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2007-01-21
■ [economy][book]兪炳匡「「改革」のための医療経済学」
当サイトでも何度か取り上げている権丈先生の一連の著作と重なるところの多い本書ですが、webmasterが気になった相違点は次の2つです。
まず、今主流の経済学研究スタイル(と書くと語弊もあるのでしょうけれど)への違和感からイギリス留学を選択し、著作においても人文的な物言いが豊富に盛り込まれている権丈先生に対して、素直(?)にアメリカ留学を選択した著者の記述スタイルは、第1章が「忙しい読者のための総括」であることに典型的に表れているように、学生のレジュメ的なシンプルさで一貫しています。あくまで相違であって良し悪しの問題ではありませんが、時間の確保がなかなか難しい読者などには、本書の方が向いているでしょう。
#権丈本は、専門論文や学生向けテキストを採録したものである一方、本書は(おそらくは)より広い読者に向けたものですから、想定する読者層の違いも大きいでしょう。
続いて、いずれにおいてもニューハウスの医療費に関する研究(1977)が基本的文献として取り上げられ、そこから論考が組み立てられているのですが、
このニューハウスの研究は、医療費増加の「犯人に疑われた5つの要因について、医療費上昇への寄与率を各要因別に定量化・数値化しました。この5つの要因とは、(1)人口の高齢化、(2)医療保険制度の普及、(3)国民所得の上昇、(4)医師の供給数増加などの医師誘発需要、(5)医療分野と産業における生産性上昇率の格差です。これら5つの要因の寄与率を全て合わせても、(略)米国の総医療費上昇率(1940〜1990年)のせいぜい25〜50%しか説明できませんでした。医療費上昇に50〜70%も寄与した「主犯」は、定量(数値)的な測定が困難な「その他の要因」に含まれてしまったわけです。ニューハウスは「医療技術の進歩」が主犯ではないかと推測しています。(後略)
p119(webmaster注:括弧付き数字は、原文では丸付き数字です。また、句読点は、原文ではカンマとピリオドです)
とされている本書に対して、権丈本では、たとえば彼は、医療費の水準は所得により90%程度説明されることを根拠にして、医療費に影響を与えると考えられている他の要因は量的には重要ではないと考える
(再分配政策の政治経済学I(第二版)、p192(webmaster注:「彼」とはニューハウスのことです。また、読点は、原文ではカンマです))とされているのです。webmaster自身で原典に当たって確認すべきことではありますが、実際のところがどうなのか気になります。
webmasterがこれらの相違点を挙げたのは、両者の差を強調するためではなく、これらの違いにもかかわらず、その政策的インプリケーションが極めて似通っていることの意味を重く考えるからです。昨今の医療を巡る政策の方向としては、
- 高齢化による医療費増(と財政悪化)を踏まえた医療費削減
- 1により医療サービスの水準が低下しないよう、その生産性・効率性を向上させるための競争原理の導入等の規制緩和
が主なものだとwebmasterは認識していますが、そのいずれも誤り(である可能性が高い)、と両者は共に主張しています。1については、高齢化によっては医療費はほとんど増加しないということが実証されていますし、2については、前提が違うのがそもそもの問題ですが、皆保険制度に大いに影響が出てくるのは避けられないと考えられます。
規制緩和に反対というと、一般的には抵抗勢力のレッテルを貼るという反応が見られますが、少なくとも八代尚宏先生や福井秀夫先生といった学界の論者にあっては、本書(や権丈本)の指摘に対して、きちんと学問的に対応することが倫理的に求められるのではないでしょうか。とりわけ、「官の詭弁学」であれだけ大見得を切った福井先生におかれてはぜひ(笑)。
bewaadさんのところで、兪炳匡の『「改革」のための医療経済学」』が紹介されているが、間違いがあるので指摘しておこう。 『兪炳匡「「改革」のための医療経済学」』 http://www.bewaad.com/20070121.html ここでbewaad氏は以下のように書いているが、 続いて、いずれ(*権
医療費高騰の要因に関する実証分析は国内の研究ではマイクロデータの入手性が悪くあまり進んでいないということを耳にしてます。アメリカのスタディが一般的に日本に適用するかは明らかではないですし、医師誘発需要の影響も大きいとは言え、他の要因との比較はあまり見られません。
国民皆保険であれば保険を使った受診については役所側で電子化されたレセプトのデータを使った分析をやってしかるべき・やれるようにしてしかるべきだと思いますが。
>通りすがりさん
清水谷諭「期待と不確実性の経済学」によれば、研究者にもようやくその手の政府保有データ活用の途が開けてきたようです。今後、ますますの充実がなされてほしいと切に願います。
医師誘発需要というのはどうでしょう??
