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官僚道を歩く

第二歩:「抵抗勢力」って、抵抗してるの?−政策立案の裏表

part 1

webmasterがかねてから疑問に思っているのは、とりあえず官僚が抵抗勢力であるとの世評は受け入れるとして(Google「官僚+抵抗」を検索すると35,000件以上ヒットするし)、本当に天下りだとか、癒着の維持を目的として抵抗していると信じられているのかということだ。 だいたい、官僚といってもホモ・サピエンスであることに変わりはない。 それがあたかもまったく別の価値観をもった理解不能な存在として、根絶すべき対象として語られる(「官僚+日本+滅亡」で3,910件とか、「官僚+最悪」で14,600件とか、「官僚+馬鹿」で15,300件とか、・・・もうやめるが(いずれもGoogle))のはなぜだろうか。

単純に、人間金がすべてであって、官僚も金のために仕事をしているのだという考えがあるのかもしれないが、それに対しては、今ではもう古典の領域に入りつつある「マズローの5段階欲求説」のような単純な説でも反論可能であり、世の大勢がそうだというのも信じがたい。 とすれば、先のマズロー仮説のより上位の欲求、要すれば「生きがい」が何かが、霞が関の外からはなかなかわからない(官僚にきつい言い方をすれば、霞が関の外と感覚がずれている)ということなのだろう。

webmasterは霞が関の人間であり、外とどうずれているのかはわからないが、案外コミュニケーションギャップに過ぎず、言えばわかってもらえるのではないかという甘い期待が捨て切れていないようだ。 というわけで、実際の「抵抗」の模様をお届けしてみよう。

官僚組織は行政府、つまり法の執行機関であり、本来、前回でいうところのインプットされる情報は、法の執行のために必要なものである。 例えば、「○○法に違反する者がいました」という情報がその典型。 行政の対応(=情報処理)としては、こうした情報に対して、法の規定に従った処理、例えば取り締まりという行為をアウトプットするということになる。

当然ながら、こうした情報処理の前提は、法の規定が正しい処理の枠組みである(正しいか間違っているかわからなければ、それを執行していいのかどうか判断できない)ということになるので、官僚は現行制度に対してそれが間違っているという考え方は基本的にとらない。 コンピュータに例えれば、プログラムに従って情報処理をするわけで、仮に1+1=3という間違った計算をしたとしても、それはプログラムが間違っているからなのだが、コンピュータは勝手にプログラムが間違っていると判断しない。 プログラミングはコンピュータではなくプログラマの仕事であるように、立法は立法府=国会の仕事なわけで、コンピュータ=行政府はプログラム=法に書いてあるとおりに様々な処理を行うのが本来的な役割だからだ。

こうした法に従った情報処理は、前回の「実現重視」「『国民』無視」「理屈主義」3原則は満たしていると考えられる(法は国会により実現しろと命じられていることなので実現して当然だし、抽象的な国民ではなく国会で具体的な議論を経ているわけだし、立法に至ったのは理屈がとおったからだから)ので、基本的に淡々と右から左に処理していくことが多いが、コンピュータにバグがあるように、処理の結果が問題を起こすことがある。

しかし、人間のやることが完全ではないのは当然で、ある程度の問題が生じることは織り込まれているので、つまりは国会審議などで、そうした問題に対しては答えてしまっている。 例えば、「違反には厳しく対応する(=ゼロにはならないよ)」とか、「この制度はそういう目的ではないので、他の方法で対応します(=制度の見直しはしないよ)」とか、そういった考え方がすでにあることになる。 更にいえば、既に答えがあるということは、この手の問題については担当としてずっと考えているわけで、何かを提案されても、そんなことはとっくに検討して、その上で得策でないと判断してる(だから思いつきでいうなよ)ということにもつながる。

次回は、このあたりの機微について、最近、全省庁横断的に「抵抗」していると報道される、構造改革特別区域を題材に、具体的な話に入っていこう(これならwebmasterがどの役所の人間かわかりづらいだろうし)。

(2003-01-25記)

part 2

構造改革特別区域でもっとも話題となったのは、医療業務への株式会社の参入だろう。

さて、構造改革特別区域、面倒なので「特区」と略すが、そもそもの目的は何かといえば、「規制は全国一律でなければならない」という考え方から、地域の特性に応じた規制を認めるという考え方に転換を図り、地方公共団体や民間事業者等の自発的な立案により、地域の特性に応じた規制の特例を導入する特定の区域を設け、当該地域において地域が自発性を持って構造改革を進めるというものらしい(webmaster注:「構造改革特区推進のための基本方針(平成14年9月20日構造改革特区推進本部決定)」より抜粋。なお、現行の基本方針は平成15年1月24日閣議決定版)。

