改正手続に従って定められましたが、旧憲法下において、憲法改正には限度があるという学説が通説でした。端的には憲法改正において天皇主権を否定する(国民主権を定める)ことは不可能だ、とされてきたわけです。
ところが現に日本国憲法が制定され、国民主権が定められました。本来、この日本国憲法制定に対して憲法学が取るべきであった立場とは、
- 憲法改正には限度があるとした学説は誤りで正しくは限度はないのだとして、日本国憲法は正統なものであると整理する。
- 憲法改正には限度があるとした学説を維持し、日本国憲法は正統性を欠くものであると整理する。
いずれかであったはずです。ところが憲法学界(の通説)は、いずれをも選ばず、webmasterの理解では極めて姑息な学説‐すなわち八月革命説‐をひねり出したのです。その構造は、
- 憲法改正には、やはり限度がある(従来の通説は誤りではない)。
- しかし、これは改正手続にしたがった改正についての話で、革命のような事態においては、いわば「何でもあり」となる。
- ポツダム宣言の受諾とは、敗戦という事態に直面した結果の革命的な事態としての天皇主権の否定に他ならなかった。
- したがって、日本国憲法制定時には、すでに国民主権を受け容れる素地が大日本帝国憲法に含まれており、国民主権を定めた日本国憲法は正しく大日本帝国憲法の改正として成立している。
というもの。従来の通説を誤りと認めることもできなければ、世論に背を向けて日本国憲法を否定することもできない(この説を唱えた宮沢俊義は、政府における憲法問題調査委員会での議論に携わり、そこでは大日本帝国憲法とはそれほど離れていないものを支持していたわけですから、学問的な一貫性からすれば、否定していてもしかるべきだったわけです)中で、理屈に淫した説であるとwebmasterは思います。
以上の問題についての管見
本件の文脈において両者に共通するのは、憲法学者が主観的にどう認識しているかはさておき、「国民世論が盛り上がってある解釈・規定が憲法として公認されてしまえば、憲法学者はそれを追認して理屈をひねり出す」と理解されても仕方がない状況だということです。どちらの事例においても、事前に憲法学者に見解を尋ねれば、天皇機関説が正しく、国民主権を定めることには問題があるというのが通説だったわけです。しかるに、結果は以上のとおり。
#その意味では、天皇機関説はやはり正しかったといいますか、憲法制定権力がある程度は国民にも分担されていたという限りにおいては、旧憲法下の主権は国民にも担われていたわけです。
とすれば、憲法について議論をしようとする際、憲法学者を無視しようと考える者が出てくることには、何の不思議もありません。歴史を見れば、どうせ国民の広範な支持を得て解釈でも条文でも変えてしまえば、憲法学者にそれを否定する勇気などあるはずもなく、それどころか事後的には翼賛さえするのだと舐められても無理はないのです。
戦後、憲法学者は、天皇機関説などから偏った教訓を得て、権力に弾圧されたら問題だ、そういったことがないようにするにはどうしたらよいかという頭のみでいたのではないでしょうか。しかし、立憲主義が民主主義に対置されるとまじめに考えるならば、具体的な事例において、国民が憲法学が正統と認める憲法秩序に反した場合には如何にすべきか、という可能性を視野に入れておくべきだったのでしょう。
ところが、憲法改正に必ずしも反対でない者が多数を占める現代にあっても、しかも憲法改正がなされるのであれば第9条は必ず論点に上がってくることがわかりきっているにもかかわらず、相変わらず憲法学界の多数派は、よくて個別的自衛権を認めるというもので、今になってもなお自衛隊違憲論者が少なからずいるというのが実態です。
憲法第9条の改正が実際に国民投票にかけられようとする際に、このままでは、どのようなものならばよいのか、どのようにそれを考えるべきかという材料すら提供できないまま、反対だとしか言えずに終わる、そんな未来は決してwebmasterの妄想ではないでしょうし、その結果仮に第9条が改正されたとすれば、以前の態度を恥ずかしげもなく翻し、それは正しいのだという学者が少なからず出てくるだろうというのもまた、妄想ではないでしょう。
