不知火型は雲竜型とは異なり攻撃型、ではないようです。
白鵬の土俵入りに関連してぐぐっていたら偶然見つけたページより。
さて、残る話は、「三段構えの基本」と彦山氏が称したものについてである。現在、「雲龍型」の土俵入りは、曲げている左腕は守りを、伸ばしている右腕は攻めを表すとされる。「不知火型」は両腕とも伸ばしているので、攻め一辺倒の意志を強調するということになっている。これが大嘘も大嘘、真の嘘っぱちであることは、有名な話である。
「相撲」昭和56年2月号「しつぎおうとう」欄の池田雅雄氏の回答を途中から引用すると、「戦時中のこと、北京で皇軍慰問の巡業があり、そのとき羽黒山の土俵入りを見たある将軍が、笠置山(先代秀ノ山)に、あの型は双葉山と違うが、どういう意味があるのかと質問され、知恵者の笠置山はとっさに「あれは不知火型といい両手を前に差し出すのは、攻撃型であり、双葉山の左手を胸に当てるのは、守りであり、伸ばした手を攻めを表わし、攻防の型を示しています」と戦時中らしく説明すると、将軍は満足してうなずいたそうです。これを当時協会嘱託の彦山光三氏に話したところが、それはいいことを聞いたと、以後このことを強調するようになって、今のように流布してしまったと、のちの秀ノ山親方は筆者に苦笑し告白してくれました。相撲故実というのは、のちにコジツケたことが多く、これもその一例で、深い意味はありません。
吉葉山が現役時代に「ワシの不知火型は、攻撃ばかりで邪道だと彦山氏がいうが、ほんとうか」と筆者に心配してたずねたことがあり、そのいわれはまったくタワイのないことから出たのだと、秀ノ山親方の話を伝えて、「邪道でない」と説明し、安心させたことがあります。今でもこの虚説を鵜飲みにして書く人もいますがナンセンスな話です」とのことである。理屈で考えたって分かりそうなものだ。上段・中段・下段のうち中段と下段で攻防の型を示しているものが、片腕ずつに攻防を配するなど全くバカバカしい。
雲龍型と不知火型(webmaster注:適宜改行を加えました)
恥ずかしながら、webmasterはマスメディアの報道を鵜呑みにしていて、てっきり不知火型は攻撃型であると信じ込んでいました。こんな事情があったんですねぇ。ええ、理屈で考えてもわかりませんでしたorz。
ちなみに、引用文中に出てくる吉葉山とは、白鵬が土俵入りを不知火型と決断した決め手となった力士であるとのこと。このタイミングでwebmasterが知ることになったのも、何かの因縁でしょうか(笑)。
歓喜の表彰式。「うちの部屋(宮城野)の横綱で吉葉山がいまして。土俵入りは不知火型でやります」と明かした。立浪一門の系統をさかのぼれば、白鵬の土俵入りは「不知火型」。しかし「不知火は短命が多い」との事実が白鵬の気持ちを揺さぶった。一時は「雲龍型」への意向も示すなど、横綱昇進を確実にした26日の時点でも、まだ型は決まっていなかった。
決定打は育ての親、熊ケ谷親方(元幕内・竹葉山)の言葉だった。「若くして横綱になった人は短命ではない。自分が歴史をつくればいいじゃないか」。吉葉山は、新十両が決まった1943年に兵役で4年間、土俵を離れた。戦後に復帰し、54年に全勝優勝して33歳で第43代横綱に昇進したが、戦争で負った足のケガや病気に泣かされ、横綱で一度も優勝することなく、在位17場所で引退。宮城野部屋を創設した。悲運の横綱の無念を晴らす思いが、土俵上での宣言に込められた。
