著作権関連の話題について、それがアメリカの言いなりになった結果だというGIGAZINEのエントリを見て思ったことなのですが、陰謀論(エントリのタイトルは、外国における陰謀論ではなく、外国の陰謀を想定する陰謀論を意味します)の根っこは想像力の欠如なんだなぁと。とりわけ、外国(や異民族)を主体とするものにおいては。陰謀に係る杞憂は、ある意味では想像力の賜物ではありますが、得てして陰謀の内容は類型化されたオリジナリティに乏しいものでもあるわけで。
どういった文脈において想像力が欠如しているかといえば、日本人は皆自分と同じような思考の持ち主だと思ってしまうがため、自らと違う意見を持つ者と日本人という属性(国籍なのか民族なのか、日本においてはあいまいですが)を共にしていることが腑に落ちないのでしょう。日本人ならば、自分たちと同じように考えるのが自然だと考えてしまい、あるいは違う考えを持つ者が同じく日本人という属性を共にしていることが耐えられず、外国の勢力に操られている、ないしはそれに魂を売ったと考えることで安らいでいるのでしょう‐娘が自らの眼鏡に適わぬ男を好きになったときに、娘は騙されているのだという虚構にすがる男親のように。
一昔前であれば、この手の外国の陰謀論は、イデオローギッシュな棲み分けによってパターン化されていました。つまり、
- 「右」による「左」に対する陰謀論の対象
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国際共産主義者(東側)
- 「左」による「右」に対する陰謀論の対象
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米帝(西側)
との構図です。しかし、今ではこのような枠組みは(おそらくは冷戦崩壊とともに)流動化し、2ちゃんねる界隈では、朝日新聞を「チョンイルしんぶん」と呼称し北朝鮮や韓国(に中国を加えた「特亜」)の言うがままになっているという陰謀論と、政府与党がアメリカの走狗と化して日本の財産をアメリカに売り渡しているという陰謀論とが、同一人に同居する姿が少なからず見られます。かつての枠組みに親しんでいる者からすれば理解に苦しむのかもしれませんが、いずれも、自らと立場と異にする者をなるべく遠い存在として認識したいとしている部分においては同じ話です。
#いずれも「売国奴」という名称を冠される点に着目すれば、その類似性は容易にご理解いただけるのではないでしょうか。
客観的にどうであるかはさておき、主観的にはいずれの論者も、そこに国家をどの程度の重さで位置づけるかはさておき、皆が住むこの社会のためになると信じてそれぞれの論を主張しているのだと仮定して捉えてみることが、こうした陰謀論に惑わされないための最初の一歩となるのでしょう‐陰謀論を受け容れてしまえば、そうしたつらい知的作業をまぬかれることができるわけですから、そうした低コストな手段を選ぶ者が多数派であるのは世の習いに他なりませんが。その次には、ではどのように議論をかみ合わせ、お互いが許容可能な一致点を見出すか、というさらに困難な作業が待ち受けているわけで(少なくとも、現実を動かそうとするならば)、そこに至るのはさらに少数派とならざるを得ないのですけれども。