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  • 07/05/2007 (6:01 am)

    人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義

    Filed under: pension, computer ::

    これだけ批判が喧しい昨今、このようなことを書くのは異端もいいところなのでしょうけれども、下記の記事を読んで切なくなってしまったのです。

    上記リンク先は1面掲載部分のみなのですが、10面掲載部分こそ、未統合問題の本質を突いていると思います。以下、引用します。

    年金制度の歴史は、記録の整理の歴史でもある。社会保険庁年金保険部業務課(当時)の内部資料「機械化十年のあゆみ」(67年刊行)には、年金記録が宙に浮いたり、消えたりした遠因が盛り込まれている。

    厚生年金は42年に加入者約300万人で始まったが、戦火が激しくなった45年に台帳を都道府県などに「疎開」させた。ここで「『原簿』の統一が破れ、やがて同一人について数枚の台帳が作られる」(以下、太字は「十年のあゆみ」)事態を招く。(略)

    戦後、職員は減り、事務量は増えた。台帳管理は、「極めて憂慮すべき状態に立ち至った」

    厚生省(現厚生労働省)は50年にようやく、台帳の整理を始める。57年まで続いた作業の間には、社会保険事務所の火災や水害で、失われてしまう台帳もあった。

    この間にも被保険者は急増。手作業では「記録を迅速かつ正確に行いうるか甚だしく疑問視されていた」。その対策として、57年から「パンチカードシステム」による記録の機械化が始まる。

    (略)

    当時、すでに年千万件の記録入力が必要とされ、カードの数も「等差級数的に増加」し、事務処理が追いつかなかった。さらに、61年には国民年金制度が始まった。

    (略)

    作業量が増えるなかパンチミスも生じた。「人間の誤差というのは、どうしても5千分の1ぐらい」あり、「パンチカード1枚のカードに50タッチある」。カードのうち1%にミスが発生する計算で、チェック体制も万全ではなかった。

    62年には社会保険庁が発足し、膨大な事務処理のために本格的なコンピューターが導入された。この時点で5千万枚を超えたパンチカードの情報を磁気テープに移す作業が進んでいく。

    63年からはコンピューターで年金番号による被保険者ごとの記録の統合が始まるが、生年月日をはじめ、記録の整合性がとれない「事故」が大量に発生した。年に1〜2回の突き合わせ作業で、毎回数十万件の「事故」が発生したという。

    年金番号だけで管理されてきた厚生年金の記録だが、79年にようやくカナ文字で管理するシステムが導入された。しかし、統合されていない(宙に浮いた)記録については「一般的な読み方をカナに変換する『漢字カナ変換辞書』を開発」(三十年史)し、漢字の情報が機械的に書き換えられた。正しい読みになっている保証はない。

    朝日「年金整理 先送りの歴史/社保庁内部資料から読み解く」

    未統合が問題となっていますが、もともとのデータベースのレコード設計において統合できるデータが具備されていない(読み仮名がないことが問題視されていますが、同姓同名で生年月日も一緒という人がいれば、読み仮名があっても誤統合が生じます)ことが根本的な問題だったわけです。基礎年金番号導入時の処理が批判されていますが、それはあくまでそのタイミングで顕在化しただけのことで、潜在的には制度発足時からの問題であると。

    #それでも戦争がなければ「疎開」による混乱も避けられたでしょうし、なにより当初からパンチカードシステムで管理されていたかもしれません(厚生年金発足時にはパンチカードシステムは国産不可能で、かといって日米関係の緊張度が高まった1940年ごろからは、IBMなどのアメリカ企業から輸入できる状態ではなかったわけです)。

    そのようなタコなレコード設計が悪い、と言ってしまえばそれまでの話です。しかし、よく官の発想の硬直性ゆえであって「民ならば」と言われますが、コンピュータ関連においても、たとえば先見の迷惑で紹介されている、

    • 「恐らく世界中のコンピュータ市場の規模は、5台だろう」(トーマス・ワトソン、IBM会長、1943)
    • 「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない」(ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977)
    • 「640Kもあれば、誰でも十分だろう」(ビル・ゲイツ、1981)

    といった一流の「民」たちの、今から振り返ってみれば妄言としか思えないような将来予測をしてきているわけです。これら以外にも、設計当初においては合理的(という認識が一般的)であったものが、今となっては大問題を引き起こしている例としては、2000年問題や2038年問題が有名ですが、ことほどさように将来予測というものは難しいわけです。

