bewaad institute@kasumigaseki

  • archives by smart archives
  • 10/31/2007 (11:59 pm)

    テロ特措法期限切れ

    Filed under: politics, law ::

    政治的な話はさておき、長らく洋上給油活動に携わってきた自衛官の方々、お疲れ様でした。

    10/30/2007 (11:59 pm)

    「真の失業率」推計最新版(2007-09現在)

    Filed under: economy ::
    年月   完全     真の    高齢化等 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後  業者数 業者数 補正後
    
    1990  2.1%     3.2%          134  204
    
    1991  2.1%     2.4%          136  155
    1992  2.2%     2.2%          142  142
    1993  2.5%     2.8%          166  183
    1994  2.9%     3.4%          192  228
    1995  3.2%     4.0%          210  266
    
    1996  3.4%     4.1%          225  276
    1997  3.4%     3.8%          230  262
    1998  4.1%     5.1%          279  348
    1999  4.7%     6.3%          317  435
    2000  4.7%     7.0%          320  485
    
    2001  5.0%     7.9%          340  551
    2002  5.4%     9.4%          359  660
    2003  5.3%    10.0%          350  700
    2004  4.7%    10.0%          313  705
    2005  4.4%     9.8%          294  688
    
    2006  4.1%     9.5%    6.7%    275  671  458
    
    2006/Q2 4.2%(▲0.3) 9.0%(▲0.1) 6.6%    280  631  454
    2006/Q3 4.1%(▲0.2) 8.9%( 0.0) 6.5%    273  627  448
    2006/Q4 3.9%(▲0.4) 9.3%(▲0.5) 6.4%    261  659  440
    2007/Q1 4.1%(▲0.3) 10.7%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 272  752  449
    2007/Q2 3.8%(▲0.5) 8.3%(▲0.7) 5.8%(▲0.8) 280  588  400
    
    年月   完全     真の    高齢化等 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後  業者数 業者数 補正後
    
    2006/10 4.2%(▲0.3) 8.8%(▲0.3) 6.3%    281  622  434
    2006/11 3.9%(▲0.5) 9.2%(▲0.8) 6.4%    292  652  439
    2006/12 3.7%(▲0.3) 9.9%(▲0.5) 6.6%    244  701  448
    2007/1 4.0%(▲0.5) 11.1%( 0.0) 6.9%(▲0.5) 264  784  464
    2007/2 4.1%(▲0.1) 10.8%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 270  760  447
    2007/3 4.2%(▲0.2) 10.1%(▲0.5) 6.4%(▲0.6) 281  712  437
    2007/4 4.0%(▲0.3) 8.8%(▲0.8) 6.0%(▲0.8) 268  619  414
    2007/5 3.8%(▲0.3) 8.0%(▲0.5) 5.8%(▲0.7) 258  567  402
    2007/6 3.6%(▲0.5) 8.2%(▲0.6) 5.6%(▲0.9) 241  576  383
    2007/7 3.5%(▲0.5) 8.6%(▲0.4) 5.7%(▲0.8) 288  610  387
    2007/8 3.7%(▲0.4) 8.9%( 0.0) 5.7%(▲0.7) 249  623  393
    2007/9 4.0%(▲0.2) 9.2%(+0.4) 6.0%(▲0.5) 269  649  407
    
    2006/9 4.2%     8.8%    6.5%    280  624  446
    2005/9 4.2%     8.7%    6.6%    285  612  454
    2004/9 4.6%     9.5%    7.3%    309  667  498
    2003/9 5.2%     9.7%    7.6%    346  678  521
    2002/9 5.4%     9.3%          365  651
    2001/9 5.3%     8.3%          357  579
    2000/9 4.7%     6.6%          320  461
    
    (直近月次ボトム)
        5.8%    11.6%     --    385  818   --
       (03/3,4)  (04/2,05/2)        (03/4) (05/2)

    (注)

    • 単位は、失業率関連を除き万人。失業率関連は%(対前年同期(括弧書き)はポイント)。
    • ソースは総務省統計局の「労働力調査」。
    • 月次データは原数値を用いている(季節未調整)。
    • 「真の」値は労働力人口比率が0.64(直近ピーク(1992年))であると仮定した場合の値。
    • 「高齢化等補正」についてはhttp://bewaad.sakura.ne.jp/20060729.html#p02を参照のこと。

