/時系列書庫[8]/2003-06
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(2003-07)[9]
(2003-05)[7]
先日、国Iの最終合格者が発表され、いよいよ官庁訪問も本番。 今週には内定が出てくることとなるだろう。
もしあなたが幸いにして内定を勝ち得たらどうすべきか。 民間からも内定をもらっているだろうが、民間企業と霞が関のどちらを選ぶべきか。 大学院への進学を選択肢に入れている人もいるかもしれないが、そのどちらがいいのか。 さらに幸いにして複数の省庁から内定をもらったら、どの省庁を選ぶべきか。
今回はそうした観点から比較すべき点を紹介する。
仕事の大変さ
おそらく民間企業であっても大変な仕事はあるだろうし、霞が関の官僚だけが忙しいわけではない。 しかし、霞が関の特徴と言えるのは、受け身であることが多いという点だ。 国会対応を始めとして、誰かから言われたからそれへの対応が必要であるとか、スケジュールが首相の一言で決まってしまい、キャパシティが無視されるとか。
故に、自分のペースでなければ仕事がしづらいという人にとっては、霞が関は一般につらい職場であると言えよう。
人との相性
官僚はあくまで組織の歯車の一つであり(さすがにそれがいやだという人間はそもそも官僚を志望してはいないと思うが)、従って、仕事の相手は組織内の人間であるという局面が多い。 官庁訪問で話した人は、一緒に仕事をするとして、あるいはカウンターパートとして対応するとして、うまくやっていけそうな人かどうか。
内定が見えてきたら、人生観に踏み込むような質問(恋愛に対する考え方とか、ジェンダーに関する意見など)をしてみるのも一つの手だ。 あまりにも食い違う人が多いようなら、その省庁に入ることは考え直した方がお互いのためだろう。
組織で働くということ
引き続き組織論だが、組織というのは、当然ながら何かをするときには他の人間の了解が必要だ。 思い通りにならないことも多々あるし、一人でできることは極めて限られてくる。
学生にとって一番少ないであろう経験は、組織の一員として働くことだろう。 この点、慣れない人にとっては思いの外大変なことなので、官庁訪問で十分話を聞き、自分があわせていけるかどうかを見極めなければならない。
具体的な業務
官僚が仕事として取り扱うテーマは大きなものが多いが、それを具体的にどのように処理しているかといえば、あくまでペーパーを書き、上司や国会議員やメディアに説明し、という地道な作業でしかない。 官庁訪問で仕事の話を聞いたとき、このような点についても紹介を受け、具体的なイメージを持っているだろうか。
国家の政策決定に与るという耳通りのいい言葉に惑わされてはならない。 入ってすぐなどコピー取りや書類配布がメインの仕事なのだ。 それをわかってなおという人でないと、イメージと実際の落差にとまどうこと間違いない。
逆に、こういった説明に言葉を濁すような省庁であれば、もちろん敬遠すべきだ。
現実の厳しさ
そもそも現実の厳しさに向き合いたくないというモラトリアム人間であれば内定は獲得していないと思うが、職場によって向き合う現実は様々だ。 政府内の利害を調整する役所(内閣府や財務省など)であれば各省庁、外務省なら各国政府、民間業者を相手にする役所であれば民間セクターなど、各関係のエゴに向き合っていく必要がある(無論、自分の省庁もエゴを主張しているということを自覚した上で)。
どういったエゴなら許容することができ、また許容できないのか。 許容できると思ったものでも実際に接するとつらい、ということもあり得るが、少なくとも自分が合わないと学生の時点でわかるものであれば、避けておいて損はあるまい。
前々回紹介し、前回補足した木村剛の発言については、先週発売のSPAで次のような記述があったので、追記しておく。 ここまでくると、何が本当なのかよくわからなくなってくる・・・が、どれでも概ね意図するところは同じなので、この点についての木村への評価は不変だ。
(日銀の福井人事部次長(当時。 現総裁)の「金儲けっていうのは汚いものだから、私は国民のために働きたいと言って、日銀を志望する人が多いんだけど、君もそうだよね?」という質問に答えて、)
「金儲けは汚いなんて言うヤツは、中国へ行って人民服を着てればいい」 (「SPA」2003年7月1日号p183、「エッジな人々」292)
(2003-06-29記)
ジハイドロジェン・モノキサイドという笑い話がある。 どんなものだって悪いところだけを見れば否定的に語ることが可能であり、だからこそ功罪をバランス良く見なければならない、ということなのだが、この筆者は本気で水禁止法を作ろうとしているようなものだ。
