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  • 01/13/2008 (11:59 pm)

    「総量規制」の経緯

    Filed under: policymaking, government, history ::

    昨日、CXにて放映された「バブルへGO!!」においては、いわゆる総量規制通達が重要な位置を占めていたわけですが、まあ××のために、というのはご愛嬌としても(ネタばれ防止のため伏字にしてます)、実際にどのような状況であのようなものが導入されたのか、当時のデータとしてネットで収集可能なものとして、国会会議録から集めてみました。国会会議録検索システムを使って探したので、検索語の不適切さ等からもっと的確な発言を探し漏らしている可能性はありますので、その点にはご留意をいただければ。

    まずは1990(平成2)年3月27日の通達発出前のものから。最初に土地関連融資の伸び率に着目した応答が行われたのは、1986年まで遡ります。

    ○刈田貞子君 それから、土地高騰を招いている原因として地上げ屋というような存在が強引な土地の買い占めを行っていくというような事柄もいろいろ出ておるようでございますけれども、その裏にやはり民間金融機関等の不動産業種への異常な貸し付けというのは、これは私、否めない事実なんですね。これも私は四月の、先ほどの申し上げました委員会におきまして御指摘申し上げておるわけです。マネーゲーム的に土地を一生懸命買い占めておると、これを今規制しておかないと大変ですよということを私は申し上げておりまして、当時日銀の調査で、私が調べたところでは不動産業者への貸付残高、たしか二三・一というふうに一月から二月の間のデータで御指摘申し上げた。一般企業への貸し付けは一〇・三なんです。それが二三・幾らだったわけ、それで私はこれは異常ですよと申し上げておいた。そしたらその後日銀の調査では四月―六月期で何と三一・一に上がってるでしょう、そうですね。そして七月―九月には三〇・九にはなっているけれども、私申し上げておいたとおりこれは四月に大蔵さんに依頼して指導してくれと銀行局さんに言ったんでしょう。だけどその指導が一向に功を奏してないわけですね。これは私はまことに遺憾な事情だと思う。大蔵省さん見えてますね、なぜこの効用が発揮できなかったんでしょう、通達の。

    ○説明員(中平幸典君) 金融機関の融資の問題でございますけれども、金融機関がどういうところに融資をするかという問題につきましては、基本的には各金融機関の自主的な判断に基づくものであるというふうに考えておりますけれども、金融機関は公共的な使命を有しておるわけでございまして、このことを十分に自覚をしてその融資に当たりまして社会的な批判を招くことがないように従来から私ども指導を行ってきているところでこざいます。ただいま先生の御指摘もございましたように、国土庁からの御要請もございまして本年の四月に金融機関に対して通達を発出いたしまして、投機的な土地取引を助長することのないように指導を行ったところでございます。

     ただいま先生御指摘のように金融機関の土地融資、特に今先生がおっしゃいましたのは不動産業向けの貸し出し残高の伸び率につきまして非常に高い伸び率ではないか、こういう御指摘でございます。先生の御指摘になりました数字にもございましたように、九月末のところで前年に比較をいたしまして三〇・九%伸びております。これは八月末の三四・一というのから比べますと若干数字は下がっておりますけれども、依然として高いということは御指摘のとおりでございます。

     今回の通達は、今申し上げましたとおり投機的な土地取引を助長するようなことのないように適切な対処をしてくださいと、こういうことでございまして、金融機関の土地関連融資その額そのものを抑制しようとするものではございません。土地に関連する金融機関の融資にも社会的に有用なものがあることが通例であることは御承知のとおりでございます。したがってその融資額が顕著に減少してないということをとって、直ちに通達の趣旨が生かされていないのだということにはならないと思いますけれども、いずれにいたしましても、最初に申し上げましたとおり金融機関の土地融資につきましては、今後とも国土庁等と緊密な連絡をとりまして通達の趣旨が徹底するように私どもとしても指導に努めてまいりたいというふうに考えております。

    参議院・決算委員会(1986年12月12日)(webmaster注:刈田貞子議員は、公明党(当時)所属です)

    ここでは、大蔵省(当時。以下同じ)の担当者は、「金融機関の土地関連融資その額そのものを抑制しようとするものではございません」としており、総量規制的な考えを採ってはいないことを明らかにしています。続いて、総量規制について直接の言及のあったものに進みます。時代は3年ほど下って1989年。

    ○粟屋委員 今、金融の引き締め問題について国土庁長官もお触れになりました。私は、この金融の引き締めを適期にきちんと行うことが地価高騰の抑制につながるのではないかと思っておるところでございます。

     昭和四十七、八年の異常な地価高騰の際も、銀行局長通達を四十八年に出しまして、土地関連融資の増勢、伸び率でございますけれども、これを総融資額の範囲内にとどめるという措置をとったわけでありまして、これが大きく効果を発揮しまして、潮の引くように地価鎮静に至ったのではないかなと思っておるわけであります。ただ、金融政策は土地ばかり見詰めておるわけにはいかないこともよく承知をしております。当時の好不況の問題もありましょうし、また金融政策独自のお考えもある。これは私もよく理解をできるわけでございますが、やはり時宜を得て的確にやっていただくこと、これは必要ではないかなと思っております。

     今般も銀行局長通達を三度にわたってお出しをいただいておるようでございまして、最初は、土地関連融資が社会的な批判を招かないように配慮をすべしということであったようでありますが、六十一年の十二月になると、投機的土地取引の融資については厳に慎むこと。また六十二年十月には、閣議決定の緊急土地対策要綱を受けて具体的な指示をされております。特に、監視区域内においては、勧告をしないという不勧告の通知があった場合あるいは一定期間内に判断が下されない、そういうような場合には融資をしてもいいがそれ以外は慎むとか、また、実需を対象として融資をすべきであって、融資対象土地の利用計画、建設計画をきちんと明らかにした上でやれ、こういうような通達もお出しになっているようであります。

     私は、そのときどきに適切な措置をおとりになったと思いますけれども、やはり上がり切ったところでそういう措置をとってもこれは余り効果が出ない、やはり上がらんとするときに、異常な事態となろうとするときにそれを事前にきちんとつかまえた上で、早期に的確にやっていただくことが必要ではないかと思っておるところでございます。大蔵省のおとりになった措置は私は評価いたしますけれども、今の私の見解につきまして大蔵大臣からお答えをいただければと思います。

    衆議院・予算委員会(1989年10月13日)(webmastr注:粟屋委員は、自民党所属の粟屋敏信議員)

    この「土地関連融資の増勢、伸び率でございますけれども、これを総融資額の範囲内にとどめるという措置」とは、後の総量規制の内容そのものですが、この発言からわかることは、

    • 総量規制は列島改造論による地価高騰時に講じられた措置であり、当時においてはその存在を記憶している人々が少なからずいた、
    • 総量規制に先立って大蔵省は重ねて土地関連融資抑制策を講じてきており、総量規制において急ブレーキを踏んだわけでは必ずしもない、

    ということでしょう。

    続いて、当時の大蔵省を巡る状況がもっともよく表れているいるとwebmasterが思うものを。結構長いのですが、お許しいただければ。

    ○村沢牧君 基本法には「土地は、投機的取引の対象とされてはならない。」、投機的取引の抑制を規定しています。

     今日まで異常な土地騰貴をもたらした元凶は投機的取引にあったことは国民だれしも知っておることです。投機的取引の背景には金融機関の不動産関連融資がある。銀行が地価の高騰を助長してきた面もある。日銀の澄田総裁は、かりそめにも金融機関の融資活動で土地の騰貴をもたらし、インフレ心理をあおったり、国民生活を不安定にさせてはならないと金融機関に警告を連発しておったのです。私も同感であります。大蔵省銀行局長の見解を求めます。

    ○政府委員(土田正顕君) 金融機関の土地関連融資につきましては、かねてから通達の発出、特別ヒアリングの実施等を通じまして、投機的土地取引等に係る融資を排除するように厳正に指導してまいったところでございます。

     その結果、金融機関の不動産向け融資の残高の伸び率は、特別ヒアリング実施後の六十二年度上半期以降基調として大幅に減少してきていると考えております。

     ただ近時、地方都市を中心に地価上昇が続いている状況にかんがみまして、国土庁のとられます措置と平仄を合わせ、大蔵省としても投機的土地取引等に係る融資を厳に排除するという従来の通達の趣旨をさらに徹底させるとともに、これは簡略にいたしますが、諸般のいろいろな措置を講じておるわけでございます。

     ただ、ここで一つ申し添えたいと存じますのは、不動産業向けの融資の数字などを私どもは参考にしているわけではございますけれども、土地関連融資のすべてが問題であるということではございませんので、住宅、民活関連、その他の内需に必要な資金、それの円滑な供給はこれは確保してまいる必要があるわけでございます。しかし他方、投機的な土地取引等に係る不適切な融資は、これは厳しく排除するという必要があるわけでございます。

     そこで、このようなところから見まして、なかなか特定の統計の数量のみをもって成績を評価するということは難しいわけでございまして、そこのところは私どもが従来からやっておりますようなきめの細かい特別ヒアリングとか金融検査とか、そういう個別のチェックが必要となるというふうに考えております。

     このような点に十分留意いたしまして、今後とも私ども一連の措置を通じまして、投機的土地取引等に係る融資が厳に排除されるように強力に指導してまいる所存でございます。

    ○村沢牧君 金融機関に対する大蔵省の指導については、もう何回もここでお聞きをいたしました。今局長からまた改めてお聞きをしたところでありますけれども、しかし大蔵省の担当課長は、本委員会で、銀行行政として考えられるあらゆる手段を尽くしているというふうに答弁をしておるのであります。局長、今までやってきた手段が、大蔵省としてはもうこれが最高のものだというふうにお考えになっていらっしゃるのかどうか。基本法が制定されることを契機にいたしまして、過剰な土地関連融資を抑制する政策を大蔵省ももっと強化すべきではないかと思いますが、どうですか。

    ○政府委員(土田正顕君) (略)

     そのような措置の前進を図っていきますのが現在のところでは最善の対応と考えております。

    ○村沢牧君 石井国土庁長官は、本委員会で我が党の山本理事の質問に対して、地価高騰の要因とされている金融機関の土地関連融資の拡大について、土地基本法の成立を前提に土地関連融資残高の多いところから銀行名を公表することが必要である。また、不適当な融資には罰則を含めた規定をつくってもよいではないか。こういう決意を込めた答弁をしておるのであります。

    (略)

    ○国務大臣(石井一君) 私は弁解をしたり弁護をしたりするつもりはございません。ただ、村沢先生、私は前回の答弁で、土地がこれ以上暴騰を続け、また不動産関連の融資がこれ以上額をどんどんとふやすというようなことになれば、公表もするべきであり罰則も加えるべきである、こういう趣旨の答弁をいたしたわけでございます。前段は一つあったということは事実でございますが、ところが新聞にも報道されました。大蔵省の方からもおたくの長官はあんまり元気よくやるなと言うて後ろからやってきたのも、私は直接聞いておりませんが、私のところへ来ておりませんけれども、事実でございます。

     しかし私は、なぜこの公表ができないのかという問題をも追及いたしたわけでございます。ただいま局長の答弁にもございましたが、中には適正な融資もある、不適正な融資もある。この区別も非常に難しい。また、額だけで順番を決めても、それを専門的にやっておる、そこに重点を置いておるバンクもあれば、そうでないものもある。そしてさらに、大手とか地方ぐらいまでは手が届くのですが、銀行局自体の届かぬところで一番反社会的行為が行われておる。このようないろいろ立場上の問題もあるようでございます。

     しかし私は、あの発言一言で、銀行に対しましても相当なアナウンス効果は出ておると思います。それに甘んじてはおりません。今後必要であれば大蔵大臣と直接直談判をいたしまして、銀行局長はこのように申しておりますが、さらに状態が悪くなれば当然やるべきであるし、銀行というのはやっぱり社会的信用ということを最も重視しておりますだけに、我々から見れば公表一回ぐらいですよ……

    参議院・土地問題等に関する特別委員会(1989年12月8日)(webmaster注:村沢牧議員は、日本社会党(当時)所属です)

    この応答からわかるのは、

    • 大蔵省は総量規制導入の約4ヶ月前であっても「現在のところでは最善の対応と考えております」と答弁しており、総量規制を含む新たな規制の導入には後ろ向きだったこと(国土庁の事務方に対して牽制するほどに)。
    • 他方で石井国土庁長官(当時。以下同じ)が個別銀行名の公表や罰則制定(!)といった新たな規制の導入の必要性を訴えていること。

    です。当時のマスメディアの論調の裏取りは困難ですが、急速な金利引上げを主導した三重野日銀総裁(当時)が「平成の鬼平」と誉めそやされたこと等に照らせば、石井国土庁長官の側に世論の支持があったことは想像に難くないでしょう。

