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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2007-01-17
■ [economy][WWW]釣られるのが生きg(ry リローデッド
LazyZooさんのエントリを受けた先日のエントリについて、shunkunさんから反論をいただきました。過敏に反応
、拡大解釈して勝手に怒る
、勘違いして怒ってキレてるようにしか読めない
などとお書きになられていることから、こちらが何を書いてもヒステリックに逆ギレしているようにしか受け止めてもらえないのだろうなとは予想するので、なるべくsvnseedsさんを見習って華麗にスルーと行きたいのですが、webmasterはそれほど人間ができていないので(笑)、不当な中傷だと思う点に絞って物申します。
もとの菊池誠先生の話のどの部分を重視するかという話にもなるんですが,こと「水伝」については「とんでもないことが主張されている」「とんでもない「科学」が道徳のために(善意から)とはいえ教育や躾に使われている」「とんでもない「科学」は分かりやすいが科学的でない」というあたりがポイントではないかと思います.在野のエコノミストがきらいな人にとって見れば,「おおこれこそ」といって食いつくところなんですが,LazyZooさんが嫌悪感を覚えたのはたぶん,「とんでもないことを「とんでもないこと」と批判できるのかコラ」という点ではないかと思います.本人知らないんで違うかもしれませんか.「批判できんのかコラ」というのは,ひとつには「テメエに言われたくない」というのと「意外にトンデモじゃないかもしれない」という2点があるのではないかと思われます.違うかもしれませんが.
(略)
いやしかし,「啓蒙活動なるもの」を止めろと言われたとまで拡大解釈して勝手に怒るというのは,どうなんですかね.勘違いして怒ってキレてるようにしか読めないですけど.困ると「経済学の素人」を強調するのもなあ,と思うんですが,まあ自発的なブログなんでそこらへんは読み手の責任なんでしょうな.
「ニセ科学(続きの続き)」(@だからちがうんだってば.1/11付)
第1点は、「テメエに言われたくない」というのは(webmasterに対する)「『啓蒙活動なるもの』を止めろ」という意味が含まれていると解するのは被害妄想なんですかねぇ、ということです。LazyZooさんのエントリにおいては、webmasterのエントリ(「視点・論点『まん延するニセ経済学』」(2006/12/26付))を個別の問題として取り上げたものではなく、一般的な風潮としての専門に対するリスペクトの欠如を歎ずる文脈において、例示として出されています。
つまり、webmasterが書いた事柄について具体的にあれがおかしいといった話ではなく、素人が知ったかぶりをして乱暴な話をし、それがあたかも専門家の代弁であるかのように受け止められるのは嘆かわしい、ということがその趣旨であったと理解しています。ひとつあのエントリに対してではなく、webmasterが聞きかじった経済学を権威あるものであるかのように書き散らかすこと全体に対して、「テメエに言われたくない」ということではないのでしょうか?
逆に言うなら、「テメエに言われたくない」という趣旨の言葉を投げつけられた身としては、それ以外にどう解せばいいんでしょうかねぇ? LazyZooさんが示すひとつの道は専門でエスタブリッシュされてから、ということになりますが、エスタブリッシュされるまで口を出すなということであれば、それは事実上素人は何も言うなということに等しいわけです。それとも、経済学を聞きかじるのを一切やめて、非経済学的な言い振りに特化しろとでも?