従来の考え方は「規制は全国一律でなければならない」というものでもなかった(中山間地域対策など、地域限定で適用される法制度はいくらでもあるのだが)ことなど、引っかかるところは多々あるが、とりあえずそこは争うまい。 しかし、官僚的立場からいえば、少なくとも自分で言ったことぐらいは守って欲しいと考える。

さて、医療業務への株式会社への参入について、厚生労働省の反論を見てみると、初めて公になった反論(webmaster注:管理コード9201)には明記されていないが、次の反論においては、株式会社の医療参入等を認めるかどうかは、特区に限定された問題ではなく、全国的な問題として議論すべきであるとしている。 「地域の特性に応じた規制の特例」を目指す制度に関する反論としては基本である。

これに対する説得的な反論は最後までなされていない。 医療法人が利潤を追求すべきかどうか等の論点についてはそれなりに反論・再反論の応酬が行なわれているが、この点に関してはゼロである(ちなみに、医療法人が利潤を追求すべきかどうかなど、現行の医療法人の問題点については、これからの医業経営の在り方に関する検討会において全12回にわたる検討が行なわれた結果、最終報告が出されて株式会社の参入には否定的見解が出されている。 回数が多ければいいというものではないが、特区推進側がこの検討会の議論を踏まえて反論していたとも思えない)。

実際、医療経営を株式会社に行なわせてもいいかどうかは、ある地域特有の事情ゆえに適当ということがない限り、全国一律であってしかるべき。 つまり、特区推進側から(このケースであれば長野県)、「この地域では○○という事情があるので、医療経営を株式会社に行なわせても問題ない」という主張があって初めてその次の段階に議論が進む(現在の医療法人が抱える問題に対する処方箋として、株式会社による経営が有効でありえるかどうかなど)はずだ。 結局のところ、官僚の価値観からすれば、今回長野県の主張が徹らなかったとして、それは長野県になすべきことをなさなかったという問題があるのだ、ということになる。

さはさりながら、最終的には株式会社の医療への参入については、自由診療の分野という前提で、地方公共団体等からの意見を聞き、6月中に成案を得て、15年度中に必要な措置を講ずることとするという結論を出さざるを得なかったのは、官僚言葉で言えば「外堀を埋められた」結果。 悪の権化と奉られた中では、最後まで「筋を通す」(これまた官僚言葉)ことは不可能で、被害の最小化に努めるほかない。 おそらく担当者は、「政治的に無理を押し付けられた結果、本意ではない妥協を強いられてしまった」と内心思っていることだろう。

それが官僚というものである。

(2003-04-20記)

part 3

各省庁からすればいかがなものかと思う点も多い主張をする特区推進側であるが、その事務局にもまた官僚がいる。 そうした官僚の行動原理から、官僚のメンタリティの一部を明らかにすることにしよう。

(2003-06-15記)

part 4

これまで構造改革特別区域を例に論じてきたが、抵抗の実態をまとめると次のようなものとなる。

まず、基本はよかれと思って抵抗しているということ。 特区に限らず、例えば日本道路公団による高速道路建設も前回の月旦評で触れたとおりだし、郵政三事業民営化に反対している人間は、それではユニバーサルサービスが提供できず地方の人間につけが回るので好ましくないと本気で思っている。

こうした議論に対して、それは杞憂に過ぎないのであって、あえて言挙するのは利権を確保したい等々のよからぬ狙いがあるに違いないというのはある意味過大評価。 「溜池通信」からの孫引きでなんだが、アメリカについてのアメリカが追求する利益があって、それを理念が覆い隠しているのではなく、結局その理念が実態なのであるという北岡伸一の指摘(8月1日を参照)は、いわゆる抵抗勢力にも当てはまるのだ。 結局のところ、改革派と抵抗勢力は理念に違いがあり、ある政策について求める効果の優先順位が逆になっているのだから、この両者の間での議論は往々にして水掛け論にならざるを得ない。

