writings concerning kasumigaseki issues and others: その挑戦、受けよう(仮)
2004年
その7「ドキュメント平成革新官僚 『公僕』たちの構造改革」
今回の挑戦者
- プロファイル
- 宮崎哲弥、小野展克, 2004, 「ドキュメント平成革新官僚 『公僕』たちの構造改革」, 中央公論新社
- 主張の概要
- 今の日本には構造改革が必要であるが、一般には官僚組織は改革に対する抵抗勢力と考えられている。 しかし実際には、官僚組織の中にも構造改革の必要性を正しく認識し、実践している人々がいる。
- 構造改革の実現には、単に官僚組織を否定すればよいのではなく、こうした内部の改革を取り上げていくことが重要。
- 竹中大臣に率いられた金融庁、族議員や業界との関係が深い国土交通省・農林水産省、内政と外交を代表する財務省・外務省、教育・司法という社会的インフラを担う文部科学省・法務省の事例を取り上げ、こうした体制内改革の現状を示す。
対戦の結果
一見官僚擁護に見えて、実は全くそうではないのが本書。 例えるなら、イェルサレムにて虐殺を行わんとする十字軍に向かい、中にはキリスト教徒もいるのだから全員は殺しちゃいかんと弁護してくれているようなもので、彼らの言い分が聞き入れられたとしてもイスラム教徒やユダヤ教徒といった非キリスト教徒を待つ運命は殺されるだけ。 というか、非キリスト教徒は殺されてしかるべきという点は積極的に肯定しているのである。
そんなスタンスでありながら、単純な官僚叩きに傾きがちな政治、世論状況に一定の反論を加えておきたかった(p14)
、ワンサイディッドな言論状況を、私たちは深く危惧する(p15)
などとしか自己を認識できない浅はかさを自覚していないのは噴飯もの。
そんな著者たちに「革新官僚」と持ち上げられている官僚たちも、程度の差はそれなりにあるが、webmasterは机を並べて仕事をしたいとは思えない面が多々ある。 だいたいが「革新官僚」という言葉自体、本書で丹念に説明されているように戦前・戦中の全体主義的体制の確立の一翼を担った人々を指す言葉であるが、そうした言葉を当てはめる著者や、それに特段の抵抗感を感じている様子もない官僚たちは、とにかく現状否定をして「改革」「革新」とやらに情熱を燃やせばすばらしいのだとでも思っているのだろう。 まあ、図らずも彼らのそうした単細胞さが浮き彫りになるいい表現だとは思うが(例えば彼らは、フランス革命は起こらなかった方が実はよかったのではないか、なんてことは考えても見ないのだろう)。
以下、「革新官僚」たちという4流の人間により5流の政策が立案されていく様と、それを無批判に讃える著者の6流っぷりを指摘していきたい・・・と思ったが、サラディンの故事に習って寛容を示し、本書に描かれている「革新官僚」たちの活躍をカウントダウンの形で紹介することとしたい。 虚心坦懐に改革派はアプリオリに正しいものと自らを洗脳して、真の「革新官僚」がいる省庁はどこなのかを探ってみるのだ。 ただし、残念なことに財務省と外務省の両省は選外である。 いずれについても「革新官僚」たちが出てこないので、ランキングのしようがないのだ。 酒場の愚痴ともおぼしき現状批判めいたものが記されていないわけではないが、それを「構造改革」だと認識するのはさすがに失礼だと思った結果であり、ご了解いただきたい。
- 第5位:農林水産省
コメ改革では独善に陥らずいわゆる族議員の意見でも汲むべきものは汲んだり、農業を巡る貿易交渉についても農水省のスタンスとしては従来の路線をむやみに変更するわけではなく、官邸での総合判断の必要性を訴えるなど、「革新官僚」としては猪突猛進っぷりが著しく不足していることが祟っての最下位。 著者たちの記述も、そうしたピュアな熱意の欠如を遺憾に思ったのであろう、淡々とした事実の記載が多く、「革新官僚」への賛歌はほとんど見られない。
やはり立派な「革新官僚」として認められるためのハードルは高い。 webmasterなど一生かかってもなれそうにない。
- 第4位:国土交通省
独自の道路公団改革案を作り上げたものの、官邸(ひいては国会)において必要と認められた道路の建設は許容するなど、憲法(「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」第85条)ごときに縛られて無駄な道路建設を止める気概に乏しい点、農林水産省と同じように「革新官僚」としての評価は低くせざるを得ないが、その改革案が上層部によって差し止められたときに辞職を考えたという純情を買っての第4位。 多分上層部の思惑は「負ける戦はするな」というものだと思うが、元祖「革新官僚」たちが身をもって示したように、負ける蓋然性が高いと思っていてもアメリカに喧嘩を売るのが日本男児の心意気。 キャプテン・ハーロック(あっ、日本人じゃないや。 まあ作者は日本人だからいいか)も言っているではないか、「男なら負けると分かっていても戦わなければならないときが(ある)」って。
そんな漢たちよりもさらに熱い構造改革野郎が猪瀬直樹。 その熱意に応え筆者たちも、改革派と呼ばれる知事たちが反対しているとか、最終案とりまとめの段階で改革派の中から猪瀬に反対が出て民営化推進委員会が空中分解したこと(本書の元になる連載時よりは後だが、大幅に加筆、修正し再構成したらしいので、盛り込もうと思えば盛り込めたはずである)などに目もくれず、熱烈な讃辞を捧げているのは読み手の共感を誘って止まない。 猪瀬が官僚ではなく、書名に合わない記述になってしまっている点が唯一惜しまれる。
- 第3位:法務省
さて、いよいよトップ3に入るが、著者たちによると近代法意識を日本に徹底させる革命だという、司法制度改革に取り組む法務官僚がその一角に食い込んだ。 previewで法とは成文法に限られるものにあらずと書いたwebmasterのような前近代主義者から見ると、その現実から自由に遊離して高い理想をひたむきに追求する姿は眩しい限りである。
