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  • 08/31/2007 (7:23 pm)

    再説・マルクス主義2.0(中編)

    Filed under: economy ::

    前回の最後において、一部の優秀な者の成果に多数のそうでない者がぶら下がっている=優秀な者がそうでない者に搾取されている、というように理解されているのではないかと書きました。厳密に言うなら、優秀でなくてもその能力にふさわしい程度にしかお金をもらっていないならば能力相応ということなので、優秀であろうとなかろうと能力以上にお金をもらっている者が、能力以下にしかお金をもらっていない者から搾取しているということなのでしょうけれども、ここではessaさんの問題意識の文脈に沿って、平均に寄せられる‐すなわち優秀な者は概して能力以下にしかお金をもらわず、そうでない者は概して能力以上にお金をもらっている‐ものとして議論を進めます。

    具体的にどのような人々が「優秀でない」とessaさんが想定されているのかはわかりませんが、たとえば柏崎刈羽原発事故について、

    文系的なプレッシャーを与えたら、理系の社員には対応できないので、東電の内部では文系の社員がイニシアチブを取ることになる。技術者の正論は押しつぶされ、中古の事故物件のポンコツの原発がヨレヨレで再稼動することになる。

    科学的論理的に批判し情報開示を迫り、文系の東電社員を論破して蹴散らさなくてはならない。技術のわかる人間でないと対応できないような種類の強烈なプレッシャーを東京電力にかける必要がある。そして、未確定な部分や確率を含んだ新しい品質保証の体系を引き出さなくてはならない。

    この情報戦が文系同士の戦いになったら、嘘とごまかしだらけの計画書がでっち上げられ、その辻褄合わせの為に技術者がこき使われることになる。攻める側も守る側も技術者が先頭に立ち、エンジニアリングの問題として議論すべきである。

    「これから柏崎刈羽で起こるクリティカルなこと」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)8/14付)

    とお書きになられていることから、「文系社員」が総じて無能にもかかわらず高い給料をもらっている人々(の一例)として認識されているのではないでしょうか。これは、輸出製造業に比して国内サービス産業の生産性が低いとか、日本のホワイトカラーは生産性が低いといった世間的によくある見方と整合的でもあります。

    しかし、門倉貴史「ホワイトカラーは給料ドロボーか?」においては、マクロ的な分析によっても、個別企業のミクロ分析の積み上げであっても、日本のホワイトカラーはブルーカラーに勝るとも劣らない生産性上昇を達成していることが示されています(pp64-67)。つまり、全体として見れば、「文系社員」ないしホワイトカラーは「理系社員」ないしブルーカラーから不当に給料を簒奪しているわけではないといえます。

    他方、門倉本は次のようにも指摘しています。

    第1章では、日本のホワイトカラーの労働生産性が必ずしも低いとはいえないという点について論じた。

    ただし、ここでいっているのはあくまでも平均的な労働生産性のことである。

    当たり前のことであるが、個々のホワイトカラーについてみると、労働生産性の高い労働者もいれば、労働生産性の低い労働者もいる。生産ラインに沿って仕事をするブルーカラーの場合には、生産ラインの流れを乱す労働生産性の低い労働者はすぐに分かるので、そうした労働者は生産ラインからはじくことができる。

    ところが、目に見える形のはっきりしたアウトプット(成果)がないホワイトカラーの場合には、労働生産性が高いのか低いのかが、上司や管理者からは見えづらい。そのため、ホワイトカラー層においては多くの場合、たとえそれが正社員であっても、労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる。

    (略)

    ここで、読者に質問をぶつけてみたい。いま、あなたが職場の部長であったとしよう。そして社長から自社の新製品に関するプレゼンテーション資料の作成依頼を受けた。あなたは、部下であるAさんとBさんのどちらにこの仕事を任せるだろうか。

    Aさんは、優秀で、仕事が速いうえに間違いが少ない。ただ、今はたくさんの仕事を抱え込んでいて他の仕事をする余裕がない。

    Bさんは、仕事に対する意欲がなく、仕事のペースが遅いうえに間違いも多い。ただし、今現在は、急ぎの仕事を何もかかえていない。

    おそらく、Aさんに仕事を任せようと判断した読者が多いのではないだろうか。筆者も部長であれば、Aさんにプレゼンテーション資料の作成を依頼しただろう。こうした決断があらゆる場面でなされる結果、Aさんの仕事量はBさんの仕事量の何倍にも膨らんでいくことになる。

    ホワイトカラーの平均的な労働生産性が低くないのは、実は一部の労働生産性の高い優秀な労働者が、やる気がなく労働生産性の低い労働者の仕事をカバーすることによって成り立っていると考えられる。

    pp81-84

    この指摘が正しければ、ホワイトカラーは総体としては搾取側ではなくとも、一部(平均以下という意味では、半分)のホワイトカラーは搾取側だということとなります。ブルーカラーにはそんな連中はいないので、結局はホワイトカラー側に搾取する者がいるのだと。では、正しいのでしょうか?

