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  • 09/22/2007 (11:59 pm)

    「農家切り捨て論のウソ」のウソ

    Filed under: economy ::

    切込隊長さんがご紹介されていた、神門善久先生の農家切り捨て論のウソですが、その中には農家・農政に対する客観的に妥当な評価とは言い難い記述が散見されます。webmasterはかつて神門先生の農業に関する書籍を好意的に紹介したこともありますし、兼業農家の多い産業構造、農地転用期待からくる農地配分の歪みといった問題意識の基本的枠組みには同意しています。しかしながら、そうした問題について世の注意を喚起するためとはいえ、レッテル貼りが許されていいものではないでしょう。

    #「転用期待からくる農地配分の歪み」については、かつて詳細に論じましたので、ご関心の向きはご高覧ください。

     マスコミは「零細農家イコール弱者」のような形で描きたがりますが、現実には彼らほど恵まれた人たちはいない。農地の固定資産税が軽減されているうえに、相続税もほとんどかかりません。たとえ“耕作放棄”をしていてもですよ。
     そのうえ、農地を売却すれば大金を手にできる。「田んぼ1枚売って何千万円も儲けた」なんていう話はザラにある。しかも、そうした農地の多くは敗戦後の米国主導の“農地解放”を通じて国からもらったようなものです。濡れ手で粟なんですよ。

     最近、「仕事がなくて生活に行き詰まり、一家心中した」という悲惨なニュースを耳にしますが、あれは都市部の話です。「農業に行き詰まり、生活苦のために零細農家が一家心中した」などという話は聞いたことがありません。零細農家には切迫感がないのです。

    農家切り捨て論のウソ(1/3)

    耕作放棄地については相続税の農地特例は適用されません。また、ぐぐってみれば農家の心中は見つかります。ついでに申し上げるなら、零細兼業農家はまともなコスト計算をしていないからこそ農業を継続しているのであって、そろばん勘定だけで考えれば農業をしていない方が豊かになります。

    《余談1》兼業農家の実態(学生のレポートから)

    第2種兼業農家がどのような農業を行っているか?

    要点:主要農機具で700万円 … 一般には1000万円といわれている(田植機・トラクター・コンバイン)
    50アールが稲作減価償却:10年使用、廃棄価ゼロ
    年々70万円、10アールあたり14万円
    一方、稲作販売代金は、1俵2万円、10アールあたり7俵として14万円

    経済的には、まったく成り立っていない。趣味として農業を行っているといえるかも知れない。

    京都大学柏研究室資料

    現時点では1俵1万円台前半ですから、このような50アール規模では減価償却を考えただけでも赤字経営になっているわけで、その他の肥料や農薬代もあるのですからなおさらです。加えて、当人の労賃相当の機会費用を考えれば・・・。

     農家が望んでいるのは、小沢さんの所得補償政策のようなチッポケなお金ではありません。彼らが本当に求めているのは公共事業なんです。公共事業で道路などを作ってもらえれば、自分たちの田んぼや畑が高く売れるでしょう。

    農家切り捨て論のウソ(1/3)

     実際、こんなことがありました。ある地方に行った時のことです。農地以外の土地利用を法令で厳しく制限している地域の一部が宅地になっていたので、その農家に「何でこんなところを宅地にするのか」と尋ねてみました。そしたら、何と彼は「ここは基盤整備が入ったので、もう転用しても構わないんだ」と胸を張ってうれしそうに答えたんです。唖然としました。

     基盤整備というのは、一言で言えば、農業の生産効率を上げるために農地を整備する公共事業のことです。農家にとっては、農地をきれいな状態にした方が宅地として高く売れるので、非常にありがたい事業なんです。

     基盤整備は本来、農業を良くするための公共事業です。ところが現実には、この例に限らず、事業の趣旨を履き違えている農家が多いのです。そもそも、公費で私有地を整備してもらった揚げ句、それを売って個人が儲けるというのは普通許されないでしょう。ところが、農業の世界ではそれが堂々とまかり通っているのです。これはほんの一例ですが、農家が公共事業を求める理由が分かるでしょう。

    農家切り捨て論のウソ(2/3)

    そういう事例が存在することは事実だとしても、公共事業の方が所得補償よりも全体として望ましいとは限りません。実際に転用によってどの程度のお金が農家にわたっているかを試算してみます。

