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  • 08/31/2007 (7:23 pm)

    再説・マルクス主義2.0(中編)

    Filed under: economy ::

    前回の最後において、一部の優秀な者の成果に多数のそうでない者がぶら下がっている=優秀な者がそうでない者に搾取されている、というように理解されているのではないかと書きました。厳密に言うなら、優秀でなくてもその能力にふさわしい程度にしかお金をもらっていないならば能力相応ということなので、優秀であろうとなかろうと能力以上にお金をもらっている者が、能力以下にしかお金をもらっていない者から搾取しているということなのでしょうけれども、ここではessaさんの問題意識の文脈に沿って、平均に寄せられる‐すなわち優秀な者は概して能力以下にしかお金をもらわず、そうでない者は概して能力以上にお金をもらっている‐ものとして議論を進めます。

    具体的にどのような人々が「優秀でない」とessaさんが想定されているのかはわかりませんが、たとえば柏崎刈羽原発事故について、

    文系的なプレッシャーを与えたら、理系の社員には対応できないので、東電の内部では文系の社員がイニシアチブを取ることになる。技術者の正論は押しつぶされ、中古の事故物件のポンコツの原発がヨレヨレで再稼動することになる。

    科学的論理的に批判し情報開示を迫り、文系の東電社員を論破して蹴散らさなくてはならない。技術のわかる人間でないと対応できないような種類の強烈なプレッシャーを東京電力にかける必要がある。そして、未確定な部分や確率を含んだ新しい品質保証の体系を引き出さなくてはならない。

    この情報戦が文系同士の戦いになったら、嘘とごまかしだらけの計画書がでっち上げられ、その辻褄合わせの為に技術者がこき使われることになる。攻める側も守る側も技術者が先頭に立ち、エンジニアリングの問題として議論すべきである。

    「これから柏崎刈羽で起こるクリティカルなこと」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)8/14付)

    とお書きになられていることから、「文系社員」が総じて無能にもかかわらず高い給料をもらっている人々(の一例)として認識されているのではないでしょうか。これは、輸出製造業に比して国内サービス産業の生産性が低いとか、日本のホワイトカラーは生産性が低いといった世間的によくある見方と整合的でもあります。

    しかし、門倉貴史「ホワイトカラーは給料ドロボーか?」においては、マクロ的な分析によっても、個別企業のミクロ分析の積み上げであっても、日本のホワイトカラーはブルーカラーに勝るとも劣らない生産性上昇を達成していることが示されています(pp64-67)。つまり、全体として見れば、「文系社員」ないしホワイトカラーは「理系社員」ないしブルーカラーから不当に給料を簒奪しているわけではないといえます。

    他方、門倉本は次のようにも指摘しています。

    第1章では、日本のホワイトカラーの労働生産性が必ずしも低いとはいえないという点について論じた。

    ただし、ここでいっているのはあくまでも平均的な労働生産性のことである。

    当たり前のことであるが、個々のホワイトカラーについてみると、労働生産性の高い労働者もいれば、労働生産性の低い労働者もいる。生産ラインに沿って仕事をするブルーカラーの場合には、生産ラインの流れを乱す労働生産性の低い労働者はすぐに分かるので、そうした労働者は生産ラインからはじくことができる。

    ところが、目に見える形のはっきりしたアウトプット(成果)がないホワイトカラーの場合には、労働生産性が高いのか低いのかが、上司や管理者からは見えづらい。そのため、ホワイトカラー層においては多くの場合、たとえそれが正社員であっても、労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる。

    (略)

    ここで、読者に質問をぶつけてみたい。いま、あなたが職場の部長であったとしよう。そして社長から自社の新製品に関するプレゼンテーション資料の作成依頼を受けた。あなたは、部下であるAさんとBさんのどちらにこの仕事を任せるだろうか。

    Aさんは、優秀で、仕事が速いうえに間違いが少ない。ただ、今はたくさんの仕事を抱え込んでいて他の仕事をする余裕がない。

    Bさんは、仕事に対する意欲がなく、仕事のペースが遅いうえに間違いも多い。ただし、今現在は、急ぎの仕事を何もかかえていない。

    おそらく、Aさんに仕事を任せようと判断した読者が多いのではないだろうか。筆者も部長であれば、Aさんにプレゼンテーション資料の作成を依頼しただろう。こうした決断があらゆる場面でなされる結果、Aさんの仕事量はBさんの仕事量の何倍にも膨らんでいくことになる。

