政権交代と官僚制
本来、選挙で選ばれた政治家が官僚機構を指揮していくしくみなんだろうけど、実際には行政ってかなり専門的だから、政治家にはなかなか手が出せない。結局、どんな政府であろうと、実際にはその下にいる身分保証された同じ人たちが、同じようなやり方でものごとの大半を動かしていくしくみになってる。こういう「代替がきかないからしかたなく」ということに対するフラストレーションって、今の「空気」の中で重要な要素だろうと思う。
そういう点からすると、政治家だけでなくて、官僚機構も複数の選択肢から選べるようになっていたほうがいいんじゃないか、なんて思ったりする。そんなことできるわけないじゃんというのが正論なんだろうが、そのうちの少なくとも上のほうは、選挙のたびにごそっと入れ替わるぐらいの勢いでいいんじゃないか。最近は人材バンクとかいう話もあることだし、シンクタンクとか大学とか民間企業とかとの間で行き来するような流れができたら、ノウハウの逸失みたいな心配をする必要もあまりなかろう。そうなれば、競争原理が働いてガバナンスもモラルも向上するだろうし、政策論争もずっと有意義なものになるような気がする。
「暴論:官僚システムを選べないことが問題なのではないか」(@H-Yamaguchi.net7/28付)
昨日は政策関連のシンポジウムのあと懇親会へ.渋めの話題なのに非常に活況を呈していた.片隅では民主党が参議院選で躍進する前提で,衆参ねじれると重要法案が軒並みストップするのかなあという話で盛り上がる.つらつらと話しながら日本は小選挙区制の導入で二大政党制に近づいたらしいが,どうも機能していないのは結局どちらの党が勝っても政策を組み立てるのは同じ人々なんだよねえというところ.
(略)
この状況は公募制だとか政治任用の活用といった小手先の人事制度改革では変わらない.前に何度かこのblogでも書いたように,いくら省庁間連携のための新しい組織を内閣府や内閣官房の下にぶら下げても,各省大臣官房秘書課が人事権を握り続ける限り,省あって国なしの状況は変わらない.政権交代が起こっても官僚は入れ替わらないのだから,大衆の支持を失えば地位を失うという,リップマンが『幻の公衆』で喝破した民主主義の根幹を支える緊張感もない.風が吹いている間は,身を竦めていればいいのである.我が国に於ける官庁の年功序列システムは天皇制よりも堅牢で,第二次大戦に負けても壊れなかった.といっても起源はそう古くなくて,藩閥政治が綻んだ大正時代くらいではないかと推察するのだが,なにぶん勉強不足でよく分からない.
「政策立案機能を行政府から立法府へ」(@雑種路線でいこう7/28付)
それぞれのご主張の妥当性以前の問題として、政権交代があっても霞が関は変わらないことが当然の前提になっているのは何とも不思議なことです。戦前の「天皇の官吏」時代においてすら、政党政治の成熟化を受けて官界が政治化され、政権交代の度に大規模な幹部の首のすげ替えが行われていたのは、たとえば清水唯一朗「政党と官僚の近代」に詳しく分析されています。まして議院内閣制が現行憲法に定められ60余年、それだけの歴史を重ねてきたというのに、旧憲法の頃よりも官僚が超然主義でいられるというのは、過大評価も甚だしいのではないでしょうか。
結局のところ、あたかも霞が関が世論から遊離して変わらないように見えるのは、政権交代がないから、ということではないでしょうか。世論が移ろえども、戦後における政権交代(非自民系内閣の成立)は、戦後直後の片山内閣と、先日お亡くなりになった宮沢元総理の後を襲った細川・羽田内閣の2回しか起きていないのです。総理が替わったところで‐それも定義によっては政権交代ではありますが‐、同じ与党を基盤とする政権なのですから、その性格の違いも自ずと一定の範囲内に収まるのが自然といえるでしょう。
実際に政権が交代すればどうなるか、webmasterに片山内閣の記憶はありませんが(笑)、細川・羽田内閣であればwebmasterに限らずご記憶の方々も多いことでしょう。細川・羽田内閣はあまりにも短期政権で、とりわけ自ら予算編成を最初から最後まで成し遂げることがなかったというのは霞が関に対する影響が限られたものに止まった大きな要因ではありますが、その限られた影響の下においてすら、当時の大蔵省が露骨に自民党を見限って連立政権にすり寄り、その「裏切り」への自民党の怒りが後の財金分離をもたらす一因になったとは、真渕勝「なぜ大蔵省は追いつめられたのか」の描くところです。さすれば、当時の非自民連立政権があと1年でも2年でもいいから続いていたならば、霞が関は色濃く非自民色に染まったであろうとは容易に想像可能でしょう。
政策立案の実務を霞が関が司っているとしても、それはタクシーの運転手がハンドルを握っているようなもので、クライアントが交代すれば、エージェントはクライアントの意向に従って動くわけです。それは、議院内閣制が当然の前提としていることでもあります。実際に政権交代が起きたにもかかわらず、霞が関がその意向を無視するような行動に出るならば、このエージェントには一般的な議論は通用しないのだと断罪されても当然でしょう。しかし、選挙の洗礼を経て自民党が政権を維持しているにもかかわらず、霞が関が勝手に自民党の意向を無視して野党に迎合するのならば、そちらの方がよほど問題でしょう。
・・・そこまで霞が関に変わることを求めるならば、まずは政権交代を起こしましょうよ。
最後に蛇足ながら、山口浩さんのエントリの枕になったのは次のテキストでした。
先週、財務省の官僚だという27歳の青年から、田原さんに聞きたいことがあると僕の事務所に何度も電話があった。切実感があるなと感じたので、僕は彼の携帯に電話をかけた。
彼はいきなり「選挙というのはいったい何なんですか?」という。どういうことか聞くと、「今度の参議院選挙では、日本国にとって、あるいは国民にとって、大事なことは何一つ争点になっていない。どうでもいい問題ばかりが争点になっている。これはなぜなんでしょう」ということだった。
田原総一朗の政財界「ここだけの話」第21回 争点なき参院選に絶望した財務省若手官僚からの電話(1/7)
山口さんが怒ってる側はどの省かなんて関係なく、政治家も自治体も含めた「ものごとを決めてるえらい人たち」全体に怒ってるのにね。統治機構全体に対する「信用できない」「だまそうとしてるんじゃないか」みたいな不信感が問題の本質なのにね
と喝破されていますが、政府与党に対する信頼の喪失という大事なことが争点になっていたというのにそれが見えていないとは、この財務省若手官僚とやらもずいぶんと頭の悪いなぁ。田原総一朗さんが本当のことを書いているとすれば、こんなの採用していて大丈夫なんでしょうか>財務省。さらにいえば、そんな悩みを田原さんに相談するあたりもずいb(ry
27歳の青年官僚の疑問に「あなたのいうことはもっともで、それは大事な問題だ。だが、残念ながら今の日本は大事な問題を論議するような状況にない。それは日本に二大政党がないことが原因だ」と答えた。
田原総一朗の政財界「ここだけの話」第21回 争点なき参院選に絶望した財務省若手官僚からの電話(4/7)
経済における構造改革原理主義と並んで、ここ10〜20年の日本を迷走に追い込んだ大いなる勘違いが、この二大政党制信仰でしょう。以前にも紹介させていただきましたが、この手の信仰から自由になりたい方々には、アレンド・レイプハルト「民主主義対民主主義」を強くお薦めいたします。