    #過去の計数は以下のとおりです。

    2005
    03040506070809101112
    2006
    010203040506070809101112
    2007
    0102030405060708

    10/29/2007 (11:59 pm)

    人権擁護法案returns

    Filed under: law ::

    という動きがあるとのこと、ちらほら報道には出ていましたが、hamachanさんのエントリにて知りました。またぞろでたらめな同法案批判が出てくるかもしれませんので、それに向けての当サイトの過去エントリをサルヴェージしておきます。

    #上記以外の関連記事は、当該連載のindexからご参照いただければ幸いです。

    10/28/2007 (11:59 pm)

    パブコメは数じゃないんだよ、兄貴!

    Filed under: government, law, WWW ::

    MiAUによる違法にアップロードされたコンテンツに係るダウンロード違法化についてのパブリックコメント提出を助長する以下の活動があります。

    MiAUの運営側の主観的意図はさておき、客観的には、これらはテンプレ的な用い方をされ、多くの大同小異のパブリックコメントを生み出す方向に作用する可能性は大いにあるでしょう。そのようにパブリックコメントを提出する側には、パブリックコメントを提出する者の数に何がしかの意味があると考えが広がっても無理はないように思われます。もっとありていに言えば、より多くのパブコメを出せば出すほど、法案へ反映する可能性が高まるというような考えが広まるのではないかと。しかし、現実にそうではありませんし、さらに言えば、そうであることが望ましくもないのです。

    数が多ければいい、というのであれば、本件でいえばJASRACや各種コンテンツホルダーが組織的にパブコメを提出したときに、「賛成のパブコメの数が多かったからダウンロード違法化を進めます」という結果になることを受け入れなければなりません。また、締切り直前に非常にいいコメントを思いついたとして、人に呼びかけている時間がないから自分ひとりで提出した場合に、「あなたひとりしか出していないので受け入れられません」という対応を甘受しなければなりません。でも、そんなのいやですよね?

    #webmasterの霞が関経験からしても、業界関係者が大量に似通ったパブリックコメントを提出してきた例に直面したことがありますし。

    MiAUのような試みは、パブリックコメントの提出という行動に際して自らの見解を省み、考察を深める機会を増やすものとして歓迎すべきことだとwebmasterは思います。であるからこそ、いくら「素材」と呼称したところで、テンプレとしてコピペされる可能性が高い形で提示されたことは再考の余地があるのではないでしょうか。具体的な提出手続をわかりやすく示すことは(役所の欠陥を補うものでもあり)すばらしいことです。具体的にどこに着目すべきかの言及もよいでしょう。しかし、どのようなコメントを出すのかについては、あえて自分で考えろと白紙で突き放す方が趣旨に叶うのではないでしょうか。繰り返しになりますが、数に意味があるわけではないのですから。

    10/27/2007 (11:59 pm)

    建築士が官僚のごとく働かねばならぬとしたら

    Filed under: joke, government ::

    #元ネタはDan Kogaiさんの邦訳によります。

    建築士、

    家を一つ設計施行しろ。まだ何が必要か具体的なことはわからないので、必要になるかもしれないことはきちんと網羅的に説明するように。

    寝室の数は、2から45までの間。寝室の追加と削除は簡単に出来るようにしておくこと。青写真が出来たら、着工するまでにはどれにするかを最終判断する。それぞれの青写真について明細書を付けるように。どれを選んでも問題がないように。あ、詰まっていない粗々のものでいいから、2、10、20、30、40、45の場合にどんな感じになるか、明日の朝一で。

    完成後の家の費用は、今住んでいる家よりも安上がりでないと駄目。もちろん同時に、今の家の欠陥(上に乗るとキッチンの床がきしむとか、壁の断熱がなってないとか)を全て修正しておくように。建築費用だけを考えるなんてことは論外で、保守費用も最低に。当然ながら、それにはアルミやビニールやサイディングのような高品質の部材が必要なのはわかってるよね(アルミが使えない場合は、その理由を委細もらさず説明すること)。施行においては最新のデザインと素材でないなんてことは許さない。モデルルームにひけをとらないように。ただし、キッチンには1952年ギブソン製の冷蔵庫を含め、今あるものが全て無理なく収まるようにすること。正しく家を設計するにあたって、当然だが周りの住人からいちゃもんをつけられるなんてことがないように。そうそう、家に関してはうるさい親戚への根回しもよろしく。盆正月にあれこれ好き勝手なことをいわれるようでは君は無能だ。

