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  • 09/30/2007 (7:37 am)

    「ダウンロード」「複製」について文化庁を代弁してみます。

    Filed under: law, WWW, computer ::

    去る26日に開催された文化審議会著作権分科会の私的録音録画小委員会での議論が物議を醸しているようです。とりわけ、その会合を報じたINTERNET Watchの記事中、

     なお、本日の会合では、第30条の適用範囲から除外について検討してきた「違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画」の利用形態の説明として、「視聴のみを目的とするストリーミング配信サービス(例 投稿動画視聴サービス)については、一般にダウンロードを伴わないので検討の対象外である」という脚注を追記することが事務局から提案された。

     この脚注を加えた理由について文化庁著作権課の川瀬真氏は、一部の新聞や雑誌で「YouTube」などの動画共有サイトを視聴することも第30条の適用から除外されるという記事があったためと説明。この点については「誤解である」と述べ、視聴のみを目的とするストリーミング配信は一般にダウンロードを伴わないため、動画共有サイトを視聴するだけでは違法行為にはならないとする見解を示した。

     なお、YouTubeなどの動画共有サイトを視聴する際には、動画ファイルのキャッシュがPC内のHDDに一時的に保存される。この点について IT・ジャーナリストの津田大介氏は、「違法ダウンロードが法制化された場合は、キャッシュとして保存することも複製と見なされ、違法行為になってしまうのか」と疑問を示した。

     この質問に対して川瀬氏は、「それが複製にあたるかどうかの知識はない」と前置きした上で、2006年1月に提出された文化審議会著作権分科会報告書の内容を紹介。それによれば、文化審議会著作権分科会に設けられた「法制小委員会」において、仮に現行の著作権法でキャッシュが「複製」と解釈されても、権利制限を加えるべきではないとする見解が示され、法改正事項として挙げられていると答えた。

    INTERNET Watch「「法改正後はYouTube見るだけで違法」は誤解、文化庁が見解示す」

    における川瀬真文化庁長官官房著作権課著作物流通推進室長の発言が、はてなブックマークでのコメントが問題視されています。曰く、

    • ストリーミングにおいてダウンロードを伴わないというのはストリーミングのことがわかっていない(ここで具体名が出ているYouTubeについていえば、FLVファイルがtempファイルとして一時的に保存されるのだから、データを取得してローカルに保存すること=ダウンロードそのものである)し、
    • 「それが複製にあたるかどうかの知識はない」と公言する、

    ような者がこの問題を担当するのはおかしい、と。

    しかし、言及されている文化審議会著作権分科会報告書を読めば、川瀬室長が頓珍漢なことを言っているわけではなさそうでもあります。以下、関連部分を抜粋します。

     デジタル化,ネットワーク化の進展に伴い,コンピュータの機器内部における蓄積,ネットワーク上の中継サーバなどにおける蓄積など,機器の使用・利用に伴う,瞬間的かつ過渡的なものを含め,プログラムの著作物及びその他の著作物に関する電子データを一時的に固定する利用形態が広く用いられている。

    (略)

     著作権審議会においては,これまでも著作権法上の複製権の対象となる「複製」の範囲について検討が行われており,例えば,昭和48年6月の同審議会第2小委員会(コンピューター関係)報告書では,「(コンピュータの)内部記憶装置における著作物の貯蔵は,瞬間的かつ過渡的で直ちに消え去るものであるため,著作物を内部記憶装置へたくわえる行為を著作物の『複製』に該当すると解することはできない。」としていた。

     これらを受けて,一般的には,RAMへの蓄積(電源を切れば消去される蓄積)などのいわゆる「一時的蓄積」は,著作権法上の複製権の対象となる「複製」ではないと解されてきた。

    (略)

     著作権法においては,「複製」は「有形的に再製すること」と定義されており,規定の文言上は,有形的な再製であるが「一時的」なものであれば複製には該当しないとはされていない。そのため,いわゆる「一時的蓄積」であっても,複製に該当すると解することができないではない。

     しかしながら,いわゆる「一時的蓄積」を「複製」に当たるとする方向で解する場合には,機器内部や通信過程の技術的プロセスにおいて不可欠なものなどについては,機器の使用や円滑な通信に支障が生じるおそれもあることから,権利を及ぼすことが適当ではないため,立法的措置の必要性について検討すべきである。

    (略)

     現時点において,いわゆる「一時的蓄積」の様々な類型について,そのすべてを「複製」に当たると解すべきとする具体的な要請は見当たらないが,国際的な動向を考慮すれば,「複製」に当たると解する方向もあり得る。その場合に,どのような立法的措置が必要であるかを検討しておく必要がある。

    (略)

     一時的固定(複製)のうち権利を及ぼすことが適当ではないと考えられる行為として,次の1〜3の要件を全て充たすものがあると考えられ,仮に立法的措置を行う場合には,これらを要件とすることが考えられる。

    1. 著作物の使用又は利用に係る技術的過程において生じる
    2. 付随的又は不可避的(著作物の本来の使用・利用に伴うもので,行為主体の意思に基づかない)
    3. 合理的な時間の範囲内

    (略)

     しかし,技術の進展に伴い,様々な形態の一時的固定が出現しており,また今後も出現することが予想されるため,上記1〜3の要件では,権利を及ぼすべきではない場合のすべてを対象とすることは困難であると思われる。例えば,通信の効率性を高めるために行われるミラーサーバにおける蓄積や,災害時等のサーバの故障に備えたWebサイトのバックアップサービスなどは「不可避的又は付随的」とは言い難いため,上記の要件からは外れてしまうが,通信の効率性や安全性の点から,権利を及ぼすべきではないとする社会的な要請が強いと考えられる。このため,権利制限規定を新たに設ける場合においても,明示的に権利が制限されていない一時的固定がすべて複製権の対象であるとする反対解釈は,避けるべきである。更に,必要な場面を想定し,個別に別途の権利制限規定を設けるなど,必要な措置を追加して検討する必要があると考えられる(デジタル機器の保守・修理時における一時的固定については,後述参照)。