    webmasterは正しくないと考えます。何より、いみじくも引用部において、優秀なAさんとそうでないBさんが区別できる前提で議論がされていることに明らかでしょう。「目に見える形のはっきりしたアウトプット」がなくても、ある人が「労働生産性の高い労働者と低い労働者」のいずれであるかは、いっしょに働いていればそれなりの確度で判定できるわけです‐すぐではなく数ヶ月とか1年とかはかかるかもしれませんが。

    ではなぜ「労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる」のでしょうか。素直に考えれば、低い労働者を切り捨てれば平均が上がるわけですから、そちらの方が得になるわけです。中には低い労働者を見抜けない組織もあるのかもしれませんが、平均生産性の高い企業と平均生産性の低い企業とが競争すれば、当然ながら高い企業が勝ち残ります。であるなら、見抜けない組織は市場から退出せざるを得ず、結果的には見抜ける企業のみが生き残っていく、はずでしょう。

    この辺りについては、先の「マルクス主義2.0」を受けてエントリを書かれた山形浩生さんが明快に理由を説明しています。

     生産性の高い人だけを集めたら――気持ちはわかる。これはみんな考えることだ。まったく、オレの脚を引っ張るあいつとか、こいつとか、出張精算が10円ちがうとかで再提出を要求する経理部とか、残業や休日出勤にいちいち申請書を求めてくるXX部とか、みんなオレの生産性を下げるウンコどもばかり。こいつらがいなくなったらオレの生産性がいかに上がることか。やっても意味のない仕事を要求してくるこのクズ顧客。説明をまともに理解する能力すらなさそうなあいつとかこいつとか。なんでこんなのが給料もらっとるんじゃ! こういう連中を一網打尽でぶちころし、すっぱり話の通る、うてば響くような連中だけ集めて仕事をしたら、同じ仕事が半分以下の時間で終わりそうだ――みんながイメージするのはそういうことだ。いろんな仕事における、二八の法則というやつがある。ある集団の中では、二割の人間が八割の仕事をやっている、という説。その二割の生産性は高く、残り八割は生産性がとっても低い。実際の感覚でいうと、二割の生産性は高く、三割ほどはそこそこ、さらに三割はいなくてもいい存在で、残り二割はもう積極的に足を引っ張る足手まとい以外のなにものでもない。この最後の足手まとい二割を銃殺させてくれたら、この世は楽園と化すでありましょうぞ!

    (略)

     まあそこらへんは何とかごまかそう。なんでも無料でくれるほど生産性の高いはずの優秀なグーグルのプログラマたちはゴッドランドにきていただきましょうか(でも、これも実際には別にグーグルの生産性が高いからではないことくらい、わかりそうなものだけれどなあ。ソフトウェアというものの複製コストがほとんどゼロだから、というだけのことなんだけれど。Linux や GNU が無償なのは、別にかかわっているプログラマたちの生産性が異様に高いから、ではないでしょう?)。一方、いま挙げたような職種の人々は、生産性が低いのでゴッドランドには入れないことにしよう。でも……そしたら生産性が高いはずの人たちが、余計な仕事をしなきゃいけない。生産性の高い人たちだって、おいしいコーヒーが飲みたくない? 一部のプログラマはスタバなしでは生きていけないとか言ってるよ? まあぼくが(ゴッドランドに入れていただけるとして)かわりにコーヒーいれてあげてもいい。でもその分、ぼくの本来の仕事はできなくなるよ。資料を届けるのに生産性の高い高潔な特殊部隊の軍人たちがいちいち直接出向いてたら無駄でしょ。結局そんなことをしてると、生産性が高いはずの人たちの生産性も下がっちゃうのだ。するとゴッドランドも思ったほど生産性は高くならないかもしれないぞ。

     こうして考え始めると、「生産性の高い人だけ集めて仕事をさせる」とかいった物言いが、だんだん意味不明になってくるだろう。実はこういうことを言う人々は、「生産性が高い」ということばの意味をきちんと考えていない。多くの人は「生産性が高い」という表現を、単に能力が高い、という意味で使っている。別にコンビニ店員をすべて排除しろといいたいわけではなく、コンビニ店員の中でも優秀な人だけを残せばいい、と。メイド喫茶だって、店のナンバーワンから上位五人くらいいればいい、と。医者や歯医者も優秀なやつだけいれば……でも、これも変でしょ。そうなったら本当に優秀な人たちが、たいしたことのない客――新入りやぼんくらでも十分こなせる相手――の対応で忙殺されることになり、その優秀性を発揮する機会はがくんと減る。するとかれらの優秀さの度合いも目立たなくなる。結局のところ「生産性の高い人/優秀な人だけを集めた世界」というのは……細かく考え始めると、実はあまり意味がないのだよ。さらに優秀な人は我の強い人も多いので、そういう人を集めるとけんかといがみあいに労力を費やしてかえって生産力が下がることも多いだろうし……