    選択肢は入念に吟味すること。ただし、決める前には、必ずこちらの意向を確認しに来い。くだらない問題はそっちの責任で片付けておけ。建築士の仕事は、全体計画・大枠の案を網羅的に示し、その中からこちらが選んだものの細部を完璧に詰めることだ。カーペットの色なんかはいちいち聞きに来るな、でも後で思っていたものと違うことが判明したら、いつでも無償でこちらの要求どおりに変えろ。ところで子供は青が好き。

    資材調達の実費はそちらの負担。最初から最後まで責任を持つのが建築士だから。それから、成案が固まりしだい、48時間以内に棟上げ完了すること。

    家の設計に当たっては、いつかは今の家を別の誰かに売ることを念頭に置いておくように。その際は、できるだけ高く売れ。計画を仕上げる前に、近所の潜在顧客のニーズ調査を怠るなんてことは論外。

    海外の先進事例は当然知っているよな? EUには大いに感銘を受けた。アメリカ並みの水準は必要。たとえば25mプールとか。建築士なら、こうした世界で一番高い品質を、世界で一番安い費用で達成するもの。

    必要な青写真はすべて取り揃えておくこと。本番デザインはロハで。最終決定はこちらがするが、施工業者にまた説明するのも面倒だし。ただし、設計変更による追加費用は、すべて建築士の責任だということは、もちろん知っていると思うが。

    建築士にとってこれほど魅力的なプロジェクトもそうはないはずだ! 最新の技術と部材を使って、自由に設計できるのだから。滅多にない機会だ。アイディアと完成済みの設計をもって今すぐ見せに来い。あ、でも積算上補助者がつくというのは何を考えているのだか。君一人で全部やる見積もりに直してからでいいから。それから、君の事務所から来る途中にコンビニがあるはずなので、何か食べるものを買ってきてくれ。おなかがすいちゃって。

    追伸: 条例との関係で問題があるらしい。建築士なら、丸く納めてこい。コンセプトはまったく変えるつもりはないので、念のため。丸く納められないなら、君が勝手にやったことでこちらは何も知らなかったということで、差し止められるまでに急いで作ってくれ。

    追々伸: もしかして、必要なのは家じゃなくてトレーラーハウスかもしれない。念のため、トレーラーハウスの設計も内々進めておくように。

    10/26/2007 (11:59 pm)

    webmasterも処分されるべき!?

    Filed under: government ::

    ※ 財務省主計局係長ら女性に暴行、2容疑者を逮捕

    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071025it16.htm

     これで強姦扱いされちゃ適わない、という部分はあるだろうけれど、いくらノンキャリとはいえ、国家官僚が集団で日付が変わるまで外で飲み歩いていたこと自体がすでに処分対象であるべき。よりによって財務官僚がこんなことで、外国の情報機関に付け込まれたらどうするんだ。

    「女神のための円舞曲」(@大石英司の代替空港10/26付)

    「集団」ではなく、ひとりだったら日付が変わるまで外で飲んでいてもいいんでしょうか?(って、「外国の情報機関に付け込まれ」る虞を懸念するなら、かえってひとりの方がダメですよねorz)

    10/25/2007 (11:59 pm)

    竹森俊平「1997年――世界を変えた金融危機」

    Filed under: economy, book ::

    上記Amazonのリンク先でも明らかなように多くの賛辞を集めていて、おそらくは本年の経済書の中でもトップクラスの高い評価を得る本だと思います。本書のキーコンセプトとなる「ナイトの不確実性」についても丁寧な解説がなされていますが、うれしいことにこの分野については小島寛之「確率的発想法」という格好の一般向け入門書がありますので、もし不足を感じてもすぐに補うことができます。小島本自体、非常に面白くわかりやすい本ですので、未読の方におかれましては本書の次にぜひとも手にとっていただきたく。

    以上で推薦は終わりとして、天邪鬼な重箱の隅つつきを。褒め言葉が多いので、そのあたりに比較優位を見出すことでこのエントリの価値を創出したいと思います。要するに、霞が関への評価が、FRBなどへのそれと比べてダブルスタンダードでないの、ということとなりますが、ご存知のとおりwebmasterは霞が関の住人ですから、以下、不公平な自己弁護ではないかとの疑いを持って十分に眉に唾をつけてお読みいただければ。