第2点は、「困ると『経済学の素人』を強調」しているわけではないということです。本件について時系列を整理するなら、そもそものエントリに素人云々は書いてあったわけで、LazyZooさんからご意見をいただいてから(今般の文脈においては、これが「困る」ということでしょう)素人だと言い出したわけではありません。
もう少し意味のある話をするなら、一般的には、批判されるべき素人を強調する言説というのは、素人の言うことなのだから大目に見ろとしたり、専門家から指摘を受けた際にそれは大人気ないとする逃げ道を確保したりするものでしょう。webmasterはそうした意味で自らを素人だとしたことはありません‐webmasterの書くことには誤りが含まれている可能性が高いので、気をつけて読んで欲しい、というメッセージを込めているわけです。だからこそ、誤りがあれば指摘して欲しいと書き、現に諸賢のご指摘をいただいて訂正したことも数え切れないほどあります。
言い換えれば、webmasterが素人云々とよく書くのは、本件の文脈に即して言うならば、それこそ世の中そう単純ではないよということに注意を喚起するためです。ネット上ではさまざまなコピペが飛び交っていますが、その信頼性は玉石混交で、webmasterが書いたテキストとて、たとえそれが専門家から見れば噴飯ものであったとしても、権威あるものとして流通してしまう可能性はゼロではありません。そのすべてをどうこうすることなどもちろん不可能ですが、少なくともソースに当たろうとする人間にとっては、専門的にきちんと検証されたものではないのだということをわかっていただけるでしょう。
こういう文脈での素人だとの注意喚起がおかしいというならば、「本人知らないんで違うかもしれませんか」「違うかもしれませんが」というshunkunさんの断り書きにしたっておかしいということになるでしょう。メタ的には同様の機能を果たしているのですから。
「僕はこの件については、良く知っている」の意味するところは、発言者によって、レベルはピンキリなのです。
英会話を習っている小学生が「ボク英語出来るんだよ」とも言うし、nativeの英文学を研究しているイギリス人が「Englishは難しいんだよ」とも言うし、いずのcontextも正しいのです。
どの専門領域であっても「修士も出ていないで、専門知識もないくせに、偉そうなことをいいやがって・・・」の様な発言をする人間には、懐が小さいというか、自分の足下しか見ていないというか、という印象を受けます。
大学4年生は3年生を下に見て、修士は学士を下に見て、博士は修士を下に見て、助手は院生を下に見て、教授はスタッフを下に見て・・・・くだらないと思いませんか?
小学生が英語習って、自分の英語論を唱えたって別にいいんですよ。しょせん修士課程の勉強なんて、「親のすね囓って、ちょっと大学に余分に行って、学部に毛が生えた程度の勉強している」ってだけでしょ。専門決めてあと2年大学に行ったからって急に賢くなる訳でもないし。
それこそドカタの親父に言わせれば「てめえの腕で働いて、コモド喰わせて、税金も払ってもいねえくせに、何を偉そうな能書きたれてんだ?」っていう見方だって出来るわけで。
つまり立場によって、取り方は色々であって、ちょっとくらい自分がよく知っている分野があるからって目くじら立てない方が(今後の人生にとっても)いいですよと(LazyZooさんに)言いたいわけで。
私はこのサイトは非常に質の高い内容だと思っておりますし、勉強になっておりますし、専門家が見て(素人でも)おかしいところがあればwebmasterさんに指摘して議論して、質を高めてもらう、てな方向で、今後もブログ続けていただければありがたいです。
なるほど。
エスタブリッシュでもエステティックでも何でもいいんですが、専門に関する敬意とか言われてもねえ。
専門家とやらが頑張らないからウィリアム・グレーダーみたいな(古いか)のが盛り上がったりするんだと思うよ。オレは。
だいたいさ、真剣になって経済学をやるのは悪くないけどさ、遊び心も大事だと思うよ。
ま、LazyZooさんさんの見解は「固定観念や風説を疑うのが学問だ」と言ったら「無教養なやからの暴論だ」と一蹴する感じに見えるべ。
自分が信じて疑わなかった権威を攻撃されたと感じたんじゃないのかねえ。
頭のいい誠実の人は騙されやすいしさ。
>頭のいい誠実の人は騙されやすいしさ
助詞間違えた・・・
どうもお久しぶりです。遅ればせながら明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