政治的任用=ポリティカル・アポインティ(筆者は「ポリティック・アポインティ」という用語を使っているが、googleでも本書の紹介しか見あたらないのですが)にすればどのように問題が直ちに解決するのか知らないが、世界各国で導入されている以上、それなりに合理性のある制度であることを否定する気はない。 しかし、例えば前回のアメリカ大統領選挙におけるフロリダのハリス州務長官のような人事があり得るというコストをどう考えるのか。 というか、「ポリティカル・アポインティ」とは、従来の政治学でいうところの「猟官制」の言い換えに過ぎず、戦前の日本においても導入されていた制度であり、それほど目新しい概念として取り上げるようなものでもなかろうに。 日本で導入することがあってもいいだろうが、筆者のごとく神聖視して導入すべきものではない。
このことからもわかるように、この筆者、あまりに感情に走りすぎ、冷静な対策というものを考えることが全くできていない。
政権交代を起こりやすくするために比例代表制を廃止し、小選挙区に一本化すべきだとか(最近の比例代表の結果を見れば、むしろ小選挙区がない方が政権交代は起こりそうだ)、行政機構を中立化せよとか(どう考えてもポリティカル・アポインティと両立するとは思えないのだが)、法人税率を下げつつ投資減税などをせよという一方で、大企業優遇の利子や減価償却費の損金算入を止めよとか(投資減税は大企業に有利になるだろうに)、保護行政に対する批判として農業保護を挙げつつ先進国の農業を褒めてみたりとか(税関出身のくせにWTOで各国の農業輸出補助金が大問題となっているのを知らないのか?)、挙げていけばきりがない。
だいたい、戦後の官僚制が成功したのは欧米に追いつけ追い越せという時代だったからだというわりに、モデルとなる改革がいずれも欧米諸国の事例なのはどういうことか。 その理屈なら、欧米をモデルとした「改革」政策を実施するため、官僚制を維持すべきじゃないのか(笑)。
まあ、そもそも財政赤字の問題にしても、巨大な貯蓄投資差額&デフレによる税収減が根本的な原因だというのに、公共事業をあげつらっている段階で、問題の本質が理解できていないことがわかる。 この手の知識が不足している割に情熱が過剰で、かつ、実は選民主義(自分の主張にそぐわない者はすべて馬鹿か腐敗扱いだから)に染まった人間が実際の政策立案に携われば、戦前の青年将校となるのは目に見えているので、このまま市井で埋もれてもらう方が本人にとっても国民にとっても幸せなのは間違いない。
(2003-06-29記)
騒ぎが落ち着きかけたところに太田誠一の発言でまた盛り上がったが、この手の事件、別に彼らだけが例外というわけではない。 以前、慶応医学部や帝京ラグビー部でも似たようなことがあったわけで、そのうちまた同じような事件が起こるのだろう。
もっと言えば、この手の犯罪は学生以外でもやる人間は相当いるわけだが、これらの事件に特徴的なのは組織的・継続的であること。 本当かどうかは藪の中であるので固有名詞を挙げるのは避けるが、宗教団体などでも似たような噂が出ることはあり、他方で企業組織などでは、セクハラなどで同様に卑劣な事件はあるのだろうが、あくまでも個人の犯罪にとどまっている。 なんでそのような違いが出てくるかといえば、いわゆるガバナンスが効いていないからだ。
ガバナンスとは何か。 端的に言えば、ある組織があるとして、その関係者によるチェックを通じてその組織の行動を制約することだ。 政府もそうであるし、企業もそうであるが、これらの構成員が組織的にレイプを繰り返しているのを許容するようであれば、間違いなく組織存立の危機に陥る。 従って、仮に不心得な人間がレイプをしたいと思っても、同僚を語らってより効率的に行おうなどとは思いもせず(必ず誰かが反対するであろうから)、あくまで個人で行うこととなろう。
しかし、例えばスーパーフリーの中の人間にそのようなインセンティブがあるだろうか。 個人の良心を捨象すれば、そういった動きが出てきようもない。 あえていうなら、大学側にそのようなインセンティブがあるかどうか。 対応策を見る限り、どうも大したことはなさそうだ。
大学の教員が憤っていることを否定するつもりはないが、本気で再発防止を考えているとは思えない内容だからだ。 大学の自治だのいろいろ言い分はあろうが、今回の事件により早稲田大学の学生が軒並み内定を蹴っ飛ばされ、来年の入試でも志願者が激減し、となれば、そのような悠長なことは言っていられまい。 その意味では、現在の日本社会においては、学生は相当程度甘やかされているし、大学もまたしかりである。 先に記したような社会の反応があれば、当然大学は本気で学生を締め付け、このような事態が起こらないよう本当の対策をとるはず(もちろん、その方がいいかどうかには議論があるのだが)。
