「コピーされると儲かるシステムにすれ(命令形)」と故石原潔さんは語りき。
白田氏は、ハーバード大学のウィリアム・フィッシャー教授の説に言及しながら、「ある国の経済規模全体に占めるコンテンツ産業の規模は、おおよそ決まっており推計可能だ。その推計をもとに、税あるいは課徴金として国民が毎年一定額を支出することにより、国民がコンテンツ産業全体を買い上げることができる」と説明する。
課徴金制度では、ユーザーが納める額は一定で、徴収の段階で誰が何をどのように閲覧したかは問題にならない。これによりユーザーのプライバシーを維持し、「お金を払っていない人にはコンテンツにアクセスさせない」という、本質的には困難であり、取引費用の大きな所有権的アプローチをとる現在の著作権制度とは別のあり方が出てくる、と白田氏は話す。
「自分の納めた課徴金のうち、『○○パーセントを××というクリエイターに分配する』と指定できる仕組みが確立できれば、クリエイターの側には収入を増やすために、自分の作品を積極的に広める動機が出てくる。本質的にクリエイターは、作品がユーザーの手許に届くことを望んでいるはず。また、情報技術関連のエンジニアは、情報の送り手と受け手の自由をひろめるよう努力してきたはず。こうした積極的な方向への理想や努力を制約する制度は不幸だ」(白田氏)
「隠す権利」から「広める制度」へ 変化が求められる著作権のあり方(3/3)
白田先生にwebmasterの案(の基本的な枠組み)を受け入れていただいたようでうれしい限りです! って、先生は「webmasterの案」などご存知であるはずもないのでしょうけれども、フィッシャー教授の代替保証制度の公表に1年近く先立って、実は公表していたのです。今から見れば粗もあり恥ずかしくはありますが(たとえば、著作権者が自らネット上でコピーを繰り返すことへの対策がありませんが、ランダムサンプリングでトラフィックを推計することとすれば、現在の視聴率調査程度には大丈夫かも)、改めて明らかにすれば次のとおりです。
ネット上で流通するデジタルデータについて、ウォーターマークを埋め込むこととする。 そして、データ送信の過程でウォーターマークが流通する回数をカウントすることとする。 今の技術で可能ではないような気もするが、webmasterは文系人間ゆえ、そのうち可能になるものと楽観的に考えてさらに議論を進めると、その回数に比例して国がウォーターマークを埋め込んだ著作権者に金を支払うこととする。 プレーンテキストはどうしようもないのであきらめてもらわざるを得ないが、その他は画像、音声、動画、プログラムなど、どれでも保護対象にできることになるだろう。 これにより、サイトからダウンロードであろうと、WinnyやWinMXなどによるP2Pでの交換であろうと、とにかくネット上で広まれば広まるほど儲かるということになる。
支払われる金の財源としては、新たな税金を設けることとする。 しかし、エルドレッド法案のように著作権者から徴収するのではない。 基本的には受益者負担が望ましいのだが、あまり厳密にすると負担逃れのためのクラックが横行するリスクがあるし、気軽な試用ができずコピーが阻害されかねない。 したがって、記憶媒体に課税することとする。 コピーして活用する場合には、必ず何らかのメディアに記録する必要があるから、ゆるやかな受益者負担となるし、購入時点で間接税として徴収されるため、クラックをするインセンティブは相当程度低くなるはずだ(愉快犯的な欲求は常にあるだろうからゼロにはならないだろうが)。 バイトあたりいくら、という形が基本だが、記憶媒体の進歩を促すためには、密度に応じて税金をまけてやるなんてことも有効だろう。
このままでは2つ問題が残る。 1つは好ましからざる使用の防止には有効でないこと。 例えばアイドルが自分の写真をアイコラには使って欲しくないということに対しては、ウォーターマークスキームは無力だ。 これについては、基本は現行法制と同様の仕組みで対応することが無難だろう。 つまり、一定期間内は著作権者に使用の差し止め請求権を認めることとする。