ただ惜しむらくは、一部に面白くないなんて言っている反対者がいるということが紹介されるだけで、「抵抗勢力」たちの姿がクリアに描かれていないため、「革新官僚」の素晴らしさがひきたっていない。 そこで、極めつけの抵抗勢力の論説を紹介しよう。 畑中鐵丸という弁護士の「ファック・ザ・司法改革」シリーズである。
このシリーズでは、本書で司法改革のメリットとして挙げられている
(ロースクールの目標は法曹人口の増加にとどまっておらず、)一発試験の弊害是正をめざし、法科大学院では養成プロセスが重視される。 法理論だけでなく、弁護士や検察官、裁判官の実務に合わせた教育に力を入れる(p220)
、市民参加型の裁判を実現することで、民主的で、開かれた司法をめざす仕掛けの柱が「裁判員制度」の導入(p221)
といった点について、大学の実務教育レベルなんて司法研修所のそれにはるかに劣っているのだから「実務に合わせた教育」なんてできるわけないだとか、市民の裁判への参加なんて近代司法制度の魔女裁判や人民裁判への退行だとか、そういったひどい誹謗中傷が行なわれている。これに対して、「司法研修所の高いレベルとかいっても、結局のところ今司法研修所で育てられている弁護士を見れば、企業法務において要請されている国際契約や知的財産権契約に関する知識、デリバティブやM&Aについての基礎がまるでなってないのだから、それはあくまでこれまでの法曹の視点から見た評価に過ぎない。 地方で不足している弁護士は従来型の何でも相談窓口的な弁護士である一方、企業法務において不足している弁護士は先に述べたとおりであり、これらを同じ『弁護士』として同じ試験・研修を受けさせることが不合理。 それこそ医者が内科や外科といった専門分化が行なわれているように、今よりも分野限定で法曹になれる『限定免許』を制定して試験・研修の効率を改善することが、法曹の質・量の改善につながるだろう」とか、「裁判は外部からほぼノーチェックなのが問題なのであって、学説と判決があまりにも食い違っている場合には裁判所側に説明義務を課すとか、検察審査会の機能を拡充するとか、司法修習中の研修プログラムに企業その他への出向を大胆に取り入れるとか、そういった外部の見方を取り入れていくことが必要だ」とか、そういった果敢な反論が見られていればもっと「革新官僚」の素晴らしさが引き出されていたことだろう。
・・・あれっ? 反論が司法改革の中身と食い違っているような気が・・・。
- 第2位:金融庁
本書で列挙されている省庁のうち、唯一一つの章を丸々割り当てられて「革新官僚」たちの活躍が縦横無尽に描かれている金融庁が第2位。 ここで描かれる「抵抗勢力」の、官僚組織と業界が癒着しきっての悪逆非道ぶりを見れば、やはり構造改革なくして日本の未来はないとの誰もが思うこと必定だろう。 そんな「抵抗勢力」の姦計を潜り抜け、竹中大臣以下木村剛や「革新官僚」たちが
したたかな戦略を持ち、強い意志を貫けば、物事は変えられるのだと(p74)
いう希望を将来につなぐ様子は、あの長征にも似た波乱万丈の一大叙事詩である。それではなぜ第1位ではないのか。 それは、webmasterの構造改革に対する盲信が足りない故もあろうが、「抵抗勢力」の卑劣さっぷりがプロバガンダではないかとの疑念が完全には払拭できないことにおいて画竜点睛を欠いているように思えるのだ。
例えばりそなグループへの公的資金注入に関して、金融庁が監査法人に圧力をかけたという策動について、そうした情報が入った段階では
この情報源は信頼性が高い。 経験則に照らせば、すべて事実だろう。 それでも精緻に事実関係を確認する手続きが必要だ(p34)
としているのだが、その事実関係を確認する手続きの詳細を見ると、自由な心象を得た。 その結果、確かな回答が引き出せた(p37)
というのは冤罪事件の捜査当局がその手のことをよく言うなぁとか、金融庁の事情に詳しい金融関係者はこう断言する(p37)
っていうのじゃあ怪文書と信頼性が変わらないなぁとか、当事者である金融庁の人間の証言かと思えばやはり恐かったんでしょうね(p47)
ってあくまで推測やんとか、そういった不確かな確認しかなされていないのではないかという思いがどうしても脳裏を去らないのだ。無論、
金融庁は・・・やり取り自体を事実上否定している(p37)
という「抵抗勢力」の見解は信用できないと思うべきなのだろうが、本件については構造改革の体現者竹中大臣自身が否定している。 というわけで、ここは金融庁内の「革新官僚」たちが、竹中大臣を欺瞞した(当然、竹中大臣が「抵抗勢力」と手を握って偽証したなんてことはあるはずがないのだから)「抵抗勢力」の悪巧みを暴くべきだろう。 正義の「革新官僚」たちが言いがかりなどつけるはずもなく、本書のように書籍の形で公にされるものにおいては守秘義務との関係などにより表に出せなかった証拠も当然握っているのであろうから、それらを携えて竹中大臣に直訴してみるというのはどうだろうか。「抵抗勢力」が君側の奸として「革新官僚」のそうした直訴を阻むというのであれば、先輩の顰に倣って斬奸をも決断してくれるものと期待しているし、そうした快挙がなされれば、webmaster上記のような疑念を晴らすことを約束したい。
- 第1位:文部科学省
さて、なみいる省庁を押しのけて栄えある第1位を獲得したのは文部科学省。 その原動力となったのは、かのスーパースター寺脇研。 そう、あの「ゆとり教育」の推進者として名をはせる彼である。
教育はともすれば百家争鳴となるテーマであり、誰もが何らかの意見を持っているものだ。 webmasterも、教育サービスは人によって効果が異なりがちで、しかも結果が出てくるまでにそれなりの期間が必要だから典型的なレモン市場になる可能性が高いだろうとか、私立学校に通わせる、ましてや越境入学させるだけのお金がない人にとっては学校の選択肢なんてほとんどなく、さらには選択した後で変更することは極めて困難だから機会均等を確保するのは相当難しいだろうとか、そういったことを考えれば市場の失敗が生じることは明らかで一定の公的介入は不可避なのだろうと漠然と考えていたのだが、こんな考えは寺脇には通じるはずもない。
