竹森俊平「1997年――世界を変えた金融危機」
上記Amazonのリンク先でも明らかなように多くの賛辞を集めていて、おそらくは本年の経済書の中でもトップクラスの高い評価を得る本だと思います。本書のキーコンセプトとなる「ナイトの不確実性」についても丁寧な解説がなされていますが、うれしいことにこの分野については小島寛之「確率的発想法」という格好の一般向け入門書がありますので、もし不足を感じてもすぐに補うことができます。小島本自体、非常に面白くわかりやすい本ですので、未読の方におかれましては本書の次にぜひとも手にとっていただきたく。
以上で推薦は終わりとして、天邪鬼な重箱の隅つつきを。褒め言葉が多いので、そのあたりに比較優位を見出すことでこのエントリの価値を創出したいと思います。要するに、霞が関への評価が、FRBなどへのそれと比べてダブルスタンダードでないの、ということとなりますが、ご存知のとおりwebmasterは霞が関の住人ですから、以下、不公平な自己弁護ではないかとの疑いを持って十分に眉に唾をつけてお読みいただければ。
以下、結構長い引用となりますが、細切れにするとかえってわかりづらくなるでしょうから、お許しいただきたく。
つまり、銀行はまず今すぐには全額の返済に応じられないことを「債権者」に告げる。その上で可能になった時に返済できるように、「債務条件」を変更してもらうのである。それが「再交渉」で、うまくいけば「流動性の問題」による経営破綻は防げる。(略)
しかし、ここに一つの問題がある。つまり、「再交渉」によって経営破綻を回避する方法は、「債権者」が少数ならば可能だが、多数だと困難になるという問題である。なぜかといえば、「フリーライド(ただ乗り)」が発生するからだ。たとえ一部の債権者が「再交渉」に応じ、支払いの延長を認めたとしても、他の債権者が回収できるうちに債権を全額回収しようとするならば、「再交渉」の成功の見込みなどなくなる。
(略)
IMFのような第三者からの救援資金の投入を「ベイル・アウト」というのに対して、「再交渉」の方式は、当事者(つまり貸し手)の救援(返済の猶予はそのような性格を持つ)によって問題の解決を図るので、「ベイル・イン」と呼ばれる。(略)
(略)
IMF改革から話が変わるが、ここで「再交渉」の問題に絡んで一つ見ておきたいことがある。それは日本の問題、具体的に言うと住専問題に対する公的資金の投入である。そもそもCACのような仕組みを設ける理由は、債権者の数が多数である場合にはそれがない限り「フリーライド」が深刻になり、「ベイル・イン」が困難になるということだった。(略)
しかるに、ここに実際に債権が少数の債権者に集中していた二つの「債務問題」がある。一つは日本の住専問題であり、もう一つはアメリカにおけるヘッジ・ファンドLTCMの経営破綻問題である。どちらの場合も、公的な保護が定められている「銀行」以外の金融機関の救済に、公的な機関(中央銀行または政府)が関わったという点では共通している。しかし、二つの問題の解決法には大きな違いがあった。つまり、1998年における「LTCM問題」の解決法は「ベイル・イン」の形を取ったのに対して、96年における「住専問題」の解決法は「ベイル・イン」ではなく「ベイル・アウト」の形をとった。先ほど確認したことから考えれば、「住専問題」も「ベイル・イン」で解決できたはずだ。なぜ、そうしなかったのだろう。
(略)
ようするに、「住専問題」の場合には、「住専」の破綻処理を混乱のないようにすることよりも、初めから農林系統金融機関自体の「ベイル・アウト」が目的にされていた。(略)
(略)
これまで筆者は出来事の推移をできるだけ経済学にしたがって説明するようにしてきたが、ここから先となると経済学はおろか世間の常識で説明するのも難しい。(略)
(略)
(略)しかし日本の場合の「不確実性」は、足の速い国際資本の破壊力によるものではなく、純粋に国内要因としてわれわれの前に姿を現した。外部からの統制、監督を十分に受けない行政、官僚組織の欠陥など、高度成長の恩恵でこれまでは闇に隠れていたものが、ひとたびバブルが崩壊し平均成長率が1パーセント台にまで下がると、次から次へと明るみに出る。どこまで問題が発展するのか、暗闇はどこまで広がっていくのか、自民党の政治家はおろか、首相にさえそれは掴めない。国内政治の「不確実性のブラックホール」が、われわれの前にぽっかりと開いたのがこの時代である。
pp189-204(webmaster注:最終段落の「掴めない」中の「掴」は、原文ではその旁の「国」は「國」です)
「経済学はおろか世間の常識で説明するのも難しい」、「外部からの統制、監督を十分に受けない行政、官僚組織」であって「高度成長の恩恵でこれまでは闇に隠れていたもの」が住専問題の処理がベイルアウトになった原因であると。長くなるので略しましたが、当事者であった宮沢元総理や西村元銀行局長の証言を豊富に引用しつつ詳細に描写しており、なるほど実態はそうであったのか、と感じさせるに足る記述となっています。
しかし、当事者の証言とは、それほど信頼に足るのでしょうか? 宮沢元総理にせよ西村元銀行局長にせよ、大蔵省(当時)側の人間でもあり、農林系等金融機関を悪者にしたいとの意図があるかもしれません。そのような故意がなくとも、記憶違いや認知的不協和の存在による選択的な記憶の強化により、当時の実情を忠実に伝えるものではないかもしれません。そして何より、証言が彼らの当時における主観的認識を忠実に表していたとしても、客観的に妥当であるとは限りません。ここでの著者の分析は、こうしたあまたの可能性に目をつぶり証言を鵜呑みにし、結果として官僚とはおどろおどろしい人非人であることにベイルアウトの原因を見出しています。
