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予算が成立し、「3月危機」もなく昨年度が過ぎた一方で、国会議員の多くは選挙のために地元に張りつきがちであり、今の霞が関は(外務省や防衛庁、厚生労働省など例外はあれど)ちょっと一息ついている。 その意味で、統一地方選挙には感謝すべきなのであるが、どうにもつまらない。
霞が関の住人たるwebmasterであるからして、統一地方選挙とはつまりは都知事選(区長選とかもあるにはあるが)なのだが、どう考えても石原慎太郎が再選されるに決まっている。 どうせ無風選挙区なら、かの羽柴誠三秀吉氏にでもご出馬いただければ、一票を投じたのだがなぁ・・・(というわけなので、webmasterは今回の選挙は棄権する)。
とまれ、選挙民として選挙への参加が無意味なので、いきおい他の選挙がどうなるかということに興味が出てくる。 今回の統一地方選挙、やはり最大の見ものは神奈川県知事選であろう。 何が見ものといって、田嶋陽子だ。 比例区で選出されておきながら(それも社民党トップでだ)離党し、その際議員辞職すべきと言われながらも議席にしがみついたあげく、知事選出馬で辞職と、選挙民をなめきっているとしかいいようがあるまい。
しかし、試されるのは彼女ではない。 神奈川県民だ。 選挙まであと一週間を残す段階で、十分に有力候補として戦線に踏みとどまっているようだが、公式サイトに今回の選挙に向けての公約(参議院選挙のときのものはあるけどね)も載せていない(公平を期して他の候補者もチェックしたが、同じく議員辞職組の松沢成文は公約のほか、議員を辞職し県知事を目指すことの説明をしているし、その他有力候補とされている飛鳥田一朗、宝田良一、吉村成子も公約をネット掲載している)。
断っておくが、webmasterは民主主義の信奉者であり、仮に選挙で彼女(って呼ぶと怒るんだろうなぁ)が当選した場合、仕事上でどうしても接点ができたとしたら、きちんと県知事として遇するだろう。 選挙というシステムが、投票という行動を通じて当選者に対して民意という正統性を付与するものである以上、たとえば何らかのスキャンダルに見舞われた議員であっても、当選した以上「みそぎ」が済んだという扱いは十分に合法。 個人的な見解がどうであれ、法的に正統なものを区別・差別することが許されるわけもない。
民主主義とは、そうしたある意味「危険」な制度であり、かのチャーチルがdemocracy is the worst form of government, except for all the others that have been tried from time to time
(民主主義ってやつは最悪の政体だ。
実在したそれ以外の政体を除けば)といったのもむべなるかな。
日本国憲法第15条第4項において「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と定められているのは、一見選挙人に対して優しくうつる。 しかし、その結果により政治が機能しなくなったとき、結局は身をもって責任をあがなわざるを得ないのだ。
(2003-04-06記)
最近話題のSARS、名前自体、単に「症状が重くて、急性で、呼吸器系の病気」といっているだけという、関係者があわてていることをよく表している。 いまだ原因は特定されておらず、今後、その成り行きを注意深く見守っていく必要があるのは事実。
なんといっても、人類がきちんと記録している限りにおいて、もっとも多くの人命を奪ったのは「スペイン風邪(インフルエンザ)」なのだし(ただし、インフルエンザが危険なのはその激しい変異性&空気感染性ゆえであって、SARSがインフルエンザのように流行するということでは決してないのでご留意を。 ちなみにインフルエンザウィルスはオルトミクソウィルスであるが、SARSウィルスは現時点ではコロナウィルスであると推定されている)。
しかし、これだけ騒がれているにもかかわらず、じゃあどう対応すればよいのかがはっきり示されないのは問題。 厚生労働省のサイトでは、SARS関連ページが設けられているが、予防にはどうすればいいのかとか、香港に旅行していいのかといったことが「わかりやすく」は示されていない(どこにあるかと言えば、WHOのfaqの和訳。自前で用意しろよなぁ・・・)。