そう考えると、まだ学生には善し悪しは別にしても対処方法が残されているわけだが、大学のような社会の圧力にさらされ得る存在がない諸団体(先に掲げた宗教団体もそうだし、NPOなどもこれに入る)へのガバナンスはつくづく難しい。 繰り返しになるが、問題は個人の良心の有無ではなく、自律的に違法行為を抑制する仕組みの有無だからだ。
共産党と官僚の意外な相性の良さについて、大事な点を言及するのを忘れていた。 それは、共産党は日本で最も組織化された政党であるということだ。 あくまで組織で仕事をする官僚と考え方が似通い、議論がかみ合いやすいのも当然と言えよう。
(2003-06-29記)
いよいよ業務説明会が開始となり、職場の中でも初々しい学生を見かけるようになった。 実際に官僚と会話をしてみて、思ったほどではないと楽観している人もいれば、良い感触が得られなかったと悲観している人もいることだろう。
今は連続訪問禁止期間中だけに、どの省庁であれまだ1回しか訪問していないはずで、もし失敗したとしても十分挽回可能。 今回は、そんな人のためのテクニックを一つ。
採用されるかどうかは、最終的には頭の良さや体力など、官僚に向いているかどうかで決まる話ではある。 しかし、こいつは絶対採用!となるほど頭抜けた存在はそれほどはいないのもまた事実である一方、将来の人事ローテーションなどを考えれば毎年一定の人数を採用するのもまた事実。 その間について、訪問してくれた学生の誰を採用すべきかは、人事担当者であれば必ず頭を悩ます問題だ(ちなみに、先の「絶対採用」組については、他省庁に採られるのではないかと、それはそれでまた悩みの種がある)。 では、そういったボーダーラインの争いで泣かないためにはどうすべきか。
官庁訪問と言っても、人と会って話をして気に入られるべしという点では、例えば合コンや告白と一緒。 先に言ったとおり、リザーブとして採用される人間がいる以上、No.1にならなくてもいいどころか、only oneにならなくてもいいのだから、この場合、勝ちを狙わずとも負けない闘いをすればよいということだ。
いきなり初対面の人間と話をさせられたとき、どうなったらいやな思いをしたり、困ったりするのかがわかれば、それを避ければよい。 人によって何がいやかはいろいろあろうが、相手や場を問わず、言葉に詰まって気まずい沈黙に包まれるシチュエーションが好きだという人はそういないだろう。 従って、場つなぎとなる材料を用意しておくことが望ましい。
省庁がどこであれ、相手が誰であれ、使いやすい場つなぎは何かといえば、質問をすること。
そのネタとしては、まず、場つなぎという意図がなくとも聞いておくべきことはきちんと聞いておくべきだ。 例えば、どの程度忙しいのか、どのように人事異動をしていくのか、給料はどれほどもらえるのか(特に残業代)、仕事のやり方は具体的にどのようなものなのか、等々。 人事担当部局で一通りのことは教えてもらえるだろうが、この手のことは、実態を知るためには聞きすぎるということはない。 できるだけ多くの人に同じことを聞いておくべきだろう。 ちなみに、違う省庁の人間にそれぞれ聞いてみると、メディアに出てくるイメージとは違う側面がいろいろとわかって面白いはずだ。
では、場つなぎとして聞くべきことは何か。 ある意味時間稼ぎなのだから、できるだけ相手の官僚が多くのことをしゃべりたくなるテーマであるべき。 役人人生で一番面白かった仕事は何か、逆に一番苦しかった仕事は何か。 今まで仕えた上司で一番尊敬している人は誰か。 その手の話題を嫌う人もいるので人を見る目に自信がある人向けだが、趣味や特技などについて聞いてみるのもいいだろう。
いずれにしても、大切なのは話を発展させること。 質問に対して答えてもらいました、で終わってしまってはもったいない。 相手の答えの中にとっかかりを見つけて、きちんと自分の言葉で議論できるテーマへ誘導していくことが大切だ。 官庁訪問は、相手省庁に自分を採用する気にさせる勝負なのだから、機会を見つけては、「自分は採用するに足る人間です」とアピールするプレゼンの場だとわきまえておくべきなのだ。
前回紹介した木村剛の発言については、次のようなものであるとの指摘をいただいたので、訂正させてもらう。
(日銀の福井人事局次長(当時。 現総裁)の「日本銀行を志望するということは、社会のために働きたいということだね。 金儲けがいやだから公のために働きたいんだよね」という質問に答えて、)
