うすうす察してはいましたが・・・
このブログは、官僚のやることは脊髄反射的に何でも批判してきたのだけど、これだけは断固支持する。
「間違えない官僚より間違える官僚の方がずっといい」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)7/23付)(webmaster注:強調はwebmasterによります)
いいテキストを書かれているなぁと巡回先にしていたところで、このような言葉を見かけると、相当にへこんでしまいます。表面的には丁寧に応対しながら本音では官僚の言い分などまったく信頼できないと考え耳を貸す気は毛頭なかったり、主観的にきちんと考えたつもりになっているだけで実際には脊髄反射的であることに無自覚だったりするよりは、このように自覚して明言していただけることは十二分にありがたいことではあるのですが・・・。





7月 24th, 2007 at 21:08:27
webmasterカワイソス
7月 24th, 2007 at 23:11:58
次は賛成票を入れた国会議員の謝罪かなw
というのは冗談で、世の中の営業・顧客サービスの仕事の半分は、上手に謝罪することだったりします。
小泉総理は嫌いでしたが、彼への過大な期待はハンセン氏病訴訟でごめんなさいをしたところから始まったのかなと思っています。
立法者、条文解釈をする人、運用を決める人、窓口などなど色々な人が、それぞれ自己のポジションにおいて部分最適な行動をとった結果が、さまざまな笑えないミスの原因になったりするわけで、本当は調整者たる上位の人間の腕の見せ所なんですがね。
いっそ「ごめんなさい」担当官というのを作ってしまうのも良いかもw
7月 25th, 2007 at 20:13:39
webmaster氏の主張に耳を貸すことなくエントリの主旨をほっといて蕩々と自説を言うだけになったり、脊髄反射的・揚げ足取りなリプライしちゃったり、ってなりがちな我々コメンテータも肝に銘じないといけませんよね・・・。
7月 26th, 2007 at 8:53:45
>nuffyさん
ありがとうございます(泣)。
>鍋象さん
そういえば、民主党の菅代表代行も、厚生大臣時代の薬害エイズ問題でブレイクしましたねぇ・・・。
しかし、謝罪とて組織としての判断のひとつであり、勝手な謝罪は独断専行となり得ることっていうのはなかなか理解されないようで。民主的手続により選任された政治家を無視して官僚たちに独裁させるべきだ、という意見だと賛成者はほとんどいないのでしょうけれど、ミスは上に遠慮などせずどんどん誤れというものだと、多くの人は賛成してしまうんだろうなぁ。
>のんきゃりさん
もったいないお言葉ありがとうございます。私にとっても決して他人事ではなく、きちんと自戒したいと思います。
7月 29th, 2007 at 8:08:16
「間違えないブロガーよりは間違えるブロガーのほうがずっといい」と言い返してあげては如何
7月 29th, 2007 at 11:24:31
官僚は一人じゃないですから、「独」裁ではないですよねw
それと担当者が文書作って、決済者にハンコ押してもらえば、役所でも手続き的にはOKでは?
要するに、「無理筋だよな」というものについては、謝罪はこちらでしときますので、「ハンコ押してください」というやり方もあるのではないかという事です。法案であればハンコが法律の廃案だったり改正に変わるだけです。
議員の先生方は、それが自らの票に結びつくかどうかで、うまいこと判断してくれるでしょうし、票に結びつくんならパフォーマンス交えて自分で謝罪してくれるでしょうw
構造改革は嫌いでも、色々な困った事態改善は望まない人はいないと思います。役所が絡むと変化を極端に束縛してしまうというのが、色々な閉塞感の元になっているように思います。屋上屋を重ねる積み上げ方向でしか対応しないで、ご破算に願うというか、元の状態に立ち返ってやり直すという事が滅多に無いわけで。世の中のガス抜き=民意の反映には、柔軟な対応というのをどうやって仕組みに取り込むのかがポイントかなと思うのです。
7月 29th, 2007 at 21:05:24
>脱福者さん
それでessaさんにご認識を改めていただけるのであればよいのですが、問題はbloggers(たとえば私)への信頼ではなく、政府への信頼ですから・・・。
>鍋象さん
独断専行がいかんだろうということですから、もちろんハンコをもらっておけば問題ないでしょう。焦点は、官僚は組織人として仕事をしているということで、たとえば人事異動があっても後任が「それは前任がやったことで、私は知りません」といったり、課長の話を聞いて局長(や大臣)に行ったら「それは下が勝手にやったことで、私は知りません」といったりすることは、原則としてないわけです。その前提となるのが、局長であれ課長であれ係長であれ、当該局面においてあくまで組織を代表して行動しているということであり、一個人の話ですから、ということにはならないでしょう、ということで。
>役所が絡むと変化を極端に束縛してしまうというのが、色々な閉塞感の元になっているように思います。(略)世の中のガス抜き=民意の反映には、柔軟な対応というのをどうやって仕組みに取り込むのかがポイントかなと思うのです。
役所というか、法律というものの本質であるように思います。アメリカで事故っても、訴訟を視野に入れて謝っちゃいかん、なんてことがありますが、このあたりも一般的な人々のルール認知と法律のずれのようなものなのでしょう。ただ、たとえば誰であっても表現の自由は守られるべし、なんていうのは、多数派が少数派の言論を圧殺にかかるような局面においてこそ機能が期待されるわけで、そのような法規範が一般的な人々のルール認知に易々と屈するようでは存在意義がないわけで・・・。
7月 30th, 2007 at 4:12:22
うーん。やっぱ非専門分野は良くわからんです。
前半は、結局、大臣が言いだしっぺにならないと駄目だという事ですか?でも、大臣に対しては報告・連絡・相談をしているんですよね?