    加えて、国務大臣である国土庁長官の発言がある以上、それに対してゼロ回答、というのは官僚としては採り難い選択肢です。というのも、もちろん他の大臣の発言を公式に蹴飛ばすには官僚の側も自分の大臣に上げる必要があるのですが、となれば大臣同士が意見を異にすることとなり、閣内不一致を引き起こしてしまうからです。閣内不一致となれば、大臣の辞職、ひいては内閣の信任問題にもつながりかねませんが、そのような事態の引き金を引く度胸は、官僚にはありません(例外的な者の存在の可能性は認めるにせよ)。

    結局のところ、芹沢局長=土田銀行局長(当時)が「バブルへGO!!」で描かれたような傲岸不遜な官僚であれば、むしろ世論や石井長官の意見にも背を向けて、我こそが正しいと総量規制を否定し続けることができたことでしょう。彼が世論を気にし、他の大臣の発言にも何らかの形で応えなければと考えるありがちな官僚だったからこそ、総量規制は導入されたのです。

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    38 Responses to “「総量規制」の経緯”

    1. yy Says:

      昔も今も、インフレは嫌われ、インフレ潰しは庶民の味方のごとき扱いを受けるんですね。
      少し前にも、CPIは横ばいであるにも関わらず、新聞各紙が「庶民の感覚では物価は上昇している」なんて論陣を張っていた時期もありましたし。
      やはり、こういった世間のインフレ拒否症をなんとかしないと、インタゲにせよ政府紙幣発行にせよ、実現の可能性はなさそうですね。
      真面目な話、もっと経済学者の方のマスコミ露出を増やし、マイルドインフレの効用について、世間の理解を得ていくようなことはできないのでしょうか。

    2. K Says:

      サブプライム問題が深刻になる前、アメリカ在住者がプログで「貧乏人が住宅が手に入れ易くなって良い」と書いていた。(日本のバブル潰しとおんなじ論理じゃんとツッコミを入れといた)
      国民も政治家も官僚も、経済を良くわかってなかった。
      本来は、素人である国民に、危険な事であると説得すべきだった。しかし、KYなんて非難されるから無理か?

    3. 鍋象 Says:

      bewaadさん的には、「総量規制の責任は大蔵省にはなかった」という事が言いたいのでしょうけど、それは正直重要な問題なのかなぁ。僕的には「総量規制なんて馬鹿なことをやったのは誰だ?」という発想なので、誰がやろうと総量規制には反対でして、土田さんのような当事者は後世に語り継ぐためのシンボリックな意味で悪者になってしまいます。

      とはいえ、過去の国会議事録を引っ張り出して、議員さんの個人名までつなげてくれた事には感謝いたします。本当は、こっちの方が大事ですからね。

      僕的には、本石町日記さんでしょっちゅう書いていますが、「バブル(=市場の価格調整機能の喪失)を正すのは、日本では金融庁(当時は大蔵省管轄)の役割であって、日銀の役割ではない」と思っています。つまり、総量規制は正しくないにせよ、別の手段を考えて欲しかったとか、あるいはやるならもっと早くやって欲しかったと言うことです。

      別の手段については、現時点ではノーアイデアですが、経済学を志している方にはバブル発生過程の分析と、それを防止する規制のあり方について、もっと突っ込んで研究して欲しいなぁと思ったりします(既に成果があったらごめんなさい)。

    4. PK Says:

      違うだろ
      大蔵省は、予定の税収が確保できて、「まあ、このへんでいいだろう」という感じで総量規制に打って出たんだろ
      バブルの火消しは初動が重要で、85年過ぎには不動産屋が海外で大暴れをして、金融と不動産が気が大きくなる傾向が如実にでていた。それを税収のために放置した・黙認したのが大蔵省だ。当時の政府や官僚は、バブルを止める気持ちなど、これっぽっちも無かった。
      そして、「まあ。このへんが潮時だろう」といってやったのだ。それが、バブル崩壊に予想外で繋がったというのが真相だろう。

    5. Says:

      非常に面白かったです。
      傲慢な官僚が勝手に決めたと言う話よりもはるかに説得力がある話ですね。
      バブルを語る上では第一級の情報だと思います。
      さすが餅は餅屋ですね。

      私も大蔵省だけに全責任があったと思いません。
      また、何でもかんでも官僚が悪いという思想も間違っていると思います。

      しかし、環境省みたいな役所ならともかく、国家経済を左右できる権限を持つ大蔵省には、絶大な権限に見合う仕事をする責任があったと思います。
      したがって、総量規制などという絶大な権限を持ちながら、説得に必要な情報を収集・周知できなかった。周りの感情論を理詰めで説得できなかった。圧力に屈して総量規制を呑んだというのは十分な失態だと思います。

      もう一つ、これは経済的には先進国になったのに、政治的には開発独裁的な思想が残っていたから発生した問題だともいえると思います。

      1.政府の権力で民間・市場をねじ伏せるという野蛮な政策思想
       利上げにより市場を介して貸し出しを調整するならともかく、権力で民間の貸し出しを締め上げるというそのもの考えが野蛮です。
       開発独裁や絶対主義時代の経済政策だと思います。
      2.必要な情報を収集・分析・周知し、理詰めで論議・説得できない意思決定システム
       役所間政治家間の根回し、つまり現場での個々人の繋がりや世論などをベースとした感情問題で意思決定を行うからあんな決定をしたのだと思います。
      3.世論や政治圧力に屈する金融政策
       金融行政かもしれませんが、まあ効果面から見れば金融政策的効果でしょう。金融政策は世論やに屈さぬ傲慢さと、それだけの情報を集め説明する謙虚さを持つ責任があると思います。
       金融政策は周りの野次に戸惑わないプロが行う必要があるのでしょう。周りの顔色を伺って判断を違える役所に金融政策を担う資格はないと思います。(バブルを問題視すること自体は間違ってないわけですし)

      ですから、バブル崩壊後の15年で
      1.政府が民間経済に対して距離をとり
      2.意思決定の機能を中枢に移管+透明性の向上
      3.日銀の独立性の確保
      を行ったのはそれなりに失敗から学んでいるからだと思います。

      ただ1.に関しては、政府が民間経済から『ただ離れるだけ』ってのは問題もあると思うので、監督権限を笠に着て政府が民間を従えるという思想から、政府が審判役+民間の手伝いをするという思想に転向できたらいいなーと思っています、…が似てるけど全然違う思想に転向するのはやめる以上に難しいだろうなと…。

      >yyさん
      リフレとバブルを混同するのはリフレ派にとって良い戦術ではないと思います。

      現実に土地と株価の値上がりは異常でしたし、その原因は価値上昇ではなく投機による値上がりだったわけで、つまり日本経済はバブルだったわけですから、大きな問題は存在したと思います。
      経済価値の伴わない値上がりはいずれ値崩れを起こすわけで、バブルを問題視危険視すること自体は間違っていなかったと思います。

      >鍋象さん
      以前、金融不安対策として、がちがちにするドイツ流(利上げや規制などによって制御する)と、トロトロにするアメリカ流(流動性を高める)の二つがあると言う話があったような気がします。
      大抵の金融不安はバブルの後に起こり、金融不安が起こるからバブルは悪いわけで、一応バブル対策≒金融不安対策としてよいのではないかと(正確にはバブル対策が金融不安対策の予防措置なのでしょう)、そしてそれらの対策はちょいちょい施行されていると思います。

      例えば、金融や金融機関に対する規制や規則(金融行政)、金融政策やマクロ経済政策の技術蓄積はバブルと金融不安に対しての対応策として、それなりに効果を発揮しているのだと思います。(私はバブル対策には、金融行政と金融政策の両方が必要だと思います。現にバブル潰しの利上げは効果を表し初めていましたし、あのまま利上げを続けるだけで十分だったと思います)

      しかしまあ、対策技術の進歩に伴い、経済もどんどん高度になっているので対策が間に合わない時も結構あるわけですが、少なくともアメリカのバブル崩壊が、アメリカ経済のGDPを30%減少させたり、世界経済を破綻させて大恐慌に陥れるようなことは無くなったわけですし、それなりに進歩しているんじゃないかと…。
      また、世界大恐慌から日本が早く立ち直れたのは高橋財政以外に、井上財政時に金融恐慌の反省から金融改革と企業改革が進んでいたというのもあるわけですし、やはり一発逆転の奇手ではなく地道にシコシコ改善していくしかないのだと思います。

      バブルの発生を抑制するには、情報の透明性の向上させ、資金と金融商品両方の流動性を確保し、市場に厚みを持たせること(流動性の確保に等しいのかな)しかないと自分は思います。あとはバブル発生前に投機の裁定取引で解決してもらうと…。
      相場操作を封じるための規制も必要でしょう。
      しかし本道は経済学の基礎で理論上想定している完全な市場(に近いもの)を構築するしかないのだと思います。

    6. PK Says:

      バブル崩壊は、日本史に残る愚挙だが、現在の官僚はそれを認めたくないだろう
      日本の最盛期を数年で終わらせてしまったのだからな
      無能な官僚なら日本を凍えさせることはなかっただろう
      なまじ有能だったために、驕りで日本経済の心臓を止めてしまったわけだ
      関係者が死んだのちに、ぼろ糞に言われるのは間違いない
      大蔵省が主犯なんだよ あれは
      次に悪いのはメディアだ

    7. yy Says:

      >壺さん

      グリーンスパン氏の言葉を借りるならば、「バブルは崩壊して初めてバブルと分かる」ということです。
      好景気とバブルの間にはっきりと線を引くことなどできないでしょう。
      ですから、「マイルドインフレなら良いけど、バブルはNG」とすれば、金融当局にしても簡単な線引きなどできないのですから、リスク回避を優先した結果、少しでもバブルの可能性があればすぐに金融引締めにかかり、結果として好景気の芽をつんでしまうという可能性は十分にあるでしょう。
      別に、どこぞの中央銀行の話ではないですが(笑)

      そもそも、いったんバブルが拡大した状況になれば、そこで政策当局がバブル潰しを公言することは急激なリセッションを招くことにしかなりません。
      膨らんだバブルはいずれ崩壊するのであれば、急激に崩壊させるよりも、崩壊の悪影響を可能な限り緩和することこそ必要な政策でしょう。
      「リフレは良いけど、バブルはNG」というのは、それこそそんな簡単な問題ではないと思うのですが。

    8. ニポン合省国 Says:

      >好景気とバブルの間にはっきりと線を引くことなどできないでしょう。

      当時、不動産の担保掛目100%の融資がザラに行われていた。
      酷いのになると土地の値上がりを見越して担保掛目120%なんてのも有ったらしい。

      土地を担保にした不動産投機拡大無限ループが起きてた訳で、誰がどう考えても土地バブルでしょ。
      地価上昇が止まる乃至は少しでも下がり始めると歯車の逆回転が始まる事は容易に想像出来た事です。
      まあ、それだけ土地神話が強固だったのかも知れませんが。

      窓口指導でどうタラこうタラと言い訳されてますが、当時の大蔵省はこれを黙認していた訳です、ハイ。

      大体、路線価だの基準地価だの一物四価だか五価だかと呼ばれる位に、各省庁毎に違う価格を発表し、国民のみならず銀行や役人自体も混乱するような馬鹿げた事を未だに続けている訳で、アホは死ななきゃ直らないとは良く言ったものですなあ。

    9. yy Says:

      >ニポン合省国さん

      私についてのご指摘でしたら、いささか論点がずれているのではないでしょうか。
      私も「当時がバブルではなかった」とは一言も申し上げておりません。
      しかしながら、逆のケース、すなわち「どの程度ならバブルでないのか」という点において、現状ではっきりとした線引きが本当に可能でしょうか。
      それができていないからこそ、「CPIがマイナスでも利上げは可能」といった、バブル回避最優先のスタンスが採られているのではないでしょうか。

      >地価上昇が止まる乃至は少しでも下がり始めると歯車の逆回転が始まる事は容易に想像出来た事です。

      私もそう思います。であればこそ、わざわざバブル崩壊を加速するような当時の三重野総裁の金融引き締めには大いに疑問を感じます。特に、現在のアメリカの状況と対応を見るにつけ、バブルは崩壊させるものではなく崩壊するもの、金融・財政当局はその影響を緩和する政策を採るべきだと考えます。

    10. Says:

      80年代後半の地価上昇は、当時ですら問題視されるほど異常な高騰だったわけですし、高騰した原因も投機だったわけですし、また根拠の無い資産の異常な高騰はその後の調整局面において金融市場と実体経済にダメージを与えるわけですから、やはりバブルとリフレは分けて考えたほうがいいと思います。

      世間の支持を得るにも『バブルは問題ない』では一部の物好きしか見向いてくれないと思うわけです。
      リフレは一般の常識・感覚とはちょっとずれた政策なのですから、奇策を弄するより、真摯に正論を唱え続けるしかないと思います。

