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  • 11/30/2007 (9:01 pm)

    法律家≠政治家

    Filed under: politics, law ::

    たぶん法律家の人達は「あるべき日本の道徳」とか、正義といったものを、議論して定義するところまでを仕事の範囲にして、実装は経済学者に任せればいいんだと思う。

    ほとんどどんな条件のもとでも、一意的な均衡に誘導するメカニズムは存在するし、経済学者はたぶん、それをデザインすることができる。

    1. 法律家は「国民はこうあるべき」という仕様書を作って、経済学者に渡す
    2. 経済学者は仕様書をもとにして、それを実装するための構造を考え出す
    3. そのデザインには誰も口出しできない代わり、経済学者は、「仕様書」には口を出せない

    道義最適と、経済最適とは、たぶんしばしばぶつかりあう。「どちらがより最適なのか?」を議論する場所は、あくまでも仕様書を作る議会。法律家のお仕事。

    (略)

    法律家や政治家が支配していたニッチは、今はどうみても経済学の領域。論理と度胸の経済学者が支配していた「お金」の世界は、今は物理学者や数学者が大活躍。様々な学問は、そのニッチを奪いあいながら、社会は進む。

    「法律の人達は神様でも裁いてればいいんだと思う」(@レジデント初期研修用資料11/30付)

    法律家の機能について、ずいぶんと誤解があるように思います。法律と道徳の関係については、次の証言が標準的な見解を示しています。

    ○岩本一郎君 今御質問いただいたのは、法律と道徳との関係だと思うんですけれども、私の基本的な考え方は、近代法の原理というのは、法律と道徳というのは分離すべきものであって、道徳的な態度を法律によって養う、あるいは強制するということは、これは近代法において、あるいは立憲主義においてあってはならないことだというふうに考えております。

     しかしながら、法と道徳というのは全く無関係なものではございません。例えば刑法のようなものというのは、例えば人を殺してはいけないとかそういった事柄というのは、確かに道徳との一致点はあるわけです。しかしながら、法律の中で、そこに組み込まれている道徳というのは最低限の道徳であって、これは、さまざまな人間が暮らしていて、さまざまな考え方を持っている人間たちが暮らすこの社会において最低限の守らなければならない道徳、すべての道徳観において共有されている、コンセンサスを得られる、理にかなった道徳でなければならないというふうに思うわけです。

    2006年11月13日開催の教育基本法に関する公聴会(衆議院・教育基本法に関する特別委員会)における岩本一郎北星学園大学経済学部教授の答弁

    「標準的」と書いたのは、論者によって見解には幅があるから。たとえばケルゼニアンの門前小僧であるwebmasterであれば、もっとリジッドに法と道徳は分離されている(岩本先生の話をお借りすれば、「人を殺してはいけない」とは法が要請するのではなく、そのような法を定める政治が要請するものということになります)と考えるわけですが、いずれにしても「仕様書」を法律家が作るということには、多くの法律家が違和感を抱くはずです。

    medtoolzさんのリストを以上のような観点から書き直すならば、次のようなものとなるでしょう。

    1. 政治家は「国民はこうあるべき」という仕様書を作って、経済学者に渡す
    2. 経済学者は仕様書をもとにして、それを実装するための構造を考え出す
    3. 法律家は経済学者が考案した構造をコーディングする
    4. 仕様書は政治家同士が、構造は経済学者同士が、コードは法律家同士がレヴューすることを基本とする

    #英語で「法律」を表す単語のひとつに”code”があることは、きわめて示唆的でしょう。

    おそらくmedtoolzさんには、法律を作る立法府の構成員は、法律を作るのだから法律家だ、という理解があるのでしょう。しかし、法律家とはまずは法曹、すなわち裁判官や検事、弁護士であり、次いで法の執行を司る行政府職員や司法書士その他の準法曹的専門職などが続くこととなります。立法府とは、法律のてにをはを定める機能を担うのではなく、medtoolzさんご指摘の通り仕様書に相当する理念・概念こそを定めるべきであるからこそ、法律家ではなく一般人(を代表する者)が構成員となるわけです‐もちろん、法律家のバックグラウンドを持つ者が構成員になることを阻むものではないのですが。

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