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  • 01/12/2008 (10:30 pm)

    「近道」の探し方

    Filed under: economics ::

    1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。より引用:

    • 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
    • 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。

    違うよ。全然違うよ。

    「現状を変える一発逆転」はいたるところにある。
    多くの人は、勇気がなかったり、ぼんやりと生きていたりするために、
    一発逆転のチャンスが目の前を通り過ぎるのを
    見過ごしてしまっているだけだ。

    むしろ、「近道を探す努力」こそが正しい努力であって、
    「近道や一発逆転を狙わないで地道な努力を積み重ねる」という姿勢が、
    自分と周囲を不幸にし、
    格差と貧困を生み出し、日本を衰退させてきた。

    それは、「ハゲタカ」というレッテルを貼られて悪者扱いされてきた人々が
    どのようにして人々に豊かさをもたらし、何十億ものお金を稼いでいるのかを見るとよく分かる。

    たとえば、3000万円の工作機械が故障したとする。
    仕組みが複雑すぎて、どこが故障したのか普通のエンジニアには分からない。
    だから直せない。だから、その工作機械はほとんど価値が無くなった。
    そこで、その工作機械の持ち主は、その工作機械を廃棄処分することにした。

    そこに、ハゲタカエンジニアがやってきて、その工作機械を30万円で買い取ってくれることになった。
    その機械の持ち主は、捨てようと思っていた機械を30万円で買い取ってもらったので、
    ハッピーな気分だった。

    ハゲタカエンジニアは、その工作機械の複雑怪奇な構造を理解できるだけの
    高度な知能と知識とセンスを持っていたので、どこが故障しているのかを5分で突き止め、
    5分で修理した。

    これによって、たった10分で、無価値なゴミでしかなかった壊れた工作機械が、
    3000万円の価値のある工作機械に生まれ変わった。
    時給1億8千万円分の仕事をしたことになる。
    これは詐欺でも錬金術でもない。純粋な価値創造労働だ。

    (略)

    その、分水嶺、運命の分かれ道を、意識を研ぎ澄まして見極める努力こそが、
    本当に効果的な努力なのではないだろうか。

    「「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方」(@分裂勘違い君劇場1/11付)(webmaster注:強調は、原文ではフォント拡大です。また、注記は略しました)

    趣旨には大いに賛同する(ただし、日本経済の低迷の原因と捉える部分を除く)のですが、fromdusktildawnさんの「分水嶺、運命の分かれ道を、意識して研ぎ澄まして見極める努力」とは、そのタイトルの「人生を好転させる努力の仕方」からすると、若干不親切ではなかろうかと思います。どうすれば「意識を研ぎ澄まして見極める」ことができるのか不明ですし、その結果、自分がそうだと思った努力が本当にそうであるかどうかが判断できません。fromdusktildawnさんのおっしゃるような努力だと思っていたら実は違っていた、では、努力の為の努力にもなってしまいかねません。

    そこで、どのような努力で「近道」が探せるのか、webmasterが公開してみせましょう!

    まずは経済学の基礎的な概念を紐解きます‐完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります(ただし、機会費用は会計上費用にカウントされないので、会計上は利潤が生まれます)。では完全競争市場とは何かといえば、次のとおりです。

    完全競争市場は、(1)経済主体の多数性、(2)財の同質性、(3)情報の完全性、(4)企業の参入・退出の自由性という4つの条件を満たす。

    市場に多数の売り手と買い手が存在するという条件(1)と、財が同質で価格情報などが完全に知れ渡っている条件((2)、(3))下では、一企業のみが他よりも高い価格を付ければ、その企業の財はまったく売れなくなる。そこで企業は市場で決定された価格を与えられたものとして、つまりプライス・テイカ−として行動すれば、利潤の最大化をもたらす生産量を決定できる。これは売り手が多数おり、一企業の供給量は市場規模からすれば微少で価格などに影響を与えないからである。よって、一企業としては現行の価格より安く売る必要もない。これは図表に描かれたように、ある財に対する市場全体の需要曲線が右下がりであっても、一企業に対する需要曲線は水平になることを示している。

    第7回 市場メカニズムの効率性と限界(webmaster注:括弧つき数字は、原文では丸付き数字です)