もちろんデータはないのですが、だったらなぜあれほど「医師不足」と騒がれているのか、なぜ我々はこれほど長時間労働に従事しているのかという気がします。
本当に我々が食い扶持を稼ぐために無駄な需要を作り出しているなら自由化が処方箋になるはずですが、万一それで医療費のGDP比が上昇したら八代先生は責任を取るんですかね〜。
まあ責任を取ってICUをやめてもオリックスに食い扶持は保障してもらっているのかもしれませんが。
自由化の論議が進みそうになったら、オリックスの株を買ってヘッジするように医師仲間には薦めております。(笑)
医療費減が問題になっていますが、結局の所「GDPの成長の範囲内に医療費増を抑えるべきか否か」と言う問題になってくるような気がします。
今後の医療費が増加するとして、GDP比を無視して医療費を増加するべきか。GDP比を固定して、経済成長政策を取るか。どちらが望ましいんでしょうか。
ちなみに、本書P.64のグラフを観ると、政府が特に医療費抑制(ひいては医師いじめ)を意図しているとは思わないんですが、これは読み違いなんでしょうか。
>>市井の勤務医
医師誘発需要というのも計量的に推計しているわけであって、マスコミが一時期騒いだ「大学病院と製薬企業の癒着」というのもあるし、「後発医薬品が出ても(新薬として登場して以来)使い慣れた薬を使いたい」という医師のinertiaというのもあるし、「よりよい薬を使って何とか手を尽くしたい」という医師の熱意というのもあるし、「後発医薬品それ自体に付随するリスクを許容できない」という医師側の良心というのもあります。
しかし、実際のところそれを我々は峻別する術を持ち合わせてません。ブラックボックスをそのままにしておくには、医療側とそれ以外の関係者の信頼関係が必要です。医療の自由化・規制緩和がそれを実現するわけではありませんが、少なくとも信頼関係を裏切っている主体に懲罰的な制裁を加える(医療システムを犠牲にして)効能位はあるでしょう。あるいはユーザー側も同様です(奈良の先駆的なケースよりも悲惨な結果になるでしょうけど)。
医者と患者だけでなく、医者と行政といった部分でも、医療のアカウンタビリティを低コストで高める努力というのは最低限必要でないか、とは思いますが・・・。それに医師会が取り組んでいる様子はなかなか見えてきません。取り組んでいるのであれば、それが見えるよう努力すべきだと思いますし。
古典派な人は「供給それ自体が需要を作り出す」と考えていますので、医療サービスがかかりすぎて困るという問題に対して、おそらく医師を減らして医療サービスの値上げをしたら病気が無くなると思っているのでしょうね。
>市井の勤務医さん
日本でのデータがないのは残念ながら否めないのですが、アメリカ(というかニューハウス)の研究ではその要素は小さいということで、おそらく日本でも妥当するのではないかとは思っています。
>bn2islanderさん
対GDPで全消費が一定だとすると、奢侈財である医療費(のうちとりわけ介護関連)は、対GDPの割合は上がって当然ではないか、という気がします。生活必需品の比率が下がった分が回るといいますか。
>通りすがりさん
おっしゃるような側面もあるでしょうけれど、個人的には、医師誘発需要を巡る実証研究と世間的認知の差は、確率論的な効果発現に関する認識の差に由来する部分が大きいと思います。単純化したモデルケースで考えれば、80%の症例において有効な治療法があった場合、それでも20%の患者には効かないわけですが、この20%の者が当該治療法についてどう考えるかといえば、その少なくない者は誤診であるとか、医者の都合で本来なら処方されるべきでないものを処方されたとか、そのように考えてしまうのではないでしょうか。
>通行人さん
皮肉なことに、医療技術がまったく進歩していない世界を考えれば、それこそ例えばCTやMRIの需要もないわけで、不老不死という究極の需要がある以上、限界効用逓減による需要制約がほぼなく、もっぱら予算制約と技術制約によって均衡点が定まるのが医療サービスの特殊な事情でしょうし、その意味で供給が需要を創出するのは妥当するんですよね。
>bewaadさん、通りすがりさん
>>80%の症例において有効な治療法があった場合、それでも20%の患者には効かないわけですが、この20%の者が当該治療法についてどう考えるかといえば、その少なくない者は誤診であるとか
現場にいるとこうしたクレームを前提とした「防衛医療」の影響は間違いなくあると思います。
大淀病院産婦人科事件の妊婦さんは救命可能性は残念ながらほとんど救命可能性はなかったと思います。
したがって、彼女に対するCTは「無駄な検査」になりますが、マスコミも患者家族も「なぜあれもこれもやってくれなかったんだ!」と主治医を強く非難します。
「医療の無駄」を省きたいならまず防衛医療対策が必要でしょうがこれは現場レベルでどうにかなる問題ではありません。
適切な対策がとられない限り「無駄な検査」が増え医療費が高騰するか、ハイリスク診療からの医師の燃え尽きによる退職およびそれに伴うハイリスク診療従事者の人件費高騰→医療費高騰につながります。
現状ではどちらも起こっているし、とおりすがりさんのおっしゃる癒着、inertia、熱意のどの影響よりも深刻な影響を与えていると思います。
>bewaadさん、市井の勤務医さん
>80%の症例において有効な治療法があった場合、それでも20%の患者には効かないわけですが、この20%の者が当該治療法についてどう考えるかといえば、その少なくない者は誤診であるとか、
>そのように考えてしまうのではないでしょうか。
その通りだと思います。原因の一つとして、有効な治療がどのような人にも100%有効だと思いこまれるように喧伝する人が居ることがあると思われませんか。
美容関係の宣伝だと効果が全ての人に現れるわけではないとテロップが流れますが、薬の宣伝では出てこない気がします。全ての人に効くわけではないのに。
最近薬会社のWebをいくつか見ましたが、投資家向け情報は不確実だと書いてあるのに、治療の効き目が不確実ですとは書いてないみたいです。
医療のニュースも、検査や別の治療をしていれば絶対助かったかのような論調が殆どのように感じますが、命に関わる病気の治療で効果が100%のものってありますか?