香港便の乗客が激減するなど、実際にいろいろな影響が大きく出ているのだから、まず厚生労働省がすべきなのは、正しい知識をわかりやすく国民に伝え、冷静な対応を求めること。 つまりは、SARSを予防するためには、マスクや手洗い、うがいといった、要すれば風邪への対策をきちんと行うことが大切であり、必要以上に恐れる必要はないということ。 WHOだって、香港への渡航自体を抑制するよう勧告しているわけではないのだ。
この点、きちんとした情報を押さえているのは在香港日本総領事館と、日本旅行業協会・日本旅行医学界。 さすがに当事者だったり、利害に直接関係する人々は、きちんとした対応をしているものだ。
(2003-04-13記)
2003年4月14日は、「ヒト」をめぐる科学にとってエポックメイキングな日となった。 ヒトゲノムの解読が終了したのである。
3年前にはセレーラ・ジェノミック社が解読宣言を出し、メディアの取扱い自体はそのときの方が大きかったが、あれはあくまで「事実上」のもの。 逆に言えば、当時で99%が終了したとのことだったが、あとの1%に3年を必要としたということで、人間の作業のご多分に漏れず、概ね終了と本当の終了には大きな違いがあったということだ。
ヒトゲノム解読の終了とは、乱暴に例えるなら、マゼランの世界一周航海のようなもの。 どちらも、学説が予測する有限性を実証し、以後の研究の外縁を明らかとした。
むろん、マゼランの世界一周後においても、地理学が発展し続けたように、ヒトについても今後いくらでも研究が進められていくだろう。 特に、ゲノム解読終了後は、具体的なタンパク質の発現に研究の矛先は向かうこととなるが、製薬などに関する知的財産権と直結する話であり、人類にとって実際に役立つかどうかという側面から見れば、むしろこれからが本番である。 今後は実用を目指し、投資効率で図られる世界が待っていることになる。
それでは、ヒトの遺伝子研究に、投資採算を度外視するような夢は残っていないのだろうか。 おそらく「ヒト」に限定する限りはないのだろう。
しかし、ゲノム解読が他種にも及ぶ中(ちなみに動植物ではイネやマウス、その他にも病原菌などのゲノム解読が進められている)、ヒトと類人猿など他の種、特にチンパンジーとの比較は、ヒトとは何かという人類史上繰り返されてきた問いに対する答えにつながる研究だ。 その先には、理系分野よりも、むしろ人文科学における大革命が待ち受けているのではないか。
(2003-04-20記)
新丸ビルやシオサイトの各種ビルなど、近年数多くの大型ビルのオープンが続いたが、その掉尾を飾る六本木ヒルズ。 これまで六本木近辺にはそれほどの高層ビルがなかったため、存在感は抜群である(ファイナルファンタジーのダンジョンに例えられたりなどしているし)。 オフィスビルの2003年問題など、何かと影響も大きいようだが、webmasterはこの手の開発、文化的観点から大いに評価したい。
こういうと、東京の開発は無秩序で問題といった反論が予想される。 パリ(他の都市でもいいのだが)を見よ、整然と美しい町並みが保存されているではないか。 それに比べ東京のなんと醜いことよ、と。 東京には東京ならではの個性がない、と。
しかし、それでいいではないか。
いや、それがいいのではないか。
無秩序な混沌こそが、ある意味で現代文明の最先端を行く、東京にふさわしい。
高層ビルが並ぶ中に地上げに屈しなかったごく普通の民家が残っていたり、渋谷の人混みの中にいきなりソープランドが営業していたり(それもボクシングジムと併設で、交番の裏にだ)。 これほど雑然とした都市、webmasterが知る限り、世界にたった一つ東京しかない(防衛庁が六本木に残っていれば、これもポイントが高かったのだが。 歓楽街と軍隊の組み合わせなど、正気を持った人間が計画を作ってあり得るものではない)。 まさに誇るべきユニークな個性だ。
実はその手の規制自体はありふれたものである景観保護など、京都や鎌倉に任せておけばよい。 今後も、これまで以上にディベロッパーが勝手に開発を進め、狂気をはらんだ現代文明の象徴としてカオティックに変貌を続ける。 webmasterは、東京にはそんな都市であって欲しい。
(2003-04-27記)