      もう一つ
      >リスク回避を優先した結果、少しでもバブルの可能性があればすぐに金融引締めにかかり、結果として好景気の芽をつんでしまうという可能性は十分にあるでしょう。

      政策的にも分けて考えるべきだと思います。
      リスク回避の基本は、場合分けとリスクの確定だと思います。
      リフレとバブルを別に考えるからこそ、『この程度の物価上昇はリフレの範疇だから問題ない』と言えるのだと思います。
      一緒くたにしているとなんでもかんでも『バブルの再来』と恐れ慄いてしまうはめになると思います。

      最後に
      >「リフレは良いけど、バブルはNG」というのは、それこそそんな簡単な問題ではないと思うのですが。

      私もそう思います。
      だからこそ、日銀は反対しているのでしょう。
      『リフレもバブルも反対』と言うのが『バブルを回避する最も確実な手段』なのは、確かだと思います。

      私は厳密に情報を分析すればリスクはある程度限定できると思いますし、リフレ政策はそのリスクをとるだけの価値のある政策だと思うから支持しているわけです。
      しかし、リフレをやるにしても慎重に行うべきだと思います。
      他の政策と違い金融政策は政局や世論の流れの思いつきでやるべきではないと思うので、やるにしてもそれなりの議論をして様々な事態を検討した上でやるべきでしょう。
      と言うわけで、やはり真摯に正論を唱え続けるしかないと思います。
      小泉時代後期にちょっとそういう流れがあったのに実らなかったのは残念だなあと思います。

      まあ、今の政権は経済政策的には安部以下の気がするので無理だろうなと思います。
      (安部内閣は、政策だけは結構好きでした、誠意の無さにはうんざりでしたが…。)

    11. 鍋象 Says:

      >壺さん
      大蔵省銀行局の人は目の前でデータ見ていたはずなので、彼らがどう考えてどう行動したのかも大事ですね。これは金融行政です。ただ、そういう事態に対して銀行がいっせいに接待攻勢をかけて、後にMOF担とかノーパンしゃぶしゃぶ接待とか言う事件に至ったのも「現実の社会のあり様」です。

      >バブルの発生を抑制するには、情報の透明性の向上させ、資金と金融商品両方の流動性を確保し、市場に厚みを持たせること(流動性の確保に等しいのかな)しかないと自分は思います。あとはバブル発生前に投機の裁定取引で解決してもらうと…。

      情報の透明性って何ですか?流動性を確保した結果が土地投機では?市場の厚みというのは、リスク分散できるように多種類の市場を用意するという事ですか?それでも連動しちゃって一斉におかしくなるのがクレジットクランチではないですか?バブル発生は裁定が機能しているからいっせいに資金が流入して大きく成長するのではないですか?

      >相場操作を封じるための規制も必要でしょう。

      土地バブルのとき、誰かが相場を操縦していたのですか?

      >しかし本道は経済学の基礎で理論上想定している完全な市場(に近いもの)を構築するしかないのだと思います。

      それは本質的に不可能だと思います。完全競争市場は、あくまで現実の経済現象を分析するための、一つの物差しに過ぎないもので、個々の市場がどれくらい完全競争市場の想定からずれているものか理解することが、適切な規制・補助金政策に結びつくものだと思います。

    12. Says:

      ・鍋像さん
      >金融行政と金融政策とバブル要因
      私も金融行政の不備が、バブル要因になることは大いにありえると思います。
      当時の金融行政は手出し口出し銀行を規律していたわけで、そういう行政を行うならば正しく手出し口出しする責任があったと思います。

      ですから、土地投機を煽る銀行を野放しにしたのは失態だったと思います。
      そして、そもそも土地に金が流れ始めたのは銀行の貸出先がなくなったことが原因で、なぜ貸出先がなくなったかといえば企業が独自に資金調達できるようになったためです。
      これも金融行政の結果でしょう。(金融行政による新たな金融市場の創造)

      しかし、当時の金融政策がかなりの低金利だったことも確かで、これが日本の金融市場を暴走の要因となったことも事実だとも思います。
      ですから、私は日本の金融市場が暴走してしまったのは、金融行政、金融政策どちらにも要因があったと思います。

      社会のあり様という意見には同意です。
      そもそも、当時の日本には論理ではなく情で取引をするという文化が根強く残っていたわけで、情を繋ぐには頻繁に顔を合わせる必要があり、接待はその為に必要だったのでしょう。
      ノーパンしゃぶしゃぶにしても民間でそのような事が行われていたからこそ、役所との接待でも行われていたのだと思います。
      そしてバブル要因を作ったのは政府だとしても、実際にバブルを起こしバブルに踊った主役たちは民間の企業であり、民間の不動産関係者であり、民間の銀行だったと思います(当時の銀行が民間と言えるかどうか怪しいですが)。

      ですから、社会のありようという意見には同意しますが、だからどうした?とも思います。
      共犯者がいたからといって、バブル発生と崩壊の責任が軽くなるわけではないと思います。
      民間も大いに反省し改善べきでしょうが、政府も大いに反省し改善するべきでしょう。
      そして、そのような社会のありようを改善していく必要があるのだと思います。

      >情報の透明性って何ですか?
      取引する商品の情報を効率よく収集できる環境です。
      例えば、土地取引では地価の一物六価な状態は土地取引の情報の透明性を阻害していると思います。
      株式で言えば上場企業は財務諸表を作る赤字を子会社に飛ばしたり、決算前の資産売却によって利益を水増しすることは情報の透明性を殺ぐことになるので、対策が打たれたのだと思います。

      >流動性を確保した結果が土地投機では?
      部分的に流動性を高めた結果、厚みの無い市場に大量の資金が流れ込んだために起こったのがバブルだと思います。
      規制でがんじがらめに締め付けて硬直化し歪んでいた日本の金融が規制緩和により一気に動いたことと、当時の財政政策や金融政策の動きが重なってバブルが起こったのだと思っています。
      経験不足のドライバーがいきなりF1カーに乗せられてアクセル全開で走ればそりゃクラッシュすると思います。
      このように、方向性は正しくても、ルールが大幅に変われば社会が混乱することはありえます。しかし、そもそも金融制度の規制緩和は様々な矛盾を解消するために行われた止むに止まれぬものだったはずです。
      このような混乱を生まないためにも、早いうちから斬新的に改革を続けていく必要があるのだと思います。

      バブル抑制だけを考えるのであれば、銀行以外に金融業務を禁止するなどして流動性をほぼ0にすればバブルはなくなるでしょう。しかし、経済成長を犠牲にしたバブル抑制には意味がないと思います。
      したがって、バブル対策には流動性を使って異常な高騰を吸収してもらうしかないのだと思います。

      >市場の厚みというのは、リスク分散できるように多種類の市場を用意するという事ですか?
      それもありますが、何よりも市場参加者の数と多様性の確保された、常に適正な価格で売買される環境だと思います。
      適正な価格よりも高い価格で買えば必ず売りが、適正な価格よりも安い価格で売れば必ず買いが入るような市場を作ると言うことです。

      >それでも連動しちゃって一斉におかしくなるのがクレジットクランチではないですか?

      その大きな変動をも吸収できるようにするために、さらに厚みを持たせるしかないと思います。

      >バブル発生は裁定が機能しているからいっせいに資金が流入して大きく成長するのではないですか?

      バブルは大量の素人が市場に乱入したときに起こる現象です。
      ですから、プロの少ない新しい市場や厚みの薄い市場に大量の素人が乱入したときに起こるのです。※
      通常の根拠の無い値動きは裁定取引によって抑制されており、それが働かなくなったときバブルが起こるわけですから、プロによる裁定取引を更に拡充すれば、バブルの発生を抑制することは可能だと思いますし、その動きは一定の効果を発揮しているのだと思います。
      だからこそ、現在の金融市場が何千兆円規模にも膨らんでいるにもかかわらず、数年に一度のバブルですんでいるのだと思います。


      行政が動いた結果として新たな市場が出来ることは多いので、バブルは金融行政によって生まれるというのは正しいと思います。
      ただし、金融政策はそれらの動きをある程度コントロールすることが出来るのですから、やはり政策行政どちらもバブル要因なのだと思います。

      >土地バブルのとき、誰かが相場を操縦していたのですか?

      不動産を扱う個人や企業などが『土地転がし』という相場操作をしていたと思います。
      土地市場は、流動性と情報の透明性の低さ、市場の厚みのなさには定評があると思うので、相場操作するにはもってこいの市場だったのでしょう。

      >それは本質的に不可能だと思います。
      確かに、そのものを作るのはほぼ不可能だと思います。
      だからこそ、バブルを完全に根絶するのはほぼ不可能だと思います。

      しかし、それに近づけることは出来ると思います。
      ですから、バブルをより少なく、バブルをより小さくすることはできると思います。

      全ての金融行政は市場を完全に近づけるために存在しているのだと思います。
      まあ、市場は刻々と変わる上、次々と生まれるので、果てしない道なのでしょうが、結局それが最も効果的な対策なのだと思います。
      そして、それがある程度成功しているからこそ、現代の超巨大な金融市場が成り立っているのだと思います。

      金融不安抑制ではなくバブル抑制という点で言えば市場の流動性や情報の透明性や市場の厚みがバブルの発生を抑えているのだと思います。
      それでも抑えきれない強大な動きは金融政策で抑えればいいのだと思います。

    13. yy Says:

      >壺さん

      どうも根本的な見解の相違があるようですね。
      壺さんはバブルを情報の歪みがもたらす異常な現象だとお考えのようですが、果たしてそうでしょうか。
      それに、「大量の素人が市場に乱入したときに起こる現象」をバブルの定義とするならば、最近までアメリカで起こっていたのは住宅バブルではないということになりますが、そうお考えですか?

      そもそも、資本の移動は順循環的なものでしょう。銀行は好景気には融資に積極的になり、不景気になれば回収しようとするものです。株式市場も同じでしょう。
      であれば、景気過熱は市場において普通に起こり得ることであり、逆に市場にそれを抑制する機能を求めるのは難しいのではありませんか?

      それともう1点、「情報の透明性」というのは、完全情報であればバブルは起きない、と仰っているのかと思います。
      しかしながら、完全情報というのはそんなに簡単なことではありません。
      例えば、市場についてあらゆるデータが入手できるようになっていたとしても、これは完全情報の状態とは言えません。
      何故なら、データを分析し、それを意味ある情報として構成するのは人間だからです。完全情報・完全市場は、完全な判断力をもった市場参加者をも要求するのです。
      しかし、市場参加者は神ならぬ人間です。
      完全市場どころか、それに近いものすら実現できないのは、現実の世界が示していると思いませんか。

      完全市場というのは経済学上の理論的概念と考えるべきで、実現は限りなく不可能に近いでしょう。果てしない長期的な努力の末にはそれに近いものはできるかもしれませんが、それこそケインズの「長期的には我々は皆死んでいる」というやつです。
      そんな努力をはらうより、不完全市場という現実を認めたうえで、それに対応した努力をする方が建設的というものではないでしょうか。
      長文失礼しました。

    14. webmaster Says:

      >yyさん
      デフレで失業率が増えるといっても、昔某公共放送のお偉いさんが大恐慌時でも失業率は25%で4人に3人は就業していたのだ、なんてことを書いたように、実はデフレは過半数の人々にとっては(少なくとも目先は)「いいこと」だったりします。他方でインフレは、少なくとも物価に対して給与がある程度遅行するのであれば広く薄く多くの人に「痛み」を与えますし、とりわけ富裕層の資産を目減りさせるわけで、嫌いな人が多いのもむべなるかな、ということと理解しています。かくて各個人にとってはデフレがよくても社会にとっては・・・というあたり、稲葉先生がマクロ経済政策は公共財であるといったことの基盤になるのではないでしょうか。

      >Kさん
      まあ「庶民の敵」とか言われて叩かれる姿が容易に想像できてしまうわけでorz。

      >鍋象さん
      といいますか、総量規制が悪かったのだとの理解が定着すると、誤った教訓になってしまうのかな、と。総量規制に先立って、それまでの諸措置で土地関連融資の伸び率は下がってきているわけですが、じゃあ再びバブルめいたことが起こった際、総量規制さえしなければとばかりに特別ヒアリング等が講じられれば、結局は同様のことをしてしまうのではないかと。

      >壺さん
      個人的には、総量規制はそれほどの効果を持たなかった(エントリで書いたように、総量規制だけが突然にやってきたわけではなく、シンボル以上の意味があったようには見られません)と思うわけですが、とまれ、バブルを「つぶす」という発想を有する限りは、それを利上げでやろうと総量規制でやろうと(地価税でやろうと・・・etc)問題を引き起こすのではないかと考えています。

      >ニポン合省国さん
      仮に担保掛目120%がまったく根拠のない話であれば、誰かがそうした者に「ババ」を押し付け、その結果事業が失敗するはずです。そうしたメカニズムが働かなかったのであれば、「ババ」を押し付けられないような仕組みを是正せよ、というのがまず講じられるべき政策ではないでしょうか。

      地価関連の政府の統一性のなさは、確かにご指摘のとおりです。公示地価と路線価という二大指標については、公示地価のやり方で路線価のすべてを算出できればもっとも合理的なのでしょうけれども、なかなか政治的には実現しそうにありません、というのが残念ながらの個人的見通しではあります・・・。

    15. 鍋象 Says:

      >壺さん
      市場参加者のプロは、むしろ情報の非対称性を利用して利益を上げる行動をトライし続けますよね。それと、素人が流入するとバブルが起きるというのであれば、市場に参加するのを免許制にでもしますか?

