/時系列書庫[8]/2003-03
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(2003-02)[7]
「構造改革なくして景気回復なし」 さて、本当だろうか。 このフレーズの提唱者である小泉首相の言葉からは、実際どういうロジックでそうなるのか不明なので、「経済(財政)白書」の理屈を見ることとする。
平成13年度版の経済財政白書では、(1)不良債権問題の解決、公共事業の効率性確保など、90年代に低下した非製造業の生産性の伸びを回復するための政策、(2)女性や高齢者の社会参加が進むような改革の進展と新規雇用の創出、(3)企業の過剰債務問題の解決によって産業が再生し、十分な資本ストックの伸びが確保されること(webmaster注:原文では、(1), (2), (3)はそれぞれ丸数字)
により経済成長が達成できるとする。
ここで、リフレ策と「構造改革」政策の対立軸となり得るのは、(1)と(3)であり((2)はデフレ・インフレには中立だから)、実はこの2つは同じコインの表裏に過ぎないため、結局のところ問題は1つに収斂する。
すなわち、日本の金融機関は不良債権を大胆に減少=借り手は借金を大幅に切り詰めるべきかどうか、である。
「不良債権(問題)」はこの10年間で人口に膾炙する用語となったが、その指すところは論者によりさまざまであるため、ここで論じる不良債権を簡単に定義しておく。 借り手が返したくても返せない借金、ということ。
金融機関から見れば、たとえば1億円貸したのに、貸した先の財務状態が悪いため5,000万円しか返せないとすれば、差額の5,000万円は返ってこないため損失とせざるを得ない(貸倒損失)。 上記の(3)はこれの裏返しで、つまり返せない5,000万円の借金せいで足首まで回らなくなり事業が滞っているということだ(毎期の収益は利払いで消えるし、何か新しいことをしようとしても担保は既存の借金分にも足らないので、新規の借り入れなどできようもない)。
構造改革とは、この問題をどのように解決しようとしているのか。 (1)については、不良債権は利払いもままならない債権なので、金融機関から見れば無駄な投資そのもの。 これをなくすことができれば、金融機関の資産の効率性は高まるというロジックだ。 たとえば、資産規模が1兆円、不良債権比率が10%、毎年度の金利収入が200億円の銀行があるとする。 現在の資産の運用利回りは200億÷1兆円で2%。 不良債権をなくすことができれば、運用利回りは200億円÷9,000億円(不良債権からは金利収入がないと仮定)で2.2%となり、資産運用の効率が1.1倍向上する(さらに資産の縮小に伴い人員・施設などをカットしてコストを切り詰めることができれば、効率性はさらに高まるといえる)。
他方、(3)については、借金を減らすことにより、上記のような「足首まで回らない」状況から脱出することで、借り手の経済活動を活性化させることとなる。
では、これらは具体的にどのようなプロセスで実現されることとなるのか。 金融機関による不良債権処理というのは2種類あり、俗に直接償却と間接償却と言われる。 直接償却とは、金融機関のバランスシートから貸出しそのものを消去する(上記の例で言えば、1億円貸しているという表示をやめ、5,000万円貸しているという表示に変える)ことであり、実際には、帳簿からの消去にふさわしい実際の契約関係の変動(債権放棄や債権の流動化、破綻処理による債権カットなど)を伴うことが多い。 間接償却とは、貸出し自体はそのままの表示としつつ、将来発生する可能性のある損失分だけお金を取り分けておき(「引き当て」という)、貸出しが当初のままの価値ではなくなっていることを示すというもの。 会計基準上はどちらも適正な処理だが、(3)のためには実際に借金自体が減らなければ意味がないので、結果的に直接償却を行うこととなる。
ならば、借金自体を減らすためにどうするか。 とにかく「誰か」が借り手は返さなくてよいということにするしかない(裁判所が返さなくてよいと認定するのが法的処理(破産、民事再生、会社更生手続など)で、返してもらう側(=金融機関)が自ら返さなくていいですと認めるのが私的処理だが、どちらも借り手の返済義務を免除するという点では同じ)。
とりあえず、ここでは「誰か」を、よい(ウェル)ことを最大(マックス)にする存在として、「ウェルマックスの悪魔」と呼ぶことにしよう。 「ウェルマックスの悪魔」はどんなことができなければならないか。
それは、神のごとき将来予測である。 「ウェルマックスの悪魔」は借り手企業の将来を完全に予測できなければならない。 単に借金が多いことだけが問題で、事業自体に問題がない企業は借金を減らすだけで存続させた方が社会のためだし、逆に借金が減ったところでどうにもならない企業は借金のカットと同時に断固としてつぶさなければなるまい。 ここの判断を誤ると、存続させるべき企業をつぶしたり、つぶすべき企業を存続させたりすることになるため、構造改革=不良債権処理が効率性の向上につながらない。 では、この世の神ならぬ人の誰が「ウェルマックスの悪魔」に適任なのだろうか。
金融機関? そんな予測能力があれば、そもそもこれほど不良債権を抱え込むはずがない。
外資? ITバブルに踊ったあげくエンロンやワールドコムに引っかかっており、相対的に日本の金融機関よりはましなのかもしれないが、神には遠く及ぶまい。
官僚? 自分で言うのもなんだが、そんな能力があるならとっとと転職して今の何倍も給料をもらっていることだろう。
裁判官? しょせんは試験に受かってエリートコースに乗っている人々であり、官僚とどれだけ違うというのか。
「ウェルマックスの悪魔」とは、実は「マックスウェルの悪魔」だったのだ!
この点で、そんな非現実的存在を必要としないリフレ策(これまでに論じたとおり、マイルドインフレとなれば実質債務負担が軽減されるという点では同様の狙いではあるが、デフレだけが原因で業績が振るわない企業はマイルドインフレになれば勝手に回復する一方で、それ以外に問題を抱えていればデフレが止まったところで倒産は不可避だ)の方がよほどまし。
まあ、そらみつ大和の国は言霊の幸わう、八百万の神々が知ろしめす国なので、0.125ppmの確率が的中して「ウェルマックスの悪魔」がいたとしよう。 しかし、縮小均衡を目指すものである以上、賃金・金利などの下方硬直性による調整速度のずれは回避できず、破綻処理や債権放棄の段階では最適な資源配分が達成できたとしても、その波及過程ではやはり非効率性から逃れることはできないし、そうした調整が終了してようやくデフレから脱出することとなる。
まして、不完全な「ウェルマックスの悪魔」が取り仕切ったとしたら。 伍、ザモデルの衝撃(後編)の最後に列挙したような副作用は不可避だろう。 やはり、神業が必要なことがらについては、「見えざる手」に頼るに如くはないのだ。
だいたい、かのクルーグマンもいっているではないか。
(生産性が)なぜ停滞したの?
