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writings concerning kasumigaseki issues and others: 2003-01

(2003-02)[9]

2003-01-25更新分
官僚道を歩く「第二歩:『抵抗勢力』って、抵抗してるの?−政策立案の裏表 part 1
霞が関p級グルメ録「おぴっぴ」
膝蓋腱反射「貴乃花引退」
2003-01-18更新分
文系人間のためのテキストサイト用HTML&CSS入門(2)−要素は中身とともにあり。
膝蓋腱反射「大学院入試(大学入試センター試験を見て)」
2003-01-11更新分
官僚道を歩く「第一歩:総論」
文系人間のためのテキストサイト用HTML&CSS入門(1)−初めに要素ありき。
膝蓋腱反射「北朝鮮の核兵器不拡散条約(NPT: Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)脱退」
2003-01-05更新分
新春鼎談2003(続)
書評:日本人はなぜ構造改革をしたいのか−「日本人はなぜ戦争をしたか/昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹著)
膝蓋腱反射「今年の展望」
2003-01-01新規分
オープン宣言「問題はこれだ!」
新春鼎談2003
月旦評第1回:ビル・ゲイツ
膝蓋腱反射「2ちゃんねる名誉毀損訴訟」

2003-01-25更新分

[官僚道を歩く]「第二歩:『抵抗勢力』って、抵抗してるの?−政策立案の裏表 part 1

webmasterがかねてから疑問に思っているのは、とりあえず官僚が抵抗勢力であるとの世評は受け入れるとして(Google「官僚+抵抗」を検索すると35,000件以上ヒットするし)、本当に天下りだとか、癒着の維持を目的として抵抗していると信じられているのかということだ。 だいたい、官僚といってもホモ・サピエンスであることに変わりはない。 それがあたかもまったく別の価値観をもった理解不能な存在として、根絶すべき対象として語られる(「官僚+日本+滅亡」で3,910件とか、「官僚+最悪」で14,600件とか、「官僚+馬鹿」で15,300件とか、・・・もうやめるが(いずれもGoogle))のはなぜだろうか。

単純に、人間金がすべてであって、官僚も金のために仕事をしているのだという考えがあるのかもしれないが、それに対しては、今ではもう古典の領域に入りつつある「マズローの5段階欲求説」のような単純な説でも反論可能であり、世の大勢がそうだというのも信じがたい。 とすれば、先のマズロー仮説のより上位の欲求、要すれば「生きがい」が何かが、霞が関の外からはなかなかわからない(官僚にきつい言い方をすれば、霞が関の外と感覚がずれている)ということなのだろう。

webmasterは霞が関の人間であり、外とどうずれているのかはわからないが、案外コミュニケーションギャップに過ぎず、言えばわかってもらえるのではないかという甘い期待が捨て切れていないようだ。 というわけで、実際の「抵抗」の模様をお届けしてみよう。

官僚組織は行政府、つまり法の執行機関であり、本来、前回でいうところのインプットされる情報は、法の執行のために必要なものである。 例えば、「○○法に違反する者がいました」という情報がその典型。 行政の対応(=情報処理)としては、こうした情報に対して、法の規定に従った処理、例えば取り締まりという行為をアウトプットするということになる。

当然ながら、こうした情報処理の前提は、法の規定が正しい処理の枠組みである(正しいか間違っているかわからなければ、それを執行していいのかどうか判断できない)ということになるので、官僚は現行制度に対してそれが間違っているという考え方は基本的にとらない。 コンピュータに例えれば、プログラムに従って情報処理をするわけで、仮に1+1=3という間違った計算をしたとしても、それはプログラムが間違っているからなのだが、コンピュータは勝手にプログラムが間違っていると判断しない。 プログラミングはコンピュータではなくプログラマの仕事であるように、立法は立法府=国会の仕事なわけで、コンピュータ=行政府はプログラム=法に書いてあるとおりに様々な処理を行うのが本来的な役割だからだ。

こうした法に従った情報処理は、前回の「実現重視」「『国民』無視」「理屈主義」3原則は満たしていると考えられる(法は国会により実現しろと命じられていることなので実現して当然だし、抽象的な国民ではなく国会で具体的な議論を経ているわけだし、立法に至ったのは理屈がとおったからだから)ので、基本的に淡々と右から左に処理していくことが多いが、コンピュータにバグがあるように、処理の結果が問題を起こすことがある。

しかし、人間のやることが完全ではないのは当然で、ある程度の問題が生じることは織り込まれているので、つまりは国会審議などで、そうした問題に対しては答えてしまっている。 例えば、「違反には厳しく対応する(=ゼロにはならないよ)」とか、「この制度はそういう目的ではないので、他の方法で対応します(=制度の見直しはしないよ)」とか、そういった考え方がすでにあることになる。 更にいえば、既に答えがあるということは、この手の問題については担当としてずっと考えているわけで、何かを提案されても、そんなことはとっくに検討して、その上で得策でないと判断してる(だから思いつきでいうなよ)ということにもつながる。

次回は、このあたりの機微について、最近、全省庁横断的に「抵抗」していると報道される、構造改革特別区域を題材に、具体的な話に入っていこう(これならwebmasterがどの役所の人間かわかりづらいだろうし)。

(2003-01-25記)

[霞が関p級グルメ録]「おぴっぴ」

割と堅めのテキストが多い当サイトであるが、webmasterとしても、少し息抜きがしたいので、突然こんなものを始めることにした。 要すれば、官僚がよくとる出前や霞が関界隈の食い物屋について適当に書き散らかすものだ。 なんといっても、pは"pseudo"のpなので。

初回は「おぴっぴ」。 最近話題の讃岐うどん屋で(ちなみに「(お)ぴっぴ」というのは讃岐方言でうどんの幼児語(ご飯を「(お)まんま」というがごとし)だそうで(webmaster注:先ほどのリンク先ではリンクはトップページにとのことなので、ディープリンクしておいてなんだが、あわせてトップページへのリンクも張らせていただく))、霞が関の住人の多くがここの出前のお世話になっているはずだ。

香川県出身ではないwebmasterには、「おぴっぴ」のうどんが本場のものとしてどの程度の評価なのかはわからないが、案外いける味である。 麺は讃岐うどんらしく腰があり、出前が来たときに忙しくてすぐ食べられない場合に、少々の時間であればそれほど伸びないというのも、官僚にとってはポイントが高い。 汁は若干濃いが、パスタでも濃いスープには太いものをあわせるように、太めの讃岐うどんにはよく合っている。

味以外の面で評価すべき点としては、まず注文してから出前が来るまでのスピードが早いこと。 霞が関界隈の出前でも指折りの早さである。 空腹時には、これがうれしい。 もう一つ、値段がそれなりに安いのも人気のもとだろう(東京でも最近よく見かけるようになったうどんスタンドの方が安いが、なにせ「おぴっぴ」は出前してくれる)。

webmasterのおすすめは、「親子」「かやく」「ざる」といったところ。 ただし、讃岐うどんとしては正統なのかもしれないが、麺の一本一本が長いので、「ざる」を食べると結構手が疲れる。 「ざる」だけでいいので、半分に切ったりしてくれるとうれしい。

「おぴっぴ」の評価(各項目最高5点、合計20点満点)
値段 その他 合計
そこそこいける。4点 それなりに安い。4点 普通。3点 出前が早い。5点 結構いい店。16点

「おぴっぴ」、港区西新橋1-20-11 弁護士ビル隣り、03(3501)2569

(2003-01-25記)

[膝蓋腱反射]「貴乃花引退」

横綱貴乃花が引退した。 引退自体は貴乃花自身の生き方の問題であり、他人がとやかく言う問題ではあるまい。 引退会見での貴乃花の表情を見れば、他人はとかく「ればたら」(けがが治るまで休んでいれば、とか)を言いたがるものだが、彼自身にとって納得のいく結論であるように見え、これも一つの結論としてよかったのだろう。

だが、貴乃花のいない角界の未来は、決して明るいものではない。 貴乃花引退関連報道のすべてが、ただでさえ凋落傾向にある相撲人気が、これによりさらに落ち込むことは避けられないことを示している。