    (略)

     したがって,これらの課題については,今後の技術動向を見極める必要もあることから,現時点では緊急に立法的措置を行うべきとの結論には至らなかった。しかし,法的予測可能性を高め,萎縮的効果を防止することにより,権利者や利用者が安心して著作物を流通・利用できる法制度を構築する観点から,今後も立法措置の必要性について慎重な検討を行い,平成19年を目途に結論を得るべきものとした。

    文化審議会著作権分科会報告書(案)/第1章 法制問題小委員会/第3節 デジタル対応ワーキングチーム(webmaster注:1〜3の箇条書きは、原文では丸付き数字です)

    長くなりましたのでwebmasterなりに要約すれば、

    • これまで「一時的蓄積」は著作権法上の「複製」ではないと解されてきた。
    • しかし、法律の文言上は「複製」と解する余地はあり、他国が「複製」に相当するものとして扱う可能性もあることから、今後においても「複製」でないとの解釈が継続しない可能性はある。
    • 解釈を変更する場合においても、他の「複製」と同様に取り扱うと情報通信に支障が生じる恐れがあるので、そうした事情を勘案した特別な「複製」にする必要があり、かつ、「複製」と解される「一時的蓄積」の範囲については、むやみに広くならぬよう慎重な検討が必要である。
    • この問題については、技術動向(それこそ、発信側は「ストリーミング」のみを想定していても、受信側で「ダウンロード」が可能な手段の普及も含まれるでしょう)も見極めながら、平成19年を目途に結論を得る予定。

    ということとなります。川瀬室長の発言について、以上を踏まえて補足してみると(括弧書きがwebmasterによる補足部分)、

    • 視聴のみを目的とするストリーミング配信は一般に(著作権法上の「複製」に該当する)ダウンロードを伴わ(ず、あくまで「一時的蓄積」しか行わ)ないため、(著作権法上の「複製」に関する規定である同法第30条を見直しても「一時的蓄積」にはそもそも同条の効力が及ばないことから、「一時的蓄積」のみを行う)動画共有サイトを視聴するだけでは(同条に係る)違法行為(である「複製」)にはならない。
    • それが複製にあたるかどうかの知識は(、一般論として「一時的蓄積」は「複製」ではなく、したがって一般論としては「複製」にあたらないというのが現在の解釈であるが、個別の事情によっては「複製」と解される可能性がゼロではないので、絶対に「複製」にあたらないとはいえないし、いずれにしても津田さんが質問するようなことはまさに今後デジタル対応ワーキングチームで検討が進められる事柄であるので、それを差し置いて現段階で言えることは)ない。

    ということになるのではないでしょうか。

    #前者については、もし報道とおり川瀬室長が発言したならば、注記のとおり「検討の対象外」としておけばより誤解される可能性は少なかっただろうとは思います。あくまでここでの検討対象は「複製」であり、そもそも「複製」ではない「一時的蓄積」は、検討の対象ではないのですから。ただ、ITmediaの報道によると、あくまで川瀬室長は注記に沿って、「小委員会の議論の対象はあくまでダウンロードサービスと説明」したようですが。

    仮にwebmasterの補足を妥当とお認めいただいたとしても、著作権法の用語が技術的なそれと乖離していることが問題であり、そんなものを「ストリーミング」「ダウンロード」「複製」と呼ぶな、というご意見もあるでしょう。しかし、少なくとも「複製」については、引用の報告のとおり30年以上前からこのような事態を包含し得る議論をしていたわけで、法律の用語法が後追い・場当たり・泥縄というのは一方的ではないでしょうか。また、「ストリーミング」「ダウンロード」についても、たとえば当のYouTubeは川瀬室長と同様の使い方をしているわけで、一般的に許容されざるほどの乖離かどうか、webmasterには疑問も残ります。

    #もう少し対外的な説明の仕方に気をつけた方がいいのは間違いありませんが。

    ちなみに、デジタル対応ワーキングチームで「一時的蓄積」についての議論を深めていくことは、今年の3月19日の段階で既に同分科会法制問題小委員会において明らかにされていて、サーチエンジンについての検討に次いで俎上に載せられるようです。同ワーキングチームでのサーチエンジンについての検討は中間報告の案文を詰めるところまできているので、この問題にご関心の向きは、これからの同ワーキングチームの動向に要注目でしょう。

    なお、本件については、小倉弁護士が、

     現在著作権法の専門家の中で、ハードディスクへのキャッシュを、「一時的蓄積」に過ぎず著作権法上の「複製」にはあたらないとするものは決して多くはなく、むしろ、世渡りのうまい人たちはRAMへの一時的記憶すら著作権法上の「複製」に含めるべきであるとの強く主張しています。従って、違法にアップロードされた著作物を受信して複製する行為について著作権法30条1項から除外した場合には、YouTubeの画像を視聴したに過ぎない人々も、ハードディスクにキャッシュを保存したことにより、あるいは、RAMにデータを一時的に記憶させたことにより、複製権侵害に当たるとされる虞が十分にあります。

     文化庁の川瀬氏は「それが複製にあたるかどうかの知識はない」としていますが、文化庁の著作権課の官僚さんが一時的蓄積に関する学説の状況を知らないとはにわかに信じがたいです。その上で、「仮に現行の著作権法でキャッシュが「複製」と解釈されても、権利制限を加えるべきではない」としているのは、裁判所が少なくともディスク上へのキャッシュについては裁判所がこれを著作権法上の「複製」とする可能性がそれなりに高く、その場合にはYouTubeでの動画視聴が違法とされることになることを十分に知りつつも、その場合には、これを適法なものとするような法改正は行わず、日本ではYouTubeの視聴自体をずっと違法なものということにしておきますよという趣旨ではないかと思います。

    「文科省とダウンロード規制と思想統制」(@benli9/27付)