    #ちなみに、邦銀がはじめてコンピュータを導入したのは、Wikipediaによれば1959年とのことで、これも「官」だから「民」に比べてことさらに動きが鈍かったわけではないことの傍証となるでしょう。

    「先見の迷惑の迷惑」(@佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン7/7付)にて、上記「先見の迷惑」はバイアスがかった言及であり、原発言は文脈を加味すれば面白おかしく言挙げされるようなものではないとの検証をいただきました。webmasterの軽挙をお詫びいたします。ただ、将来を完全に見通すことは人智の及ぶ範囲ではないとのwebmasterの見解については、それがおかしなものだとは考えておりませんので、その旨はお断りさせていただきます。(7/9追記)

    そのような問題を抱える制度の運営としては、よく言われるように相互チェックの仕組みが必要でしょう。でも、考えてみてください。評判の悪い年金の申請主義は、制度として相互チェックをきちんと担保したものだとも言えるわけです。受給権者が自分はこのような履歴だと言い、それを社会保険庁の記録と突きあわせることで少しでも正確さを担保しようとするもので、受給権者各人に手間をお願いし、その分だけ「小さな政府」の枠組みの中で相互チェックを実現してきた、というのが実態でしょう。

    政府部内に相互チェックの仕組みを設ければ、当然ながら職員の頭数も事務費も増加せざるを得ません。現実の経緯を見れば、1960年代に第一次臨調等で行革の議論が盛り上がり総定員法が定められて以降、頭数は厳しく抑制されてきましたし、事務費もまた基本的には頭数に比例しますから、同様の傾向です。そうしたリソースの割り当てを前提とすれば、申請主義ではなく政府が一方的に受給額を認定するような制度であったパラレルワールドを想定するに、今よりマシな状況はなかなか思い浮かびません。

    自助努力だと突き放しっぱなしであれば、無責任との謗りは免れないでしょう。だからこそ社会保険労務士制度を整備するなど、それなりの対応が図られてきました。上記のような人智の限界、それを踏まえたもっとも包括的な相互チェック=申請主義の採用、そしてその便宜を図る社会保険労務士制度等・・・もちろん社会保険庁の運用に批判されるべき点はあったのですが、実際のところこの程度が人間社会において可能な限度に近いのではないか、という気がwebmasterにはします。今からスクラッチでシステム設計できればもっとマシなものにはなるでしょうけれども、それはないものねだりに過ぎないわけですし。

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    24 Responses to “人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義”

    1. Kazu'Sの戯言Blog(新館) Says:

      そんな都合の良い解釈があるわけない…

      人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義

      だから仕方ないじゃないか。と言いたい訳? えらい都合の良い話だなぁおい。1960年代がどうだったかは知らないけ (more…)

    2. 素人の浅知恵 Says:

      国年法と厚年法は、滞納について国税徴収法による滞納処分はあっても、直接の罰則はありません。対して各種の届出義務があり、違反には罰則(前者は罰金30万以下、後者は懲役6月以下又は罰金50万円以下)があります。虚偽の届出は更に厳しい罰則があります。受給する立場でも各種届出の義務はあり、適正で無いと支給が保留されます。
      これは、おそらく行政の側が「国民の協力無くして行政独力での制度の執行は不可能である」と考えてきた事の証かと思っています。

      年金について世界で一番少ない職員数で、世界で一番多い被保険者・受給権者を対象にして事務を執行していると、社保庁幹部が口にしたそうです。
      国年法に至っては、「今の国情と行政の体制では執行不可能」と、制度導入に反対する見解が行政内部にあったとも聞きます。
      その後も政治的要請で制度の拡充が急速に図られてきた一方、社会環境の変動も大きくなりました。制度執行の困難さは格段に増したと考えています。
      行政と個人が確実に自分の年金番号は管理している前提でしか、与えられた条件の下では執行が不可能だったかと思います。
      そもそも、社保庁の出先の職員が全員全力で仕事をしていたら、完璧な執行が可能になる制度(法令)だったのでしょうか?

    3. 規制業種 Says:

      相互チェック前提なら、年金手帳に標準報酬月額の記載欄などがあってしかるべきと思いますが、実際にはそうはなってないですね。
      制度設計の問題もさることながら、社会保険庁側が「自分の年金は自分で管理しましょう」と積極的に広報してこなかったことにも問題があるように思います。むしろ逆に、「年金は国が保障していますから必ずもらえます」的なアピールを続けてきたわけで….

