toppage memoranda
(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2007-02-01
■ [WWW]当サイトに近いアルファブログ
H.Yamaguchiさん経由で、あなたのブログは、どのアルファブロガーに近い???なるものを知ったので、さっそく試してみました。トップページのテキストを解析しているようで、エントリが新たに追加されれば結果は変わりますので、1/31時点のものということになります。
結果は長くなるので最後に貼り付けるとして、1以上のパーセントを集計した結果は次のとおりです。
| アルファブログ | ポイント |
| 情報考学 Passion For The Future | 1504 |
| たけくまメモ | 1047 |
| isologue | 323 |
| たつをの ChangeLog | 284 |
| きっこのブログ | 228 |
| アンカテ | 202 |
| 板倉雄一郎事務所 | 200 |
| 最速インターフェース研究会 | 101 |
| メディア・パブ | 100 |
| My Life Between Silicon Valley and Japan | 100 |
| blog.bulknews.net | 91 |
| 高木浩光@自宅の日記 | 53 |
| 池田信夫 blog | 37 |
| 404 Blog Not Found | 8 |
webmaster自身には、これらに近いような存在であるかどうかよくわからないのですが、客観的にご覧になった場合はいかがでしょうか? ま、この分析ではアルファブログに対象を限っての相対的距離しかわかりませんから、絶対的距離はうーんと遠いのかもしれませんが(笑)。
#以下、分析結果のうちパーセント表示部分を貼り付けます。
| 91%(0.0) blog.bulknews.net |
| 8%(-1.1) 404 Blog Not Found |
| 0%(-97.8) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-100.8) メディア・パブ |
| 0%(-200.0) 高木浩光@自宅の日記 |
| 100%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-200.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-300.8) きっこのブログ |
| 0%(-302.6) blog.bulknews.net |
| 0%(-303.6) 404 Blog Not Found |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-200.4) きっこのブログ |
| 0%(-202.0) isologue |
| 0%(-299.5) たけくまメモ |
| 0%(-402.2) 池田信夫 blog |
| 100%(0.0) メディア・パブ |
| 0%(-97.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-99.2) たつをの ChangeLog |
| 0%(-198.2) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-199.5) 結城浩の日記 |
| 99%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-2.5) 高木浩光@自宅の日記 |
| 0%(-100.3) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-201.6) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-202.0) 最速インターフェース研究会 |
| 100%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-100.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-102.4) isologue |
| 0%(-201.9) アンカテ |
| 0%(-202.6) 池田信夫 blog |
| 69%(0.0) たけくまメモ |
| 30%(-0.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-101.9) アンカテ |
| 0%(-201.6) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-202.6) 池田信夫 blog |
| 100%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-100.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-102.4) isologue |
| 0%(-102.6) 池田信夫 blog |
| 0%(-200.8) きっこのブログ |
| 99%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-2.4) isologue |
| 0%(-102.6) 池田信夫 blog |
| 0%(-200.8) きっこのブログ |
| 0%(-201.9) アンカテ |
| 99%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-2.2) 池田信夫 blog |
| 0%(-100.4) きっこのブログ |
| 0%(-101.5) アンカテ |
| 0%(-102.0) isologue |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-199.6) たけくまメモ |
| 0%(-301.5) アンカテ |
| 0%(-302.4) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-402.2) 池田信夫 blog |
| 62%(0.0) isologue |
| 37%(-0.2) 池田信夫 blog |
| 0%(-98.4) きっこのブログ |
| 0%(-99.5) アンカテ |
| 0%(-100.4) 板倉雄一郎事務所 |
| 99%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-3.6) 渡辺聡・情報化社会の航海図 |
| 0%(-99.6) たけくまメモ |
| 0%(-100.4) きっこのブログ |
| 0%(-102.0) isologue |
| 69%(0.0) たけくまメモ |
| 30%(-0.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-102.4) isologue |
| 0%(-200.8) きっこのブログ |
| 0%(-202.6) 池田信夫 blog |
| 100%(0.0) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-97.2) たけくまメモ |
| 0%(-99.1) アンカテ |
| 0%(-197.6) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-298.8) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 100%(0.0) アンカテ |
| 0%(-98.0) たけくまメモ |
| 0%(-98.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-98.9) きっこのブログ |
| 0%(-100.4) isologue |
| 100%(0.0) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-101.1) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-298.3) たけくまメモ |
| 0%(-298.7) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-299.1) きっこのブログ |
| 100%(0.0) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-97.2) たけくまメモ |
| 0%(-97.6) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-98.8) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-199.1) アンカテ |
| 100%(0.0) アンカテ |
| 0%(-198.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-198.9) きっこのブログ |
| 0%(-200.5) Zopeジャンキー日記 |
| 0%(-200.6) 高木浩光@自宅の日記 |
| 71%(0.0) たけくまメモ |
| 28%(-0.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-101.7) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-102.0) アンカテ |
| 0%(-102.6) 高木浩光@自宅の日記 |
| 100%(0.0) たつをの ChangeLog |
| 0%(-97.3) たけくまメモ |
| 0%(-97.7) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-99.5) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-99.7) isologue |
| 100%(0.0) たつをの ChangeLog |
| 0%(-199.9) 高木浩光@自宅の日記 |
| 0%(-297.3) たけくまメモ |
| 0%(-297.7) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-299.7) isologue |
| 100%(0.0) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-97.8) たけくまメモ |
| 0%(-98.2) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-100.3) isologue |
| 0%(-100.4) 高木浩光@自宅の日記 |
| 99%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-2.2) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-5.0) Goodpic |
| 0%(-100.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-101.9) 大西 宏のマーケティング・エッセンス |
| 70%(0.0) たけくまメモ |
| 27%(-0.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-2.2) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-2.4) isologue |
| 0%(-2.6) 高木浩光@自宅の日記 |
| 71%(0.0) たけくまメモ |
| 27%(-0.4) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-2.2) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-2.5) isologue |
| 0%(-2.6) 高木浩光@自宅の日記 |
| 53%(0.0) 高木浩光@自宅の日記 |
| 46%(-0.1) たつをの ChangeLog |
| 0%(-100.0) blog.bulknews.net |
| 0%(-197.8) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-199.8) isologue |
| 61%(0.0) isologue |
| 38%(-0.2) たつをの ChangeLog |
| 0%(-98.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-199.7) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-200.1) blog.bulknews.net |
| 97%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 1%(-1.8) 最速インターフェース研究会 |
| 0%(-2.2) 高木浩光@自宅の日記 |
| 0%(-99.6) たけくまメモ |
| 0%(-201.2) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 99%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-2.2) 高木浩光@自宅の日記 |
| 0%(-103.3) 404 Blog Not Found |
| 0%(-203.0) メディア・パブ |
| 0%(-299.6) たけくまメモ |
| 100%(0.0) たけくまメモ |
| 0%(-101.9) アンカテ |
| 0%(-200.3) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-201.6) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-202.4) isologue |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-299.6) たけくまメモ |
| 0%(-300.4) きっこのブログ |
| 0%(-301.5) アンカテ |
| 0%(-302.0) isologue |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-199.6) たけくまメモ |
| 0%(-200.4) きっこのブログ |
| 0%(-302.4) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-1804.3) On Off and Beyond |
| 100%(0.0) isologue |
| 0%(-100.2) 池田信夫 blog |
| 0%(-198.4) きっこのブログ |
| 0%(-297.9) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-299.5) アンカテ |
| 100%(0.0) きっこのブログ |
| 0%(-201.0) アンカテ |
| 0%(-201.8) 池田信夫 blog |
| 0%(-299.1) たけくまメモ |
| 0%(-299.5) 情報考学 Passion For The Future |
| 100%(0.0) きっこのブログ |
| 0%(-101.8) 池田信夫 blog |
| 0%(-301.9) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-799.1) たけくまメモ |
| 0%(-802.5) メディア・パブ |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-302.0) isologue |
| 0%(-302.4) 板倉雄一郎事務所 |
| 0%(-399.6) たけくまメモ |
| 0%(-502.2) 池田信夫 blog |
| 71%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 28%(-0.4) きっこのブログ |
| 0%(-201.5) アンカテ |
| 0%(-202.0) isologue |
| 0%(-204.6) Goodpic |
| 97%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 2%(-1.6) アンカテ |
| 0%(-99.6) たけくまメモ |
| 0%(-100.5) きっこのブログ |
| 0%(-102.2) 高木浩光@自宅の日記 |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-99.6) たけくまメモ |
| 0%(-100.4) きっこのブログ |
| 0%(-101.2) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-201.5) アンカテ |
| 100%(0.0) isologue |
| 0%(-297.9) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-298.4) きっこのブログ |
| 0%(-300.2) 池田信夫 blog |
| 0%(-1402.3) On Off and Beyond |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-101.5) アンカテ |
| 0%(-201.2) My Life Between Silicon Valley and Japan |
| 0%(-299.6) たけくまメモ |
| 0%(-301.7) 最速インターフェース研究会 |
| 100%(0.0) 情報考学 Passion For The Future |
| 0%(-100.7) ARTIFACT@ハテナ系 |
| 0%(-101.6) アンカテ |
| 0%(-102.2) たつをの ChangeLog |
| 0%(-103.0) メディア・パブ |
2007-02-02
■ [economy]マルクス主義2.0
だから、生産性の高い人間だけを集めて仕事をすれば、途方もない生産性で成果が生まれ、とても自分では食いきれない価値が発生するのは必然である。このことは、養老氏が「脳化社会」と言っている範囲、つまり、普通の人が「社会」とか「リアルな社会」と呼んでいる範囲では、同じように成立する。
(略)
そして、まずは直径30cmのケーキを差し出す。つまり、自分たちの高い生産性の成果を、惜しげもなく社会に還元する。だから、「アリさん」企業の生産物は、ほとんどがタダになる。電話や検索やメールやワープロがタダになっているのは、全然序の口で、もっといろいろな凄いものがタダになる。広告とかバージョンアップとか、何らかのヒモつきで後でお金を取られるようなニセモノのタダではなくて、本物のタダになる。
(略)
タダにならない部分は、アリさん企業の法人税を財源として、失業手当として支給できるだろう。
「働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)1/31付)
大多数が働かなくても生きて行ける社会は、やろうと思えば全世界規模でさほどの困難もなく実現できる。食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ。その配布システムはまだ全世界を覆い尽くすには至っていないけど、仕事にあぶれた土建屋たちを動員すれば、10年とかからず出来るだろう。65億人が生きていくために必要なものは食い物だけではないけれど、全員分の衣食住を整えるだけのヒトもモノもカネもすでに充分以上ある。
実のところ、「大多数」を「過半」に代えれば、先進国においてはほとんど実現している。「中小企業白書 2006年版」によれば、日本の就労人口は2003年の時点で6600万人。五割をわずかに上回っているに過ぎない。残りはまだ就学中だったり、すでに「寿退職」していたり、定年を過ぎていたりでこの中に入っていない。それでも日本は回っているし、日本を回すのに実はこんなに就労者が必要なわけではないということは皆うすうす知っている。
それが、問題なのだ。
65億人が生きていくために必要なものを揃えるのに、65億人も必要ないことそのものが問題なのだ。衣食住を揃えるためだけなら、おそらくその1/100で足りてしまうのではないか。かなり大めに見積もっても、1/10を超えることはないだろう。
「働かなくても生きて行ける煉獄」(@404 Blog Not Found2/1付)
これらを先取りした意見は、ずいぶんと昔に表明されています。
ネット社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が生産活動を自己目的化して従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、ネット技術の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、直径30cmのケーキに比される富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、従来型の労働の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!
あれっ、コピペの際に文字が化けてしまったようです。きちんと貼りなおしましょう。
共産主義社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!