      あとプロとか素人とか、客観的な評価基準が無い言葉を持ち込むと、結果的にトートロジーになってしまうのかなと思います。「バブルは素人が原因で起きる」「バブルが起きたのは素人が大量に流入したからだ」と言うような形でね。

      あと、基本的認識が大きく違うし、僕の基本認識については上のレスで十分に書いています。これ以上各論の議論をしてもいつもと同じようにすれ違った議論にしかならないと思います。僕からはこの辺で終了しておきます。

    16. Says:

      ●yyさん
      >バブルの発生条件
      もう少し、正しく言い直させてもらうと未熟な参加者が多い市場ではバブルが起こりやすいということです。
      そして現在の国際金融市場に熟練者はまだそれほどいないと思います。
      なぜなら、市場のことを知り尽くすプレイヤーが育つ前に、市場が目まぐるしい進化を続けているからです。

      ちなみに、サブプライムローン問題で言えば、狭義で言えば住宅貸し出しの素人が乱入したから起こったバブルであり、広義に言えば証券化などに代表される金融技術と情報技術によって生まれた新たな金融制度、金融市場のプロがまだ育成されていなかったから起こったバブルだったんだと思います。

      後者については分かりませんが、前者の問題は今回の事件で学習したので、もう二度と起こらないでしょう。
      そうやって、様々な経験を学習し次に生かしていくことがバブルを抑制させることに繋がるのだと思います。

      >資本の循環とバブル
      資本の移動が循環的なのは確かです。だからこそ、それを制御するために金融政策が存在するのでしょう。
      しかし、循環のレベルを超え常軌を逸した流れが生まれることもあるのも事実かと、それがバブルだと思います。

      >完全市場
      情報の透明性や完全な市場の構築が非常に困難なことは分かっています。
      透明化のための情報技術や金融技術や金融規制が拡充すれば増すでしょうが、市場は刻々と変わる上に次々と生まれています。そして、情報の透明性の向上自身が市場を変えますし、新たな市場を産むのでしょう。
      これは、意味終わりの無いイタチゴッコそのものですが、しかし『それでも地道にやっていくしかない』のだと思います。この問題には、近道は無いと思います。
      そして実際、現在の金融市場はかなり完全市場に近づいていると思います。
      200年前に比べれば完全市場そのものと言ってもいいレベルでしょうし、100年前・50年前・15年前に比べても流動性も透明性も格段に高いと思います。
      その成果として数十兆、数百兆というお金をやり取りできるようになったのだと思います。そして、数十兆、数百兆というお金をやりとしているにもかかわらず、普段は健全性を保っているわけですからたいしたものだと思います。

      ちなみに、yyさんのいう情報の分析者・人に関しては、投資家・投機家たちの自己研磨に任せるということです。市場は無能者たちを淘汰し、有能者を益々強くするのですから、市場を使うことが神ならぬ人が神に近づく最も有効な手段だと思います。
      ですから、国に出来るのは有能な分析者(投資家・投機家)が必要な情報を必要なときに手に入れられる環境を整備することだと思います。

      競争がバブルや金融不安を生むこともあるでしょうが、競争が市場参加者を鍛えることも事実だと思います。

      >そんな努力をはらうより、不完全市場という現実を認めたうえで、それに対応した努力をする方が建設的というものではないでしょうか。

      市場が不完全だと言うことを認めた上で、完全に近づけるのが金融行政なのだと思います。
      あらゆる金融市場で使われている、あらゆる金融商品・あらゆる金融技術・あらゆる情報技術は市場を完全に近づけるために存在しているのだと思います。

      現実値を理論値に近づけることが、金融行政を初めとするあらゆる経済政策の根源的な意味なのだと思います。

      勿論、完全市場のための政策以外にも安定性を確保するための政策も必要でしょうし、相場操作などの不当な投機に対しては対策も必要だとは思います。(広義にはそれも完全市場に繋がるのだと思います)

      ●bewaadさん
      ここは平行線なので持論を述べるだけにします、レスはいいです。

      自分は、市場を介した方がよりマイルドで妥当な調整が出来るという意見です。
      (潰すという言葉は過激ですから、抑制と言う言葉にします)
      資源分配には、統制的配給制度より自由な市場制度の方が優れているから、大抵の国は市場経済を採用しているのだと思うわけです。

      土地投機を止めさせるには、全ての業者への資金を一律に止めるよりも、利上げによって利潤の低い業者から退場してもらう方が効率的だと思います。
      調整の際に悪影響が出るのは確かだとしても、利上げによるバブル抑制の方が総量規制によるバブル抑制よりはマシだと思うわけです。

      もう一つ、例え利上げと同じ効果しか持たなかったとしても、世論と政治的圧力に流され利上げで十分だった状態からさらに追加で総量規制を行いバブル抑制ではなくバブル潰しをしてしまったことは大失態なことには変わりないでしょう。

      そして圧力に流され政策判断を誤る役所に金融政策に関わる資格は無いので、大蔵省がそれらの権限を失ったのは当然のことだったと思います。

      ●鍋像さん
      今回に関して言えば、それほど意見が違っているわけではないと思うのです。
      バブル抑止に関しては、金融行政は非常に重要な役割を担っていると思います。
      でその金融行政が最終的に何を意味しているかというと、市場を完全市場に近づけることだと思うわけです。

      こういう意見でした。

      >プロと素人
      プロと素人という資格的な存在を匂わせる言葉を使ったのはややこしかったですね。
      言いたかったのは、未熟な参加者が多い市場ではバブルが起こりやすいということです。
      これは逆に言えば、熟練した参加者が多く参加する市場ではバブルが起こりにくいということです。

      仰るとおり、プロとか素人とかは熟練度の問題で第三者がどうこう判断するものではありません。
      そういうのは市場競争に任せて判断させるべきところでしょう。
      ですから、やるべきことは選別ではなく育成です。
      熟練した投資家・投機家を育成することがバブルを抑制することに繋がると思うわけです。
      競争はバブルと金融不安の要因になりますが、競争が市場参加者を鍛えるのも事実だと思います。

      市場をより正しく健全に理論通り働くように整備していくことが、バブルを抑制する最も効果的な道なのだと思います。
      そしてそれが一定の効果を発揮しているからこそ、とてつもなく巨大な上とてつもない速度で変化する地球経済がそこそこ健全に循環できているのだと思います。
      現状はそこそこ上手くやっていると思うのです。バブルもこの程度で抑えられていると言っていいレベルだと思います。
      市場参加者や金融制度や情報制度が50年前のままならば今の地球経済は一月で崩壊すると思います。

      その他完全市場に関してはyyさんへのレスとして書かせてもらいました、よろしければ目を通してみてください。

    17. 鍋象 Says:

      >壺さん
      壺さんに論点整理をしていただいたので、意見が異なる箇所を一点だけ明示しておしまいにします。

      市場があって、「どうも完全競争ではないらしい」となった時に、その状態を改善する方法は、伝統的な経済学においては「規制と税・補助金」です。その市場が完全競争ではない理由は、その市場に本質的な問題が多く、単に情報を広く共有化するだけで実現できるわけではありません。金融庁が金融行政という括りで行うべき政策は、規制を上手に行う事であります。

      というのが僕のスタンスです。

    18. Says:

      ・鍋象さん
      仰るとおり、現実には様々な本質的問題が存在します。
      しかし、その本質的問題を解決するために、様々な金融技術や情報技術や金融制度があるのだと思うわけです。
      そして、金融規制とは金融制度を作る重要な構成要素だと思います。
      ですから、適切な規制・金融行政によって完全市場に近づけることはできると思いますし、あらゆる金融行政は最終的には完全市場へ進んでいると思うんです。
      (例えば、規制には財務諸表の公開や作成基準など、情報の透明化に強く結びついている規制も多く存在すると思います。
      相場操作対策も、本質的には情報の不透明性を高める行為の規制ともいえます。)

      今の株式相場や外国為替市場や債券市場、そして急速に変わりつつある商品市場は、マーシャルやワルサスが見たら涙を流して感激するほど、完全市場に近いのではないかと思うわけです。

      仰るとおり、完全市場の実現は殆ど不可能でしょう、したがって完全市場の追求は終わりなき道のりだとは思います。
      しかし、だからこそやり続けなければいけないことだと思いますし、複雑な経済の動きを市場が正しく把握できるようにすることは、非常に意義のあることだと思います。

      私の意見と鍋像さんの意見はそれほど違っているとは思えません。
      鍋像さんのいうとおり金融行政によってバブルは抑制できると思います。
      私は、その金融行政が『究極的には完全市場の追求を意味している』と思うわけです。

      唯一違うとすれば、大切なのは行政の規制だけではなく、業界の成熟(市場もしくは市場参加者の成熟)が同じくらい大切、と言うところだけだと思います。

    19. 鍋象 Says:

      >壺さん
      規制緩和が完全競争を遠ざける可能性に納得していただけて嬉しく思います。

      ただ、壺さんは、「市場参加者の成熟」とおっしゃっていますが、僕には、これがミスミス濡れ手に粟を見過ごすほど、市場参加者に非合理的になれと言っているように聞こえます。

      人の行動原理なんて、物凄く多様でしょう。某株主総会の特別決議での一幕ですが、参加したオバちゃんは「せっかく参加して賛成してあげたのに、粗品がこんなものではつまらない」とのたまってました。僕は彼女の行動を非難することはしません。彼女にとってはそれが合理的だっただけです。

      かなり極論ですが、こういうところは大なり小なりあります。

    20. Says:

      いやいやいや、規制緩和がバブル発生を遠ざけると言う意見に賛同したわけではないです。

      確かに、厳重な規制を敷けばバブルは抑制できるでしょう。
      しかし、そのために、必要なところに必要なだけのお金を届けるという金融の機能を犠牲にしては本末転倒でしょう。

      ・規制に対する認識
      1.バブル抑制に限らず、市場にはルールが必要です。
      ですから、必要な規制が存在するのははあるのは事実です。
      2.しかし必要な規制緩和はやるべきでしょう。
      不要な規制が存在するのも確かなのですから、規制を一括りにされても困ります。

      私は規制緩和系の人ですが、銀行の自己資本比率や上場企業の財務諸表の公開などの規制は必要だと思っています。
      規制緩和系の人は、必要な規制は徹底的にそれ以外は自由にという『メリハリの利いた規制』を主張している人が主流だと思います。
      なぜなら、規制緩和は自由競争のためにあり、自由競争には正しいルールが必要だからです。

      竹中先生も規制緩和系の人ですが、銀行とやる時には自己資本比率問題で徹底的にやりあったのが良い例だと思います。

      ・規制とバブルと経済発展
      規制緩和がバブルを呼び込む可能性は大いにあると思います。
      規制緩和によって、商品の流動性が増し新たな市場が生まれたのであれば、新たな秩序が必要になります。市場が成熟し新たな秩序が生まれる前に市場が暴走してしまうことは十分にありえる話です。(日本のバブル景気と同じ)

      そして、確かに金融業を、国や銀行だけにしか認めないなど統制的な規制を敷けば、バブルは起こらないでしょう。
      しかし、経済発展をモロに犠牲にした金融にはそもそも存在価値が無いと思います。
      リスクをコストに変換する保険的意味合いの犠牲は必要でしょうが、経済成長を無視して規制緩和そのものを否定する意見は、金融本来の意義を忘れた本末転倒の意見だと思います。

      世界経済は、サブプライム問題で多少傷ついていたとしても、それを遥かに凌ぐの経済成長を遂げているはずです。これは度重なる規制緩和なしにはありえなかったことだと思います。
      必要としているところへ必要としている分だけお金を届けるのが金融の役割です。それらを犠牲にしては金融の意義そのものが揺らぐと思います。

      ・人の多様性と市場の成熟
      人の行動原理が多様なのは当然です。おばさんが株を買うのも、その後損をするのも得をするのも、市場競争の一環です。当人の合理的な判断が、市場にとっても合理的であれば得をするでしょうし、市場にとって不合理ならば損をするというだけです。
      そして退場したければすればいいだけですし、続けたいならば続ければいいのです。それも市場競争の一環です。