例の白装束集団である。 独自のサイトもきちんとあるので、いつどうなるかわからない今、とりあえず見ておくというのがこの手の問題に興味がある人間のしておくことだろう。
国内の宗教団体関連では、オウム(現アーレフ)騒動以来となる注目を浴びつつある(もうそろそろあのライフスペースを抜いただろう)。 なぜ今になって急に騒がれたのかはよくわからないが(ずいぶん前から社会には溶け込めなくなっていたようだし、あの「と学会」では、
この作者の方、エルアール出版で働いている方なんですね。ご存知ない方のために説明しておきますと、エルアール出版というのは、GLA系の団体で、しかもGLAからは異端視されている団体です。GLAの開祖である高橋信次さんが亡くなられたときに後継ぎを誰にするかでもめまして、その時にこの団体の主催者の千乃裕子さんという方は高橋信次さんと後継者の娘さんの高橋佳子さんを両方とも否定して独自の方向を打ち出したんですね。それで結局GLAからは異端視されたんですが、使っている用語などにはGLAのスタイルが残っています。
(と学会(2003)、「と学会年鑑BLUE」pp121-122より抜粋。強調は引用者による)
と、2000年の段階で注目していたりするわけで)、間違いなく言えることは、これで彼ら(宗教団体としての名称は千乃正法会)は団体として一段と成長するだろう、ということだ。
成長、という言葉に違和感を持つ人もいるだろう。 メディアでは、白装束姿に渦巻き模様は、放送コードなどを気にしてはっきりとはいっていないが、「気違い沙汰」(webmaster注:「気違い」ってのはIMEでは出てこなくなってしまったということに初めて気づいた。 教科書などに載せるかどうかはともかく、いったいどこまで言葉狩りは進むのだろうか・・・)そのものとして扱われているのだから。
しかし、これだけ頻繁にメディアで流され続けたというのは、パブリシティとして考えれば相当なもの。 あれを目にして何かを感じてしまう人間は必ずいるはず。 「スカラー波」という言葉にも、なぜかそれで長年の疑問を氷解させてしまう人間はいるのだ。 だから、メディアであのような取り上げ方をされていることは一向に問題ない。
また、当局との関係を考えても、上記のとおり、あのオウムだって今に至るまで存続しているのに、破防法適用といった話題からは遠いところにいる彼らが、その存続を公的に妨害されようはずもない。 道路交通法違反で移動を迫られるのも、法難の一つとして宣伝材料になり、さらには内部の団結を固めることに貢献するだけだろう。
伝わる限り余命短いと考えられる代表の死を、分裂などすることなく乗り越えることができれば、そのうちメディアも飽きるだろうから、そこそこの規模のよくある宗教団体のひとつとして存続し続けるだろう。 何年か経ったらサーチエンジンで調べてみると面白い結果が見つかるはずだ(というか、webmasterも、今回、ライフスペースがまだ続いているのを見つけて、ある種の感慨に浸ってしまったわけで)。
(2003-05-05記)
次の2文を見て欲しい。
...In contrast, over the same period, the probability of an unwelcome substantial fall in inflation, though minor, exceeds that of a pickup in inflation from its already low level.
((経済成長についてのリスクは今後数ヶ月間は変わらないと考えられるが、)対照的に、小さいとはいえ、好ましくない、物価上昇率が相当程度下落する同期間における可能性は、すでに低い水準にある物価上昇率が上昇する可能性よりも高い。)
...the Governing Council agreed that in the pursuit of price stability it will aim to maintain inflation rates close to 2% over the medium term. This clarification underlines the ECB's commitment to provide a sufficient safety margin to guard against the risks of deflation.