このテキストが公表されたのは1875年、その名を「ゴータ綱領批判」といいます‐なんてわざわざ言わなくとも、ピンと来た方も多いでしょうけれども。生産性が極めて高いものとなれば、世に必要とされる以上の財・サービスを簡単に生み出すことができ、したがって労働を強制されることもなく、同時に欲しいものが好きなだけ手に入れられるようになる、という世界観において、essaさんやDan Kogaiさんのテキストとマルクスによる「ゴータ綱領批判」は同じ地平に立っています。
#そうした高い生産性の実現を阻害しているものが何かという点では、もちろん両者は異なっているのですが。
では、20世紀において壮大な失敗に終わった社会実験を喚起したマルクス主義は1.0に過ぎず、21世紀においてGoogleに代表される高生産性の実現が2.0としての復活をもたらすのだ、と考えてよいのでしょうか。essaさんにせよDan Kogaiさんにせよ、そうは説いていません。
そして、この社会が実現する為の最も大きな障害は、「人は報酬を労働の対価として受け取るべきである」という倫理である。「働くもの食うべからず」という倫理が最大の障害となる。
(略)
とは言っても、これは実際には夢物語だろう。労働者がこれを受けいれるとは思えないからだ。「人は報酬を労働の対価として受け取るべきである」という倫理は、簡単に拭い去ることはできない。仕事が無くて贅沢できる社会より、ワーキングプアだらけの格差社会を、労働者が望み、その集団的な力はとても強い。資本家や企業がそれに対抗して、上記のシナリオを実現するだけの力を持つことは難しいかもしれない。
「働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)1/31付)
我々は「働かなくても生きていける社会」で生きていけるほど慎ましくなれるのだろうか?残りの99人は「ごくつぶし」であることを従容するのだろうか?そして選ばれた1人は社会を食わせ続けることに飽きずにいられるのだろうか?
誰かに必要とされずとも生きていけるほど、人「間」は強く鈍くあれるものなのだろうか?
「働かなくても生きて行ける煉獄」(@404 Blog Not Found2/1付)
これらの見方の根底には、マズローを引き合いに出すもよし、ヴェーバーを引き合いに出すもよしですが、生きがいとしての労働という理解があります。もちろんそのような側面をwebmasterとて否定するものではありませんが、現実に見られるのは、全ての人にとって労働が生きがいではないという姿です。「ニート」「引きこもり」として病理に見立てられ語られるにせよ、ワーキングシェアや労働時間縮減として理想に見立てられ語られるにせよ、労働が生きがいになり得るということは、生きがいが労働でしかないこととイコールではないことを示しています。
#「働かざるもの食うべからず」とは、マルクス主義の文脈では、労働者を搾取して不労所得で「食う」ことは認め難いということですが、裏返せば、不労所得で「食う」存在があり得る=働くことは必須ではない、ということでもありますし。
まったくの趣味的な活動であっても、マズロー流の自己実現であるとか、ヴェーバー流の神の恩寵の徴であるとか、そういったものとして機能します。にもかかわらず、なぜ人は労働するのか。ここはやはり下世話にも食うためである、とせざるを得ないでしょう。マズローに依拠して語るのであれば、自己実現に達するまでには、生存等の下位欲求を満たさねばならないわけです。
ここでいう「食う」とは、単に生存が可能になることを示すものではありません。Dan Kogaiさんが「65億人が生きていくために必要なものを揃えるのに、65億人も必要ないことそのものが問題なのだ。衣食住を揃えるためだけなら、おそらくその1/100で足りてしまうのではないか。かなり大めに見積もっても、1/10を超えることはないだろう」とおっしゃっているのですが、「衣食住を揃えるためだけなら」という条件であれば、農業革命によってマクロ的にはとっくの昔に満たされていることになります。
しかしながら、ヒトの欲望はそれに留まることを許しません。例えば食に関しては、Dan Kogaiさんが「食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ」とご指摘ですが、これとて肉食というカロリー充足を基準にすれば非効率極まりないものを相当程度含んだベースでのことです。畜産を廃して飼料生産を食用に振り向けるならば、倍を超える人数を養えるだけの食料生産が可能でしょう。ヒトの欲望に応えるため、しなくてもいいことをしているのが現状なのです。
マルクスが「諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち」と書いた際、どの程度の生産能力をもって「泉から溢れるばかりに湧き出る」と想定していたかは定かではありませんが、まず間違いなく、現在の生産能力はマルクスの想像力をはるかに超えていることでしょう。「ゴータ綱領批判」出版から130年余りを経過した現在、その間の平均実質成長率を辛く見て5%としても、600倍に近い生産能力を今の私たちは手にしています。
この生産能力は、1875年当時から見れば、「泉から溢れるばかりに湧き出る」としか表現のしようのないものに違いありません。にもかかわらず、「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」という社会は実現していません。各人の必要性の度合いを値段によって仕分ける市場経済は、その終焉の兆しすら感じさせる状態にはないのです。
Googleらによってもたらされる生産性向上が極めて顕著であることを認めるにせよ、600倍を超えるものではないでしょう。100年以上の時を経て実現した生産性向上によっても満たされることがなかったヒトの欲望が、どれだけGoogleらが優れているとしても、そう簡単に満たされるはずもないと考える方が合理的です。現にコンピュータ業界においても、次のような事例が転がっているわけです。
自分がフィールドにしているIT業界でも、ソフトウェアがバージョンアップに従って肥大化するというのはよくある話。Windowsでも一太郎でもMicrosoft Officeでも、バージョンアップする度に「でかい、重い、不要な機能ばかり多すぎる、ユーザーはこんな肥大化した製品を求めていない」と批判する声が出るのはお約束だ。
そして、こうした批判とワンセットで語られるのが、「機能を絞って安価にした "ライト" バージョンを出せ」という意見なのだが、いざ "ライト" バージョンを出してみると、これが売れないのだ。もし、本当にユーザーの多くが機能を絞った軽量版を求めているのであれば、「一太郎dash」や「Microsoft Works」が市場を制覇していても不思議はないはずなのだが、実際にはそうならない。
面白いもので、何年か経ってみると、"重たかった" はずの製品はムーアの法則のおかげでサクサク動くようになり、"誰も使わない" はずだった機能は書籍や雑誌で「こんな便利な機能があるのに使わないのは損」といってフィーチャーされる。登場したときに重いのなんのとボロクソにいわれた一太郎Ver.4なんて、今のPentium 4マシンで動かせば "超軽量製品" だろう。えてして、そんなものだ。
(略)
多分、PC用のOSやアプリケーションソフトでも事情は同じで、ユーザーが横並び比較で「あれが欲しい、これも欲しい」といっていろいろ付け加えているうちに、F-16ブロック40みたいに太ってきて、ライトでもなんでもなくなるのだ。
それに、「ユーザーが一部の機能しか求めていない」といっても、その「一部」が全ユーザーに共通するとは限らない。あるユーザーにとっては不要な機能でも、別のユーザーにとっては必要な機能だったりするわけで、両者のバランスをとると、結果的に肥大化への道を進んでしまう。つまり、この話で何をいいたいのかというと、機能を絞った "ライト" バージョンを作っても、いずれはいろいろとユーザーが欲を出して追加装備を積み込み、いつの間にか重量化してしまうのがオチ、ということだ。冒頭で書いた、乗用車のモデルチェンジの話と同じだ。
派手な失敗により悪い印象しかマルクス主義1.0にはないのでしょうけれど、そう軽く見るべきものではなく、2.0とて同じトラップに嵌まりこんでしまうと予想されます。といいますか、革命時の消費水準の漫然とした維持を成功と定義するならマルクス主義1.0は成功していたわけで、その失敗はあくまで消費水準をより高く向上させ続けた自由主義経済圏との比較によってこそ、そう判断されているのです。
幸か不幸かの判断はともかく、働かなくても食べていける世の中は、現在の人類の想像力が及ぶ将来においては到来しないでしょう。もちろん「食べていける」というのが農業革命以前の水準‐というのが大げさであれば、産業革命以前の水準‐でよければ、今すぐにでも働かなくても食べていけることでしょうけれど、それはヒトにとって「食べていける」と呼ぶには値しないのです。そうしたヒトの業は、マルクス主義2.0をもってしても乗り越えられないとwebmasterは思います。仮に乗り越えられるのならば、ポトラッチ等を通じてヒトの性としての蕩尽に着目したポランニー流の経済人類学にこそ、可能性があるのではないでしょうか。
2007-02-03
■ [politics]柳沢厚生労働大臣発言
今更ながらの話ではありますが(同発言についての議論については、「柳沢関連発言について」(@kmizusawaの日記2/2付)が概観に便利です)、というのも、大臣の「失言」としては久間防衛大臣の発言の方がよほど問題で、柳沢大臣のものはしょせんは言葉尻の話に過ぎないとしか思えなかったため取り上げませんでした。さはさりながら、Baatarismさんの問題提起に触発されたので、改めて論じてみたいと思います。
柳沢厚生労働相が女性を子どもを産む機械や装置に例えた発言をした件で、政界も世論も大騒ぎになっています。特に女性の反発が強く、世間には感情的な意見や報道が満ちあふれています。これに対応して共産党以外の野党は柳沢氏の辞任を要求して審議拒否を始め、世論の支持を得ようとしています。
ただ、政治家として非常識な発言だったとはいえ、1回の失言で辞職を迫られるというのも異例な話です。ここまで世論の怒りが大きくなった理由として、何らかの潜在的な状況があったと考えてもおかしくはないでしょう。
(略)
そこで厚労省関係で女性の反発を受けそうな事件を考えたところ、昨年世間を騒がせた「産科崩壊」問題を思い出しました。
(略)
しかしこれらの問題について、厚労省が積極的な対策を打ち出すことはありませんでした。日本産科婦人科学会が看護士の内診行為を認めるよう強く要求している件についても、厚労省は従来の方針を変えようとはしません。
もし、柳沢厚労相が昨年の段階でこのような「産科崩壊」問題への対策に乗り出していれば、女性の味方というイメージが生まれますから、今回のような失言があっても擁護する女性も多くなり、これほどまでに強い反発を受けることはなかったと思います。しかし柳沢氏はホワイトカラー・エグゼンプションの導入には熱心でしたが、「産科崩壊」問題に対しては冷淡でした。政府が問題視している少子化への対策となるのは、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入ではなく、「産科崩壊」問題の解決だと思うのですが。
「柳沢厚労相の本当の過ち」(@Baatarismの溜息通信2/2付)
webmasterにとっての疑問は、確かに政界が大騒ぎになっているのは事実ですし、メディアも連日大きく取り上げていますが、世論は本当に大騒ぎになっているのでしょうか? もちろんメディアの露出が多いので、それにより受動的に関心を引き寄せていることは否めないでしょう。しかしながら、半径5mの女性の反応を見る限り、政界やメディアが騒ぐほどに世の女性の嫌悪感を刺激しているようではなさそうだ、というのがwebmasterの実感です。
#産科崩壊問題が、それほど人々の耳目を集めているとは、webmasterには思えないということもあります。