      このような多様な動きを最も効率的に統括するのが市場なのです。
      市場原理系の人は市場参加者の多様性と正しい情報など誰も分からないことを前提にしています。
      しかし、それでも熟練した投機家は政府よりも10倍マシで100倍早い判断が出来るというのが市場原理系の意見です。

      ・投機によるバブル抑制のメカニズム
      そもそもバブルと言うのは、実際の価値よりも高い価格で買い続ける人が次々に生まれるから生じる現象です。
      熟練した投機家が充実し裁定取引が充実すれば、実際の価値よりも高い買いは即座に『裁定取引による売り』の餌食になります。
      投機家は『実際の価値より高い価格での買い』という『濡れ手で粟な』チャンスを見逃さないからです。
      そして、損をするのは『実際の価値より高い価格での買い』という市場をかく乱した人です。

      したがって、極度に発達した投機は市場を安定させる役割を果たすはずですし、現実にも普段はそのような役割を果たしていると思います。

      フリードマンの提唱する投機擁護論そのままですが、その理論に現実を近づけることが経済の発展に繋がるのだと思います。

      ・完全市場と規制緩和
      完全市場の育成には、規制は必要です。しかし、それと同じくらい規制緩和・つまり自由も必要です。
      正しくは、参加者が自由を謳歌するためにこそ規制(ルール)が必要なのだと思います。何度も繰り返しになりますが自由競争には秩序が必要です。規制は秩序を築くために必要なのです。
      完全市場に必要不可欠な裁定取引が正しく働くためには規制緩和は不可欠ですし、完全市場に必要な熟練した市場参加者は自由な市場の下でしか育ちません。
      ルールの下でやり取りされる自由競争だけが、完全市場に近づく道だと思っています。
      その結果50年後くらいには、面白味も何も無い分かりきった平坦な経済が可能となるかもしれないと思っています。

      ですから、日本で70年代から90年代に行われてきた規制緩和は長期的に見て極めて意義の大きい規制緩和だったと思います。
      ただし、今の日本の金融業界には、特筆するほど大きな規制は無いと思いますし、むしろ今は市場の熟成と規制の整備が必要だと思っています(例えば、金融商品取引法も出来ましたよね)。
      そして今は規制政策以上に、行政と民間経済が綿密な情報交換を続けることが重要だと思っています。

      ・まとめ
      必要な規制は存在します。
      しかし、私は統制的な規制によるバブル抑制には反対です。
      それは、金融の配給制と同じだと思います。配給ならば価格の変動は起こらないでしょう。しかし、必要なところに必要なだけお金を届けるという金融の本来の役割を犠牲にしたバブル抑制には意味が無いと思います。ネズミ一匹を駆除するのに家を丸ごと焼き尽くすようなものです。
      ですから、市場をより正しく働くようにすることで不合理な値動きを是正するのが、最も効果的な対策だと思います。

      自分の意見はこんな感じです。やはり、鍋像さんとは意見に違いがあるようです。
      今回はこれくらいにしておきます。

    21. 鍋象 Says:

      >壺さん
      最適な規制があって、それの程度と現状認識の差という事でよろしいでしょうか。僕は金融市場より、労働市場や独禁法回りに興味の主眼があって、こちらで行われている規制緩和はどちらかというと独占市場の容認の方向に向いているように感じているので、感覚上の差異が発生するのでしょうね。

      あと、ネズミ一匹駆除するのに家を丸ごと焼き尽くすやり方というのは、規制を行わず、金融引締めでバブル抑制するやり方の喩えとして使うほうが適切なような気がします。
      僕がイメージしている規制というのは、「道路でお金を拾ったら交番に届けましょう。拾って自分のポケットに入れたら窃盗です。」というようなルールの設定であり、違反者を摘発し司法や行政処分にて処罰するやり方です。こういうやり方では、家を全焼させるような事は無く、むしろピンポイントで対処可能だと思います。

    22. Says:

      ・鍋像さん
      やっぱ同じ意見なのかな?
      それなら、それで話は早い気もします。

      >>規制緩和が完全競争を遠ざける可能性に納得していただけて嬉しく思います。

      この文章からはバブルの要因は規制緩和だからやめるべきというニュアンスがあった気がしたのですが。気のせいですかね。

      >むしろピンポイントで対処可能だと思います。

      このピンポイントな規制と『完全競争を遠ざける規制緩和』で緩和された規制は同じものなのでしょうか?
      これまでに『完全競争を遠ざける規制緩和』がなされたことなど殆ど無いと思います。

      完全市場に必要な規制緩和は金融の自由度を高める規制緩和です。
      対して、完全市場に必要な規制とは情報公開や相場操作に対する規制などです。

      規制は規制でも、完全市場を阻害する規制と完全市場に必要な規制はかなり違うと思います。
      (まあプルーデンス系の規制は自由を阻害することもありますが)

      それを踏まえて

      >最適な規制があって、それの程度と現状認識の差という事でよろしいでしょうか。

      そうですね。
      完全市場には最適な規制と熟練した市場参加者が必要なので、最適な規制というのは必要条件です。

      そして

      >「道路でお金を拾ったら交番に届けましょう。拾って自分のポケットに入れたら窃盗です。」というようなルールの設定であり、違反者を摘発し司法や行政処分にて処罰するやり方です。

      私が必要としている規制も↑のような規制です。そして、このような規制が緩和されたことは殆ど無いと思います。

      ・昔必要なかった規制が今必要なわけ
      昔の日本の金融市場は行動そのものを規制していたので悪いことが出来る余地が少なく、このような規制が必要なかったわけです。
      60〜70年代くらいまでは金融市場が殆ど無かったわけですから、相場操作を行う余地が殆どなく、出来たとしても仕手やのセコイ相場操作くらいだったわけです。
      (当時の金融市場といえば株式市場とコール市場くらいでしょう、株式市場も一般人は対面販売に近い形で売買させられていたと思います)

      多様な金融商品の誕生によって金融市場が発達すればそれに見合った規制が必要になります。
      人口10人の農村には法は必要ないでしょうが、人口100万人の都市には法が必要不可欠なのと同じです。
      ですから、一度緩和した規制を再強化しているのではなく、元々なかった規制を新たに作っているのが真相だと思います。

      ちなみに、規制は行政が行うよりも、小回りの効く民間、具体的には証券取引所が行った方が良いものが沢山あります。
      例えば、相場操作かもしれない取引があった場合。市場に対してシグナルを鳴らすようにするとか(間違いだった場合は問題ありませんでしたとその後報告します、天気予報の警報みたいなもんですね)、上場企業の100社に一社くらいを抜き打ち財務監査する仕組みなどが海外ではとられているようです。
      まあ、何でもかんでも行政が行えばいいってもんじゃないわけですね。

      >ネズミ一匹駆除するのに家を丸ごと焼き尽くすやり方というのは、規制を行わず、金融引締めでバブル抑制するやり方の喩えとして使うほうが適切なような気がします。

      バブルを含む様々な金融問題を金融政策だけで解決できるとは思いません、金融行政も非常に重要でしょう。
      しかし、金融政策だって金融行政と金融市場を鑑みる必要があるということです。どっちかだけで解決できるほど、金融は甘くはないでしょう。

      日本のバブル発生に関しては金融政策にも相応の責任があったと思います。

    23. koge Says:

      う〜ん…「完全市場」が望ましい状態なのかについてはそれぞれの価値観ですから置いておきましょう。しかし、そもそも「完全市場」を作り出すことが神ならぬヒトの身で可能なのでしょうか?
      「情報公開」にしても、18世紀ならいざ知らず、「学問その他の掘り下げが進み、あわせて技術の進歩が加速し、世に流通する情報が爆発的に増加している現状」(http://bewaad.sakura.ne.jp/20061227.html)では、いくらgoogle先生の力を借りても人間の脳力では情報処理が追いつかず、かえって非対称性を増すばかりではないのでしょうか?
      そもそも、自分を過信しているのには人のこと言えませんが、こういうこーぞーかいかく的な人って人類を過信しすぎてるんじゃないですかねぇ?そんなにヒトが賢いのなら、温暖化も少子化も多重債務も著作権問題もとっくに解決できてるんじゃないですかねぇ?で、ちょっと思い通りに動かないと未熟だとか不合理だとか。そんなに人間を改造したいのなら、経済学なんかやってるよりショッカーにでも入ってサイボーグの研究でもしてたほうがいいんじゃないですか?(冷笑)
      以前bewaadさんが「役人に大事なのは醒めてることだと思う」と言ってましたが、経営者でも学者でも世の中を動かそうとするなら「人間なんてそんなもん、少なくとも自分程度にはみんな馬鹿」というのを前提にしないと100%失敗すると思いますよ。リフレ派だって皆がそうだとは言えませんが…

    24. Says:

      ・kogeさん
      市場原理主義者の意見は、人が完璧じゃないからこそ人ではなく市場を使うべきだという意見です。
      市場原理主義者は個々の人や個々の組織(政府含む)を信用していません。
      だから、市場の競争に、最も良い答えを出したものに、最大の対価を払うというシステムを(仕方なく)信用しているのです。

      金融でいえば、何千億何兆という金を運用するために、血眼になって情報を分析し競争するから、完全市場に近づくんです。
      ちなみに市場の基本は分業なのですから、一人の個人や一つの組織が全てを担う必要はないですし、100発100中である必要もありません。
      ですから、一つの個人や組織が全ての情報を分析する必要も、完全に情報を分析する必要もありません。そして、その分析が外れより当たりが多ければ市場で生き延び、当たりより外れが多いならば淘汰されるだけです。そして、その結果市場全体として、おおむね正しい分析が出来正しい融資が出来れば、それで十分なのです。
      誰が正しいのか、誰が賢いのかなんていうのは関係ありません。そんなのは市場に判断して貰えばいいことです。

      もう少し、市場が日々進歩していることをもう少し評価するべきです。
      普段の市場は、それなりに完全市場として機能しているのです。これだけの金をまともに運用できているのは市場の機能が10年前とは桁違いに上がっているからだと思います。
      だからこそ、ロシア危機やアジア危機当時諸悪の根源と言われていた国際金融は、中国やインドでは地に足着いた成長のエンジンとして機能しているわけです。

      情報の完全性については、全ての情報を知る必要はありません。取引(利回り計算)に必要な情報さえ知れれば十分です。様々な会計制度や様々な規制はその為にあるのでしょう。
      完全に達成することは無理でも、それなりに近づけることはできるでしょうし、だいぶ近づいているとも思います。
      100点じゃなければ0点だなんていうのは暴論だと思います。

      でレス
      >ちょっと思い通りに動かないと未熟だとか不合理だとか。
      実際にその度に修正が加えられているでしょう。経済学に限らず技術革新というのはそういうものだと思います。
      電車だって、飛行機だって、車だって日々改良しているように、市場だって日々改良する必要があるのだと思います。

    25. yy Says:

      >壺さん

      横レス失礼します。

      >人が完璧じゃないからこそ人ではなく市場を使うべきだという意見

      人が完璧でないのに、その行動の集合体である市場がどうして信用できるのですか?
      市場を使うというのは、人間の行動を利用することに他ならないでしょう。人は信用できないのに市場は信用できるというのは、論理矛盾があると思いますが。

      何故こうなるのかといえば、壺さんの信じる「市場」というのは現実の市場ではなく、「市場原理」という理論上の概念だからでしょう。
      だからこそ、「市場を完全市場に近づけるべき」というご意見になるのでしょう。
      しかし、それは自分の理想に合わない現実の市場を理想どおりに修正すべき、ということです。
      言いかえれば、「すべての市場参加者は完全に『市場原理』に基づいて行動すべきであり、そうでない人は退場してもらって結構」ということでしょう。
      私には、この「現実を自分の理想に合わせて改革すべき」という考え方は、どうにも傲慢に思えてなりません。

      これは最近の一般的な構造改革論者だけでなく、本義的な構造改革にも共通する点だと思いますが、もう少し現実を受け入れて物事を考えるべきではないでしょうか。
      例えば、テレビ番組などで構造改革派の方が批判されると、「それは改革が十分に進んでいないからです」と答えるシーンをよく見かけます。先日も渡辺金融担当相が同様のお答えをされていましたね。
      しかし、改革が十分になることなどあるのでしょうか。
      壺さんも、真の意味での完全市場が可能だと思われているわけではないでしょう。であれば、改革は理想に対して漸近線を描くように、永遠に続くものとなる筈です。
      ならば、「改革が不十分」を理由にする限り、社会の諸問題は永久に解決しないかもしれません。
      それよりも、不十分な、理想にほど遠い現実を受け入れたうえで、それに対応した政策で今ある諸問題に対処すべきでないでしょうか。
      長々と失礼しました。