万能ではないものを万能であるように思いこませること(あるあるの捏造事件も似たようなものですね)がまかり通っていることが、巡り巡って医療現場を疲弊させているとしたら、それは悲しいことだと思います。
>通行人Bさん。
そのように理解していただけるのは幸いです。
>命に関わる病気の治療で効果が100%のものってありますか?
絶対にありません。
これは医師生命をかけて断言できます。
もしあるという医師がいたら詐欺師か狂信者でしょう。
>万能ではないものを万能であるように思いこませること
ある意味、過去の医師たちが献身的に(あるいは権威的に)振舞いすぎたため、病院に対する過大な期待があるんだと思うんですよね。自由化と広告の解禁、患者向けIR(この場合はPR??)などはこうした過大な期待の修正に働くと思うのですが、医療費高騰を招くだろう為いまいち賛同は得られないようです。
>市井の勤務医さん
ちょっと書き方が紛らわしかったようで失礼しました。ご指摘のような部分もあるかと思いますが、私の念頭にあったのは、医学において妥当と一般に受け止められている療法であっても、それが確率論的に効果がなかった場合、あたかも意図的に効果がないものを押し付けられた、と患者側が受け止め、それを医師誘発需要と認識してしまうのではないか、ということでした。
>通行人Bさん
市井の勤務医さんもコメントを寄せられていますが、若干違う形でコメントするなら、通常の症例は医師の処方がどうであれ治るということが多いのだと思います。プラセボを抜きに考えるにしても、例えば風邪を引いたといっている患者がいれば、基本は栄養を取ってよく休んで身体の自律的回復を待つということで、医者がどうこうする話ではないのですが、咳止めや解熱剤のような症状緩和の薬を与えておけば、あそこの医者からもらった薬はよく効いた、なんてことになってしまうことは少なくないでしょう。
こうした場合は、効く効かないは事実上あまり意味はないのですが(効かなかったとしても自然に治るので)、自律的回復が望めないような場合には、効かないときにはその結果が突きつけられてしまうことになります。いずれの場合でも確率論的な効果であるという意味では同じなのでしょうけれど、患者の側から見れば現れ方は逆向きなわけで、そのギャップが大きいのかな、というように思います。
市井の勤務医さんがおっしゃる「過大な期待の修正」のためには、この風邪のようなケースにおいても、「実は薬は効かなかったのかもしれません」なんてことを理屈上は言う必要があるのでしょうけれど、患者だって聞きたくないでしょうねぇ(笑)。
bewaadさん、ありがとうございます。
ベテラン医師からの教えですが
「7割の病気はどんな馬鹿が診ても治る。
2割は世界一の名医が見ても治らん。あとの1割がプロとしての腕の良し悪しだ。」
とのことでした。至言だと思います。きっと役所や弁護士でもこうしたものではないのでしょうか??
あるある大辞典のやらせもそうですが、結局医療の客観的効果と主観的満足度は全然別だということです。
というより医療の客観的効果を冷静に判別した賢明な消費者である患者を私は見たことが有りません。
患者満足度にとって重要なのは医師(場合によっては偽医師でもOK?)の人当たりとやわらかさだけで、技術の高い医師を判別することは今後も困難だと思います。このため市場化すると技術の研鑽よりもみな営業スマイル獲得に一生懸命になると思われ、これは弊害かもしれません。
>市井の勤務医さん
バカは想像もできないような失敗をしでかすからこそバカなのでして、7割とはそのベテラン先生もバカを甘く見すぎではないかと(笑)。foolproofの壁は高くて厚いですから・・・。冗談はさておき、一流と二流の差なんてものはそれほど大きいわけではないですよね。一番わかりやすいのは野球のバッティングで、2割バッターと3割バッター、1試合3.1打席(規定打席)あたりのヒット数の差は0.3本しかないのですが、その積み重ねであれだけの差が出てしまうのですから。
情報の非対称性ゆえに市場がうまく機能しないとすれば、それを埋めるための施策、例えば何らかの格付けですとか、そういったもので少しでも機能が高まるようにしていかなければならないのでしょう(今でも市場原理は働いている(価格が固定なので供給量で調整=長蛇の列をなす病院と閑散とした病院の差が生じている)わけで、「市場化」の有無にかかわらず、ということになります)。個人的には、セカンドオピニオンのさらなる普及が、最初の一歩としては相対的に容易に導入可能で、かつそれなりの効果が期待できる策なのかな、と思います。