(理事会は、物価の安定性を追求するため、中期的にわたり物価上昇率を2%近辺に維持することを目指すこととすることに合意した。この明確化は、欧州中央銀行のデフレーションのリスクへの対応を可能とする十分な余地を確保するとのコミットメントが基となっている。)
それぞれ、つい最近発表されたFRBとECBのステイトメントである。
どこぞの中央銀行はデフレの責任を構造改革の進捗の遅れなどに押しつけているわけだが、やはり日本の常識は世界の非常識ということで、中央銀行の目的である物価の安定は、notインフレということだけではなく、notデフレであることが明らかにされたわけだ。 当然だが。
おそらく、ドイゼンベルクが俺たちのやっていることはインフレターゲットじゃねえと言ったことを捕まえて日銀を弁護する向きもあろう。 しかし、次期総裁人事のドタバタを見ればわかるように、日銀とは比べものにならないぐらい政治的にセンシティブなECBでは、明示的に「インフレターゲット」とは言いづらいだろうから仕方がないだけのこと(ターゲットが達成できない場合の責任問題を収拾するのは容易ではないだろう)。 これとて、かの栄光のブンデスバンクの伝統を背負うイッシングに代表される有能なインフレファイターが、デフレファイターとしても同じように有能なのかどうかを見定められるまでだろう。
変動相場制の導入により自由な金融政策が可能となってから約30年、単にインフレだけを気にしていた幸せな時代が終わり、各国中央銀行の真の政策能力が試される時代になったのだ(といっても、きちんとやるべきことをやっていれば「有能な中央銀行」として、世間から尊敬される存在になれるはずなんだが・・・)。
(2003-05-11記)
これについては、いろんな反対運動があるわけで、官僚であるwebmasterも言論の自由の弾圧に荷担する者の一人と思われているのかもしれない。 しかし、霞が関の住人の多くは、ほとんどこの問題には関心がないと言ってよいだろう。
もともと霞が関の仕事の多くは経済関連であり、この手の治安維持につながる話は所掌外だという人間がほとんど。 だから、webmasterもそうだが、「メディアの人間とずいぶん揉めてるな」「そりゃ反対する人間も多いだろう」程度の認識しか持っていないというのが平均値だろう。
では、外野の無責任な感想としてはどうかといえば、メディアに事実無根な批判をされることは多いので、その手の報道が少しでも抑制される(言っておくが、正確な事実認識に基づく批判は、歓迎こそしないにせよ、いくらでも受けて立とうというのが霞が関の常識的なラインだ。 言いがかりは勘弁してくれ、ということ)のであればいいが、その対応策としては物議を醸しすぎにも思うし、そもそものデータベースに入った個人情報に関するセキュリティ確保という論点からは脱線しているとも思う。 とすれば、(内閣府や総務省の担当者からは怒られそうだが)今回の法案はデータベース管理に特化したものとし、報道等によるデータベースから抽出した情報の表現自体は別途の対応があったのではないか。
既述の通り、メディアのあり方には批判的であっても、これは法律によって対応することが不適当な分野。 多くの官僚は法律で言論封殺をしようなどとは思わないものだが、一部でもその手の濫用を狙った人間でてくるリスクがゼロでない以上、そこがことさらに議論の対象となり、結果として(政府にとって)高くつく可能性があるからだ。
理想論を言えば、官僚にも十分な反論権が与えられ、フェアな議論の形で官僚批判・反論が繰り広げられることが望ましいのだが、絵に描いた餅をほしがっても仕方がない。 取材に来た記者は「なるほど、そういうことだったのですか」などといって帰っても、記事を見れば悪意・偏見のオンパレードで、抗議したってよほどひどい事実誤認でなくては聞いてももらえず、聞いてもらったところで謝罪・訂正記事など言われなければ気づかないようなものとしてしか掲載されないのが実態。
これが変わると思うほどwebmasterはおめでたい人間ではない。 当サイトは、そんな問題意識を持つwebmasterの、ささやかではあるが、新しい官僚・非官僚関係の構築に向けた実験でもあるのだ。
(2003-05-31記)
アジアの両端とは中東と日本。 その両者で、奇しくも日を近しくして、中東和平が合意に至り、有事法制関連法案が成立した。
中東和平に関しては、クリントン政権が精魂傾けて維持を図ったオスロ合意はあっけなく崩れたわけだが、今回の中東和平については、当面うまくいく可能性が高い。 パレスチナ側のテロも完全には収まらないだろうし、違法入植地からの引き上げに反発するイスラエル国内の右派が納得しているとも思えない。 ではなぜうまくいくのかと言えば、イラク戦争があったからだ。