曰く、教育における自由化であり規制緩和が重要なのだ。 今までは入試・教科書・授業の最高水準が学習指導要領により画されていたが、これからは最低水準が示されるだけで、そこからどこまで高いレベルを望むかは各学校次第であると。 そもそも一部進学校や予備校の現状にとらわれて、学習指導要領が(とりわけ授業の)最高基準を定めているとは思いもせず事実認識が誤っていたwebmasterが正しく思考を進められるわけもなかった。
・・・ああっ、さすがにもう我慢の限界である。 世の「ゆとり教育」反対論者は、学習指導要領が最低基準となることに反対しているのではなく、最低基準だとしてもあまりにもレベルが低いことに反対しているに決まっているのではないか。 競争原理もくそも、通える学校が一つしかないことだってありえるのに、そこにどうやったら競争が生じるというのか。 詰め込み教育に戻ればいいと思っているのかと脅したところで、今の生徒・学生人口と学校定員を考えれば、昔ながらの受験戦争だの詰め込み教育だのが生じるはずもない。 だいたい勉強が楽しいなんて子どもはごくまれにしかいなくて当然であり、近代教育ってものはそれを権力を用いて強制することに意味があるのは当然だろう。 教育行政を担っていながら、そんなこともわかってなかったのかこいつらは。 個の尊重だぁ? 個性は周りから抑圧されても抑えきれないからこそ個性なのであり、他から甘やかされて試練も経ていないような個性をむりやり植え付けるほうが問題だってことぐらいわかれ。
まったく、こんなことだから文部(科学)省は霞が関でも最低レベルだって馬鹿にされるんだ。 他省庁からどれだけさげすまれているか、こいつらわかってないんだろうなぁ・・・。 言っておくが、お前らが自覚している以上に軽蔑しているんだからな。
(2004-03-14記)
その8「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」
今回の挑戦者
- プロファイル
- 福井秀夫, 2004, 「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」, 日本経済新聞社
- 主張の概要
- 官僚の行動原理の一つは官尊民卑であり、規制は社会の実情や経済合理性ではなく、身勝手な内向きの論理で作られていることが多い。
- 公開されている審議会の議事録には、そうした内向きの論理が数多く記されており、それらを具体的に取り上げて問題点を指摘する。
対戦の結果
非常に多くの話題を取り上げているので、一部だけをとりあげるのは適当でない(いいとこ取りしたのではないか、と思われるのも心外である)と考え、それぞれを見て通算成績で結果を判断することとした。 そういう形で取り上げるため、一つ一つの論点を詳しく検討するのも面倒なので(笑)、勝敗の判断基準は形式基準を中心とした次のとおりとする。
- 挑戦者の負け
-
- 言っていることが主張の内容以前に形式等の面で不適当な場合。 例えば、ダブルスタンダードや主張の根幹に関わる事実誤認、誤解を誘導する引用など。
- 上記に該当しない場合において、主張の内容が官僚側よりも明らかに劣っている場合(つまり、どっちもどっちな場合は負けではない)。
- 挑戦者の勝ち
-
- 上記「負け」基準に該当しない場合
- 備考
- 判断はあくまで本書で触れられているものに基づいて行う。 それ以外の場における議論等において官僚側が挑戦者を論破していても、それはノーカウント。
五分五分なら官僚側の負けという挑戦者に有利な基準ではあるが、できるだけ外形的に判断したいというのはwebmasterの勝手な都合なので、仕方があるまい。 ではさっそく、各部分の勝敗の判定に移ろう。
- 第1章(1) 審議会議事録はすべて公開すべし
挑戦者の主張の骨子
- 審議会は「族学者」を集めて役所の決定を追認するようなものが多く、そこでの議論をまっとうなものとしていくためには、議事録公開が非常に有益。
- 公開により官僚の悪行が暴かれた一例としては、マンション建替え要件を4/5以上の合意のみとすることの検討を促した閣議決定に背いて、4/5以上の合意要件の問題点のみを法制審議会に説明していた法務省があげられる。
- 4/5以上の合意以外の要件として法務省が主張するものの一つ、築30年以上というものには、なんの根拠もなかった。
判定
本書の活字だけを見ると、特に挑戦者の主張におかしなところはなく、勝ちを宣せざるを得ないか・・・と思ったのは早計であった。
二〇〇一年十二月の閣議決定では建替え要件を「五分の四以上の合意のみとする」ことを明示し、法務省に検討を促していたが、法務省はこの案を法制審議会に論拠を付して説明することを怠ってきただけでなく、閣議決定を無視し、三十年以上経過すること、効用維持のために現在建物と同等の建物を建てる費用の二分の一を超える費用を要すること、といった特殊な要件を付加し、法案化しようとしてきた
(p19)というのは相当ミスリードである。実際にはどのような閣議決定であったかを見ると、
区分所有法の建替え要件の緩和(建替え決議の要件を関係者の5分の4以上の合意のみとすることを含め検討) <14年度中に措置(法案提出)>
(規制改革の推進に関する第1次答申(平成13年12月11日))(webmaster注:真の閣議決定は、総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第1次答申」(平成13年12月11日)を最大限に尊重し、所要の施策に速やかに取り組むとともに、平成13年度末までに「規制改革推進3か年計画」(平成13年3月30日閣議決定)を改定する