     それを考えずに、人は仕事がないことに耐えられるか、一パーセントに養われる存在に甘んじられるか、という問題設定はそもそもがナンセンスだ。社会は持ちつ持たれつ、支え合うことで成立している。その一パーセントの人々が、他の人々とまったく無関係に世に必要な財やサービスを全部生産する、なんてことはあり得ないんだもん。やればできるのかもしれないけれど、それはえらく効率が悪い。いっぱい人がいるなら、優れた人が全部の仕事を一手に引き受けられたとしても、それぞれの人が自分の最も得意な部分に集中することで全体としてはいちばんいい効率が達成できる。これは経済学で最も理解しづらいとすらいわれる、比較優位という概念なんだけれど。

    「ゴッドランドの経済学」(@山形浩生の「経済のトリセツ」 Formerly supported by WindowsLiveJournal8/14付)

    優秀でなく生産性が低い人々であっても、それらの人々が何もしないよりは、何かをしてもらった方がいいというのは、考えてみれば当たり前の話でしょう。市場における競争が、経済学の教科書に美しく描かれる完全競争そのものではないにせよ、それなりに近似したものであるならば、そうして全体をうまくまわしていく企業こそが生き残る確率が高いわけですし、現にそうであるからこそ平均的なホワイトカラーの生産性はまんざら捨てたものではないのだとwebmasterは思います。

    #先の門倉本の設問でいえば、Bさんでもできるようにブレイクダウンするなり、現にAさんがやっている仕事の中でBさんでもできそうなものをBさんに回してからAさんに新しい仕事を頼むというのがあるべき部長の働きというものでしょう‐単にAさんが優秀だからAさんに任せるなんていうのは、それこそ何の付加価値も生まない無駄飯食いです。

    では、essaさんの問題意識は幻想だったのでしょうか? そうはいっても現に不公平感は存在するわけで、それを否定するのはばかげた話です。というわけで、ここで再度マルクスにご登場いただくこととしましょう。マルクスが描く搾取とは、能力(正確には労働)に見合った賃金を受け取ることができない、ということではありません。能力に応じて給料を支払いましょう、なんていう書店のビジネス書コーナーにいくらでも見られるようなありがちな話が、マルクスが見いだすまで誰も気づかなかったはずもありません。

    能力に応じた賃金を受け取っていたとしても(マルクスは正統的経済学を下敷きにしていて、その含意は、能力に応じた賃金を受け取っていないなら、転職なり独立なりによって能力に応じた賃金を受け取るようになるはずで、現に労働契約を締結しているというのは、労働者が自らの労働の対価として適正と考える賃金を受け取っているからこそ働いているのだ、ということになります)、依然として搾取は存在するのだという世界観こそが、世の共産主義者を魅了してきたマルクスの世界観に他なりません。本件にその枠組みを応用した先に、新たな搾取・非搾取の関係は果たして見えてくるのでしょうか?

    08/30/2007 (11:59 pm)

    再説・マルクス主義2.0(前編)

    Filed under: economy ::

    私は、次のようなことを言っています。

    1. これから企業の社員の生産性は上がり正規雇用につける人は少なくなる
    2. 正規雇用の外で、従来の概念に無いアーチストのような新しい仕事、新しい働き方が増える

    この1の部分については、反対が少ないというかむしろ同意する人が多く、反論、批判は2の部分に集中しているようです。

    「正規雇用の反対側」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)8/26付)

    以前の次のやりとりで、1について異見を申し上げ、ご理解いただいたと思っていたのですが・・・

    再度webmasterの言わんとするところをまとめてみましょう。

    上記のやりとりにおいては、essaさんがGoogle等に代表される技術革新により生産性が大いに向上し、ごく少数の者によって世に必要とされる財・サービスを生み出すことが可能となるため、多くの人々は職を失うであろうとの未来予想を提示されました。それに対してwebmasterは、人間の欲望にはきりがないので職を失うことなどない、と申し上げました。

    わかりやすさのため、極端な話をしてみましょう。たとえば世の中で10人が生産活動に携わっているとして、5倍の生産性向上が達成されれば2人で従来と同じだけの生産が可能となります(生産に必要なリソースは労働のみと仮定します)。ここで、結果として2人のみが生産を行うこととなり、8人は職を失うとするのがessaさんで、5倍の生産(質なり量なり。とりあえず限界生産性の逓減はないものとしています)を行うので引き続き10人が働くとするのがwebmasterということとなります。欲望にはきりがないとは、5倍の生産が行われてもそれを人間の消費活動は呑み込んでしまう、ということです。

