bewaad institute@kasumigaseki

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  • 06/29/2007 (4:59 am)

    続・Apemanさんの当て逃げ事件に関するご見解への疑問

    Filed under: law, WWW ::

    前回の続きとなります。前回は、Apemanさんのエントリ中、たとえ所有者=運転者=犯人だったとしても、それが法的に確定しない段階で「取引先や職場に迷惑をかけた」といった理由で懲戒解雇するというのは人権という観点からいってかなり問題があるわけだが、もし「所有者は車を当時貸していて誰が運転していたかわからない」という言い訳が事実だった場合、“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?という部分に主として着目して、

    • 「たとえ所有者=運転者=犯人だったとしても、それが法的に確定しない段階で『取引先や職場に迷惑をかけた』といった理由で懲戒解雇するというのは人権という観点からいってかなり問題がある」のはおっしゃるとおりですが、その問題ある行為をしたのはあくまで自動車の所有者の勤務先であって、「祭り」の参加者ではなく(まして、「祭り」の参加者が直接に私刑と称すべき行動に出たわけではなく)、
    • 仮に「祭り」がなければ懲戒解雇が生じ得なかったとしても、「祭り」の参加者の行動は刑法で言えば教唆に問えるようなものではなく、せいぜいが煽動にとどまるでしょうけれども、では煽動行為に有責性を認めるべきかといえば、基本的にはwebmasterは懐疑的、

    との疑問を呈しました。これに対して、(コメント欄でのwebmasterの書き込みも踏まえ)すがりーさんから次のような書き込みがありました。

     なるほど。事後的に明らかになった事実によって、行為の法的評価が異なる可能性を考えていらしたのですね。

     しかしながら、そうであれば、事後的に明らかになった事情(冤罪)によって(解雇時における)解雇権濫用の有無が左右されるということは、論理的にあり得るのでしょうか? 言い訳になりますが、勤務先の責任を問う文章が前置きとなっておりましたので、この点で少々混乱いたしました。

     なお、私は、リンク先の「“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?」との締めは、(とれないでしょ?だから節度をもって振舞いなさいよ。)という趣旨と読みました。

    「Apemanさんの当て逃げ事件に関するご見解への疑問」(6/27付)に対するすがりーさんのコメント

    理屈を申し上げるならば、札幌高判平成16.9.29(労働判例885号32頁)において、

    本件各懲戒解雇については,本件仮処分命令によって,第1懲戒解雇の無効が暫定的に確認され,さらに,Gが同年5月20日に提起した本案訴訟において,第1懲戒解雇は権利の濫用に当たり,第2懲戒解雇もその根拠事実を欠くから,いずれも無効であるとする函館地方裁判所の判断が,札幌高等裁判所及び最高裁判所によって維持されたことが認められる。

    このように,司法の判断によって本件各懲戒解雇が無効であることが最終的に確定した場合には,特段の事情がない限り,本件各懲戒解雇をした1審被告らに,本件各懲戒解雇時において,善管注意義務違反及び忠実義務の違反があったと解するのが相当である。そして,この特段の事情とは,本件各懲戒解雇をすることが当時の客観的事情からやむを得ないといえるかが問題となる。

    道幸哲也「渡島信金会員代表訴訟事件と理事の善管注意義務・忠実義務」

    との判断が示されているように、懲戒解雇の妥当性は善管注意義務・忠実義務の範疇で捉えられ、簡単に言えば刑事裁判における検事の立証責任に比べれば、雇用者の懲戒事由の判断に当たっての事実認定責任はより軽微であると考えられます。言い換えれば、「真犯人」であれば、より根拠が弱くても判断が妥当だったと推測されるでしょうし、「冤罪」であれば、「真犯人」と判断したことについてより高度な合理性・妥当性が問われると思われます。

    しかし思い出してみれば、前回のエントリでwebmasterは、デュープロセスを欠いた責任追及を問題視することにおいて、webmasterはApemanさんと似通った思想的立場にいると思いますと書いたわけです。前回のこの記述と、「真犯人」かどうかを問題にするというのは、よく考えればおかしなことです(本当は、よく考えなくても気付けよ、という話なのですが)。ここで、デュープロセスを定めた憲法の条項を引いてみます。

    第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

    日本国憲法

    ここでいう「何人」には、当然ながら「真犯人」も含まれます。「デュープロセスを欠いた責任追及を問題視する」と自称するならば、webmasterはApemanさんに対して、

    • もし「所有者は車を当時貸していて誰が運転していたかわからない」という言い訳が事実だった場合、“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?といいますが、では言い訳が事実でなかった(自動車の所有者が「真犯人」だった)場合には、問題がないとお考えでしょうか?