    とおっしゃっているのは、以上に照らせば文化庁へのフェアな評価とは言いがたいのではないでしょうか。先に引用した著作権分科会報告において、先の引用では略した部分に、次のような記載があります。

     権利を及ぼすべきではない範囲に関して,立法により法文上明確化する方法としては,(a)著作権法上の「複製」の定義から除外する,(b)著作権法上の「複製」であるとした上で権利制限規定を新たに設ける,という2つの方向性が考えられる。また,法文上明確にしない場合には,(c)「黙示の許諾」,「権利の濫用」等の解釈による司法判断に委ねる,という方向性も考えられる。このうち,(a)及び(b)の方向性を採る場合には,著作物の使用(視聴,受信,プログラムの実行等),又は利用(通信等)に伴い,「付随的」又は「不可避的」に生じる「一時的」固定(複製)であるものといった限定的な要件を付した上で,権利の対象から除外する必要がある。

     なお,権利制限という方向性を採る場合の許容性について検証すると,権利者は一時的固定の前段階である媒体への固定やアップロード等の行為に対して権利を行使する機会があり,その時点で,その後の著作物の視聴等を予測することができるのであるから,限定的な要件を付した上で,一時的固定に関する権利制限を行ったとしても,販売機会を失うなど,権利者に現実的な経済的不利益を与えることは想定されず,権利制限の許容性を有していると考えられる。

    文化審議会著作権分科会報告書(案)/第1章 法制問題小委員会/第3節 デジタル対応ワーキングチーム

    つまりは立法措置により著作権者の複製権行使の対象外としたり、そのあり方を通常の行使よりも制限的にすることを選択肢として明示しています。既述のデジタル対応ワーキングチームでの今後の検討の結果、上記の(c)が選ばれた後であればともかく、現時点で「これを適法なものとするような法改正は行わず、日本ではYouTubeの視聴自体をずっと違法なものということにしておきますよという趣旨」との批判を甘受すべき状態に、文化庁はないのです。

    09/29/2007 (6:18 pm)

    「真の失業率」推計最新版(2007-08現在)

    Filed under: economy ::
    年月   完全     真の    高齢化等 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後  業者数 業者数 補正後
    
    1990  2.1%     3.2%          134  204
    
    1991  2.1%     2.4%          136  155
    1992  2.2%     2.2%          142  142
    1993  2.5%     2.8%          166  183
    1994  2.9%     3.4%          192  228
    1995  3.2%     4.0%          210  266
    
    1996  3.4%     4.1%          225  276
    1997  3.4%     3.8%          230  262
    1998  4.1%     5.1%          279  348
    1999  4.7%     6.3%          317  435
    2000  4.7%     7.0%          320  485
    
    2001  5.0%     7.9%          340  551
    2002  5.4%     9.4%          359  660
    2003  5.3%    10.0%          350  700
    2004  4.7%    10.0%          313  705
    2005  4.4%     9.8%          294  688
    
    2006  4.1%     9.5%    6.7%    275  671  458
    
    2006/Q2 4.2%(▲0.3) 9.0%(▲0.1) 6.6%    280  631  454
    2006/Q3 4.1%(▲0.2) 8.9%( 0.0) 6.5%    273  627  448
    2006/Q4 3.9%(▲0.4) 9.3%(▲0.5) 6.4%    261  659  440
    2007/Q1 4.1%(▲0.3) 10.7%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 272  752  449
    2007/Q2 3.8%(▲0.5) 8.3%(▲0.7) 5.8%(▲0.8) 280  588  400
    
    年月   完全     真の    高齢化等 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後  業者数 業者数 補正後
    
    2006/9 4.2%( 0.0) 8.8%(+0.1) 6.5%    280  624  446
    2006/10 4.2%(▲0.3) 8.8%(▲0.3) 6.3%    281  622  434
    2006/11 3.9%(▲0.5) 9.2%(▲0.8) 6.4%    292  652  439
    2006/12 3.7%(▲0.3) 9.9%(▲0.5) 6.6%    244  701  448
    2007/1 4.0%(▲0.5) 11.1%( 0.0) 6.9%(▲0.5) 264  784  464
    2007/2 4.1%(▲0.1) 10.8%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 270  760  447
    2007/3 4.2%(▲0.2) 10.1%(▲0.5) 6.4%(▲0.6) 281  712  437
    2007/4 4.0%(▲0.3) 8.8%(▲0.8) 6.0%(▲0.8) 268  619  414
    2007/5 3.8%(▲0.3) 8.0%(▲0.5) 5.8%(▲0.7) 258  567  402
    2007/6 3.6%(▲0.5) 8.2%(▲0.6) 5.6%(▲0.9) 241  576  383
    2007/7 3.5%(▲0.5) 8.6%(▲0.4) 5.7%(▲0.8) 288  610  387
    2007/8 3.7%(▲0.4) 8.9%( 0.0) 5.7%(▲0.7) 249  623  393
    
    2006/8 4.1%     8.9%    6.4%    272  625  443
    2005/8 4.2%     9.1%    6.9%    284  639  472
    2004/8 4.7%     9.0%    7.1%    314  635  487
    2003/8 5.0%     9.4%    7.4%    333  659  505
    2002/8 5.4%     8.9%          361  624
    2001/8 5.0%     7.5%          336  526
    2000/8 4.6%     6.6%          310  455
    
    (直近月次ボトム)
        5.8%    11.6%     --    385  818   --
       (03/3,4)  (04/2,05/2)        (03/4) (05/2)

    (注)

    • 単位は、失業率関連を除き万人。失業率関連は%(対前年同期(括弧書き)はポイント)。
    • ソースは総務省統計局の「労働力調査」。
    • 月次データは原数値を用いている(季節未調整)。
    • 「真の」値は労働力人口比率が0.64(直近ピーク(1992年))であると仮定した場合の値。
    • 「高齢化等補正」についてはhttp://bewaad.sakura.ne.jp/20060729.html#p02を参照のこと。

    #過去の計数は以下のとおりです。

    2005
    03040506070809101112
    2006
    010203040506070809101112
    2007
    01020304050607