そもそも柳沢大臣の発言の趣旨は、AとBの積として得られる数値について、Aが減った場合に同じ程度を保とうとすればBを増やさなければならない、ということに過ぎません。女性を子を産む機械・装置に譬えた場合に難ぜられるべきなのは、子を産む以外の女性の活動を低く見たり、子の親としてのみ女性をアイデンティファイし個人の尊厳を認めなかったりといった考えの表れとして出ることですが、彼の発言は文脈を考えてもそのような含意を導くことは困難でしょう。
#朝日によれば、少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15〜50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという
(「「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言」)ということであった由。蛇足ながら、この記事のタイトルが典型ですが、「女性は子どもを産む機械」だとは言ってないんですけれどもねぇ。
仮に誰かを犬と呼んだとき、必ず問題発言だということではないでしょう。対等な人間としての扱いを拒否し、動物を代表して犬を引き合いに出したならば大いに問題でしょうけれど、足が速かったり鼻が利いたり息が荒かったりすることの比喩であるならばどうでしょう? 問題視されかねない軽率さがあったのは事実ですし、その限りにおいて責められるのは当然でしょうけれど、大臣の職に見合うほどのものだと皆が考えるようなものとも思えません。
既にこれだけ報道が広がり、各種の論評が飛び交っているので、聞いた瞬間のファーストインプレッションを集計することは不可能でしょうけれど、一般の人々にどの程度の問題発言だと捉えられたのかは興味があります。良し悪しで言えば悪なのは誰も否定しないでしょうけれど、そのような報道が正のフィードバックをもたらして、白地での感触以上に騒がれてしまっているというのが実態ではないでしょうか。
ちなみに、野党やメディアが騒がなければそのようなフィードバックも働かなかったのでしょうけれど、これらの者が騒ぐことについては、以上と違って大いに納得のできる理由があります。野党については、
- 結局は頓挫したホワイトカラーエグゼンプション以外にも、関連する労働関連法規改正、さらには社会保険庁改革や被用者年金一元化など、今国会は明らかに厚生労働省が(政府側の)主役を張る状況にあります。そうした中、そのトップをできるだけ叩いておくというのは、今後の国会戦術を考えても非常に有効な一手である、
- 野党共闘が、選挙協力のつまづきや国民投票法等への対応のばらつきにより足並みが乱れがちですが、本件は社民党にとって(党首のパーソナリティもあり)重要関心事項である一方、民主党にとって社民党に肩入れしても党内事情を気にする必要のない案件なので、野党共闘の結束を固めるための利用価値が極めて高い、
ということが言えるでしょう。メディアについては、野党が騒げばそれ自体がニュースヴァリューを持つということがありますが、それと同様に見過ごせないのは、安倍政権に対する冷たい態度でしょう。きっかけとなったのは政権交代後のぶらさがり取材の削減でしょうけれど、
- 小泉前総理と違って安倍総理は視聴率等の稼げる存在ではなく、メディア側に迎合するインセンティヴに乏しく、
- それでも丁重に扱ってくれるのであれば好意が湧きもするのでしょうけれど、既述のぶらさがり削減など、政権側もメディアに対して暖かい対応はしていないので、ますます冷たさが増す、
という状況にあるように見えます。政権のメディア戦略は世耕補佐官のご担当なのでしょうけれど、本件に限らずメディアの冷たい態度があるとするなら、彼は大失敗をしでかしている、ということにならざるを得ません。おそらくは、小泉前総理という類まれなキャラクタと、飯島秘書官をはじめとする周囲のバックアップがあってこそ成功した彼の広報戦略を、彼自身の力量の成果であると勘違いしたのだろうなぁ、と察しはいたしますが。
2007-02-04
■ [politics][government]官房長官の役割
昨日取り上げたBaatarismさんのエントリで引用されていたかんべえさんのテキストに、気になる点がありました。
〇その一方で、ホワイトカラー・エグゼンプションをめぐる一連の騒動がなかったならば、この発言はスルーされていただろうな、とも思う。年明けの頃から、厚生労働省はWCE問題に強い意欲を見せていたが、与党内には慎重論があった。選挙にマイナスだと判断するのなら、早めに葬り去っておけばよかった。しかしこの問題について、官邸は調整機能を発揮することができず、外遊中の安倍総理が帰国するのをひたすら待っていた。そして安倍総理の帰国後、1日たってから(おそらく、この間に安倍さんが勉強したのでしょう)通常国会に上程しないという決断を下した。このことで与党が失った機会は大きなものがある。
〇ホントに悪いのは、調整機能を果たさなかった塩崎官房長官であると思います。おそらく塩崎さんが言ったのでは、柳沢厚生労働大臣は聞く耳を持たなかったのでしょう。例えばこれが福田官房長官であれば、「WCEは時期尚早」と早めに葬り去ることができたかもしれない。が、何週間も店ざらしとなり、週末の政治番組ではWCEが何度も叩かれることとなった。結果として悪者になったのが、柳沢大臣です。
〇そこへお誂えむきに登場したのが「女は産む機械」発言。森元総理の「神の国」発言がそうだったように、「こいつを辞めさせろ」という思いが小さな失言を拡大してしまっている。要は柳沢さんはお気の毒ということであって、悪いのは官邸の調整機能の不十分であるとワシは思うのですけどね。もっとも、実質副総理の官房長官に、あんな軽量級を据えたのが失敗だったと言えばそれまでなのですが。
かんべえの不規則発言(2/1付)(webmaster注:しばらくすると2月のアーカイヴに収録されるでしょう(本日現在ではまだ転載されていません))
何が気になるのかといえば、塩崎官房長官が「軽量級」なのかということです。一般に国会議員の軽重は当選回数で計りますが、そのプロフィールをみると当選5回、うち1回は参議院でのものなので衆議院で5回よりも若干格上(参議院の方が任期が長いので)といった感じでしょう。
例えばこれを、小泉政権時代の各官房長官と比較すれば次のとおりです。
- 福田康夫
- 就任時で当選4回
- 細田博之
- 就任時で当選5回(webmaster注:プロフィールでは平成12年の選挙で当選4回とまでしか示されていませんが、その後に平成15年に選挙がありました)
- 安倍晋三
- 就任時で当選5回(webmaster注:当選回数は記載されていませんが、1993年初当選とは細田元官房長官と同期です)
当選回数を物差しにする限り、塩崎官房長官を軽量級というのであれば小泉政権を通じて皆「軽量級」だったということになってしまいます。官邸の調整機能がろくなものではないというのはwebmasterも同意ですが、その理由は軽重ではなく、官房長官が黒子に徹して調整を一手に引き受けるというのは一つの解法ですけれど、塩崎長官はそのようなキャラでもありませんし
と以前書いたように、彼の資質によるものでしょう。
かく理由は異なれど、求められる役割を果たすことができない官房長官を据えたのが失敗だという点においては、かんべえさんとwebmasterに違いはありません。ではなぜ失敗したのか、安倍総理の人を見る目ということもあるでしょうけれど、それ以上に彼の経歴によるところが大きいのではないかと思えてなりません。
安倍総理は、ただひとつのポストを除いて閣僚経験のなきまま総理の座につきました。ということは、トップとして組織を率いた経験がないということになります。トップとして組織を切り盛りした経験があれば、舞台裏で汗をかく汚れ役が組織には必要だということは、身にしみてわかるはずです。そうした経験がなく、舞台裏の重要性を理解しないまま、外部から派手に活躍するトップ(=小泉総理)の光の当たる部分だけを手本としてしまったのではないでしょうか。
先に「ただひとつのポストを除いて」と書きましたが、それは既述のように官房長官です。ところが、官房長官はあくまで官邸のナンバーツーであって、トップに立たない唯一の閣僚です。官房長官の経験は、トップとして自らを支える人間はどういう人間でなければならないか、ということを知るにはあまり役立たないといえましょう。
とはいえ、自らが官房長官として、総理を舞台裏で支えた経験があれば、上から見ているのではないので見方が偏るのは否めないにせよ、ある程度その重要性を理解できるのでは、というご意見もあるでしょう。しかし不幸なことに、安倍総理が官房長官になったのは郵政解散の後、つまり小泉前総理の威令が政府与党の隅々にまで行き渡り、その意向をかざせば苦労なく調整できてしまう状況にありました。むしろその経験が、官房長官に求められる調整能力を見くびらせる原因になってしまったようにwebmasterには見えます。
#官房副長官時代に、上司である福田元官房長官の仕事振りをきちんと見ていれば、ある程度はわかったはずなのですが、そうなっていないのは、きちんと見ていなかったのか、それとも、見ていても理解できなかったのか・・・。
皮肉な言い方をするなら、小泉政権の末期において、安倍前官房長官の代わりに塩崎官房長官が就任していたとしても、大過なく務め上げることが可能だったのでしょう。しかし安倍政権においては、安倍前官房長官や塩崎官房長官をはるかに超える調整能力を持つ者であることが、官房長官には求められているのです。なにせ、各省庁の調整云々を言う前に、補佐官5人を筆頭に官邸の中でまずは調整をしなければならないのですから。
2007-02-05
■ [politics]野党にとっての痛恨の善戦‐愛知県知事・北九州市長選挙
与野党が激突する今年最初の大型選挙として注目を集めた愛知県知事選と北九州市長選が4日投開票され、それぞれの推薦候補が「1勝1敗」となった。野党は苦戦が予想された愛知での善戦を追い風ととらえ、女性を「産む機械」に例えた柳沢伯夫厚生労働相の罷免要求で攻勢を強める構え。与党内でも辞任論が再燃する可能性がある。
日経「愛知知事選は現職神田氏、北九州市長選は野党系の北橋氏」
まあこうした見方が一般的であろう、とはwebmasterも思います。しかしながら、この善戦ゆえに野党は振り上げた拳の落としどころがなくなってしまい、今後はジリ貧になっていくでしょう。なぜかといえば、端的には優勢を頼んで勝利条件を上げ過ぎてしまったからです。
現在野党は審議拒否をしていますが、その具体的内容は次のとおりです。
また、来週から補正予算審議が参議院に移り、与党が審議を強行する恐れがあるとの認識を示した菅代表代行は、「断固、そうした審議を進めるべきではない。柳澤大臣の辞任が先との姿勢で戦っていきたい」と表明。週明け以降も、厚労相の辞任を引き続き強く求め、辞任しない限り、すべての国会審議に応じない方針を3党間で確認したことを明らかにした。
「菅代行、社民、国民新党幹事長と会談 厚労相の辞任要求を再確認」(民主党公式サイト)
鍵になるのは、「厚労相の辞任を引き続き強く求め、辞任しない限り、すべての国会審議に応じない」という部分。ここまで言ってしまった以上、与党が辞任せずで結束していれば、野党としては打つ手がありません。補正予算ぐらいならばともかく、今後来年度予算や各種の重要法案審議が始まった後においても審議復帰をしなければ、どんどん野党のイメージが悪くなるばかりですが、かといって辞任を勝ち取らないのに復帰してしまえば腰砕けの印象のみが残りますから、行くも地獄帰るも地獄とはこのことでしょう。
すべての審議を拒否+辞任するまで復帰しない、というコミットメントをしてしまった以上は、今回の選挙が最初で最後のチャンスだったわけです。さすがにどちらも与党を負かしていたならば、与党内でも辞任の機運は弥が上にも高まっていたことでしょうけれど、善戦ではそれにはまったく及びません。人の噂も75日、柳沢発言問題の鮮度はこれから失われる一方ですから、それにこだわっていつまでも(予算審議にすら)応じないというのでは、いずれ風向きが必ず変わります。
#野党が国会審議に出席していないというのは、過去形ではなく現在進行形ですから。