官僚とてホモサピエンスであり、その点において「世間の常識」の担い手である普通の人々と変わりはありません。政府なるものには職員を人非人に変える魔性が存在するとしても、ではなぜアメリカの官僚は正しくベイルインを選んだのかの説明がつきません。およそホモサピエンスに共通する性質でもなければ官僚組織に共通する性質でもない何かの存在を前提としないとここでの著者の分析は妥当しないわけですが、オッカムの剃刀に照らせば、そのような前提の妥当性には疑問が残ります。
では、オッカムの剃刀に耐える仮説はあるのかということですが、ある、というのがwebmasterの見立てです。それも、「経済学にしたがって説明する」ことが可能なものが。まずは住専とLTCMに関する、日米両政府の次のテキストをご覧ください。
The plan, which calls for fifteen major domestic and foreign commercial and investment banks to infuse a total of $3.5 billion of equity capital into the hedge fund, provides LTCM a respite from loan repayments and with much needed liquid capital. This consortium will now own 90% of the equity in LTCM and will form an oversight committee to direct LTCM’s overall strategy and manage its exposures.
Testimony of Richard R. Lindsey, Director(リチャード・リンゼイSEC市場規制局長の証言)(webmaster注:原文の注記は省略しました)
住専の抱える不良債権は巨額で、かつ、住専に融資を行った金融機関は300にものぼりかつ多様であり、また、それぞれに複雑な関係にあります。このため、当事者のみでは到底解決が困難な状況にあります。また、法的な破産手続きを行った場合は、個々の金融機関の損失額がはっきりするまで何年間も要し、その間、体力の弱い金融機関は経営不安にさらされ続けることになり、場合によっては、預金者に不安が広がり、金融機関の破綻が多発するといった事態も起きかねません。現に海外から、我が国の金融システムに厳しい目が向けられていることは、ジャパン・プレミアムなどからも明らかであります。また、このような状況では、景気の回復が望みえないことは明らかであります。
著者は「債権が少数の債権者に集中していた二つの『債務問題』」として住専問題とLTCM問題を挙げていますが、「少数の債権者」とは住専問題では300、LTCM問題では(ベイルインに関与した者は)15と20倍もの開きがあります。著者は「『再交渉』によって経営破綻を回避する方法は、『債権者』が少数ならば可能だが、多数だと困難になるという問題」の存在を指摘していますが、「再交渉」による経営破綻回避における「少数」「多数」の閾値は明らかにはしていません。現に成功したLTCMでの15は「少数」であるとして、300は果たして「少数」と言い得るのでしょうか?
債権者が多数になるとなぜ「再交渉」による経営破綻回避が困難であるかといえば、著者によればフリーライダーの存在、すなわち抜け駆けしての債権回収が図られることによって「再交渉」がまとまらないおそれが高まるためです。誰かひとりでも抜け駆けを図れば「再交渉」は決裂しますが、各債権者が抜け駆けする確率がわずか1%であるとき、15債権者の全員が抜け駆けせずに「再交渉」がまとまる可能性は86%を超えますが、債権者の数が300となれば5%を割り込みます。債権者の数が15であるときにほぼ50%の確率で「再交渉」がまとまるには抜け駆けの確率は約4.5%となりますが、この抜け駆け確率4.5%の下では、300債権者がまとまる確率は0.0001%に過ぎません。
まして、住専問題において農林系統金融機関はある強みを有していました‐闇に隠されてきた得体の知れぬ政治力とやらではなく、農林系統金融機関のみが、処理対象である住専の母体行ではなかったという事実です。A住専に債権を持つX銀行が債権を回収しようとすれば、A住専の母体行であるY銀行はX銀行が母体行であるB住専から同様に債権の回収を図るという「報復」が可能なので、母体行同士では抜け駆けしての債権回収には抑制が働きます。
#農林系統金融機関は協同住宅ローンという住専の「母体行」ではありましたが、昭和60年代にその不動産関連融資が国会で問題視されたことを受け、バブル期には不動産関連融資を抑制しており多額の不良債権を抱えることはなかったため、協同住宅ローンは処理対象にはなりませんでした。
しかし、農林系統金融機関は処理対象である住専の母体行ではないので、そのような「報復」を恐れることなく抜け駆けしての債権回収を図ることが可能でした。加えて一口に「農林系統金融機関」といいますが、その内実は農林中金・全共連の2全国組織のみならず各都道府県の信連・共済連があり、債権者数としては100近くに上っていました。抜け駆けにためらいのない100債権者、これは到底ベイルインがまとまる状況ではなかったというのがwebmasterの管見です。著者の言うとおり、多くの潜在的フリーライダーを抱える「再交渉」は、潰えるのが自然なのです。
さて、webmasterの分析は、著者の分析に多少は伍しているのでしょうか?