    09/28/2007 (7:19 am)

    ルビと発音記号

    Filed under: media, misc ::

     ブッシュ米大統領が25日行った国連総会演説の草稿に、“発音記号”が添えられていたことが発覚した。国連が誤ってウェブサイトに草稿を一時掲載してしまったことで判明。同大統領は、難しい発音や語句が苦手とされ、度重なる言い間違えは“ブッシズム”との造語まで生んだ。最近では出席した「APEC(アジア太平洋協力会議)」を「OPEC(石油輸出機構)」とやり、全世界から失笑を買ったばかりだった。

     草稿は、発音しづらい固有名詞に、アルファベットで発音を表記。キルギス、モーリタニア、カラカス(ベネズエラの首都)、といった国名や地名のほか、8月に米国で会談したばかりの「サルコジ(フランス大統領)」にまで「sar-KO-zee」と、“発音記号”が付されていた。

    デイリースポーツ「米大統領の“カンニング”バレた」

    ルビをふるなんてことは日本の国会の大臣答b(ry

    まあしかし、英語流の発音でない他言語であれば、仕方がないんじゃないでしょうか。ヤンキースの松井選手も、渡米当初は”hideki”を「ハイデキ」と発音されたこともあるようですが、イングリッシュ・ネイティヴからすれば、「ヒデキ」と発音して欲しければ”hideki”なんてスペルにするなとも思うのでしょうし。

    他方で気になったのは、引用部分で言えば”sar-KO-zee”を発音記号とすることの是非で、英語教育において発音記号といえば辞書に載っているアレが普通だと思うのですが、まさか記者が義務教育も受けていないなんてことはないはずなのに、と。デイリーの記事ならばそうした通例の発音記号ではないとわかりますが、共同の配信では、

    大統領、くれぐれも正しい発音を−。難しい発音が苦手とされるブッシュ米大統領が25日行った国連総会演説の草稿に、“発音記号”が添えられていたことが発覚した。国連が誤ってウェブサイトに草稿を一時掲載してしまったことで判明、ホワイトハウスはおかんむりだ。

     発音しづらい固有名詞に、アルファベットでさらに発音を表記していた。

     草稿にはキルギス、モーリタニア、カラカス(ベネズエラの首都)、ハラレ(ジンバブエの首都)といった国名や地名のほか「ムガベ(ジンバブエ大統領)」、8月に米国で会談したばかりの「サルコジ(フランス大統領)」にまで“発音記号”が付されていた。

    東京(共同)「正しく読んで大統領! 演説草稿に“発音記号”」

    となっており、「アルファベットでさらに発音を表記」で推測できないわけではないですが、不適切な表記ではないでしょうか。現にwebmasterは、通例の発音記号が併記されていたのだと思い、ブッシュ大統領がそれをすらすら読めるとは意外だなぁと、一時的に誤って見直しもしてしまいましたし。

    09/27/2007 (6:02 am)

    リフレ政策普及に向けたarnさんの労作

    Filed under: economy, WWW ::

    バナー

    ポスター?

    なお、バナーについては標語を募集中とのことですので、コピーのセンスに自信のある方は、ぜひarnさんのエントリにコメントを寄せてください。ご協力、お願いいたします。

    #webmasterとしては、「リフレーションやらないか/ウホッ! いい政策」というのがいいのではないかと(嘘です)。

    09/26/2007 (11:59 pm)

    稽古中の死亡であれば業務上過失致死でしょうけれども・・・

    Filed under: law, sports ::

     新潟市出身で大相撲の序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17)=しこ名・時太山(ときたいざん)=が名古屋場所前の6月、愛知県犬山市でけいこ中に急死した問題で、師匠の時津風親方(57)=本名山本順一、元小結双津竜=が同県警の任意の調べに対し、斉藤さんへの暴行を認めていることが25日、わかった。兄弟子数人も「集団で暴行した」と供述しているという。県警は現在、死の直接的な原因を特定するため遺体の組織検査中で、結果を待って、同親方を傷害、兄弟子らを傷害致死の各容疑で立件する方針だ。

    (略)

     時津風部屋の県警への説明によると、斉藤さんは6月26日午前11時40分ごろ、犬山市犬山の寺院敷地内にある同部屋のけいこ場で、兄弟子とのぶつかりげいこ中に倒れた。搬送先の病院で午後2時10分に虚血性心疾患による死亡が確認された。

     県警は、親方や同部屋の力士ら関係者から、任意で事情を聴取。死亡前日の25日午前、斉藤さんは部屋を逃げ出そうとして兄弟子らに連れ戻された。こうした斉藤さんの態度に腹を立てた親方が、力士らとの夕食の席上、ビール瓶で斉藤さんの額を殴り、切り傷を負わせていたことがわかった。その後、けいこ場の裏手で兄弟子数人が斉藤さんを取り囲み、数十分にわたって殴るけるの暴行を加えたことも、親方らは認めているという。

    朝日「時津風親方を立件へ 力士急死巡り傷害容疑 愛知県警」

    大相撲の序ノ口力士、時太山(17=時津風、本名斉藤俊さん)が6月26日のけいこ中に死亡したことに関し愛知県警は、刑事事件として立件する方針を固めたことが25日、分かった。既に日本相撲関係者もこの状況を把握。協会関係者によると、容疑は業務上過失致死になる方向という。

    日刊スポーツ「17歳力士死亡、刑事事件として立件」

    人を殺してしまった、という場合でも、刑事法上の類型としては多々あります。代表的なものを挙げれば(すべて刑法の規定)、

    殺人罪

    第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

    人を殺そうと思って殺した場合は、殺人罪となります。
    傷害致死罪

    第205条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。

    人を傷つけようとしたけれど殺そうとは思っていなかった場合に、その人が結果として死んでしまったときは、傷害致死罪となります。
    業務上過失致死罪

    第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。(略)

