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2007-02-06
■ [politics]国会での議論はどうにもならんなと思う件
いつもいつも話のきっかけとして頼ってしまい申し訳ないと思いつつ、今日も山口浩さんのエントリ、「国会での議論がどうにかならんかと思う件」を題材に。ここで山口さんは、国会の議論がつまらない理由について、「朝まで生テレビ」を対照例として引きつつ、
- 論点ではなく人によりフックされる議論
- モデレータの不在
ではないかと指摘されています。前者は、質問者ごとに質疑がまとめられているので、質問者が変われば重複があるなどして議論が深まらないということです。後者は、議論を整理し進行させる役回りがいないので、質問者と答弁者が勝手に言い合っているという状況になっているということです。
それぞれごもっともではあるのですが、webmasterの国会質疑に携わる業務経験から私見を述べるならば、根っこは違うところにあります。その根っこが変わらなければ、議論を論点ごとに行い、有能なモデレータを登場させたとしても、やっぱり議論はつまらないままであろう、と。
では根っこの問題とは何か。webmasterは、答弁者(主として政府側)は守る一方、質問者(主として野党側)は攻める一方、という質疑の構造であると考えています。答弁者は守りきって点を与えないことが勝利条件で、いくら果敢に反論して質問者をやり込めても点は与えられないので、ひたすら防御に徹し、失言その他の付け入る余地を与えないようにしか答弁を組み立てません。その進化のきわみが、わかりづらいと批判されがちな、いわゆる官僚的答弁ということになります。
#(主観的には)わかりやすく説明しようといらぬ比喩を用いた柳沢大臣は、この点からすれば優秀な答弁者ではないわけです。
このように答弁者側が進化すると、質問者側の行動原理も変わってきます。鉄壁の守りを前に千日手といいますか、基本的にはどのような質問をしても無駄だ、ということになってしまいます。とすれば、点がとれない以上ゲームのルール内での勝ちはあきらめ、せめて場外の観客にアピールでもして印象をよくしよう、という方向にインセンティヴが変わるのです。
かくて、
おそらくは、各議員にとって質問の機会は有権者に向けたプレゼンテーションの場としての性格が強いのだろう。閣僚に何を回答させるかよりも、自分が何を質問するかのほうが大事なのだ。はっきりいって、「議論」をするためのやり方ではない。
「国会での議論がどうにかならんかと思う件」(@H-Yamaguchi.net2/5付)
という状況の完成です。
ゲーム理論に詳しいかたであればピンとくるでしょうけれど、これはナッシュ均衡なので、お互いにここから状況を変えて議論をかみ合わせようとするはずもありません。答弁者からすれば、議論をかみ合わせても得点はなく、失言でもしようものなら大失点になってしまうわけですから、用意された答弁を踏み外すのは愚かなことになってしまいます。質問者からすれば、のらりくらりとかわされ続けて、「あの先生はパッとしないなぁ」なんて印象を有権者に持たれては質問しなければよかったということになってしまうわけですから、真摯に議論を深めようとするのは愚かなことになってしまいます。
であるならば、国会の議論を面白くするためには、政府に反論権を認めて、野党の質問や対案の問題点を抉り出したならば、多少の失言などがあっても政府の勝ちだ、とゲームのルールを変えるより他ありません。こうすれば、政府側には攻勢を仕掛けようとするインセンティヴが出てきますし、それにより隙もできるでしょうから議論がより緊迫するでしょう。野党側に緊張感が出てくるのは言わずもがな。
じゃあなぜそうなっていないのでしょうか。誰が考えたって、攻守が決まった試合よりも、攻防がめまぐるしく入れ替わる試合の方が面白いのは当然です。面白くするために政府に反論権を認める、なんてことを今さらながらwebmasterが言い出すまで、誰も考え付かなかったはずもありません。
webmasterの管見では、政府にはなるべく制約を課すべし、という思想の表れだということになります。一般的傾向としていえば、政府は一国の中で最大の機関ということになりますから、情報収集力をはじめ、総体としてはもっとも強力な存在となります。その力を総動員して野党に容赦なく反論するのであれば、その議論は著しく野党に不利なものとなりましょう。
それでは、議会による政府のチェック機能は相当程度減殺されてしまいます。政府は聞かれたことに答えるのが(議会での)役目であり、余計なことをしゃべるな、野党に問題があったとしても目をつぶれ、というのは、上記の政府の力へのハンディキャップとして議論を対等にさせるにとどまらず、野党の失敗よりも政府の失敗が問題であるので、そちらの抑止に重点を置くべきとの制度趣旨の表れでしょう。野党の失敗などたいしたことはない、それよりも政府が失敗を犯さないように厳重に手枷足枷を嵌めよ、と。