    との問題提起をすべきだったのです。Apemanさんのエントリのコメント欄の現状などを見るに、Apemanさん、そしてもちろんwebmasterも、あたかも事実であれば問題がないかのような議論の立て方に巻き込まれてしまったことに、実はより大きな問題が潜んでいたのではないでしょうか。

    #とりあえず、「責任」の定義問題は措きます。

    06/29/2007 (4:46 am)

    宮沢元総理の死去と彼の不良債権処理公的資金注入論

    Filed under: economy, history ::

    頭がよいので総理には向いても(自民党)総裁(もっといえば政治家、かもしれませんが)に向かないという稀有な人材でした。合掌。

    岸信介が宮沢喜一を評して曰く、頭が良くて見識もあり総理に適任、ただし「他人がみんな馬鹿にみえる」ので人の世話をしないから総裁には不適任、との由(pp. 374-375)。岸が「頭が良い」と評しているのは他には彼の兄くらいで、派閥が違う宮沢をここまで褒めるということはよっぽど宮沢が群を抜いていたということでしょう。「世界デフレは三度来る」(ASIN:4062820064)での宮沢の低い評価とあわせて考えるとこの評は大変興味深いものがあります。いずれ彼のことも詳しく調べてみるつもり。

    「最近読んだ本 岸信介特集 その4」(@svnseeds’ ghoti!4/21付)

    彼の「低い評価」とは、結局のところ次のような指摘に尽きましょう。

     不良債権問題で失われた十年をやっちまった戦犯として、あるいは、55年体制からポスト55年にいたる時代の節目の政権を担った宰相として、金丸氏と竹下氏の狭間で棚ぼたの首相就任、そして日本新党ブームみたいな、次の出し物の呼び水的ポジションであることは間違いなく。

     やはり個人的には「不良債権問題を処理するためには政府が財務面で緊急出動して早期に処理しなければならない」というセオリーを知っていながら、右顧左眄首鼠両端の挙句、指導力を発揮できないうちに問題を大きくしてしまったなあという印象が強い。回顧録でもたびたび出てくるネタではあるけれども、彼は周囲を馬鹿にし軽視したが彼の状況を打開するにはそういう人たちに頼らなければならないことに最後まで気づかなかったのだなあという。

    「宮沢喜一「分かっていて何も出来なかった人」逝く」(@切込隊長BLOG(ブログ)〜不滅の俺様キングダム〜6/28付)

    「『不良債権問題を処理するためには政府が財務面で緊急出動して早期に処理しなければならない』というセオリー」とは、宮沢元総理の文脈でいえば1992年8月の発言のことを指すのでしょうけれども、ではあの段階で公的資金を導入していたら、「不良債権問題で失われた十年をやっちまった」現実は変えられたのでしょうか? 経済学の世界では、その理論的構成としてゾンビ仮説というものがあり、

    • 不良債権問題を抱えた邦銀は、本来であれば破綻すべき貸出先を延命させ(ゆえに「ゾンビ」)、
    • その結果、市場から退出すべき低生産性企業が退出せず、経済全体の生産性を下押しした、

    というものがあります。まあ経済学界でもまだ議論が続いている話であり、webmasterごときがこれを妥当でないと論証することなど夢物語ではありますが、日本経済の生産性低下にバブル崩壊後の長期停滞の原因を見出すとしても、

    深尾:
    1つの仮説として、ゾンビ仮説があります。銀行が不良債権問題が表面化しないように、立ち直る見込みのない企業にお金を追い貸ししたり、金利の減免を認めるために倒産しかけている企業(ゾンビ企業)が倒産せず、生産性の高い新しい企業が参入できずにいるために生産性が停滞しているという議論です。しかし、我々が最近分析した結果ですと、工業統計表のミクロデータの分析を1981年までさかのぼってみても、日本では経済の新陳代謝機能は悪かったんです。たとえばアメリカや韓国に比べると1980年代から日本では新規企業の参入は少ないし、生産性の低い企業が必ずしも退出していない。それから生産性の高い企業がどんどん拡大するということもなくて、昔の方が生産性が高かったのは内部効果といいますが、それぞれの工場の中で努力して生産性が上がっていたために、産業全体の生産性も上がっていたということです。

    最近では、生産性が下がったのは結局内部効果が下がったからであって、退出効果や算入効果、再配分効果などは余り変わっていないということがわかりました。そうすると、ゾンビ企業が問題なのではなく、企業内や工場内の生産性の上昇がなぜ減速したかを調べないといけないということになります。あともう1つ解ったのは、最近までデータを伸ばすと、2000年以降、少し明るさが見えてきて、新陳代謝機能がやや多くなったかなという感じはあります。

    日本発展のカギは全要素生産性の成長をいかに加速させるか

    という見方があります。まして、生産性の低下とは需要の低迷に相当程度足を引っ張られた結果であり、需要が底堅ければ長期停滞は避けられたという見方を採るならば、総需要の不調ゆえに不良債権が増えたのであって、不良債権が増えた(ないし「抜本的処理」をしなかった)から総需要が不調になったわけではない、ということになります。

    webmasterはバブル潰しの金融政策こそが長期停滞の主因であると考える身ではありますが、そうした立場からすれば、宮沢元総理の最大の責任は、世のバブル潰しの風潮を拱手傍観したこと、となります(金融政策の独立性を尊重する前提で)。となると、実は切込隊長さんと同様に、「彼は周囲を馬鹿にし軽視したが彼の状況を打開するにはそういう人たちに頼らなければならないことに最後まで気づかなかったのだなあ」という結論になるのが面白いところではありますが。

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