一連のエントリーが過去数年私が感じていたことと少し重なるのでコメントさせていただきます。特にBewaadさんを批判するとか、逆にLazyzooさんを批判するといった意図はなく、単なる感想です(そもそも、私にはLazyzooさんのエントリーの文意が部分的にしか分かりませんでしたので。私の知らない人名が多すぎるのに加え、ちょっと読みづらいですね)。
現実逃避にブログを流し読みしていると「こいつは経済学が分かってない」とか「経済学的には(この政策は)間違っている」と断言する文章を良く見かけます。実際、そこで槍玉に挙げられているネタには私も「これはちょっとどうかなぁ」と思うものが多いです。ただ、この手の批判に私が違和感を感じるのは、おかしな(非科学的な)ネタを批判しているエントリーもあまり科学的でないケースが多いからです(ここでは、科学的な議論を「前提条件の設定」→「ロジックの構築」→「結論」の3段階を踏まえたものであると定義します。これは結構幅広く使える定義だと”個人的には”思っています)。
いわゆる「トンデモ」と呼ばれている議論は、多くの場合「前提条件の設定」がなく、「非経済学的なロジック(またはフィーリング)」に基づいて、「結論」が導かれています。それに対して、それらに対する批判には「前提条件の設定」がなく、「経済学的なロジック」に基づいて、上の議論は「経済学的に間違っている」というケースが散見されるように思います。例えば、利息制限法のケースで、Bewaadさんが『「経済学的には何の根拠もない」というのびたさんのご指摘のとおり』とおっしゃられています。私がこれに強い違和感を感じたのは完全情報etcを「暗黙のうちに」仮定しながら、そこから経済学的には何の根拠もない、と断言されているからです。それで、「有限責任性を置いたら経済学的に正当化し得るよ」、というエントリーを書いたわけです。
同様のケースで、昔金融政策の議論で偉い経済学者の名前が(必ずしもその議論の内容が理解されることなく)ずらずら列挙されていたことがありました。これも、前提条件を無視してその上に載っている理論と結論だけを持ってきてしまった一例と言えると思います(そこで列挙されていた経済学者の設定していた前提条件も理論も全く違うものであったことは以前指摘しました)。
逆に言うと、おかしな議論に「科学的に」反論するには、そのような結論を導くためには如何に非現実的な前提を置かねばならないか、をちゃんと考えていかねばなりません。「水の〜」でなされた手法は当にそういったものであったようですし(未読ですが)。それを省略してしまうと、ミイラ取りがミイラになりかねません。もちろん、現実の政策決定でそのような緻密な作業をいちいちやっていたらきりがなく、経済学の活用に当たってある程度の妥協が必要であるのは当然です。しかし、ブログは政策決定の場ではありえませんし、また「自分が今どれだけ妥協しているのか」は自覚しておかねばならないポイントであると思います。
言うまでもなく、私は素人は「経済学的な」議論をすべきでないなどとは思っていません。それならば、そもそも私にはブログを書く資格がありません(ただし、一応ブログ内で特定の経済学理論の名前は極力出さないようにはしていますが。怖いので)。ただ、もっと前提条件に目を配ったほうが、より面白い議論になるのではないかとは思っています。
エスタブリッシュメントか、草の根保守主義かの対立は意外な形で幕を閉じたかのようです。
ただ、前から気になっていたのですが、このHPは2chから苺なんたらとかから移行されてきたようですが、サクラと思われる馬糞の多いイメージが払拭できないのではないかと考えます。
三菱=石油系と、三井=ロス・チャイルドで、三井が万年二位の座に甘んじていたのが間違いだったように思います。
しかしながら、進言いたしますと、やはり、石油系のほうが、圧倒的に悪魔的と考えており、今後の対処をどうされるか非常に気がかりではあります。
日銀はそもそもロスチャイルド系列の欧州系、統一通貨を目指すものだと思っていましたが、ロッキードとの対立はほぼ永久的自衛権を求める、圧倒的悪魔派勢力との戦いはどうも決着していないかに思えます。
つまり、統一通貨か、永久通貨の戦いであり、後者が総裁決定権を幾度となく発する過激派なのではないでしょうか?
リフレ経済として、おそらく、後者のインタゲ容認するといった、常に楽観論者は、国民的支持を得るのは非常に難しいと考えますし、ベースマネーを縮小し、創造論者をこれ以上増やすのもどうかと考えますが、webmasterさんはどのようにお考えですか?