民衆が求める「面白さ」を捨ててまで、制度としての安定性を重視するというのは、これもまたひとつの立憲主義のあり方であるのかもしれません。民衆の欲求に応えて丁々発止の議論の応酬が行われ、その動向に衆目が注がれるというのは、ある意味で独裁者を求める民衆という歴史上何度となく見られた姿の土壌でもあるのでしょうから。
と考察を進めると、結論はタイトルのようにならざるを得ないんですよねぇ・・・。
■ [BOJ][media]「中央銀行の独立性」フェチ
昨日の日経に、「日銀の独立性守る成熟国に/円の信認こそ成長の土台」という論説が掲載されました(「核心」、岡部直明論説主幹によるもの)。これがまた、信仰告白と見紛うばかりのものすごいものです。
いま世界で最も輝いている指導者はドイツのメルケル首相だろう。(略)
そのメルケル首相は「中央銀行の独立性」でも見せ場を作った。欧州中央銀行(ECB)を訪れた首相は「中銀の独立性が極めて重要だ」とトリシェ総裁を励ました。ECBへの政治圧力はユーロの信頼を損なうと考えるからだ。二度の世界大戦による混乱を経験したドイツには「中銀を批判した人が批判される」という伝統がある。メルケル首相の言動には成熟した先進国の政治が垣間見える。
翻って、日本はどうか。ドイツとは逆に「日銀を批判した人が喝采を浴びる」風潮さえある。(略)
幸い、一月の利上げ見送りはこの政治圧力に屈したわけではない。もともと日銀政策委員会のなかでは景気・物価をもう少し見極めたいという慎重派が多数だった。しかし政治圧力のもとでの利上げ見送りで日銀の信認が傷つき、円の信認に響いたのは否めない。
グローバル経済化が進むなかで中央銀行に政治圧力をかけるのは危険である。東京市場の波乱は世界に連鎖する。政治圧力で身動きが取れないとなれば、グローバル市場は日銀の足元を見透かす。(略)
(略)
日銀に政策目標の共有を求めるなら、安倍政権はその前に実行すべきことが多い。まず中身がおぼろげな成長戦略を立て直すことだ。「開放なくして成長なし」という旗印の下に、外資誘致などグローバル戦略を実践するときでもある。
(略)
グローバル時代は「信認競争の時代」といえる。グローバルな成長力を取り込むには、中央銀行の信認と通貨の信頼が欠かせない。それを自ら崩すのは得策ではない。日銀の信認が揺らぎ円の信認が低下すれば、成長の土台も崩れる。
独立した中央銀行は国民の財産である。懐深い政治と責任ある日銀が相まってはじめて日本は成熟国の仲間入りができる。
日経「論説主幹 岡部 直明/核心/日銀の独立性守る成熟国に/円の信認こそ成長の土台」
グローバル時代だのグローバルな成長力だのといった言葉遣いなどツッコミどころはほぼすべてといった感がありますが、もっとも際立つのは、独立性=批判を許さないこと、といわんばかりの独立性の理解でしょう。中川幹事長をはじめとする「政治圧力」の脅迫めいたやり方は、手段として妥当性を欠くと指摘されてもやむを得ない面があることはwebmasterも否定はしませんが、そうした手法ではなく批判することそのものを問題視するというのは、権力の監視を使命として謳うメディアの人間にとっては自己否定ではないのでしょうか(日銀だって行政権の一部を担う存在なのですから)。
そんな風潮が世の中を支配し、中央銀行を批判した人間が白眼視されるようになったら「成熟国」だというのなら、永遠に「未熟国」であり続けた方がよほど幸せというものでしょう。といいますか、議会証言が求められるFRBやインフレターゲットを外した場合の説明責任を課せられるBOEを要する英米両国は、この基準で言えば「未熟国」ということなのでしょうけれど、ユーロ圏に比べてどちらも経済は好調なのですが。
ECBは国際機関であるだけに主権国家の統制がゆるい、という特殊事情があり(IMFやIBRDにはごくたまにそうした点への批判がなされますが、ECBに対してはほとんどないでしょう)、加えて最適通貨圏を大いに逸脱した流通圏を構築してしまったがゆえの金融政策運営の難しさを抱えていて、模範とすべきようなものではありません。
そもそも中央銀行の独立性確保とは、そうしておいたほうが経験則的・確率論的に金融政策が大過なく行われるというに過ぎず、独立性さえ確保しておけば必ず金融政策がうまくいくということではありません。個別の金融政策決定が誤りであることは、いくらでもあり得ます。そうした実態から目をそらし、独立性そのものに正しさを見出してしまうというのでは、物神崇拝=フェティシズム以外のなにものでもありますまい。
#ところで、ぐぐっても裏が取れませんでしたが、岡部論説主幹って、日銀法改正時にどこかの審議会のメンバーで担当していませんでしたっけ?