相撲とは何かを語れば、語る人の数だけ説があり、格闘技とも伝統文化とも捉えられるのだが、一つだけ確かなことは、客から金をもらって成立している事業であるということだ。 逆に言えば、客から見向きされなくなり、金を稼げなくなれば、相撲は存続できない。 貴乃花のように、土俵人生の前半は理想の家庭の体現者として人気を集め、後半は家庭の不幸を一身に背負った悲劇の人として判官贔屓で人気を集める(むろん、彼の力士としての完成度が合ってのことだが)存在をあてにするのではなく、それこそ「構造改革」を図り、相撲自体の人気を再興しなければならないはずだ。

相撲が不人気な理由にも諸説あるが、最大公約数的なところでは、「大柄な力士の突き押しや寄り切りによる勝負が増えて、大味」「けがが多く、見たい力士がよく休場する」「外国人力士に比べると、日本人力士の活躍が見られない」といったところだろう。 そうなった理由として「稽古不足」「ハングリー精神の欠如」などが言われているが、本質的には、力士が進化したことが大きい。 相撲という競技、つまりは非常に狭い土俵で勝負が行われ、しかもそこから出たら負けで、さらにはブレイクがない(水入りは別だが)というルールの競技では、明らかにより大きく、突き押しや寄り切りで勝負する方が有利であり、力士の大型化・勝負手の収束は力士が正しくルールに適応している証拠だ(ボブ・サップアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラアーネスト・ホーストが土俵で戦う姿を想像してみて欲しい。ノゲイラやホーストにとって、土俵の上ではどう考えても勝機がないだろう)。 大型化した力士が正面からぶつかり合えば、当然、けがの危険性も高まる。

とすれば、「構造改革」の方向性は明らかで、簡単に言えば軽量力士に有利なようにルール改正すればよい。 といっても、例えば階級制や体重に応じた明示的ハンディキャップの導入では却って人気が下がってしまうであろう。 webmasterの考えでは、「土俵をもう少し広くする」「仕切り線をもう少し離す」「徳俵をもう少し高くする」(具体的にどの程度かはもっと相撲に詳しい人に任せるが)といったあたりが適当と思われる。 これなら、それほど違和感なく、多くの人が見ておもしろいと感じられる勝負内容に変わっていくのではないか。

もう一つ言えば、年間の場所数を減らす(昔のように年4場所とか)なり、年6場所は譲れないなら1場所当たりの取組数を減らす(1場所9番にするとか)ことも考えるべきではないか。 「サイゾー」2月号に、けがの増加はガチンコが増えたからだという記事が載っていた(奇しくも貴乃花引退の予想を的中させていた)が、今の年間取組数が真剣勝負には多すぎるという意見は妥当だろう。

webmasterの知人が、(違うスポーツの話だが)無理をした結果けがをするのは運命であって、無理を承知で挑む先にしか真の成功はないと言っていたことがある。 うなずけるところはあるのだが、無理をするなら再起不能となりかねない(どころか命取りになりかねない)けがをするような無理に挑むのではなく、対戦相手の研究や基礎的な身体能力の向上といった面で無理に挑むことが各力士のためであり、ひいては角界の繁栄につながるのではないか。

(2003-01-25記)

2003-01-18更新分

[文系人間のためのテキストサイト用HTML&CSS入門](2)−要素は中身とともにあり。

最初にお断りを2つ。 まず、前回、今回のサブタイトルを予告しましたが、ちょっと変更。 次に、この連載はじっくりと基本的な考え方から説明していて、急がば回れでこのやり方が結局はわかりやすいと思うからそうしているのだが、手っ取り早くHTMLについての知識を得てみたい人のために、この連載の付録として「HTMLを始めてみよう」という参考ページを別に作ってみた。 といっても、webmasterのオリジナルではなく、もともとはHTMLの生みの親W3C(World Wide Web Consortium)のサイトに掲載されている"Getting Started with HTML"というページで、それを訳したものだ。 もしよかったらそちらも読んでみて欲しい。

前置きはこのくらいで、今回の話題に移ろう。 今回は、要素って何、というのがお題。

結論から言うと、要素とは構造の位置づけのことだ(そもそも、HTMLのM = markup(マーク付け)とは、HTMLにより表現される中身について、マーク(HTMLで言えば「タグ」)を付けて要素=(マークを付けた部分の中身内での)構造における位置づけは何かを明らかにする、ということを指している)。 さっそく、具体例を出してみよう。 元ネタは、首相官邸サイトから引っ張ってきた、日ロ首脳会談(2003-01-10)後の「日露行動計画の採択に関する共同声明」の概要と、「日露行動計画」の概要だ。

中身

日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明(骨子)
国際の平和と安全の強化、国際的なテロリズム問題を始めとするグローバルな問題の解決のために協力する。
(中略)
日露協力の飛躍的かつ全面的な発展を確保するために具体的施策を採ることの重要性を強調して、附属する日露行動計画を採択するとともに、本行動計画を着実に実現していくために共同作業を行う。

「日露行動計画」(骨子)
1.政治対話の深化:「重層的かつ全面的な対話の推進」
・首脳間の定期的な交流を定着。閣僚レベルの接触の拡大(外相間の緊密な接触、国防担当大臣の相互訪問、貿易経済政府間委員会の開催等)。議会・議員間の交流の拡大を支援。
(中略)
6.文化・国民間交流の進展:「相互理解と友好の深化のために」
・「ロシアにおける日本文化フェスティバル2003」における協力の緊密化。
・青年交流の充実。
・第3回日露フォーラムの実施に向けた協力。
・人的交流拡大のための環境整備。

マーク付け後

!ここから「文書」-
!ここから「声明」-
!ここから「題名」-

日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明(骨子)
-「題名」はここまで!
!ここから「本文」-

国際の平和と安全の強化、国際的なテロリズム問題を始めとするグローバルな問題の解決のために協力する。
(中略)
日露協力の飛躍的かつ全面的な発展を確保するために具体的施策を採ることの重要性を強調して、附属する日露行動計画を採択するとともに、本行動計画を着実に実現していくために共同作業を行う。
-「本文」はここまで!
-「声明」はここまで!

!ここから「計画」-
!ここから「題名」-

「日露行動計画」(骨子)
-「題名」はここまで!
!ここから「項目名」-

1.政治対話の深化:「重層的かつ全面的な対話の推進」
-「項目名」はここまで!
!ここから「項目内容」-

・首脳間の定期的な交流を定着。閣僚レベルの接触の拡大(外相間の緊密な接触、国防担当大臣の相互訪問、貿易経済政府間委員会の開催等)。議会・議員間の交流の拡大を支援。
-「項目内容」はここまで!
(中略)
!ここから「項目名」-
6.文化・国民間交流の進展:「相互理解と友好の深化のために」
-「項目名」はここまで!
!ここから「項目内容」-

・「ロシアにおける日本文化フェスティバル2003」における協力の緊密化。
・青年交流の充実。
・第3回日露フォーラムの実施に向けた協力。
・人的交流拡大のための環境整備。
-「項目内容」はここまで!
-「計画」はここまで!
-「文書」はここまで!