判断が硬直的になってしまうのは、どこかで誰かが、大半の場合無自覚のまま(あるいは良かれと思って)情報の流通を阻害して、判断すべき人に正しい情報が伝わっていないというケースが多いわけで。その大元が、官僚個々人のそういう常識なんじゃないかなぁなんて思ったりするわけです。いわゆる大企業病と呼ばれる症状の一つのパターンです。
この辺、中の人がどういう仕事の仕方してるかわからんので感想文にしかならんですが、あれだけの大規模組織であれば、そのような症状はもっとずっと深刻なのではないかと思うのです。
後半は、それは一番きつい極端な反対事例を持ち出しただけであって、それほどクリティカルじゃない法律や行政判断まで、グラデーションになっているのではないかと。どこまでなら優柔不断になってよいのかは判然としませんが。
法律って、内部的には、重要度というか民主主義の根幹にかかわる法律、個々人の財産権にかかわる法律みたいなのと、そうでない法律で区別されていたりしませんか?
7月 30th, 2007 at 5:10:52
>鍋象さん
こちらはこちらで霞が関の事情に立脚して物事を認識しているので、あまり客観性は担保されていないことを前提にお読みいただければと思うわけですが、まず大臣が言いだしっぺである必要はありません。そこはボトムアップでいいのですが、物事の重要性に応じて、しかるべき権限を持つ者にきちんと判断を委ねる(悪い言い方をすれば、責任をきちんと「押し付ける」)のが霞が関の通例です。
おそらくこれは、よく霞が関の行動原理のひとつとされる減点主義のなせる業で、上にあげずに自分の裁量で処理した場合、それがうまくいって「加点」になってもそのメリットは少なく、他方でそれが失敗したときに上から「自分(=上)に無断で勝手なことをした」と大きな減点を食らうデメリットは大きいからだろうと思っています。
後段は、それはそれで一面の真理ではあるのですが(ただ、長谷部・井上論争なんてものがあって、表現の自由等は財産権等よりも重いとする井上説に対して(こちらが法学の伝統に忠実)、多くの人々の日々の生活において圧倒的に意味があるのは財産権等であり、表現の自由等を重んずるのは法学の傲慢ではないかとする長谷部説の対立というのは、法学徒的にはとてもエキサイティングだったりします)、法の中でのそうした差異は、法・非法との間の差異に比べれば相対的に小さいとも言えると認識しています。
結局、仮に井上説の立場であるとしても、手続的な保障というのは議会制民主政の根幹に関わる話になるので、内容として相対的に重要でないとされるものであっても、立法者意思を軽視したり、司法府の解釈を無視することはそれ自体が重大な問題となってしまうわけです。改正前後の法がまったく違うものである場合(抜本改正されたときなど)、前法の価値観を是としているなら後法の趣旨を素直に実現するのは抵抗があってもおかしくないわけですが、いずれも手続的に正統性を有している(=立法府の判断)のですから、方針を180度変換しても抵抗感が出てくるわけでもないのです。
7月 30th, 2007 at 18:34:29
うーん。要するに気がついちゃった間違いを正す事を含めて、色々な不満のタネとなっている事柄を改革しても、評価にはつながらないから、やる人がいないよという事でしょうか。
霞ヶ関の中で評価制度を作ると減点主義になってしまう。加点主義に踏み出すためには、もっと政治側の人が官僚の人事評価に踏み込まないといけないという事になりますよね。まあ、僕は割りとそういう考えなんですが。
もしくは、昔の日本みたいに、たまに百姓一揆や大岡裁きの演劇みたいなので、人事評価制度以外の所で賞罰を加える事が必要になると。こちらのやり方は嫌ですねw
で、結局、官僚機構の中の人に官僚機構の統治の仕方を聞いても無駄という事ですか?この辺の話になると、bewaadさんという人が良くわからなくなっちゃうんですよorz
後段は・・・僕は元システム屋なので、システムにたとえます。手続き・判断条件が箇条書き的に書き下されてる論理文の集合体で、手に負えないくらいのステップ数があるという点ではそっくりなので。法律については間違いがあろうかと思います。僕も勉強になりますので、できるだけ揚げ足をとってください。
PSE法についていえば、民法の財産権という基本処理があって、それに制限を加える例外処理としてPSE法があって、例外処理のロジックに仕様ミスがあったために、今までうまく処理してきた一部業務が処理できなくなって、営業部は手作業対応。顧客から大クレームを受けている最中みたいな状況ですよね。
このとき、基本処理側を改めるのか、例外処理側を改めるのかといったら、普通は例外処理側です。基本処理側は滅多に手をつけませんし、そこの仕様は間違っていないからです。やっぱり、重要度には大小があると思います。
例であげられている論争は、表現の自由と財産権という、基本処理同士の大小論争ですから、本件とはあまり関係が無いと思う次第。