    ホワイトカラーの平均的な労働生産性が低くないのは、実は一部の労働生産性の高い優秀な労働者が、やる気がなく労働生産性の低い労働者の仕事をカバーすることによって成り立っていると考えられる。

    pp81-84

    この指摘が正しければ、ホワイトカラーは総体としては搾取側ではなくとも、一部(平均以下という意味では、半分)のホワイトカラーは搾取側だということとなります。ブルーカラーにはそんな連中はいないので、結局はホワイトカラー側に搾取する者がいるのだと。では、正しいのでしょうか?

    webmasterは正しくないと考えます。何より、いみじくも引用部において、優秀なAさんとそうでないBさんが区別できる前提で議論がされていることに明らかでしょう。「目に見える形のはっきりしたアウトプット」がなくても、ある人が「労働生産性の高い労働者と低い労働者」のいずれであるかは、いっしょに働いていればそれなりの確度で判定できるわけです‐すぐではなく数ヶ月とか1年とかはかかるかもしれませんが。

    ではなぜ「労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる」のでしょうか。素直に考えれば、低い労働者を切り捨てれば平均が上がるわけですから、そちらの方が得になるわけです。中には低い労働者を見抜けない組織もあるのかもしれませんが、平均生産性の高い企業と平均生産性の低い企業とが競争すれば、当然ながら高い企業が勝ち残ります。であるなら、見抜けない組織は市場から退出せざるを得ず、結果的には見抜ける企業のみが生き残っていく、はずでしょう。

    この辺りについては、先の「マルクス主義2.0」を受けてエントリを書かれた山形浩生さんが明快に理由を説明しています。

     生産性の高い人だけを集めたら――気持ちはわかる。これはみんな考えることだ。まったく、オレの脚を引っ張るあいつとか、こいつとか、出張精算が10円ちがうとかで再提出を要求する経理部とか、残業や休日出勤にいちいち申請書を求めてくるXX部とか、みんなオレの生産性を下げるウンコどもばかり。こいつらがいなくなったらオレの生産性がいかに上がることか。やっても意味のない仕事を要求してくるこのクズ顧客。説明をまともに理解する能力すらなさそうなあいつとかこいつとか。なんでこんなのが給料もらっとるんじゃ! こういう連中を一網打尽でぶちころし、すっぱり話の通る、うてば響くような連中だけ集めて仕事をしたら、同じ仕事が半分以下の時間で終わりそうだ――みんながイメージするのはそういうことだ。いろんな仕事における、二八の法則というやつがある。ある集団の中では、二割の人間が八割の仕事をやっている、という説。その二割の生産性は高く、残り八割は生産性がとっても低い。実際の感覚でいうと、二割の生産性は高く、三割ほどはそこそこ、さらに三割はいなくてもいい存在で、残り二割はもう積極的に足を引っ張る足手まとい以外のなにものでもない。この最後の足手まとい二割を銃殺させてくれたら、この世は楽園と化すでありましょうぞ!

    (略)

     まあそこらへんは何とかごまかそう。なんでも無料でくれるほど生産性の高いはずの優秀なグーグルのプログラマたちはゴッドランドにきていただきましょうか(でも、これも実際には別にグーグルの生産性が高いからではないことくらい、わかりそうなものだけれどなあ。ソフトウェアというものの複製コストがほとんどゼロだから、というだけのことなんだけれど。Linux や GNU が無償なのは、別にかかわっているプログラマたちの生産性が異様に高いから、ではないでしょう?)。一方、いま挙げたような職種の人々は、生産性が低いのでゴッドランドには入れないことにしよう。でも……そしたら生産性が高いはずの人たちが、余計な仕事をしなきゃいけない。生産性の高い人たちだって、おいしいコーヒーが飲みたくない? 一部のプログラマはスタバなしでは生きていけないとか言ってるよ? まあぼくが(ゴッドランドに入れていただけるとして)かわりにコーヒーいれてあげてもいい。でもその分、ぼくの本来の仕事はできなくなるよ。資料を届けるのに生産性の高い高潔な特殊部隊の軍人たちがいちいち直接出向いてたら無駄でしょ。結局そんなことをしてると、生産性が高いはずの人たちの生産性も下がっちゃうのだ。するとゴッドランドも思ったほど生産性は高くならないかもしれないぞ。