HTMLを知っている人はずいぶん驚いただろう(笑)。 「なんだこれは!」と。 見慣れたタグがない代わりに、わけのわからない注釈のようなものがいっぱい書き込んであるし。 しかし、マーク付けをする=要素を明示するということは、こういうことなのだ。 HTMLとは全然違う、というのは、マーク付けの方法が異なっているので外見が異なるだけで、上記のマーク付けは本質的にはHTMLのマーク付けと同じことをしているのだ。

どう読めばいいのかについて、といっても見たまんまだが、一応解説しておくと、上記の例では、"!ここから「」-"というマークで要素の開始を表し、"-「」はここまで!"というマークで要素の終了を表し、"「」"で挟まれている部分がその要素が何かを表す(それが何かはご覧の通りだ)、というマーク付けをしている。 HTML風に書くとすれば、例えば"「日露行動計画」(骨子)"のマーク付けは、<題名>「日露行動計画」(骨子)</題名>ということになる(なぜそう書かなかったというと、建前はHTMLのタグからできるだけ離れてもらう方が要素とは何かがわかってもらえるのでは、ということで、本音は文字実体参照("<"とか">"といった一定の文字について、&xx;といった形で記述すること)が面倒だから(笑))。

上記の例を見ればわかるように、それぞれの要素は、中身の構造においてそれぞれが当てはまっている位置づけを示している。 それが題名という位置づけに当てはまるのなら題名要素だし、項目名という位置づけに当てはまるのなら項目名要素。 だから、なんらかの表現する中身を作った場合、要素はその中に必然的に含まれているものだ(少なくとも何らかの構造をもった中身ならね)。 紙に書かれた普通の文書なら、それがどんな構造になっているかは、そこは人間同士ということで暗黙の了解があって、いちいち「これは題名で、これは本文で、・・・」と説明しなくても、文書の中身のそれぞれがどのような位置づけ=要素なのかはわかる。

しかし、HTMLを「読む」のは、人間じゃない。 ブラウザに表示されたHTMLを読んでいる、といいたい人もいるかもしれないが、それはHTMLを読んでいるんじゃなくて、HTMLをブラウザが読んで解釈し、「この要素はこうやって表示する(例えば見出しのh1要素は字を大きくする、とか)」と処理した結果の表示を読んでいるだけだ。 結局、HTMLを書くということは、表現する中身について、ブラウザなど(正確にはHTMLパーサ)が読めるよう、人間なら言わなくてもわかる文書の構造的位置づけ=要素を逐一明示していくということなのだ。

というわけで、今回はここまで。次回は「要素は中身なりき」だ。

(2003-01-18記)

[膝蓋腱反射]「大学院入試(大学入試センター試験を見て)」

今日明日は大学入試センター試験、ということで、高校生や浪人生の方々は頑張っていることだろう。 最近は「受験戦争」なんて言葉も聞かれず、むしろ「ゆとり教育」をめぐって論争が繰り広げられているわけだが、センター試験というのは、そのレベルといい、全国どこでも受験できるというインフラの整備具合といい、なかなか見所のある制度といえるのではないか。

翻ってみるに、大学院の入試はどうだろうか。 日本の場合、どうして大学を出るときの統一試験がないのだろう。 アメリカ留学をした人ならご存知の通り(アメリカじゃなくても使われていることがあるからその他の国での留学でもわかるかもしれないけど)、あちらでは、大学院に入ろうとすれば、GRE(学部によってはGMATLSAT)といった試験を受ける必要がある(日本でも、今度設立される法科大学院(いわゆる日本版ロースクール)の入学には統一試験が必要とされるらしいが、どうも一般知識・知能を試すものであって、各校ごとに2次試験を実施するらしいし)。 そういった、大学卒業者のための試験があると、日本の高等教育にあるとされる問題の解消に、案外役立つのではないだろうか。

まず、特定の大学(よくいわれるのはうちの業界も含め東京大学ってことでしょうが)がもてはやされているといわれることの問題がなくなるだろう。 つまり、仮に東京大学が理由なく優遇されているのであれば、統一試験の実施によりその手の不合理な優遇は遠からずなくなるだろう。 逆に、東京大学出身者は平均すれば他大学の人間より優秀であるが故に優遇されているのであれば、妙な嫉妬をされずにすむことになる。 だいだい今だって高校なら、一部の高校が大学進学で好成績(俗に言う「いい大学」にたくさん合格者を出しているという意味で)をあげているけど、それに対して妙なやっかみや、ずるしているのではといった疑いはもたれていないわけだし。

次に、大学院の間での競争が促進されるだろう。 大学院の入試は、大学の入試に比べればはるかに閉鎖的であり、大学院間での比較は難しい。 したがって、研究などで優れた業績をあげている大学院であっても、外部からはなかなかいい学生が集まりにくいことは否定しがたい(今の日本の大学院は内部進学者が妙に多いわけだし・・・)。 統一試験の導入により、予備校の関与も期待でき(学士がこれだけありふれてきているなか、中長期的には修士・博士のニーズが高まり、予備校も大学院入試で稼げるようになるはず)、各大学院が自分の大学の学部生を囲い込むようなことも少なくなっていくだろう。

さらにいえば、外国から日本の大学院に来ることがもっと容易になって(まあ、講義が日本語という難点はあるが)、その面からのレベルの向上も期待できるのではないか。

もちろん、大学院がより優れた研究・教育機関となるためには、そこにいる人間が向上していくことが不可欠だし、入試さえどうにかすればいいという問題ではないのは事実だ。 しかし、入試の段階で不合理な障壁があれば、それが理由で生かせない才能が出てきかねない。 長い目で見て研究・教育水準を引き上げることが必須であるとしても、短期的に変えることが可能であり、しかもたいしてコストがかかるわけでもない入試改革、試してみる価値はあると思うのだが。

(2003-01-18記)

2003-01-11更新分

[官僚道を歩く]「第一歩:総論」

官僚が実際のところどんな仕事をしているのか、その本質は何なのか、案外知っている人は少ない(霞が関の住人を含め、だ)。 ここでは、webmasterの理解するところを示して、

官僚道を極めてもらおうという企画である。 第一歩目は「総論」、つまり、省庁にかかわらない、霞が関全体の普遍的枠組みを論じてみよう。

官僚はどのような仕事をしているのか(官庁営繕のような現業は除く)。 抽象化すれば、情報処理である。 霞が関には、国民各層、所管業界、各種のメディア、国会議員や外国当局、国際機関といった関係者から、質問や意見、要望、陳情、脅迫(笑)などの形でいろいろな情報がインプットされる(ここでいう情報ってのは、普通に使う意味での「情報」ってのとはちょっと違う。 例えば、官僚のやることが不評を買って建物にペンキをぶっかけられるなんてことがある。 これは普通情報とは言わないかもしれないが、そういう行動があったということ自体が、ここで言う情報(むしろ、医学や生物学などでいう「刺激」(stimuli)と表現した方がいいのかな)である)。 そのように入ってきた情報に対して、何がしかのアウトプットを出す、例えば法案を作るとか、反論するとか、無視するとか(相手にしないというのもアウトプットの一種だ)、そういったことをするというのが官僚の仕事である。

ならば、そのインプットとアウトプットの間では、どのような処理が行われているのか。 具体的な話は次回以降するとして、この処理の枠組みを示すとすれば、「実現重視」「『国民』無視」「理屈主義」の三原則に照らして処理がされていると言ってよい。

「実現重視」とは、官僚にとって、何らかの政策を立案する場合には、それが実現するということが、極めて重要であるということ。 何かをしたいとして、それが世論受けが悪いとか、与党が反対しているといった理由で、そのままでは実現しがたいものである場合には、基本的に官僚は実現できるよういくらでも修正する。 仮に原案は自分の評価が100点だったとして、そうした修正をすることにより自己評価が50点に下がっても、実現しない100点は0点と同じであるから、実現する50点の方がましと考えるのだ。

「『国民』無視」とは、あえて議論を呼びそうな表現にしているのだが、無視も何も、「国民」なんていう中身のない存在は相手にしたくてもできないということ。 中身がないというのは、どこかに「国民」というものがいて、それに「どうなんでしょうか」とお伺いを立てることは不可能ってことのたとえ。 だって、日本国民ってのは佐藤さんとか鈴木さんとか、名前も違えば年齢も違えば職業も違えば・・・っていう一人一人が1億人以上集まったものの総称に過ぎないわけで、メディアなどで「今回の政府の判断は国民の意向を無視したもの」などと言われても、「『国民』って誰よ。ここに連れてこいよ」と思うだけだ。