(総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する第1次答申」に関する対処方針について(平成13年12月18日閣議決定))と定めているのみなので、答申を引用)というもの。 4/5要件をそのまま法制化しなければ閣議決定違反と半ば決めつけているが、その要件はあくまで例示であり、要件を緩和すれば閣議決定には4/5要件を法制化しなくとも何ら閣議決定違反ではない、というのが素直な日本語の解釈である。しかし、例示にそれなりの意味があるのも事実であり、挑戦者の負けと解するほどの瑕疵ではないため、挑戦者の勝ちとしよう。 (ちなみに、挑戦者が総合規制改革会議を代表して法務省に赴いた際の議事録のuri(http://www.moj.go.jp/SHINGI/020806-1.html)が本書で紹介されているが、それを見ると、とある出席者が非常にお粗末な主張をしているのがよく分かる。 「「現行法がそうだから」は,法改正の議論において理由にならない」と主張しておきながら、結局4/5以上の合意のみが妥当と判断する根拠を詰められると、2/3や3/4では建替え反対者に酷かもしれないが9/10では今より重くなるから8/10が適当だと、結局は「現行法がそうだから」という理由で自説を合理化したり、ひどい雨漏りで多くの住民が悩んでいても30年経過しないと建て替えられないなんてひどいじゃないか、と損傷や一部滅失の場合は30年という期間要件の適用除外になるという法務省案でも対応可能なことをあたかも不可能であるかのようにプレゼンしたり、法務省にさんざん30年の根拠付けとして意識調査もやっておらず問題だとけなしておきながら、自分だって4/5については意識調査をやっていないとか。 これらは非常に高い確率で挑戦者の発言だと思われるが、実名が伏せてあるので、これらをもって負けにはしない。 実名を伏せる法務省をくさしているが、感謝すべきじゃないのか(笑)。)
あとこれは余談だが、役所に都合のいい委員だけを選ぶ審議会運営をあれだけ批判するのだから、行革担当の役所にとって都合の悪い「規制改革反対派」であるワタミの社長を規制改革・民間開放推進会議の専門委員から外した件については、自分が属している会議の運営なのだから、先ず隗より初めよということで、十分批判をしていただきたいものだ(笑)。
通算成績:挑戦者の1勝
- 第1章(2) 「行政」が「行政」訴訟を改革する限界−新行政訴訟制度立案の紆余曲折
挑戦者の主張の骨子
- 行政コントロールがうまくいっていない一因は行政事件訴訟法の不備にある。
- しかしながら、その改正作業は行政が担っており、泥棒が刑法を作っているようなものだ。
判定
行政が行政事件訴訟法をいじるのは泥棒が刑法を作っているようなもの、というのはおっしゃるとおりだが、それに引き続いて法務省と最高裁による会議運営を延々と愚痴るのはいかがなものか。 まあこれは百歩譲って、泥棒が刑法を作っているようなもの、との主張を補強するための記述だと認めるとして、そうした事態の解決策が、依然として行政に原案作成を委ねた上で、政治家やジャーナリスト、弁護士等がチェックしようってのは、相も変わらず面倒なことは行政に押しつけようというものではないのかね。
泥棒が刑法を作るのがおかしいというなら、常識的な対策は泥棒以外の人間に刑法を作らせるというもの。 行政がやっているのがおかしいなら、自分たちで改正案を作ればいいではないか。 自分たちが楽したいからって、そういう正攻法を回避して、行政はダメですなぁと評論家然として偉そうな口をきいても何ら根本的な解決にはならない。 というわけで、問題意識は正確でも処方箋が明らかに間違っているので、挑戦者の負け。
最後に蛇足だが、先のマンション建替え要件の議論について、森ビルの社長が専門委員として参加しているが、森ビルがマンションを経営しているのに議論に参加できるのは、泥棒が刑法を作っているようなものじゃあないんですかぁ?(笑)
通算成績:挑戦者の1勝1敗
- 第1章(3) 労災保険はモラル・ハザードの集合体
挑戦者の主張の骨子
- 自賠責保険がそうであるように、政策に基づく強制加入保険であっても民間企業に実施を委ねることは可能なのに、労災保険はそうせずかたくなに政府直営を墨守している。
- その結果、業種別のリスクと保険料率の関係がおかしくなっている。
- そのため、事業主にモラルハザードが生じており、かえって労災を増やす構造となっている。
判定
挑戦者のプロファイルを見ると、研究対象の一つに法と経済学が入っているので、専門が行政法とはいえ、経済学のテクニカルタームは正確に使ってしかるべきだろう。 しかるに、モラルハザードというテクニカルタームの使い方が、しかもその用語が発祥した分野である保険において間違っているのはいったいどういうことか。 本書で紹介されるモラルハザードの説明は、挑戦者自身によるものではないが、特に異論を唱えているわけではないので、その用法に賛成していると考えられる。 で、その説明とは・・・
リスクの多い業種ほど高い保険料を課すことによって、保険料を減らすために事故を防止する、そのために投資をするという事業主のインセンティブを促進するというのが労災の重要な役割ですね。 それが極めて曖昧な分類によってモラルハザードが起こっているのではないか。
(p51)そんな理由じゃあ起こってねぇっつーの。 モラルハザードが労災保険において起こっているかどうかは知らないが、仮に起こっているとしたところで、保険事故の発生確率と設定される保険料率との関係がおかしいことが原因ではあり得ない。 モラルハザードとは、例えば火災保険を掛けると、火災が起きても損害が補償されるので火災を防ぐインセンティブがそがれるというもの。 保険を掛けた段階で保険料はサンクコストになるので、保険料の水準がいくらであっても、インセンティブがそがれるかどうか=モラルハザードが生じるかどうかには無関係である。 モラルハザードの防止には、保険事故の発生を回避するための努力を怠っていた場合には保険金を払わないこととするとか、保険金額ですべての損害額をカバーすることをやめて一定の自己負担を求めることにより、防止の努力を怠ることが被保険者にとってマイナスになるようにする=インセンティブ構造をかえることが必要なのであって、リスクに見合った保険料を設定したところで防止などできるはずもない。 そこは厚生労働省もきちんとわかっており、個々の事業主の労災防止努力等に着目するメリット制により、正しくモラルハザードの防止に努めている。