イラク戦争でフセイン政権が崩壊し、イラクという中東の要衝に親米政権ができる以上、アメリカから見たイスラエルの重要性は間違いなく低くなった。 地勢要因を見れば明らかだが、海洋国家の支援なくしてイスラエルの存続はあり得ない。 アメリカに見捨てられたイスラエルを待つのは、800年前のエルサレム王国、アンティオキア公国等々の十字軍諸国と同じ運命。
無論、豊富な実戦経験と士気の高さを誇る軍隊が看板のイスラエルが滅びるとしても、相当程度の期間とアラブ側の出血を必要とするだろうが、中長期的にはじり貧となるのは避けがたい。 となれば、アラファトの実質的権限喪失・アッバース政権の成立で花を持たせてもらったこともあり、イスラエルとしてはアメリカの顔を立てて和平に応ずるより他ない。 ウェストバンクからの撤退を含め、今までであれば呑めない条件でも、それがイスラエルの存続のためどうしても譲れないものでなければ呑まざるを得ない。
反米・反イスラエルの巨頭イラクの存在は、大量破壊兵器さえなければ、イスラエルにとってこそ大きな意味があったのだ。
それを思えば、冷戦が終了して10年以上たってようやく有事法制が整うというのどかな対応が許された日本は、なんと恵まれた状況にあったことか。 日米安保条約は内閣を倒してでも守った自民党政権が、有事法制についてはその必要性に触れた自衛隊幹部を切り捨てたという事実を見ても、米軍の存在さえあれば実際には対ソ戦争の危険性は少なかったとの判断があったのだろう。
それが今になって立法化されたということは、冷戦下での対ソ戦争よりも今の北朝鮮のテロのリスクの方が高いとの判断があるいうこと。 今般の有事法制は対テロには役立たないとの指摘もあるが、テロという不正規戦に対応するプロトコルは正規戦へのプロトコルへの特例として定められるべきものであって、それだけで存在し得るものではない。 あくまで今回の立法は空振りを承知で対テロ用の有事法制の土台として作られたものと理解するのが正しく、本番はこれからやってくると言えよう。
(2003-06-08記)
先日、マクドナルドの渋谷東映プラザ店(東口のビックカメラ脇)に行ったところ、M diningというまったく新しいタイプの店舗に改装されていた。 マクドナルドのサイトにも関連する記述がないので、このタイプの店舗を全国展開しているのかどうかは知らないが、店員がベレー帽をかぶったり、全粉パンをバンズに使ったりと、従来のマクドナルドとは異なったカラーを前面に押し出している(キーワードは"New York style"らしい)。
思えばこの会社も、デフレ時代の勝者として値下げ戦争の先陣を切ってもてはやされたのは過去の栄光となり、いまやその迷走を叩かれまくっている感がある。 店頭公開企業として、売り上げが落ち込んでいる以上、弱り目に祟り目となるのは感受せざるを得ないのだろうが、より問題なのは今後の展望が見えてこないことか。 先のM diningにしても、いくつかの店舗で成功する可能性は十分あると思うが(ライバルはFreshness Burgerか?)、明らかに都市型のイメージであり、全国展開は難しかろう。
さらにいえば、ドトールがスターバックスに対抗してエクセルシオールカフェを打ち出したときのように、完全には別ブランドとして立ち上げられないというのも、ずいぶんと弱気だ。
結局のところ、キラーアプリならぬキラーメニューを編み出せないことが低迷の理由。 今のデフレ時代の前であっても、バリューセット(さらにはその前身のサンキューセット)の導入以来価格競争で日本のファストフードを引っ張ってきたマクドナルド、最後に頼りになるのはやはり価格競争ではないか(ちなみに、かの藤田田がインフレ到来を予測した上で値上げに踏み切ったのは完全に間違い。 インフレ=平均すれば皆が値上げせざるを得ない状況下では、コスト抑制により少しでも値上げのタイミングをライバルより遅らせてこそ商機があるというもの)。
牛丼界では300円を切る値段が最前線。 都市部の重複店舗をM diningに切り替えること等によりコストカット(路線が違うので、現在相当程度の規模で起こっているはずの店舗間でのカニバライゼーションの解消による売り上げ増にも効いてこよう)を進め、セット料金で250円を出すことができれば、違った展開が見えてくるのではないか。
(2003-06-15記)
意外に思う人も多いかもしれないが、実は、日本共産党の評判は、霞が関では悪くない。
ちょっと古くなるが、佐々木憲昭による鈴木宗男の追及を思い出してもらえればわかるように、国会での発言がきちんとロジックに立脚しており、センセーショナルな煽りをしない。 おそらく共産党の構成員には高学歴の人間が多く、官僚とバックグラウンドを同じくする部分が多いからだろうが、官僚としては理屈に基づく論戦は望むところであり、好敵手と認めるに足る存在なのだ(多くの場合、見解の相違としか言いようがない議論に終始することとなるが)。