さらに両者の対立を根深くするのが、抵抗勢力にとって、政策の否定は理念の否定につながり、ひいては存在意義自体の否定に帰結してしまうということ。 人間の多くには自分のやっていることは正しいと思いたい側面があり(いわゆる裏社会の人間であってもそうだということは、「マルサの女2」の地上げ屋・鬼沢のラスト近くのセリフ(確か、東京が発展できるのも、自分のように地上げをやる汚れ役がいるからだ、といった内容)に端的に表れている)、逆に言えば、やっていることの否定は自らの価値体系・存在意義の否定につながるおそれを抱くことになる(小室直樹流に断言するなら「急性アノミー」の回避ということ)。

改革派が言っていることを抵抗勢力の身になって極端な翻訳をすれば、「お前らのやっていることは国富の浪費であり、この世から消え去ってくれた方が日本のため」と迫られているようなものだ。 とすれば、彼らとしても自らの誇りにかけて戦わざるを得まい。

従って、うまくいく改革があるとすれば、抵抗勢力を殲滅するものでない限り、その誇りを必要以上に傷つけることなく、抵抗勢力側に十分に花を持たせた上で、名を捨てて実を取るものということになる(うまくいかなくてよいのであれば、改革が成功したという見栄えを整えて、抵抗勢力側に実を取らせるという形もありだが)。

こうした決着をつけるには、いわゆる密室談合によることとなる。 どちらが名を取り実を取るかなど、大っぴらに行えば身も蓋もないのだから、公開の議論でできるはずもなく、密室で双方のトップが合意した上で、それぞれの支持者に対して都合のいい言い訳をするという形でなければ収まりがつかない。

それでも、改革が真に社会のニーズを捉えているのであれば、一世代を経て抵抗勢力が代替わりすれば、大筋のところで思うところは達成できるだろう。 それに要する時間は、反対派を文字通り抹殺することのない民主主義に必要なものと割り切って我慢するしかないのだ。

(2003-08-12記)

appendix

前回でこの「第二歩」は終わりにする予定であったが、興味深いテキストを見つけたので、もう少し付け足してみることにする。 そのテキストとは、中央公論10月号(webmaster注:現時点では最新号の紹介に目次が掲載されているが、おそらく10月10日以降はバックナンバーを参照ということになろう。後者のリンク先のページは当テキスト作成時には存在していない)に掲載された、「私が霞が関を『脱藩』した理由」というもので、福島伸享という前官僚、現民主党員が書いている。

さて、何が興味深いかと言えば、本連載の第二歩・part 3において、ケースバイケースの判断であればともかく、およそすべての構造改革特別区域がアプリオリに正しいと考える官僚もいるだろうが、そいつは頭が悪いといった趣旨のことを書いたのだが、その頭が悪い官僚の実例がまさにこの福島であるということだ。 まあこうした馬鹿が官僚をやめて政治の世界に飛び込むというのは、官僚側の一員としては官僚の平均レベルが上がるので慶賀すべきことだが、官僚とて納税者の一人であることに変わりはなく、妙な政治家がこれ以上増えるのも困りものであるので、きちんと論駁しておきたい。 とはいっても、あまりにもツッコミどころが多すぎて、すべてを相手にしていてはどれだけサーバのディスク領域を食いつぶすかわかったものではないので、特にひどいところをいくつかとりあげてみる。

まず、構造改革特別区域のアイデアを生み出したと福島が称する経済産業省研究会で彼が提案したプランというのが噴飯モノ。 なんでも「平成の屯田兵構想」というらしいが、その内容は以下のとおりだ。

耕作放棄地問題が深刻な北海道で、大きな資本を投下して株式会社による大農経営を行い、そこでジャガイモやコーンを栽培し、それを原料にして自動車燃料用アルコールの原料を生産し、労働者として失業率の高い都会の若年層を送り込む、というものであった。 そのために、自作農の育成を目的として、株式会社による農業経営を認めていない農地法を、北海道においては適用除外にして、株式会社が多くの従業員を雇って農業経営を行えるようにするという、まさに構造改革特区の萌芽となるアイデアであった。(中央公論(2003.10)、p117)

