政府=間接部門の効用
ヒトの生殖細胞を使わず、皮膚の細胞から幹細胞を作り出した山中教授のグループの研究は大きく取り上げられています(ノーベル賞もん?)が、教授にインタビューしたTimes記者氏のブログに非常に興味深い内容がありやした。
なんと、教授の研究の原動力は日本政府の無能さに対する怒りなんだそうです。なぜ日本では生殖細胞の研究利用が認められているのに、あえてそれを使わずに研究してるのかを尋ねられた彼は・・・
(略)
日本の幹細胞研究に対する政府の態度には2つ大きな問題がある。まず、一つの幹細胞に関する実験のたびに500ページもの書類3部を提出しなければならない。これを書くのに1カ月、さらに政府の審査に1カ月、これでは英国のライバルがその間10回以上実験できてしまう。本気で競争しようと思ったら、研究者を一人首にして代わりに事務員を2人雇わなければならない。だからほかの研究者が、公務員仕事の代わりに実験に集中できるよう、幹細胞を人工的に作る方法を見つけたんだ。
それから日本の厚生省の気の変わりやすさ。長期研究を短い期間に押し込めたり、十分な資金を与えずに放置したり。問題は、事務官の長が3年ごとに変わることだ。新しい人が来るたびに、科学研究に足跡を残そうと新しい予算を立ち上げるが、科学的な根拠はなく思い付きだけで、すでにある研究プロジェクト(どんなに成功していても)から予算を奪ってしまう。基本的に、3年でプロジェクトが完成できなければ、あきらめろということだ。
「So cool, Prof Yamanaka! 」(@おこじょの日記11/21付)
実態としてはそうなのだろう、とは霞が関の住人であるwebmasterも思います。不当な非難やいいがかりではないでしょう。しかし、厚生労働省や文部科学省とて、好きでそのようなことをやっているわけではない、というのがこのエントリの趣旨となります‐嘘だろう、とお感じになる方も多いでしょうけれども。
担当職員が偉ぶっていて不愉快な思いをした研究者の方々も少なからずいるとは察せられます。だからといって、担当職員が偉ぶりたいからといって制度ができるわけでもありませんし、その上司が部下を偉ぶらせたいからといって制度を作るわけでもありません。組織の権限の維持・拡大のためにあれこれ手を広げるとは霞が関(に限らず官僚組織一般)についてよくいわれる批判ではありますが、それが真であるとは限らないのです。
では何のためにこのような制度ができるのか、それを示唆する好例が、最近話題の建築基準法の「改悪」でしょう。耐震偽装問題を受けて昨年に行われた建築基準法改正が、あまりに面倒な手続を強いるために住宅着工が落ち込み、ひいては景気の足を引っ張っていると最近言われています。なぜ国土交通省がこのような改正に踏み切ったかといえば、ねちねちと業者をいじめることに役所の窓口の人間が喜びを見出すからではなく、耐震偽装問題が大いに世の中で問題視され、国土交通省自身も厳しく批判されたからに他なりません。
それと同様に、幹細胞研究における政府の関与も、それなくしては政府自身が大いに批判を受けかねない、との主観的認識の帰結であるとwebmasterは考えます。
審査するのは先生方であって官僚ではないです。手続き上中央官僚が事務局をやっていますが、本来大学なり研究所の倫理審査委員会がきちんと対応できればそれで済むはずのことです。
しかし現実には「ヒトになる可能性のある受精卵を壊す」という重大な決定に責任を持てないという意見が多かったので国レベルに上がっていたのだと思います。研究者にとっては、ここでお墨付をもらうことで倫理問題については批判されずに済む、ということです。
「日本の科学技術政策」(@食品安全情報blog11/23付)
仮に政府の関与がなければどうなるか。政府が対応している諸々の「公務員仕事」、つまりは国会対応やメディア対応等が、すべて各研究機関に降りかかる、ということです。関係省庁が一元的に対応しているがために効率化されている部分がなくなります‐とりあえず政府に聞けば一通り情報がそろう、ということがなくなるため、複数機関に重複して問い合わせ等が行われることとなります‐から、単純に政府がやっている「公務員仕事」の同量が各機関に分割して降りかかるのではなく、それに上乗せして降りかかることとなります。
何か報道が出れば‐それが真に傾聴に値する批判である保証はまったくなく、単なる言いがかりである可能性は多分にあります‐、当の報道対象となった機関にとどまらず、あなたのところはどうですか、という取材がやってきます。報道が出れば国会で聞かれるとはよくあることですが、参考人招致などが現在の回数で済んでいるのはとりあえずは政府が対応しているからで、政府が「我々に聞かれても知りません。当事者に聞いてください」と言い出せば、世上問題になるような状況であれば毎日国会に出席しなければならなくなります。
政府のそのような役割は、企業であれば広報、財務、法務、といった間接(管理)部門に相当するもの、とwebmasterは考えます。第一線で働いている営業等の担当者からは、そうした間接部門の存在は忌み嫌われるものです。すなわち、あいつらがいるから余計な仕事が増える、奴らは我々の足を引っ張ることしか考えていない、等々。しかし、世の中の企業がそうした部門を抱えているということは、結局のところそれらの存在が企業全体の生産性を高めているということに他なりません‐もし全体の生産性を低めているなら、そうした部門を持たない企業が現れ、競争に打ち勝っていくでしょうから。
日本ではイギリスの10倍「公務員仕事」の手間隙がかかるとは、本当に残念なことだと思います。しかし、政府部門の効率性が同じと仮定すれば、それは政府に求められる仕事の量に10倍の差がある、ということを示しているのです。もちろん、日本の効率性がイギリスのそれに10倍劣り、本来同じだけの「公務員仕事」で済んでいる可能性はあります。ただ、日本の効率性がイギリスのそれに10倍勝り、本来100倍の「公務員仕事」を求められかねないにもかかわらず、10倍で済んでいる可能性だって同様にあるのです。
