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  • 09/07/2007 (11:59 pm)

    土屋賢二先生による経済学解説

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    昨日の日経・経済教室に掲載されたものですが、経済学への愛情‐しかも、盲目的なものではなく、限界をよくわかった上でそれを暖かく受け容れるようなもの(土屋先生が奥様について書かれているような雰囲気、といえばおわかりいただけるでしょうか)‐が伝わってきます。もともと経済学に興味をお持ちだったのか、ファンを公言される飯田先生が実は秘密裏にコンタクトをとられて深い交流をもたれたのかはわかりませんが、土屋先生、おそるべし。

    わたしは経済学をほとんど知らない。現在の経済学は、素人が理解するには難しすぎる。経済学を知らないながらも、わたしは経済学には不信感を抱いている。矛盾するようだが、わたしは不信感をもちながらも経済学に頼っている。かりにわたしが首相だったら、経済学者の意見に従って経済政策を立てるだろう。

    不信感を抱くようになった原因としては、これまで為替の動向などに関する経済学者の意見に従って何度か損をしたことが大きい。(略)

    (略)

    奇妙なのは、専門家の予想が外れても、だれ一人として損害賠償を求めないことである。(略)

    予測は経済学の主要な仕事ではないのかもしれないが、ふつう、理論の正しさは予測が当たるかどうかによって決められる。たとえば理論物理学は予測を主な仕事にしているわけではないが、理論に基づく予測が外れれば、その理論は捨てられる。だが経済学では、予測が外れても理論には影響がないように見える。

    予測が外れても責任を問わないことは、社会的合意にさえなっている。

    たとえば政府が経済学者の意見に従って策定した経済政策が誤りだったと判明しても、責任をとるのは政府であって、経済学者ではない。(略)

    (略)

    ノーベル経済学賞受賞者が二人参加した米国のヘッジファンドが倒産したときも、ノーベル賞を返上しろとは言われなかったし、たぶん学者としての信用は失われていないのではなかろうか。こうしてみると、経済学者が信用を失うには、痴漢でも働くしかないのかとさえ思える。

    (略)

    経済学者が責任を問われないのは、たぶん最初から経済学の予測は確度が低いと思われているからだろう。天気予報が外れたからといって気象庁の責任を問うことがないのと同じく、経済学者を信用して損をしたら、信用した方が悪いと考えられているのだ。

    実際、もし経済学者が経済現象を確実に予測できるのなら、学者自身、予測を利用して大もうけしそうなものだが、そういう人を見たことがない。自分の利益に無関心なのかもしれないが、テレビで見るかぎり、さほど無欲そうに見えない。

    予測が確実ではない点では天気予報と似ているが、大きい違いもある。明日の天気をめぐって気象学者の意見が分かれることはまずないが、経済学では多くの場合、同じ現象について予測が分かれ、相反する見解が並立する。この点では競馬の予想に似ている。

    経済予測の結果がどう出ても、対立した双方は淘汰されないまま生き残る。この点も競馬の予想に似ている。ふつうの学問なら、明日、日食になるかどうかをめぐって学者の意見が分かれることはありえないし、たとえ分かれたとしても、事実と一致しなかった学者は淘汰される。だが、経済学の場合はどれだけ予測が外れても、淘汰されることはまずない。

    経済予測が難しいのは、経済現象が複雑すぎるからだ。経済現象に影響を及ぼす要因は無数にあり、すべてを考慮することができないのだ。

    (略)

    経済現象に影響を及ぼす要因は、素人考えでも、選挙結果、異常気象、災害、感染症の流行、主要国の政変、国際紛争、テロ、有力政治家の死、画期的発明、証券取引所のコンピューターの異常、害虫の異常発生、阪神の優勝など、数え切れない。これらをすべて考慮することは不可能である。正確な予想ができるはずがない。

    (略)

    天気予報との違いは複雑さの程度だけではない。気象の場合は、データを網羅して高速処理すれば予測の精度は上がるが、経済予測の場合は、かりにすべての要因を計算に入れることができたとしても、経済予測の精度が決定的に上がることはないとわたしは思う。

    それは経済現象に人間が関与しているからだ。(略)

    人間の下す決断というものは本質的に気まぐれで予測不可能だ。十円を惜しむ人が、状況が変わらないのに百万円の時計を買ったりする。長年連れ添った妻の消費行動を予測できる夫はいない。そういう人が世界の経済を予測しろと言われるのだ。つくづく経済学者でなくてよかったと思う。

    それでも、経済学は巨大なヌエのような経済現象を相手にするときの唯一の武器だ。経済学のおかげで、偶然にまかせることなく、理性的人間らしく理論的に納得した上で売り買いを決定できるし、その結果、損をすることもできるのだ(もうけることができるかどうかは不明である)。

    だからわたしは経済学者のことばに今日も耳を傾けるのである。

    日経「経済学を語る 異分野の視点(下)『巨大ヌエ』さらに解明を/経済現象斬る武器/人間の気まぐれさを考慮」(9/6付経済教室)

    #編集がつけたのでしょうけれども、「『巨大ヌエ』さらに解明を」というのは、テキストの趣旨をミスリードする見出しだと思います。

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