    「完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります」という命題の対偶をとれば、「生産者の利潤がプラスであるならば、完全競争市場でない市場においてです」ということとなります。すなわち、上記引用の4条件のいずれかが満たされていない市場を見つけることができれば、大儲けができるわけです。「近道」とは、これに他なりません。

    (1)の経済主体の多数性が満たされていない市場とは、独占が典型例です。(4)の企業の参入・退出の自由性が満たされていない市場とは、銀行やテレビ局といった免許業種が典型例です。いずれにおいても、そこで働く人々の給与が高いことには、きちんとした理由があるわけですが、いかんせんこれらは個人の努力によって見出せる「近道」ではありません。

    個人の努力によって見つけられる「近道」とは、よって残る2つ、(2)の財の同質性が満たされていない市場か、(3)の情報の完全性が満たされていない市場です。(2)の財の同質性とは、buzzwordでいえばレッドオーシャンとかコモディティ化と言われるもので、誰からも同じものが買えるならば、他人と同じ価格でないと売れないということとなります。これを差別化して、他の人からは買えないようなものを売ることができれば、他の人よりも高い値段で似たようなものを売ることができます。わかりやすくはブランド商品で、たとえばエルメスのバーキンが数百万円で売れるのは、1万円のバッグより数百倍使えるからではなく、ひとえにエルメスのバーキンだからに他なりません。

    (3)の情報の完全性とは、fromdusktildawnさんが挙げた事例が当てはまります。誰もが修理方法を知っている(=情報が完全である)ならば、30万円で買って3,000万円で売ることは不可能ですが、「ハゲタカエンジニア」しか知らないからこそ、そのような芸当が可能になるのです。他に知る人がいないことをどのように見つけ、それをいかに商売につなげるかについては、イアン・エアーズ「その数学が戦略を決める」に豊富な実例がありますので、それを参考にしていただければ(野球好きな方なら、マイケル・ルイス「マネーボール」もお薦めです)。

    ただし注意が必要なのは、同書に紹介されている事例は既に他に知る人がいるものですし、同書で描かれた手法で他に知る人がいないことを見つけようとする努力は世界中で行われています。となれば、「近道」としては、同書(に限らず類書)にて紹介されていない新しい手法を見つけるか、それとも同じ手法で他人より早く新たな情報を発掘するのか、いずれかが必要となります。

    ま、楽してお金は稼げない、ということですね!

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    12 Responses to “「近道」の探し方”

    1. 司法修習予定者 Says:

      いつも勉強させていただいております。ところで余計な感想申し訳ありません。
      情報の完全性というとゲームの理論ぽいですね。あと「情報の効率性」を満たさない場合も、超過利益が可能になると思います。(完全情報ゲームには情報の効率性の概念を含まないと思いましたが・・・。不確かですが。)
      そもそもチャンスか否かを理解するには、それまでの地道な努力の積み重ねが必要と思うのですがどうでしょうか。
      ところで、経済学の超過利潤0は誤解されることが多い気がします。経済学の超過利潤は「PX-wL-rK」ですが、これが0でも、会計上の利潤(rK=PX-wL)はでます。この差は非営利(ex医療)と利益をめぐる議論とかでも意識されていないですね。

    2. 雑種路線でいこう Says:

      社会をhackする作法…

      前職の時は方々のベンチャーに顔を出して、技術を金にするhackも手掛けていたんですが、いくつか社会の矛盾とぶち当たる経験をしてから、日本じゃ個々の仕事をクロージングま (more…)

    3. Says:

      まったく同意ですね。
      そして振り出しの↓に戻るわけですよね。

      ・現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
      ・毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
      (毎日少しづつでは一攫千金は無理でしょうが)

      ここまで意見が同じなのに、どうしてあんなに意見が異なることやら…。

      ここからはレスは要りません。
      日本不況の大きな原因の一つは、日本のトップ陣、経営陣や政治家のレベルの質が劣っていたからだと思います。
      そういう意味では『壊れた機械を直せなかった』という、fromdusktildawnさんの意見も一理あると思います。
      マクロ政策にも問題はあったと思いますがマクロ政策を行うのも最後は人な訳ですし、結局は人なのでしょう。
      そしてそういう優秀な人間を抜擢できない、優秀な人を育てられない、優秀な人が正しく働けない、日本の組織や制度にも大いに問題があったのだと思います。