もう1つは、フリーウェア作成が停滞するリスクがあること。 なにせ、ウォーターマークスキームにおいては、使う側からすれば直接金を支払わなくてよいという点では、企業製品も個人の作品も変わりがなくなる。 であれば、今は企業製品やシェアウェアに金を支払いたくないがためにフリーウェアを使っている人間の多くがフリーウェアの使用を中止しかねないし、そうすればフリーウェアを作成する気力を失う作者も多かろう。 これについては、国から金を受け取る権利を分割・譲渡可能にすることで対応することとする。 いわばデジタルデータについて「株式」を発行するようなものだ。 自分はお金はいらないから少しでも多くの人に作品を見たり使ったりして欲しいという作者はこの「株式」を利用者に与え、他方で利用者は「配当」を期待して将来普及しそうと見込まれるフリーウェアを使ったり自主的にPRしたりするようになる、という形でのプロモーションが可能となる。
蛇足ながら、ウォーターマーク埋め込みは義務ではなく権利である。 したがって、例えばストールマンの理念に共鳴してGPLライセンスで自分の作品を流通させたいと思えば、ウォーターマークを埋め込まずそのままネット上で公表すればよい。 ウォーターマークはあくまで国から金をもらうために埋め込むことができるものであり、国から金など受け取りたくないという人に対して同調を強いるものではない。
書を捨てず、ネットに出よう−「コモンズ/ネット上の所有権強化は技術革新を殺す」(ローレンス・レッシグ著、山形浩生訳)(2003/12/4付)
といってもこのアイデアも、さらに5年の時をさかのぼり1998年に公表された故石原潔さんのコピーされると儲かるシステムにすれ(命令形)にインスパイアされたもので、まことにネット上での著作権の議論らしくオリジナルが何かということは(少なくともwebmasterにとっては)重要ではありません。より重要だとwebmasterが思うのは、白田先生のご提案の勘所が何かという点で、石原さんのタイトルのようにコピーされればされるほど著作権者が儲かり、著作権者が自ら儲けのためにコピーを促進するようなものでなければならないでしょう。下衆の勘繰りではありますが、白田先生のこれまでのおっしゃりようから察するに、現在の流通業者等が儲からなくなってもかまわないとお考えなのでは、という気がするのです。
しかし、現在の流通の仕組みによって儲けている者がおり、仕組みが変わることによってその儲けが失われると予測するならば、当然にそれらの者は仕組みの変更に反対するはずです。実際に、儲けが減る可能性が高い者の存在は、次のように十分に予測可能です。
なぜ、Winnyの音楽ファイルダウンロードがCD売上を減らさなかったのか。田中氏はこの理由として、CD購入者とWinnyユーザーは需要が異なるという仮説や、Winnyには宣伝効果があるとする仮説などを立てる。
「実際、米国では中堅以下のアーティストがファイル交換ネットワークに作品を流すと、売上が増えるという。トップアーティストの場合は売上が減るようだが……」
WinnyはCD売上を減らさず〜慶應助教授の研究に迫る (3/3)
だからといって、そうした反対者を理念的に糾弾したところで(たとえば「自分の利益のために全体の足を引っ張っている」など)、その批判を受け入れても飯の種にはならないのですから、反対は止むはずもありません。あくまで儲かるとのインセンティヴによって賛成に誘導することが、自由なコピーの実現にためには有益でしょう。
さらに言えば、仮に現在著作権関連の企業の利益がX兆円、消費者が支払っている代金がY兆円だったとして、分配金の学はX兆円ではなくY兆円とするぐらいの思い切りがあれば、導入はさらに早まるでしょう‐現在X兆円しか儲けていないのに、儲けをY兆円(に近い額)とするのは心理的抵抗が大きいとは思いますが、消費者としては今以上の負担を強いられるわけでもなく、他方でコピーの自由が享受できるようになり、現時点でも損はないですし、中長期的メリットは言わずもがななのですから。