どうすれば回復するの?
答えはどっちも同じで、「わっかりませーん」なのだ(P.クルーグマン著、山形浩生訳「クルーグマン教授の経済入門」p34)
と。
であるとすれば、生産性を向上させるためには、せめてマイルドインフレを保ち、市場での資源配分が阻害されないようにするぐらいしか、人にはできることはないのだから。(次回に続く)
(2003-03-30記)
ベーマガとは、「マイコンベーシックマガジン」の略。 今時マイコンといっても知らない人が多いだろうし(ちなみにマイクロコンピュータの略)、ベーシックもコンピュータ言語としては今ではマイナーな存在だ(まだVisual BASICがある分だけ生き残っていると言えるが)。 まだパソコンがマイコンと呼ばれていた時代からコンピュータを触っていた人間にとっては懐かしの雑誌の一つだが、ついに廃刊(ありがちだが、公式には休刊)とのことである。
ベーマガがどんな雑誌だったかというと、webmasterが読んでいた頃は、ひたすらプログラム(ソース)が掲載されていた(ウェブで見る限り、今に至るまでそのスタンスが維持されているようでなんとなくうれしいが)。 あの時代は、それを打ち込んで遊ぶという楽しみ方があったのだ。 しかし、印刷物を見ながらタイプするというのは、ブラインドタッチができないとなかなかつらい。 "syntax error"や"illegal function call"などが出まくってほどなく挫折し、それが文系人間の今に至る遠因となったのだろう。
他方、そうしたことにめげずプログラミングやコーディングの楽しみをベーマガを通じて味わった人の存在が、今のオンラインソフトの興隆に一役買っているのではないか。 そう、キャプテン翼を読んで育った選手たちが創世記のJリーグを支えたように、そして近い将来「ヒカルの碁」を読んで囲碁をはじめたという棋士が出現すると予測されるように(もう少しベーマガに近い例を出すとすれば、電子ブロックでエンジニアリングに目覚めた理系少年だろう)。
これは、実は産業政策の有効性に対する否定に他ならない。 官僚がどれだけ知恵を絞ったところで、このような雑誌を創刊してプログラマの裾野を広げるなどということは不可能だ。 もちろん、今からこの手の雑誌を政府が出すなどというのはナンセンスで、まだ産業となるとは思えないほど趣味に近い段階でやるからこそ意味があるというもの。 それを官僚が見極めることなどできやしないのだ。
結局、官僚が手を出すような産業分野は、すでに政府がサポートすべきという合意が形成され得るほどメジャーとなっているもので、本当の幼稚産業の助成を公的に行うことは困難(だから、大前研一あたりが官僚が介入すると産業が傾くなどというのは因果関係が逆で、官僚が介入するような産業は成熟化しているということ)。
今、コンピュータ(少なくともパソコンとしてくくられる分野)は十分に成熟化し、プログラミングを楽しむ人間にとっては、インターネットというこれ以上ない発表の場が与えられる時代となった。 こんな時代には、ベーマガも身の置き所がないだろう。
時代の風に乗って読者を獲得し、活躍の場を失う中できれいに身を引き、しかし後には蒔いた種がしっかりと育っている。 なかなか理想的な雑誌の一生ではないだろうか。
(2003-03-30記)
デフレになってもいいじゃないかとの議論としては、前回紹介した高橋洋一のインフレターゲット政策批判への反論に対する池田信夫のコメントが典型例であろう。 高橋自身はそれに対して大人のコメントを返しているが、デフレを止めることがなぜ必要か、まずは池田への再反論から入ることとする。
池田はインフレになったら何が解決するのでしょうか。日本経済の本質的な問題は、高橋さんもご存じのように、腐敗した政治家と無能な官僚と経営者の作り出した非効率な政治経済システムであり、これを変える「制度変化」は、マクロ経済とは別の問題です。
といっている。
これだけではなく、彼の個人サイトでも、野口旭の「経済学を知らないエコノミストたち」の書評において、同様にインフレになったからといって本質的な問題はなにも解決されないとした上で、池田の理解する本質的な問題=生産性の向上について、著者は「インフレ目標では生産性は向上しない」と正直に認める。だとすれば、生産性を向上させるにはどうすればいいかを論じるのが当然だろう
と主張する。
野口がいう「生産性」とは、TFP(Total Factor Productivity, 全要素生産性)、要すれば資本や労働に帰着できない経済成長要因のことであるはずだが(webmaster注:池田がページを示していないため、一通り目を通してみたが見つけられず未確認)、実際のところ、TFPよりも資本がより経済成長に大きな影響を与えており(webmaster注:リンク先では経済成長にはTFP上昇が必要との文脈で用いられているが)、近年の不況は何より資本効率性の落ち込みを受けてのことと考えられる。
つまり、資本効率性を向上させれば、それだけで現在の日本経済の問題は相当程度解決可能であり、野口が何はさておきデフレ解消が必要であると唱えるのは、デフレをマイルドインフレへと変えることができれば、それによる大幅な資本効率性の向上が見込まれるからだ(さらにいえば、労働効率性も大幅に改善されるだろう)。
なぜデフレをマイルドインフレに変えるだけでそのような効果が出てくるのか。 大きく分ければ2つの筋立てが考えられる。 1つ目は下方硬直性の克服だ。
下方硬直性とは、あるものが上昇したり下降したりする場合、(短期的には)上昇に比べ下降が困難であるということ。 よく言われるものが(名目)賃金の下方硬直性であり、たとえばGDPデフレータベースで見ればデフレが5年(橋本内閣時代の消費税増税等の影響を捨象すれば9年)続いているというのに、これだけ春闘のベアゼロがニュースとなるのを見ても実感できようし、労働分配率の上昇(webmaster注:近年の下落は就業者数の減少による総人件費の落ち込みの影響と推察される)でも確認できる。 また、この連載をお読みの方はもうご了解だろうが、金利もゼロ未満にはならないという下方硬直性を有している。