    高度な注意が求められる場合にその注意を払わなかった結果人が死んでしまった場合は、業務上過失致死罪となります。
    過失致死罪

    第210条 過失により人を死亡させた者は、50万円以下の罰金に処する。

    注意を払わずに軽率な行為をした結果人が死んでしまった場合は、過失致死罪となります。

    といったものとなります。具体的にどのような行為がそれぞれに当てはまるかは判例を見ていく必要がありますが、ラグビー部においてたるんでいるなどといって十分な休みも取らせずに厳しい練習を強いた結果熱中症で死亡した場合には、指導者としての注意義務違反ということで業務上過失致死罪が適用されています。判例変更がないという前提ですが、本件においてぶつかり稽古に半ば制裁的な意味合いが込められていたとしても、その危険性に気づかなかった点において過失ありということで、同様に業務上過失致死罪が適用ということとなるでしょう。

    しかし、報道においては、傷害・傷害致死罪での立件と、業務上過失致死罪での立件とで分かれています。前者であれば制裁行為と死亡との間に因果関係を認定し、後者であれば(制裁行為によって体が弱っていたことが遠因になったと認めたとしても)あくまで稽古を強行したことと死亡との間に因果関係を認定することとなりますが、webmasterの管見では、死亡前日の暴行が傷害罪に当たるとして、その際の負傷により疲弊していた結果稽古に耐えられなかったのだとしても、疲弊していたにもかかわらず無理に稽古させ(て死亡に至らしめ)たこと自体は業務上過失致死罪に該当するように見えます。いずれにしても、あくまで立件(=検察官送致、いわゆる送検)の見込みであって、当該罪状による起訴でもなければ、もちろん判決でもないわけではあるのですが。

    とりあえずwebmasterの解釈が正しいとすれば、相撲協会としては、有罪となるのであれば傷害致死罪であってほしいことでしょう。というのも、

     稽古(けいこ)か、暴行か――。大相撲時津風部屋で、序ノ口力士だった斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山=が今年6月、稽古中に急死したことを巡り、愛知県警が刑事事件として立件する方針を固めたことで、横綱朝青龍関の出場停止問題で揺れる角界に衝撃が広がった。

     斉藤さんの頭を親方がビール瓶で殴ったことや、兄弟子たちが数十分にわたり暴力を振るっていたことなどが、これまでの同県警の調べで明らかになっており、識者からは「荒稽古と暴力は全く違う」と厳しい声が上がった。

    (略)

     相撲部屋の稽古とは何か、稽古の厳しさは、どこまで許されるのか。どこからが「行きすぎた稽古」になるのかは師匠の判断に委ねられ、その線引きをするのは簡単ではないという。

     日本相撲協会に記録が残っている力士の死亡例は、入院先での死亡を除けば斉藤さんの事例を含めて平成以降で8件ある。それ以前はあいまいといい、具体的な記録は残っていない。だが、平成以降の7件については、警察が介入して事件として立件されたことはなかった。

    読売「また大揺れの角界、識者は「荒稽古と暴力は全く違う」」

    というように、名もなき識者の「荒稽古と暴力は全く違う」ということとなれば、あくまで今回の死亡は時津風部屋において「暴力」がふるわれたことが問題だということで、死んだかどうかははっきりいえば二の次ということとなります。従来はそのような取り扱いがなされてきたからこそ、平成に入ってからの8件の死亡事故(が具体的に何かこれだけではわからないので、それらが稽古中のものだとすれば)は刑事上は不問とされてきたのでしょう。

    しかし、業務上過失致死罪となれば、稽古であっても注意義務違反で罪が問われるわけですから、あれは時津風部屋がおかしいのであって、我々はあのような制裁行為はしておりません、あくまでまっとうな稽古をつけているだけです、という差異化が不可能となります。8件のうち時効が成立していないものについても捜査が行われてもおかしくないこととなりますし、今後も死亡事故があれば制裁行為の有無に関係なく捜査対象となる可能性が出てきます。

    いくらコンタクトスポーツには危険がつきもの(だからこそ、その手のスポーツの試合において相手を死亡させてしまった選手がいても、故意に殺したのでなければ、正当業務行為として違法性が阻却されます)であるとはいえ、20年足らずで8件とは、他のコンタクトスポーツと比べても事故数は多いでしょうから、やはり問題は暴行の有無ではなく、稽古のあり方そのものに存在するのではないかとの疑いはゆえなきものではないでしょう。相撲界の体質改善のためには、本件において容疑者が有罪であった場合には、その罪は業務上過失致死罪であった方がよいのではないでしょうか。既述のとおり、判例に照らしても十分成立するでしょうし。

    09/25/2007 (11:27 pm)

    昨日のエントリの公開を一時停止します(予告)

    Filed under: notice ::

    昨日のエントリで、econ-economeさんのエントリの扱いに不行き届きがあり、不愉快な思いをさせてしまいましたので、問題箇所に手を入れた上で、再度公開したいと考えています。ただ、そうしたことをいきなりしたりすると、それはそれであれこれと物議を醸すのもまたネットという世界かと存じますので、明日未明にそうするということで、現時点ではその予告とさせていただきます。停止しました。(9/26追記)

    econ-economeさん、本当にごめんなさい。

    09/24/2007 (8:43 am)

    野口旭(編)「経済政策形成の研究」

    Filed under: economy, policymaking, book ::

    #本エントリには不適切な表現が含まれていたため、現在公開を停止しております。後日、書き直したものを再公開する予定です(コメントの閲覧・書き込みは可能です)。

    09/23/2007 (2:29 am)

    エントリURIを変更しました。

    Filed under: notice, WordPress ::

    以下の4エントリにつき、その前にこちらのミスでエントリ番号に空きができてしまっていたので、1つずつ繰り上げました(以下のリンクはすべて変更後のURIになっています)。

    「世界歴史地図」にいただいていた一国民さんのコメントはwebmasterが移転させていただきましたが、ご迷惑をおかけいたしました。

    #上記の諸エントリにおいてはコメントをいただくことが少なかったわけですが、災いが転じて福となったなぁ・・・。

    09/22/2007 (11:59 pm)

