人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義
これだけ批判が喧しい昨今、このようなことを書くのは異端もいいところなのでしょうけれども、下記の記事を読んで切なくなってしまったのです。
上記リンク先は1面掲載部分のみなのですが、10面掲載部分こそ、未統合問題の本質を突いていると思います。以下、引用します。
年金制度の歴史は、記録の整理の歴史でもある。社会保険庁年金保険部業務課(当時)の内部資料「機械化十年のあゆみ」(67年刊行)には、年金記録が宙に浮いたり、消えたりした遠因が盛り込まれている。
厚生年金は42年に加入者約300万人で始まったが、戦火が激しくなった45年に台帳を都道府県などに「疎開」させた。ここで「『原簿』の統一が破れ、やがて同一人について数枚の台帳が作られる」(以下、太字は「十年のあゆみ」)事態を招く。(略)
戦後、職員は減り、事務量は増えた。台帳管理は、「極めて憂慮すべき状態に立ち至った」。
厚生省(現厚生労働省)は50年にようやく、台帳の整理を始める。57年まで続いた作業の間には、社会保険事務所の火災や水害で、失われてしまう台帳もあった。
この間にも被保険者は急増。手作業では「記録を迅速かつ正確に行いうるか甚だしく疑問視されていた」。その対策として、57年から「パンチカードシステム」による記録の機械化が始まる。
(略)
当時、すでに年千万件の記録入力が必要とされ、カードの数も「等差級数的に増加」し、事務処理が追いつかなかった。さらに、61年には国民年金制度が始まった。
(略)
作業量が増えるなかパンチミスも生じた。「人間の誤差というのは、どうしても5千分の1ぐらい」あり、「パンチカード1枚のカードに50タッチある」。カードのうち1%にミスが発生する計算で、チェック体制も万全ではなかった。
62年には社会保険庁が発足し、膨大な事務処理のために本格的なコンピューターが導入された。この時点で5千万枚を超えたパンチカードの情報を磁気テープに移す作業が進んでいく。
63年からはコンピューターで年金番号による被保険者ごとの記録の統合が始まるが、生年月日をはじめ、記録の整合性がとれない「事故」が大量に発生した。年に1〜2回の突き合わせ作業で、毎回数十万件の「事故」が発生したという。
年金番号だけで管理されてきた厚生年金の記録だが、79年にようやくカナ文字で管理するシステムが導入された。しかし、統合されていない(宙に浮いた)記録については「一般的な読み方をカナに変換する『漢字カナ変換辞書』を開発」(三十年史)し、漢字の情報が機械的に書き換えられた。正しい読みになっている保証はない。
朝日「年金整理 先送りの歴史/社保庁内部資料から読み解く」
未統合が問題となっていますが、もともとのデータベースのレコード設計において統合できるデータが具備されていない(読み仮名がないことが問題視されていますが、同姓同名で生年月日も一緒という人がいれば、読み仮名があっても誤統合が生じます)ことが根本的な問題だったわけです。基礎年金番号導入時の処理が批判されていますが、それはあくまでそのタイミングで顕在化しただけのことで、潜在的には制度発足時からの問題であると。
#それでも戦争がなければ「疎開」による混乱も避けられたでしょうし、なにより当初からパンチカードシステムで管理されていたかもしれません(厚生年金発足時にはパンチカードシステムは国産不可能で、かといって日米関係の緊張度が高まった1940年ごろからは、IBMなどのアメリカ企業から輸入できる状態ではなかったわけです)。
そのようなタコなレコード設計が悪い、と言ってしまえばそれまでの話です。しかし、よく官の発想の硬直性ゆえであって「民ならば」と言われますが、コンピュータ関連においても、たとえば先見の迷惑で紹介されている、
- 「恐らく世界中のコンピュータ市場の規模は、5台だろう」(トーマス・ワトソン、IBM会長、1943)
- 「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない」(ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977)
- 「640Kもあれば、誰でも十分だろう」(ビル・ゲイツ、1981)
といった一流の「民」たちの、今から振り返ってみれば妄言としか思えないような将来予測をしてきているわけです。これら以外にも、設計当初においては合理的(という認識が一般的)であったものが、今となっては大問題を引き起こしている例としては、2000年問題や2038年問題が有名ですが、ことほどさように将来予測というものは難しいわけです。
#ちなみに、邦銀がはじめてコンピュータを導入したのは、Wikipediaによれば1959年とのことで、これも「官」だから「民」に比べてことさらに動きが鈍かったわけではないことの傍証となるでしょう。
#「先見の迷惑の迷惑」(@佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン7/7付)にて、上記「先見の迷惑」はバイアスがかった言及であり、原発言は文脈を加味すれば面白おかしく言挙げされるようなものではないとの検証をいただきました。webmasterの軽挙をお詫びいたします。ただ、将来を完全に見通すことは人智の及ぶ範囲ではないとのwebmasterの見解については、それがおかしなものだとは考えておりませんので、その旨はお断りさせていただきます。(7/9追記)
そのような問題を抱える制度の運営としては、よく言われるように相互チェックの仕組みが必要でしょう。でも、考えてみてください。評判の悪い年金の申請主義は、制度として相互チェックをきちんと担保したものだとも言えるわけです。受給権者が自分はこのような履歴だと言い、それを社会保険庁の記録と突きあわせることで少しでも正確さを担保しようとするもので、受給権者各人に手間をお願いし、その分だけ「小さな政府」の枠組みの中で相互チェックを実現してきた、というのが実態でしょう。
政府部内に相互チェックの仕組みを設ければ、当然ながら職員の頭数も事務費も増加せざるを得ません。現実の経緯を見れば、1960年代に第一次臨調等で行革の議論が盛り上がり総定員法が定められて以降、頭数は厳しく抑制されてきましたし、事務費もまた基本的には頭数に比例しますから、同様の傾向です。そうしたリソースの割り当てを前提とすれば、申請主義ではなく政府が一方的に受給額を認定するような制度であったパラレルワールドを想定するに、今よりマシな状況はなかなか思い浮かびません。
自助努力だと突き放しっぱなしであれば、無責任との謗りは免れないでしょう。だからこそ社会保険労務士制度を整備するなど、それなりの対応が図られてきました。上記のような人智の限界、それを踏まえたもっとも包括的な相互チェック=申請主義の採用、そしてその便宜を図る社会保険労務士制度等・・・もちろん社会保険庁の運用に批判されるべき点はあったのですが、実際のところこの程度が人間社会において可能な限度に近いのではないか、という気がwebmasterにはします。今からスクラッチでシステム設計できればもっとマシなものにはなるでしょうけれども、それはないものねだりに過ぎないわけですし。