こうした下方硬直性の存在により、市場の資源配分は著しくゆがめられる。 賃金が下方硬直的であるため、デフレ期には企業がより物件費や研究開発費に資金を振り向けようとしても困難である。 金利が下方硬直性であるため、デフレ期には実質金利が高止まりし、過大貯蓄=(現時点での)過小消費をもたらす一方で(実質)金利負担がかさみ過小投資につながるので、本来あるべきところに金が流れず、現金のまま保有する経済主体が増えることとなる。 要すれば、本来あるべき資源配分が達成できずゆがみ、非効率な経済となってしまうのだ(これがインフレ期であれば、下方硬直性があったとしても伸び率の差で調整可能)。
2つ目はストック効果。 上記はフローの考え方だが、ストック価格が合理的に決定されるのであれば、将来のフローの現在価値であるため、フローの価格下落=デフレは、ストック価格にも影響を及ぼす。 その程度を考えると、デフレが継続する場合、各期のフロー減少が累積的に効いてくるため、ストック面での影響はより大きくなるといえる(だから、たとえば株価はバブルでの上昇分だけ下落するにとどまらない)。 ストック=バランスシートについては、その両側(資産と負債)それぞれが影響を受ける。
資産については、時価会計反対論者が言うように、売却などをしなければ価格下落が企業の財務に対して直接ダメージを与えるわけではない(機会費用は発生しているが)。 しかし、売却などをしなくとも、資産価値の下落は、多くの場合担保不足につながり負債による資金調達を困難にするという形で企業行動に制約を加えることとなる(「借金して経営すること自体が問題だ」と思う人はコーポレートファイナンスの本で「ミラー&モジリアーニの定理」を勉強して、借金の多寡は基本的に企業価値に中立であることを知るべし)。 この場合、上記の金利の下方硬直性を加味してもなお正の利潤を上げ得る投資機会が、資産価値の下落によって失われてしまうこととなる(という結果が連鎖的に発生するとのフィナンシャル・アクセルレータ説があるが、webmasterの理解を超えているので立ち入らない。 興味のある方は、「いちご」経済板における議論をフォローしてほしい(「"ザ・モデル"で経済を語るスレ」、「"ザ・モデル"で経済を語るスレ Part2」を、ヒクソン・グレイシーの発言を中心に一読のこと。 また、「デフレ不況の実証分析」においても紹介・検証(結論はネガティブだが)されている))。
かたや負債サイド。 デフレにより売り上げなどの収入が(名目で)減少する一方で、借金を抱えている経済主体の元本返済・利払い負担は名目値で固定され(変動金利であっても金利はゼロ以上)、実質債務負担が増加し、最終的にさらなる消費や投資の萎縮がスパイラル的に発生するとのデット・デフレーション効果は、世界恐慌の時点でアーヴィング・フィッシャーによりすでに提唱されている。
以上から明らかなように、デフレはそれ自体が市場の資源配分機能を阻害し、資本効率性・労働効率性を悪化させるため、議論の余地なく克服されるべきものなのだ。 物価上昇率ゼロをはさんだインフレの世界とデフレの世界はまったく異なっており、「ちょっとぐらいデフレでもいいではないか」という認識は持つべきではない。 むろん、TFPが大幅に向上した結果、デフレであっても名目成長率がプラスとなり、上記の問題点が表面化しないというシナリオがないわけではないが、どうすればいいというのだ? リフレ策とは比較にならないほど手段も不明確で、結果も保証されていない政策しかないではないか。
それに、そもそもマイルドインフレ下の方がTFPが向上しやすいとも考えられる。 次回は、そこをさらに突っ込んでみたい。(次回に続く)
(2003-03-23記)
堺屋太一といえば、かのインパク(って覚えている人も少ないだろうが)を初めとする各種のIT関連政府支出を主導した人間だが、インパクの大失敗や噴飯もののIT講習助成構想(webmaster注:むかしどこかで講習の実態(当然、まったく役に立たなかったというもの)を語ったサイトを見たことがあったのだが、見つからない・・・)などの税金の無駄遣いをやらかした彼が積極財政の旗を振るのはお笑いもの(というか、この人今の官僚を貶める(彼も官僚OB。為念)ことが好きだが、自分のしたことを冷静に振り返れば恥ずかしくてそんなことできなかろうに)。 かつて彼の著作「平成三十年」をおちょくったサイトを紹介したが、是非一度何が「適切な財政政策」なのか聞いてみたいもの。
積極財政の是非自体を彼から離れて論ずるとすれば、確かによい財政支出が明らかな場合にそれをすることは有効だが、よい財政支出をどのように見つけるかは極めて困難だ(webmaster注:詳しくは小野・山形論争を参照のこと)。 仮によい財政支出が何かは判断可能であるとしても、よい財政支出の財源は悪い財政支出の削減でもよい(よい財政支出が何か判断可能との仮定がある以上、悪い財政支出が判断できないとすれば矛盾)のであって、マクロとしての財政支出規模を拡大することの正当化にはならない(先週の更新で触れたように、現在の財政支出は発散過程にある)。
他方で、官僚統制の強化とやらも論拠がおそまつ。
金融機関は金融庁の指導を口実に中小企業に対する貸出金利をつり上げる→貸出約定平均金利の時系列データからはそういった傾向ははっきりと出ていない。
巨額の資金を無利子の日銀当座預金や超低利周りの長期国債に投入している→株式や融資がのリターンがマイナスである以上、優れて経済合理的な行動。 だいたい、金融庁は中小企業に貸し込めと指導している(それはそれで問題だが)。
文部科学省はベスト30大学の選定や法科大学院の設立をてこに大学への指導を強めている→実態を見れば、文部科学省は良くも悪くも「指導」と言うに値することはしていない(というか、やる能力がない)。
総務省は市町村に合併を強く要請している→総務省はおおっぴらに合併を推進しており、その限りでは間違っていないが、平成10年5月に閣議決定された地方分権推進計画に既に市町村合併の推進は盛り込まれており、
この二年間で官僚統制が強化されたことの論拠たり得ない(ちなみに堺屋は平成13年1月5日まで経済企画庁長官だったが、こんな主張をする以上、在職中は市町村合併に当然反対したんだろうな。 まあ彼が