     こうして考え始めると、「生産性の高い人だけ集めて仕事をさせる」とかいった物言いが、だんだん意味不明になってくるだろう。実はこういうことを言う人々は、「生産性が高い」ということばの意味をきちんと考えていない。多くの人は「生産性が高い」という表現を、単に能力が高い、という意味で使っている。別にコンビニ店員をすべて排除しろといいたいわけではなく、コンビニ店員の中でも優秀な人だけを残せばいい、と。メイド喫茶だって、店のナンバーワンから上位五人くらいいればいい、と。医者や歯医者も優秀なやつだけいれば……でも、これも変でしょ。そうなったら本当に優秀な人たちが、たいしたことのない客――新入りやぼんくらでも十分こなせる相手――の対応で忙殺されることになり、その優秀性を発揮する機会はがくんと減る。するとかれらの優秀さの度合いも目立たなくなる。結局のところ「生産性の高い人/優秀な人だけを集めた世界」というのは……細かく考え始めると、実はあまり意味がないのだよ。さらに優秀な人は我の強い人も多いので、そういう人を集めるとけんかといがみあいに労力を費やしてかえって生産力が下がることも多いだろうし……

     それを考えずに、人は仕事がないことに耐えられるか、一パーセントに養われる存在に甘んじられるか、という問題設定はそもそもがナンセンスだ。社会は持ちつ持たれつ、支え合うことで成立している。その一パーセントの人々が、他の人々とまったく無関係に世に必要な財やサービスを全部生産する、なんてことはあり得ないんだもん。やればできるのかもしれないけれど、それはえらく効率が悪い。いっぱい人がいるなら、優れた人が全部の仕事を一手に引き受けられたとしても、それぞれの人が自分の最も得意な部分に集中することで全体としてはいちばんいい効率が達成できる。これは経済学で最も理解しづらいとすらいわれる、比較優位という概念なんだけれど。

    「ゴッドランドの経済学」(@山形浩生の「経済のトリセツ」 Formerly supported by WindowsLiveJournal8/14付)

    優秀でなく生産性が低い人々であっても、それらの人々が何もしないよりは、何かをしてもらった方がいいというのは、考えてみれば当たり前の話でしょう。市場における競争が、経済学の教科書に美しく描かれる完全競争そのものではないにせよ、それなりに近似したものであるならば、そうして全体をうまくまわしていく企業こそが生き残る確率が高いわけですし、現にそうであるからこそ平均的なホワイトカラーの生産性はまんざら捨てたものではないのだとwebmasterは思います。

    #先の門倉本の設問でいえば、Bさんでもできるようにブレイクダウンするなり、現にAさんがやっている仕事の中でBさんでもできそうなものをBさんに回してからAさんに新しい仕事を頼むというのがあるべき部長の働きというものでしょう‐単にAさんが優秀だからAさんに任せるなんていうのは、それこそ何の付加価値も生まない無駄飯食いです。

    では、essaさんの問題意識は幻想だったのでしょうか? そうはいっても現に不公平感は存在するわけで、それを否定するのはばかげた話です。というわけで、ここで再度マルクスにご登場いただくこととしましょう。マルクスが描く搾取とは、能力(正確には労働)に見合った賃金を受け取ることができない、ということではありません。能力に応じて給料を支払いましょう、なんていう書店のビジネス書コーナーにいくらでも見られるようなありがちな話が、マルクスが見いだすまで誰も気づかなかったはずもありません。

    能力に応じた賃金を受け取っていたとしても(マルクスは正統的経済学を下敷きにしていて、その含意は、能力に応じた賃金を受け取っていないなら、転職なり独立なりによって能力に応じた賃金を受け取るようになるはずで、現に労働契約を締結しているというのは、労働者が自らの労働の対価として適正と考える賃金を受け取っているからこそ働いているのだ、ということになります)、依然として搾取は存在するのだという世界観こそが、世の共産主義者を魅了してきたマルクスの世界観に他なりません。本件にその枠組みを応用した先に、新たな搾取・非搾取の関係は果たして見えてくるのでしょうか?