    以下、結構長い引用となりますが、細切れにするとかえってわかりづらくなるでしょうから、お許しいただきたく。

    つまり、銀行はまず今すぐには全額の返済に応じられないことを「債権者」に告げる。その上で可能になった時に返済できるように、「債務条件」を変更してもらうのである。それが「再交渉」で、うまくいけば「流動性の問題」による経営破綻は防げる。(略)

    しかし、ここに一つの問題がある。つまり、「再交渉」によって経営破綻を回避する方法は、「債権者」が少数ならば可能だが、多数だと困難になるという問題である。なぜかといえば、「フリーライド(ただ乗り)」が発生するからだ。たとえ一部の債権者が「再交渉」に応じ、支払いの延長を認めたとしても、他の債権者が回収できるうちに債権を全額回収しようとするならば、「再交渉」の成功の見込みなどなくなる。

    (略)

    IMFのような第三者からの救援資金の投入を「ベイル・アウト」というのに対して、「再交渉」の方式は、当事者(つまり貸し手)の救援(返済の猶予はそのような性格を持つ)によって問題の解決を図るので、「ベイル・イン」と呼ばれる。(略)

    (略)

    IMF改革から話が変わるが、ここで「再交渉」の問題に絡んで一つ見ておきたいことがある。それは日本の問題、具体的に言うと住専問題に対する公的資金の投入である。そもそもCACのような仕組みを設ける理由は、債権者の数が多数である場合にはそれがない限り「フリーライド」が深刻になり、「ベイル・イン」が困難になるということだった。(略)

    しかるに、ここに実際に債権が少数の債権者に集中していた二つの「債務問題」がある。一つは日本の住専問題であり、もう一つはアメリカにおけるヘッジ・ファンドLTCMの経営破綻問題である。どちらの場合も、公的な保護が定められている「銀行」以外の金融機関の救済に、公的な機関(中央銀行または政府)が関わったという点では共通している。しかし、二つの問題の解決法には大きな違いがあった。つまり、1998年における「LTCM問題」の解決法は「ベイル・イン」の形を取ったのに対して、96年における「住専問題」の解決法は「ベイル・イン」ではなく「ベイル・アウト」の形をとった。先ほど確認したことから考えれば、「住専問題」も「ベイル・イン」で解決できたはずだ。なぜ、そうしなかったのだろう。

    (略)

    ようするに、「住専問題」の場合には、「住専」の破綻処理を混乱のないようにすることよりも、初めから農林系統金融機関自体の「ベイル・アウト」が目的にされていた。(略)

    (略)

    これまで筆者は出来事の推移をできるだけ経済学にしたがって説明するようにしてきたが、ここから先となると経済学はおろか世間の常識で説明するのも難しい。(略)

    (略)

    (略)しかし日本の場合の「不確実性」は、足の速い国際資本の破壊力によるものではなく、純粋に国内要因としてわれわれの前に姿を現した。外部からの統制、監督を十分に受けない行政、官僚組織の欠陥など、高度成長の恩恵でこれまでは闇に隠れていたものが、ひとたびバブルが崩壊し平均成長率が1パーセント台にまで下がると、次から次へと明るみに出る。どこまで問題が発展するのか、暗闇はどこまで広がっていくのか、自民党の政治家はおろか、首相にさえそれは掴めない。国内政治の「不確実性のブラックホール」が、われわれの前にぽっかりと開いたのがこの時代である。

    pp189-204(webmaster注:最終段落の「掴めない」中の「掴」は、原文ではその旁の「国」は「國」です)

    「経済学はおろか世間の常識で説明するのも難しい」、「外部からの統制、監督を十分に受けない行政、官僚組織」であって「高度成長の恩恵でこれまでは闇に隠れていたもの」が住専問題の処理がベイルアウトになった原因であると。長くなるので略しましたが、当事者であった宮沢元総理や西村元銀行局長の証言を豊富に引用しつつ詳細に描写しており、なるほど実態はそうであったのか、と感じさせるに足る記述となっています。