結局のところ、官僚がやったことについて「国民」がどう受け止めているかを知る手段というのは、取材に来た記者の○○さん、説明に行った先の国会議員の××さん、苦情の電話をかけてきた□□さん、・・・といった、自分たちがじかに接することができるごく限られた人たちの反応しかない。 1億2,000万余りの国民すべてに聞くことができない以上、そして、まったく知識や興味がない人に聞いても仕方がない以上、官僚にできることは、「この人の意見なら信用できる」という人にできるだけ多く知り合って、その人たちの意見を聞くことしかないのだ。

「理屈主義」とは、今の日本で問答無用で正しい政策なんてものはなく、どんな政策であっても批判・反対がでることは避けられず、また、例えばスポーツ選手や営業担当者の成績のように、数値で議論の余地のない結果がでる政策もないので、何か政策を実現するときは、それをどのように説明すればより反対が少なく、円滑に可能となるのかを重視するということ。 ここで理屈というのは、理論という言葉はあえて使っていないわけで、学問の世界における理論ほど体系化されたものではなく、納得してもらう筋道、仕方がないとあきらめてもらうための物語と考えてもらうのが一番わかりやすいと思う。

その中で感情に訴えることも必要だが、それだけでは例えば自分の言葉の中で矛盾が出たりしてしまい、そうなれば同じ感情を共有しない人にとって説得力はなくなってしまう。 かといって、精緻な理論体系として主張を組み立てても、官僚のやることは得てして社会のさまざまな人々を相手にしていて、学会で議論を戦わせる学者ではないので、「世の中ってのはそんなきれいごとじゃないんだよ」という人が社会の中にそれなりにいる以上、「理論的にはこうなるはずですから」で許してもらえる機会は非常に少ない。 そのあたりのバランスを考えながら、いかに多くの人に、積極的な賛成が得られるのが理想ではあるけれど、「まあいいでしょう」と受け入れてもらえるような説明が可能となるかを、官僚は常に追求しているのだ。

では、この三原則が実際にどのように機能するのか。 次回以降、各論の具体例を順次取り上げつつさらに掘り下げていく予定。 現時点では、

といったあたりを紹介しようと考えている。

(2003-01-11記)

[文系人間のためのテキストサイト用HTML&CSS入門](1)−初めに要素ありき。

webmasterが当サイトの作成に取りかかったのは約2ヶ月前。 最初は、とあるフリーのHTMLオーサリングツール(いわゆる「WYSIWYG(What You See Is What You Get)タイプのHTMLエディタ」)を使っていたのだが、そのうちオーサリングツールでは思い通りにならないところについて微修正がしたくなり、仕方がないのでネット上の各種解説などを見ながらテキストエディタでソースを直接触りだして、今に至っている。 立ち上げが終わった今となっては、毎回の更新時にコンテンツを追加していくだけだから、このままではせっかく覚えたHTML関連の知識を忘れかねないので、このあたりでwebmaster自身の頭をもう一度整理し、一からまとめてみよう、それが誰かの役に立つのならラッキー、というのが本企画の趣旨である。

ネット上にはいろいろとすばらしいHTML入門があり(例えば神崎正英氏による「30分間HTML入門」)、上記のように素人同然のキャリアしかないwebmasterごときがこのようなものをあえて書くのもどうかも思う。 しかし、素人同然の、しかも文系人間("about"参照)であるwebmasterが書くからこそ、より低い目線から、よりかみ砕いて、より初歩的なところからの説明が可能となる(かもしれない)、という差別化を狙ってみた。 ネット上のリソースは競合性がない(webmasterがHTML入門を公開したからといって、ほかのHTML入門が閉鎖されるわけではない。まあ、トラフィックの問題はあるから、厳密な意味で競合性がないわけではないが)ので、もしHTMLやCSSがよくわからない、という人がいれば、webmasterなりの理解を試して欲しい(あと、間違いがあったら教えて欲しい(笑))。

なお、次のような文章にする予定なので、以後読み進めるべきか否かのご参考に。

テキストエディタでHTML文書を作成することを前提とする。
上記のように、webmasterは今そのように作業をしているので、これしか書けないのが実態(いわゆるタグ挿入型のHTMLエディタには応用可能なものが多いが)。 ただ、オーサリングツールでサイトを作っている人がそのことに不満を持っていないのであれば、HTML入門を読む必要はないのではないか。 やりたいことができているのであれば、HTML入門を読んでいる時間があれば、サイト内容の充実に使った方がよいとwebmasterは考える。
HTML4.01 strictを前提とする。
テキストエディタでHTML文書を書こうとする人であれば"HTML4.01 strict"とは何か知っていると思うが、一応念のために簡単に説明すると、最新のHTML規格(=4.01)は2種類に分かれていて、1つがstrict、もう1つがtransitional(本当はフレームを使う場合のframesetを入れて3種類だが、以下の文脈ではtransitionalと同じものとして取扱ってかまわないので、2種類とみなす)。 strictとは規格からの逸脱を許さない厳正さのことで、transitionalは過渡的のことだが、つまり"HTML4.01 strict"とは、本来HTMLにそぐわないものの、かつては経緯などもあって認められていた部分について、その使用を不適切であるとしたものである(逆に、これまでは認めていたんだから今更ダメとは言わないよ、というのが"HTML4.01 transitional")。
で、双方とも正式な現行規格なのでどちらを使ってもいいのだが、仮に、後々HTMLについて大きな変化(例えばメジャーなブラウザが次世代HTMLであるXHTML(Extensible HyperText Markup Language)にしか対応しなくなるとか)があった場合、より簡単に対応可能なのはstrictだから、webmasterstrictなHTML文書を作成している。
テキストをメインとするサイトにとって必要最小限の事項のみを取り扱う。
例えばフレーム関連の要素やJavaScriptなど、webmasterが当サイトの作成にあたって使わなかった要素や技術については、当然ながら対象としない(というか、できない)。 つまり、当サイトのようにひたすらテキストが詰まったサイトを作りたいという人にとってはそれなりに有益なものとなるだろうが、それでは満足できない、もっとほかのことがしたいという人にとって実用的なものとして役立つような話は、残念ながら出てこない(考え方の整理には役立つとは自負しているが)。

さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、ここから本題。 今回しっかり理解してもらいたいのは、副題にある「初めに要素ありき」(少し今後のネタを明かせば、次回は「要素は・・・と共にあり。要素は・・・なりき」 さあ、「・・・」とはなんでしょう?)。 なんで「初めに要素ありき」なのか、わかりやすいたとえは、音楽。

あるとき、すばらしいメロディが頭の中に浮かんだとして、それをどうやって人に伝えるか。 何回か口ずさんでみて(楽器で演奏してもいいのだが)覚えて人に会ったら歌ってみせるとか、そうやって歌ったりしたものをテープやMDに録音して聞かせるとか、コンピュータで音楽をしている人ならMIDIデータにして(歌ったものをmp3ファイルに変換したっていいんだけど)ネットで公開するとか、いろいろな方法がある。 そんな中で、とってもメジャーな方法は何かといえば、それは楽譜に記述することだ。 実は、これはHTML文書の作成と本質的に同じ行為である(ってなことを誰かが思いついているかどうか調べてみたら、「HTMLに似せた楽譜記譜法MHTML」なんてものがありました。まあ、そんな新しい言語を考えなくてもXML(Extensible Markup Language)で同じことができるはず(MusicXMLがそれに該当するのかどうかはよく知らないが))。

楽譜にメロディを記述するときには一定の決まりがあって、それに従って音符などを書いていかなければならない。 勝手な記号などを書いても意味がなく、頭の中のメロディを各種の音符や休符、強弱記号などの一定の記号を用いて書かなければ、それを見た人は、この楽譜はどのようなメロディを表しているのかがわからない。 共通のルール、書式に従ってメロディが表現されているからこそ、楽譜の読み方を知っている人が見れば、メロディを再現することが可能となっている。 HTMLにとっての要素は、楽譜(の記述方法)にとっての音符や休符、強弱記号などに当たる。 楽譜がそれらの記号の組み合わせでメロディを記述するように、HTML文書は、その中に含まれる要素の組み合わせで、テキストや画像、音楽といった、作成者が表現したいものごとを記述するものなのだ。