これに対する挑戦者の反論が傑作である。
もし個別にリスクが正確に判定されているのであれば、個別の集積である業種だって不均衡が出ないような保険料の収支になっていないと変だということになるはずです。
(p53) ならねぇっつーの。 挑戦者によると、個別の事業主が労災防止努力を怠ると業界全体の保険料率が上がるようにすれば、みんな保険料率の上昇をいやがって労災防止に努めるはずなのに、そうしたことをしないからモラルハザードが起きるということなのだが、個別の事業主は保険集団全体の労災発生確率にフリーライドできるから、挑戦者の言うとおりにしてもモラルハザードの防止にはつながらない(だいたい自分がその直前にモラルハザード防止策の例として、1回事故を起こしたら次の保険加入に当たっては保険料率が上がるという、同一の被保険者のインセンティブ構造に着目した事例を紹介しているというのに、自分の言っていることの意味がわかってなかったのか?)。そもそも、保険料率設定が(保険数理に照らせば)おかしい理由は、厚生労働省がはっきりと相互扶助だと説明している。 そうした相互扶助を労災の内部で仕組むか、それとも外部で仕組むかは政策判断であるので、挑戦者が言うように課税等で配分財源を別途徴求して政府が配分するという選択肢は検討対象たり得、その意味で保険料率設定のあり方と相互補助のあり方は挑戦者の言うとおり独立の問題ではあるが、挑戦者によると、なぜか外部でもできる=内部ではやるべきでないということになってしまう。 独立の問題という場合、それはそれぞれを別途検討し得るということを指すのであって、一方の問題は放置してもう一方の問題のみを部分均衡的に解決すればいい、ということを指すのではあり得ない。 外部にした場合にはどうなるかという検討は自分の守備範囲外なので知ったことか、自分の守備範囲である保険料率設定の適正化等の運営の効率化さえできればいい、というのは無責任きわまりない話だ。
以上から判定は挑戦者の負け。 1敗としてしかカウントできないのが悔しいぐらい間違った主張だが、ルールはルールなので1敗にとどめておく。 ただ、今後モラルハザードの話はしないよう忠告しておこう。 ホント、恥かくだけだから。
通算成績:挑戦者の1勝2敗
- 第2章(1) 患者本位の治療は医療法人と個人開業医のみなしうるか−「である」論理と「する」論理
挑戦者の主張の骨子
- 株式会社による病院経営を認めれば、資金調達が容易になる等のメリットが多いにもかかわらず、厚生労働省は株式会社は利潤追求が目的である存在で、病院経営にそぐわないと主張し認めない。
- しかし、既存の株式会社病院が特に問題ある経営をしているということでもなく、他方で利潤追求を行うのは個人経営も同じである。
- 結局のところ、厚生労働省は競争をいやがる日本医師会の利益を代弁しているだけで、国民の利害を無視しているのだ。
判定
まったくもって挑戦者の言うとおりであり、挑戦者の勝ちとしか判定のしようがない。
ただ、その負けも厚生労働省の自滅と言えなくもない。 挑戦者の言っていることにも結構つっこみどころがあるにもかかわらず、よりにもよって株式会社は利潤追求が目的だからダメだ、というまさに挑戦者が待ち望んだ土俵に上がってしまったからである。 株式会社的な制度(出資額に応じた議決権の付与等)がなければ近代的な経営は不可能だ(p67)というなら、そもそも株式会社参入を認めろではなく医療法人という法人格を禁止しろという主張であるべき(ひいては、その他のあらゆる協同組織的な組織形態には存在価値がないという主張になるのだが、そこまで影響を慮ってのことではあるまい)とか、株式会社の利点として有価証券報告書や第三者監査による会計や情報開示をあげている(p77)が、それが当てはまる株式会社などほとんどない(有価証券報告書提出会社、大目に見ても商法特例法適用会社しか挑戦者の主張する「株式会社」には当てはまらないが、それらが株式会社全体に占める比率はなきに等しい)とか、借金の利払いと株主への配当はいずれも資金調達の対価であり同等だという(p77)が、それは出資額に応じた議決権が必要だという主張と矛盾するだろうとか・・・。
通算成績:挑戦者の2勝2敗
- 第2章(2) 誰が農地を棄てるのか−敵視される企業の農地保有
挑戦者の主張の骨子
- 農業従事者の高齢化等により耕作放棄地が増えているが、企業を参入させることにより対応することが可能である。
- しかるに農林水産省はなんら具体的証拠を示さぬまま、企業による土地所有は投機につながるとして反対するのみである。 政策決定の場においてこのような非合理的主張がまかり通っているのが実態なのだ。
判定
ここも基本線は直前の議論と同じく、金儲け主義の企業(株式会社)はダメだ、というのが官僚(この場合農林水産省)の主張であるが、ただ一つ違うのは、形式的には理屈だけを言い張った厚生労働省とは対照的に、担当者が
論理的でない回答になるのかもしれませんが
(p86)、経済学的な話だけをしているのではなく
(p96)という発言をしていること。 当然こうした担当者のコメントには、論理的な回答だけ聞きたいんですけれども
(p86)、そうしたお答えは信仰告白としか思えません
(p96)という厳しい指摘がなされている。とすれば、ここでも挑戦者の勝ち、という判定を予想される向きも多かろうが、webmasterは挑戦者の負けとしたい。 普通の大人であれば、ここで農林水産省の担当者が述べていることの背景には、最終的な政策決定の場−もちろんそれは役所ではない−において、論理的でもなければ経済学的でもない理由で意思判断がなされているという実態があることがわかるはずだ。 民主政の枠内で合法な手続により決定される政策は、それが論理的でなく経済学的でなくても、行政はそれを遵守しなければならないし、また、その政策を覆すには、同様の手続により別の政策決定を行うことのみが必要十分条件であって、論理的・経済学的な説明はあくまでそれを達成するためのノウハウの一つに過ぎない。