    しかし、当事者の証言とは、それほど信頼に足るのでしょうか? 宮沢元総理にせよ西村元銀行局長にせよ、大蔵省(当時)側の人間でもあり、農林系等金融機関を悪者にしたいとの意図があるかもしれません。そのような故意がなくとも、記憶違いや認知的不協和の存在による選択的な記憶の強化により、当時の実情を忠実に伝えるものではないかもしれません。そして何より、証言が彼らの当時における主観的認識を忠実に表していたとしても、客観的に妥当であるとは限りません。ここでの著者の分析は、こうしたあまたの可能性に目をつぶり証言を鵜呑みにし、結果として官僚とはおどろおどろしい人非人であることにベイルアウトの原因を見出しています。

    官僚とてホモサピエンスであり、その点において「世間の常識」の担い手である普通の人々と変わりはありません。政府なるものには職員を人非人に変える魔性が存在するとしても、ではなぜアメリカの官僚は正しくベイルインを選んだのかの説明がつきません。およそホモサピエンスに共通する性質でもなければ官僚組織に共通する性質でもない何かの存在を前提としないとここでの著者の分析は妥当しないわけですが、オッカムの剃刀に照らせば、そのような前提の妥当性には疑問が残ります。

    では、オッカムの剃刀に耐える仮説はあるのかということですが、ある、というのがwebmasterの見立てです。それも、「経済学にしたがって説明する」ことが可能なものが。まずは住専とLTCMに関する、日米両政府の次のテキストをご覧ください。

    The plan, which calls for fifteen major domestic and foreign commercial and investment banks to infuse a total of $3.5 billion of equity capital into the hedge fund, provides LTCM a respite from loan repayments and with much needed liquid capital. This consortium will now own 90% of the equity in LTCM and will form an oversight committee to direct LTCM’s overall strategy and manage its exposures.

    Testimony of Richard R. Lindsey, Director(リチャード・リンゼイSEC市場規制局長の証言)(webmaster注:原文の注記は省略しました)

    住専の抱える不良債権は巨額で、かつ、住専に融資を行った金融機関は300にものぼりかつ多様であり、また、それぞれに複雑な関係にあります。このため、当事者のみでは到底解決が困難な状況にあります。また、法的な破産手続きを行った場合は、個々の金融機関の損失額がはっきりするまで何年間も要し、その間、体力の弱い金融機関は経営不安にさらされ続けることになり、場合によっては、預金者に不安が広がり、金融機関の破綻が多発するといった事態も起きかねません。現に海外から、我が国の金融システムに厳しい目が向けられていることは、ジャパン・プレミアムなどからも明らかであります。また、このような状況では、景気の回復が望みえないことは明らかであります。

    住専処理策について

    著者は「債権が少数の債権者に集中していた二つの『債務問題』」として住専問題とLTCM問題を挙げていますが、「少数の債権者」とは住専問題では300、LTCM問題では(ベイルインに関与した者は)15と20倍もの開きがあります。著者は「『再交渉』によって経営破綻を回避する方法は、『債権者』が少数ならば可能だが、多数だと困難になるという問題」の存在を指摘していますが、「再交渉」による経営破綻回避における「少数」「多数」の閾値は明らかにはしていません。現に成功したLTCMでの15は「少数」であるとして、300は果たして「少数」と言い得るのでしょうか?

    債権者が多数になるとなぜ「再交渉」による経営破綻回避が困難であるかといえば、著者によればフリーライダーの存在、すなわち抜け駆けしての債権回収が図られることによって「再交渉」がまとまらないおそれが高まるためです。誰かひとりでも抜け駆けを図れば「再交渉」は決裂しますが、各債権者が抜け駆けする確率がわずか1%であるとき、15債権者の全員が抜け駆けせずに「再交渉」がまとまる可能性は86%を超えますが、債権者の数が300となれば5%を割り込みます。債権者の数が15であるときにほぼ50%の確率で「再交渉」がまとまるには抜け駆けの確率は約4.5%となりますが、この抜け駆け確率4.5%の下では、300債権者がまとまる確率は0.0001%に過ぎません。

    まして、住専問題において農林系統金融機関はある強みを有していました‐闇に隠されてきた得体の知れぬ政治力とやらではなく、農林系統金融機関のみが、処理対象である住専の母体行ではなかったという事実です。A住専に債権を持つX銀行が債権を回収しようとすれば、A住専の母体行であるY銀行はX銀行が母体行であるB住専から同様に債権の回収を図るという「報復」が可能なので、母体行同士では抜け駆けしての債権回収には抑制が働きます。