この二年間というのは、自分が経済企画庁長官でいた間はよかったと自画自賛しているだけなのだが)。
で、最後は金融緩和のみによるデフレ対策ではスタグフレーションにつながると来ている(反論は先週の更新でリンクを張った高橋の主張で足りるので割愛)。
その程度のマクロ経済に対する知見でミクロ(個別)の統制や行政指導に頼る者は、マクロ(総体)の知恵と視点を失う
と言われても困る。
というか、(それが不正確なものとはいえ)官民関係やIT関連の産業政策=ミクロ政策にこだわりを見せる堺屋自身、その言葉どおりマクロの知恵と視点を失っているといえよう。
(2003-03-23記)
昨年から断続的に騒がれている大島農水相問題に加え、坂井議員逮捕、首相実弟の金銭収受疑惑と、政治と金を巡る動きがずいぶんと騒がしい(イラク問題がなければどうなっていることやら)。 webmaster宛のメールでも、政治と金の問題についての問いかけがあり、遅ればせながら回答させていただこう。
正直、官僚にとって政治と金の問題はほとんど感心がないといってよい。 なぜなら、一般的に利害と無関係だからだ。
政治家が金を受け取ったら役所に圧力をかけてくるから関係があるのでは、との向きもあろうが、政治家は陳情を受ければ金のやり取りがあろうとなかろうと役所に圧力をかけてくる(これは日本の政党でおそらく一番贈収賄に無縁と思われる共産党であっても一緒)。 政治家だって「この件は金を受け取っているから真剣に取り合ってくれ」などと言うはずもない。 したがって、政治家がどれだけ金をもらおうとあまり関係がない。
ただし、「一般的」と断ったからには個別の利害に関係することはある。 一番多いパターンが、国会で政治と金をめぐる議論が盛り上がるので、国会対応が楽になってよいというもの。 仮に自分のところの大臣であっても、この手の話題については官僚が想定問答を作成する必要はない(だいたい「作成せず」という注記とともに質問が回ってくる。 誰が答えを考えているかは知らないが、政治家本人か秘書なのだろう)し、政治家同士の議論で盛り上がってそれ以外(=官僚が責任を持つべき分野)の話題が取り上げられなくなる。
それでは困るという官僚もいて、それは法案・予算案の担当者だ。 だいたい政治と金の問題で盛り上がると野党が審議拒否をすることが多いが(大島農水相関連でもそうなったし)、とにかく審議をしてもらわないことには法案も予算案も成立しない。 まだ法案・予算案の内容そのものが国会空転の原因であれば、役所としても説明するなり代案を考えるなり対応のしようがあるが、政治と金の問題ではなにもできないというもどかしさに苦しめられることとなる。
また、自分の大臣や自民党の部会の有力者など、実際に政策を左右できるような立場の人間が金をもらって判断を変えるようだと、それはかなり困るのは事実だ。 しかし、このパターンはそれほどあり得ないと考えられる。 実際、たとえばWTO(World Trade Organization, 世界貿易機関)の貿易交渉に関して米の輸入自由化反対と主張する政治家がいたとして、さらにその政治家が農業団体から政治献金を受け取っていたと仮定しても、それゆえに自由化反対を唱えているわけではなく、もともとの信念としてそうしたことを唱えているからこそ、農業団体と考え方が近く共感を得やすいと考えるほうが自然だ(もちろん合法の政治献金と違法の賄賂のすべてを同列に論じることはできないが、枠組みとしてはそういうことだ)。
というわけで、官僚に政治と金の問題をなんとかしろといわれても、個人の立場では一般市民としての動機以上にそれをするインセンティブはないし、役所の立場では(検察・警察を除き)職務としてそれをするインセンティブはない。 結局のところ、金に汚い政治家がいやなら選挙で落とすしか手はなく、官僚であろうとなかろうと選挙でなにか特別なことはできないのだ。
逆に言えば、選挙で選ばれた以上、金についてとかくの噂があろうとその政治家を認めざるを得ないのが代議制民主主義というものであり、たとえば鈴木宗男に関して都市住民が(法律違反以外の点について)とやかく言うのは、その背後にぬぐいがたい地方に対する蔑視・差別意識があり、そうした個人的感情を代議制民主主義の制度趣旨に優先させているとしか思えない。
(2003-03-23記)
リフレ策に対する批判への反論としては、経済産業研究所のサイトに掲載されている高橋洋一の「インフレ目標政策への批判に答える」だ。
そこでの記述にwebmasterがあえて付け加えることはないので、ここでは、そこであえて反論されていない(反論に値しないと思われている?)主張に反論することとする。
野口悠紀雄の主張であり、ネット上のリソースとしては「『超』整理日記」(2002-11-02)がある。
野口は、デフレの害としていわゆるデット・デフレーション(債務は名目値で固定(デフレだろうが1万円の借金は1万円)されるので、デフレに伴い実質債務負担が増加しさらなる景気悪化をもたらす)を指摘しつつ(しかし、絶対価格と相対価格水準を混同していて、学生なら不合格だ(webmaster注:リンク先はpdfファイルです)といわれていた氏にしては進歩ですな)、これ(webmaster注:デット・デフレーション)に対しては、新しい金融的な仕組みを作ることで対処が可能である。それは、デフレの進行に応じて名目負債額が減少する負債(デフレが進行しても実質負債額が一定にとどまる負債)をつくることだ。
とする。
冷静に考えてみて欲しい。 利子などがからむと話が複雑になるので、割引タイプのローンを考えるとする。 つまり、x円貸して、満期にはx+y円が返ってくるローンで、満期までの間利払いはない。 ここで、デフレが進行しても実質負債額を一定にとどめるためには、yが物価下落率に等しくならなければならず、yはマイナスとなる。
さて、あなたがx円持っていて、友人から「デフレ連動ローン」をx円貸してくれといわれたとする。 あなたがデフレが続くと予測している場合、このローンを貸すよりは、現金のままで持っていた方が明らかに得だ。 で、貸しますか?