逆に言えば、HTML文書は要素しか記述できない。 あなたが表現したい何かがあるとして、それをウェブでの公開という形で表現するのであれば、楽譜でメロディを記述するときに必ず五線紙と音符などの組み合わせだけで記述しなければならないように、必ず要素の組み合わせだけで記述しなければならないのだ。 それがいやなら、HTML文書による公開=ウェブでの公開はあきらめ、なにか別の手段を探す必要がある。

これが、「初めに要素ありき」ということだ。 HTMLを知るということはこのこと、すなわちHTMLとはあなたの表現したい何かを要素の組み合わせで記述する言語であることを知るということであり、HTML文書の作成方法を知るということは、あなたが表現したい何かはどのような要素に当てはまるもので、その要素はどのように記述すべきものなのかを知ることなのである。

というわけで、今回はここまでとして、次回からはもっと具体的な話に移るが、一つお断りを。 冒頭に書いたように、webmasterは当サイトを作成しながらHTMLやCSSを勉強していったので、初期に書いたソースには、次回以降の話で否定しているようなものがある。 本来、偉そうに「HTML&CSS入門」を書くのであれば、そういった部分は率先してすべて訂正すべきだとは思うが、そこは目をつぶっていただき、当サイトのソースを見て信頼できないと判断するのはちょっと待っていただきたい。 見放すのであれば、次回以降の文章を見て、やっぱり信頼できないというときにしてもらえれば幸いである。

(2003-01-11記)

[膝蓋腱反射]「北朝鮮の核兵器不拡散条約(NPT: Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)脱退」

中東と並んで世界の安保関係者が注目している朝鮮半島で、また新たな動きがあった。 北朝鮮がNPTを脱退した。

一見、今後に何の展望もない無謀な行動に見える。 クリントン政権ならいざしらず、ブッシュ政権が今後NPT体制への復帰の見返りに何らかの譲歩をするとは考えられないし、当然日本だって、これを受けて世論が硬化するのは間違いない。 現在北朝鮮に対して好意的であり、新政権が「太陽政策」の継続を主張している韓国にしても、アメリカと断交して北朝鮮と運命を共にするなどという判断をするはずもなく、ここまでアメリカに楯突く行為をした以上、韓国のサポートももはや期待できない。 ロシアや中国だって同じこと、アメリカと本気で対立する気などない(少なくとも北朝鮮問題では)。 北朝鮮は、これで全世界から孤立の道を選んだことになる。 もちろん、北朝鮮など、このままアメリカとの関係を悪化させ、最終的に戦争に至ればひとたまりもない。

とすれば、なぜ北朝鮮はNPTを脱退したのか。 金正日以下、北朝鮮指導部が全員主体思想に染まったあげく(いや、染まっているのは間違いないが)、客観情勢が判断できなくなっているとすれば話は早いが、そうではあるまい。 少なくとも、これまでの核兵器を巡る外交はそれなりの成果を上げており、これといった大きな失敗はない。 最近になって急にボケてきたとか、そういった可能性がないわけではないが、無視し得る確率だろう。

ここしばらくの北朝鮮の行動を、戦前の日本にたとえる(今回のNPT脱退は、さしずめ国際連盟脱退に擬せられるだろう)向きがあるが、案外真相はそこにあるのではないか。 すなわち、国内事情故にそうせざるを得なかったのではないか、ということである。 近衛文麿や東条英機、更に言えば昭和天皇は、欧米からはヒトラー同様の独裁者に見えていたのかもしれないが、実際は国内世論に振り回されるがままで開戦を止めることなど全く出来なかったように、金正日も、実は独裁者ではない、という可能性がある。 反体制分子を抹殺するとか、そういったことが可能という意味では独裁者だが、それも世論(なんてものはないだろうが、国民の多くが向いている方向)に従っていればこそであって、それを180度ひっくり返した上でなお政権が維持できるような存在ではないのかも、ということだ(そうであれば、実はフセインと一緒だ)。

対外強硬路線を振りかざしてきた結果として、求心力としての敵国アメリカに対する敵愾心をコントロールできない状態になっているとすれば、思いのほか北朝鮮の崩壊は近いのかもしれない。 アメリカとのチキンゲームに耐えられなくなり、融和路線に転じたところで国内から倒されるのか、最後まで強硬路線を貫いたあげく勝ち目のない戦争に突入していくのか。 出来得れば前者であって欲しいものだが、そうなったとしても、秩序ある政権交代が不可能なのは間違いなく、北朝鮮はカオスに包まれることになろう(226事件がクーデター側の勝利に終わった場合の日本を想像されたし)。

(2003-01-11記)

2003-01-05更新分

[新春鼎談]2003(続)

前回をご覧の上、お読みください。)

2号:さぁ、1週間も待ったのだから、どこが悪かったのかとっとと教えてくださいよ。

主任:というか、1週間経ったのだから、どこが間違っていたか気づきましたということにはならんのかい。

1号:主任も、人情の機微とか、そういったものがわかってないんですね。 2号の性格を考えれば、この1週間は主任からこう言われたらこう言い返してやろう、なんてことを考えてたに決まってるじゃないですか。

主任:本当?

2号:ええ。そのとおりです。どこが間違ってると思ってるのかはっきりさせてください。

主任:面倒だなぁ・・・。 輸出増ってのは政策対応なのかよ。 アメリカやヨーロッパが農業でやってるような、輸出補助金をくっつけて輸出増やすようなことやって、それで需給ギャップが解消するとでも思ってるのか?

2号:輸出増といえば、為替レートを引き下げの方向にずらすことに・・・。

主任:決まってない。輸出補助金は為替レートを引き下げるとでも言うのか? それに、前回1号が言っていたが、外国の景気が良くなった結果として輸出が増えることだってある。 「輸出増」が政策対応ってのは、特にそれが為替レートの引き下げを念頭においているなら、過程と結果を混同してるんだよ。

1号:頭の中に描いていた政策対応はずれていなかったんだから、新人をそこまでいじめなくてもいいでしょう。

主任:いじめじゃあない。 教育だ、教育。

2号:そうですよ。 いじめられただなんて思ってませんから。

後で、「主任がきついこと言ったからやめる」なんてことになったら私が雑用から解放されないんだから、そう言った以上は何言われても泣きつかないでよ!

主任:いじめてるのはどっちなんだか・・・。

1号:何かおっしゃりました?

主任:いや、別に・・・。 それより議論を先に進めよう。 前回若干触れたことではあるが、現在日銀は本来やるべき規模での金融緩和をしていないという意味において金融を引き締めている。 購買力平価(為替レートは物価水準によって決まる)、金利平価(為替レートは金利水準によって決まる)、いずれの立場にせよ、金融政策が引き締め傾向であれば為替レートは円高に振れる。

2号:だから、このままでは外需も伸びないから需給ギャップは解消のしようがない。

1号:一応付け足しておくと、名目GDP(Gross Domestic Product, 国内総生産)成長率が長期金利を下回っている現在、政府収入≒税収はに比例して、国債残高が長期金利に比例して増えていくため、このままでは国債残高が発散せざるを得ないことを考えれば、前回2号が内需拡大のための政策対応として例示した減税や財政支出の拡大=国債残高の増加が中長期的に望ましくないことは明らか。 現政権のようにデフレ下で緊縮財政というのは馬鹿げている(サッチャー政権やレーガン政権の例を引いて緊縮財政を正当化する向きもあるけど、インフレに苦しみ供給過少だった状況に対応した政策を、デフレに苦しみ供給過剰な状況に当てはめるのはいったいどうなんでしょう?)けど、カンフル剤的に減税や財政支出拡大を行うとしても、中長期的には持続可能ではないのだから、財政・金融のポリシーミックスを考える際には、どうしても金融政策に傾斜せざるを得ないということになります。

