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  • 06/11/2007 (5:42 am)

    磯崎哲也さんの問題提起にお答えします。

    Filed under: pension ::

    昨日のエントリを受け、磯崎さんから丁寧な対応をいただきました。ありがとうございました。

    その中で示されている問題提起について、webmasterの考え方を示すことで有益な議論につなげられる可能性もあるのかな、とも思いますので、可能な限りでお答えさせていただくこととします。

    在職老齢年金

    (略)今後の環境を考えてみると、「受給時に金持ち」だったり「収入が多い」場合など、(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などを侵害しない範囲で)、年金がもらえなくなる人や額が減らされる人の範囲が増える法改正が今後行われる可能性はそれなりに高いのではないかと思います。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    おそらくここで磯崎さんの念頭にあるのは在職老齢年金ではないかとwebmasterは思いますが、実際問題として、物価スライド・賃金スライドの存在を考えれば、在職老齢年金の基準額が名目固定であるのは、自動的に「範囲が増える」仕組みであるといえます。給付水準のスライドと同じ割合で基準額が上がってこそ、中立といえるわけで。

    これは一般論としても妥当することで、たとえば給付水準を引き下げる際は、昨日例に挙げた農業者年金のような例外を除けば、名目額の引下げは行わず、スライド率の調整によって実質水準を引き下げる形になっています。逆に言えば、そのような実質価値調整の仕組みを持たない一般の金融資産に比べ、年金は給付水準がその意味では受給者に有利で、その有利さを減ずるような調整が行われているということでもあります(調整のない一般の金融資産では、そのような減額を行う余地がそもそもない、ということです)。

    名寄せ問題その1‐民間銀行の状況

    もう一つ。
    国民の大半の人が非常に不思議に思っているのは、今回の5000万件ものデータのアンマッチというようなことが、どうやったら発生できるのか?ということかと思います。例えば10万人顧客がいる民間の金融機関で5万件ものデータがマッチしないというようなことは、やろうと思ってもなかなかできるもんではない。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    この件での官民比較が可能かどうかについては、そう簡単に民間ではあり得ないといえるのか、webmasterは疑問に思っています。

    第1に、銀行(で「民間の金融機関」を代表させます)で名寄せができているかどうかについて、それが実際にどの程度なのか各預金者と対面で確認するということは、実はまだ例がありません。仮名・借名口座が典型ですが、Aさんが本人名義に加えB名義・C名義で口座を開いていても、それらがみなAさんのものだということが試されるのは、銀行が破綻して預金がカットされる場合になります。で、預金カットの実例は(少なくとも戦後は)ないので、本当に名寄せができているかどうかはわからないのです。

    加えて、銀行預金の場合、名寄せができていない際に損をするのは破綻銀行(最終的には預金保険機構)であって、預金者ではありません。カット後の預金を払い戻すに当たって、預金保険機構が実際に名寄せがきちんとできているかを確認するにせよ、そこで確認もれで名寄せができていなかった場合、預金者はカット額が少なくなる(先の例で言えば、名寄せがきちんとできていればA名義・B名義・C名義通算して1,000万円までしか保護されませんが、名寄せできていなければ各口座で1,000万円(合計3,000万円)まで保護されます)わけで、預金者が「名寄せができていないじゃないか」と抗議するはずもありません。つまり、銀行にあっては、名寄せができていないことが問題視されていないだけ、という可能性が多分にあるのです。

    #今では規制により本人確認が厳格化され、口座開設時に名寄せが可能ですが、それ以前ですと・・・。

    第2に、睡眠預金の存在が挙げられます。睡眠預金とは、10年以上預入れや引出しがなく、消滅時効によって銀行の収益となる預金のことですが、これが最近では銀行と郵貯で毎年1,300億円にも上るとのこと。銀行と郵貯をあわせた預金残高が、マネーサプライのM2+CDから現金を差し引きそれに郵貯を足した約800兆円であると考えれば、毎年その0.016%がいわば預金者のものでなくなっているわけです。

