農業問題はやっぱり消費者問題なのです。
ただし、次のご意見とは異なる文脈においてですが。
消費者と生産者をまるで対立構造にあるように煽る言説は80年代後半から目立つようになった。なぜか政治評論家やマスコミが急に「日本の消費者は高いものを買わされている。」「消費者は主張すべきだ。」的な消費者利益を持ち出し、補助金で農民が濡れ手で粟の如く利しているようなバッシングが増えたのである。
(略)
日本の農業問題が何の解決もなく深刻な状況に追い込まれている現況は、20年前にばら撒かれた「対立構造の煽り」である。日本の過去の農業政策が失敗で、補助金を強請るような態度を示す農民がいたのも事実だが、それを20年間糾弾し続けても何も解決しなかったのである。私は農業問題を「農民の問題」と片付けて、農民を批判するだけで思考停止している消費者にこそ非があると思う。対立構造に毒された消費者はよく「農民のエゴ」という言葉を使うが、むしろ農業問題を「農民の問題」と片付けた消費者のエゴを問題視したい。
(略)
都市の消費者は知らないだけで、少なくとも外国と価格競争するという話が愚論であることは、事実を知れば理解できるはずだ。可能性としては品質での差別化しか残っていないことがわかるが、それは日本の農業のセオリーになっている。恐らく、日本のコメ農家は政府の農業政策にかかわらず、一部のやる気のある農家だけ残り、それ以外は後継者がなく絶えるであろう。まさに、財界や経済学者がよく言う通りになるはずである。しかしそれは、コメに関しても料亭や高級レストラン・富裕層向け=国産米、その他大衆向け=輸入米というような牛肉のような構造になるという話である。
でも、それでいいかは実は生産者の問題より消費者の問題ではないか?食料は自給しなくても結構という識者は、自らリスクを負うことを覚悟し、有事の際は農産物を経ち、化学合成されたビタミン剤か道草でも食べて生きることを宣言すべきではないか。
「農業問題を農民の問題にする消費者エゴ」(@Munchener Brucke10/20付)
「それでいいかは実は生産者の問題より消費者の問題で」あり、当サイトで何度となく指摘しているように消費者のドメスティックバイアスが一定の自給率を希求したからこそ、他産業とは異なり国境措置・各種補助金・各種税制措置が削減されたとはいえ、今なお残っているのが実態であるというのがwebmasterの管見です。その意味で議論の枠組みについては大いに賛成で、それは政治評論家等への批判においても同じです。消費者のそうした心情を批判する勇気もなく、ひたすらに農水省・農協・農家批判を繰り返してきたのが大まかな傾向なわけで、ことの本質から逃げていたといわれても致し方ないでしょう。
他方で、「自らリスクを負うことを覚悟し、有事の際は農産物を経ち(ママ)、化学合成されたビタミン剤か道草でも食べて生きる」というのも乱暴な話で、「有事」とはどのようなものかを考えれば、食料自給率が仮に100%になったところで同じ結果であることから目をそらしています。日本が輸入できなくなる事態とは、国連決議に基づく経済制裁下におかれてどこも輸出してくれなくなるか、アメリカに海上封鎖されるか、少なくとも今後20〜30年のスパンであり得る事態としてはいずれかしかありません。どちらの場合にしても、あわせて石油・天然ガスが輸入できなくなるに決まっていて、そうすればそもそも生産が継続できませんし、仮に生産できても消費地まで持ってくることができません。どのみち日本人の多くを待っているのは餓死の運命です。
天変地異による供給減や中国・インドの需要増に伴う価格高騰や、その延長線上のいわゆる「買い負け」を懸念する向きもありましょうが、そういう状況においては、結局は政府が逆ザヤをかぶって高い値段で買わざるを得ません。外国に売れば高く売れるというのに、国内向けにわざわざ安く売ってくれなどという話が通じるはずもなく(そんな理屈が通じるなら、農産物価格が低くなった結果として農業からの退出がとまらない、なんてことが起きるわけがありません)、国内農家が作った農産品とて国際価格に収斂していきます。であるならば、政府が逆ザヤをかぶって海外市場で買い付けても同じことなのですから。
いずれにしても、高い自給率を求める声と、補助金を批判する意見とが同居する姿というのは、かみ合った議論がなされているとは到底いえません。
ただ補助金云々というのはあくまでも二次的な話。
- 日本で農業を続けていくのか?