    4. 民間人 Says:

      う〜ん。社会保険庁、必要なんでしょうか?

      朝日の見出しには、『年金ミス、社保庁40年前認識 「宙に浮く」は20年前』とあります。年金納付は40年間です。社会保険庁のやっていたことは、詐欺商法になりませんか。

      > 社会保険庁の運用に批判されるべき点はあったのですが、実際のところこの程度が人間社会において可能な限度に近いのではないか

       紙の原簿は捨てました、IT化で5000万件が宙に浮いています。
       納付過去の調査は手抜きします(実施しません)。
       有名人の納付記録は勝手に調査してマスコミにリークします。

      これが役所の限度ですか。。。

    5. 猿マシーン Says:

      なるほどね。
      予見しうるけど対策を講じるには制約が多いや。
      日本人はイロイロいいながら行政を信頼してるけど、行政もまたできる限りの奉仕はしてると思うな。
      だけど、国民と行政の関係ってすれ違い夫婦みたいなもんだから・・・。

      妻「せっかく晩御飯つくって待ってたのに!いっつもいっつも残業!」
      夫「いや・・・俺はお前にいい暮らしをさせてやろうと・・・」
      妻「ホントは誰かほかに女でもいるんじゃないの?」
      夫「・・・(頼むから分かってくれ)」
      妻「何で黙ってるの?あなたってホント使えないわよね」

      って感じですか。
      え?行政はほっといたら絶対悪いことする?
      そうですかそうですか・・・

    6. koge Says:

      そもそも、現代の高性能コンピュータのない時代に1億人を一元管理しようとしたことが無茶だった、という話ですか。確かに、当時の「先進国」でも日本より人口が多いのは米国をはじめ多数ありますがあそこは州ごとばらばらでしたし、欧州諸国だって植民地は本国と別管理だとすれば本国は今と変わらない小ささですから、あとは言わずもがなのソビエトくらいということなんでしょうね(もし21世紀の技術を元にソ連型共産主義管理をやったら西側との差はあそこまで開くことはないのでしょうか?)。

      >え?行政はほっといたら絶対悪いことする?そうですかそうですか・・・
      その通りだと思いますよ。少なくとも、「人間はほっといたら絶対悪いことする」のと同程度には。
      というか、日本人が「悪い奴」を叩くときって、同じ状況に置かれたら自分だってやってる、だからこいつもやってるに違いないという考えで叩いてる(そしてまたそれはかなりの確率で正しい)ような気がします。

    7. デジャヴ Says:

      > だけど、国民と行政の関係ってすれ違い夫婦みたいなもんだから・・・。

      身につまされる喩えですね・・・。
      思春期の子どもと親の関係にも似ているかもしれない。

      一連の騒動を見て、国のやることはけしからんと言いつつ国を信じている人が結構な数いるんだな、と感心しました。これまで全面的に信頼していて今回初めて裏切られたという人ばかりなのでしょうか?違う気がするのですが。

      私、こんなの管理出来るわけ無いと思っていたので昔の年金の領収書全部取ってあります。それに相手が民間企業だったらお金や貴重品を預けて預かり証を取っておかないなんてことしないし。

      あと、
      > 納付過去の調査は手抜きします(実施しません)。
      こんなことにお金使って欲しくないと思う人間もいるんじゃないでしょうか。
      管理出来るわけないと思ってるくせに年金を滞りなく払ってしまうような人間なのでw、困ってる人を助けるために税金使ってくれても構わない、使ってください、と、私は思いますが。

    8. R.F Says:

      >#それでも戦争がなければ「疎開」による混乱も避けられたでしょうし
      この部分には強い違和感を覚えます。
      なぜならば、厚生年金制度の当初の目的の一部には、「戦費調達」および「軍需インフレ抑制策」があったからです。
      つまりは戦争が前提の制度であるわけで、戦時でなければ異なった制度になった可能性もあると考えられます。

    9. みたた Says:

      制度に問題があったのか、職員に問題があったのか、労組(笑)に問題があったのか、マスコミも「○○万件紛失!」とセンセーショナルなことを言う前に、もうちょっと要因を突っ込んで欲しいですね。

      >これが役所の限度ですか。。。
      儲からないことには、そもそも手すら出さないのが民間の限界。。。

    10. 素人の浅知恵 Says:

      不躾ながら、昨日の私のコメント投稿のあとでふと思ったのですが。
      今の年金法では、納付は義務で受給は権利とされている。権利である以上は、行使しないと実益を得られない。一方で権利を行使しない自由もあると思いました。
      となると、権利の行使・不行使の意思表明は必要になる。その表明機会を確保して、権利行使の手順を明確化する手法としては「申請主義」の意義があるような気がしました。
      とか思うのは、正しく素人の浅知恵で、そもそも論点が違っていますでしょうか?