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    14 Responses to “再説・マルクス主義2.0(中編)”

    1. Says:

      もしホワイトカラーの能力以上の賃金を貰っていたとしても即搾取というわけではないと思います。

      もし日本全体で『優秀な文系』の割合が外国と比べて低く、『優秀な理系』の割合が外国と比べて高いのであれば。
      優秀な文系という資源は貴重になるので外国と比べれば賃金は『割高』になるか、同じ賃金でも『質が落ちる』でしょう。
      逆に優秀な理系という資源は外国と比べれば賃金は『割安』になるか、同じ賃金でも『より質が上がる』でしょう。

      例え国際基準から見ればホワイトカラーが能力に比べて割高だったとしても、それは搾取ではなく日本という社会(市場)の特徴だと考えたほうが自然だと思います。
      つまり、日本ではただ同然で手に入る水が砂漠の国では高価だとしても搾取といわないようなものだと思うわけです。

      あと本来ホワイトカラーは労働者を働かせるのが仕事なわけで、優秀な労働者が『言わずとも働いてくれる』なら役割が相対的に小さくなるわけですが。『ホワイトカラーが働かせて労働者が働いている』のと『ホワイトカラーは何もして無いけど労働者が自分で働いている』のは、傍から見れば生産性は同じですよね。ここら辺がホワイトカラー駄目論者と良い論者の意見のズレの原因の一つなのではないかと思います。
      私もホワイトカラーのまんざら捨てたモンじゃないという意見にも賛同します。ただし、中間管理職のレベルはともかく経営者のレベルでは内部昇進者偏重なので、人材の多様性の面で少々劣っているのではないかと思います。

      いやまあ結論が対して違わないのに経過が少々違うだけで一々反論するのもあれですが、半分以上は『ホワイトカラー優遇論』に対する異論ですね。

    2. 通行人 Says:

      essa氏のblogから引用された部分だけで「『文系社員』が総じて無能にもかかわらず高い給料をもらっている人々」と読むことは私にはできませんでした。例えば「本来はビジネスプロセスの問題なんだけれど表面的には技術的な問題に見える事故で、その対応を技術者を前に出してテクニカルタームで煙に巻こうとしている」と言った場合には、引用部の技術者と文系社員をひっくり返した文章がそのまま意味が通るのではないでしょうか(引用部だけ見て話しているのでessa氏の他のエントリから総合的にそう判断できる、というのであれば失礼しましたですが)。

      あと、AさんとBさんの話にしても、「労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる」ではなく、「なぜ労働生産性が違う労働者が同一の賃金を受け取ることができるのか」あるいは「なぜ同一の労働生産性を持ち同じ仕事をしている労働者で賃金の違いが生じるのか」が問題なので、山形氏の引用部分は解答になっていないと思います。
      特に後者について、正社員と(事実上長期雇用の)派遣社員、あるいは管理人氏のお仕事柄ならキャリアとノンキャリなどを題材にして解説していただければ、このエントリがすっきりまとまると思います。

    3. ゲスト Says:

      >>壷様
      超長期的には、そうであれば優秀な人間がより多く文系に回り、賃金格差は縮む方向に向かうはずです。そういう動きが不十分だとすれば、それはなぜなんでしょうね?文系労働市場に参入障壁があるのか、優秀な素材の投入があっても優良な文系人間に育て上げる・高い生産性を上げさせるノウハウが国内に乏しいからなのか。前者ならアンフェアという意味では「搾取」と言っていいかもしれませんし、後者なら帰結としては壷様の議論と実質一緒ですけど。

      まあ日本の理系の待遇の悪さは、優秀な人間を技術屋方面に大量につぎ込み過ぎ、結果良い物を大量に作り過ぎて売り物が値崩れした結果な部分が大きいようには思います。

    4. PK Says:

      マルクス主義とは、他人に対する無関心な人間が勝手に生きながら社会が存続する理想郷を目指す宗教だ
      市場経済に生きる人間は、他人に対する関心を持たなければならない。そんなことは生理的に好かんという人間がマルクス主義に傾倒するようになる。

    5. open Says:

      ホワイトカラーもしくは中央省庁の公務員の生産性が低いのは、搾取によるものでなく、需要のない仕事を自ら作り出しているためであると考えます。ISO,HACCP,自己点検評価と中期計画、Jabee、SOXどれも膨大な仕事量を要求するものばかりです。しかしこれらの仕事を熱心に行ってもだれも喜ぶ人はいません。需要のない仕事に忙殺されるのです。これらの自己点検と中期計画方式で何らかの改善がされるのでしょうか。所詮はすべて書類上のことです。書類上だけでうまく改善されているように作文すればいいのです。改善されているようにみせかけるためには作文能力の高い優秀な人材に作文させればよいのです。そういえば旧ソ連も自己批判と5年計画という改善手法を使ってましたね.食品でいえばHACCAPより、頻繁な抜き打ち検査と違反者個人の個人資産と法人への双方の罰金の方が効果的です。ミートホープの社長も会社をつぶして社員は路頭に迷わせて自分は資産を温存して逃げ切りです。

    6. webmaster Says:

      >壺さん
      ゲストさんのご指摘と同じ趣旨ですが、砂漠の国の水とは異なり、人材育成における「文系」「理系」は(少なくとも中長期的には)供給制約がありません。割高な「文系」市場に割安な「理系」市場から労働者が流れ、賃金水準が調整されることになるのではないでしょうか。

      >通行人さん
      essaさんの意図については私の勝手な憶測ですので、間違っていたらごめんなさい、ということとなります(essaさんはそうお考えだろうとの感触があり、それが現れているものとして引用部は選びましたが)。

      >あと、AさんとBさんの話にしても、「労働生産性の高い労働者と低い労働者が混在して、ひとつの職場で働くことになる」ではなく、「なぜ労働生産性が違う労働者が同一の賃金を受け取ることができるのか」あるいは「なぜ同一の労働生産性を持ち同じ仕事をしている労働者で賃金の違いが生じるのか」が問題
      前者については、どこまで出世するか等を加味して(すなわち生涯賃金ベースで)見れば同一でない、ということだと考えています。「文系社員」の能力は見極められるけれども、それには一定の期間が必要であるとすれば、そのように時間をかけて選別を進め、その結果に応じて賃金格差をつけていくというのは合理的な対応だと思います。

      後者については、「同じ仕事」ではないのでしょう。相対的に経験の蓄積が生きる分野には長期継続雇用を、そうでない分野には短期雇用を割り当てるのは、これまた合理的対応です。ある一場面を切り取れば「同じ仕事」であっても、正社員がやる場合には現場の経験を積ませるため等の意図があり、派遣社員がやる場合には純粋にその人がこなす仕事を求めてということなのだと思います。

      >ゲストさん
      補足いただきありがとうございました。

      理系の待遇については、「後編」をご高覧いただければと思います。

      >openさん
      >ISO,HACCP,自己点検評価と中期計画、Jabee、SOXどれも膨大な仕事量を要求するものばかりです。しかしこれらの仕事を熱心に行ってもだれも喜ぶ人はいません。
      この点にそもそも認識のギャップがあるかと思います。

    7. 弥次郎兵衛 Says:

      > openさん
      ISO9000sやSOXはつまるところ訴訟対策です。
      責任の所在を明確にして、何か起きたときに組織の問題を従業員に転嫁する仕組みです。
      一見こういうものが流行ったせいで生産性が下がったように見えますが、
      生産性を下げた真犯人は訴訟リスクの増大という供給ショックなのです。

    8. PK Says:

      ISOとか温暖化とかは、要するに、EUの保護主義の別表現で、日本潰しでしょ?
      馬鹿な日本人が奇麗事に載せられて首つり自殺するだけのこと。
      あんな腹黒いやり方があるのか?
      京都議定書を離脱した米国の方がよほど綺麗だよ

    9. shibacow Says:

      NHKスペシャル。人事も経理も中国へ
      http://www.nhk.or.jp/special/onair/070903.html
      >>製造業の分野では続々と生産拠点を中国へ移し、コストダウンを図ってきた日本企業。そして今、人事や経理などホワイトカラーの仕事までもが次々に中国へ移っている。

      生産性の問題ではなくて、単にコストの問題かも知れません。essaさんが何を言おうと、ホワイトカラーの人が非正社員になる流れは、止められないかも知れない。
      むしろ、bewaadさんには、このNHKスペシャルについてかいて欲しいかも。