ここでの農林水産省は、少なくとも先の厚生労働省とは異なり、無理な理屈を闇雲に言い張るのではなく、なぜ受け入れられないかを率直にかいま見せている。 それを非論理的・非経済学的だと嘲ってみたところで、挑戦者の虚栄心は満足するかもしれないが、実態は何も変わりはしない。 挑戦者に税金から謝礼を払って規制改革の議論をさせているのは、個人的な満足をさせるためではないはずである。
通算成績:挑戦者の2勝3敗
- 第2章(3) 国公立学校・学校法人至上主義の破綻−物の貴きにあらず、その働きの貴きなり
挑戦者の主張の骨子
- 学校経営につき、現行法制は新規参入、とりわけ株式会社によるそれを差別的に取り扱っている。
- 具体的には、参入に当たって同業者が入った審議会にかけられる、株式会社には一切補助金が出ない、他方で学校法人であれば多くの補助金が出る、など。
- その根拠については、憲法第89条(公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。)の解釈の問題となるが、文部科学省の主張は自分勝手で非合理な解釈に基づいており問題だ。
判定
挑戦者が補論までくっつけて(pp241-263)論じている憲法第89条問題(ちなみに挑戦者は一貫してこの条文を憲法89条と呼んでいるが、法学を専門とするくせにこういう無神経な誤用をするのはいかがなものか。 例えば十七条憲法(憲法十七条)といえば条文数が17である(17ヶ条からなる)憲法を指すのであって、その中の第17条=17番目の条文を指すのではない(公平を期すために触れておくと、文部科学省の担当者もp116で同じ間違いを犯している)。 ついでにもう一つ法学者としてどうかと思う間違いを指摘しておくと、p99の「被告」とは文脈からして「被告人」の誤りだろう)であるが、挑戦者は3つの点について文部科学省を退けている。
まず、補助金適格となるための「公の支配」についてであるが、文部科学省が学校法人に対する解散命令権がそれを満たす必要条件であるとするのは、挑戦者によると十分条件と取り違えていて初歩の論理学もわかっていないとのこと。 では、その根拠として挙げられている内閣法制局答弁を見てみよう。
私立学校法による、とりわけ学校法人の解散命令がないとどうなるかということでございますけれども、それに変(ママ)わる何らかの、例えば代替措置があるということであれば、それは諸般の事情等も加えまして、十分に検討の余地がある
(pp114,115)というものだ。 ここで引用した語句のみを見ると挑戦者に軍配が上がりそうだが、文脈を見てみると、何か助成に際して問題が起きたら、その問題を止めさせるのが筋で、それが無理なら金銭を返還させればよい、というのが普通の常識だろう。 「法人解散命令」というのは個人なら「死刑判決」に等しい。 存在自体がよほど反社会的なら発動の余地はゼロではなかろうが、しょせん「私学助成」についてのみの「公の支配」のあり方としてそんな措置が必須と言い張るのは異様ですらある
(p111)というもの、つまり解散命令と同等の代替措置は不要でもっと軽い措置でいいというのが挑戦者の主張なのだから、その意味では先の法制局答弁は十分条件ではなく必要条件と解すべきだろう。次に学校法人以外の学校に対する補助金の問題であるが、経過措置として学校法人以外の法人に学校法人への転換を条件として補助金を認め、かつ、結果として転換できなかった法人に対する補助金を合憲としたことを受け、
株式会社学校やNPO学校も、他の条件さえ等しければ、「五年以内に学校法人に転換する」と「約束」さえしていれば、私学助成を受けることになんの問題もなくなるはずだ
(p119)と挑戦者は指摘する。 しかし、既に存在し合法に補助金を受けている学校について、いきなり補助金を打ち切って生徒が就学できなくなることを防ぐために一定期間は支給を継続するものと、これからスタートする学校が設立当初から要件を満たしていないものを同列に論じるのはどうかしている(前者について一定期間(本件では5年)経過後においてもなお補助金を継続しているならともかく)。最後に憲法第89条と政教分離の関係であるが、宗教教育を行う学校へ補助金を宗教教育に当てられるものかそうでないかを区分せずに認めることを、
憲法遵守義務があるはずの公務員の憲法の読み方としてもずさん極まりない
(p122)としているが、少なくとも判例では、宗教は教育、福祉、文化、民俗風習など広範な場面で社会生活と接触することとなり、このことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。 したがって、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない
(8.2 政教分離@安念教授のページ)というものだとされており、挑戦者の主張に沿って合憲・違憲を判断しているわけではない。 上記の補論を読むと、挑戦者がその立論に強い自信を持っているのはわかるが、主観的に自信があることは、客観的に文部科学省の言い分がずさんだということの証明には、もちろんならない。通算成績:挑戦者の2勝4敗
- 第2章(4) NPO法人をなぜいじめるのか
挑戦者の主張の骨子
- 構造改革特区では株式会社とNPOによる学校経営が認められたが、その範囲には格差が設けられ、NPOは限定的な教育しか行い得ないものとされた。 その根拠はNPOは株式会社に比べ継続性・安定性に不安があるというものだが、例によってその証拠はない。
- また、NPOと株式会社を同様に扱おうという立法論を議論しているのに、両者は同様に扱われていない現行法の解釈論を持ち出している。
- 結局、規制を受ける等の官に近いものは保護し、より自由に活動できる官から遠いものは冷遇するという官尊民卑の考え方が問題なのだ。
- (その他、私学助成に関する議論があるが、既出なので割愛。)
判定