これでは、うまくいったときのことだけを考えて、失敗した場合にダメージを最小化するためにはどうすればいいかという発想がまるでない、と言わざるを得ません。補正予算審議には出席しないとでもしておくなり、それなりの形式を踏んだ謝罪などを勝利条件にしておくなりしておけば、このようなことにはならなかったのですが。その程度に抑えておいても、選挙で2勝すれば辞任は結果的には勝ち取れたでしょうから、そこまで辞任というカードへの掛け金を積む必要はなかったのです。
#小沢代表は、住専問題におけるピケの失敗から何も学ばなかったのでしょうかねぇ・・・。
何が何でも辞任を勝ち取らなければ負けだ、という背水の陣である以上、このまま辞任を勝ち取れなければ川に突き落とされるだけのこと。当然ながら与党はそれを見透かしていますから、辞任に応じる考えなど出てくるはずもありません。
しかしながら、そんな野党にすら付け込む隙を与えるのが今の与党(笑)。報道を見る限り、参院からは今般の選挙結果を受けて辞任論が再燃しているようですが、これが野党にとって本当に最後のチャンスでしょう。うまく与党内を分裂させ、不信任案の可決が見込めるようになれば勝利が見えてきますが、さて、それだけのことを仕組める寝業師が今の野党にいるのやら・・・。
逆に言えば、辞任はさせない姿勢を明確にしているにもかかわらず、参院側にそのような発言を許す安倍総裁というのも、本当に脇が甘いなぁと。そのぐらいはきちんとグリップしないと。
#個人的な利害得失を申し上げるなら、野党の出席しないまま予算審議や法案審議が進むというのは、仕事が大幅に軽減されてまことにめでたいのですが(笑)。
・・・ってなことを書いて準備していたのに、サーバトラブルで公にできないままでいたところ、次のような動きが。
一方、民主、社民、国民新3党は、今後の国会審議に応じるかなどについて、近く党首会談を開いて対応を決める。民主党内には厚労相の不信任決議案を提出し、07年度予算案審議からの復帰を探る動きもある。
これに関連し、民主党の鳩山由紀夫幹事長は、5日朝、都内で記者団に「政府・与党はこれで(柳沢氏が)辞任せずに済んだと思っているかもしれないが、大間違いだ」と指摘した上で「新たな思いで、さらに議論の場で追及することもあり得る」と述べ、国会審議への復帰を示唆した。
共産党の穀田恵二国対委員長は午前、国会内で自公両党の国対委員長と会談し、与野党幹事長・書記局長会談か国対委員長会談を開くよう要請。与党側は「協議の用意はある」と答えたという。
中日「政府・与党が厚労相続投を確認/補正予算案、参院委で単独可決」
前半に書いたようにずるずると審議拒否を続けるよりはよほどましな「損切り」ですが、そもそも事前にちゃんと退路は確保しておけよ、と。
2007-02-06
■ [politics]国会での議論はどうにもならんなと思う件
いつもいつも話のきっかけとして頼ってしまい申し訳ないと思いつつ、今日も山口浩さんのエントリ、「国会での議論がどうにかならんかと思う件」を題材に。ここで山口さんは、国会の議論がつまらない理由について、「朝まで生テレビ」を対照例として引きつつ、
- 論点ではなく人によりフックされる議論
- モデレータの不在
ではないかと指摘されています。前者は、質問者ごとに質疑がまとめられているので、質問者が変われば重複があるなどして議論が深まらないということです。後者は、議論を整理し進行させる役回りがいないので、質問者と答弁者が勝手に言い合っているという状況になっているということです。
それぞれごもっともではあるのですが、webmasterの国会質疑に携わる業務経験から私見を述べるならば、根っこは違うところにあります。その根っこが変わらなければ、議論を論点ごとに行い、有能なモデレータを登場させたとしても、やっぱり議論はつまらないままであろう、と。
では根っこの問題とは何か。webmasterは、答弁者(主として政府側)は守る一方、質問者(主として野党側)は攻める一方、という質疑の構造であると考えています。答弁者は守りきって点を与えないことが勝利条件で、いくら果敢に反論して質問者をやり込めても点は与えられないので、ひたすら防御に徹し、失言その他の付け入る余地を与えないようにしか答弁を組み立てません。その進化のきわみが、わかりづらいと批判されがちな、いわゆる官僚的答弁ということになります。
#(主観的には)わかりやすく説明しようといらぬ比喩を用いた柳沢大臣は、この点からすれば優秀な答弁者ではないわけです。
このように答弁者側が進化すると、質問者側の行動原理も変わってきます。鉄壁の守りを前に千日手といいますか、基本的にはどのような質問をしても無駄だ、ということになってしまいます。とすれば、点がとれない以上ゲームのルール内での勝ちはあきらめ、せめて場外の観客にアピールでもして印象をよくしよう、という方向にインセンティヴが変わるのです。
かくて、
おそらくは、各議員にとって質問の機会は有権者に向けたプレゼンテーションの場としての性格が強いのだろう。閣僚に何を回答させるかよりも、自分が何を質問するかのほうが大事なのだ。はっきりいって、「議論」をするためのやり方ではない。
「国会での議論がどうにかならんかと思う件」(@H-Yamaguchi.net2/5付)
という状況の完成です。
ゲーム理論に詳しいかたであればピンとくるでしょうけれど、これはナッシュ均衡なので、お互いにここから状況を変えて議論をかみ合わせようとするはずもありません。答弁者からすれば、議論をかみ合わせても得点はなく、失言でもしようものなら大失点になってしまうわけですから、用意された答弁を踏み外すのは愚かなことになってしまいます。質問者からすれば、のらりくらりとかわされ続けて、「あの先生はパッとしないなぁ」なんて印象を有権者に持たれては質問しなければよかったということになってしまうわけですから、真摯に議論を深めようとするのは愚かなことになってしまいます。
であるならば、国会の議論を面白くするためには、政府に反論権を認めて、野党の質問や対案の問題点を抉り出したならば、多少の失言などがあっても政府の勝ちだ、とゲームのルールを変えるより他ありません。こうすれば、政府側には攻勢を仕掛けようとするインセンティヴが出てきますし、それにより隙もできるでしょうから議論がより緊迫するでしょう。野党側に緊張感が出てくるのは言わずもがな。
じゃあなぜそうなっていないのでしょうか。誰が考えたって、攻守が決まった試合よりも、攻防がめまぐるしく入れ替わる試合の方が面白いのは当然です。面白くするために政府に反論権を認める、なんてことを今さらながらwebmasterが言い出すまで、誰も考え付かなかったはずもありません。
webmasterの管見では、政府にはなるべく制約を課すべし、という思想の表れだということになります。一般的傾向としていえば、政府は一国の中で最大の機関ということになりますから、情報収集力をはじめ、総体としてはもっとも強力な存在となります。その力を総動員して野党に容赦なく反論するのであれば、その議論は著しく野党に不利なものとなりましょう。
それでは、議会による政府のチェック機能は相当程度減殺されてしまいます。政府は聞かれたことに答えるのが(議会での)役目であり、余計なことをしゃべるな、野党に問題があったとしても目をつぶれ、というのは、上記の政府の力へのハンディキャップとして議論を対等にさせるにとどまらず、野党の失敗よりも政府の失敗が問題であるので、そちらの抑止に重点を置くべきとの制度趣旨の表れでしょう。野党の失敗などたいしたことはない、それよりも政府が失敗を犯さないように厳重に手枷足枷を嵌めよ、と。
民衆が求める「面白さ」を捨ててまで、制度としての安定性を重視するというのは、これもまたひとつの立憲主義のあり方であるのかもしれません。民衆の欲求に応えて丁々発止の議論の応酬が行われ、その動向に衆目が注がれるというのは、ある意味で独裁者を求める民衆という歴史上何度となく見られた姿の土壌でもあるのでしょうから。
と考察を進めると、結論はタイトルのようにならざるを得ないんですよねぇ・・・。
■ [BOJ][media]「中央銀行の独立性」フェチ
昨日の日経に、「日銀の独立性守る成熟国に/円の信認こそ成長の土台」という論説が掲載されました(「核心」、岡部直明論説主幹によるもの)。これがまた、信仰告白と見紛うばかりのものすごいものです。
いま世界で最も輝いている指導者はドイツのメルケル首相だろう。(略)
そのメルケル首相は「中央銀行の独立性」でも見せ場を作った。欧州中央銀行(ECB)を訪れた首相は「中銀の独立性が極めて重要だ」とトリシェ総裁を励ました。ECBへの政治圧力はユーロの信頼を損なうと考えるからだ。二度の世界大戦による混乱を経験したドイツには「中銀を批判した人が批判される」という伝統がある。メルケル首相の言動には成熟した先進国の政治が垣間見える。
翻って、日本はどうか。ドイツとは逆に「日銀を批判した人が喝采を浴びる」風潮さえある。(略)
幸い、一月の利上げ見送りはこの政治圧力に屈したわけではない。もともと日銀政策委員会のなかでは景気・物価をもう少し見極めたいという慎重派が多数だった。しかし政治圧力のもとでの利上げ見送りで日銀の信認が傷つき、円の信認に響いたのは否めない。
グローバル経済化が進むなかで中央銀行に政治圧力をかけるのは危険である。東京市場の波乱は世界に連鎖する。政治圧力で身動きが取れないとなれば、グローバル市場は日銀の足元を見透かす。(略)
(略)
日銀に政策目標の共有を求めるなら、安倍政権はその前に実行すべきことが多い。まず中身がおぼろげな成長戦略を立て直すことだ。「開放なくして成長なし」という旗印の下に、外資誘致などグローバル戦略を実践するときでもある。
(略)
グローバル時代は「信認競争の時代」といえる。グローバルな成長力を取り込むには、中央銀行の信認と通貨の信頼が欠かせない。それを自ら崩すのは得策ではない。日銀の信認が揺らぎ円の信認が低下すれば、成長の土台も崩れる。
独立した中央銀行は国民の財産である。懐深い政治と責任ある日銀が相まってはじめて日本は成熟国の仲間入りができる。
日経「論説主幹 岡部 直明/核心/日銀の独立性守る成熟国に/円の信認こそ成長の土台」
グローバル時代だのグローバルな成長力だのといった言葉遣いなどツッコミどころはほぼすべてといった感がありますが、もっとも際立つのは、独立性=批判を許さないこと、といわんばかりの独立性の理解でしょう。中川幹事長をはじめとする「政治圧力」の脅迫めいたやり方は、手段として妥当性を欠くと指摘されてもやむを得ない面があることはwebmasterも否定はしませんが、そうした手法ではなく批判することそのものを問題視するというのは、権力の監視を使命として謳うメディアの人間にとっては自己否定ではないのでしょうか(日銀だって行政権の一部を担う存在なのですから)。
そんな風潮が世の中を支配し、中央銀行を批判した人間が白眼視されるようになったら「成熟国」だというのなら、永遠に「未熟国」であり続けた方がよほど幸せというものでしょう。といいますか、議会証言が求められるFRBやインフレターゲットを外した場合の説明責任を課せられるBOEを要する英米両国は、この基準で言えば「未熟国」ということなのでしょうけれど、ユーロ圏に比べてどちらも経済は好調なのですが。
ECBは国際機関であるだけに主権国家の統制がゆるい、という特殊事情があり(IMFやIBRDにはごくたまにそうした点への批判がなされますが、ECBに対してはほとんどないでしょう)、加えて最適通貨圏を大いに逸脱した流通圏を構築してしまったがゆえの金融政策運営の難しさを抱えていて、模範とすべきようなものではありません。
そもそも中央銀行の独立性確保とは、そうしておいたほうが経験則的・確率論的に金融政策が大過なく行われるというに過ぎず、独立性さえ確保しておけば必ず金融政策がうまくいくということではありません。個別の金融政策決定が誤りであることは、いくらでもあり得ます。そうした実態から目をそらし、独立性そのものに正しさを見出してしまうというのでは、物神崇拝=フェティシズム以外のなにものでもありますまい。
#ところで、ぐぐっても裏が取れませんでしたが、岡部論説主幹って、日銀法改正時にどこかの審議会のメンバーで担当していませんでしたっけ?