    10. webmaster Says:

      >弥次郎兵衛さん
      基本的に同じように思います。

      >shibacowさん
      その番組を観ていないので、それについては書くことはできないのですが、一般論として申し上げるなら、派遣社員に任せることができたようなものについては、中国へのアウトソースも行いやすいでしょう。

      しかし、たとえばプログラミングにおける中国(やインド)へのアウトソースが、一時期の流行りを経て、やはりアウトソースできるものとできないものがある、といった辺りに落ち着いているというようなことを聞くと、どこまでできるかについては、おのずと限度もあるのだろうとは思います。

    11. shibacow Says:

      インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。
      http://bewaad.com/2007/05/14/114/
      続・インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。
      http://bewaad.com/2007/05/15/115/

      webmasterの見解は実はessaさんに近いのでは?
      essaさんは、喜劇として描き、webmasterは悲劇として描いたと言う違いではないでしょうか?

    12. shibacow Says:

      「日本は人件費が高いので、人海戦術的なソフトウェア開発は海外で安く調達することにした方が得ですよ」
      と、bewaadさんは、
      続・インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。
      でかきました。
      「日本は人件費が高いので、人海戦術的なホワイトカラーの仕事は海外で安く調達することにした方が得ですよ」
      と言い換えられます。AさんとBさんの寓話では、Bさんはインド人に差し替えることが可能です。

      問題は、生産性の高さではなくて、コストではないかと思うのです。現に、インドのソフトの際のbewaadさんの論拠もコストでした。

      bewaadさんの言うホワイトカラーって、社員のどこまでですか?
      一部の、経営陣ですか?

    13. Says:

      もし日本という国に優秀な文系が少ないのだとすれば、何故優秀な文系の労働者が生まれないか?

      それは、日本がそういう文化の国だったということなのでしょう。
      もっと超長期(100年単位)で見れば文化も変わっていくのでしょうが、市場原理によって文化が変わるまで時間がかかるのも当然かと思います。
      (今大分代わって来ているとは思いますが…)

      もう一つ、高度経済成長期には管理系の管理職よりも現場系の管理職の方がより重要だと思うので、管理系の管理職が適当でも問題がなかった。
      極論すれば、工場建てて社員を働かせれば(資源の動員さえできれば)誰がやっても上手く行く高度経済成長期では、重要なのは現場であり、経営に対する優先度が低かった(主なビジネスモデルはアメリカの真似をすればよかったわけですし…)。
      したがって経営者の比重が小さかったので、見る人が見れば『名誉職』に見えるのではないかとも思います。

      つまり、マイナスに見れると、管理職は何もして無いと見えるかもしれないけど、プラスに見れば、自由に働かせてもらっていたのではないかと思っています。
      ですから、当時の管理職は当時の管理職なりの役割を果たしていたのだと思います。

      したがって私は管理職無能論を単純に肯定できません。

      ただ先進国となった現在、ビジネスモデルを自ら作らなければいけなくなると、昔のような現場さえしっかりしていれば良いというだけではなく、経営の役割も大きくなるので高度経済成長時代の管理職のままでは役割を果たしきれない事があったので管理職無能論が唱えられたのではないかと…。
      しかし、それも最近はかなり改善されたのではないかと思っています。

    14. webmaster Says:

      >shibacowさん
      私が先のコメント返しで
      >しかし、たとえばプログラミングにおける中国(やインド)へのアウトソースが、一時期の流行りを経て、やはりアウトソースできるものとできないものがある、といった辺りに落ち着いているというようなことを聞くと
      と書いたのは、まさしくそれらのエントリについていただいたコメント等で「聞いた」ということです。そこでの「人海戦術的」というのと、コメント返しでの「派遣社員に任せることができたようなもの」とは、中身はさておきメタ的には同様の位置づけとなります。

      >壺さん
      とりあえず国際比較で日本の一人当たり潜在成長率が低いわけではなければ、(1)日本の文系労働者は他国に比べて劣っているわけではないか、(2)そもそも文系労働者の優劣は実体経済にそれほどインパクトをもたらさない(から日本に優秀な文系労働者がいなくても問題がない)か、のいずれかでしょう。個人的には(1)だと考えているわけですが。

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