    #農林系統金融機関は協同住宅ローンという住専の「母体行」ではありましたが、昭和60年代にその不動産関連融資が国会で問題視されたことを受け、バブル期には不動産関連融資を抑制しており多額の不良債権を抱えることはなかったため、協同住宅ローンは処理対象にはなりませんでした。

    しかし、農林系統金融機関は処理対象である住専の母体行ではないので、そのような「報復」を恐れることなく抜け駆けしての債権回収を図ることが可能でした。加えて一口に「農林系統金融機関」といいますが、その内実は農林中金・全共連の2全国組織のみならず各都道府県の信連・共済連があり、債権者数としては100近くに上っていました。抜け駆けにためらいのない100債権者、これは到底ベイルインがまとまる状況ではなかったというのがwebmasterの管見です。著者の言うとおり、多くの潜在的フリーライダーを抱える「再交渉」は、潰えるのが自然なのです。

    さて、webmasterの分析は、著者の分析に多少は伍しているのでしょうか?

    10/24/2007 (11:59 pm)

    第三者は著作権法違反を正しく判断できない?

    Filed under: law ::

    削除されてしまった方には申し訳ないが、このニュースは現在パブリックコメントが行われている文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理と、法制問題小委員会中間まとめに盛り込まれた内容の問題点が非常に分かりやすい形で現れたものだと思う。

    (略)

    著作権侵害が非親告罪とされてしまうと、著作権者の告発無しに著作権侵害が取り締まられることになる。

    しかし、著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断できるのだろうか。

    今回ニコニコ動画は、適法にアップロードされた動画を「権利侵害動画」であると判断して削除を行った。

    ニコニコ動画は適法・違法の判断を間違えたのだ。

    第3者からみて、適法・違法の判断が難しいことが、今回の削除ミスで明らかになった。

    著作権侵害を非親告罪化すると、このような判断ミスによって告発されたり逮捕されたりするケースが出てくるだろう。

    もちろん、一目で「著作権侵害だろう」と類推できるケースも多いが、第3者が的確に判断できるケースばかりとは限らない。

    「ニコニコ動画が明らかにしたダウンロード違法化・著作権侵害非親告罪化の問題点」(@Copy & Copyright Diary10/23付)

    親告罪とは、犯罪被害者が被疑者を指名すれば直ちにその者を犯罪者として罰する制度ではありません。犯罪被害者の告訴があり、それを受けて検察が起訴の要否を判断し、起訴があれば裁判所で実際に犯罪行為であったかどうかが裁かれます。つまり、親告罪においても検察や裁判所の判断を経て著作権法違反であるかどうかが判断されるわけで、「著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断できるのだろうか」というならば、現行制度を否定し、著作権者が違反だといったら違反だ、という制度に作り変えねば道理に合いません。

    そもそも論を言うなら、親告罪とは犯罪被害者が被害を受けたと訴えでねば罪にならないというものではありません。犯罪被害者の告訴の有無に関わらず、ある行為が構成要件に該当する場合(正確には、加えて違法性阻却・責任阻却が成立しない場合)には、その行為は違法であり罪に他なりません。親告罪であれば、罪とは言え犯罪被害者がいろいろ考えて訴えないような場合には、あえて公開法廷にて追及は行わないということに過ぎないのです。もう一度書きましょう‐訴えがなくても罪であることに変わりはないのです。

    「著作権侵害を非親告罪化すると、このような判断ミスによって告発されたり逮捕されたりするケースが出てくる」ことが問題だ、つまりは一件でも「冤罪」が出てくることが問題だとの議論であるかもしれません。それほど判断ミスによることが問題であるならば、著作者の判断ミスの場合だって問題だとしなければ一貫性がありませんが、そこは措きましょう。一般論として冤罪が不可避であり(神ならぬ身のやることですから・・・)、非親告罪化すれば親告罪であるよりも捜査件数が少なくとも減ることはない以上、冤罪の絶対数が増えることは間違いありません。それが問題だというのであれば、確かにそのとおりです。