    11. 択一 Says:

      名寄せするときにあいまいな条件ですると大変です。
      システム的な問題に加えて、会社のうっかりミス(名前等の書き間違い)、転職や転居に伴う通知漏れ、社会保険庁の入力ミスとかあらゆる事態を想定すると、申請により名寄せの手がかりとな情報を出してもらうことは望ましいです。
      ただ、加入者には加入記録を通知をし、とりあえず社保庁でわかっている範囲で支給することを前提として、申請により修正を認めるという方法もありえるかと思います
      なお、銀行でも名寄せに苦労しているという話は聞いたことがあります。古い話ですが以下参照
      http://www.fin-bt.co.jp/comment4.htm
      個人的には申請主義よりも、社会保険庁が申請を受けしっかり調査し名寄せしていたのかどうかの方が気になります。あと、横領で記録漏れとかの話も気になります。汚職で逮捕された課長補佐が「端末機導入は横領が多くて導入した」旨の発言をしていたとジャーナリストの岩瀬氏が言ってました。(ことの真偽はわかりませんが。)

    12. 民間人3 Says:

      相変わらず、公務員養護ですな。
      いろいな限界があったでしょうが、社保庁の働かない自治労職員の話が抜けいていますよ。
      公務員のピンキリでしょうが、社保庁ほど働かない人がいたので、今の年金記録問題があるのでしょう。
      45分働き15分休む
      1日5000タッチ(30分の入力)
      こんな人たちがいくら多くても、どうだったのか。

    13. 通りすがり Says:

      もう一度権丈先生にご登場していただいたほうがよろしいかと。

      年金の受給のときにきちんと名寄せされていれば、職員が働かなくてもシステム設計が悪くっても何の影響はないでしょう。
      ただ、名寄せの状況、保険料の納入状況については、「情報の非対称性」がありますから、ねんきん定期便なり臨時便で、国民の側がチェックすることで、解決することでしょう。

      会社の屋号と正式な法人名が違うことなんていっぱいあって、同僚の名前とか最寄駅とかちょっとした情報をもとに、検索する職員に「感動」したことがあります。それを知っているから、「領収書をもってこい」なんていう今の職員との落差にがっかりするのではあります。

      素人の浅知恵さま
      ほぼ私も同意見です。
      >権利である以上は、行使しないと実益を得られない。一方で権利を行使しない自由もあると思いました。
       この部分、権利義務文脈で自由というのは、思想信条の自由などが連想されます。強制されないという意味でしょうか。選挙権があっても、それを行使しないのは、「自由」ではなくて、「勝手」とか別の単語のほうがふさわしいように思いますが。

    14. 猿マシーン Says:

      >権利である以上は、行使しないと実益を得られない。一方で権利を行使しない自由もあると思いました。
      うん、まあ一見正しいと思います。時効を援用できる権利があるのに行使しないとかね。
      でも今回は論点が違いまして。重要なのは、義務を履行している以上、権利行使になるってこと。なぜなら義務の履行こそが権利のための闘争だから、ってのはイェーリングの受け売りだけど。
      年金を納付する義務を履行した人は、ちゃんと義務を履行するっていう権利のための闘争をやってるわけだから、決して権利の上に眠るものではないんですね。だから当然「年金受給権」は保護されなきゃ駄目なんだよ。いちいち意思表示とかは不要ね。申請主義ってのは意思表示の機会を提供するのが目的ではなくて、自らの義務の履行がちゃんと担保されているのかを確認する機会なんですね。
      つまり、社会保険庁がボコボコにされてるのは義務を履行した権利者かどうかを判断する材料をしっかりと管理しなきゃだめなのにできなかったから。これは正当な権利者に著しく不利益を与えるものだから許されないよってこと。ハッキリいって社会保険庁を権利義務の問題から弁護するのは無理。非難されて当然なのよ。