2007-02-07
■ [politics]続・柳沢厚生労働大臣発言
2/3に取り上げた「機械」発言に引き続き、また野党を騒がせる発言が出ました。
「女性は産む機械」と発言し釈明に追われている柳沢伯夫厚生労働相が、6日の記者会見で結婚したい、「2人以上子どもを持ちたい若者」を「健全」と表現したことが波紋を広げている。首相官邸は問題視しない構えだが、野党側は「子どもが2人以上いなければ不健全なのか」と一斉に反発。柳沢厚労相の辞任を求める動きがさらに勢いづいており、国会審議の正常化を前に新たな火種となる可能性もある。
(略)
■柳沢伯夫厚生労働相の6日の記者会見での主なやり取りは次の通り。
(記者) 少子化対策は女性だけに求めるものなのか、考えはいかがか。
(厚労相) 若い人たちの雇用形態が、例えば婚姻状況などに強い相関関係を持ち、雇用が安定すれば婚姻率も高まるような状況なので、まず若者に安定した雇用の場を与えていかなければいけない。また、女性あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計が、子どもを持つことで厳しい条件になるので、それらを軽減する経済的支援も必要だろう。もう一つは、やはり家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがあるという意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう。そういうことを政策として考えていかなければならない。他方、当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。
Yahoo!ニュース(毎日)「<柳沢厚労相>子ども2人以上「健全」発言、波紋に拍車」
雇用問題に着目した部分が注目を引かないのは嘆かわしい限りですが、今般の流れに即してそこは今回は措きましょう。流れに沿ってこの発言に対する野党の反応を報道から拾うと、次のようなものがあります。
これに対し、民主党の小沢代表は山形市での記者会見で、「(女性を産む機械に例えた)発言以来、『ごめんなさい』と言っているが、柳沢氏自身の意識や考え方、体質は変わっていない」と批判した。国民新党の亀井久興幹事長も記者会見で、「子供を1人しか作れない人々は不健全と言わんばかりの発言だ」と指摘した。
共産党の穀田恵二国対委員長は「1人だったら不健全、ゼロだったら不健全だと言いたいわけだ。全く反省していない」、社民党の福島党首は「子どもを持ちたくても持てなかった人や、持とうと思わない人に配慮がない」と批判。小沢、福島両氏と国民新党の綿貫代表の3野党党首は6日夜の会談で、改めて辞任を求めることで一致。首相官邸で塩崎官房長官に申し入れた。
朝日「「結婚・子2人は健全」 厚労相発言、与党内からも批判」
「2人以上持ってらっしゃる方は健全で、持てない方は不健全だという風に受け止められますので、極めて不適切な発言だと思います」(民主党・蓮舫参院議員)
この中で、国民新党の亀井久興幹事長、共産党の穀田恵二国対委員長、民主党の蓮舫議員による批判は、実際のところ批判になっていないと申しますか、柳沢大臣よりも考えようによってはひどい発言しているという自覚がないのがみっともないです。その点、社民党の福島党首はちょっぴり見直しました。
というのも、柳沢大臣が「健全」と冠したのは、あくまで子どもを2人以上持ちたいという意思の問題で、2人以上持っているかどうかという実際の子どもの数の問題ではありません。持ちたいというのが健全だというのであれば、不健全なのはあくまで持ちたくないという場合のことだというのに、持たない/持てない場合のことだと脳内変換するというのは、柳沢大臣への批判のごとく勝手に言葉から意思を忖度してよいのであれば、ご自身がそのような価値観をお持ちだからそう聞こえてしまうのではないでしょうか(笑)。
福島党首については、「持ちたくても持てなかった人」への言及はさておき、「持とうと思わない人に配慮がない」という部分に理解が及んでいるのは、この文脈からすれば大したものです。って、橋下弁護士流に言うなら「国語力」の問題で及第点を出せることをもって大したものと評してしまうとは、webmasterも野党に甘いなぁ(笑)。
蛇足ながら、穀田国対委員長以外の方々におかれましては、子どもを「作る」「持つ」という言い方自体、そっちの価値観からすればまずいんでないの、というのは揚げ足取りですかそうですか。
■ [BOJ][media]続・「中央銀行の独立性」フェチ
こちらは昨日の続きということに。
お公家さん集団‐。十数年前、日銀を担当し始めたころ、われわれは日銀職員らをそう呼んでいた。そこには、象牙の塔にこもっていて世間知らずという意味合いとともに、「通貨の番人」を務める日銀に対する畏敬の念が無意識のうちに込められていたように思う。だが、先月の利上げをめぐる議論で、自民党幹部らの横やりで市場からの信頼が揺らいだ日銀を見ていると、通貨の番人としての権威も信頼もすっかり失ってしまったようでがっかりしてしまう。
(略)
その真剣な議論が必要な政策決定会合に対して、自民党幹部らが外野から利上げに声高に反対するのは、金融政策の神聖さを汚す行為だ。(後略)
産経「経済ノート/お公家さん集団の誇りは?」
「畏敬」「神聖さ」ですか・・・日銀法を改正して、「日銀ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とでも規定せよとキャンペーンを張ってみてはいかがでしょうか(笑)。
2007-02-08
■ [pension][economy]年金は経済だよ、兄貴!
兄貴とは誰かとはさておき(笑)。
厚生労働省が一昨日、「人口の変化等を踏まえた年金財政への影響(暫定試算)」を発表しましたが、これがなかなか味わい深い資料です。経済成長と出生率を変数とする年金の所得代替率見通しを示したものですが、厚生労働省資料では経済成長率が明示されていないので、朝日「年金額「現役の51.6%が基本」/厚労省、試算6分類公表/運用利回り4.1%想定 出生率は1.26」(webmaster注:ネットには掲載されていません)をベースに、そこに掲載されていない出生率1.76シナリオの計数を併せて示せば次のとおりです。
| 実質成長率\出生率 | 1.06 | 1.26 | 1.55 | 1.76 |
| 1.0% | 49.4% | 51.6% | 54.2% | 55〜56% |
| 0.6〜0.7% | 43.9% | 46.9% | 50.3% | 52〜53% |
これについて、報道を散見する限り、例えば次のように、所得代替率50%以上確保という前回の財政再計算に基づく年金制度改正時の公約を守った体裁を取り繕うためのためにする試算ではないか、という見方が多いようです。
二〇〇四年の法改正で、現役世代の減少分や平均寿命の伸び率分を、物価スライドなどによる増額分から自動的に差し引き老若が負担を分かち合う方式の導入が決まった。これにより、所得代替率は徐々に下がるが、女性が生涯に産む子供の数(合計特殊出生率)を一・三九と見込み、将来とも50%が確保できると政府は確約していた。
昨年末公表の将来推計人口で、合計特殊出生率が一・二六で半世紀後も推移すると予測されることから、国民の年金への不安が高まり、厚労省は試算をし直した。それでも、所得代替率は二六年以降、51・6%を維持できるという。
出生率が予想を下回り、寿命が予想以上に延びてマイナス要因として働くにもかかわらず、好転した経済情勢に支えられ、物価や賃金、積立金の運用利回りの上昇、高齢者や女性の就労の増加などプラス要因に吸収されるとの見通しからだ。
だが、用いた今後の物価、賃金上昇率、運用利回りの数字は好都合すぎないか。達成するのは困難との見方もあり、50%以上を確保するための辻褄(つじつま)合わせといえなくもない。
しかしながら、この試算が示すのは、出生率を上げるよりはるかに容易であろう安定的な経済成長の確保により、年金制度は十分に安定的に維持可能である、という事実でしょう。試算では示されていませんが、仮に2%の実質成長を安定的に達成できるならば、(合計特殊)出生率が1.06にまで落ち込んだとしても、おそらくは所得代替率50%を維持できるはずです。
本件は、当サイトでは何度となく嘆いていることではありますが、実質成長率に関するこの悲観的な見方が、多くの議論をおかしくしていることの実例のひとつでしょう。実質成長率が1.0%であっても楽観的だというのが正しいならば、そりゃ消費税でも増税しなければろくな所得代対立は確保できないでしょうけれども、ねぇ。
もうひとつ蛇足を加えるなら、年金について第一次ベビーブーマー以上の世代は若年層の犠牲の上に多くをとりすぎである、という議論があるわけですが、この推計がほのめかすのは、現在/近い将来の受給世代にとって、その生涯において実現してきた経済成長を鑑みれば、不当なまでに多くを受け取っているわけではなかろう、ということです。そのような世代間対立は、結局は経済成長が低迷している中で、パイの取り分が限られているからこそのもの、ということでしょう。
仮に3%近くの(実質)経済成長が実現されるのであれば、おそらくは所得代替率は6割を超えてなお、年金財政には十分な余裕があるということになるでしょう。現在/近い将来の受給世代の生涯平均経済成長率は、それをはるかに超えるものでしょうから、それに見合う年金給付を想定するならば、それら世代にとっては、このようなみみっちい議論をする方がしっくりこなくて当然です。
もちろんその経済成長率は、高度経済成長期という歴史の「ボーナス」(多産多死から少産少死へのシフトの過程において、生産年齢人口比率がピークに達したこと)の賜物ではありますから、ある程度までは、彼/女らから今の現役世代が不当にけなされるべき事情にはないのも事実ではあります。しかし、3%弱の実質経済成長を成し遂げられないことについては、今の現役世代の責任といわれてもやむを得ないのではないでしょうか。
・・・って、バブル崩壊以後のマクロ経済政策を失敗し続けてきたのは、まさにその世代であり、その意味では、年金受給世代が不当に多くを取っていると批判されるのは、少なくともその世代に属する人々の責任ではあるのですが。若者を批判するより、同世代の無能な政策決定者をまず批判しろ、と現役世代からは反論させていただきたいのですが。
2007-02-09
■ [economy]人口減少って、本当に問題なの?
昨日のエントリに関連する話題ではありますが。
結局のところ、この問題の解決策としては、以下の三つの選択肢しか存在しない。
- 国内で解決(domestic; do it ourselves = D)
- 国内の余剰高齢者を国外に移民(emigrate the old = EO)
- 国外の余剰若年者を国内に移民(immigrate the young = IY)
「少子化の三つの対策」(@404 Blog Not Found2/8付)
国内の余剰高齢者の移民という選択肢があることからも、人口減少そのものよりは、むしろ人口構成の問題であるとの受け止めだとwebmasterは理解します。
#そして第三の理由は、絶対国力の減少。いくら一人当たりの生産性が高いといっても、市場全体が小さくなれば、当然その市場は後回しにされる。(略)クリティカルマスというのは確かにあるのだ。そしてクリティカルマスの点から見れば、今の日本でも小さすぎるという観かたもあるのだ
ともおっしゃっていますので、人口の絶対数も無関係だということはないのでしょうけれども。
それをさらに詳しく見るなら、高齢者(現役引退世代)の増加は、
- 生産活動に携わらない者の比率が増加するので、経済水準の維持に必要なだけの生産が不可能になるのではないか、
- 医療費・年金等において相対的に高コストを要する者の比率が増加するので、経済水準を低下させることになるのではないか、
という2つの要素となるでしょう。相互に関連する話ではありますが、わかりやすく言うなら、収入は頭打ちなのに出費は増える、こりゃダメだ、と。
しかしながら、これらはそれほど深刻な問題ではない、とwebmasterは考えます。まず前者については、労働者人口が減り労働単価が上昇すれば、女性や高齢者など労働市場に参加していない者の労働参加が促されますから、生産活動に携わる者の比率の落ち込みは緩和されます。緩和されても落ち込むでしょ、というご意見もあるでしょうけれど、労働単価の上昇は同時に、労働力に頼らない生産活動(機械化、あるいは海外での生産(への投資)など)を相対的に廉価にするので、そちら側からも調整が進むのです。この点からは、「もの作りが大事だ」などといって妙な業界保護策に走らないことをこそ、警戒すべきでしょう。
後者については、まさに昨日年金について見たように、安定的な経済成長さえ達せられるなら、それほど心配すべき話ではありません。昨今の社会保障費関連の話題があまりに悲観的なのは、デフレ下でのろくでもない経済成長を前提としているからで、景気循環の波はあれど、デフレのような論外の状況に陥らないよう、まともなマクロ経済運営(他国と比べて抜きん出ている必要はなく、平均点程度でいいので)が行われることが何よりも大切です。
他方、これらに留まらない懸念の表明もあります。Dan Kogaiさんのエントリの契機となった、大石英司さんのエントリが代表的なものでしょうか。
問題は、地方に於いて、一族十数人しかいない中で、子供は一人、働いている人間はほんの二人で、残る10人は、みんな70歳以上、という時代が来るわけです。その時に、働き手世代一人で、救急車の運転もしなければならない、消防車に警察も、つまり公的業務を、もの凄く限られた人数でカバーしなければならない。小学校も中学校も、20万規模の中核市に一校のみ。通学はどうしましょう。片道1時間、保護者のマイカーで送り迎えするのも大変だから、毎日公民館に4、5人が集まって公民館でテレビ授業で済むでしょうか。高校なんか県庁所在地にしか無い。いずれそういう時代がやってくる。
今、たとえば長野県のいろんな過疎地で、泰阜村とか、それに近い状況にありますよね。それが更に遙かにタイトになる。コミュニティを回すには、一定のマンパワーが必要なのに、それが確保できないという状況がいずれやってくる。
ほとんど生産活動が無い地方のコミュニティでそれを回す原資は、都会から降って来る税金しかないけれども、いずれ、税金はあっても、人がいないという状況になる。だから私は、選抜公務員制度を提唱して、都会から若者を収奪して一定期間、地方で働かせるしか無い、と普段主張しているわけなのですが。
「人口が減るということ」(@大石英司の代替空港2/8付)
このような問題意識はwebmasterも共有していて、だからこそ限界自治体のホスピス政策なども提言しているわけですが、しかしこれは、人口減少に伴う問題なのでしょうか? こうした状況は、一言でいえば過疎化でしょうけれど、それが社会問題として語られるようになったのははるか昔からです。
「過疎」という語は、1966年に経済審議会の地域部会中間報告で初めて公式に登場した。翌年まとめられた同部会の報告は次のように述べている。
「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」
(略)
過疎対策として、1970年に過疎地域対策緊急措置法が制定され、以降、十年おきに過疎地域振興特別措置法、過疎地域活性化特別措置法として更新され、過疎対策が講じられてきた。現在では、2000年に制定された過疎地域自立促進特別措置法を基に、十年間に渡る過疎対策が実施されている。現行法における過疎地域とは、この法律の第2条第1項の要件(第32条によって読み替えられて適用される要件を含む)に該当する市町村である。
60年代後半から認識され、70年に最初の総合的対策が講じられたということからは、高度経済成長期に顕在化したということが察せられますが、とまれ、すでに40年を数える問題です。人口減少とは最近の問題なのですから、全体としての人口よりも、その国内での分布の問題であるといえましょう。もちろん、全体の減少がより事態を深刻にしていることは確かですが。
■ [BOJ]政治の圧力なんかより、能力に疑問を持たれているのでは?