    しかし、であればネットにおいてよく見られる盗作等の糾弾活動を、非親告罪化に対する批判を超えて批判すべきでしょう。第三者の告発から始まる著作権法違反の捜査・起訴・訴訟手続においては、デュープロセスの保障が及びます。わかりやすくいえば、ニコニコ動画のような間違いに基づいて刑罰が科される可能性を極小化するよう、各般の法律上の歯止めが用意されています。今般のニコニコ動画の事例は運営者によるものでしたが、それ以外でもネットでの多くの人々の活動の結果として、有名どころで言えばスラムダンク盗作騒動は「著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断」して事実上の私刑を下した事例です。

    著作権を侵害した(と疑われた)者が自ら罪を認めたからよい、という話ではありません‐そんなことを言い出せば、非親告罪であっても侵害した(と疑われた)者が自ら認めた場合には何の問題もない、ということになってしまいます。既述のように冤罪の可能性は刑事裁判手続において排除不可能ですが、私刑だったら排除できるというものではなく、むしろ冤罪の危険性は高いのですから、より問題は深刻です。にもかかわらずその危険性に何ら言及がないというのは、片手落ちの議論であるといわざるを得ないでしょう。

    念のため申し添えれば、冤罪の可能性を懸念する声を無視してよいということをwebmasterは言いたいわけではありません。もしそれを懸念するなら、たとえば著作権者が事後的に著作物の使用・複製等を遡及的に許可できる制度の導入、なんてのはいいのではないかと思います。一言著作権者が「それはいいよ」と言えば、遡及的に違法性がなくなる‐この場合、構成要件を満たさなくなるのですから、親告罪とは違って完全な合法行為として法的に扱われます‐のですから、第三者の告発があったとしても、少なくとも警察・検察・裁判所において著作権者の意思が確認されるわけですし、そこで著作権者がやっぱり問題だと思うのであれば、事実上告訴があったものと観念できるでしょうし。

    10/23/2007 (11:59 pm)

    農業問題はやっぱり消費者問題なのです。

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    ただし、次のご意見とは異なる文脈においてですが。

     消費者と生産者をまるで対立構造にあるように煽る言説は80年代後半から目立つようになった。なぜか政治評論家やマスコミが急に「日本の消費者は高いものを買わされている。」「消費者は主張すべきだ。」的な消費者利益を持ち出し、補助金で農民が濡れ手で粟の如く利しているようなバッシングが増えたのである。

    (略)

     日本の農業問題が何の解決もなく深刻な状況に追い込まれている現況は、20年前にばら撒かれた「対立構造の煽り」である。日本の過去の農業政策が失敗で、補助金を強請るような態度を示す農民がいたのも事実だが、それを20年間糾弾し続けても何も解決しなかったのである。私は農業問題を「農民の問題」と片付けて、農民を批判するだけで思考停止している消費者にこそ非があると思う。対立構造に毒された消費者はよく「農民のエゴ」という言葉を使うが、むしろ農業問題を「農民の問題」と片付けた消費者のエゴを問題視したい。

    (略)

     都市の消費者は知らないだけで、少なくとも外国と価格競争するという話が愚論であることは、事実を知れば理解できるはずだ。可能性としては品質での差別化しか残っていないことがわかるが、それは日本の農業のセオリーになっている。恐らく、日本のコメ農家は政府の農業政策にかかわらず、一部のやる気のある農家だけ残り、それ以外は後継者がなく絶えるであろう。まさに、財界や経済学者がよく言う通りになるはずである。しかしそれは、コメに関しても料亭や高級レストラン・富裕層向け=国産米、その他大衆向け=輸入米というような牛肉のような構造になるという話である。

     でも、それでいいかは実は生産者の問題より消費者の問題ではないか?食料は自給しなくても結構という識者は、自らリスクを負うことを覚悟し、有事の際は農産物を経ち、化学合成されたビタミン剤か道草でも食べて生きることを宣言すべきではないか。

    「農業問題を農民の問題にする消費者エゴ」(@Munchener Brucke10/20付)

    「それでいいかは実は生産者の問題より消費者の問題で」あり、当サイトで何度となく指摘しているように消費者のドメスティックバイアスが一定の自給率を希求したからこそ、他産業とは異なり国境措置・各種補助金・各種税制措置が削減されたとはいえ、今なお残っているのが実態であるというのがwebmasterの管見です。その意味で議論の枠組みについては大いに賛成で、それは政治評論家等への批判においても同じです。消費者のそうした心情を批判する勇気もなく、ひたすらに農水省・農協・農家批判を繰り返してきたのが大まかな傾向なわけで、ことの本質から逃げていたといわれても致し方ないでしょう。