      でも、非難されて当然のところを追求しても改善にはつながらないんだべ。より良くするためには制度設計に目を向けなきゃね。んじゃ、過去の制度設計の段階ではどうだったかというと・・・というのがbewaadさんの今回のお話になるわけ。別にこの人官僚だからって公務員擁護してる文脈にはなってないと思うんだよね。ホントはどうか知らないけど。

    15. Foch Says:

      やらない仕事はミスもしないんです。

    16. webmaster Says:

      >素人の浅知恵さん
      滞納については、払わなければ支給額を減らせばよい、ということも大きいのだと思います。

      2つめのコメントの申請主義の意義については、私も同感です。

      >規制業種さん
      ですから、それもひっくるめて、当初の狙い通りではないということで。古くから未統合等の問題があったとして、最終的には裁定時に突き合わせればよい、というのが心の支えだったのだろうということです。ねんきん定期便をもっと早くやっていればよかったということはあるにせよ、定期便自体、申請主義の便を図るものというのがその本質であると理解しています。

      >民間人さん
      人間のやることですから、ミスはつきものです(民間だって背任や横領がゼロではないですよね?)。そのミスがどのような結果をもたらすかに着目して論ずるべきでしょうし、少なくとも年金については、未統合であるだけではただちに最もの問題のある結果(=支給漏れ)につながるものではありません。

      つまりはフォールトトレランスを確保すべきであって、フォールトを完全に根絶しようというのはコスト的にも問題がある、というのは民間においても必要とされる考え方だと認識していますが、いかがでしょうか。本日(7/6)のエントリで触れましたので、よろしければそちらもご高覧のほどを。

      >猿マシーンさん
      なかなかよくできたたとえ話ですね(笑・・・いや、orz)。

      >kogeさん
      そもそもパンチカードの開発自体、アメリカの国勢調査が人手ではどうしようもなくなったことを受けてのことですから、19世紀末以降、ある種の行政事務はそういう域に達したのだろうと思っています。

      >デジャヴさん
      「信頼」が存在するとすれば、実際に困っている(この場合、受給できないなど)人が少ない、ということなのだろうとは思います。同様の文脈としてはBSEもそうだろうと思うわけで、つまりは日本人では誰も変異性クロイツフェルトヤコブ病に罹患していない(少なくとも確認はされていない)=実際に損害をこうむったわけではなくとも、という。

      >R.Fさん
      戦争がなければそもそも(当時においては)年金制度が発足しなかった可能性は、おっしゃるとおり存在すると思います。

      >みたたさん
      さらにいえば、「問題」の何がどのように問題であるのか、原因究明の前にその確定が必要であるような(笑)。

      >択一さん
      仮に社会保険庁の運営の瑕疵によって損害(=受給額の誤り)があった場合、国家賠償で取り返すことが可能であるように思うのですが、実際はどうなんでしょうかねぇ。この場合、例の第三者委員会は、挙証責任の転換等の機能を有するものだと整理できるのかな、と。もちろん不法行為債権と年金受給権は法的にはまったく異なるものですが、経済的には同じ(になるような不法行為債権が発生するの)でしょうし。

      >民間人3さん
      社会保険庁の職員がいくらまじめであっても、それなりに同様の事態は生じたのではないでしょうか、というのが本エントリの趣旨ではあります。竹槍でB-29を墜とせないように、できないことはできないだろうと。もちろん件数が減っていた可能性は否定するものではありませんが、1/10だったとしても未統合が500万件はあるわけで。

      >通りすがりさん
      当サイトの読者の多くは権丈先生のサイトはチェックされている、というのは認識違いでしょうか。頷くことは多々あれど、それでは手抜きかなぁと(笑)。

      >Fochさん
      で、ミスしたくないと仕事をやらなくなる、と。

    17. Foch Says:

      >で、ミスしたくないと仕事をやらなくなる、と。

      今の魔女狩り的な報道だとそうなりかねませんの(笑

    18. 鍋像 Says:

      私事の仕事ネタで恐縮ですが、取引先の超成果主義(月次で給与変動)のところ(厳密に言うと既存取引先が、超成果主義で短期成長してきたグループの傘下となった)でも、ミスしたくないと火中の栗を拾いにいくような仕事はやらなくなる傾向があるようです。トップダウンでやらせちゃおうとしますが、トップは専門的知識が無いので納入業者の僕らから見て明らかに頓珍漢な事が進行中だったりしまして、あと1年もつかなぁと、そろそろ撤収方向だったりします。