「金儲けのために働いている人の便益を受けているにもかかわらず、金儲けを卑下するようなことは言うべきではない」 (「エコノミスト」2002年4月2日号p51、「人間探検」第一回目)
(2003-06-22記)
時価会計がはやっている昨今ではあるが、貸借対照表に記載すべき数値として、取得原価なんて意味がないとのwebmasterの主張について、よく考えもせずもっともだとするのは実は問題だ。 取得原価が無意味だとして、なぜそうなのか説明できるだろうか。 含み損が隠されるから、などというのは一知半解で、含み益が表に出てこないというのだって同様によろしくない。
つまりは、経営に対してどのように影響しているのかを適切にあらわしていないことが問題であり、具体的には将来のキャッシュフローがまったくわからない点において意味がないのだ。
これだけを聞いて納得したとして、そこから理論的に導き出される以下の会計処理も納得できるかどうか。 納得できないとすれば、それはまだあるべき貸借対照表が何かがわかっていないということだ。
在庫・売上げの会計処理
ある商品を1万円で仕入れ、1万1千円で売ったとする。 この場合、仕入れたときに資産の中の現金1万円が在庫1万円に振り替わり、売ったときに在庫1万円が現金1万1千円に振り変わり、粗利益1千円が計上される(とりあえず、売掛金や買掛金は発生しないと仮定)、というのが現在の会計処理。
しかし、仕入れたときには、いくらで売れるという見込みがあるからこそ仕入れているわけで、将来のキャッシュフロー(1万1千円)は仕入れの時点で在庫の評価に織り込むべき。 したがって、あるべき会計処理は、仕入れた段階で在庫の評価額を1万1千円(正確には、売れるまでの期間を勘案したその割引現在価値)とし、この段階で評価益1千円を計上するというものだ。
負債の会計処理
100万円借りたら借入金として100万円を計上するのが現在の会計処理(これを取得原価と呼ぶ人はいないようだが、これも取得原価に基づく会計処理だ)だが、これがどうにも不自然で気持ち悪いと考えられれば、相当程度理解が進んだ証拠だ。 何がおかしいって、金利が年1%だろうが10%だろうが同じ100万円というのは一種のごまかし。
利払いを含めた借金に伴うキャッシュフローを割引現在価値で表示することとすれば、資産の平均利回り(いわゆるROA(Return On Asset))よりも低い金利で借りている借金は100万円未満に、高い金利で借りている借金は100万円超で表示されることとなる。
デリバティブ取引の会計処理
そもそも取得原価で記帳という概念は、何がしかのモノをいくらかで買って、それを記録したというのが原型だろう。 だから、債券や株式といった買ったモノがなく、利払いなどの将来のキャッシュフローのみが生じるデリバティブがオフバランスとして取り扱われるというのは、従来の考え方の延長線に乗っかるのであれば自然な話。
しかし、モノに相当する権利・義務の売買をしているのだから、モノでないということだけで扱いを異にするのは慣行に囚われている。 先物・先渡しの買いは資産に、売りは負債に計上すべきだし、スワップは受け側を資産に、払い側を負債に計上すべきだし、オプションについても同様にキャッシュフロー(ボラティリティと原資産の時価をベースとした確率分布を考える必要があるので面倒ではあるが)の現在価値をオンバランスに乗っけるべきなのだ。
(2003-06-22記)
勝手な推測をたくましくしてみると、筆者が(旧)経済企画庁に入ったのは1970年であり、第一次石油ショックを中心とする狂乱物価への対処が社会人としてインプリンティングされている可能性が高い。
また、あとがきを見ると、内外価格差問題が筆者の役人人生後半を賭した対象であったようだ。 内外価格差問題といえば、どうしても流通コスト問題に代表されるように中小企業の非効率性がやり玉に挙げられるが、霞が関の住人なら多くが経験しているように、中小企業関係のテーマほど政治が絡み、無理が通って道理が引っ込むものもなく(農業問題と双璧を成すだろう)、筆者の心の中には彼らへの怨念があってもおかしくない。
本書は、これらを反映してインフレ撲滅・内外価格差退治を主眼としており、近年とんと見かけなくなった「良いデフレ論」への捧げものといえる(webmaster注:この本、タイトルは「日本はデフレではない」なのだが、デフレであることは事実なので、好意的に解釈してこのように記している。 筆者自身、世では「デフレ」という言葉が継続的物価下落と不況の二重の意味で使い分けられ、言葉を都合よくすり替えていると非難している(pp18-21)が、どっちの意味でも今の日本が「デフレ」であるのは事実だろう。 第4章がタイトルと同じく「日本はデフレではない」と冠されているが、その中身を見ると、筆者の主張を忠実に受け止めても「日本はデフレスパイラルではない」か「日本のデフレはそれほどひどくない」という題であってしかるべきで、書名・章名ともども羊頭狗肉の謗りは免れまい)。