>ただ、もっと前提条件に目を配ったほうが、より面白い議論になるのではないかとは思っています。
その口言うか、その口が....(唖然)
一級の研究者並に専門性の高い実務家であれば、両方の気持ちが分かるわけです。私はそういう人(プロフェッショナルな実務家)が増えることを目指しているんですよねえ。
馬車馬さんのご意見には賛成できません。そもそもことの発端は、LazyZooさんという木村剛さんのシンパの方が、彼のキャピタル・フライト論をbewaadさんにトンデモ認定されたことに不満を言いたいということだったと思います。しかし、既に何人もの人が指摘しているように、「キャピタル・フライト(資本流出)が起きれば日本の貿易黒字など吹っ飛ぶ」といった木村キャピタル・フライト説は、国際収支の会計的定義にそもそも矛盾するものなので、これがトンデモでなかったら経済学そのものがトンデモになってしまうでしょう。前提条件を変えれば成立する可能性があるというものでは明らかにありません。これ以上何をごちゃごちゃ議論する必要があるのか、まったく分からないというのが正直なところです。
デフレ派の森永VSソフトランディング派の植草氏のように、以前から、楽観論者こそ排除すべきだとの考えを持っていました。
デフレ派でありながら、量的緩和を唱える森永氏の驚くべき発言は、「お金をいっぱいプリントしたら、あるとき、急にみんな元気になったじゃないですか?」ということでした。
加える必要がない論評です。その後の発言でも、「でもその後、確実にみんな元気をなくしちゃったんですけど」かなりわかりやすく伝えていますが、言うに及びません。
逆に、植草氏の考えるソフトランディングのシナリオは、確実にベースマネーを意識した発言で、流通量の縮小、ベースマネーの拡大という日銀の福井総裁と完全に一致した意見でした。
ただし、森永氏の一般大衆向け、わかりやすい経済学は、量的緩和で、労働者にもっと分配するという、私の、ベースマネー(国民基礎所得)を作るという意見に重なるものであり、一概に否定できた発言ではありません。
つまり、国民所得を上げ、ソフトランディングを起こすには、二つの案を組み込むべきだという結論に達するということです。
借金比率的に、銀行のプライマリーバランスは、圧倒的金融資産が多いのであり、逆に国のプライマリーバランスは、金融資産と固定資産でほぼ半数の比率を持つというものです。
両者は疑いなく、デフレ派であり、またお互いが固定資産派のいわゆる昔の政府日銀の建設国債派であり、労働党だといえるのではないでしょうか?
そして森永氏のいうベースマネーは労働者の原資であるのに対し、植草氏のベースマネーは日銀の原資だと言えます。
疑いなく、ソロスの先物取引が、通貨の爆弾発生を招いてしまい、それを刈り取ろうと、デフレ派が動いたというところでしょうか。ソロスのバックに現政権エリザベス女王が控え、インタゲ規制に走ると、ここらへんはいつもの日銀の政策であり、その負債を森永氏が借金をすることで、支えようという、いつものパターンを、阻止すべく植草氏がソフトランディングに動くという構図も疑いなく、いつものパターンです。
ただし、今度の政策では、植草氏の背後に控えるゴールドマンサックスのロボット工学の人工科学的価格変動が堀江氏と植草氏、森永までもを同じ訴訟問題に持ち込んだということで、少し、今までの展開とは違った流れに帰還したということです。
つまり、今までの流れでは、またスタート地点に戻ったに過ぎなかったわけですが、森永氏が介入した結果、労働者の国民基礎所得、100万が生まれたということです。これが起こるとおそらく弱るのはパート従業員を抱える松屋フーズなどの、フードチェーンのパート従業員が一斉に辞めてしまうという、閉店騒ぎが危惧されるということです。
しかしながら、先物取引の損失を労働者に再分配するという、やはりまたいつものアレへの帰還と、なんら変わることはないと言えます。
労働者に100万を分配したところ、労働者がいなくなってしまうと買えるものがなくなってしまい、結局はインタゲと同じ原理にならないということです。
だとすれば、国民基礎給与は年間の労働者バンクとして、無条件で貸し出し、借金を借金で返すという、いつものパターンで、安全保障問題を置き換えるべきだと考えています。