さらに、国会の議員の質問については事前に役所が質問取りをするのだが、それをきちんと早い時間にやってくれるのも共産党だ(この点、ひどい政党もあり、彼らのせいで多くの官僚が質問が入手できるのを無駄に待っていることがある。 これにより必要以上に使われることとなる官僚の残業代、光熱費、タクシー代などは彼ら自身に負担させるべきだと思う)。 他にも、細かい事実の確認は政府参考人=官僚に質問し、大所高所からの政策論を大臣に挑むという点も、他政党に見習ってもらいたいところだ。
こんな共産党であるが、武力革命を目指していたことや、すべての社会悪をアメリカや大企業に帰するといった非現実性もあり、拒否感を示す人も多い。 野党共闘においても相手にされないケースもある。 このままでは、官僚としては残念だが、先細りは免れないだろうと思われていた。
そんな共産党が、第7回中央委員会総会で、党綱領の改定を持ち出した。 中で使われている言葉は相変わらずの共産党節で笑えるところもあるが、その内容については、天皇制や自衛隊の存続を許容するなど、昔の共産党からは考えられないものとなっている。
このまま行けば、そのうちもっと多数を取り、国会でもそれなりの議席を占め、官僚としては喜ばしい事態になってくれるのではないかとの希望も抱かないではない。 しかし、冷静になって考えてみれば、議席を増やせば増やすほど、今のようなインテリに偏った支持ではなくより大衆の支持を求めざるを得ず、悲しいながら今の美点が失われていくことになってしまうのだろう。 まったくもって、官僚とは永遠の少数派なのだ。
(2003-06-22記)
共産党と官僚の意外な相性の良さについて、大事な点を言及するのを忘れていた。 それは、共産党は日本で最も組織化された政党であるということだ。 あくまで組織で仕事をする官僚と考え方が似通い、議論がかみ合いやすいのも当然と言えよう。
(2003-06-29記)
騒ぎが落ち着きかけたところに太田誠一の発言でまた盛り上がったが、この手の事件、別に彼らだけが例外というわけではない。 以前、慶応医学部や帝京ラグビー部でも似たようなことがあったわけで、そのうちまた同じような事件が起こるのだろう。
もっと言えば、この手の犯罪は学生以外でもやる人間は相当いるわけだが、これらの事件に特徴的なのは組織的・継続的であること。 本当かどうかは藪の中であるので固有名詞を挙げるのは避けるが、宗教団体などでも似たような噂が出ることはあり、他方で企業組織などでは、セクハラなどで同様に卑劣な事件はあるのだろうが、あくまでも個人の犯罪にとどまっている。 なんでそのような違いが出てくるかといえば、いわゆるガバナンスが効いていないからだ。
ガバナンスとは何か。 端的に言えば、ある組織があるとして、その関係者によるチェックを通じてその組織の行動を制約することだ。 政府もそうであるし、企業もそうであるが、これらの構成員が組織的にレイプを繰り返しているのを許容するようであれば、間違いなく組織存立の危機に陥る。 従って、仮に不心得な人間がレイプをしたいと思っても、同僚を語らってより効率的に行おうなどとは思いもせず(必ず誰かが反対するであろうから)、あくまで個人で行うこととなろう。
しかし、例えばスーパーフリーの中の人間にそのようなインセンティブがあるだろうか。 個人の良心を捨象すれば、そういった動きが出てきようもない。 あえていうなら、大学側にそのようなインセンティブがあるかどうか。 対応策を見る限り、どうも大したことはなさそうだ。
大学の教員が憤っていることを否定するつもりはないが、本気で再発防止を考えているとは思えない内容だからだ。 大学の自治だのいろいろ言い分はあろうが、今回の事件により早稲田大学の学生が軒並み内定を蹴っ飛ばされ、来年の入試でも志願者が激減し、となれば、そのような悠長なことは言っていられまい。 その意味では、現在の日本社会においては、学生は相当程度甘やかされているし、大学もまたしかりである。 先に記したような社会の反応があれば、当然大学は本気で学生を締め付け、このような事態が起こらないよう本当の対策をとるはず(もちろん、その方がいいかどうかには議論があるのだが)。
そう考えると、まだ学生には善し悪しは別にしても対処方法が残されているわけだが、大学のような社会の圧力にさらされ得る存在がない諸団体(先に掲げた宗教団体もそうだし、NPOなどもこれに入る)へのガバナンスはつくづく難しい。 繰り返しになるが、問題は個人の良心の有無ではなく、自律的に違法行為を抑制する仕組みの有無だからだ。
(2003-06-29記)
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