    前回のエントリでは、そうした事例として、食料における肉食や、さまざまな機能を実装して肥大化し続けるアプリケーションを挙げましたが、もちろんそれらに止まるわけではなく、一般的に見られる話です。多機能化する携帯にせよ、24時間営業のコンビニやレストランにせよ、スペックが向上し続けるコンピュータにせよ、みなそうした実例です。もちろん枯れた製品がないわけではありませんが、一昔前に比べれば質が改善し、あるいは量が増えているものがほとんどでしょう。つまりは需要が一定であればessaさんのご主張は成立しますが、供給力の発達によって需要が増加する(より正確には、従来は供給に必要なコストが需要される価格を上回り需要が潜在に止まっていたものが、低価格で供給可能になったことにより顕在化する)場合には成立しないとwebmasterは考えています。

    しかしessaさんのご主張は、よくよく見てみると、もう少しひねられたものであることがわかります。

    たとえば、身分として大企業の正社員でいる人の数はそれほど減ってないけど、大企業の中で正社員に払われるコストにふさわしい仕事をしている人の数は、相当減少しているのではないか。会社が丸ごと税金を強奪することで成りたっているような企業も多い。

    そもそも、社会にとって有用な価値を創造してそれで稼ぐ企業が本当の一流企業である。そういう意味での「(本物の)一流企業の(本物の)正社員」というのは、本当は既にもの凄い狭き門になっているけど、既に入っている人が残っているから目立たないだけなのだ。

    受け取る給与に見合うだけの価値創造に貢献してない多くの人が、自分の地位にしがみついている。そういう生き方自体を批判する気はないが、そういう人たちが自分の経験に基づいて生み出す言説は、社会にとって非常に害になるものだと思う。

    価値を一切創造しない人にとって、自分の給料とは、他の誰かが稼いだ金を奪うことでしか得られないものだ。確かに一定の価値を奪い合う生存競争は、熾烈なものになることもある。「世の中は厳しい、甘いもんじゃない」と言う人は、そういう競争の中にいる人だ。

    「「世の中は厳しい」なんて大嘘」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)8/21付)

    「価値を一切創造しない人」が「他の誰かが稼いだ金を奪」っているのであれば、そんな人はいない方がマシだ、ということとなります。そんな人の存在は、平均的な生産性を下げるのではなく、絶対的な生産性を下げてしまうのですから。先の例で言えば、2人で足りるから2人でいいのではなく、むしろ足を引っ張る8人はいない方がいいから2人がいいのだ、ということでしょう‐これまた、生産性の話と同様に、よみがえるマルクス主義であるといえます。つまり、「搾取」であると。

    08/29/2007 (8:29 am)

    Desktop Tower Defense: “SURVIVOR” shall not be survived.

    Filed under: WWW, game ::

    7/2付エントリ7/15付エントリ7/26付エントリ8/10付エントリおよび8/17付エントリのフォローアップです。ようやくのSURVIVORのジャグリングなしノーミスクリア(8月最後の土日をつぶしてしまいました(って、それでもコンプリートできず今日までかかってしまったのですが))、鍋象さんありがとうございました。ただし、単にまねるだけでは芸がないので・・・

    »

    08/28/2007 (11:12 pm)

    せっかくの皆既月食だというのに・・・

    Filed under: misc ::

    東京は雨でしたorz。日本で次に見られるのは、2010年12月21日だそうです。3年4ヶ月後かぁ・・・。

    08/27/2007 (10:55 pm)

    安倍改造内閣発足

    Filed under: politics ::

    とりとめのない雑感を。

    • 実績のある閣僚を数多く登用しており、手堅い布陣に見えるわけですが、果たして今の世論が求めるものがそうであるのかと考えると、いい評価をもらえる可能性は低い(少なくとも第一印象では)のではないでしょうか。改造の前後が逆であった方が「人心一新」っぽいですよね(笑)。
    • 舛添厚生労働大臣は目玉人事でしょうけれども、度重なる総理批判への報復にしか見えない気が(笑)。
    • もうひとつの目玉人事といえるのは、増田総務大臣でしょう。都市と地方の対立は今の日本が抱える政治的亀裂の主なもののひとつとwebmasterは考えていますが、となればなかなか妙案もない損な役回りにならざるを得ない可能性もあり、民間からの登用ということで「使い捨て」にならなければよいのですが。
    • webmasterが個人的にもっとも注目しているのは、JETROについて閣内不統一につながりかねない意見対立のあった甘利経済産業大臣と渡辺行政改革担当大臣がそろって留任したことです。独立行政法人の議論が今後佳境を迎えることとなりますが、この対立はどうなっていくのでしょうか・・・。
    • 財政再建の手法として緊縮財政を志向する与謝野官房長官の登用を危惧する声もありますが、おそらく与謝野官房長官は、一般的に期待される官房長官の職務に忠実に総理の補佐役として閣内調整に力を注ぐ(=政策の内容には受け身で対応する)でしょうから、webmasterはあまり心配していません。
    • 大きなお世話ではありますが、下馬評でさんざん名前の出た中川前政調会長が閣僚・党役員のいずれにも選ばれなかったのは、比喩としてではなく文字通りの「身体検査」に引っかかったんでしょうかねぇ(笑)。