    「農家切り捨て論のウソ」のウソ

    Filed under: economy ::

    切込隊長さんがご紹介されていた、神門善久先生の農家切り捨て論のウソですが、その中には農家・農政に対する客観的に妥当な評価とは言い難い記述が散見されます。webmasterはかつて神門先生の農業に関する書籍を好意的に紹介したこともありますし、兼業農家の多い産業構造、農地転用期待からくる農地配分の歪みといった問題意識の基本的枠組みには同意しています。しかしながら、そうした問題について世の注意を喚起するためとはいえ、レッテル貼りが許されていいものではないでしょう。

    #「転用期待からくる農地配分の歪み」については、かつて詳細に論じましたので、ご関心の向きはご高覧ください。

     マスコミは「零細農家イコール弱者」のような形で描きたがりますが、現実には彼らほど恵まれた人たちはいない。農地の固定資産税が軽減されているうえに、相続税もほとんどかかりません。たとえ“耕作放棄”をしていてもですよ。
     そのうえ、農地を売却すれば大金を手にできる。「田んぼ1枚売って何千万円も儲けた」なんていう話はザラにある。しかも、そうした農地の多くは敗戦後の米国主導の“農地解放”を通じて国からもらったようなものです。濡れ手で粟なんですよ。

     最近、「仕事がなくて生活に行き詰まり、一家心中した」という悲惨なニュースを耳にしますが、あれは都市部の話です。「農業に行き詰まり、生活苦のために零細農家が一家心中した」などという話は聞いたことがありません。零細農家には切迫感がないのです。

    農家切り捨て論のウソ(1/3)

    耕作放棄地については相続税の農地特例は適用されません。また、ぐぐってみれば農家の心中は見つかります。ついでに申し上げるなら、零細兼業農家はまともなコスト計算をしていないからこそ農業を継続しているのであって、そろばん勘定だけで考えれば農業をしていない方が豊かになります。

    《余談1》兼業農家の実態(学生のレポートから)

    第2種兼業農家がどのような農業を行っているか?

    要点:主要農機具で700万円 … 一般には1000万円といわれている(田植機・トラクター・コンバイン)
    50アールが稲作減価償却:10年使用、廃棄価ゼロ
    年々70万円、10アールあたり14万円
    一方、稲作販売代金は、1俵2万円、10アールあたり7俵として14万円

    経済的には、まったく成り立っていない。趣味として農業を行っているといえるかも知れない。

    京都大学柏研究室資料

    現時点では1俵1万円台前半ですから、このような50アール規模では減価償却を考えただけでも赤字経営になっているわけで、その他の肥料や農薬代もあるのですからなおさらです。加えて、当人の労賃相当の機会費用を考えれば・・・。

     農家が望んでいるのは、小沢さんの所得補償政策のようなチッポケなお金ではありません。彼らが本当に求めているのは公共事業なんです。公共事業で道路などを作ってもらえれば、自分たちの田んぼや畑が高く売れるでしょう。

    農家切り捨て論のウソ(1/3)

     実際、こんなことがありました。ある地方に行った時のことです。農地以外の土地利用を法令で厳しく制限している地域の一部が宅地になっていたので、その農家に「何でこんなところを宅地にするのか」と尋ねてみました。そしたら、何と彼は「ここは基盤整備が入ったので、もう転用しても構わないんだ」と胸を張ってうれしそうに答えたんです。唖然としました。

     基盤整備というのは、一言で言えば、農業の生産効率を上げるために農地を整備する公共事業のことです。農家にとっては、農地をきれいな状態にした方が宅地として高く売れるので、非常にありがたい事業なんです。

     基盤整備は本来、農業を良くするための公共事業です。ところが現実には、この例に限らず、事業の趣旨を履き違えている農家が多いのです。そもそも、公費で私有地を整備してもらった揚げ句、それを売って個人が儲けるというのは普通許されないでしょう。ところが、農業の世界ではそれが堂々とまかり通っているのです。これはほんの一例ですが、農家が公共事業を求める理由が分かるでしょう。

    農家切り捨て論のウソ(2/3)

    そういう事例が存在することは事実だとしても、公共事業の方が所得補償よりも全体として望ましいとは限りません。実際に転用によってどの程度のお金が農家にわたっているかを試算してみます。

    平成8年から平成17年までの9年間で、耕地面積は499.4万ヘクタールから469.2万ヘクタールに減少しています。そのうち半分が転用によるもの(実際にはそこまで多くはない(少なくとも耕作放棄の方が多い)はずですが、きちんとした裏が取れないので安全を見ておきます)だとして、約15万ヘクタールが転用されたことになります。他方で農地価格を見ると、純農業地域の全国平均を同期間単純平均でみれば、1ヘクタール当たり1,741万円です(都市的農業地域は、基本的に公共事業の対象外なので、神門先生の文脈に合わせて純農業地域の計数を用いています)。

    以上から、9年間での転用農地売却額は2.6兆円程度と推計されますが、これは毎年1兆円ずつとされる民主党案には遠く及びません。当然ではありますが、神門先生のご主張が全国のほとんどに打倒すると仮定しても、それは公共事業とともに転用が多く行われていることを示すものではあっても、公共事業なくして転用が行い得ないものを示すものではありません。それがどの程度かを考える材料はwebmasterには見つけられませんでしたが、公共事業とは無関係な転用があればその分だけ、公共事業が転用をもたらす効果の総額は割り引かれて考えるべきということになります。

    農林水産省の転用に関する資料によると、平成7年から17年までの10年間の転用面積は24.3万ヘクタールとなります。このうち、公共事業対象となる農用地区域内において、農用地から除外して行われる(≒他用途に供される)転用は、グラフ表示なので目の子ですが、当該期間においては1/5を超えることはないようです。したがってその2割、4.86万ヘクタールが公共事業に起因して行われた転用の最大値と考えられます(以上、前掲農林水産省資料p21(pdfファイルに記載のもの。pdfファイルとしてはp23(以下、記載のものを用い、pdfファイルとしてのページ数は略します)。なお、p24に、農用地除外の転用は平成17年で15%との記載があります)。