    一般に、口座の残高が多ければ睡眠預金にはなりにくいと考えれば、口座数でいえば残高の割合よりも多くの割合で睡眠預金が存在していると推測することは合理的です。以下は勝手な数字に基づく試算ですが、上記リンク先による全口座数16.4億口座に対して、残高の10倍の割合の睡眠預金口座数を仮定すれば、毎年0.16%=約2,600万口座がなくなり、10年累計で2億6,000万口座にもなっている可能性があるといえます。

    睡眠預金とは、誰のものなのか銀行側からはわからなくなってしまった口座ですから、未統合年金よりも一段と不明朗度は高いわけです(未統合年金は、それが誰のものなのかわからないとは限りません)。それがこれほどにもあると推測可能である民間において、本当に社会保険庁よりも精度の高い名寄せが行われていると断言できるのか、webmasterには自信がないのです。

    名寄せ問題その2‐本当に困る事態とは

    通常、預金でも投資信託でも証券でも、自分の口座にいくら金がたまっているかは、「債権者」によって定期的に(またはランダムに)チェックされ、それによって一種の牽制が働いているわけです。民間だけでなく、役所の仕事でも、たとえば地方税で、自分の申告と住民税の通知の額が大きく違っていたら、その場で「あれ?」と思うでしょう。

    ところが、年金というのは、(1) しくみが複雑で理解しにくいだけでなく、(2) 「支払う義務」と「もらえる権利」が(実は)明確には対応しておらず、しかも、(3) その両者の間に何十年も隔たりがあるために、加入者からの牽制がまったく働かない構造であった、ということかと思います。

    (略)

    たとえば、コンピュータ利用が中心の事務であれば、開発時の内容の妥当性の検証や運用フロー等も含めた内部統制構築といった視点が必要でしょうし、もともと加入者のチェックが働きにくい(「保険の不払い」と似てますが、その何倍もリスクがある)構造なので、日常の業務処理フローや監査プロセスの中で、加入者への「確認」的手続きを取るしくみにするといった発想も必要だったと思われます。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    ここでの磯崎さんのご指摘はまことにごもっともなわけですが、別の見方として、権丈先生のご指摘を引きます。

    現状では5095万1103件の「宙に浮いた年金記録」――この中に、97年以前に転職した経験をもつわたくしの年金記録も含まれている。だからといって何が不安になり何が問題なのかわたくしにはまったく分からない(笑)――があるのだが、これら5095万1103件すべてを問題視するのは端なっからバカげている。自分が年金を受給する際に統合してもらえばすむ話であり、来年度から、年金定期便もはじまるために、それをみてそれ相応の手続をすればすむ話である。

    勿凝学問79/世の中には言ってはならない一言というのがある――はしか休講と消えた年金?をめぐる党首討論――

    ここで権丈先生がなぜ「何が不安になり何が問題なのかわたくしにはまったく分からない」「自分が年金を受給する際に統合してもらえばすむ話」とおっしゃっているのかですが、つまりは名寄せはどこかで一度行えばいい話で、その機会は必ずやってくる‐すなわち、昨日も触れた裁定の際‐からです。未統合であることが原因で年金受給権が消滅するわけではないので、仮に複数の制度にまたがって保険料を支払っていたとしても、年金手帳その他によってそれぞれの加入を示すことができれば、裁定時に統合されることになります。

    つまり、支払い記録が社会保険庁側にないのでもらえるはずの年金がもらえない、という話は、基本的には未統合であることとは別の話なのです。会社が本人負担天引きや使用者負担においてミスしていたような場合、基礎年金番号に統合済みであってもいわゆる「消えた年金」となってしまいます。読み仮名が違っているから特定の基礎年金番号に統合できていません、という話は、「消えた年金」問題とはまったく独立した問題となるわけです。