    08/26/2007 (11:59 pm)

    厚生労働省事務次官・社会保険庁長官人事

    Filed under: government ::

    先日の防衛省に続いての次官・次官級人事として世の耳目を集めております。

     政府は24日、年金記録のずさんな管理問題の責任が問われていた社会保険庁の村瀬清司長官(60)を退任させ、後任に総務省出身の坂野泰治・日本放送協会監事(60)を充てる人事を決めた。厚生労働省の辻哲夫事務次官(60)も退任し、後任には旧厚生省出身で、前内閣府事務次官の江利川毅・日興フィナンシャル・インテリジェンス理事長(60)を起用する。年金記録問題に伴う事実上の更迭といえる。同日開いた首相官邸の人事検討会議で了承した。31日付。

     安倍首相は24日夜、訪問先のクアラルンプールで記者団に「一刻も早く、新しい体制で国民の不信を払拭(ふっ・しょく)して前進していかなければならないという観点から、けじめとして現在の内閣において人事を行った」とした。

    朝日「社保庁長官を更迭 後任に坂野氏 厚労次官も 年金問題」

    辻次官は昨年9月に就任したのですから、1年という通常の次官の任期満了に「けじめ」の時期が重なったに過ぎないともいえます。しかし、村瀬長官の人事については、とりわけ彼が民間から登用されたことを考えると、残念なことだと思わざるを得ません。ちょうど先日のエントリのコメントとして本件について尋ねられた際、webmasterは次のように書きました

    それよりも、郵政公社の生田前総裁もそうでしたが、民間から招聘された者が最終的には石もて追われる状況なのは、誰も引き受けてがなくなるのではないかという気がします。先日、日本政策金融公庫に統合される諸機関等のトップは民間から登用するとの記事がありましたが、とりわけ国民生活金融公庫以外の総裁のなり手は、少なくとも積極的にやりたいなんて人はいないんじゃないでしょうか(国民生活金融公庫総裁が新公庫のトップになるとの報道であり、となればそれ以外の総裁になっても1年後にはナンバーツー以下ですから)。

    実際、以前に村瀬長官が謝罪ビラを街頭配布させられた際には、次のような報道がありましたし、

     「官邸はずいぶん焦っているな」(与党議員)。厚生労働省と社保庁に対し、官邸から矢継ぎ早に細かい指示が飛ぶようになったのは先月最終週以降。各種の世論調査で内閣支持率の急落傾向が鮮明になったためだ。

     他の官庁は「対策がその日暮らしでドタバタ感がある」と冷ややかな視線を送り、社保庁幹部は「支持率低迷の責任はわが身にあり」と身を縮める。

     一方、首相周辺では語呂合わせ問題の世耕氏に代わり、塩崎氏が前面に出て“官邸主導”の大号令を連発したが、空回り続きだ。

     七日午後、東京と大阪の繁華街一カ所ずつに設けた緊急相談窓口は、事前告知がなく訪れた相談者はごくわずか。八日朝には、村瀬清司社保庁長官自らが記録相談を呼び掛けるビラ配りでJR東京駅頭に立ったが、ワイドショーなどで「本来業務をちゃんとやるべきだ」と酷評された。

     厚労省幹部は、損保ジャパンの副社長から初の民間出身長官として「三顧の礼」で迎えた村瀬氏を「さらし者にしてしまった」と悔やむ。塩崎氏からは、柳沢伯夫厚生労働相もビラを配るよう要求され、押し戻すのが精いっぱいだった。

     大手生保幹部は、社保庁の惨状について「今後は民間から誰もトップを引き受けないんじゃないですか」とあきれた。

    東奥日報「断面2007/年金記録不備の政府対応/官邸「暴走」で大混乱」

    今回の人事に関する報道においても、次のような報道がありました。

     厚労相は当初、村瀬氏の後任には再び民間人を登用する方向で検討し、経済界に打診していた。しかし、適任者が見つからず、年金記録の確認などを担当する菅総務相や塩崎官房長官らと協議して、総務省OBを起用することで決着した。社保庁は2010年に非公務員型の日本年金機構へ移行することが決まっている。