    26. yy Says:

      それともう一点。
      中国やインドの成長に言及しておられますが、両国がこれまで経済危機にも見舞われずに発展できたのは、資本市場を簡単に自由化しなかった点にも大きな要因があるでしょう。
      これは、他のアジア諸国が資本市場を自由化したために経済危機に見舞われたことと対照的です。
      先に言及したように、資本の移動が順循環的であることを考えれば、これは実に適切な処置だったと言えるでしょう。
      このような政策は、市場原理主義者からは認めがたいもののように思えますが、壺さんとしては容認できるものでしょうか。

    27. Says:

      ・yyさん
      >人は信用できないのに市場は信用できるというのは、論理矛盾があると思いますが。

      市場では、経済原理に伴わない間抜けな行動をした人が損をするからです。個人は信用できなくても集団の手段・現象ではそれなりに正しい判断ができるというのが市場競争です。
      何より、バブルがおきてない時は大抵理論通りに機能しています。

      また、バブル崩壊で損をするのは大抵バブルを煽った人たちです(周りに被害を撒き散らしてますが)。痛い目見た間抜けな市場参加者は市場から退場するか、学習をするでしょう。

      目先の感情論で現実が見えなくなっているのは本当はどちらでしょうか?
      人は似たような間違いを繰り返すにしても、俯瞰してみれば確実に進歩しています。

      現実問題として、これほどの短期間でなぜここまで国際金融市場が拡大できたのか。今の世界経済がなぜこれだけ繁栄を極めているか。
      国際金融の進歩と拡大に伴い世界中の途上国で高度成長がポンポン乱発していることをもう少し評価してもいいと思います。

      ロシア危機やアジア危機のようなことが中国やインドで起こらなかったのは、金融市場の参加者つまり先進国の貸し手と途上国の借り手が共に学習した成果だと思います。
      何百兆という金をやり取りしているのにバブルが数年に一回しかおきないのは何故でしょうか?
      サブプライムで失った富と中国などの途上国の発展で得た富どちらが多いでしょうか?

      現実の悪いところを誇大し、良いところを矮小化する前に当たり前のものとなった今の状況がどうやって出来たのか、どうやって動いているのか良く見てください。

      >資本市場を簡単に自由化しなかった点にも大きな要因があるでしょう。

      同意します。
      確かにWCのような自由化一辺倒では問題が発生することもあります。
      社会構造の急激な変革は社会を不安定にさせます。
      構造を適合させ市場や制度を熟成させるには時間が必要です。東アジアは少々先を急ぎすぎた面もあるのでしょう。
      したがって、社会構造の変革は円滑に行うための気配りが必要があるのは確かです。

      しかし、yyさんの指摘はちょっと視野が狭いのではないかと思います。

      その1
      いずれにしても最終的には、社会主義的な統制経済ではなく自由化の方向に向かっているでしょう。

      その2
      中国が改革してないという意見には同意しかねます。
      中国は余裕がある時期から徐々に構造改革を行ったため、斬新的に構造改革を行うことができているのです。

      今の中国だってものすごい速度で改革しています。
      自由化が円滑に進むように適切な手順を踏むことは大切です。しかし、それは改革をしなくてはいいということではありません。
      繰り返しますが、中国は官民あげてものすごい速度で改革を行っています。民間の改革の良い例では中国の金融機関のトップはかなりの人が欧米の投資家たちです。ガイシだ、ハゲタカだ、狩猟民族だと忌避している日本とは大違いです。

      対して改革を全て後回しにして破綻した良い例がロシア(ソ連?)です。
      あの国はギリギリまで統制経済で引っ張ったから急激な自由化を『せざるを得なかった』のです。
      あの国には斬新的な改革をする余地が無かったのです。その結果、社会は大混乱に陥りました。

      その3
      まとめ
      私はロシアのような急激な改革ではなく、中国のような斬新的な改革を行うべきだと思っています。
      中国のように出来ることから少しづつちょいちょい変えていけばいいのだと思います。
      しかし、中国のような斬新的な改革を行うには早め早めに行う必要があるのです。
      『別にいいじゃん』とギリギリまで先延ばしにしておくから、ロシアのように一度に改革しなければいけなくなるのです。

    28. yy Says:

      >壺さん

      再コメント失礼します。
      さて、まず「目先の感情論で現実が見えない」とのことですが、私のどの発言がどのように感情論であるかについての言及がありませんね。これでは批判たり得ないでしょう。

      しかし、そこまで仰るからにはかなりの自信があるのでしょうね。検証させていただきましょう。
      まず、壺さんの「個々の人や組織を信用しないから市場を使う」論ですが、要約すると次のとおりですね。

      ・市場は経済原理に伴わない人間は損をするシステムで、市場参加者は退場するか学習するかするから、正しく機能する。

      あれ、でも学習する市場参加者は人間ですよね。
      人間は信用できなくても、人間の学習能力は信用できるということでしょうか。
      残念ながらそれは疑問ですね。
      壺さんの言うとおりであれば、LTCMの破綻があった後に、今度は住宅バブルで巨額の損失が出ることなどあり得ないでしょう。
      住宅バブルの損失は、LTCMの時より少額ですか?違いますよね。

      しかし、両者とも日本のバブル崩壊のような事態には至っていません。壺さんはそれを市場の進歩と捉えているようですが、本当にそうなら、そもそもこんな巨額の損失自体が出ていない筈ではありませんか。
      私の解釈は違っていて、これは金融・財政当局の対応の差だと考えています。
      LTCM破綻危機の際のFRBの金利引き下げによるソフトランディング、今回のFRBの利下げ、流動性供給。そして政府による財政政策に関する発言。いずれも、日本のバブル崩壊の際の対応と比較すれば雲泥の差でしょう。当時の日本のような対応をしていれば、到底この程度では済まなかったのではないですか。

      ということで、私は人間の学習能力をそれほど評価していませんし、したがって市場も完全に近く機能するなど考えていません。
      そもそも「バブルがおきてない時は大抵理論通りに機能」しているのであれば、株式市場で今のように儲けたり、損をしたりということなどなくなっているのではないですか?
      市場が理論通りに機能していれば、株価は速やかに適正価格に調整されてしまっているでしょうから。

      また長くなったので、とりあえずこの辺で。
      最後に一言、「中国が改革してない」なんてことは、僕は一言も言ってませんよ。

    29. yy Says:

      せっかくだから、最後まで書いてしまいましょうか。

      >サブプライムで失った富と中国などの途上国の発展で得た富どちらが多いでしょうか?

      それは市場原理に任せた結果でしょうか?
      参考までに言うならば、いわゆるワシントンコンセンサスに従った東アジア、南米、そしてロシアは大規模な経済的損失を蒙りました。
      ロシアに至っては、急速な市場化がもたらした被害は戦争以上の災禍だという話もあります。
      それに比べて、中国やインドはそれに従わないやり方で、高度成長を達成しています。
      市場原理に任せるのとは違うやり方で、世界がより高い成長を享受することも可能だったのではないですか。

      >対して改革を全て後回しにして破綻した良い例がロシア(ソ連?)です。
      >あの国はギリギリまで統制経済で引っ張ったから急激な自由化を『せざるを得なかった』のです。

      せざるを得なかったと言いますが、その根拠って何ですか?
      急激な市場化を行うかどうかは、その国の主権でしょう。
      あれは単にワシントンコンセンサスに従った結果でしょう。
      現に中国は、ここまで時間をかけても未だに為替レートを自由化していません。
      単に市場原理の導入や自由化を改革と言うならば、ロシアの方がよほど改革を進めたではありませんか。
      中国がやったという改革は、資本市場を安易に自由化せず、まず郷鎮企業の設立や合弁事業の推進という方向で自国の経済基盤を築いたことでしょう。
      それって、市場原理に基づく改革でしょうか?

      それから壺さん、中国について盛んに改革という言葉を使われていますが、具体的にどういう政策を行ったかについてはあまり言及がありませんね。
      ちょっと、改革という言葉を使うのをやめてみませんか。
      改革という言葉では、どういう方向性の政策を意味するかわかりませんし。
      できれば、改革という言葉でなく、具体的な政策論で中国経済について語っていただきたいものです。
      それでは。

    30. Says:

      ●市場原理について
      >人間は信用できなくても、人間の学習能力は信用できるということでしょうか。

      正しくは、学習しなければ損失を生み続けるので、いずれ市場からの退場を余儀なくされるということです。

      個人ではなく市場が学習したものだけを選別するのが市場競争です。
      良い自動車安い自動車を作る企業が生き残り、それが出来ない企業が淘汰されるのと同じ原理です。

      ●サブプライムとLTCM破綻
      >住宅バブルの損失は、LTCMの時より少額ですか?違いますよね。

      そもそも、LTCMの破綻とサブプライムはかなり違うでしょう。
      LTCMは、ロシア危機の煽りを受けて破綻したわけです(さらにLTCM自身はロシアへの投資をしていませんでした)。
      対して、サブプライム問題は住宅バブルが基点となって、生まれたバブル崩壊です。
      サブプライム問題と比べるなら、LTCMではなくロシア危機を持ち出すべきでしょう。
      LTCMと比べたいなら、大手金融機関がサブプライムの損失をどのようにして埋めているかを見るべきかと。

      国際市場の進歩はロシア危機のようなトンでもバブルが起こらなくなったことは評価するべきことかと、ちなみに、ロシア危機によってロシア経済は日本のバブル崩壊のようなダメージを受けました。

      もう一つ、市場の変化も見ましょう。
      新たな市場が新たな問題を起こすようになるのは当然です。
      1900年代前後の生産技術の拡大が恐慌の規模を桁外れにしたのが良い例です。
      ですから、新たなに生まれる問題は今までよりも遥かに強大な問題なのです。それらを何とか押さえ込んでいることが出来ているのは日々の進歩によるものです。
      さらに、市場規模と破綻規模を比べて見ましょう。市場が大きくなれば、問題が大きくなるのも当然です。
      市場規模ほど問題が大きくなっていないことも事実でしょう。相対的に問題は小さくなっていると見るべきではないでしょうか?

      ●中国
      >>サブプライムで失った富と中国などの途上国の発展で得た富どちらが多いでしょうか?
      >それは市場原理に任せた結果でしょうか?

      市場原理を『生かした結果』です。
      繰り返しますが、WCのようにいきなり全て自由にすることが市場原理を生かすことに繋がらないのは事実です。ですから、自由化するにも手順を踏む必要があります。
      しかし、市場原理を生かさなければ、ある程度以上の経済水準に到達できないことも事実です。

      何度も繰り返しますが、市場原理を生かすにはある程度の手順を踏むことは必要です。中国の低為替政策も必要な手順だと思います。

      しかし、手順を踏むことと改革をしないことは別です。
      斬新的な改革とは手順を踏む改革です。
      中国は、自由化するための手順を踏んでいるだけです、改革を踏んでいないわけではありません。中国は猛烈なスピードで改革をしています。

      >できれば、改革という言葉でなく、具体的な政策論で中国経済について語っていただきたいものです。

      具体例
      >まず郷鎮企業の設立や合弁事業の推進という方向で自国の経済基盤を築いたことでしょう。

      以前の中国経済は概ね国営企業でした。国営企業による事業と『郷鎮企業の設立や合弁事業の推進』はどちらが自由的市場的でしょうか?

      工業生産額に占める国有企業のシェア
      1978     2004
      77%  →  35%

      工業企業数とそのうちの国有企業
                1988→2004
      全工業企業数 16万→6.5万
      国有企業数   22万→ 3万

      合弁会社という形にせよ。外資の導入を認めていることは大幅な自由化です。

      その他改革の例
      合弁ならば外国金融機関の進出も認めた。
      日本がいまだ渋っている国際会計基準の導入。
      WTOへの加盟。
      自動車政策の転換。
      (強烈な参入規制で集約化を目指す方式→参入を緩め外資の受け入れを容易にし競争を促進した)
      など挙げればいくらでも出てきます。

      ●最後に個人的意見
      yyさんは全般的に視野が狭い気がします。
      引いてみれば中国が猛烈な改革をしているのは共産主義だった国が資本主義に生まれ変わっていることからも子供だって分かるでしょう。

      先進国から見れば規制が強くて見えても、途上国の目から見れば大幅に緩和されているのです。今やっていることだけではなく、過去がどうだったか、そしてどっちに向かっているかを見ることが大切だと思います。
      例え、今統制的な行政が残っていても大抵それは改善されている最中で徐々に変わっているものばかりでしょう。為替だっていずれは変わるでしょう。

      私は、化石のように変わらぬままソ連のように滅びるよりも、日々斬新的に変わり続け中国のように生きるべきだと思います。

    31. 通行人 Says:

      壺さんに質問。
      「退場を余儀なくされた人」は死んでしまうのでしょうか?
      生きていたら、また参加しちゃいますよ。

    32. yy Says:

      >壺さん

      まず最初に一言ことわっておきます。
      僕は別に市場そのものの否定などしていません。
      ただ、現実の市場は不完全情報・不完全競争であり、完全情報・完全競争モデルで経済を考えれば経済政策を誤るのではないかと考えているわけです。
      別に、旧共産圏のような統制経済をやれなどと言っているわけではありませんよ。

      >ですから、新たなに生まれる問題は今までよりも遥かに強大な問題なのです。それらを何とか押さえ込んでいることが出来ているのは日々の進歩によるものです。

      その伝でいけば、市場が進歩する一方で問題も生まれ続けるわけで、市場はいつまで経っても完全にはなりませんね。

      >市場規模ほど問題が大きくなっていないことも事実でしょう。相対的に問題は小さくなっていると見るべきではないでしょうか?