貸さないだろう。 結局のところ、「デフレ連動ローン」なんてものは絵空事以外の何ものでもない。
短期金融市場のために日本経済を犠牲にするなどあり得ない(だいたい主張しているのが東京短資の加藤出だし。 短資会社の存続のために故意に理屈を枉げているとは思わないが、短資会社以外で通用する理屈かどうかを検証しないのが間違いの基だ)。 以上。
・・・ではなんなので、若干付言する。 じゃあ金融緩和をしなければ短期金融市場は機能するのか、ということを考えてみよう。
上記の「デフレ連動ローン」への反論を見てもらえれば明らかだが、マイナス金利は、当事者が経済合理的に行動する限りあり得ない(上記の例で言えば、yが金利にあたる。 なお、一応自己弁護をしておくと、webmasterが以前主張したマイナス金利政策は、政策として意図的にマイナス金利を出現させるもので、経済合理的でないことは当然の前提)。
従って、例えばデフレが年に2%進む場合に、あるべき実質金利(名目金利-物価変動率)が1%だったとしても、マイナス(名目)金利が不可能である以上、実質金利は2%以下にはなれない。 設備投資の停滞など、今の実質金利が高すぎることは明らかだが、実質金利が高すぎるということは、名目金利がマイナスになれない故に、資金の出し手にとって著しく有利だが取り手にとっては著しく不利な水準でしか取引が成立しないということだ。 そんな状態を放置して、市場がワークするはずもない。 デフレである限り、短期金融市場における取り手不足は解消するはずもないのだから。
ちなみに、どこぞの外銀が血迷ってマイナス金利取引を行っていることを捉えて危機感をあおるのは勘弁して欲しい。
マイナス金利は、さんざん繰り返すのもなんだが、経済合理性に反するもので、金融市場始まって以来の珍事
なのはそのとおりだが、それはこんな馬鹿なことをするやつの存在が椿事だからだ。
どんな金融論の教科書を見ても、相対的にハイリスク・ローリターンの投資を是認する理論などありはしない。 マイナス金利で貸すぐらいだったら、現金をそのまま持っておくほうが得(仮に貸す相手の信用力が日銀より上だったとしても、円での貸借である以上、返済は円で行われるのだから、その相手の円ベースでの信用力が日銀を超えることはあり得ない(その相手が円を返すことができたとして、その円の信用は日銀が担保しているのだから))。 日銀当預に預金するというのは現金保有とイコールだから、こいつは明らかに得るべき収益を逃しているのだ。
日銀への預金をためらうのであれば円取引自体を縮小すべきであり、円のポジションを認めるのであれば、少なくとも信用リスクを理由として日銀への与信枠をポジション全体よりも小さくするのはナンセンス。
デフレ経済下の金利体系のあり方について問題提起できたのでは
などと語るこの外銀の担当者、そして銀行間取引で今以上にマイナス金利が増えてくるだろう
などと予測する加藤は、お願いだから「機会費用」という言葉を勉強してから経済問題を語るようにしてほしい。
亀井静香に代表される、俗に「抵抗勢力」と称される政治家に多い意見だが、これはいただけない。
「ドーマーの定理」(webmaster注:リンク先はpdfファイルです)というものがある。 これは、名目GDP成長率<国債金利となる場合には財政赤字は発散するというもの。 簡単に理由を説明すれば、政府収入の大半を占める税収の増減率は名目GDP成長率に比例し、他方財政赤字残高は(新規に財政支出増加がなかったとしても)金利分だけ増えていくので、後者が大きければ長期的には財政赤字残高は無限に拡大するからだ。
デフレの現在、名目GDP成長率は低迷しており、国債金利(なんで市中金利の時系列データがネット上で入手できないんだぁ・・・)を継続的に下回っている。 つまり、今の日本財政は、本来再建を進めなければならない状態にあるのだ。 拡大する余裕などあるはずがない。
さはさりながら、デフレ脱出が最大の政策課題である以上、最大限譲歩して横ばいの財政支出を続けるべきというのがwebmasterの主張である(地方交付税制度で国と地方の財政が事実上一体化していることを踏まえれば、地方財政支出の落ち込みをカバーするだけの中央政府財政支出の拡大は許容)。
ちなみに、大恐慌からの脱出に当たっては、財政支出の拡大は有効ではなかった(webmaster注:リンク先はpdfファイルです)というのが歴史的事実である。
リフレ派でも深尾光洋などが主張しているもの。 その理由は、長期国債を日銀が購入した場合、リフレ策が効果を発揮し金利が上昇する際には日銀に多額の損が発生するというものである。
元来日銀がどれほど損失をこうむったとしてもいわゆる倒産はあり得ない(デフォルト=支払い不能が倒産の定義としてはもっとも普遍的だが、日銀は通貨を発行できるので、仮に多額の損失により債務超過となったとしても、「輪転機を回す」ことにより債務の支払いは常に可能)ため、日銀の損失をあまり過大視するのはどうかとも思うが、それでは水掛け論になるので、別解を示そう(それ以外にも、前回示したように、ETFやREITの市場規模を考えれば、深尾説の「日銀が毎月5兆円規模の株価指数連動型上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)の買いオペを行う(3月14日・日経新聞(朝刊)「経済教室」)」というのは非現実的という反論もある(日銀が買い出せば民間がどんどん組成するとの説もあるが、毎月5兆円の投信ファンドを組成するためには5兆円の資金調達が必要))。
金利が上昇すれば国債価格が下落するのはなぜか。 例えば10年債のクーポンが1%だったとして、市中金利が5%となれば、市場で運用すれば5%のリターンが得られるのにこの債券を保有しても1%のリターンしか得られないから、額面が100円であれば、概算でだいたい60円が適正価格となる(60円で買って10年後に100円もらえるのであれば、差額40円÷10年で1年4%の利子に相当し、クーポンとあわせて5%の金利(正確にはイールドカーブ・スポットレートを求めた上で複利計算をする必要がある))。
さて、会計学者には異論があるかもしれないが、バランスシートの資産とは将来のキャッシュインフローの現在価値で、負債はキャッシュアウトフローの現在価値と観念するのが合理的だ。 したがって、上記の例で日銀の資産として保有される債券の適正価格=現在価値を求めた場合、その債券を売るか売らないかにかかわらず、損失を立てて減価すべきだということになる(これがいわゆる時価会計)。
では、負債は? 会計基準としてはまだ負債の時価評価は導入されておらず、会計学者にも異論が多い(資産だけ時価評価というアンバランスのほうがよっぽどおかしいはずなのに・・・)のだが、あえて試算してみると次のようになる。