7月 31st, 2007 at 12:48:36
>鍋象さん
ちょっと議論がずれてしまったのかなと思うのですが、誤りの訂正にしてもしかるべき手順を踏む必要がある、というのが私の申し上げていることの中心です。お示しのPSEにしても、あのような条文を書いてしまった以上、解釈で骨抜きにするのは私は問題だと思いますし(司法府の判断ならもちろんOKですが)、対応としては一刻も早く法改正をすることだろうと。文理を超えての解釈を行政の裁量で採用することは、より重大な手続違反なので可能な限り行うべきではなかろうと。
当初の議論にしても、謝罪という行為も政策判断に他ならないので、しかるべき権限を有する者の判断を仰ぐべきだし、もし下に勝手に謝らせたいなら、それだけ下に権限そのものを委譲することが必要だと思うわけです。もちろん下がそもそも権限を逸脱していた場合に、当該逸脱について謝罪するような場合は別ですが・・・。
8月 1st, 2007 at 1:43:21
あ、わかりました。謝罪というものの意味の違いがあったようです。PSEについては、間違ってましたと認めてしかるべき手続きで法改正に進んでいますよね。いきなり謝って「なしよ」とするのではなく、今何が進んでいるのか情報開示しつつ、直すべきところは速やかに直すという姿勢が求められていて、その一つの形として「ごめん」の一言を混ぜると、日本においてはなぜか物事が潤滑に進むという事だと思います。
僕はドライですから、官僚の方が謝罪しても「ふーん」くらいにしか思いませんが、圧倒的多数の人は「感動した!」となるのかなと。改革の実感なんてその程度のものじゃないかと思うわけ。
甘いっすかね?
8月 1st, 2007 at 12:56:17
>鍋象さん
わかりました。確かにその文脈ですと、権限がどうのこうのといった大仰な話ではなく、コミュニケーションスキルを磨け、ということで、なんで霞が関でそういうことがあまりなされないかというのは、その必要性の認識が薄く、ろくな研修等も行われていないということかと思います。
8月 2nd, 2007 at 0:56:42
まあそんな感じです。コミュニケーションスキルというと、マンツーマンなイメージになりますので、Public Relationsについてもうちょっと意識してほしいかなと。
いまだに、昔2ちゃんねるに書いた某地区財務局の人の「意向押し付け型」の意見交換会を根に持っていたりしてw
8月 2nd, 2007 at 23:31:01
>鍋象さん
私の記憶では、その意見交換会でも、仕事と割り切っている風の冷めた人もいたんですよね(笑)。
8月 3rd, 2007 at 1:46:33
googleで探してみたら、丁寧に引用されてコメントしてくださってるサイトを見つけて感謝。なんか、当時の思いがふつふつと(笑)
某地区財務局の偉い人は、意向押付け型の構造改革派。某県財務事務所の偉い人は、横から茶々入れるリフレ派。あとの人は設営要員で発言なしだったと記憶しています。
後で、テーブルについた人と話をしたら「説明はおかしいと思ったけど、せっかくの意見交換会の空気を壊すのも悪いのでね。でも、あんなんならやっても意味ないよね。」という感じでした。
カルフールが日本から撤退する際に、責任者が残した言葉に「日本市場は怖い。誰もクレームをつけないまま、来店しなくなる。何が間違っていたのかわからなかった。」というのがあります。官僚は客商売じゃないけど、日本では客商売する人は、お客さんの考えをとにかく必死になって聞いたり、想像したりしないと、本音を聞く事すらできないまま相手にされなくなるという教訓でした。
8月 3rd, 2007 at 21:52:45
>鍋象さん
官僚だって客商売ですよ(笑)。お客からそっぽを向かれているからこその現状ですし。
8月 3rd, 2007 at 23:40:40
そこまで開き直っていただけると、ドライな私も感激したりしますw
8月 4th, 2007 at 22:38:12
>鍋象さん
甘いですねぇ(笑)。世の中的には、客商売だなんて思い上がりだ、お前らはサーヴァントなのだから、ということなのでは(笑)。
8月 5th, 2007 at 1:05:55
>>bewaadさん
ルールをいじる事ができる人を、サーバントとみなす事は無理ですよ。横柄な警官と、人情味のある警官、どちらが好かれますか?という事ですw
8月 5th, 2007 at 23:52:08
>鍋象さん
理屈として正しいか否かではなく、そう見ているのが世間の少なからぬ割合を占めている、ということで(笑)。
8月 6th, 2007 at 2:28:22
そう見ているのではなく、そう見做したいという願望の裏返しじゃないかな。「お前の母さんでべそ!」と同じレベルの捨て台詞だと思ってた方がいいですよw
8月 6th, 2007 at 18:19:20
>通行人さん(鍋象さん?)
メディアや政党に取り上げられることもしばしばとなれば、聞き流すわけには(笑)。