      身分保障だから仕事をしないというわけでもないんだなぁとか、役人だからいい加減な仕事をするというわけでも無いんだなぁという余談話としてご笑納ください。

    19. 素人の浅知恵 Says:

      13.通りすがり 様
      ご助言ありがとうございました。確かに「自由権」を連想させる拙い表現でした。受給権不行使という選択は法的責任を問われないという意味で書きました。
      14.猿マシーン 様
      納付義務を果たしたという事実を消滅させる行為を擁護する意図はありませんでした。支分権に対応した国の支給義務を正しく履行してもらうには、現状ではどうしても一定の本人の関与が必要であり、その限りにおいて申請主義は必要と思っているという意味で書きました。
      16.webmaster 様
      ありがとうございました。拙いコメントばかりで申し訳ありません。

    20. 佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン Says:

      先見の迷惑の迷惑…

      bewaad institute@kasumigaseki:人智の及ばざる公的年金、あるいは... 」が引用紹介されている。けれど、一つ一つ当 (more…)

    21. hama Says:

      63年に発生していた事故を07年まで放置しておいて「これが限界だった」はいくらなんでもないでしょう、といいたいところですがこれが申請主義のいいところなのかもしれませんね。
      確かにミッションの困難性はこの問題の本質ではありますが、いわゆる「年金問題」はそれをこなせなかった社保庁の無能を問題視しているのではなく、問題の本質を隠蔽し続けていたことを問題視しているのではないでしょうか。

      限られた人的リソースやそれに伴うコストによって得られた現状を「可能な限度」というのは、反証が不可能である以上ある程度の真実味をもっていると思います。まったく卑怯な論法であるとは思いますが、しかし警察だって全ての犯罪を取り締まれるわけではありません。裁判所だってそうです。
      今後社会保険を担当する官だか民だかの機関はその能力によって信頼を回復しえるかもしれません。

      しかし「聞かれなかったから答えなかった」で失われた時間的コストはもうどうやっても取り戻しようがない。これについて反省する人がいないのは残念でしようがありません。
      「年金の記録管理には限界があります。ご注意下さい」と早い段階から(戦後の混乱期には難しいにしても)広報が行われていれば今回のようなパニックを起こす必要もなかった。
      全くムダな騒ぎです。本来必要なのは制度が持続可能か、どう持続させるかとう議論だと思います。

    22. webmaster Says:

      >hamaさん
      以前当サイトで権丈先生の、未統合がなんでこんなに大騒ぎになるのかわからない、裁定というチェック機会は必ずあるのに、といった趣旨のご主張を紹介いたしましたが、つまりは「年金の記録管理には限界があります。ご注意下さい」との広報がなされていたならもちろん事態を改善させたでしょうけれども(他に、ねんきん定期便の早期導入等も同じ効果でしょう)、それはチェック機会の複数化であって、これまでゼロだったわけではないわけです。「問題の本質の隠蔽」という認識自体、その問題が重大であるという価値評価を含んでいるわけですが、少なくともあるべき受給額の確保がなされないことが最大の問題であるとの立場からは、少なからぬ者の受給額が確保されなかったとはいえ、全体の比率からすれば圧倒的多数派はきちんと確保されていたわけですから、未統合自体はこの最大の問題への寄与度からすれば、相対的に軽微な問題であったというのが客観的評価ではないかと思います。

    23. EMANON Says:

      100も0.1も0.001もすべてゼロではないけど、それらがすべてゼロで無い事に何の意味があるのだろうか?

      圧倒的多数派とおっしゃるが、発覚しているミス(未統合)の公称値が5000万件もある現状が相対的に軽微な問題と言うのは相当に認識がずれている。

    24. webmaster Says:

      >EMANONさん
      未統合が真に問題となり得るのは、裁定後においてなお統合されない場合であって(この場合、受給額が現実に目減りするのがその理由です)、裁定前の未統合は、それに比べれば取るに足らない話です。

      例1:全体の未統合が1億件で、うち裁定後の未統合が100件
      例2:全体の未統合が100万件で、うち裁定後の未統合が1万件

      という2つの事例を考えた場合、例1に比べ例2の方が未統合件数は1/100ですが、実際に国民に迷惑をかけている度合いは100倍ということになるわけです。したがって、5,000万件という件数には大した意味はなく、そのうち裁定後においても未統合であり続けるものがどれだけか、ということこそまずはきちんと追及すべきなのです。

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