    ただ、どちらの問題にせよ、時間の経過とともに何らかの不備があった際に他の証拠で裏付けることが困難になりますから、早めに解消されるに越したことはありません。だからこそ権丈先生も裁定を待てばよいとのみせず「来年度から、年金定期便もはじまるために、それをみてそれ相応の手続をすればすむ話」とおっしゃっているわけですし、このねんきん定期便をみて社会保険庁側の記録と自らの記録を突合させる機会ができることというのは、したがって磯崎さんのいう「日常の業務処理フローや監査プロセスの中で、加入者への「確認」的手続きを取るしくみにするといった発想」そのものであることがおわかりいただけるでしょう。

    確かにそのような仕組みがなかったからこその問題ではありますが、その中で取り返しがつかない問題は一部に限られますし、それへの対策も、いまさらとはいえきちんと講じられることが決まっているのが現状であるのです。

    今般の問題の原因についての管見

    社会保険庁の現場のやる気がどうの組合がどうのと現場を責めることも必要かも知れませんが、それにも増して、年金制度を設計する立場の方々が、「年金を受け取れる権利なんて、もともと存在しない(いざとなったら、どうにかなるさ)」という発想だったということが、組織全体のガバナンスや組織風土の形成に強く影響していったのではないか。・・・・・・というのは、私、個人的には今回の「5000万件事件」の根源的な原因を非常にスッキリ理解できる説明だという気がしたんですが、どうでしょうか。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    というわけで、5,000万件については、既述のように

    • 5,000万件の未統合そのものは年金受給権の認定そのものとの関連で言えば重要度が低かったこと。
    • その一部(および統合済みのもの)に存する「消えた年金」問題については、たとえば民間銀行と比べてどの程度ひどい状況なのかは慎重な検証が必要。

    ということがもっとも根本的な話であろうと思いますし、加えて、

    • 保険料の支払い開始から年金受給開始まで極めて長期間が経過するため、その間何らチェックがなされないことによる証明の困難さが事態を深刻なものとした(けれども、これはねんきん定期便の創設により今後は相当の改善が見込まれる)。
    • 予算制約から名寄せに割り当てられるリソースが少なく(裏から見れば名寄せは国の全体で各政策を比較した場合のプライオリティが低く)、限られた人員による作業とならざるを得なかった。

    ということも問題を大きくした要因として指摘できるでしょう。他方で、「『年金を受け取れる権利なんて、もともと存在しない(いざとなったら、どうにかなるさ)』という発想だったということが、組織全体のガバナンスや組織風土の形成に強く影響していったのではないか」とのご指摘については、逆に権利性を強く意識していたことがこの問題の背景の一つであると認識しています。

    というのも、まずは毎回の改正の際の附則まで網羅して掲載している政府の法令検索システムの厚生年金保険法をごらんいただきたいと思います。本則は188条からなり(6/15訂正。枝番号を持つ条文が含まれているので、もっと多くなります)、かなり条文数の多い法律ではありますが、その最後である第188条を表示していただけますでしょうか。そして、スクロールバーのノブがどこにあるか確認してみてください。

    だいたいの目分量ですが、バーの上から1/4ぐらいのところにあると思います。これが意味するのは、毎回の改正時に経過措置、つまり改正により変更が加えられた制度について、改正前の既裁定年金等は改正後の規定を適用せず、改正前の状態をなるべく維持しようとする結果が積もり積もって、本文の3倍程度にも達しているということに他なりません。

    わかりやすい例で言えば、1965(昭和40)年に60歳となって厚生年金をもらい始めた男性が、70歳で20歳の後妻を娶り、90歳で死んで妻が遺族厚生年金を受け取り始めたような事例があれば、その妻が死ぬまで(仮に100歳まで生きるとすれば2055年まで)、1965年当時の給付規定を活かし続けることが原則だということです。ある規定に基づき裁定し給付を受けている者がひとりでも生存していれば、その法律の規定は廃止しないのです‐そして、コンピュータシステムもまた、それに対応したものでなければならないのです。