      どの市場規模とどの問題を比較したんでしょうか。示していただかないことにはその「事実」は受け入れられませんね。
      納得いくだけの実例を示していただきたいものです。
      実際、ロシアの経済破綻にせよ、アジアや南米の経済危機にせよ、グローバルな金融市場における短期資金の急速な移動が主要な原因の一つでしょう。市場規模が大きくなると相対的に問題が小さくなるというのはいかがなものでしょうか。

      >しかし、手順を踏むことと改革をしないことは別です。

      いや、だから「中国が改革をしてない」なんて僕は一言も言っていないと、さっきのコメントでも述べたでしょう。
      その辺、ちゃんと読まれましたかね?
      相手が言ってもいないことを批判しても批判になりませんよ。
      26のコメントをよく読んで頂きたいのですが、「資本市場を簡単に自由化しなかった」と言っているわけで、つまりIMFの言うような単純な市場原理導入をしなかったと。
      それを是とし、各国の実情にあった経済政策をとることを認めているのなら、それは26の僕の質問に対する「yes」ということでしょう。
      それなら、壺さんが単純な市場原理主義者ではないということで、僕は評価しますけれどね。

      で、後の経済政策の例示ですけど、まず郷鎮企業、そして合弁事業という漸進的なやり方も、IMF流の単に市場を自由化すれば良しとする原理主義的な考え方からすれば、許せるものではないと思うのですよ。
      そういった、一見すれば市場原理から遠回りに見えるやり方でも認めているというのであれば、それは壺さんが「原理主義的な市場主義者」ではないということでしょう。
      それは結構なことですけどね、だからと言って私が統制経済支持者であるかのような物言いはやめていただけませんかね。何度も言いますが、「中国が改革していない」なんて一言も言っていないでしょう。
      ただ、僕は「市場原理主義」っていうのは、むしろ「原理主義」の意味で見ていますので、そうした原理主義的な市場自由化主義者の意見に対しては否定的であるということです。

      それと、「ロシアが急激に自由化せざるを得なかった」って主張の根拠、聞かせてもらってませんね。あるなら是非どうぞ。

      何にせよ、現実の市場が完全市場でないと主張したのに対して、感情論だの視野が狭いだの、さらにはどんな改革にも反対する統制経済支持者だのと脳内で勝手に決め付けられては困るというものです。
      まあ、僕も壺さんの「市場原理主義」の言葉を、「原理主義」の方で捉えていた面はありますので、そこは僕も誤解していましたけどね。しかし、一般的には「市場原理主義者」っていうと、むしろ原理主義的意味合いで使われてませんかね。
      それでは。

    33. Says:

      ●yyさん
      ・市場の機能について
      いや論理矛盾しているというケチをつけられたので説明しただけです。
      正直こんな基礎をどうして何度も説明しなければいけないのだと思っていました。
      個々に間違いがあっても、市場参加者全てが間違えない限り市場は正しく働くというのは基本す。
      そして、優秀な市場参加者がより正確な判断が出来るように情報の透明性が、市場の動きをより円滑にするために流動性が、全ての市場参加者がより間違えにくくするためには十分な市場参加者の数と多様性(市場の厚み)が必要なのです。
      経済学は理論値にいかに近づけるかという学問だと思います。
      有効需要然り比較生産然り全て理論値でしょう。その理論値の一つが、完全市場です。

      そして、何度も繰り返しますが、今の市場が完全市場ではないことは事実です。完全な完全市場を作ることも出来ないでしょう。
      しかし、完全市場に近づけることは出来るはずです。
      現にここ10年でかなり完全市場に近づいています。
      今の金融市場の機能は当たり前のものではありません。
      沢山の市場参加者によって改良を続けられてきた結果、飛躍的に機能を増している市場なのです。

      >その伝でいけば、市場が進歩する一方で問題も生まれ続けるわけで、市場はいつまで経っても完全にはなりませんね。

      一種のイタチゴッコだとか、限りない道だとかは最初から認めています。
      新たな道具が開発されたり、新たな市場が出来たり、規模が急拡大して状況が変われば、それらに伴い弊害が出てくるのは、金融に限らずどこの世界でも同じでしょう。
      車が増えれば道を広くしたり道路標識や信号を立てなければいけなくなるのと同じです。
      何か一つの方策で全ての問題を完全かつ永遠に解決するなど、完全市場以上に不可能でしょう。

      その意味で、バブルを完全に根絶するのは難しいと既に言っています。しかし、より小さくより少なくは出来ると思っています。
      そして、だからこそやり続けるしかないかと思います。
      経済学に限らず文明というのはそういうものではないでしょうか?

      100点じゃなければ0点だというような幼稚な話をしてもしかたがないです。
      5点でも10点でもやらずに0点を取るよりはマシです。常に斬新的に改良し続けることがバブルを抑止する最も有効な対策だと思います。
      車だって、飛行機だって、電車だってそうやって進歩を続けてきているのです。市場だって一緒です。そういやどれも理論値にいかに近づけるかが問題だという点に関しては共通してますね。

      >市場規模が大きくなると相対的に問題が小さくなるというのはいかがなものでしょうか。

      現に小さくなっているのではないかというだけです。

      しかし、いざ言われてみるとデーター集まらず、
      ただ、ロシア危機の損失額は最低でもLTCM破綻だけでも10兆円くらいあるわけですし、今より国際金融市場は遥かに小さかったわけですから、それと比べればサブプライムの損失は国際市場の規模との比でみれば相当小さいと思うのです。

      >実際、ロシアの経済破綻にせよ、アジアや南米の経済危機にせよ、グローバルな金融市場における短期資金の急速な移動が主要な原因の一つでしょう。市場規模が大きくなると相対的に問題が小さくなるというのはいかがなものでしょうか。

      当時の国際金融市場も市場参加者も未熟だったことは確かです。
      流動性の高さと市場の薄さというギャップが問題点の一つだったとは思います。
      ですから、実際の価値以上に流入が進み、実際の価値以下に流出が進んだのだと思います。
      (国内の人間がアメリカ国債買って、国外の人間が国内に投資してりゃあねえ)
      ですから、自由化を行う時には手順が必要なこともあるのは確かです。

      しかし、今ではもう少し成熟してきていると思います。
      中国が外資の導入を上手くやれたのもアジア危機などから学べたということが大きいかと。
      中国金融市場はまだ修羅場をくぐったことが無く未成熟だと思うので、リスクは高いと思っています。
      しかし、バブルがはじけてもアジア危機のようなことにはならないとも思っています。

      yyさんの視野が狭いといったのは、中国を反構造改革反自由の旗印に挙げたことなどです。前回のレスでの完全市場への批判は極短かったかと。

      手順を踏んでいるにせよ、中国が進んでいる方向は明らかに自由化、情報の透明化の方面でしょう。
      中国はこないだまで途上国だったのだから(今も?)、先進国と比べて歪んでいるところが多いのも遅れているところがあるのも当然です。
      しかし、中国で行われている改革の方向性は完全市場と一致しています。
      こんな感じに他人を笑う前にもう少し引いて見ることを覚えた方がいいと思うわけです。

      ・社会主義諸国
      ソ連に代表される旧社会主義国が急進的改革をせざるを得なかったのは、東欧の社会主義国が雪崩を打って自由主義化したのを見れば分かるかと、自由化は明らかに国民の声であり、あそこで統制経済を維持することは社会的・経済的・政治的に無理だったと思います。
      他に選択の余地が無かったからこそ、ソ連系の社会主義国は一国残らず自ら統制経済を維持できなかったのだと判断しています。

      ・構造改革論
      世間で市場原理主義者と言われている構造改革論者だって、90年代のWCのようなことを唱えている人は少数派でしょう。(まあ日本は中南米より経済も社会も遥かに進んでいるので、全く同一に比べること自体あれですけど)
      いまどき途上国の開発経済で90年代のWC方針をそのまま唱えている人など殆どいないと思います。50年代の完全雇用政策をそのまま唱えている人が殆どいないようにです。
      市場原理にせよ、完全雇用にせよ、問題点はその都度修正されているのが現実でしょう。
      そして、WCは手法が荒っぽすぎることが問題でしたが、長期的大まかな方針としては正しいと思います。完全雇用が基礎理論としては概ね正しいのと同じようにです。
      (1)財政赤字の是正、(2)補助金カットなど財政支出の変更、(3)税制改革、(4)金利の自由化、(5)競争力ある為替レート、(6)貿易の自由化、(7)直接投資の受け入れ促進、(8)国営企業の民営化、(9)規制緩和、(10)所有権法の確立
      この中で中国が取り組んでないものは無いと思います。

      このように市場の機能に最大の信頼を置きつつも、自由化の副作用をきちんと分析するのが今の主流だと思います。竹中氏などもそういう系統の人かと。
      そして、僕もそういう系統のつもりです。ですから自由化をするには手順を踏む必要があると思っています。
      急激過ぎる自由化は望ましくないことがあるのは、とっくに認めているのですから、yyさんの批判は的外れだと思います。
      そしてyyさんは統制的規制をなくすことに対しての反対をしているので統制的だと判断しました。実際、権力によって民間の活動を規制し、経済構造を維持するという考えは統制的でしょう。

      反構造改革派の人は改革に反対しないといいつつも、自由化にはいつも反対してますよね?
      入り口の自由化の時点で反対されては、こちらも自由化の必要性を叫ぶ以外出来ないでしょう。
      改革に反対しない、統制的な経済を支持しないというのであれば、まず自由化の必要性を認めてください。

      そして、次のステップとして、どういう手順で自由化を進めるかという話をしましょう。
      そこで、構造改革派の自由化の『手順が間違い』というのであれば、反構造改革派なりの正しい自由化の手順を示してください。
      そして、どのような自由化が反動を最小化出来るのかを議論しましょう。

      ・まとめ
      中国の改革は遠回りなのではありません。ゆとりがあるうちに早め早め早めに動いているだけです。
      斬新的にやった場合10年かかり、急進的にやった場合2年で終わる改革があるとして、中国は8年早く始めることで斬新的に改革を進めることが出来ているのです(干支の元旦レースで牛と鼠がやった戦術と同じです)。
      対して、ソ連はギリギリまで引っ張ったから急進的にやらざるを得なかったのです。

      日本は、前者を目指すべきだと思います。
      そして、構造改革論者が言っている内容は、90年代のWCに並ぶほど無茶な改革なのでしょうか?
      羽田で国際便飛ばそうとか航空運賃の価格を自由化しようとか、移民の受け入れ基準をもう少し緩めようとか、FTAやEPAを結ぼうとか、労働法制をもう少し緩めようとか、国際標準の基準を導入しようとか、その程度の問題です。
      多少の混乱はあるでしょう。しかし、WCを引き合いに出すほどの問題は無いと思います。

      少なくとも、小泉改革が中国で行われている改革よりも激しかったとは思いません。

      ●通りすがりさん
      >「退場を余儀なくされた人」は死んでしまうのでしょうか?

      町工場という産業は供給過剰で退場を余儀なくされても、産業など他に幾らでもあります。
      その中で相対的に需要が高い別の分野で働けばよいと思います。
      そこら辺の雇用の移動(再雇用)を手助けするのは行政の役目でしょう。

    34. yy Says:

      >壺さん

      よくこれだけ長文垂れ流せますね。
      ある意味感心しますよ。
      で、いい加減コメント欄を埋め尽くすのも恥ずかしいんで、これで最後にします。

      >個々に間違いがあっても、市場参加者全てが間違えない限り市場は正しく働くというのは基本す。

      全てが間違えなくても、多数派が間違えば間違うと思うんですけど。それに、壺さんの言うのが事実であれば、この世に経済問題など起きていないでしょうよ。
      どうも、壺さんの言う「事実」とか「基本」とかは、壺さんオリジナルのものが多く感じるんですけど。

      >経済学は理論値にいかに近づけるかという学問だと思います。

      驚きましたね。現実を研究するのが経済学ではなくて、現実を理論に近づけるのが経済学ですか。
      現実が従うべき正しい理論があって、現実をそれに近づけるべきだというのは、僕にはむしろ宗教のように思えるのですが。

      >100点じゃなければ0点だというような幼稚な話をしてもしかたがないです。

      誰がそんな話をしましたかね?改革はなんでも駄目とか僕が言ったんですか?