    平成8年から平成17年までの9年間で、耕地面積は499.4万ヘクタールから469.2万ヘクタールに減少しています。そのうち半分が転用によるもの(実際にはそこまで多くはない(少なくとも耕作放棄の方が多い)はずですが、きちんとした裏が取れないので安全を見ておきます)だとして、約15万ヘクタールが転用されたことになります。他方で農地価格を見ると、純農業地域の全国平均を同期間単純平均でみれば、1ヘクタール当たり1,741万円です(都市的農業地域は、基本的に公共事業の対象外なので、神門先生の文脈に合わせて純農業地域の計数を用いています)。

    以上から、9年間での転用農地売却額は2.6兆円程度と推計されますが、これは毎年1兆円ずつとされる民主党案には遠く及びません。当然ではありますが、神門先生のご主張が全国のほとんどに打倒すると仮定しても、それは公共事業とともに転用が多く行われていることを示すものではあっても、公共事業なくして転用が行い得ないものを示すものではありません。それがどの程度かを考える材料はwebmasterには見つけられませんでしたが、公共事業とは無関係な転用があればその分だけ、公共事業が転用をもたらす効果の総額は割り引かれて考えるべきということになります。

    農林水産省の転用に関する資料によると、平成7年から17年までの10年間の転用面積は24.3万ヘクタールとなります。このうち、公共事業対象となる農用地区域内において、農用地から除外して行われる(≒他用途に供される)転用は、グラフ表示なので目の子ですが、当該期間においては1/5を超えることはないようです。したがってその2割、4.86万ヘクタールが公共事業に起因して行われた転用の最大値と考えられます(以上、前掲農林水産省資料p21(pdfファイルに記載のもの。pdfファイルとしてはp23(以下、記載のものを用い、pdfファイルとしてのページ数は略します)。なお、p24に、農用地除外の転用は平成17年で15%との記載があります)。

    他方で転用価格ですが、住宅地へのものが前掲資料p22(pdfファイルに記載のもの。pdfファイルとしてはp24)に記載されています。農用地除外の転用分のみの平均値がないため、農用地を含み得る市街化調整区域・都市計画区域外の平成7・12・17年の価格をそれぞれ単純平均し、農用地の農地全体に占める市街化調整区域内のそれの比率約20%(平成11年3月)で加重平均したものを全体の転用価格とみなしますと、1ヘクタール当たり1.87億円となります。先の転用面積にこれを乗じれば、10年間で9.08兆円の転用農地売却額となりますが、毎年1兆円ずつとされる民主党案をわずかながらも下回っています。以下は定性的な話となりますが、農用地除外のすべてが公共事業に伴って行われるというのも非現実的な前提であり、実際にはもっと小さくなるのではないかとはwebmasterの管見です。

    #以上、農政野郎さんからご教示いただいたデータを元に改稿いたしました。(9/25追記)

    先ほどの点にも通じますが、一部の問題あるサンプルを取り出して、あたかもそれが全体に通じる議論であるかのように見せかけるのは、誠実な態度とはいえません。なお、まがりなりにも農業公共事業は費用対効果分析で効果が費用を上回ることが条件になっているのですから、仮に当事者である農業者の賛成理由が転用期待であったとしても、事業自体はやった方がやらないよりはよかったという枠組みになっています(そのリソースを他に割り当てた方がよかった、という可能性は残るにせよ)。

     ウルグアイ・ラウンドの大詰めの94年に、国は「国際化のための農業構造改善策」と称して最終合意関連の国内対策費として6兆100億円もの特別農業予算を組みました。ところが、その大半が公共事業や農業共同施設整備に使われてしまった。当時は「田んぼの真ん中に公衆便所まで作った」といった笑い話まで広まっていたぐらいです。現状を見れば明らかなように、何ら農業の構造改善や競争力強化にはつながっていない。

     だから、戸別所得補償したり公共事業を拡大したりしても、同じ無駄を繰り返すだけです。抜本的な農業の強化にはつながらない。おねだり農民をまた甘やかすだけで、結局は税金の無駄遣いに終わってしまうのがオチです。

    農家切り捨て論のウソ(3/3)

    そもそも論として、仮にウルグァイラウンド対策のすべてがムダな事業であったとしても、それによりウルグァイラウンド合意が得られ貿易の自由化等が進展しそれ以上の利益が国民経済的に得られたのならば、そうした対策は国民経済的には得であったということがあります。ムダな事業をケチって合意が得られなければ、かえって損をしてしまうということです。

    補償原理のいう「補償」とはあくまで仮設的なものでよく、実際に補償を行う必要はない。しかし、この考え方は現実的にも適応可能である。例えば貿易の自由化を考えよう。競争状況が加速することによって消費者は利益を得る一方で生産者は損を被る。仮に政府が消費課税を導入し生産者に損害を補完してもなお利益が残るならば、貿易自由化という社会変化はカルドア基準によって是認されるということができる。

