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  • 06/17/2007 (11:18 pm)

    切込隊長さんのご指摘を受けて老人介護を考える(前編):戦後日本における老人介護の歴史

    Filed under: economy, history ::

     最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では本質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。

     「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離された瞬間に難民化するのは当然なのであって、介護の問題と言うより家庭(一家、一族)の問題なんだろう、きっと。老人介護は無料の奉仕といっても、老人は金を稼がないのだから昔から荷物だった、だから姥捨て山とかあったんじゃないか。現代になって、そういう社会じゃ国民が不安だろうから社会(国)が介入しましょう、という話となり、家庭を政策がどう手伝えるか吟味しなければならなかった。

    (略)

     折口コムスン問題が投げかけたものって、この毎日新聞記事で指摘するような黒幕探しだけじゃなくて、結局私ら日本人が老人をどう扱っていくか実は良く考えてこなかったツケをいままさに払いつつあることを認識すべきってことじゃね。

    「毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件」(@切込隊長BLOG(ブログ)〜不滅の俺様キングダム〜6/15付)

    「私ら日本人が老人をどう扱っていくか実は良く考えてこなかった」とするならば、どの程度手抜きな考えをしてきたのか、気になって調べてみました。

    家庭内介護の黄昏

    かつては家庭において、とは多くの人が思うことでしょうけれども、いつ頃まで家庭での老人介護が主流であったのでしょうか。いわゆる核家族化に伴って主流を外れたとすると、次のような記述に行き当たります。

     急速な都市化社会の進展は,各種の問題を派生させているが,それが家庭に及ぼす影響も大きく,かつ,多様である。世帯規模および家族構成については,都市化の進展が顕著となつた30年以降の変化が注目される。

     第2-1-1図は, 1世帯当たりの世帯人員数の推移をみたものであるが,第1回の国勢調査の行なわれた大正9年から昭和30年までは,50人(ママ)を前後してほとんど変化しなかつた。市部においても,郡部よりは0.5〜0.9人程度少なかつたが,それでも4.5人前後から大幅な変動はなかつた。

     ところが,昭和35年の国勢調査では全国においては4.57人に,市部においては4.33人に縮小し,さらに昭和40年には全国で405人(ママ),市部ではついに3.86人にまで減少した。

     これを諸外国と比較すると,アメリカにおいては,1930年代に4人を割り,フランスにおいてはすでに 1950年に3.1人となつている。しかし,わが国の場合はこの変化がきわめて短期間に生じた点が特徴的である。5人から4人に縮小した期間をとつてみても,アメリカでは約50年間の変化であつたのが,わが国では昭和30年代のわずか10年間の変化であつた。厚生省人口問題研究所の推計によれば,1980年には3.3人,1990年には3.1人と,ますます縮小する傾向にある。

     しかも,この世帯人員の縮小は,同時に家族構成の大きな変化を伴つている。第2-1-2図は, 夫婦のみ,夫婦と児童または片親と児童の世帯,いわゆる核家族世帯の親族世帯に対する比率をみたものであるが,その上昇は著しく,40年においては全国で68.1%となつている。同年の市部人口集中地区においては,実に76.4%が核家族である。ただし,農家世帯については,30年代に変化はほとんどみられない。この核家族化の傾向は,都市化社会のいつそうの進展によつて,さらに進むことが予測されるが,厚生省人口問題研究所の推計によれば,1980年には普通世帯に対する比率で約70%を占めるとみられている。

    厚生白書(昭和46年版)

    「40年においては全国で68.1%となつている」計数の昭和30(1955)年におけるものは62.0%だったと第2-1-2図からは読み取れ、その限りにおいては1950年代においても核家族は過半数だったのは事実です。しかし、1950年代前半以前においては、

    • 世帯あたりの平均人口は変わっていないこと、
    • 高度経済成長に伴う大規模人口移動の前であり、核家族世帯であっても他の親族との物理的距離は総じてそれほど離れていなかったと考えられること、