その結果、お金を100万円、タダで貰えることになり、工場主は違う年間100万のベースマネーを管理するという結果になります。総貯金と、総資産という極めて明快な需要と供給バランスが整うことになります。これは民間レベルでも管理でき、安全保障に関わる国の税金が大幅カットされます。
そして、危険なあずき豆のような金融取引と完全隔離が果たせることになるのです。
どうよ。
私は前から、金融資産と労働者資産を分割すべきだという考えを
↑電波でしょ。
>名無しのどん兵衛さん
何か改めるべきだという点があるならば、そうおっしゃっていただければこちらとしても対応を考えられるのですが、専門へのリスペクトがないとか、実務家からは理解が得られないと言われてもなぁ、という気がしてしまうわけです。
>猿マシーンさん
専門の方がどのような活動をしているのか、見えにくいのも一因であると思います。きっと私が勘違いしているようなこともあるのでしょうけれど、それは違うというだけでなく、どのように何が違うかをご教示いただけるなら、有益だと思っているのですが。
>馬車馬さん
こちらこそご無沙汰です。引き続きよろしくお願いいたします。
こちらも一般論でお返しする形になるのですが、どこまで前提条件をきちんと書くかというのは、永遠に解がないといいますか、どういう人に向けたテキストをどういう調子で書くかということと不可分なのだと思います。
まさにきっかけとなった菊池先生のテキストでも、科学的とは割り切れないことだといった趣旨の言及がありましたが、私が科学的であるかどうかはさておき、前提条件ごとに場合わけをして記述するというのは、厳密さが担保される一方で、迂遠で分かりづらい、ぐらいならばいいですが、くどいとか偉ぶっているとか、何かと批判もされるわけです。
嘘も方便ではありませんが、何をどう伝えたいかの優先順位付けの中で、ある程度の取捨選択はせざるを得ないのだろうな、と思います。当然ながらそれにも失敗はつきもので、試行錯誤を繰り返すしかありませんし、いつまでたっても十分だといえるようなレヴェルには達することができないのでしょうけれど、blogという場で公に主張を展開する以上は、そうした努力は継続していかなければならないのだろうなぁ、と考えています。
>サクラさん
当サイトは、陰謀論は真剣に向き合うべきものではない、という方針で運営しておりますので、ご理解いただければ幸いです。
>野次馬さん
あおられがちな私が申し上げるのも変な話ですが(笑)、あおりあおられはなるべくならしたくないものですよね。
>特殊法人さん
私もそのように思い、専門を持つものどうしの共感なんてものに期待をしているわけですが、自らを省みてもなかなか難しいものです・・・。
>イナゴさん
あくまで推測ですが、キャピタルフライト論を弁護しているのではなく、さらに言えばそれがどんなものかはあまりご存じないのでは、という気がします。
結局行き着くところは再び「科学とは何か」なのではないでしょうか。ここの皆さんがそういう方向で議論したいかどうかはわかりませんが・・・
この話、「何がトンデモ認定されて然るべきか」ということと、「科学的知識に関して非専門家が積極的に発言することの是非」という論点が混ざっていると思います。
一つ目に関しては文字通りの「科学とは何か話」に帰着し、一例を挙げれば、批判的合理主義の立場に立てば、反証可能な命題を提示しているのであれば一応科学的ということになるのでしょう。私も以前のエントリで安易にトンデモという表現を使ってしまいましたが、キムタケ氏のキャピタルフライト論も「○○と証明されれば間違っている」といえる形の論の立て方であれば、科学的に「間違い」ではあっても、それ自体「トンデモ」というのは言い過ぎなのかもしれません。もちろんこれも「科学観の一例」に過ぎませんが。
二点目については、端的に「非専門家は黙ってろ」というのはずいぶんアナクロな意見だな、とは正直に思います。科学知識の使い方を決めるのは専門家の特権事項ではなく、非専門家に理解できるように説明するのは専門家の責任、という考え方は現在では半ば常識だと思いますし、その言わば啓蒙活動にある程度の非専門家も関わるのはごく自然なことだと思います。