      組織において決定的に重要なのは人ですが、当てにすべきは組織(法などの制度も含む)だと思います。
      いつ現れるか分からない優秀な人を当てにするのは、ただの英雄待望論にしか過ぎないと思います。
      人の弱みを補い強みを生かすのが、凡人に非凡なことをさせるのが組織なのですから、組織はとても大切なのだと思います。

    4. luke Says:

      飯田泰之先生のWired blogにも似た話題がありましたね。
      「何はさておき得したい」
      http://wiredvision.jp/blog/iida/200712/200712040913.htm...

      司法修習予定者さんのコメントにもありましたが、「利潤ゼロ以下」は少々誤解を招きやすい表現ですね。ゼロなのは均衡価格における限界利潤で、そこでは利潤の額(収入−費用)は最大になるわけで。

    5. Says:

      私の思考の根本にある、ことわざを思いうかべてみました。

      餅は餅屋
      神明に横道なし
      桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す

      上記の様に、型にはまった古い概念からは、主題のような『近道』は、見つけ出せないかもしれません。

      しかし、

      急がば回れ
      鶏口となるも牛後となる勿れ
      下手な鉄砲も数打ちゃ当たる

      の心構えだと、チャンスがありそうです。

      とりあえず、いつも
      驥尾に付す
      精神で勉めている若輩ですので…ご指導よろしくお願いします。

    6. webmaster Says:

      >司法修習予定者さん
      私の知識では両者を結びつけた議論の存在がわからないのですが、直感的には、情報の効率性は完全情報に含まれる(あるいは、あえて情報の効率性を外出ししない論者は、含んだものとして定義している)のではないでしょうか。情報の効率性が満たされなければ、完全競争ではないでしょうから。

      会計上の利潤についてのご指摘の問題は、確かに業務の非営利性を巡る議論で見たことはありません。関係者が合意できる機会費用の推計が難しいからかな、という気がします。

      >壺さん
      fromdusktildawnさんのエントリのはてなブックマークにあったコメントと記憶しているのですが、結局のところfromdusktildawnさんは努力そのものを否定するのではなく、努力すればよいというか、目的・やり方以上に努力そのものを重要視しているかに見えることに批判的だったのではないかとの指摘があり、私も同感です。

      >lukeさん
      飯田先生がそのものずばりを書いていなかったから書いたようなものです(笑)。あえていえば、
      http://wiredvision.jp/blog/iida/200712/200712181458.htm...
      がもっとも近いかな、と個人的には思います。

      会計上は云々、というだけでは迂遠だったようです。恐縮です。

      >魚さん
      「近道」を探す努力が実を結ぶとは限らないので、ローリスクローリターン狙いであるなら、成功者の模倣はそれなりに合理的な戦略だと思います。

    7. Says:

      私も同意権です。
      例え努力をしてもそれが正しい方向に向いていなければ意味がないわけですし、
      逆に正しい方向が分かっていたとしても努力しなければ何もしないのと同じですからね。

      日本には努力そのものを賛美する習慣があるようなので、それを批判するのも真っ当なことだとも思います。
      例え努力してたって今の農家みたいに駄目駄目じゃ、結局駄目駄目なんですよね。

    8. 鍋象 Says:

      基本的には賛同ですが、一つだけ付け加えるなら、近道には必ずリスクが伴うという事です。当たれ大成功、外れれば大失敗というのは、事前には予測不可能です。

      個人であれば全てを一つに賭けるしかなく、余裕がありませんので、min-max的に「一番はずれが少なさそう」という選択肢に集中してしまうのはわからないでもありません。ただ、「皆が、はずれが少なさそうと考える」理由で選ぶ選択肢は、往々にして超過供給になって、ある程度のタイムラグの後に「損失はあるけど、この程度で済む」レベルに落ち着くのかなぁと。それゆえ、他人と同じ行動をする事は、タイムラグが無い場合には正しいけど、タイムラグがある場合には損失確定につながる面があるかと思います。

      就職活動のときに、「今良い会社は僕が40歳になる頃に悪くなってるだろう。逆に、今悪い会社でも悪いなりに競争が減って40代の頃に美味しいだろう」と考えて就職した会社を30で家庭の事情で退職したところ、40歳の頃にはウハウハだったみたいな(実話)。