    読売「社保庁長官・厚労次官を更迭…後任長官に総務省OB坂野氏」

     社保庁長官の後任選びで柳沢氏は民間からの起用も模索した。だが、年金問題の逆風下で適任者が見つからず、日本放送協会監事として現業部門も経験した坂野氏を最終的に選んだ。

    朝日「社保庁長官を更迭 後任に坂野氏 厚労次官も 年金問題」

    読売・朝日とも「適任者が見つからず」としていますが、誰も火中の栗を拾わなかったというのが真相でしょう。大組織を運営した実績のある者を招聘しようとすれば、それなりの大企業の経営陣経験者となりますが、そのまま引退するなり子会社等に「天下り」するなりしていれば約束される老後の安泰を擲ったところで、不祥事があればがいどうで街頭でビラ配りまでさせられた上でスケイプゴートとして詰め腹を切らされるというのでは、来てもらえるはずもありません。

    他方で、官僚という人種は、そうした場合に(それこそ事実上の命令で)人の嫌がるポストにも就くことを受け容れるよう、社会人経験を通じて規律付けられる人種であるともいえます。今般、民間人からはそっぽを向かれた社会保険庁長官に坂野監事が就任するのもその一例といえるでしょうし、さらにわかりやすい例としては、経営破綻の前に天下り、最後のトップとして有罪判決を受ける可能性が極めて高い窪田日本債権信用銀行元頭取が挙げられるでしょう。

    #脱線ですが、接待不祥事等で霞が関が批判に晒されていた際には、検察出身者がかなりの頻度で登用されましたが、今般は旧総務庁OBとのことで、本当に行革が課題だからそうなったのか、検察からも嫌がられるようになったのか(笑)、どちらなのかなぁ・・・。

    上で引用したwebmaster自身のコメントに再度触れるなら、来る政府系金融機関のトップ人事には興味が惹かれます。民間人登用を公言したところで、どうせ内諾をもらっているような手際のよさはないでしょうから(笑)、調整に入ったら誰も引受け手がいない、なんてことにもなりかねません。民間から人に来て欲しいなら、まずは今民間から来てもらっている人に「来てよかった」と思いながら退任してもらえるような環境を整えなければならないとwebmasterは思うのですが、これって霞が関の常識・世間の非常識なんですかねぇ?

    #どんなにひどい目にあわせても引き受けるはずだと官邸がお考えなら、それこそ官僚相手のやり方が普遍的に通用するとの誤解を抱いているのでは(笑)。

    08/25/2007 (10:53 pm)

    検証「いつか来た道?」

    Filed under: economy, BOJ ::

    #8/25の夜に公開したはずなのに・・・。

    一昨日のエントリのwebmasterの予想が的確だったのか的はずれだったのか、金融政策決定会合後の総裁記者会見要旨で検証してみます。

    マクロ経済環境の認識

    webmasterの予想

     多くの委員の金融経済情勢に関する認識は、(1)景気の現状は、企業収益が改善する中で、設備投資の増加が続くなど、緩やかに回復している、(2)引き続き良好な金融環境が維持されている、(3)先行き、海外経済等の外部環境に大きな変化がなければ、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い、(4)需要の弱さに由来する潜在的な物価低下圧力は大きく後退している、といったものであった。

     以上の認識を踏まえ、わが国経済は「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至りつつあるとの認識が概ね共有された。

    総裁記者会見要旨

    実体経済は、前回の説明とあまり変わらないと思いますが、世界経済は地域的な拡がりを持ちながら拡大を続けており、そのもとで日本経済についてみますと、日本から海外への輸出は増加を続けているという状況です。国内の民間需要も増加しております。高水準の企業収益あるいは業況感が引き続き良好という中で、設備投資は引き続き増加しています。雇用・所得面では、失業率が3.7%に低下するなど、労働需給を反映する諸指標が引き締まり傾向を続けており、その中で雇用者数が増えています。一人当たり賃金はやや伸び悩んでいるという状況は変わらず、この点は注目しておりますが、雇用者数は増え、雇用者所得は緩やかに増加を続けています。それが背景となって、個人消費はあまりめざましい展開ではありませんが、引き続き底堅く推移しているという状況です。

    (略)

    物価面についても前回説明したこととあまり変わっていません。国内企業物価は、国際商品市況高などを背景に、3か月前比でみて上昇しています。先行きにつきましても、目先、上昇を続けるとみています。消費者物価(全国、除く生鮮食品)の前年比は、目先、ゼロ%近傍で推移する可能性が引き続き高い状況ですが、より長い目でみますと、マクロ的な需給ギャップが需要超過方向で推移していく中、プラス基調を続けていくと予想しています。

    検証

    企業収益や設備投資の動向を中心に据えた強気の姿勢は的中といってよいでしょう。需要が回復基調であり、そのトレンドの外挿によるものか、今後の動向として物価下落圧力は解消されていくとの見通しも、これまた的中といってよいでしょう。