- 続けるのであれば、どの程度まで食料を自給すべきか。
- その為の施策は。
の順で考えなければならない。最初から補助金の是非から論じるのは議論を不毛にする。
「農業問題のエントリーの反応」(@Munchener Brucke10/23付)
とのご指摘は、次のwebmasterの意見を共にしていただいたようで、うれしく思うのでした。
わが国は民主政国家ですから、そうしたコストもきちんと勘案した上でなお高い食料自給率を目指すのが多数派の支持を得る国是だということになれば、webmasterとてそれに従うのはやむを得ないことだと思います。しかし、そうしたコストがきちんと議論されているとは(専門家の間であればともかく、「国民的議論」とやらにおいては)、webmasterにはまったく思えないのです。





11月 15th, 2007 at 21:22:49
江戸時代の士農工商の身分階級は、現代はないけれど、未来に、現代の時代は消費税や固定資産税等いろんな年貢があり、結婚も簡単にできない時代だったとか…のちのち歴史が語られるころは、エネルギー税とか警備保安税とか現れてもおかしくない時代が来るのだろうか?現にごみ袋が有料になりました。
農家が生き残れるのは、歴史上下敷きにされた、過去の見返りで保護されているから。サラリーマンの未来は抑えられて、無知の大衆の受けだけを良くした政治、他力本願の外交、格差のある食料事情が続くと思います。
11月 16th, 2007 at 11:15:20
食料自給率向上は突き詰めると「生産効率重視」という事になり、食料選択の自由が無くなります。現在の農業を支えている高付加価値高生産性農家に低価格生産性重視を押し付け、国民は高付加価値食料を得られなくなります。こんなことを押し付けられたら農家を止めてしまうのでは(笑)。おまけに国民は肉を食うなと。
有事を概念に置いた食料自給率は全く持ってナンセンスな事が判ります。
一方、食料選択という視点で考えると(1)高級な国産品(ブランド物)、(2)安価で安全な国産品、(3)低価格な輸入品を選択できる現在が最適だと思います。ところが(2)の低価格で安全な国産品には需要が多く、これを供給している(低生産性な)兼業農家を保護しないと需要が足りなくなるかもしれません。ここに補助金の意義があるかと。補助金が無くなれば(2)が市場原理で高騰し、貧乏人は(3)でも食っとけでもいいのですが。また耕地放棄が進むと国土が荒れるという懸念もどうでもいいといえばどうでもいいですが。
ここらへんを考慮してコストの議論をして欲しいです。有事や経済封鎖、大飢饉を例に挙げた食料自給率向上では馬鹿にされるのが落ちですね。
11月 16th, 2007 at 23:44:56
いくら議論して正論がまかり通ろうと、結局のところ小売店は売上に直接響きますので、規制が無理やり導入されようと何しようと、できない事はできないし、必要な事は行われるかと思います。そして、それは大新聞社が幾ら高所から批判的言説を振り回そうと、止めることはできません。
NHKなんかで、例えばマグロなどがたまに取り上げられますが、良く番組を見ればわかるのですが、買い負けを嘆いているのは、消費者ではなく、買い負け対象の商品を扱っている問屋ですよね。そして、その問屋が「美味しいマグロが食べられなくなるんですよ」と消費者を脅かしている構図になっています。
個人的には、そんな事より、買い負けない値段をつけて引っ張って来いと思ったりして。価格上昇して消費が減ったのであれば、それは受け入れてさらに利幅をとれと。
11月 19th, 2007 at 14:44:55
「自給率」と言った場合、
当然のように「食料自給率」を意味し、
「食料自給率」と言えば、
当然のように「カロリーベースでの食料自給率」との解釈が要求されることに違和感があります。
11月 24th, 2007 at 0:54:32
>魚さん
エネルギー税は、今でもありますよね(ガソリン税が代表ですが)。
>woodさん
「安価で安全な国産品」とは、具体的にどのようなものでしょうか? 兼業農家が主たる供給源というとコメではないかという気がするわけですが、生産性が低いとは高コスト生産と同義ですから、生産性が高い者に作らせればより安価になるのではありませんか?
耕作放棄地については、林地転換した上で、総合的な山林地保全策として対応すべきだと考えています。総合的な山林保全ができないようでは、耕作放棄地において耕作が継続されたところで、「国土が荒れる」ことへの効果としては焼け石に水ですし。
>鍋象さん
「買い負け」って、報道で見聞して非常に違和感があるんです。そんなに高いならいらないよ、という合理的判断のどこが「負け」なんだろうと。
>つけめんデリックさん
良くも悪くも、そのように一般的な用法が定まってしまった感はあります。WikipeidaをWikiと称するほどには、個人的には違和感はないのですが。
11月 24th, 2007 at 8:26:32
>>bewaadさん
そうなんです。マグロ専門の中卸の人は、マグロが高騰すると逆ザヤになったり、マグロが売れなくなったりで、商売に影響が出ちゃうわけで、廃業したり転職したりしなければならなくなる。そこのところが困っているんだと。ちゃんと表現して欲しいなぁと思う次第。マグロの目利きがいなくなると困ることは困るのですが。
お寿司屋さんですら逆ザヤの商品を、ちゃんとメニューに並べているところが日本的と言えば確かに日本的なんですよね。だって生産者余剰を犠牲にして消費者余剰を増加させて、市場の調整機能に制限を加えているわけですから。
あ、だとすると「味方してくれなくなったら生産者余剰を増やして、消費者余剰を減らしちゃうぞ」という脅しになるわけかな?う・・・中卸さんの味方をしたくなってきたな・・・。
11月 25th, 2007 at 1:00:03
>鍋象さん
逆ザヤでも並べるのは、それがないとお客が来ないとか、そういう合理的な理由があるわけで、日本的というわけでもないような気がします。
11月 25th, 2007 at 6:10:46
逆ザヤで置く事が変なんです。近海ものの本マグロだと本気で価格付けしたら1貫2000円くらい?もうちょい高いくらいでしょうか。敢えて1200円くらいの中途半端な価格付けして、高けりゃ食わないという人にまで食わせる理由がわからないのです。
保存可能日数に限りがあるので、毎日が「半額シール」と同様の価格設定になっちゃってるのかなぁ。
11月 26th, 2007 at 3:23:59
>鍋象さん
それで客が呼べる、というような裏側があるのではないでしょうか。一貫2,000円のときよりも有意に客が増えて、もちろん来た客は鮪だけを食べるわけではないでしょうから、全体としては儲けが増えると。一種の広告費用みたいなものがその逆ザヤなのではないでしょうか。
11月 26th, 2007 at 14:31:12
うーん。客が本当に呼べてるのかなぁ。他のネタとの吊り合いが取れないだけで、言い訳的にお客さんが呼べる事にしているだけなんじゃないかなぁと思ったりして。
11月 28th, 2007 at 0:12:54
>鍋象さん
市場原理主義者っぽく言えば、潰れてないということは何がしかの合理性があるということではないかと。