      世の中、目の前を通り過ぎていく問題ばかりではないわけで、答えが出るまで時間がかかるものもあるわけです。というのが弾さんに対する一言(ここでコメントしても仕方ないけど)。

      企業であれば、財務体質のよしあしで、良い企業は色々チャレンジしても期待値でそこそこに持ち込めるけど、悪い企業は吟味して吟味して個人と同じように「一番はずれがすくなさそう」な横並び戦術しかとれず、完全競争的な状況にハマるし、逆に一発逆転狙いで「たった一つの可能性に賭けてプロX的なストーリー(現実はそうではないハズですがドラマ的には面白い)に傾倒してし、当たれば時代の寵児、外れれば馬鹿の烙印みたいなことになるのかなぁと思ったりして。

      というわけで、「近道はあるんだけど、本当に通れるかわからない。あなたは通ってみますか?」程度が正解かなと思います。

      僕は、「(自分の手に負えない規模の)リスクをとるべきだ」と言い切るだけの自信はありません。

    9. Says:

      経済学的に申しますと、人気→需要→ランキングを基に選択する人、噂や人気に全くこだわらず選択する人がいるとします。
      しかし、得たものについての、満足感はいずれにしてもマチマチで、自分が主観的に思うことと、他人が客観的に見ることとののズレは、いろんなケースで思い当たります。
      すなわち、自分が満足することに出会える、選択技術を経験的に学んで、その結果がどうでも、努力したことを認める事に、リスクは報われるでしょう。
      結果が全ての財務諸表には、楽しさや苦しさは載らないでしょうけど(笑)…

    10. webmaster Says:

      >壺さん
      誰かの監督下にあるのならば、少なくとも努力が正しい方向にないことの責任のいくばくかは監督者にあります。他方、努力の結果を自ら引き受ける立場(経営者等)であれば、努力が正しくない方向にあるならば、そのうち身をもって思い知らされるわけです。となると、努力を賛美するというのはどういうことなのかな、と考え直せば不思議な話のように思えます。前者において、監督者のいうことをよく聞け、という規律づけということとなるのかな、とは思うのですが。

      >鍋象さん
      長期に不確実性のプレミアムが存在するなら、近視眼的な行動は思いのほか合理的なのかもしれません。

      >魚さん
      逆に言えば、主観的満足をうまく与えられるなら、人件費等は抑えられると(笑)。いや、昔の霞が関はそうだったのだろうなぁ、と思ったもので・・・。

    11. 鍋象 Says:

      >逆に言えば、主観的満足をうまく与えられるなら、人件費等は抑えられると(笑)。

      ウォルマートのバッチをじゃらじゃらつけてる店員さんの話ですねw

    12. iwashi Says:

      こんにちは。過去ログ倉庫の記録に感銘を受け、また若干の疑問を感じましたので、こちらで質問させていただきたく思います。

      2006年11月12日の記録に、Varianの論文が紹介され、その要旨が下記のようにまとめられておりますが、

      1.情報は本質的には非競合性・非排除性を有するので、そのままでは供給過少になってしまう。
      2.知的財産権等は、情報に人工的に排除性を付加して、需給バランスの最適化を目指す手法である。

      情報が本質的に公共財であるにしては、情報を取引の対象とする情報産業が、現今の社会であまりにも隆盛をきわめてはいませんか?そもそも「本質」が公共財であるようなものを私的財(知的財産)に変容させることができるのでしょうか?それは非排除性を要件とする公共財の定義とそもそも矛盾していませんか?

      また「人工的に排除性を付加する」とはどういう意味なのでしょうか。物所有は人工的ではないのでしょうか。昔の日本では、土地所有がしっかりしていないため、武士が自衛の組織を作って自分の領地を必死で守っておりましたが(領地争いが日常茶飯でしたが)、そのような時代の人間からすれば、土地所有も人工的なもの(人が作るシステム次第で機能したりしなかったりする)ではないのでしょうか。物所有も人工的であるとしたら、知的所有は何と比べて人工的なのでしょうか。

      突然の質問をお許しください。時間のあるときにでも解答をいただければと思います。

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