問題は、例えばニュートン力学しか理解していない人が量子力学をトンデモ扱いし始めたりすると大変なわけですが、それは最新の科学的知識を理解している専門家が(もし自分で全部啓蒙するのでなければ)authorizeすべきようなことで、これまた「最新の知見をわかってない非専門家は黙ってろ」は単なる責任放棄だと言われても仕方がないでしょう。天動説を主張する人を批判するくらいは非専門家でもやっていいはずで、LazyZooさんが「キムタケ氏のキャピタルフライト論は、専門家の立場から見ると実は天動説ほどはトンデモではないから非専門家が安易に批判するのは危険」というような趣旨で言っているのなら個別論としては傾聴すべきだと思いますが、一般論として彼が述べていることは言ってみれば一昔前の悪い意味での「専門家像」の典型のように感じました。
書き殴ってしまいましたが、LazoZooさんの元エントリを落ち着いて読むと、山形さんの発言に関する最初の数パラグラフは特に違和感ありませんね。一方、「水伝」のくだりになると言いたいことがわからなくなってきます。うがった読み方をすると、「科学的に誠実にあろうとするとトンデモなことでも簡単には否定できないのにシロウトなだけに気楽に言いやがってあいつら」という恨み言のようにも読めます。でも少なくとも多くの「経済ブロガー」の意図は「あいつらバーカ」と得意げに言うことではなくて、間違っている(可能性が極めて高い)議論を社会的に影響力のある人間がして、それが通ってしまう危険性を難じているのだと思いますので、やっぱり怒りをもっていくところが違うと思いますね。直接そこまでは言ってなくても、行き着くところは
専門家→厳密に誠実にあろうとすれば黙るしかない
非専門家→専門家がそうしてるんだから調子に乗らずに黙ってろよ
ということになってしまうと思いますし。
私はこれ、濱口桂一郎さんが田中秀臣さんに不快感を抱いたのと同じような話だと思ってます。
「構造改革」という言葉は時代によって背負っている文脈が違うことをきちんと書かない経済史家なんて……というのが濱口さんの批判でしたが、ようするにイチャモンなんです。でも田中さんの文章は濱口さんに「いささか調子に乗りすぎでないかい?」と思わせるに足るものだった。
私は「エコノミスト・ミシュラン」や「経済論戦の読み方」と比較して「経済政策を歴史に学ぶ」は諸賢への礼節をわきまえた読みやすい本だと思っていたので、まさかあのような反応を呼ぶとは意外でした。しかし濱口さんの読み方は理解できるし、イチャモンをつけたくなった気持ちは分かります。
LazyZooさんはbewaad さんのネタを読んで山形さんの失礼な物言いを思い出しムカムカして何か書きたくなり、そこから連想された持論(日本では専門家が形式的に尊敬されるだけ)をくっつけてブログの記事をひとつ仕上げたのだと思います。
http://deztec.jp/design/06/10/16_books.html
http://deztec.jp/design/06/10/19_literacy.html
私は BI@K を読み続けるにあたって、bewaadさんの記事によそ向きのと内向きのがあることを次第に理解し、納得するようになりましたが、それまでには相当の時間を要しました。また私は納得したからいいのですが、ずっと割り切れない思いを抱き続ける人もいることでしょう。
今回の件は啓蒙活動がいいとか悪いとかではなくて、内輪ウケを狙った書き方が外の人(の一部)を怒らせる、という問題だと思います。
> アルベルトさん
仰ることは分かりますが、それが目的ではないなら【「あいつらバーカ」と得意げに言うこと】は慎むべき、という話なのでは。嘲笑・侮蔑の表現、批判対象の知性を信頼していないことを明示した表現は、BI@K のコメント欄にもあふれています。
>徳保隆夫さん
おっしゃる通りですね。自分も件のエントリのコメントではそんなような書き方をしました。反省します。
特に個人相手ではそうですね。もっとも、日銀相手くらいになると、最初からこっちもドンキホーテ的存在ですからネタにしても許されると思いますけど・・・w
そもそもその二人は本当に専門家といえるほどの知識を持ってる人なんでしょうかね。
専門家を自称する割には経済学的な内容に関する批評がなくて、言葉遣いへの批判や人格攻撃のような揚げ足取りばかりのように見えるんですが。内容に関して反論できない人がよく使う手口なので、どうしても彼らの専門性自体疑ってしまいます。相手のブログの記事を全て読んでいるわけではないので、もしかしたら過去ログには金竹の言い分をフォーマライズしたものがあるのかもしれませんけど。リスペクトされたいなら、されるよな知識をすすんで披露すべきでしょう。