    他方で転用価格ですが、住宅地へのものが前掲資料p22(pdfファイルに記載のもの。pdfファイルとしてはp24)に記載されています。農用地除外の転用分のみの平均値がないため、農用地を含み得る市街化調整区域・都市計画区域外の平成7・12・17年の価格をそれぞれ単純平均し、農用地の農地全体に占める市街化調整区域内のそれの比率約20%(平成11年3月)で加重平均したものを全体の転用価格とみなしますと、1ヘクタール当たり1.87億円となります。先の転用面積にこれを乗じれば、10年間で9.08兆円の転用農地売却額となりますが、毎年1兆円ずつとされる民主党案をわずかながらも下回っています。以下は定性的な話となりますが、農用地除外のすべてが公共事業に伴って行われるというのも非現実的な前提であり、実際にはもっと小さくなるのではないかとはwebmasterの管見です。

    #以上、農政野郎さんからご教示いただいたデータを元に改稿いたしました。(9/25追記)

    先ほどの点にも通じますが、一部の問題あるサンプルを取り出して、あたかもそれが全体に通じる議論であるかのように見せかけるのは、誠実な態度とはいえません。なお、まがりなりにも農業公共事業は費用対効果分析で効果が費用を上回ることが条件になっているのですから、仮に当事者である農業者の賛成理由が転用期待であったとしても、事業自体はやった方がやらないよりはよかったという枠組みになっています(そのリソースを他に割り当てた方がよかった、という可能性は残るにせよ)。

     ウルグアイ・ラウンドの大詰めの94年に、国は「国際化のための農業構造改善策」と称して最終合意関連の国内対策費として6兆100億円もの特別農業予算を組みました。ところが、その大半が公共事業や農業共同施設整備に使われてしまった。当時は「田んぼの真ん中に公衆便所まで作った」といった笑い話まで広まっていたぐらいです。現状を見れば明らかなように、何ら農業の構造改善や競争力強化にはつながっていない。

     だから、戸別所得補償したり公共事業を拡大したりしても、同じ無駄を繰り返すだけです。抜本的な農業の強化にはつながらない。おねだり農民をまた甘やかすだけで、結局は税金の無駄遣いに終わってしまうのがオチです。

    農家切り捨て論のウソ(3/3)

    そもそも論として、仮にウルグァイラウンド対策のすべてがムダな事業であったとしても、それによりウルグァイラウンド合意が得られ貿易の自由化等が進展しそれ以上の利益が国民経済的に得られたのならば、そうした対策は国民経済的には得であったということがあります。ムダな事業をケチって合意が得られなければ、かえって損をしてしまうということです。

    補償原理のいう「補償」とはあくまで仮設的なものでよく、実際に補償を行う必要はない。しかし、この考え方は現実的にも適応可能である。例えば貿易の自由化を考えよう。競争状況が加速することによって消費者は利益を得る一方で生産者は損を被る。仮に政府が消費課税を導入し生産者に損害を補完してもなお利益が残るならば、貿易自由化という社会変化はカルドア基準によって是認されるということができる。

    補償原理 - Wikipedia

    では、すべてが(とは言わずともほとんどが)ムダな事業であったのか、農林水産省は平成12年7月にウルグァイ・ラウンド農業合意関連対策の中間評価を公表しています。その詳細を神門先生がきちんと検証していらっしゃるのかどうか、少なくとも笑い話が広まっていたからムダだったにちがいない、といった程度の議論では杜撰のそしりを免れないでしょう。

    webmasterは違った観点から、そもそも「現状を見れば明らかなように、何ら農業の構造改善や競争力強化にはつながっていない」の部分の前提となる、生産性向上が見られないのかどうかをここで検証しておきたいと思います。平成17年度国民経済計算から、1996(平成8)年度以降の労働生産性の伸びを計算するための計数を抜き出せば次のとおりです。

    H8FY H17FY
    農林水産業部門GDP(名目) 15.6兆円 13.0兆円
    農林水産業部門GDP(実質) 14.4兆円 13.2兆円
    農林水産業就労者数 454万人 332万人
    一人当たり年間労働時間 1781時間 1704時間
    H8CY H17CY
    農林水産業部門GDP(名目) 9.71兆円 7.51兆円
    農林水産業部門GDP(実質) 8.63兆円 8.19兆円
    農林水産業就労者数 458万人 334万人
    一人当たり年間労働時間 1789時間 1700時間

    獏さんにご指摘いただいたのですが、最初のものはGDPではありませんでした(中間生産を引く前の生産額)。それを受け、(1)正しく農林水産業部門GDPを掲載し、(2)データの都合上年度を暦年としました。以下もこれに応じて訂正しました。(9/25追記)

    ここから農林水産業労働1時間当たりの生産性は、名目ベースでは1996年の1,9291,185円から2005年の2,2981.322円へ上昇していることがわかり、これを年率の成長率になおせば21.2%弱となります。実質ベースでは、1996年の1,7811,053円から2,3331,442円へと上昇し、年率換算で33.5%強となります。これらの成長率はどう評価すべきか、たとえば日本全体の労働生産性伸び率と比較すれば、

    まず、真ん中に「成長力強化への三重奏−生産性5割増計画−」と目標を書いた。生産性には幾つか測り方があるが、労働者1人が1時間に生み出す付加価値、労働生産性の伸びで測る。人口が減る中で、一人一人がより多くの付加価値を生み出せるようにしようという趣旨である。過去10年間の年平均伸び率が1.6%、これを2011年度までに2.4%にもっていく、つまり5割増。総理からは、生産性倍増のようなわかりやすい目標を、という指示があったが、倍増はちょっと難しいという感じがあり、5割増しとした。名称自体は、またこれから御相談させていただく。