    補償原理 - Wikipedia

    では、すべてが(とは言わずともほとんどが)ムダな事業であったのか、農林水産省は平成12年7月にウルグァイ・ラウンド農業合意関連対策の中間評価を公表しています。その詳細を神門先生がきちんと検証していらっしゃるのかどうか、少なくとも笑い話が広まっていたからムダだったにちがいない、といった程度の議論では杜撰のそしりを免れないでしょう。

    webmasterは違った観点から、そもそも「現状を見れば明らかなように、何ら農業の構造改善や競争力強化にはつながっていない」の部分の前提となる、生産性向上が見られないのかどうかをここで検証しておきたいと思います。平成17年度国民経済計算から、1996(平成8)年度以降の労働生産性の伸びを計算するための計数を抜き出せば次のとおりです。

    H8FY H17FY
    農林水産業部門GDP(名目) 15.6兆円 13.0兆円
    農林水産業部門GDP(実質) 14.4兆円 13.2兆円
    農林水産業就労者数 454万人 332万人
    一人当たり年間労働時間 1781時間 1704時間
    H8CY H17CY
    農林水産業部門GDP(名目) 9.71兆円 7.51兆円
    農林水産業部門GDP(実質) 8.63兆円 8.19兆円
    農林水産業就労者数 458万人 334万人
    一人当たり年間労働時間 1789時間 1700時間

    獏さんにご指摘いただいたのですが、最初のものはGDPではありませんでした(中間生産を引く前の生産額)。それを受け、(1)正しく農林水産業部門GDPを掲載し、(2)データの都合上年度を暦年としました。以下もこれに応じて訂正しました。(9/25追記)

    ここから農林水産業労働1時間当たりの生産性は、名目ベースでは1996年の1,9291,185円から2005年の2,2981.322円へ上昇していることがわかり、これを年率の成長率になおせば21.2%弱となります。実質ベースでは、1996年の1,7811,053円から2,3331,442円へと上昇し、年率換算で33.5%強となります。これらの成長率はどう評価すべきか、たとえば日本全体の労働生産性伸び率と比較すれば、

    まず、真ん中に「成長力強化への三重奏−生産性5割増計画−」と目標を書いた。生産性には幾つか測り方があるが、労働者1人が1時間に生み出す付加価値、労働生産性の伸びで測る。人口が減る中で、一人一人がより多くの付加価値を生み出せるようにしようという趣旨である。過去10年間の年平均伸び率が1.6%、これを2011年度までに2.4%にもっていく、つまり5割増。総理からは、生産性倍増のようなわかりやすい目標を、という指示があったが、倍増はちょっと難しいという感じがあり、5割増しとした。名称自体は、またこれから御相談させていただく。

    平成19年第4回経済財政諮問会議議事要旨

    と生産性加速プログラムが説明された際の諮問会議議事録にあり、おそらくこれは通例どおり実質ベースだとは思いますが、だとすれば農林水産業の労働生産性伸び率は日本全国平均の倍近くを超えるということとなります(名目ベースであってもすと平均を大きく回っています)。神門先生が何をもって「構造改善」「競争力強化」と想定されているかはわかりませんが、これだけの生産性改善がなされていてそれらが達成されていないとの評価を受けるとは、農業も難儀な商売ということになってしまうでしょう。

     先進的な農家はこんな問題にかかずらっていません。彼らには輸入農産物に勝てる自信がありますから。今、彼らが切実に求めていることは何だか分かりますか。実は“外国人就農問題”なんです。

     既に、政府の外国人研修制度を通じて中国などから多くの外国人が地方の農村部に入り込み、実質的な農業労働力の一翼を担っています。先進的な農家は、そうした外国人を“研修生”としてではなく、正規の労働力として認めてもらいたいと考えているのです。そうしなければ、いずれ日本の農業は立ち行かなくなるといった危機感がある。今の日本人は辛くて厳しい“本当の農業”の担い手にはなれないと、見切りをつけているからです。

    農家切り捨て論のウソ(3/3)

    議論の構造は、製造業と同じだといってよいでしょう。つまり、鮮度が重要な作物であるならばさておき、そうでないものについては、海外へ資本投下して産品を輸入することとどちらがいいのかを検証せずして、外国人労働者の増加を図るのは危険でしょう。まして、「辛くて厳しい“本当の農業”」なるものが、働き手に奴隷的苦役を求めているからこそそうだということであるなら、大いに問題視されるべきなのですし。

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