    他方で、「自らリスクを負うことを覚悟し、有事の際は農産物を経ち(ママ)、化学合成されたビタミン剤か道草でも食べて生きる」というのも乱暴な話で、「有事」とはどのようなものかを考えれば、食料自給率が仮に100%になったところで同じ結果であることから目をそらしています。日本が輸入できなくなる事態とは、国連決議に基づく経済制裁下におかれてどこも輸出してくれなくなるか、アメリカに海上封鎖されるか、少なくとも今後20〜30年のスパンであり得る事態としてはいずれかしかありません。どちらの場合にしても、あわせて石油・天然ガスが輸入できなくなるに決まっていて、そうすればそもそも生産が継続できませんし、仮に生産できても消費地まで持ってくることができません。どのみち日本人の多くを待っているのは餓死の運命です。

    天変地異による供給減や中国・インドの需要増に伴う価格高騰や、その延長線上のいわゆる「買い負け」を懸念する向きもありましょうが、そういう状況においては、結局は政府が逆ザヤをかぶって高い値段で買わざるを得ません。外国に売れば高く売れるというのに、国内向けにわざわざ安く売ってくれなどという話が通じるはずもなく(そんな理屈が通じるなら、農産物価格が低くなった結果として農業からの退出がとまらない、なんてことが起きるわけがありません)、国内農家が作った農産品とて国際価格に収斂していきます。であるならば、政府が逆ザヤをかぶって海外市場で買い付けても同じことなのですから。

    いずれにしても、高い自給率を求める声と、補助金を批判する意見とが同居する姿というのは、かみ合った議論がなされているとは到底いえません。

     ただ補助金云々というのはあくまでも二次的な話。

    1. 日本で農業を続けていくのか?
    2. 続けるのであれば、どの程度まで食料を自給すべきか。
    3. その為の施策は。

     の順で考えなければならない。最初から補助金の是非から論じるのは議論を不毛にする。

    「農業問題のエントリーの反応」(@Munchener Brucke10/23付)

    とのご指摘は、次のwebmasterの意見を共にしていただいたようで、うれしく思うのでした。

    わが国は民主政国家ですから、そうしたコストもきちんと勘案した上でなお高い食料自給率を目指すのが多数派の支持を得る国是だということになれば、webmasterとてそれに従うのはやむを得ないことだと思います。しかし、そうしたコストがきちんと議論されているとは(専門家の間であればともかく、「国民的議論」とやらにおいては)、webmasterにはまったく思えないのです。

    もういい加減「食料自給率」を正しく認識しようよ。(4/4付)

    10/22/2007 (3:39 am)

    10巻以内で完結してておもしろいマンガ@六番煎じ

    Filed under: comic ::

    には挙がっていないものを・・・という縛りはなかなかつらくはありますが、何か忘れているような気も・・・。

    これらが挙がっていないことが不思議でならなかったのでこのエントリを書いたようなものです。webmasterは「へルタースケルター」の方が好きですが、いずれにしても、短くておもしろいといってこれらを挙げなくてどうする、と。

    吉田秋生は外れなく佳作を描いているとwebmasterは思うのですが、主人公をあまりに超人にし過ぎるのが若干興ざめを呼ばないではありません。そんな中で比較的実際にいそうなキャラを配置した本作は、そうした興ざめがなく、卓越したストーリー構成を十分に満喫できるものといえましょう。

    あの最終話を「完結」といっていいのかは怪しいのですが(笑)、今読んでもまったく古さを感じさせないひばりのルックスはお見事。マンガ史上最高の美女とは言えないでしょうけれど、もっとも美しい登場人物のひとりであることは間違いありません。

    もっと多くの作品を世に出してもらいたかったです・・・。

    原作モノ(夢枕獏の同名小説)ですし、愛蔵版で全5巻ですがオリジナルがどうだかわからないので挙げるべきか迷いはしたのですが、いいものはいいと開き直って。山岳マンガで本作を超える作品は、なかなか想像できません。

    あまり手塚作品が出ていないので。定番だからこそ皆挙げないのかな、と思うと今さらの感がしないではないですが、あえて定番を挙げることも無意味ではありますまい。

    オリジナルは全11巻ではありますが・・・パニックモノの最高傑作。

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