あとキムたけが在野のエコノミストというのは違和感がありますね。数年前まで経済政策を決定するのに近い立場にあったはずで、そういう立場の人は通常より高い責任があるはず。水伝だって学校出まで教えられるような自体だからこそ大きな問題となったわけですし。国際収支の基礎知識もなく、「意外にトンデモじゃないかもしれない」という程度のレベルで政策を決められては国民の側はたまったもんじゃないですね。景気回復のために不良債権処理が必要だと言い張って多数の倒産失業を出すようなことをした政策の推進者でもあったんですが、その程度の知識でそれだけの犠牲を払うだけのメリットのある政策だったのか証明できるんでしょうかね。出来ないならリスペクトされるはずもないし、恨まれて当然だと思うんですが。公式の場でド素人を自認するような人物が中央銀行総裁をやってる国ですからそれに比べりゃ木村ぐらいはかわいいものかもしれませんが。
>アルベルトさん
天動説はトンデモというようなものではないと思います。地球と太陽のどちらが中心でどちらが動いてるかは解釈や定義の問題で、天動説と地動説とは計算上の座標変換が違うだけです。太陽を中心と書いてするのは近似式にして計算しやすくする程度の意味しかありません。プトレマイオスの天動説は反証可能性とかがないわけでもなく、長期間暦の作成に使われ、実用に耐えるレベルのもので、天体運動の予測の精度はコペルニクスの地動説だって大して違いはなかったし、十分に科学的な説だったと思います。
私の感覚では、専門知に対するリスペクトが無いのは、キムタケ、○井総裁(やば!伏字になってないじゃん。(笑))等の方じゃないですかね?特に○井総裁は、事実上「マクロ経済運営を行う上で経済学なんて役に立たないもんねぇ〜」と言っているに等しいと私に感じさせるその役者っぷりに感服です。
少なくとも、社会的立場にある人達が影響力を行使する場合に、その分野の既存の研究と(最先端とは言いませんが、ある程度以上の精度で正しいと思われる学部レベルについては)矛盾していないかをチェックすべきだと思うんですよね。これが専門知に対するリスペクトだと自分は思いますが。
そこで、もし矛盾するのであれば、既存の理論がどうしてこの場合に当てはまらないと考えるのかについて、きちんと説明すべきでしょう。
その説明がもっともでしたら、学問体系の変化の瞬間を目にすることが出来てラッキーだと。社会科学では、必要に応じて定義の更新もしなくてはならないんでしょうしね。
少なくとも、博士号持っている、修士号をもっている、大学教員である等の誰が言っているのかではなく、何を言っているのかで判断すべきだよなぁと思うのですが。
んで、今回の話については、別にキムタケや○井さんがきちんと説明をした訳ではないので、常識的に変だろと非難されてもしょうがないよねぇというのが感想。
BEWAAD様、お疲れ様でした。
ではでは
>○さん
(a)地球が自転している
(b)地球は静止しており、他の宇宙全体が地球のまわりを回転している
の2つでは、遠心力の影響の有無が異なると思います。(a)では遠心力により低緯度ほど重量が小さくなりますが(b)ではどこでも同じ重量になるはずですね。
↓実際は以下のように、日本国内ですら調整が必要なほど差があります。
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/i/52158030.html
地域設定機能付き
「北海道」「本州・四国・九州」「沖縄」の3段階の地域設定機能を搭載。緯度による重力の差に関係なく正確に測ることができます。
>cloudyさん
天秤秤を使っていると重力調整が必要なくなるんですよ。
>アルベルトさん
科学論についてはおっしゃるとおりで、LazyZooさんやshunkunさんからはそういうことは言われてはいないと認識していますが、そういう議論であれば展開は違っていたのかもしれません。
>徳保隆夫さん
そういう問題設定ですと、実はあれは内輪ウケではなかった、という話になってきます(少なくとも私の主観においては)。普段当サイトに縁の無いような方でも、読んでいただける機会があるのではないか、と狙って書きましたし。
つまりは、内輪ウケ狙いにしか見えないようにしか書けなかった私の技量の問題、なのかな?