主任:じゃあ、その調子で不良債権処理礼賛派にも一言。

1号:不良債権処理で景気回復という意見は、「ゾンビ企業に死を」といった感情的意見を除くとして、経済学的には供給を減らして需給ギャップを解消しようというもの。 今の需要に見合うレベルまで供給を落とせば、今よりももっと高い失業率が経済構造に組み込まれ、恒常的なものになってしまうのだから論外でしょう。

2号:だいたい、「供給は需要を生み出す」セーの法則を誤解して批判する人間がいるからこまったもの。 供給=所得なんだから、供給を減らせばさらに需要が減ることぐらい自明でしょう。

主任:訳知り顔で「今はもう需要が満たされているから、これからは経済成長だけを追い求める時代ではない」なんて言う輩が跋扈してるからな。 本当に需要が満たされてるなら、何でモノに値段の差がつくのだ。 市場の需要が全て満たされているのなら、これ以上はどれだけ金を払ってもモノはいりませんということだから、全てのモノの価格はただにならなきゃおかしい。 例えば、発泡酒を飲んでいるのは、ビールの味より発泡酒の味が好きだからじゃなく、発泡酒が安いからに決まってる。 ここだけ見たって、本来ビールを飲みたいのに発泡酒で我慢しているという満たされない需要があるというのに。

1号:今年の日本経済を左右するのが金融政策であるとすれば、やはり焦点は次期日銀総裁人事ですね。

主任:本来、日銀総裁の任期は5年もあるんだから、現状への対応方針だけで決めるのは危険なんだがな・・・。

2号:といっても、現総裁は、根っこは金融政策における更なる金融緩和への後ろ向きの姿勢と同じだけど、「円は品格のある通貨であるべき」とか言ってますし。 それでアジアを円圏にして円をアジアの基軸通貨にしようって、マンデルの最適通貨圏理論ぐらい勉強しないとね。 今、イギリスが何でユーロに参加していないって、ポンドへの愛着云々もあるけど、経済的には金融政策の自由度・独自性が失われることへの抵抗感なんですから。 イギリスとヨーロッパ大陸諸国以上に、日本と他のアジア諸国は経済の動向が連動していないんだから、円圏を作って金融政策の自由度・独立性をみんなで放棄するなんて絵空事もいいとこ。 とにかく、誰がなっても現総裁よりはましでしょう。

1号:新しい日銀総裁が金融緩和派で、今以上の金融緩和が実施されれば、一つにはこれまで論じてきたような外需の拡大があるし、それに加えてインフレ期待が醸成されれば、これまで賃金の下方硬直性や名目金利のゼロ下限でゆがんでいた市場における資源配分が、インフレに伴う個別の価格上昇や金利上昇におけるスピードの差という形で正しく機能するようになるわけだから、その分内需の拡大も見込まれるでしょう。

2号:逆に言えば、新しい日銀総裁の下でも、なお日銀が金融引き締めを継続するような事態になれば、本当に外需だけが頼りになりますね。 外需というとよくアメリカの景気が話題になるけど、昨年前半の景気回復は結構アジア諸国向け輸出の寄与度が高かったから、アジア諸国の経済情勢が悪くなれば最後の頼みの綱が切れちゃいますね。

主任:まあ、今年はそれ以外にも自民党総裁選があるから、日銀に対してもっと毅然とした態度でものが言える政治家が首相になるチャンスもあるし、もちろん小泉首相がそうなってくれてもいい。 自国経済が完全に外国頼みというのも情けない話だしな。 とにかく金融政策が今年の日本経済のキーポイント。それ以外は、特殊法人がどうなろうが、経済特区がどうなろうが、産業再生機構が成功しようがしまいが些細な話。

1号:それでは結論が出たようですので、このあたりで2003年新春鼎談、お開きにしたいと思います。

(2003-01-05記)

[書評]:日本人はなぜ構造改革をしたいのか−「日本人はなぜ戦争をしたか/昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹著)

一読したときの正直な感想は、なぜ肝心なところが書かれていないのかというものだった。 本書で示されているような、開戦直前の時期に各省庁や日銀、企業の人間を集めて模擬内閣を作り、日米戦争のシミュレーションを行ったという事実こそ知らなかった。 しかし、開戦直前に(後知恵でなく)日米もし戦わば敗戦の可能性が極めて高いということは十分に予測可能であったことは知っていたし、にもかかわらず、東条英機が、彼自身は昭和天皇の信認も篤く、天皇の出来得れば戦争は避けたいとの願いに一個人としては応えたいと思いはしたものの、最終的には彼が開戦の上奏をせざるを得なかったことも知っていた。

webmasterが当サイトの書評で最初に取り上げようと思い本書を手に取った理由は、上記のようなシミュレーションが行われた以上、その当事者はwebmaster"about"に示したような、時代の流れに対するドンキホーテ的な反感を抱いていたのかどうか、抱いていたとすれば開戦に至る中でそれをどうまぎらわせたのか、抱いていなかったとすればなぜなのか、それが知りたかったからだった。 だが、それは、本書では触れられていない。

読み返してみても、著者がそこに触れていない理由はわからない。 が、今は、仮に触れようとしてもそこは空だったのだろうというとりあえずの結論に至っている(著者がwebmasterと同様の意識であれば、空であったとの記述があってしかるべきなので、触れようとしなかった(意図的にそうしたのか、見過ごしていたのかは不明だが)のは事実であろうが)。 つまり、模擬内閣の構成員にとって、自分の意見が取り入れられないということは、他の仕事と同様、組織の中で自分の意見が通らないというよくある事態の一つに過ぎないのであって、反感を抱くなんてことはないのは当然のこと(上司に対して「よくわかっちゃいないんだよな」といった感情が湧くには湧いただろうが)、なぜ反感を抱かなかったのだろうかといった疑問すら持たなかったということではないか。

多少webmasterの身の上を明かせば、現在のデフレ不況については直接担当していないのだが、それ故に現在のデフレ対策の政府のありようなどに疑問を持って当サイトでこのようにいろいろと書きなぐっているわけで、直接担当していれば、案外それほど疑問も持たずに今の政府のやり方がいいのだと人に向かって説明している可能性は、多分にある。 人は、自分がやったことがおかしいとは思いたくないし、組織の中にいれば大概は他の仕事もあり、それだけに専念して疑問をとことんまでつきつめていくわけにはなかなかいかない(そういったことは多分研究者の仕事であって、官僚やその他実務を取り扱う人間は、何かに躓いたからといって実務を滞らせるわけにはいかない)からだ。 現在という時間軸に立って、模擬内閣の構成員(その他、敗戦を念頭においていた人たち)に対して、もっと戦争が無謀であることを主張すべきだったと非難するのであれば、自分がその時そこにいたとして、本当にそういったことができたかを虚心に検証した上で言うべきなのだろう(言うべきでないということではない。神であることを求めず、人として何ができたかを問え、ということだ。念のため)。

もちろん、これはwebmasterの勝手な想像であり、模擬内閣の構成員たちが本当にそのように感じていたのかはわからない。 筆者に対して、そのあたりをもっと突っ込んでインタビューしていていればより内容の深い、示唆に富むノンフィクションとなり得たとの指摘はせざるを得ない。 ではあるが、組織人が、自分の考えと組織の方向性に齟齬を感じたときに読めば得るところがある、読むことを薦めるに足る本である。 「戦争は旧軍が暴走して始めたことで、旧軍さえなければ日本は戦争しなくてすんだのに」といった意見を持つ人たちが事実関係を勉強するため読むべきであるのは無論のことだが。

そして、読後に、一度でいいから、今の構造改革「ブーム」が、当時の何が何でも戦争すべきという意見と似たところがないか考えてほしい(一番この言葉を伝えたいのは猪瀬氏ではあるが)。 webmasterも、今の郵政三事業や道路公団のあり方に問題がないと考えているわけでは決してない。 が、あたかも民営化が全ての問題を解決する魔法の薬であるかのような空気に問題はないか。 世論への違った視点からの主張に対して「抵抗勢力」とレッテルを貼り、論理にのっとった議論を封じていないか。 民営化の損得を、当時の模擬内閣のように事実から積み上げて検証しているかどうか。 結果として、民営化という答えは正しいのかもしれない。 だが、それが冷静な議論もなく出てきた答えが偶然正しかったということであれば、本質的には、60年前の失敗をもう一度繰り返していることに他ならないのだから。