これほど単純なアイデアであるにもかかわらず致命的な間違いに気づかないのはなぜなのか理解に苦しむのだが、大規模農業経営は資本集約型、すなわちだだっ広い農地で機械と化学製品(農薬とか肥料とか)を最大限活用して効率的に管理するもので、要すれば雇用創出力などたかがしれている。 農地法の適用除外が仮に認められたとしても、ますます農業における省労働力化が進むことになり、福島の狙いに反して、都市の失業者を吸収するどころか都市への新たな流入者を生むに決まっているではないか。 それを屯田兵構想とは片腹痛い(というか、単なる転職を「脱藩」というなど(政治亡命でもしたのか(笑)。 脱藩浪人の多くがそうであったように、偉そうなご託を並べてお金をたかる身になったことを恥じてそう称しているわけではあるまい)、我が身を幕末の志士になぞらえて自己陶酔しているのは相当痛いと思うのだが)。 だいたい、「兵」じゃないだろ(笑)。

次に、その研究会で出てきた構造改革特別区域のアイデアについて、地公体の首長やベンチャー企業経営者、各界のオピニオンリーダーに営業活動をしたとこれまた誇らしげに書いた上で、それにブレーキをかけようとする経済産業省部内の声を、権限意識丸出しとあげつらっている。 他方で特区推進室に異動後、鴻池大臣(当時)と焼き鳥を食って意気投合したときには、大臣の一声に官僚が従う政治主導の官庁組織(p122)と自画自賛だ。

結局、福島がやったことは、上が自分の言うことを聞くのであれば持ち上げ、自分の言うことを聞かなければ制止を無視して独断専行しているということだが、これは、大臣となった政治家を操り人形としていると彼自身が批判している従来の官僚組織(そもそも彼の事実認識が正しいかどうかは別にしても)よりも数倍たちが悪い。 少なくとも従来の官僚組織は、どんな形であれ上の了解を取って始めてアクションを起こしているわけだが、福島の行動は、自分たちの主観的な判断のみで突っ走っているからだ。 無論、緊急避難的行動というものはあろうが、構造改革特別区域の制度化がそれに当てはまるはずもない。

その意味では、70年ほど前に中国で陸軍の現地部隊が行った、一応は敵対行動に対する正当防衛という理屈を伴った各種の戦線拡大行為以下だ、というか、福島のメンタリティは皇道派青年将校のそれと同質なんだよなぁ・・・(先に自らを幕末の志士に例えていることに触れたが、青年将校たちも自分たちのクーデターを「昭和維新」と呼んでいたわけだし。 このたとえが極端だと感じる人は、踊る大捜査線に見る独断専行の危険性などをご覧いただきたい)。

だいたい、そうした行動のベースにある思想というのが、人・モノ・金が自由に動く大競争時代にあって、自分でスタンダード(基準・決まりごと)を作れる国じゃないと生き残れない(p124)というもの。 こんな単純な頭で国家戦略など語って欲しくないものだが(今世界には国連加盟国だけでも191ヶ国があるが、彼の思想が正しければほんの一握りの国を除くと生き残れないことになる)、構造改革特別区域をつくると何かスタンダードが決められるというのだろうか。 福島の頭の中では、構造改革特別区域をつくるような政治的決断がスタンダードの確立につながるのにそれができていないということらしいが、その例としてあげられているのがほとんどの政策において、たとえばアジア諸国との経済統合を進めるために自由貿易協定(FTA)を結ぶか国内農家を保護するかというような場面においては、政治的責任を持った選択ができなくなっている(p124)・・・って、国内農家を保護するという政治的責任を持った選択をしているだろうが(笑)。

と、とことん自分の考えは正しく、それに反するものは存在意義を根こそぎ否定する福島であるが、組織に縛られないという幻想に浸れる政治家を志したからには、今以上に原理主義的に構造改革特別区域の推進に血道を上げていただきたい。 当然、カジノ特区に消極的だったのは組織のしがらみ上やむを得なかったことなのだろうから、構造改革特別区域はアプリオリに全肯定の対象とする彼のこと、そんなしがらみから逃れた以上、カジノ特区にも必ずや積極的になってくれることだろう。 いや、カジノにとどまらず、同じく刑法その他の法律により禁止されているドラッグ特区、ソープランド特区、暴走族(おっと、珍走団と呼ばなきゃ)特区などなどを積極的に推進し、日本各地の経済の活性化目指して尽力してくれることだろう。

えっ、中にはダメな特区もあるんじゃないかって? そんな、自分のイメージにあわない特区についてだけは中身によって是々非々だなんてダブルスタンダードを福島が許容するはずもあるまい。 なにせ、グローバルスタンダードの制定者(笑)たらんとする政治家なのだから。

(2003-09-23記)

bewaad<webmaster@bewaad.com>

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