米国の大都市圏で住宅市場の落ち込みが鮮明になっている。国内消費は底堅く、今のところ米景気への影響は限定的だが、一部の専門家の間で、住宅バブル崩壊が米景気失速につながるとの見方は根強い。米住宅市場の動向は、世界経済をけん引する米経済の行方を占うバロメーターとなっている。
(略)
ただ、先行きは予断を許さない。プリンストン大のクルーグマン教授は、米紙ニューヨーク・タイムズ紙上のコラムで再三にわたって住宅バブル崩壊を警告。エール大のシラー教授も「年内のどこかでマイナス成長転落がありうる」と、バブル崩壊が先導する景気後退の可能性を強調する。
シラー教授は住宅ローン返済が滞り、金融機関経営に悪影響を与える可能性も指摘する。昨年夏以降の市場金利上昇に伴い、信用力の低い低所得者層開拓を狙った「サブプライム・ローン」の焦げ付き件数は急増。同教授は「日本のバブル崩壊の二の舞を演じる危険も念頭に置かなければならない」と表情を引き締める。
こうした見方があることに対し、1月17日にニューヨークで講演したFRBのミシュキン理事は「日本ではバブル崩壊後、日銀が速やかな金融緩和をしなかった」と反論した。
同理事は「中央銀行はバブル崩壊を確認したら間髪を入れず金融緩和で対応することが重要」と述べ、FRBが既にバブル崩壊に向けて準備を始めていることを強調している。
東京「海外エコノメール/米国発:予断許さぬ住宅市場/バブル崩壊、景気後退も」
政治家やポジションを持つ投資家の発言としては、先般の利上げ騒動において政治の圧力に屈したの屈しないのと、それによって信認がどうしたこうしたといった議論になっているようですが、同業者たる海外の中央銀行から見れば、そんなことよりも金融政策の遂行能力において見くびられているのでは、とうかがわせる報道です。バブル崩壊時の対応は過去のことだとしても、未だに当時の誤りを認めないというのでは、「わかってないなぁ、こいつ」と内心馬鹿にされてもやむを得ないでしょう。
こうした日銀に対する認識があるのであれば、同業者をはじめとするプロの目からは、利上げ騒動も日本での報道振りとは異なって移っているのではないでしょうか。当サイトで繰り返し申し上げていることではありますが、デフレから脱却していないというのに利上げをするのは、期待インフレ率の急激な上昇でも観測されない限り、とうてい正当化できるものではありません。「あいつら、引き締めればいいと思っていやがるんだ(笑)」というのが正直な感想であるかもしれませんし、先日のFinancial Timesの社説も、そうしたプロの空気を反映したものだったのではないでしょうか。
■ [BOJ]今さら日銀の目標が何であるかが話題になるとは・・・。
日銀は政治的圧力から利上げを見送ったのではないかとの憶測があり、市場では日銀や総裁に対する批判や問題視する見方も広がった。
一つは、日銀の政策と政府の経済政策の関係を定義している日銀法第4条の解釈の問題である。(略)
二つ目は、日銀の金融政策の基軸の問題で、中期的な物価安定を目指すことと、金利を正常な水準に戻すことと、どちらをより重視した政策を基軸とするのかについて、明確にすべきではないかとの問題である。これらの問題を明確にすることは時間がかかるだろうが、日銀の信認や政策の独立性を確保するためには、ぜひとも解決する必要がある。
朝日「経済気象台/日銀の金融政策」
「金利を正常な水準に戻すこと」なんてものが、なんで金融政策の目標になり得るんだよぉ・・・。
2007-02-10
■ [economy]円キャリートレードの何が問題なのかがわかりません。
別にwebmasterが適役ではないのでしょうけれども。
低利の円で資金調達し、ユーロやドル建ての資産で運用して金利差をかせぐ「円キャリー取引」が増えたのだ。
この問題についていわゆるリフレ派の意見を見たことがない。基本的にリフレ派はこの手の領域に触れないように思える。
「産経社説 G7 円安リスク洗い出す好機」(@finalventの日記2/9付)
webmasterがこの手の話題を取り上げないのは、取り上げるに値する価値を認めていないからです。とりあえず、finalventさんのエントリで引かれている産経の社説を見てみましょう。
日本にとっても、リスクは円高への反転だけでない。円安は国内からの資金流出が多いことも反映している。
過去最高水準の企業業績にもかかわらず日本株の動きが鈍いのは、売買益を得ても、ドルやユーロに交換するさいの目減りを嫌う海外投資家が敬遠しているため−との見方も強い。債券も含めて、これらが悪循環を起こすと円からの資金逃避が加速しかねない。
円安の背景には日銀の超低金利政策がある。景気回復を受けて連続利上げした欧米との金利差が広がった。低利の円で資金調達し、ユーロやドル建ての資産で運用して金利差をかせぐ「円キャリー取引」が増えたのだ。
選挙を控え、政府・与党は「景気を冷やす」と利上げに強い拒否反応をみせているが、こうした問題にも目を向けるべきだ。実際にG7が円安是正を打ち出したり、日銀の金融政策に注文をつけたりする可能性は低い。しかし、G7での議論は、居心地の良い円安、超低金利の抱えるリスクを洗い出す好機である。
円高になるリスクもあれば円安になるリスクもある、なんて話を真剣に取り上げる気になるのも難しいところですが(笑)、それにしてもこの社説子は自家撞着を起こしていることに気がついていないのでしょうか。株式投資についてはキャピタルゲインを上回るほどの為替変動を想定しておきながら、円キャリートレード、つまりはインカムゲインを求めての行動で円安を説明しようとしています。キャピタルゲインが吹き飛ぶほどの円安を投資家が見込んでいるのであれば、円キャリートレードの動機はインカムゲインではなく、円安による為替差益に決まっています。
むしろ円安の動きは、単純な購買力平価で説明可能でしょう。日本は遅々たるものがあるとはいえ、一応はデフレ脱却の道を歩んでいて、つまりは相対変化としてはインフレ率が上昇する方向へ動いています。他方でヨーロッパでは、まだインフレ率がそれほど上昇しているわけではないにもかかわらず引き締めを鮮明にしているわけで、つまりは相対変化としてはインフレ率が下降すると見込まれます。インフレ率が上昇しつつある通貨と下降しつつある通貨との間の為替相場が、前者の下落という形に落ち着くのは、購買力平価の予言するところに他なりません。
#絶対値としてのインフレ率によって為替レイトが定まるというのが購買力平価ですから、上記はミスリードな記述でした。そのような金融政策の方向感から、中長期的な見通しとしての期待インフレ率が逆転しているのだろう、というようにご理解ください。(2/11追記)
そもそも為替相場において警戒すべき変動とは、ファンダメンタルズから乖離した相場がファンダメンタルズへ回帰する際のオーバーシュートであるというのが一般的に言えることでしょう。社説子の論調からすれば、ファンダメンタルズよりも円安に現状の相場が形成されていると理解しているのでしょうから、「円からの資金逃避が加速しかねない」なんていう妄言は、聞き流す以外にどうしろというのでしょう(笑)。
では円高へのオーバーシュートがあり得るのかといえば、先の購買力平価を援用すれば、まだデフレから脱却していないというのに再度デフレを深化させかねないようなことがその契機となり得るでしょう。既述のインフレ率の相対関係が逆転し、投資家の円安見通しに基づく円ポジションは一斉に解消されるでしょうから、そのようなことは避けねばなりません‐皮肉なことに、社説子の心配とは逆に、日銀がファンダメンタルズを無視して引き締めに走ることが最大のリスクということになります。
産経社説を離れてキャリートレードに問題があり得るかを考えるならば、過去にキャリートレードが引き起こした問題を見てみるのが早道でしょう。典型的にはアジア通貨危機ですが、東南アジア諸国につぎ込まれていた短期資金の引上げに際して、返済に必要な外貨(つまりはドル)がショートしたことが原因です。問題が生じるとするなら、あくまでキャリー先(の流動性)においてであって、キャリー元においてではありません。
常識的に考えても、今まで借りていたお金を急に返せと言われて困ることはあっても、今まで貸していたお金をもういりませんと言われて困ることがあるでしょうか? 仮に円キャリートレードに巻き戻しが生じるとしても、その際に困らないように対処すべきなのはあくまでキャリー先なのです。もしユーロがECBの金融政策の結果としてファンダメンタルズ以上に高い相場を形成しているとすれば、アジアに限らず通貨危機でよく見られるように、売り浴びせ→外貨不足による暴落、というリスクに瀕している可能性があります。そう、事態は円安リスクではなくユーロ高リスクである可能性の方が大きいですし、リスクが顕在化した場合の影響もまたそうであるのです。
■ [government][economy][media]高橋洋一さんによる「政権批判」
田中秀臣先生のご紹介を受けて今週号の週刊文春掲載の「安倍ブレーン(高橋洋一内閣参事官)がバラしちゃった/「総理のホンネは選挙までは景気を良くしておいてネ」」を読みました。詳しい内容は週刊文春、あるいは田中先生のエントリをご覧いただきたいと思いますが、概要をご紹介するならば、高橋さんが講演において、安倍政権のスタンスとは、
- マクロ経済に一番関心がある、
- (おそらくは増税や歳出削減を通じた)財政再建には熱心ではない、
- 「構造改革」や個別の産業政策には関心が低い、
といったものだと語ったというものです。ご本人の自負がいかほどかはさておき、実際に一人で政権の経済政策を牛耳っているわけではないでしょうから、100%安倍政権の経済政策がそのようなものであるわけではないでしょう。それにしても、実際にこのような方向で政策運営がなされている部分がそれなりにあるというだけでも、webmasterからすればずいぶんと高く評価すべきだと思ってしまいます。
#景気を良くしておくのは選挙以降もよろしくお願いします、とは思いますが。
しかしながら面白いのは、記事のトーンはこうした高橋さんの安倍政権像を、政権批判であると捉えていることです。実際は再チャレンジとか成長力強化とかそんなんばっかりで、全然マクロ経済への関心が見えてこないじゃないか、という批判に対する政権弁護ではないかと何度目を凝らして読み直してもそうなのです(笑)。
田中先生もこれを高橋洋一さんの政権批判に摩り替えたいこの記事
と評されていますが、実際のところその「摩り替え」は成功しているのかどうか。この記事を目にした読者の多くが、なんだ安倍政権は経済成長でごまかして改革に手を抜いているのか、と反感を持つようなことは・・・結構な確率でありそうなのが厭だなぁ。
2007-02-11
■ [misc]陸海軍は仲間はずれ?