    からすれば、おそらくは家庭内における介護は、1960年代において大きな変化に直面したものと思われます。

    そうした変化への対応として、もっとも象徴的なのが、1961年の国民皆年金・皆保険の成立でしょう。それ以前から被用者=サラリーマンには年金・健康(医療)保険制度が整備されていたわけですが、サラリーマンが核家族の典型であるとしても、農業者・自営業者に年金・保険制度が適用されるにいたったのは、家庭内での相互扶助が(少なくとも公的なサポートとの相対関係において)劣化したことへの対応と考えられるのではないでしょうか。

    自己負担・公的負担へのシフト

    権丈先生らがお示しのことではありますが、社会保障に充当するリソースとしては、究極的には、

    1. 自己負担
    2. 家庭内その他の相互扶助
    3. 公的負担

    のいずれかということになります。家庭内相互扶助から公的年金・保険へのシフトは、上記でいえば、2.から1.(保険料・窓口負担)と3.(税負担)へのシフトということに他なりません。ここで想定されている老後とは、健康な間は自宅(年金)で、病気になったら病院(保険)で対応、ということでしょう。この路線は、1973年のいわゆる「福祉元年」で頂点に達し(老人医療の窓口負担免除、公的年金における物価スライドの導入等)、その後の財政再建路線の中で調整が図られてはきたものの、30年程度はそれなりにうまく機能したと言えるでしょう。

    そうした時代の曲がり角は、1989年ということになるでしょう。この年、「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(俗に言うゴールドプラン)が定められ、少子高齢化の進展により持続可能性が危ぶまれた老人保険体制をなんとかしなければ、という機運が高まりました。厚生省(当時)が自ら厚生省として介護対策を総合的に検討した初めてのものとする介護対策検討会報告のも、この年でした。

    結局それから10年あまりで介護保険の導入(2000年)に至るわけですが、これについても、家庭内その他の相互扶助ではなく、自己負担と公的負担によって老後を支えていくという1960年代以来の路線に変化はありません‐介護保険もまた、利用者負担と保険料負担、そして公的負担によって支えられる制度であることに変わりはないのです。では、なぜ介護保険が必要とされたのでしょうか?

    介護保険を必要とする社会

    webmasterの管見では、

    1. 高齢化(長寿化)の進展による要介護者の増加
    2. それによる高齢者医療サービスにおける需給のミスマッチ
    3. その結果としての財政負担増and/or介護の過少供給

    ということになります。これらについては、制度導入時のQ&A(厚生省(当時)によるもの)が示唆に富みます。

    1.については、Q1の【介護する者の2人に1人は60歳以上】と題された次の図(単位:%。分数表示を少数表示に変えています)がよく状況を表しています。

    65〜69歳 70〜74歳 75〜79歳 80〜84歳 85歳〜
    寝たきり(寝たきりでかつ痴呆の者を含む) 1.5 3.0 5.5 10.0 20.5
    要介護の痴呆性(寝たきり者を除く) 0.0 0.5 1.0 1.5 3.5

    ご覧のとおり、長生きする者が増えれば増えるほど、要介護状態になる者の絶対数は増えていきます。

    2.と3.については、同じくQ1の【高齢者介護に関する現行制度の問題点】と題されたポンチ絵の「老人医療」の部に掲げられた問題点がよくまとまっています。

    ○福祉サービスの基盤整備が不十分である一方、利用者負担が中高所得層にとって入院の方が低いことなどから、介護を理由とする一般病院への長期入院の問題が発生(特別養護老人ホームや老人保健施設に比べてコストが高く、医療費のムダ)

    ○治療を目的とする病院では、スタッフや生活環境の面で、介護を要する者が長期に療養する場としての体制が不十分(居室面積が狭い、食堂や風呂がない)

    介護保険制度Q&A

    結局のところ、医療サービスと介護サービスはその内容が異なり、医療サービスで介護サービスを代替するのは無理がある、ということになります。だからこそ利用者から見れば不満の残るサービスしか受けられないにもかかわらず、社会的なコストは大きくなってしまっていた(安かろう悪かろうではない)のです。

    餅は餅屋、医療サービスの中で無理な供給を続けさせるよりも、介護サービスに特化した主体によって供給させれば、より安くより質の高いサービスを提供することができるはず‐介護保険導入の狙いは、そのようなものであったと整理ができるのです。

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