猪瀬直樹(2002)、日本の近代 猪瀬直樹著作集8「日本人はなぜ戦争をしたか/昭和16年夏の敗戦」小学館

(2003-01-05記)

[膝蓋腱反射]「今年の展望」

年末年始をはさんで、新聞各紙には2003年を展望する記事がいろいろと掲載されたが、一見(今後展開を予定する)当サイトの文章と一見似たような、でも実はかなり違う方向の記事があった。日本経済新聞「日本経済は戦後初の真性デフレか」である。 革マル派中核派(しかし、調べてみるとどっちもウェブサイト作ってるんですなぁ)の内ゲバのように、似たものの方が近親憎悪(笑)が湧くので、こいつをきっちり総括(笑)しておこう(というか、同じようなものと見られたくないし、ってまさに「内ゲバ」の論理だ)。

最初に褒めるべきところは褒めておくと、日本経済の現状認識は結構いい線いってる。 今年の見通しとして、欧米でもデフレ懸念があるとか、竹中大臣の不良債権促進策が景気に対してマイナス効果があるとか、消費が落ち込む恐れがあるとか、このあたりについてはwebmasterにも異論はない。 しかし、経済実態の現状認識はいい代わりに、歴史認識や将来展望、学会動向の把握が決定的に間違っている。

英米のケインジアンとマネタリストを主軸とする現代経済学は一般に歴史的認識や知見に欠くから、36年の「ビフォアー&アフター」の理解が欠落するらしいが、学会の論文を紐解くまでもなく(しかし、本文中でFRB(Federal Reserve Board)のバーナンキ理事の名を出しているくせに、彼が学会にいる間にどのような研究をしていたか知らないっていうのもねぇ・・・)、昨年話題となった「経済論戦は甦る」に目を通していればそんな軽はずみなことは書かずにすんだだろう。

1936年のケインズの「一般理論」以降、財政出動という社会主義的な「禁じ手」はもとより、管理通貨制度のもとに過剰貨幣供給は理論的に正当性を担保したから、36年以後にはデフレは存在不可能で、インフレのみが存在しているとのことだが、ケインズの「一般理論」以前にデフレに果敢に取り組んだスウェーデンの事例(およびその評価など)があるし、そもそも1870年代以降のデフレに対して通貨供給量の増加で対応すべきとの考え方は当時においても主張されていた(金本位制である限り通貨供給量は金の産出量によって制限されるので金本位制はやめるべき、など)のが歴史的事実。

このぐらい筆者(斎藤精一郎氏)の本職なんだから何で調べないの(歴史的事実の問題なんだからさ)、というぐらいだから、政策対応に関する記述もでたらめで、インフレターゲティング(本文中では「インフレ目標」)に対して根拠も示さずに否定論をぶったり(繰り返しで恐縮だが、バーナンキのペーパーの一つでも読んで論理的な反論してくれ(読んでもあれなら救いようがないけど))、産業再生機構についても財政投融資が活用されると言ってみたり(預金保険機構にも整理回収機構にも財政投融資は使われていない(財投はインフラ整備が主目的だからねぇ)んだからそんなことあり得ないだろうに(少しは日本政策投資銀行経由で財投マネーが入るかもしれないけど、メインは政府保証債(か借入)でしょう))、わかっている人間から見ると笑えることを書いてしまっているわけだ。

というわけだから、今後当サイトの記事を見て、「いつか日経で見た記事に似てるな」とか思っても、同一視しないように。そこんとこよろしく。

(2003-01-05記)

2003-01-01新規分

[オープン宣言]「問題はこれだ!」

It's the economy, stupid! 以上。

・・・さすがにこれではなんなので、きちんと書こう。

今の日本の経済がぜんぜんうまく行ってないよね、ってことについて異論のある人は少ないと思う。 でも、「なぜうまく行っていないのか」「どううまく行っていないのか」「経済がうまく行かないことで、具体的にどんな問題が起きているのか」ってあたりは、実はそれほどコンセンサスがあるわけじゃない。 当サイトでは、当面の運営方針として、最近の経済情勢に焦点を当てて、

といったことを中心にいろいろやっていくことに決めた。 いや、多分いろいろ気まぐれに浮気はすると思うけど、そうするつもりなので、その手のことがらに関心のある人は、今後フォローアップしてみて欲しい。

とにかく、合言葉は "It's the economy, stupid!" 年金から教育からその他経済とはあんまり関係がなさそうな、でも重大な問題として取り上げられるようなものごとは、経済がよければ実はそんなにたいした問題ではない(というか、経済がよくなっても残る問題こそが本当に重要な問題だけど、今は経済がよければどうにかなるものと、経済がよくなっても難しいものとが混同されているという少々困った状態なのだ)、ということをこれから明らかにしていくつもりなので、よろしく。

(2003-01-01記)

[新春鼎談]2003

鼎談者ご紹介及びご挨拶(?)

主任研究員(主任)
腹の出てきたベテラン、酒飲み、ちょっと臭い(♂)「ごちゃごちゃした細かいことなんかほっときゃいい!」
研究員1号(1号)
キャリア志向を公言、でも一見癒し系、しかし実は癒されたい系(♀)「へ〜っ、それでいいんですか?」
研究員2号(2号)
半分見習い、理屈屋、世間知らず(♂)「そういうの、間違ってますっっ!」

1号:え〜っと、webmasterからのメッセージです。 「検閲なしで載せてやるから、思うぞんぶん好き勝手にしゃべってくれ」

2号:webmasterもセコいですよね。ここで書いたことがはずれても自分のせいじゃない、ってことでしょ。 好き勝手にやれ、ってのは。

主任:まあせっかくなんだから、いいじゃないの。 遠慮なくやらせてもらいましょう。

1号:2人ともいつもは遠慮してるんですか? あれでも・・・。

2号:それでは、日本経済を中心に今年を展望することにしましょう。 webmasterも、"It's the economy, stupid!"と曰わまってますし。

主任:このままじゃどうしようもないだろ。 つっても、国内要因はってことだから、外需がのびれば救われるかもね。 それより、webmasterのセンスはなんとかならんのか。 10年以上も前のアメリカ大統領選のスローガンを記念すべき最初の言葉に持ってくるなんて。

1号:(主任も他人のセンスをあれこれ言えるような人では・・・)これだけでは不親切もいいところなので、きちんと補足しましょう。 今の日本経済に対しては、構造改革が重要だとか、マイルドインフレが必要だとか、政界・学会・財界でも見解が大きく分かれていますが、原因は需給ギャップだ、という点では概ね一致しています。 つまり、作るほどには使われないから、使う量にあわせて作る方が縮んでいっているということ。 いきなりみんなの生き方が変わって狂ったように消費を増やす、といった話を脇におけば、財政政策・金融政策ともに、現時点では、これまでの方針を今年も続けるようですから、需給ギャップは解消されず、景気はよくならないでしょう。 ただし、海外の景気が好調に推移して輸出が伸びる、という形での景気回復の可能性はある、ということですね。

2号:そういえばさ、話がそれるけど、なんでメディアの連中は金融機関の不良債権をどう処理するかって類の話題について、「金融政策」の言葉を当てるのかわからん。 多少なりとも経済学の素養があれば、「金融政策」="monetary policy"、日銀のやることに決まってるのに。 金融行政でも何でもいいけど、きちんと言葉を使い分けるべきだ。

主任:んなこたぁどうでもいいだろう。 文脈でわかるんだからさ。 金融政策がらみの報道をどうこう言うなら、日銀があれほどやるべきことから逃げてることを批判するどころか、精一杯やっているんだからたいしたもんだ、ってな意見がまかり通っていることの方がよっぽど問題だろうに。