    平成19年第4回経済財政諮問会議議事要旨

    と生産性加速プログラムが説明された際の諮問会議議事録にあり、おそらくこれは通例どおり実質ベースだとは思いますが、だとすれば農林水産業の労働生産性伸び率は日本全国平均の倍近くを超えるということとなります(名目ベースであってもすと平均を大きく回っています)。神門先生が何をもって「構造改善」「競争力強化」と想定されているかはわかりませんが、これだけの生産性改善がなされていてそれらが達成されていないとの評価を受けるとは、農業も難儀な商売ということになってしまうでしょう。

     先進的な農家はこんな問題にかかずらっていません。彼らには輸入農産物に勝てる自信がありますから。今、彼らが切実に求めていることは何だか分かりますか。実は“外国人就農問題”なんです。

     既に、政府の外国人研修制度を通じて中国などから多くの外国人が地方の農村部に入り込み、実質的な農業労働力の一翼を担っています。先進的な農家は、そうした外国人を“研修生”としてではなく、正規の労働力として認めてもらいたいと考えているのです。そうしなければ、いずれ日本の農業は立ち行かなくなるといった危機感がある。今の日本人は辛くて厳しい“本当の農業”の担い手にはなれないと、見切りをつけているからです。

    農家切り捨て論のウソ(3/3)

    議論の構造は、製造業と同じだといってよいでしょう。つまり、鮮度が重要な作物であるならばさておき、そうでないものについては、海外へ資本投下して産品を輸入することとどちらがいいのかを検証せずして、外国人労働者の増加を図るのは危険でしょう。まして、「辛くて厳しい“本当の農業”」なるものが、働き手に奴隷的苦役を求めているからこそそうだということであるなら、大いに問題視されるべきなのですし。

    09/21/2007 (6:40 am)

    「高根の花」でも問題ない?

    Filed under: media, history, misc ::

    ネットには掲載されていないのですが、基準地価に関する毎日新聞の記事の見出しにおいて、「職住近接 高根の花」というものがありました。もちろん本来は「高嶺の花」で、「嶺」が常用漢字でないがゆえの代用とされているものですが、意味が全く違うではないか、と違和感を持ちました。

    たかね 0 【高▼嶺/高根】
    高い峰。高い山のいただき。
    「富士の―」

    ――の花
    見えてはいるが手の届かないもの。とうてい自分のものにはできないもの。
    「所詮彼女は―」

    たかね 0 【高▼嶺/高根】 - goo 辞書

    高い山のいただきに見える花だからこそ意味を成すのであって、そもそも高い根って何? ということとなり、読みが同じならいいというものではないだろう、代用するなら「峰」ではないか、と思ったのです。

    各紙とも同じ代用をしています

    しかし、話はそうは単純ではありませんでした。「嶺」の「ね」とは何かを探ると、次のとおりです。

    みね 2 【峰/▼嶺】
    〔「み(御)」は接頭語〕
    (1)山のひときわ高くなった所。山のいただき。頂上。山頂。ね。
    「―から吹きおろす風」

    みね 2 【峰/▼嶺】 - goo 辞書

    ね 0 【▼嶺/▽峰】
    山の頂。みね。
    「―に立つ雲を見つつ偲はせ/万葉 3515」

    ね 0 【▼嶺/▽峰】 - goo 辞書

    つまりはもともと「ね」という大和言葉があり、それに接頭語「み」がついて「みね」となり、それに「峰(峯)」や「嶺」という漢字が当てられていることとなります。「みね」に「根」を当てるのは論外であるとしても、「ね」という大和言葉に「根」という漢字を当て、それが支那語としての「根」を超えて大和言葉の「ね」全体を表すものとして用いられていると考えられるならば、必ずしも誤用ではないと考えられるでしょう。

    では、そのような用法は存在したのでしょうか?

    島根県は、県成立時の県庁所在地であった郡名「島根郡(現在の松江市)」に由来する。

    「島根」は、『藤原宮木簡』に「嶋根郡」とあり、『和名抄』に「島根郡」の名が見られる。

    「島根」の地名は、島根半島の地形に由来し、「しまね(島嶺)」で島状の嶺となっていることからか、「しま」も「ね」も「高くなった所」の意味と考えられる。

    島根県 - 地名由来辞典

    比叡の山、比良の高根より、辛崎の松は霞をこめて、城あり、橋あり、釣たるる舟あり、笠取に通ふ木樵の声、ふもとの小田に早苗とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、美景物として足らずといふことなし。

    松尾芭蕉「幻住庵の記」

    帝、紫微の宮に坐し群仙を會して曰く東方は成果の鍾まるところ坤輿の中樞なりそれ太山を作りて永く萬邦の鎭となすべしと、一夜に大地を擘して此の不二の高根を成る、史あるの前幾千萬載斯の山既に秀でゝ靈あり、惟れ考靈帝の御宇、東海の氣漸く清明に始めて斯の山を中霄に見る、頂は分れて八峯を成しその雪を戴くが為めに宛も玉芙蓉の如し、爾來ニ千年、仰げばいや高く望めばいや尊し、歌仙も其の高きさまを歌ひ盡すこと能はず畫聖も其の尊き形を畫き盡すこと能はず、岳神は容易に秘奥の符を示さずして、唯だ人の獨詣して冥契を得るに任せ、三千年にして一人之を歌ふものあり五千年にして一人之を畫くものあるを俟つ

    遲塚麗水「登山記」

    いずれも当然ながら常用(当用)漢字制定前の用例ですから、冒頭の文脈でいう代用がなされた結果ではありません。もちろん表意文字である漢字を用いる以上意味の合致する「高嶺」を用いることが望ましいにせよ、「高根」もまた日本語における漢字表記としては、誤用であるとはいえないというのが実態ということになるのでしょう。

    09/21/2007 (6:37 am)

    世界歴史地図

    Filed under: history ::

    という面白いものを見つけました。世界史地図を見るのが好きだった人ならば、感激すること請け合いです。その発展版として作成中の、

    にも期待したいです。

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