上記「経済教室」では、深尾の試算として、日銀が今後150兆円の国債を買い増し、その後金利が5%まで上昇した際には60兆円の損が生じるとある。 ここから逆算すると、日銀保有長期国債の平均残存期間はだいたい8〜9年となる(長すぎじゃないですか、深尾先生)。
他方、負債として日銀券(いわゆるお札)を考えると、だいたい3〜4年で寿命を迎えるとのことなので、計算の便宜上3年満期とし、現存する日銀券の平均残存期間は1.5年とする。 1.5年に対応する金利(スポットレート)も、適当に置いて3%(上記「経済教室」での2%のインフレを前提としている)としてみよう。
深尾の試算では150兆円の国債購入に対当する負債は日銀当預としているが、これを全て日銀券でまかなったとすると、日銀券残高は買い入れ前残高70兆円+150兆円で合計220兆円で、その現在価値を求めると約210兆円となる。 つまり、金利上昇により負債10兆円の削減効果があり、保有国債が9年間かけて償還される間に、1.5年×6回のロールオーバーで60兆円が埋まることとなる。
このポジションはALM(Asset Liability Management)上問題があり、金利変動などを考えればそうはうまく行かないリスクがあるのは事実だが、少なくとも「60兆円もロスが出てとんでもない」というのは物事の一面しか捉えていない議論であるということは間違いない。 生保の負債を時価評価すれば債務超過となる会社があると主張する深尾である。 以上の議論を(もしどこかで目にする機会があれば)とくと噛み締めてもらいたい。
デフレ脱出に期限を設けるのは、あくまで金融緩和が継続するとの期待を世に信じさせるためのもの。 別に日銀総裁の首をとりたいと願っているわけではない。 今のように、いつかそのうちデフレ脱出(あえて物価上昇率のバイアスを言挙げするのはやめる)というのでは、本気で金融緩和に取り組むとの期待が醸成されない。
webmasterのリフレ策を実効性あるものとするためには、期限を設定する以外にも方法はあるのだ。 たとえば、インフレターゲットの下限に達するまでは、国債買い切りの額を毎月2,000億円ずつ増加させるというルールでもかまわない。 しかし、それでは日銀の独立性も何もあったものではないだろう。 定められたルールに基づき裁量の余地なく単に執行するだけの機関となってしまう。 日銀の独立性を尊重するからこそ、期限と目標だけを定め、実際にどのような手段で実行するかは基本的に日銀にゆだねるべきと考えているのだ(銀行保有株買取りのような前科があるから、買いオペ対象は長期国債に限るべきとは言わせてもらうが)。
というわけで、期限がいらないという人間は日銀の独立性をどうでもいいと考えている人間だということを、日銀は理解すべきだ(それなのに、親の心子知らずというか・・・)。
以上では、もっともたちの悪い2つの批判には触れていない。 「デフレは悪くない」と「不良債権処理(構造改革と呼んでもいいが)なくしてデフレ脱出なし」だ。 次回以降、2回に分けてそれぞれを論ずることにしよう。(次回に続く)
(2003-03-16記)
連載初のメジャーどころ。 支店もあり、各地のデパートにも出店しているし、自前のサイトを持っているぐらいだ。
そもそもwebmasterがまい泉を最初に体験したのは学生時代、いわゆる官庁訪問の最中だった。 某省を訪問した際、夕方ぐらいだったように記憶しているが、待合室で学生の相手をしていた女性(今一部で話題の非常勤職員(要すればバイト)なのかどうかは不明だが)から、おなかがすいていませんかと勧められたのが、まい泉のヒレかつサンド。
これが非常においしかった。 カツサンドといえばコンビニのあれであったwebmasterとしては(ジャンクフード好きだから、ああいったカツサンドも好きなのだが)、これほどやわらかいカツがあるのかと感動していた(けど、そこには行かなかった。 その某省は、上記のように学生の相手をする人間を待合室に置いて、大画面テレビでビデオを流し(レパートリーが少なかったので、最後のあたりでは「もう飽きた」などと言っていたが)、スナックも常備して、などなどの心遣いができる役所だったのだが。 ちなみに、結局webmasterが入ったところは、呼び込み担当の人もなんとなく話しかけにくかったし、もちろんビデオもスナックもなく、と学生に対する気遣いはまったくなかった)。
そのときは、こんなにうまいカツサンドはもう食べられないかも、などと思いつつ食っていたのだが、役所の住人となって以後、しばしば食するチャンスがある。 職場で行う歓送迎会がそれだ。 一般に、霞が関のカルチャーとして、ちょっとした節目には職場で簡単に会を開くというものがある(大きな節目には外のきちんとした場所(といっても居酒屋だったりするが)で行うことが多い)。 30分から1時間程度、ビールなどを飲みながら、デリバリーで頼んだ軽食をつまむというのが典型的なパターンで、まい泉のヒレかつサンドはその常連。
たいていの場合、そのほかにもピザや寿司、各種乾きものが取りそろえられるのだが、上記のような霞が関とのつきあいにおける幼児体験を持つwebmasterとしては、ついついヒレかつサンドに手が伸びることが多い。 自分で稼ぐようになり、もっとうまいと思えるトンカツを体験した今であっても。
| 味 | 値段 | 量 | その他 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| ヒレかつサンドしか食べたことはないが。4点 | コンビニより質は上だが、それだけの値段は取る。3点 | 多いとは言えない。2点 | 学生時代の感動に。4点 | そういえば普段の出前では頼まないなぁ。13点 |
「とんかつまい泉」、千代田区有楽町1-1-2 日比谷三井ビル地下1階、03(3503)1886or1887
(2003-03-16記)
先週金曜日にTOPIXが800割れしたが、世間は株価対策の大合唱である。 いちいち誰が言ったか拾うのも億劫なのでソースは略すが、政界・財界とも株や不動産を政府・日銀に買えと言い出している。
金融庁が木曜日に市場対策を発表したが、まっとうにも株価対策ではなく市場取引適正化のための措置とのことであり、世の騒ぎを鎮めるものではない(去年の空売り規制はね・・・でも、あれは市場が真に合理的なら効果がないはず(たとえばデリバティブを使えば空売り類似のポジションは可能)で、その場限りとはいえ有効だったのは、市場参加者も当局に踊らされるほどに程度が低いことの証拠だ)。
あまりにも当然なのでいうのもはばかられるぐらいだが、手段をまっとうなものにとどめる限り、企業や土地の収益力が回復しない限り、株価や地価を永続的に上昇させることは不可能だ。 日銀でも郵貯でもいいのだが、たとえば上場株式すべての買い占めまで覚悟するなら、確かに株価は上昇するだろう。 でも、本当にそんなことでいいのか?