1号:・・・そう言葉足らずな言い方しないで、きちんと説明してくださいよ。 もう一度だけサポートしますけど、これが最後ですからね。 不況時の金融政策は、伝統的・正統的なものとしては短期金利の引き下げになりますが、今の日本のようにゼロ金利まで下がってしまうと、金利はそれ以上引き下げることができません。 なぜなら、マイナス金利にしたところで、現金というゼロ金利の代替物がある以上、マイナス金利には応じる人がいませんから(例えばマイナス金利の預金があったとしても、そんな預金を使うぐらいならタンス預金=現金保有にしますよね、ってこと(決済サービスとか、そういった金利以外の付加価値はとりあえず捨象します))。 でも、金利の引き下げというのはあくまで手段であって、目的は金融緩和=お金を余らせることなので、ゼロ金利の世界でも、他の手段で金融緩和をすることができます。 今、日銀がやっている中で一番効いているのは長期国債購入ですが、日銀自身は、これ以上の金融緩和を実現するのは副作用(=インフレになったら大変!)があって難しい、と言ってます。 これに対して、もっと長期国債購入額を増やすべき、とか、他の金融資産(外債、ETF(株式市場全体を金融商品として売買するようなもの)、REIT(不動産を金融商品として売買するようなもの)などがよく言われてます)を購入すべき、といった意見があって、主任は後者の立場から日銀を批判しているわけです。

主任:1号ちゃーん、そんな堅いこと言わないで、これからもよろしくお願い、ネ!

1号:つつしんで遠慮させていただきます。 需給ギャップに話を戻しましょう。 需給ギャップがある、つまり、作るほどには売れないので売れ残って困ってるというのが現在の日本経済の状況ということで。

2号:世の中の経済主体を民間と政府と外国の3つに単純化すれば、その解決のためには、(1)民間がもっと使うか、(2)政府がもっと使うか、(3)海外がもっと使うか、しか選択肢はありません。 政策対応としては、(1)は減税、(2)は財政支出の拡大、(3)は輸出増、というのが代表的な具体例。 主任が、外需がのびれば救われるというのは、(3)で回復、ということです。

主任:落第。まだまだ修行が足りん。尻の蒙古斑を早く消すように。

2号:えっ、なんでですか?

主任:それは・・・残念ながら次回に続く(笑)。

(2003-01-01記)

[月旦評]第1回:ビル・ゲイツ

勝手な月1回の人物評である。

ネットの世界では、まあこれを読んでいる以上ネットと無関係なわけはないのでそうした感想を持ってる人が多いのだろうが、ビル・ゲイツに人気がないのは常識に属するところであろう(人気がないことを知らないという方は、「がんばれ!!ゲイツ君」"MS-Watch"などをご覧あれ。 どちらもアンチマイクロソフトのメジャーページで、おもしろく、ためになるページだ)。 曰く、作ってるソフトが人まね、曰く、バグが多いしそれを「仕様」と言い張る、曰く、OSの独占的地位を濫用する、曰く、nerdっぽい、曰く、勝手に個人情報を収集する、曰く、・・・確かに、これで人気がある方がおかしい(笑)。

でも、じゃあビル・ゲイツ(&マイクロソフト)が存在しなけりゃ今よりすばらしいか、と聞かれれば、多分そうではないのだろうし、存在はしていても、今ほど独占的な地位にはなくて、Mac OSやらUNIXと市場を分割しているような状態がいいかと聞かれても、やっぱりそうじゃないんだろう。 なぜかって、やっぱりOSは、特に一般人向け市場においては、統一されていた方が使い勝手がいいわけで(自分ちのMZ-2200上のアプリのデータは友達んちのFM-7では読み込めません、ってのはかなり不便。 何のことだかわからない人は、知らなくても全く困らないので気にしないように)。 もし一般人向け市場をMac OSが支配していれば、それはハードウェアまで統一ブランドで占められることと同値だし(あのアップルのことだから、独占企業になったらマイクロソフトよりもっとたちの悪い市場支配者になるはずとの予想はエヴァンジェリストだって賛成するだろう(笑))。 それがUNIXなら結局いろいろ細分化されて統一のメリットが出てこなくなってしまう(ソースコードなら互換性があるとかいうのは却下)。

マイクロソフト(ほぼ)独占の副作用が今の程度でとどまっているというのは、司法省やアメリカ各州政府の反トラスト法の運用や、ネットコミュニティにおける批判活動とか、マイクロソフト製品のセキュリティホールを見つけるのが楽しくてたまらないクラッカーの存在とか、そういったもののおかげ。 だから、あくまでもそれが前提ではあるけど、ビル・ゲイツという人間が、

ことは、ユーザである我々にとって、それなりに幸せなことなのでは、と思うわけだ。

ついでに言えば、時流に支えられるという一時代を画す才能には恵まれていても、プログラミングの才能とか、経営者としての才能とか、その当たりはそれほどは頭抜けていない(プログラマで「ビル」と言えばビル・ジョイだろうし(「ゲイツ」と言えばビル・ゲイツですが(笑))、X-BOXなんてこれからどうなるんでしょうかね?)こともすばらしい。 おかげで、多様なOSがきちんとニッチで生きていけるわけで。 もうちょっとビル・ゲイツがプログラミング技術に優れ、経営の才に恵まれていたら、そりゃウィンドウズは今のものよりもっといいものになって、ブルースクリーンや度重なるパッチあてからは解放されていたかもしれないけど、Mac OSUNIXBeOSTRONも(その他のいろんなOSも)ウィンドウズで代替可能になって、みんな絶滅してたかもしれないんだから。

(2003-01-01記)

(2003-01-18一部修正(ほかの文章と文体を統一))

[膝蓋腱反射]「2ちゃんねる名誉毀損訴訟」

昨年12月25日、東京高裁で2ちゃんねるの書き込みによる名誉毀損について、管理人には削除責任があるとの判決が出た。 高裁判決自体はよくわからないけど、地裁判決を支持しているとのことなので、多分同じような判旨なのだろう。 最高裁へ上告するとのことだが、最高裁は事実認定はせず法解釈問題のみを取り扱うところだから、引っくり返すのは難しいに違いない。 だから、事実上、これで決まりということだ。

地裁判決を読む限り、そしてそれが最高裁で確定したと仮定すると、今後は、2ちゃんねる型の匿名掲示板の管理者は非常に重い責任を負うことにならざるを得ない(いや、何が名誉毀損に当たり何が当たらないかについて、裁判でも勝てる保証があるならいいんだけど)。 とにかく、裁判で名誉毀損に当たると判断される書き込みを削除依頼があっても放置した場合には、書き込んだ本人ではなく管理人に賠償責任が課せられてしまうのだから(2ちゃんねる管理人のひろゆきが言っているように、削除せよとの判決であれば管理人としても受け入れ可能だろうけど)。

裁判官は日本のインターネットカルチャーを相当程度変えてしまいかねないことをしたってことがわかっちゃいないなと思うが、一方で、ネットに普段接していない人間から見て2ちゃんねるが不気味なほどに得体の知れないものと受け止められているって事実は、案外2ちゃねらーにはわからないようだ(webmaster自身もそうだったけどね)。 その意味で、お互いにとって不幸な判決。

匿名掲示板はこれで決まりなんだろうけど、完全自己申告制で書き込んだのが誰かがわかるようになっている(逆にいえば、本当にそうかどうかは全くわからない)システムの掲示板(yahoo掲示板とかね)で同様のことが起こった場合に、「自己申告が本当だと思ってましたが、違うみたいですね、残念」といった言い訳が通じるかどうか一度試してもらいたいとは思う。 しかし、地裁判決を読む限りリスクの高い賭けになりそうだから、管理人は裁判沙汰になりそうだったら即刻削除しちゃうんだろうな、今後は。 というわけで、今後その手の掲示板を運営したければ、日本と国交のない(北朝鮮では無理だろうけど(笑)、台湾とか)ところでやるものが増えてくるんじゃないだろうか。 どうです、有名になるため台湾へ行って匿名掲示板を運営しよう! ってのは(笑)。

(2003-01-01記)

bewaad<webmaster@bewaad.com>

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