    サブプライム問題の認識

    webmasterの予想

     ただ、多くの委員から、金融政策引締めのタイミングについては、いわゆる「サブプライム問題」が市場心理などに与える影響について、もう少し見極めてから判断しても良いのではないかという意見が出された。また、このうち何人かの委員からは、この問題の市場心理への影響とあわせて、企業マインドや消費者センチメントへの悪影響の可能性も指摘された。ある委員は、個別企業の問題が重要ということではないが、この問題が象徴している「特定セクター」の構造問題が世間で強く意識されている現状では、本日金融を引締めした場合に、企業家心理にマイナスのインパクトを与えてしまう惧れもないわけではないと述べ、今日のところは、引締めを見合わせるのが適当である、との意見を示した。別の委員も、取り巻く経済諸情勢、とりわけ、いわゆる「サブプライム問題」の経済界、金融界に対する心理的な影響を考えると、判断のタイミングとしては決めがたい、と述べた。

    総裁会見要旨

    ただ、今回の金融市場の実体経済、とくに米国経済への影響については、いくつかのルートでどのように影響が出てくるかを注視していかなければならないと思っています。それは、住宅金融を通じて住宅投資に与える影響、これが一番中心的な影響でありますが、クレジット市場の機能低下が企業金融に与える影響はどうか、今のところサブプライム問題、あるいはクレジット市場の機能の停滞が、企業金融全般に強い影響を与え始めているという兆候はありませんが、市場はどこかでつながっているわけですので、クレジット市場の機能低下が企業金融に与える影響が全くないのかどうか、注目していく必要があります。それから市場の動揺がもし長引くという場合には、株価の下落等を通じた家計のマインド、あるいは企業のマインド、といったマインド面への影響などが考えられるわけです。株価に反応しやすいミシガンの消費者コンフィデンス指数が既に少し下がっているということはご承知だと思います。そうしたマインド面の影響が考えられますので、注視していかなくてはならないと思っています。つい先日の米国のFOMCの声明でも、今後の米国経済の成長を抑制する可能性があるとしておりますが、今申し上げた点を私どもは注視していくべきであろうと思っています。

    検証

    影響を見守るべしというのは変わりませんが、webmasterの予想に比べると、実体経済への影響により配意しているといえるのではないでしょうか。マインドに触れているという点では同じですが、webmasterの予想(すなわち、速水前総裁時代のゼロ金利解除に当たっての判断)においては、単に引締めのタイミングを遅らせるべきというスタンスであったように思われます。他方で今回は、マインドの影響によって実体経済の悪化があり得て、その際には引締めの単なる延期ではなく、取りやめもあるのかな、というように見えるのですが・・・。

    つまりは、世間的な見方とも同じ話ではありますが、来月もまた利上げはなしかな、と。あるいは、「また」ではなく「まだ」?

    08/24/2007 (6:12 am)

    竹中先生の嘘三度

    Filed under: government, politics ::

    これまで当サイトでは竹中先生の2つの「嘘」を取り上げてきました。

    その嘘の性質とは、

    昨日は有権者を騙したのではないかと指摘しましたが、それよりむしろ、竹中大臣自身が事後的に記憶を物語化して改変してしまったのかな、という気がしてきました。というのも、騙したというなら、ここでこのような詐術の種明かしをするのは愚の骨頂ですが、良くも悪くも竹中大臣にはそのような頭の悪さはないと考えられるからです。出馬当時の心情は都合よく忘却し、小泉総理に殉ずる自分という画に酔っているのではないかと。

    「続・竹中大臣の議員辞職表明」(2006/9/17付)

    嘘吐きの件を脇に置くとしても、ここでの発言は、彼の認知的不協和を解消するため、異様なまでにアンフェアな議論になっています。民間議員がそのような名義貸しをしたなら民間議員もまた有罪ということになりますが、それを責めれば自らがいた時代についても責めることになってしまいます。積極的に関与していたのか消極的に認容していたのかはさておき、与謝野前大臣を責めるならば小泉前総理の任命・監督責任があるということになるでしょう。会議の主宰者たる総理について、かねてから主体的・積極的に取り組んでいたと誉めそやしていたわけですから、不適切な運営となれば総理もまた責任を負うべきですが、「恩人」である小泉総理に対しては、そんな発想など浮かびもしないのでしょう。

    このような矛盾から目を逸らし心の平安を得るため、全ての責任は財務省へ、という認識が都合よく形成されているわけです。そうしておけば彼の美しい脳内世界‐この世の悪なるものはすべて官僚に帰せられ、それに対峙する自分や小泉総理は全身全霊を賭けて大義に殉ずる正義の士‐は整然とした秩序を保つことができる上、世に抵抗勢力の策謀を告発することともなり、構造改革への最後のご奉公というヒロイズムが満たされるわけです。先に詐欺師と書きましたが、自らの正義に微塵も疑いを持たず、その実現への尽力に自己陶酔し、方や存在自体が悪である敵対者に対してはどんな悪辣な手法を用いても問題ないとは、むしろカルト宗教の徒が似つかわしいのかも(笑)。