【テクノバーン】(2007/2/8 19:37)米大統領専用ヘリコプター「マリーン・ワン(Marine One)」が近く引退し、早ければ今夏にも新編隊に入れ替わることとなった。ホワイトハウスでは新大統領専用ヘリコプターの導入費用として既に61億ドル(約7320億円)の予算を確保。新編隊は合計23機のロッキード・マーチン製のVH-71ヘリコプターになる見通しだ。
テクノバーン「米大統領専用機「マリーン・ワン」が近く引退、機種変更は実に四半世紀ぶり」
マリーンってことは海兵隊で、大統領専用機がエアフォース・ワンであることはよく知られていますから、じゃあ陸海軍(アーミー・ワン、ネイヴィー・ワン)はないのかな、とぐぐってみたところ・・・。
- 海兵隊機に搭乗した場合: マリーンワン - 通常はヘリコプター。
- 陸軍機の場合: アーミーワン - 1957年から1976年まで、海兵隊と共にヘリコプター輸送を担当していた。
- 海軍機の場合: ネイビーワン - 2005年現在までのところ、2003年に対潜哨戒機のS-3 ヴァイキングがブッシュ大統領を乗せた一例のみ。
- 沿岸警備隊機の場合: コーストガードワン - 2006年現在までのところ、該当機は無し。
- 民間機の場合: エグゼクティブワン - 通常アメリカ大統領は、プライベートな場合を含め民間機に乗ることはないが、リチャード・ニクソンだけはしばしば民間機を使用していた。
アーミー・ワンもネイヴィー・ワンもありました。2003年までは海軍だけは仲間はずれだったようですが。
ちなみにマリーン・ワンの「通常はヘリコプター」という記述、この文脈ですとよくわからないですよね。脱線になりますが、Wikipediaのもうちょっと前の部分を引用してみます。
「エアフォースワン」と言った場合、1990年以前はボーイング707を改造したVC-137、それ以降はボーイング747を改造した専用機 (VC-25) の事をさすことが多いが、それは大統領がこの機に乗ることがほとんどであるために起こる誤解で、実際には戦闘機であろうが輸送機であろうが、アメリカ空軍の航空機に大統領が搭乗すればその搭乗機のコールサインが「エアフォースワン」となる。なお、映画「エアフォースワン」で、大統領が輸送機に乗り移ったのを確認してコールサインを変更するシーンがあるが、これは正しい解釈である。
あれま、大統領専用機=エアフォース・ワンではないのね、ということで。テクノバーンの「マリーン・ワン」も、この伝で間違ったようです。
2007-02-12
■ [notice]WordPress導入準備中
最近サーバトラブルが頻発しご迷惑をおかけしております。DoS攻撃ではないかといったご心配もいただきましたが、最近になって不連続な形でこのような事態になった理由はよくわからないものの、そのような特定の行為によるものではなく、単純なアクセス増加によるサーバ負荷が原因のようです。
現状のサーバ負荷を考えるに、tDiaryを走らせる際、Rubyが起動するたびに必要とするメモリが最大のボトルネックとなっています。現状、1プロセスあたり50MBほどメモリを食っているので、同時に複数立ち上がると止まってしまうわけです。tDiaryには、そしてそれで今まで運用してきた現状の体制には愛着もあるのですが、あくまでテキストを公開することが目的であり、tDiary等はその手段でしかないので、手段に執着して本来の目的を達せられないのでは本末転倒です。
というわけで、現在、常駐型のエンジンへの乗換えを検討しております(tDiaryのまま種々の負荷軽減策を講じても、先行きに限界があるのは明らかなもので)。とりあえずはPHPのもの、その中でもWordPressを考えておりまして、準備を進めております。記法への習熟をはじめ、WordPressでの運営がある程度の水準でできる目途が立ちましたら、移行したいと思います(遅くとも今月中には、と見込んでいます)。
#その際、CSSを書き換えるだけの気力は残ってなさそうで、webmaster自身は気に入っているものの何かと評判の悪い(笑)現在のスタイルから、標準的なスタイルへの移行もあわせて行われることとなります。
ブログエンジンは、エントリを書き始めるまでがインストールです(謎)。
■ [economy]G7会合終了
ヨーロッパ諸国の関心はあったものの、アメリカが反対の姿勢をとったこともあり、下馬評どおり円についての言及はありませんでした。これまでにその意義は論じてきましたので、声明から該当部分を参考までに引用のみいたします。
我々は、為替レートは経済ファンダメンタルズを反映すべきとの考え方を再確認した。為替レートの過度の変動や無秩序な動きは、経済成長にとって望ましくない。我々は、引き続き為替市場をよく注視し、適切に協力する。多額かつ増加する経常収支黒字を有する新興市場エコノミー、特に中国の実効為替レートが、必要な調整が進むように変動することが望ましい。
(略)
ヘッジ・ファンドや、クレジット・デリバティブを含む先端金融技術の隆盛を含む近年の国際金融市場の動向は、金融システムの効率性に大きく貢献。しかしながら、これらの活動に伴う潜在的なシステミック・リスク及びオペレーショナル・リスクの評価は、一層複雑・困難化。ヘッジ・ファンド業界及び商品の急速な成長を踏まえ、我々は警戒する必要。よって、この問題をさらに探求することに合意。我々は民間部門と意見交換を行い、加えて、金融安定化フォーラム(FSF)に対し、高レバレッジ機関に関する2000 年報告を今日の状況を踏まえて改訂するよう要請。
2007-02-13
■ [WWW]Wikipediaの財政危機
前々から思っていたのだけど、いい機会なので。
メディア・パブ: Wikipediaが資金不足で3〜4ヶ月以内に閉鎖かも?
Web2.0の代名詞的存在になっているオンライン百科事典“Wikipedia”が運用資金不足で3〜4ヶ月以内に閉鎖してしまう・・・(mathewingram.com/workより)。
そろそろ広告を載せてもいいのでは?
「Wikipediaに広告を」(@404 Blog Not Found2/12付)
そもそも広告でやっていけるのか、という問題もあるようですが、「働かなくても生きて行ける煉獄」というエントリをものしたDan Kogaiさんにしては夢のない話ではありませんか、広告とは。全てのものが無料で手に入る世界に一番近いのはネットでしょうけれど、そのトップに近いところにいるはずのWikipediaにして何らかの収入が必要というのであれば、「煉獄」の実現可能性にもケチがついてしまうでしょう。
技術的にはいろいろと問題があるのかもしれませんが、SETI@homeやUDがん研究プロジェクトのやり方で、Wikipediaを運用することはできないのでしょうか? 処理能力よりも記憶容量に問題があるようなら、ファイル共有ソフト方式で、ディスクスペースについては追加で協力を求めることもできるでしょう。
Wikipediaほど多くのアクセスを集めるサイトの運用に必要なだけの協力を募ることができるのか、という疑問もあるでしょうけれど、アクセス数が多いというのであれば、それを逆手に取ることも可能でしょう。Wikipediaの閲覧には、余剰CPU能力やディスクスペースを提供する(無料の)プログラムをダウンロードする必要がある、ということにしてしまえば、アクセスが集まれば集まるほど対応余力を確保することが可能です。それらをうまく連携させるための専用サーバぐらいは必要かもしれませんが、それこそそのぐらいならば寄付で賄えるのではないかとwebmasterは思うのです。
2007-02-14
■ [law][joke]チョコレート等の特定贈与等による心理的外傷の防止に関する法律案
条文
チョコレート等の特定贈与等による心理的外傷の防止に関する法律(平成十九年法律第 号)
(目的)
第一条 この法律は、チョコレート等の特定期日における贈与等を禁止するとともに、当該贈与等についての罰則及び当該贈与による被害が発生した場合の措置等を定め、もってチョコレート等の贈与等による人の心理的外傷の被害の防止及び公共の安全の確保を図ることを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「チョコレート等」とは、チョコレート(ココアを含有する調製食料品をいう。以下同じ。)及び次の各号のいずれにも該当する物質で政令で定めるものをいう。
一 チョコレート以上の又はチョコレートに準ずる強い印象を有すること。
二 その原材料、製法、贈与したときの価値その他その物質の特性を勘案して贈与等をした場合の人(当該贈与等をし、または受ける者を除く。)の精神に対する危害の程度が大きいと認められること。
三 犯罪に係る社会状況その他の事情を勘案して人の精神の保護並びに公共の安全の確保を図るためにその物質についてこの法律の規定により規制等を行う必要性が高いと認められること。
(製造等の禁止)
第三条 何人も、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、特定期日(二月十四日及び二月十四日が日曜日または土曜日である場合におけるその日前においてその日に最も近い金曜日である日から二月十四日後においてその日に最も近い月曜日である日までの各日(二月十四日を除く。)をいう。次項において同じ。)にする贈与その他の適正な対価を得ずして譲り渡す行為(以下「特定贈与等」という。)のためにチョコレート等を製造し、輸入し、所持し、譲り渡し、又は譲り受けてはならない。
一 相続又は遺贈によって譲り渡すとき。
二 特定贈与等がチョコレート等の試験研究に充てるための寄付として行われるとき。
2 前項の適正な対価が三月十四日及び三月十四日が日曜日または土曜日である場合におけるその日前においてその日に最も近い金曜日である日から三月十四日後においてその日に最も近い月曜日である日までの各日(三月十四日を除く。)において特定期日に贈与その他の譲り渡す行為をした者が譲り受ける代償である場合における前項の規定の適用については、当該代償は、適正な対価でないものとみなす。
3 次に掲げる行為は、チョコレート等の特定贈与等とみなす。
一 前項の代償を譲り渡す行為
二 チョコレート等の特定贈与に準ずるものとして政令で定める役務の提供
(被害発生時の措置等)
第四条 警察官、海上保安官又は消防吏員(以下「警察官等」という。)は、チョコレート等又はチョコレート等である疑いがある物質の特定贈与等により人の心理的外傷の被害が生じており、又は生じるおそれがあると認めるときは、警察法(昭和二十九年法律第百六十二号)、警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号)、道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)、海上保安庁法(昭和二十三年法律第二十八号)、消防法(昭和二十三年法律第百八十六号)その他の法令の定めるところにより、直ちに、その被害に係る建物、車両、船舶その他の場所への立入りを禁止し、又はこれらの場所にいる者を退去させ、チョコレート等またはそれを含む物品その他のその被害に係る物品を回収し、又は廃棄し、その他その被害を防止するために必要な措置をとらなければならない。この場合において、警察官等は、相互に緊密な連携を保たなければならない。
2 警視総監若しくは道府県警察本部長又は管区海上保安本部長は前項の規定による措置又はこの法律に規定する犯罪の捜査に関し、消防長又は消防署長は同項の規定による措置に関し、それぞれ、関係行政機関又は関係のある公私の団体に対し、技術的知識の提供、装備資機材の貸与その他必要な協力を求めることができる。
3 チョコレート等の販売業者は、チョコレート等を一般に購入する者に対し、特定贈与等の禁止に関する情報その他必要な情報を提供するように努めなければならない。
4 国民は、チョコレート等若しくはチョコレート等である疑いがある物質若しくはこれらの物質を含む物品の特定贈与等を発見し又はそれが行われる場所を知ったときは速やかに警察官等にその旨を通報するとともに、第一項の規定による警察官等の措置の円滑な実施に協力するよう努めなければならない。
(罰則)
第五条 チョコレート等の特定贈与等をして公共の危険を生じさせた者は、無期又は二年以上の懲役に処する。
2 前項の未遂罪は、罰する。
3 第一項の罪を犯す目的でその予備をした者は、五年以下の懲役に処する。ただし、同項の罪の実行の着手前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
第六条 第三条の規定に違反した者は、七年以下の懲役に処する。
2 前条第一項の犯罪の用に供する目的で前項の罪を犯した者は、十年以下の懲役に処する。ただし、同条第一項の罪の実行の着手前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
3 前二項の未遂罪は、罰する。
4 製造又は輸入に係る第一項又は第二項の罪を犯す目的でその予備をした者は、三年以下の懲役に処する。
第七条 情を知って、第五条第一項の罪又は製造若しくは輸入に係る前条第一項若しくは第二項の罪に当たる行為に要する資金、土地、建物、艦船、航空機、車両、設備、機械、器具又は原材料を提供した者は、三年以下の懲役に処する。
第八条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、次の各号に掲げる規定の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して、当該各号に定める罰金刑を科する。
一 第六条第一項又は第三項(第一項に係るものに限る。) 五億円以下の罰金刑
二 第六条第四項又は前条 三億円以下の罰金刑
附則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。ただし、第五条から第八条までの規定は、この法律の公布の日から起算して三十日を経過した日から施行する。
(経過措置)
第二条 この法律の施行の際現に特定贈与等のためにチョコレート等を所持する者又はこの法律の施行の日以後その日から起算して三十日を経過する日までの間に第三条の規定に違反してチョコレート等を所持するに至った者は、同日までの間に、その所持するチョコレート等の種類、数量及び所在する場所を当該場所を管轄する警察署長に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出をした者は、警察署長が指示する日時において、その指示する方法により、その届出に係るチョコレート等を廃棄しなければならない。
3 前項の規定により廃棄するまでの間における当該廃棄のためのチョコレート等の所持については、第三条の規定は、適用しない。
(罰則)
第三条 前条第二項の規定に違反した者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前条第一項の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者は、三十万円以下の罰金に処する。
3 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、前二項の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して当該各項の罰金刑を科する。
備考
- 昨年、ネットで流れている元ネタをベースに「特定菓子贈与禁止法」の第1条・第2条(目的と定義)を考えてみましたが、フルセットで規定を考えるとどうなるか、という観点から悪乗りしてみました。
- 昨年は個人情報保護法を下敷きにしていましたが、目的はあくまでヴァレンタインデイのチョコのやりとりの禁止であって、個人情報保護法で言えば個人情報の不正使用になりますから、本末転倒のような気もしましたので、そのものずばり行為を禁止する法律‐サリン等による人身被害の防止に関する法律(平成7年法律第78号)‐のパロディとしてみました。個人情報保護法は条文数が多すぎて面倒だ、という方がwebmasterにとっては大きな意味がありましたが(笑)。
- チョコレート等の「等」は、この規定ですと菓子類には限られません。アクセサリーなどは無論のこと、「あたしをあ・げ・る」とかいうのも禁止(笑)!