時価会計をやめてしまえとか、減損会計の導入を遅らせろとか、そういった声もある。 会計は経済実態をあらわしているだけで、会計を変えたからといって実態がよくなるわけではない。 がんの病巣が映るからといってCTをやめて目をそらしても、がんが治るわけではないのだ。
もういいかげん、その場しのぎの対策に走るのはやめるべき。 根本にメスを入れるべきだ。
なに? 地政学的リスク=イラク問題が株価急落の原因だから、日本にできることはないって?
じゃあなんで円相場&外為相場はあたかも日本経済に問題がないかのように動いているというのか。 イラク問題で日本経済大混乱、というシナリオであれば、トリプル安にならなければおかしい。
以前書いたように、株価は軟調だが債券・外為が堅調というのは、デフレ継続のサイン。 イラク問題に端を発する不安感が市場を後押しした面はあるものの、根本は日本はデフレから脱出できないとの判断が今の相場を形成しているのだ。 ハルマゲドンを煽るのは趣味ではないが、本当にこのままでは日本経済はだめになってしまう。 もしwebmasterの主張にあなたが共感したなら、少しでいいので周りの人間にリフレ策を語ってみてほしい。
ささやかではあるが、心底からのお願いである。
(2003-03-16記)
前回の予告どおり、現段階でwebmasterが実行すべきと考えているポリシーミックスを掲げれば、次のようなものとなる。
次回は、以上のポリシーミックスへの典型的な批判に反論する。(次回に続く)
(2003-03-09記)
2月9日付けの膝蓋腱反射において、「パウエルとブッシュ」と題してイラク問題を論じたが、ずいぶんと風向きが変わってきた。 武力行使の際には、フランス・ロシアはアメリカ側につくと予測していたが、この2国にドイツを加えた武力行使反対の3ヶ国外相声明が出るなど、外れる可能性も出てきた。 最後の最後には賛成するとの読みを完全に捨てたわけではないが、webmasterの不明は不明として認めなければなるまい。
しかし、仮に最後までアメリカに対して反対を貫いた場合にどうなるかを考えれば、現時点での状況はアメリカにとって断然有利であり、これまでのところフランスは近年まれに見る外交上の失敗をしたと判断せざるを得ないのではないか、とwebmasterは見ている。
その他の国を含め、各国の置かれた状況は次のようなものだからだ。
もともと安保理決議なくとも武力行使することに躊躇はなかったが、トルコ国会で米軍駐留案が否決された今となっては、わずかに残っていた安保理決議へのニーズもなくなったので、却って安保理に縛られなくなり、行動の自由度が増している。
現在、イギリスなどと共同で修正決議案を提出しているが、イギリスや日本など、安保理で新たに決議して欲しい国が根回しをして安保理決議(もちろん武力行使の後押しとなるもの)が出ればそれはそれでプラスになるが(懐が痛むわけでなし)、なんと言っても否決の決議をしたくないはずのフランスなど(理由は後述)に対して、「修正決議案を撤回する」という有効なカードを手にしたことが大きい。
上記の3ヶ国外相声明で拒否権行使をちらつかせたが、これによって、このままアメリカが修正決議案を撤回せず安保理で評決に至れば、拒否権を行使せざるを得ないよう自らを追い込んでしまった。 あそこまでレートを上げておいて拒否権を行使しなければ、国内外の世論の厳しい反発を食らうこと必定だ。
しかし、仮に拒否権を行使すれば、戦後において中東に対する発言力は著しく低下するにとどまらず、安保理の権威を決定的に傷つけ(安保理が武力行使を認める決議庵を否決したにもかかわらず、公然とアメリカにより無視されることになるから)、自らを外交大国たらしめている最大の要因である「拒否権」の価値を暴落させてしまうことになってしまう。
従って、最善の結果は、アメリカが修正決議案を撤回した上で武力行使に踏み切ることにより、安保理の権威をなんとか保ちつつ(アメリカは1441決議を口実にするだろうから、一応安保理決議そのものが否定される事態は避けられる)、「フランスがベストを尽くしたのに戦争になってしまったのはアメリカが悪いからだ」という主張が可能となることだが、そのためには、アメリカに対して、修正決議案撤回という極めて高くつく借りを作らなければならない。
ちなみに、裏取引で命を保証した上でフセインをどこかに亡命させるという最後の奥の手を出すことも考えられるが、アメリカが認める可能性は低そうだ。
最後に多少話題がずれるが、「人間の盾」として残っている人間に説得を続ける外務省、税金の無駄遣いはやめるべきだ。 本人が危険を承知で残っているのだから、無理やり帰国させようというのはその人の思想・信条の自由を尊重する心が足りない。
ただ、「人間の盾」の人々も、ヴィザの発行や食料・宿泊の確保でさんざんイラクのお世話になっておきながら、いまさら「盾」となる場所についてあれこれ言うとは恩知らずな輩だ。 好きな場所で「盾」になりたいというのであれば、そもそも最初からイラクの世話になどなるべきではないし、イラクからそのような便宜供与を受けた上で、なお好きな場所で「盾」になれると思っていたのであれば、あまりにも想像力に欠けているとしかいいようがない。
(2003-03-09記)
さて、前回紹介した現在の日本経済に対するザモデルによる処方箋は、次のようなものだ(一部誤字があるが、すべて原文の通り)。