    「バッシングと嘘と諮問会議」(2006/9/29付)

    というものではなかろうかと分析してきたわけですが、やはり同じことを繰り返していらっしゃるようで。

    ここでも、今の自分の都合のいいように記憶が書き換えられ、そのゆがめられた記憶を前提とした官僚批判につなげられています。こういう人だから、webmasterにはどうしても竹中先生を信頼できない部分が残るのです・・・。

    08/23/2007 (12:32 am)

    いつか来た道?

    Filed under: economy, BOJ ::

    本日、日銀の金融政策決定会合において金融政策の方向性が示されますが、おそらく利上げは見送られることとなるでしょう。その理由は、次のようなものではないかとwebmasterは思います。

     多くの委員の金融経済情勢に関する認識は、(1)景気の現状は、企業収益が改善する中で、設備投資の増加が続くなど、緩やかに回復している、(2)引き続き良好な金融環境が維持されている、(3)先行き、海外経済等の外部環境に大きな変化がなければ、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い、(4)需要の弱さに由来する潜在的な物価低下圧力は大きく後退している、といったものであった。

     以上の認識を踏まえ、わが国経済は「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至りつつあるとの認識が概ね共有された。

    (略)

     ただ、多くの委員から、○○○政策△△△のタイミングについては、いわゆる「×××問題」が市場心理などに与える影響について、もう少し見極めてから判断しても良いのではないかという意見が出された。また、このうち何人かの委員からは、この問題の市場心理への影響とあわせて、企業マインドや消費者センチメントへの悪影響の可能性も指摘された。ある委員は、個別企業の問題が重要ということではないが、この問題が象徴している「特定セクター」の構造問題が世間で強く意識されている現状では、本日○○○を△△△した場合に、企業家心理にマイナスのインパクトを与えてしまう惧れもないわけではないと述べ、今日のところは、△△△を見合わせるのが適当である、との意見を示した。別の委員も、取り巻く経済諸情勢、とりわけ、いわゆる「×××問題」の経済界、金融界に対する心理的な影響を考えると、判断のタイミングとしては決めがたい、と述べた。

    伏字に何が入るかは、

    ○○○
    金融
    △△△
    引締め
    ×××
    サブプライム

    と入れたくなるところですが、実際には、

    ○○○
    ゼロ金利
    △△△
    解除
    ×××
    そごう

    なのです(笑)。そう、元ネタは2000年7月の金融政策決定会合議事要旨だったのでした。

    #蛇足ながら申し上げれば、ゼロ金利解除は翌8月でございました。

    08/22/2007 (11:59 pm)

    オークン法則に基づく日本のGDPギャップ推計

    Filed under: economy ::

    一昨日のエントリに関し、クルーグマンによるオークン法則に基づくGDPギャップ推計は最近においてもなお妥当するのか、とのご質問をlukeさんよりいただきました。というわけで、以下推計してみました。

    まず、クルーグマンは1997年までのデータで推計していましたので、その後の実質GDP成長率と完全失業率の変化を掲げれば次のとおりです。

    実質GDP成長率(対前年比) 完全失業率(対前年差)
    1998 ▲2.0 0.7
    1999 ▲0.1 0.6
    2000 2.9 0.0
    2001 0.2 0.3
    2002 0.3 0.4
    2003 1.4 ▲0.2
    2004 2.7 ▲0.5
    2005 1.9 ▲0.3
    2006 2.2 ▲0.3

    これらから近似曲線を導出すると、

    • y=−0.2413x+0.3324
    • R-squared=0.7767

    となり、それなりに妥当するようです。

    この結果によれば、上記のクルーグマンの分析では失業率1%ポイントの改善に要する超過経済成長率は6%程度であるとされていましたが、その相場観は今なお有効今では4%程度にまで下がってきており、フラット化が進んでいる(8/24訂正)ということとなります(yにマイナス1を代入すれば、xは5.52(8/23訂正))。NAIRUが自然失業率であるとして、その水準が2%台後半〜3%台前半であるならば、現在の完全失業率が3%台後半ですから、GDPギャップの大きさは3%強〜5%台半ばといったところとなるのです。

    #さらには、潜在成長率も1%台半ばということとなります。これについては、非正規雇用の増加や第一次ベビーブーマーの大量退職によって、失業率が同じ数値であっても投入労働量が下がってきていると考えられることの影響ではないか、という気がいたします。そのあたりをうまく補正する方法があればよいのですが・・・。(8/24追記)

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