>〇さん
それを言い出すと泥仕合かな、という気がします。このエントリにお答えいただけるのならば、次のステップとして、キャピタルフライトの含意と妥当性について議論を進めようかとは思っているのですが・・・。
>竹馬さん
社会を実際に動かした度合いでいえば、郵政民営化が一番ひどかったような(笑)。
>cloudyさん、通行人さん
掘り下げていただきありがとうございました、としか書けない私です・・・。
やはり三倍(ry
> 通行人さん
cloudy さんの仰ることをもっとペダンティックに書くと (a) と (b) を表す座標系間の変換を行うと運動方程式が「保存」されないことを言っていると思います。ですから
> 天秤秤を使っていると重力調整が必要なくなるんですよ。
は関係ありません。
本論に関しましては略させていただきます(いいのか?
>cloudyさん
相対論的には地球が静止しているとしても重力の差は説明可能です。(a)と(b)で重力が異なるということはないはずです。地球が静止していても地球以外の物体が回転していれば各物体の速さの違いに応じて遠心力が違ってきますから。それに地動説のもともとの用語(Geocentric〜)を正確に訳せば大地中心説なので、自転があるから地球が中心ではないともいえないですし。
>小僧さん
それは赤くしてツノを付けろということでしょうか(何に?)。
>〇さん
明らかに私はついていけていませんが、ここでご議論いただくことには何の差支えもないので、引き続きよろしくお願いいたします(為念)。
題意から脱線してしまってすみません >webmaster
>○さん
どうも私は「ニュートンのバケツ問題」に首をつっこんでしまったようです。
マッハの「止まっているバケツの周囲を宇宙全体が回転したらバケツの水面は外側が盛り上がる」という主張には納得できないのですが、これが現代物理学の常識であるならば真面目に勉強してみたいと思いますので、なにか良い本をご紹介いただけませんか?
>cloudyさん
どうぞご遠慮なく続けてください。
>cloudyさん
具体的な書名は思いつきませんが、一般相対性理論に関する本を読めばいいかと思います。
私も専門家ではないので最先端のことまではわかりませんが、少なくとも相対論ではエーテルなどの絶対空間はなく、バケツや地球が1回転するのもそれ以外の宇宙全体が逆方向に1回転するのも地球が100回回転しながら宇宙全体も同じ方向に99回回転するのも等価であり、座標変換はできるということで理論が構築されてるはずです。日常感覚とはあわないかもしれませんがそれを言い出すと地動説だってあわないわけですし。絶対空間がないなら地球の自転は他の天体との位置関係の変化以外では確認しようがないですから、当然等価でなければおかしなことになります。緯度の違いによる重力の違いも他の物体からの影響による物なので、宇宙に地球しか存在しないなら、自転は確認できず緯度の違いで重力が違ってくることもないということになります。(厳密には地球は完全な球体ではなく、緯度によって地球の中心からの距離が違うので、自転がなくても地表の物体での重力の違いは有りますが)
>〇さん
情報提供ありがとうございました。