文部科学省はNPOは株式会社に比べ継続性・安定性に劣る、という主張の根拠を挑戦者に論破されており、その論破の方法も冒頭の形式基準上問題はないため、挑戦者の勝ちである。 立法論についての議論は、規制改革会議だって現行の特区法制を是認しており、その中で設けたNPOと株式会社の格差は当然その是認したものの部分集合ではないか、その是認した際と是認するかどうかに用いた判断基準に照らして状況の変化はないではないか(挑戦者は新たな申請があったことを状況の変化としているが、前回の判断の際にも申請者は異なりこそすれ同趣旨の申請があったとすれば、普通は状況の変化には含まないだろう)、という文部科学省の主張には共感するところ大ではあるが、これはあくまで傍論と位置づけられるべきものであり、勝敗を左右するものではなかろう。
以下は勝敗とは無関係に(なにせ個別テーマについては文部科学省は敗れ去った後なのだから)、官尊民卑云々について一言触れておく。
本章で見た医療、農業、教育のいずれの分野であっても、「官」や、「民」が規制や許認可を通じて深く関わっている組織や個人は正しく立派であって、手厚く金銭援助をしなければならない一方、株式会社やNPO法人など、「官」の統制の弱い「民」は資質が劣り、非倫理的だから、冷遇の限りを尽くしてよい、という官尊民卑の決めつけに満ちている
(p143)というが、では規制や許認可がないところに補助金などをばらまいていいというのだろうか。 むろん、そんなことはあるまい。 例えば補助金の使い込みを望ましいこととする価値判断はないとしてよいだろうが、であるなら使い込みを防止するための何らかの手だて、つまり何らかの規制や許認可は必要である。 上記「官」でも使い込みをしているケースがあるだろう、という反論もあろうが、それは規制や許認可のやり方に改善の余地があることの根拠にはなっても、規制や許認可が不要だということの根拠にはならない。 上記の挑戦者の主張は、審議会議事録等に出てくる具体的な役所の主張に対する批判・反論ではなく「官」の主張と対比されていないので、あえて「官」の主張を参考までに付け加えた次第である。通算成績:挑戦者の3勝4敗
さて、なるべく短くしようと思っていたがずいぶんと長くなってしまったので、いったん水入りとしたい。 挑戦者は現在負けが先行しているが、次回に逆転なるかどうか、刮目して待たれたい。
(2004-12-07記)
その8「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」(続)
今回の挑戦者(再掲)
- プロファイル
- 福井秀夫, 2004, 「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」, 日本経済新聞社
- 主張の概要
- 官僚の行動原理の一つは官尊民卑であり、規制は社会の実情や経済合理性ではなく、身勝手な内向きの論理で作られていることが多い。
- 公開されている審議会の議事録には、そうした内向きの論理が数多く記されており、それらを具体的に取り上げて問題点を指摘する。
対戦の結果(続)
- 第3章(1) 理容師と美容師が混じると危険か
挑戦者の主張の骨子
- 理容師と美容師は、それぞれ理容所と美容所でしか働けず、両者が同僚となることは法的に許されていない。
- それぞれは文化が違うというが、ヘアカット専門店はそれぞれの文化にあてはまらない新しい営業形態であるし、もし違いを示す必要があるなら、個人単位でできる。
- 安全性が損なわれるとの主張に至っては、まったく根拠のない言いがかりに等しい。
判定
いくら挑戦者が強弁しようと、理容所と美容所には棲み分けが成立しているというのが世間の常識というものだろう(あやふやな言い方で恐縮だが)。 理容所と美容所、という法律上の言い方をすればともかく、普通は床屋に行けば理容師が、美容院に行けば美容師が出てくると思うのが普通であり、例えば床屋に行ったときに、「当店では理容師と美容師を取りそろえておりますが、どちらがよろしいでしょうか、もし美容師にということですと顔剃りはございませんが、・・・」などという説明を聞くぐらいなら、床屋に来たのだから黙って普通の床屋のサービスをしてくれ、と思う人も多かろう。
しかし、であればこそ、厚生労働省に
・・・QBというのは、ある意味でむしろ床屋だと誤解されて行かれるところが多いわけですけれども、そういうところにおいて、美容師の混在を認めることはややいかがか
(pp156,157)(webmaster注:QBとはQB HOUSEのこと)などといわれるのは困りものである。 一例をもって代表させるのはなんだが、QB HOUSEを「1,000円床屋」というページは簡単に見つかったりするわけであり(webmaster注:先のリンク先では未熟練職人云々という記述があるが、QBの名誉のため、別の見方も紹介しておく)、あれを美容院と思って使う人も少なかろう。 でありながら、先に「別の見方」として紹介したリンク先をご覧いただければわかるとおり、QBを美容院として開業することは可能。 前述のような消費者の期待はそもそも法律の埒外にあり、今さら混在を認めない理由にはならない。通算成績:挑戦者の4勝4敗
- 第3章(2) だったら「富山の薬売り」はどうなる−薬剤師を守る医薬行政
挑戦者の主張の骨子
- 薬局には薬剤師が必要という現在の制度は、アメリカではそうした義務づけがないなど、必ずしも合理的なものとは限らず、また、薬剤師の在・不在別の副作用の発生確率の統計もないまま規制が維持されている。
- だいたい、昔ながらの「富山の薬売り」は薬剤師でないのに薬を販売しており、要すればこの規制は薬剤師とそうした薬剤師以外の薬販売者の既得権維持に他ならない。
- 医薬部外品の拡大等は、こうした問題を隠蔽するための姑息な対応に過ぎず、厚生労働省には薬販売の規制を任せられない。
判定