      >yyさんの視野が狭いといったのは、中国を反構造改革反自由の旗印に挙げたことなどです。

      あのね、壺さん。市場原理主義って言葉の意味理解して使ってます?これ、普通の経済学で使う言葉じゃないんですよ。一度調べてみたらいかがですか?普通なら新自由主義でしょう。
      市場原理主義だと仰るから、それはWCのような立場だと解して、それに対するアンチテーゼとして中国やインドを持ち出したんですよ。
      だから、それを「反構造改革反自由の旗印」なんて言う方が誤解だと思いますよ。
      嘘だと思うなら、「市場原理主義」という言葉を調べて御覧なさい。プラスの意味で使ってる文脈など、ほとんどないと思いますがね。
      市場原理主義だと言っておきながら、一方で漸進的改革だなんて言われたら、何が言いたいんだかさっぱりですよ。
      そんな言葉を使わず「漸進的な自由主義を目指す立場です」と言ったのなら、こっちだって別にこんな議論しやしませんよ。

      まあ、長文になるんでやめときますけど、壺さん自信ありげな割にはその辺の基礎が抜けてやしませんかね。
      それでは、お疲れ様。レスいただいても再レスはいたしませんので、あしからず。

    35. Says:

      長文は失礼しました。bewaadさんに対しても謝ります。
      中途半端に削るとイチイチそこ突かれるので、足して足してやってるうちになんか分けわかんなくなってきて、そもそもレポートの合間の息抜きだったはずなのに…。

      >全てが間違えなくても、多数派が間違えば間違うと思うんですけど。

      そうですね。簡略化するために全てと言いましたが多数派でもいいです。
      後は大体同じ、全てだか多数派だかが間違えるとバブルが起きます。
      基本っつーのは、市場の機能とか、完全市場の前提とかですね。
      市場では損する人がいるのも間違える人もいるのも当たり前のことです。
      そんなのとっくに織り込んでるわけですから、それらをあげつらっても市場を否定することにはならないと思います。

      >驚きましたね。現実を研究するのが経済学ではなくて、現実を理論に近づけるのが経済学ですか。

      学問ってそういうもんでしょう?(これは私論)
      特に経済学は、自然を観察して見つけた使えそうな法則を救い上げて人為的に再現するという自然科学に近い性質を持っていると思います。

      勿論現実の研究は大事です。その理想だって元々は現実から救い上げたものです。
      完全市場だって、完全雇用だって、元々は現実から探り出したものです。
      そうやって見つけた指針なしに政策は行えないと思います。
      個人が目先の感情に動かされて、行った政策にはろくなものが無いと思います。(ゆとり教育とか)

      >あのね、壺さん。市場原理主義って言葉の意味理解して使ってます?

      世間じゃ新自由主義=市場原理主義と(悪意をこめて)揶揄されているので、皮肉ってたわけですが。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B...
      世間で誇張的に解釈された市場原理主義者のイメージをそのまま思い浮かべるリスクについては失念してました。すみません。

      さらに、途上国相手にWCを採用して失敗したことを日本に適用するのは、途上国と先進国では社会も経済も全く違うことを余りにも軽視しすぎていると思います。
      どうせ持ち出すならレーガノミクスやサッチャリズムにして欲しいなと思います。
      もしWCのノリでどんなに無茶やったとしても、日本じゃ失業率が5%上がるくらいかと、それでも大きな問題ですが、途上国のようにずたずたにはならないでしょう。

      ・まとめ
      自由化が必要だと言うことと、今すぐ全てを完全な自由化にしろという主張には開きがあるでしょう。
      現実には、市場原理主義者と言われる人たちの中で5%失業率上昇を容認している人など殆どいません。
      私も最初から果てしない道をやり続けるしかないとしかいってません。

      yyさんは市場原理主義者の主張をきちんと聞いたことが本当にあるでしょうか?
      彼らの改革は短期的には殆ど影響の無いものばかりです。
      道路公団の民営化や郵政民営化が短期的には殆ど日本経済に影響を及ぼしてないようにです。派遣の解禁だって、解禁されたのは1999年ですが問題が叫ばれ始めたのは最近でしょう。 (正直かなり感情的なバッシングだと思いますが…)
      財政を含まない規制緩和や民営化は良くも悪くも影響が出るには時間がかかります。
      良くも悪くも組織(供給サイド)が変わるには時間がかかるからです。
      途上国のようなまともな組織が非常に少ない国ならばともかく、日本のような国で規制緩和した程度ではカタストロフを招くとは到底思えません。

      そして、構造改革の進む先には完全市場があるのだと思っています。(これは私論)
      具体的には、情報の透明化、流動性の向上、市場参加者の拡充(金融でいえば投資教育、外資呼び込み、貯蓄から投資へなど)です(これらが完全市場の条件だと言うのは基本です)。
      そして今それは自由化グローバル化という名前で急速に進んでいます(これも事実かと)。

    36. yy Says:

      >壺さん

      前言撤回で申し訳ないですが、これを最後にします。
      「市場原理主義」は”Market Fundamentalism”。原理主義という言葉は、冗談とわかる文脈以外では使わない方が良いと思います。まあ、あっさり突っかかったのは些か大人げなかったですけど(笑)

      それで、先に述べたように僕も市場を否定しているわけではありません。ただ、僕は保守的なものの考え方をするので、変化は常に必然であるけれども、それは常に漸進的であるべきで、意図的な加速は不要という立場です。
      だから、構造改革をマクロ政策と捉える立場には僕は賛成できないのですよ。変化は必然、けれども目の前の市場は常に不完全情報・不完全競争なのだから、それに応じた政策を採れ、ということでね。

      それと最後に、レーガノミクスやサッチャリズムを持ち出すのであれば、そういった改革の特性にも留意すべきです。この両者はいずれもインフレの状況で導入され、インフレ退治には一定の成果を上げるも、失業率の急上昇と経済成長の低迷を招きました。これは同じくマネタリズムを下敷きにしたチリの改革も同様です。結局のところ、これが原因で各国は完全マネタリズムを放棄していったわけです。
      つまり、今までの実例を見る限り、構造改革はデフレ的な効果を持つ可能性が高い、ということです。まあ、賃金・価格の下方硬直性が原因なのでしょうが。しかし、であればそういう政策をデフレ時に採るのはいかがなものか、と思うわけです。以上。
      こちらこそ長文失礼しました。

    37. Says:

      斬新的な改革が必要と認めてくださるなら分かり合えるかもしれません。

      私が流動性にこだわるのは、斬新的に変えていくには流動性が不可欠だからです。
      企業や農地に人を縛り付けては、民間経済が斬新的な調整を行うことは出来ません。

      >不完全情報・不完全競争なのだから、それに応じた政策を採れ、ということでね。

      ここは金融の話ですよね。
      不完全情報・不完全競争を解消するために日々市場は変化しているかと思うわけです。ここ5年10年でどれほど情報の透明性が上がったか、振り返って欲しいわけです。

      マクロ政策は一時的な調整手段としては価値があると思います。ですから、マクロ政策を司る金融政策も大切だと思います。
      しかし、一つ一つの構造をきちんと効率化・安定化しなければ、進歩も安定もありえないと思います。ですから、一つ一つの構造を効率化・安定化する金融行政も必要だと思います。

      今回のサブプライムの対策も政策面では、金融政策と情報の透明化が焦点ですよね。
      また、アメリカの銀行が資本不足に陥りそうになったら、中東のファンドが出てきて金を貸しましたよね。これは市場の厚さを示す一例です。

      明日からすぐに完全市場が出来るから、他の対策は必要ないとは言いません。状況に応じた対策が必要なのは当然です。
      必要なその場しのぎというのはいくらでも存在するでしょう。
      しかし、長期的に見てバブルを抑制する最も効果的な対策は完全市場を目指すことだと思います。

      >インフレデフレとサプライ政策
      今回は金融の話だったのでこれはちょっと別の話ですし、また長くなるのでレスはいいです。
      精査したわけではないですが、私論を述べます。

      それは一理ありますね。
      物不足か物余りかという問題ですね。
      確かに、日本は当時のアメリカやイギリスほど酷い状況ではないと思います。全ての産業が弱いというわけではなく弱いところと強いところがあるのだと思います。

      物価で見ると物価形成に最も強い影響を与えている大企業製造業については、海外との厳しい競争をしてきたのでそれほど腐っておらずレーガンサッチャーほどの構造改革は必要ないかと思います。
      会社法や会計基準なども変わったりしましたし、あと必要なのはもうちょっと雇用に流動性与えるくらいだと思います。

      また、中小については、レーガンサッチャー時より全般的に関税が下がっており、国内企業を保護できないからこそデフレになっている面もあるのではないかと思います。
      生産性の低くても競争相手がいなければ価格吊り上げが出来これがインフレに繋がりますが、安い輸入品という競争相手がいれば淘汰されます。

      しかし、国内で保護されてきた上関税の高い産業、例えば農業なんかについては割りと当てはまるんじゃないかと思います。
      農産物価格は国際水準よりかなり高いけど、労働者たちの生活は苦しいという状況です。

    38. 鍋象 Says:

      横レスですが、構造に問題がある経済ではインフレと高失業率が同時に発生して、フィリップス曲線が垂直化します。そういう経済では、レーガン・サッチャーのような構造改革を行うべきですし、具体多岐に駆逐すべき構造問題がすぐに見つかります。彼の国では、ブルーカラー層のユニオン制労働組合が雇用の流動性を妨げていた問題ですね。
      日本では、デフレで高失業率であり、フィリップス曲線は綺麗に右下がりです。また、雇用の流動性問題はホワイトカラーにはあっても、圧倒的多数を占めるブルーカラーはとても流動性が高いのが現実です。
      仮に構造上の問題があったとしても、それがマクロ的にはっきり見える問題(インフレと高失業の同居)となっていない以上、対策をとったからといって良くなる状況が見えません。むしろ、日本のブルーカラー労働者市場では、昔からタコ部屋労働問題の方が圧倒的に問題としては大きいわけで、最近は名前を変えて格差社会とか非正規雇用とか言っているわけですが、本質的にはブルーカラー市場の流動性の異常な高さ(あるいは、労働市場の情報の非対称性が労働者に不利益をもたらす問題)が根っこにあるわけです。この現状認識が欠けた状態で雇用の流動性を高める努力をやりすぎると、労働組合が強くなりすぎて、逆に将来的に雇用流動性を妨げるような構造問題を生じかねないと思います。

      壺さんは「米問題」を語る時には、それなりに具体的だし発言内容も理解でき、同意する部分もあるのですが、みなその問題を理解した上で、損得を考えたら許容した方が良いという指摘をしています。厚生経済学の第二基本定理における初期配分の話(エッジワースボックスダイアグラムの所で習う、市場均衡を改善する方法)をしているわけです。市場均衡は、まだ改善可能なんですよ。これ基本です。

      また、日本の農産物の保護問題を今のタイミングで言われても、現実的には日本のカロリーベース自給率は40%切っているわけです。食料は海外調達が多いのです。何をどうしたいのかわからない。むしろ海外の製造工場に対して日本国内で通用していたような例えば保健所の指導とか営業停止命令とかが通用しない事で起きている問題(例えば毒野菜問題とか)や、環境問題や従業員の安全などの外部不経済の内部化ができていないために提供できるインチキ低価格が、日本国民に与える悪影響の方がずーっと重要だと思うわけです。ルールが違う国と、自由競争したら、ルールの違いが原因で国内産業が不利益をこうむったり有利になったりがあるわけです。そのルールは国際化間では、まだ部分的にしか統一されていないんです。

      で、デフレは貨幣的現象で、日銀の政策が問題です。決して中国との企業競争に負けてデフレになってるわけではないです。毒餃子でも見ればわかるように、ああいうのを仕掛けているのは日本企業サイドなんです。

      一方、金融の話だとインチキする奴が儲かるのが、市場原理主義なわけです。その証拠に、日本より圧倒的に市場の透明性が低いBRICsの証券市場の方がインチキがまかり通る分、お金が集まるわけです。
      金融論をまじめに勉強すると、透明性が高く情報の非対称性が無い市場では、裁定が綺麗に働くので、経済成長率以上の期待収益は得られないことくらい常識じゃないでしょうか。

      日本の株式市場の暴落がいつも他国と比較して激しいのは、日本市場の透明性の表れだと僕はひそかに思っています。

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