149: 並盛梅雨だく名無しさん 2002/06/04(Tue) 15:10 >>146 そう。それが正しいクエスチョン。 答え? 正しいと思われるザ・モデルはここでは、さすがに既述しきれないので、 正しいと思われる政策のみ。 RCCへの日銀出資としての量的緩和(インタゲは付録)+抜本的不良債権処理。 思いきって抜本的な不良債権処理を進め、何割かの銀行を閉鎖するような経営責任の 追及とともに、RCCの損失を日銀出資で補填する。軽く50兆は要るだろう。 損失以外の残った優良部分は、株式投信に替えて証券会社の窓口で販売して最終処理。 これで一発で経済は回復軌道に乗る。
これがいかにダメな政策案かを明らかにしよう。
まず、webmasterの本職である法律系官僚としてのツッコミ。
思いきって抜本的な不良債権処理を進め、何割かの銀行を閉鎖というからには、ここでいう「不良債権処理」は銀行に損失が生じるものとして行うものであるはずである。
RCCの損失を日銀出資で補填しなければならない「不良債権処理」であるならば、それはRCCに損失が生じるものであるはず。 従って、論理として矛盾している(処理される不良債権を回収可能額相当(以下「時価」)でRCCに売却すれば、銀行にとって、バランスシート計上額(以下「簿価」)と時価との差額が損失となる。 逆に、その不良債権を簿価でRCCに売却すれば、簿価とRCCが実際に回収した額との差額がRCCの損失となる)。
次に、無謀なる(相手は経済学博士みたいだし)経済学的なツッコミ。
それでは、webmasterはどのような対策がよいと考えているのか。 次回以降はそちらに話を移すことにしたい。(次回に続く)
(2003-03-01記)
総合格闘技、K1、プロレスを問わず、大活躍のサップであるが、バラエティにとどまらず、ついにCMにまで進出した。 格闘技(プロレスは格闘技ではないという向きもあろうが、広い意味で)の世界で活躍して欲しいと思う身としては若干複雑な気もする。
小錦のように引退してからというわけにはいかないだろうか。 芸能界は格闘家としての力が衰えた後でも活躍できるわけだし。
ただ、今の露出の多さはいかにも過剰であるようにも思えるのだが、それはそれでサップの戦略ではなかろうか。 つまり、日本のメディアの飽きっぽさを承知の上で、とことん稼いでやろうということ。
そもそも、最初にメディアにいじられたのは「ワールドプロレスリング」で、新日本プロレスの中西学戦前のプロモーション。 このいじり方がひどかった。 未だにベビーフェイス=日本人、ヒール=外国人の図式でありきたりにまとめており、やっぱりプロレスがらみのメディア関係者は(少なくともエンターテイメントを演出する者としては)レベル低いよなぁと感じさせてやまないもの(中西負けて目算が外れてざまあみろではあったが)。
でも、これすら狙いなのかなと思わなくもない。 あれほどひどい演出でもいやがっている風もなくなりきっているのだから、とクリエイターの心をくすぐったことだろう(見ていればだけど)。
人生、波に乗っている時期はそれほど長くはない。 格闘界・芸能界、どちらでも思う存分金儲けにいそしんで欲しい。 結果は後からついてくるだろう。 彼自身、一瞬のきらめきの後、商品価値が落ちないうちに引っ込んで、あわよくばヒクソン・グレイシーのような形で晩節を汚すことなく余韻を残す(まあ、ヒクソン自身これから晩節を汚す可能性がないわけではないが)。
そんな将来を描いているのではないだろうか。
(2003-03-01記)
当サイトが発足当初から注目していた、今後の日本経済の行方を左右するイベントが終了した。 月旦評で取り上げても、速水現総裁と同様になるだろうから今回は取り上げないが、日銀の新体制についてのwebmasterの意見は、FT(Financial Times)の社説とほぼ同じである。
福井新総裁の人格が衆に抜きんでたものであることは否定しないし、その識見も、「平時の」中央銀行総裁としては申し分なかろう。 ノーパンしゃぶしゃぶに行こうが、そんなものは総裁として直接求められる資質には無関係だ(世間から無用の批判を浴びるという意味で、間接的にはマイナス要因だが)。
しかし、デフレの継続は決まったようなものだ。 市場も、堅調な外為・債券相場と軟調な株式市場を見れば明らかなように、それを織り込んだ。 正直に言っておくが、個人の損得だけを考えれば、公務員であるwebmasterにとっては、デフレの継続は明らかに望ましい。
だが、ことはそんな問題ではないのだ。 クラッシュしなければ現行路線が変えられないというのは、ビスマルクがいう「愚者」そのもの。 ほとんど可能性がないことは承知で、「賢者」になって現行路線を速やかに変えていただきたいと、日銀には申し上げておく。
さて、先週ではあるが、リフレ派の思いを託したギレン総裁の演説のパロディがmegabbsに載ったが、逆に、念願叶ってさぞ喜んでいるであろう日銀職員に、別のギレン総裁の演説のパロディを贈ろう。
我が忠勇なるセントラルバンカー達よ、今やリフレ主義者の半数が我が同士である新総裁の決定によって藻屑と消えた。 この輝きこそ我等日銀の正義の証しである。 決定的打撃を受けたリフレ派に如何ほどの戦力が残っていようとも、それは既に形骸である。
敢えて言おう、カスであると!
それら軟弱の集団が、この日銀の財務の健全性を抜くことは出来ないと私は断言する。
円の信認は我等選ばれた優良種たる日銀職員に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る。 これ以上戦い続けては、円の信認そのものの存亡に関わるのだ。
リフレ派の無能なる者どもに思い知らせ、明日の未来の為に、我らセントラルバンカーは立たねばならんのである!
おめでとう、日銀。
残念でした、日本経済。
(2003-03-01記)
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/時系列書庫[8]/2003-03