    このようなことを続けているのは、磯崎さんのご指摘とは異なり、年金受給権、とりわけ既裁定年金のそれを憲法上の財産権保障の要請やその具体的適用となる牽連性を強く意識し、現に行われている給付をなるべく保護しようとしているからだとwebmasterは思います。それがために制度は複雑化し、システムもまたスパゲッティとなり、いきおいプログラムにバグが潜んだり、あるいはデータの取扱いにあたってオペレーションのミスが生じたりする確率は飛躍的に高まります。

    極論を言えば、権利性など無視して毎回の改正時にすべて新しい制度に基づく運営としていれば、システムは極めて簡明なものとなり、ミスの生じる可能性もずいぶんと低くなったでしょう。さらには、保険料の納付記録など知ったことか、年齢により一律に給付額を決めるんだ、とまで思い切ったならば(これこそ、年金の権利性を否定する発想の最たるものでしょう)、年齢さえ判明すれば給付額は自動的に決まるわけで、未統合だろうが「消えた年金」だろうが、その手の問題はまったく生じなかったであろうとは、webmasterは自信をもって断言できるのです。

    06/11/2007 (5:37 am)

    Googleというカメラによる政府の免責

    Filed under: government, law, WWW ::

    Google Map に追加された「ストリートビュー」という機能が、たくさんの悲喜劇を生み出しているという話。

    (略)

    これは、一般化すると「公的領域に存在する物体は全部スキャンします」と言っているのだと思う。つまり、「1人が見るのも60億人が見るのも同等であり、パブリックであるというのはそういうことだ」と宣言しているのだ。グーグルは、公的領域と私的領域の境界をどこに引くかについては干渉しないが、ひとたび「公的」ということになったら「我々にはそれをスキャンする権利がある、スキャンする権利があるものは全部スキャンする」と言い張るだろう。

    (略)

    そして、この勢いは、グーグルの経営陣にもコントロールできない。これを制限しようとしたら人材が流出し、別の会社が同じことをする。だって、これをすればすごく儲かるんだから。公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチし、両者を掛け合わせて広告を出せば儲かるってことを、世界がもう知ってしまった。

    「 Gマシーンの目覚め」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)6/10付)

    ここでessaさんがお示しの未来像は、最近話題の自衛隊の情報保全隊による共産党系その他の市民運動に関する情報収集活動と重ね合わせると、非常に面白い論点が浮かび上がってきます。

    情報保全隊が個人を特定可能な写真を撮影していたことが違法か合法かは、法律論としては京都府全学連事件判決で示された基準に従って判断されるべきことでしょうから、ここでは論じません。ただ、当該判決においても、警察が自ら写真を撮影したことが議論の前提となっています。そうでない場合、たとえば新聞に掲載された写真によって個人を特定したとしても、それ自体は違法であるはずもありません。

    ストリートヴューがさらに進化し、ありとあらゆる場所における映像記録が入手可能となった世界においては、警察その他の当局が違法性を問われるようなリスクを冒して自ら撮影する必要はまったくない、ということになります。仮に何らかのデモの参加者についての映像情報が必要であるとしましょう。リアルタイムなのか事後なのかはさておき、そのような世界では、その場所の公開映像を拾うことで、現在であれば自ら撮影しなければ入手できない情報が入手可能となるので、警察等にとってはすべてが合法の範囲内で完結するわけです。カメラとして、キヤノンやニコンではなくGoogleを使うことにより、政府はこの自由を享受することになるのです。

    一般に現在、警察に代表される政府は、ネットでの企業等の活動を制約しようとしている、と看做され、それに対してネット上での自由を尊重する者が反対しているとの理解が浸透しています。しかし、以上の文脈においては、政府は大いにGoogle(やその競合相手)の活動を歓迎し、事と次第によっては支援すらするでしょう。他方で、Googleという免責カメラを政府に持たせることに反対する側は、たとえば肖像権の強化を通じたそのような企業の活動の規制・制約を求めていくこととなります‐すなわち、現在の一般論はコペルニクス的転回を遂げるのです。

    さて、そのような世界においては、いずれの主張が広範な支持を集めるのでしょうか? webmasterには、まるで見通しが立たないのですが・・・。

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