- 附則第一条を訂正いたしました。(2/19追記)
2007-02-15
■ [law][joke]「チョコレート等の特定贈与等による心理的外傷の防止に関する法律案」正誤表
昨日のものにつき、いただいたコメントを踏まえること等により、以下の訂正等を加えました。すべて反映させましたが、どこをどう変えたかについて、ここでまとめて掲載いたします(変更部分は強調してあります)。
| 条項 | 変更前 | 変更後 | 摘要 |
| 第3条第1項 | 以下同じ | 次項において同じ | ミスの訂正・項追加のハネ |
| 同項 | その日後 | 二月十四日後 | ミスの訂正 |
| 同条第2項 | (加える) | 2 前項の適正な対価が三月十四日及び三月十四日が日曜日または土曜日である場合におけるその日前においてその日に最も近い金曜日である日から三月十四日後においてその日に最も近い月曜日である日までの各日(三月十四日を除く。)において特定期日に贈与その他の譲り渡す行為をした者が譲り受ける代償である場合における前項の規定の適用については、当該代償は、適正な対価でないものとみなす。 | ホワイトデイ対応 |
| 同条第3項 | (加える) | 3 次に掲げる行為は、チョコレート等の特定贈与等とみなす。 一 前項の代償を譲り渡す行為 二 チョコレート等の特定贈与に準ずるものとして政令で定める役務の提供 | ホワイトデイ対応・物品以外の行為を対象化 |
| 第4条第3項 | (加える) | 3 チョコレート等の販売業者は、チョコレート等を一般に購入する者に対し、特定贈与等の禁止に関する情報その他必要な情報を提供するように努めなければならない。 | 販売業者の責務 |
| 第4条第4項 | 第4条第3項 | (項ずれ) | 項追加のハネ |
| 第8条第2号 | 第七条 | 前条 | ミスの訂正 |
| 附則第2条第1項 | この法律の施行の日以後その日から起算して十日を経過する日 | この法律の施行の日以後その日から起算して三十日を経過する日 | 十分な経過措置期間の確保 |
| 同条第2項 | サリン等 | チョコレート等 | ミスの訂正 |
2007-02-16
■ [economy]主観相殺仮説
主観相殺仮説って何よ、と誰もが思うでしょうけれど、それも無理ありません。webmasterが今思いついた造語ですから。ではなぜそんな造語をこしらえたかといいますと、まずは次をご覧下さい。
今回の授業で扱った論文
What Do We Know about Capital Structure? Some Evidence from International Data.
Raghuram G Rajan; Luigi Zingales
Journal of Finance, Vol. 50, No. 5 (December, 1995), pp. 1421-60.1987年〜91年におけるG7各国(アメリカ・日本・ドイツ・フランス・イタリア・イギリス・カナダ)の主要企業(ただし金融機関除く)のバランス・シートを分析した実証論文なのですが、まず実際のデータを見て以下の事実に驚かされます。(実務家の皆さんは驚かれないかもしれませんが、象牙の塔の経済学者にとっては興味深いデータですw)
【資産サイド】
- 流動資産(Current Assets)の割合が非常に高い:日本及び大陸ヨーロッパ諸国では全資産の6割近くを占めている。アメリカでも5割近く。
- 流動資産の中でも売掛金(account receivable)の占める割合が大きい。
- 固定資産(tangible assets)の割合が低く、流動資産よりも圧倒的に少ない。
【負債サイド】
- 流動資産ほどではないが流動負債(Current Liabilities)の割合が高い:だいたい全負債の4割前後
- 流動負債の中でも買掛金(account payable)の占める割合が大きい。
- 長期負債(Long-term debt)の割合が決して高くない:買掛金と同じくらいの割合を占めるに過ぎない
- 自己資本(Shareholder equity)の割合もそんなに高くはない:3割から4割くらい
(略)
資産サイド・負債サイドに共通しているのは、流動項目のシェアの大きさ、とりわけ「売掛金」と「買掛金」の多さです。これは「近い将来に受け取る(あるいは支払う)予定のキャッシュフロー」を表していますが(定義が間違っているかもしれません。会計に詳しい方フォローよろしくです!)「この項目がどのように決まるのか?」「なぜこんなに高い割合なのか?」「各国間で割合が異なるのはどういった理由が考えられるか?」などをうまく説明できる標準的な経済理論は確立されていないようです。(シン教授はこのミッシング・パートを埋める研究の重要性をかなり力強く指摘していました)
「シン・ファイナンスその1:まずはデータを見よう」(@ECONO斬り!!2/15付)
主観相殺仮説とは、この「ミッシング・パート」を埋める試みのひとつということです。実証を伴わない思い付きですから、的外れである可能性も多分にありますが、言うだけなら只ですので、当たれば儲け物だと(笑)。少しなりとも説得力を感じた本職の方が実証して、世界的にも重要だと認められている研究テーマで有名になりましたら、発想の原点は当サイトであったとどこかで言及してください(笑)。
などとずいぶんな御託を並べていますが、内容はしごく簡単な話で、企業の経営者は、現金の売買と掛の売買をほぼ同じものと考えているのではないか、ということです。論より証拠、簡単なモデルで見てみましょう。
A社はある財を90の価格で入荷し、100の価格で出荷しているとします。この取引を全部現金で行っているとすれば、入出荷を2回繰り返した場合のバランスシートの推移は次のとおりです。
- 1回目入荷前
資産 負債・資本 現金 90 資本 90 - 1回目入荷後・1回目出荷前
資産 負債・資本 現金 0
在庫 90資本 90 - 1回目出荷後・2回目入荷前
資産 負債・資本 現金 100 資本 100 - 2回目入荷後・2回目出荷前
資産 負債・資本 現金 10
在庫 90資本 100 - 2回目出荷後
資産 負債・資本 現金 110 資本 110
これが入出荷ともに掛に変わると、次のようになります(初期状態において、資本に対応する資産はとりあえず何らかの固定資産であるとします(が、現金でない限り何であっても同じことです))。
- 1回目入荷前
資産 負債・資本 固定資産 90 資本 90 - 1回目入荷後・1回目出荷前
資産 負債・資本 在庫 90
固定資産 90買掛金 90
資本 90 - 1回目出荷後・2回目入荷前
資産 負債・資本 売掛金 100
固定資産 90買掛金 90
資本 100 - 2回目入荷後・2回目出荷前
資産 負債・資本 売掛金 100
在庫 90
固定資産 90買掛金 180
資本 100 - 2回目出荷後
資産 負債・資本 売掛金 200
固定資産 90買掛金 180
資本 110
初期状態ではいずれのケースも総資産90で始まりましたが、2回目出荷後においては、現金商売では総資産が110にとどまっているのに対して、掛商売では総資産は290にまで膨れ上がっています。両者を比べて、後者について「おっと、バランスシートが水ぶくれしているから商売を手控えないと」と思うのであれば、あまり売掛・買掛は膨らまないでしょうけれど、現金と同じ感覚で商売を続けるのであれば、掛の存在がバランスシートの規模をどんどん大きくし、当然ながらそれに占める掛の比率も上がっていくわけです。
実際に売掛・買掛の比率が高いということは、掛であっても現金と同じように捉えて商売をしているのではないかという推測が成り立ちます。その状態に、webmasterは「主観相殺」の語を充てたいと思います。つまり、掛が資産・負債の両建てで積みあがっていても、経営者の頭の中ではそれらが相殺消去されているように認識され、例えば銀行からの借入金がどんどん膨れ上がっているようには考えられていないのではないか、ということです。
わかりやすい譬えとしては、手形での決済がいいでしょう。仕入れ元に代金として現金の替わりに以前の出荷時に受け取っていた手形に裏書して渡せば、経営者の頭の中では現金を支払ったかのような感覚になっても不思議ではないでしょう。しかしながら、法的には、出荷先からの売掛債権も、仕入れ元に対する買掛債務も、手形の額面金額が振出人の口座から引き落とされるまでは、依然として存続しているのです。
#実際の経理の仕分けとしては、手形を渡したときと掛にしたときでは異なりますので、厳密にはあくまで概念的には、ということです。
さて、上記を前提に、そもそものシラーシン先生(2/17訂正)の問いにどのような回答が考えられるか、以下にまとめてみます。
- 「この項目がどのように決まるのか?」
一般論として言えば、流動性管理の容易さや経営への介入の可能性を考えれば、現金(銀行借入でのファイナンスを含む)よりも掛での商売が好まれるでしょうから、外部制約により押し止められるまでは、どんどん売掛・買掛が大きくなるものと考えられるでしょう。その外部制約とは、
- 信用リスク
- 在庫期間と掛の回収期間の比率
ということになります
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