多分挑戦者も、医師の処方箋に基づき混合調製される薬や、完全自殺マニュアルで自殺に使えるとされているメジャートランキライザーであっても薬剤師不在の薬局で取り扱えるようにしろ、ということを主張したいわけではあるまい。 であるとすれば、その主張は薬局に薬剤師を置くことを義務づけるな、ではなくて、レディーメイドの大衆薬(の多く)は薬剤師不在の場所−例えばコンビニ−で売ってもよいようにしろ、ということであるべきであって、つまりは医薬部外品にすればよいわけだ。 webmasterは薬学の知識がないので具体的に何を医薬部外品にし、何を医薬品にとどめるべきかは判断する立場にないが、外国の例だの統計だのを見るまでもなく、先の前提を是とする限り、論理必然的にそうなる。
つまりは厚生労働省の対応は、少なくともその方向は正しいものであって、医薬部外品への分類替えが少なすぎる(ないしは医薬品と医薬部外品の中間に大衆薬を想定したカテゴリを新設すべき)という議論ならばともかく、
目くらましの材料として医薬部外品の議論を主軸に据えようとしているようにしか読み取れない
(p171)のは、官僚はおしなべて既得権維持のために規制改革に反対している、という挑戦者自身の偏見で目がくらんでいるからであろう。 もちろん、冒頭の前提があてはまらず、およそいかなる薬−鎮痛剤としてのモルヒネ等も含め−を薬剤師の関与なしで売らせるべき、という主張であれば話は別だが・・・。なお、富山の薬売りについては、挑戦者自身が
過疎地や離島など薬の入手が困難とされる地域
(p165)に限られていると書いているのに、なんでその合理性が彼に理解されないのかがわからない。 当然、そうした地域に住む人々の生活にとって、経験則上ある程度の安全性が認められる販売手段で薬が入手できる方が、全く薬が入手できないよりも望ましいからに決まっている。 そうした事情に顧慮することなく、富山の薬売りの薬を現実に管理しているのは、薬剤師でも薬売りでもない。 購入者本人だ。 カタログで郵送されている薬の副作用の説明も「対面」では行われていない。 店舗の薬剤の管理は薬剤師でないと対応できないというなら、そもそも薬剤師なしで薬剤を売る特例販売業者をただちに禁止してはどうか。
(p172) などというのは、オール・オア・ナッシングでしか物事を判断できない原理主義的な考え方がにじんでいる。実際のところ単なるイヤミなのだろうが、そういうことを言うから蟻の一穴云々、つまり一つ規制に穴を開ければ止めどなくつけ込まれるという話になり、合理的な規制改革であっても必要以上に警戒されるようになるのだから、戦術的にもやめるべきであろう。
通算成績:挑戦者の4勝5敗
- 第3章(3) 幼保一元化を阻む「園児以下」の理屈
挑戦者の主張の骨子
- 厚生労働省によると、保育所と幼稚園を同一の規制とすることができない理由は、保育所には調理施設がありそれが人格形成に貢献するからということだが、調理現場を見せる等の指導はしておらず、言っていることが一貫していない。
- そうした理屈がやりこめられると、後出しで栄養・衛生面の話を持ち出すなど、やり方が汚い。
- なお、問題があるのは幼稚園を所管する文部科学省も同じで、既述のとおり株式会社やNPOによる運営を認めていない。
判定
調理施設の設置義務に焦点が絞られた段階で、はっきり言って厚生労働省の負けである。 アレルギーへの対応や夕方・夜間における給食等、設置されていた方が望ましいのは間違いないだろうが、外部でそれもできる場合には敷地内になくてもいいではないか、と言われれば(現に言われているが)おしまいである。
しかし逆に、規制改革会議もそんなディベートには勝てるけど実際に何が問題かを意識しない議論に埋没していていいのかねぇ。 本書でいみじくも指摘されているとおり、
・・・保育所への入所は多くの地域で困難を極めている。 そもそも現状では、保育所の絶対数が圧倒的に不足している。 一方、機能的に保育所と同様の役割を果たしうる幼稚園については、保育所と比べて余裕がある
(p174)のはなぜかと考えてみれば、幼稚園に比べて保育所の枠組みが社会のニーズに応えているからであろうことは容易に推察可能だ。ちょっとネットで調べてみれば、保育所が幼稚園よりも好まれる理由は、一に子供を預かる時間が長いこと、二に弁当ではなく給食があること、三に行事や親同士のつきあいの少ないことで、要すれば共働き夫婦のニーズに応えているからだということはすぐわかる。 問題は、これらは幼稚園が規制されていてできないことではなく、長時間預かりや給食を行っている幼稚園は現にあるし、行事はちょっと微妙だが親同士のつきあいの多寡なんてものは規制でもなんでもない。 であれば、幼稚園はそうした方向に自主的にどんどん対応してしかるべきなのに、なぜかそうした自主的な対応が進まず、上記のとおり保育所不足・幼稚園余剰だというのが現実。 その原因は何かをきちんと分析して適切な対策を考えることなくして、待機児童の問題は解決しないはずだ。
そのあたりを文部科学省ときちんと議論しているかと思えば、相変わらず上にまとめたとおりの法人格の神学論争がメイン。
厚労省の言い分には、保育所設置の際に相当の支出項目を占める調理室を何が何でも義務付けることにより、一保育所当たりの建設費・維持運営費、さらにこれらに伴う補助金をなんとしても高止まりさせ、自らの省の所管として維持したいという動機以外、何も見当たらないのだ
(p184)という挑戦者の言葉をアレンジすれば、「挑戦者の言い分には、経済実態とは無関係に役所の理屈を何が何でも論破することにより、議論に勝ったというその場限りの優越感を味わいたいという動機以外、何も見当たらないのだ」ということではなかろうか。ちなみに、前回も触れた「株式会社の学校経営参入賛成・補助金受取り反対」のワタミの渡邉社長が、日経ビジネス2004.12.20-27合併号のp12においてその論拠の詳細を明らかにしている。
規制をはじめ、およそ物事の利害得失を判断するには、具体的な問題に即すべきである
(p185)というなら、挑戦者こそ先ず隗より初めよ、株式会社の何が悪いんだなどという抽象論ではなく、渡邉社長の具体的シミュレーションにきちんと答えるべきだろう。通算成績:挑戦者の5勝5敗
最終コーナーを回ったところで挑戦者が追いつき、いよいよ最後の直線に勝負は持ち込まれた。 はたしてその行方は・・・。
(2004-12-22記)