国会のインターネット中継をよく見る件については前にも書いたことがある(これとかこ
>国会での議論はどうにもならんなと思う件
かみぽこさんが指摘している 「与党の横暴VS野党の怠慢」の国会にも繋がりそうな話ですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200702060000/
http://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200702060001/
>国会での議論はどうにもならんなと思う件
>民衆が求める「面白さ」を捨ててまで、制度としての安定性を重視す
>るというのは、これもまたひとつの立憲主義のあり方であるのかもし
>れません。
うーん、目からうろこですね。当方あまり学がないのですっかり失念していましたが、統治権力の行使抑制は確かに立憲主義の要諦ですから、こちらが面白さよりも優先されて当然ですね。
ただ、せっかくの立憲主義やリベラリズムも国民がそれに飽きてしまうと絵に描いたもちになってしまうのも歴史が証明しているわけで(その壮大な失敗がワイマール共和制であったと思うのですが)誠実に立憲主義やリベラリズムを扱おうとする人にとって、それに依拠しながも日々それが見捨てられないように面白く調整するという、なんともやるせない作業が必要なのでしょうね。
昨日の記事を読んでなぜ野党がわざわざ勝利条件を上げて失敗した場合のダメージを最小化しないのかがわかりませんでしたが、この記事やかみぽこさんの記事を見て納得しました。要するにダメージコントロールできる程度の条件じゃ支持者に「勝利」とみなしてもらえないので、大きく出ないとアピールできない、どうせ負けても失うものなんてないんだから(と野党が思い込んでいる)ということなんですね。実際には負ければ負けるほど野党というより日本全体で何か大切なものが失われているような気がしないでもないんですが…
>政府の反論権
最近は外務大臣が反論権を行使して一部の人気を博している(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/913190.html)ようですが、これはやはり現代ではマスコミの力が政府の権力よりも大きくなっているとみなされていることのあらわれでしょうか(笑)
>民衆が求める「面白さ」を捨ててまで、制度としての安定性を重視するというのは、これもまたひとつの立憲主義のあり方であるのかもしれません
衆愚政になることを恐れずより多い人々の政治参加こそが民主主義だとして「面白さ」を求めるのか、それともよりよい政策論議を求めてエリート主義との批判を恐れず立憲主義を貫くのか…これは民主政治の永遠のテーマなのかもしれませんね。
>どうせ負けても失うものなんてないんだから
モラルハザードというやつですかね。
社民党とか、固定投票者で維持できる限界ぎりぎりまで議席数を減らしているから、モラルハザードの塊のようになっているわけですね。
記者会見での○○へのチェック機能は相当程度減殺されてしまいます。○○は聞かれたことに答えるのが(記者会見での)役目であり、余計なことをしゃべるな、記者に問題があったとしても目をつぶれ‥
あれれ :-) このモデルは結構使えそうですね。
>Baatarismさん
かみぽこさんの議論ですと、別途関連するものを取り扱ったことがありますので、ご参考まで。
http://bewaad.com/20050603.html#p02
>winter_muteさん
パンとサーカスが統治の要諦、という2000年の歴史を持つ人類の知恵もありますから。わざわざ政府がサーカスを供給する必要性は、当時に比べれば幸いにしてずいぶんと減っているのでしょうけれど。
>kogeさん
与野党の対立は囚人のジレンマ的な非効率性があるのかもしれませんが、メタ的にはそれもミニマックスなのだろうな、とは思います。
反論権については、属人的にそのようなことがあり得るとは言えます。現外務大臣もそうですが、前総理大臣が典型でしょう。
>通行人さん
モラルハザードというより、政党と支持者の共依存なんだろうな、と思います。カルトの教祖と信者の関係ですが(笑)。
>小僧さん
アクトン卿の金言をかみ締めて欲しいものです、そのように反論から守られている者は。
日銀の独立性はまだまだ甘いと思われます。そこでマイ国家ですよ。国家にしちゃいましょう。それが本当の独立ってもんです。ついでに核武装すれば余計な口出しは一切されなくなります。
>損原さん
かくて、円は本石国(笑)の通貨となり、日本は日銀の呪縛から開放される、と。