そんな本書、帯に「物価のスペシャリスト」の本であることを謳うだけあって、例えば「物価指数の本当の見方」と題された第6章など、物価指数に冠するテクニカルな説明を平易に行っている点はポイントが高い。 だが、それ以外には疑問となる点も多い。
最も救いようのない例を挙げてみよう。 webmasterのようなリフレ派からすれば、デフレを論ずる以上、その最大の害と考えられるデットデフレーションと失業率上昇についてどのような記述がなされているかは真っ先にチェックしたくなる。
本書では、デットデフレーションについては、債務者の支出性向が高いということが債務デフレの前提だということを考えれば、現在の日本で債務デフレが景気を悪化させる重大な要因になっているとは言い難い。(p89)
としているが、その理由をよく読んでみると、過剰債務を抱えた企業の投資意欲は極端に低下しており、債務者の支出性向が高いとはいえそうにない。(p89)
とあり、実質金利の高止まりにより金利負担(当然、これは支出だ)が増えていることを認識している気配がない。
さらに言えば、住宅ローンと家計について、住宅ローンありの家計が消費を減らしている一方で、なしの家計の消費がほぼ横ばい(それでも微減なのだが)となっている表(p90)の解釈として、家計全体としては債権のほうが債務より多く債権者の立場なのだから、実質資産効果という経路を通じて家計は物価下落の恩恵を受け、物価下落はこの経路からも消費下支え効果を生んでいるはずである。(p89)
との意見が出てくるのはwebmasterには理解不能だ。
もっと決定的なことをいってしまえば、筆者がデットデフレーションを全く理解していないのは、同じアーヴィング・フィッシャーに由来しながら、実は債務デフレの理論とフィッシャー効果は矛盾した理論である。
フィッシャー効果が働けば債権者、債務者間の所得移転は金利支払額の増減によって相殺されるから債務デフレは生じない。(p97)
などといっていることから明らかだ。
完全雇用かどうかというフィッシャー効果の前提条件を捨象するとしても、金利がマイナスになれないからこそフィッシャー効果により実質金利が高止まりし、デットデフレーションが生じるという単純な事実がなぜわからないのだろう。
一応筆者も、債務デフレが大きな問題となるのは、流動性の罠によって名目金利が下限に張り付いているときに限られる。
この場合、物価が下落しても名目金利が低下できないからフィッシャー効果は働かない。
債務デフレは流動性の罠が存在するような特殊な状況に限られた問題である。(p97)
と書いているので、表層的には理解はしているのだろうが、この記述と両者が矛盾しているとの記述こそが矛盾しているではないか。
権威主義に寄りかかるつもりはないが、フィッシャーほどの学者が提唱し、経済学の教科書に普通に載っている事項を「矛盾」と切り捨てるには、もう少しまともな検証が求められるのは常識というものだろう。
ちなみに失業問題についても、企業業績は悪くない、名目所得が伸び悩んでも実質所得が伸びているから問題ない(その例として引き合いに出されるのがお台場は賑わっていることだが、どこぞの首相が同じようなことを言っていたような・・・)と書きまくった上で、言い訳のように、その一方でシワ寄せが失業者に集中していることを忘れてはならない。
としているだけだ(雇用者数を減らせば企業業績が向上するのは当然だろうに)。
それですら、失業の多くは労働需給のミスマッチなど構造的要因によるもので、物価が上がれば解消するというようなものではない。
と付け加えているが、構造的要因が原因なら、有効求人倍率が底辺に張り付いていることをどう説明するつもりなのだろう。
物価と失業率の相関性には、フィリップスカーブという有力な傍証があるのだが、これに触れもせずこんなことを書いてもらってもねぇ(一応スタグフレーションによるフィリップスカーブの不安定化について触れられてはいるが(p175)、日本でいつスタグフレーションが起こったというのか・・・)。
結局、筆者のインフレは絶対許容すべからずとの、スペシャリストとしてのキャリアの中で培われたバイアスがすべてをゆがめているのだろう。
何しろ、筆者にかかれば、ニュージーランドにおけるリフレ的金融政策についても、ニュージーランドでインフレ目標の下限を下回ったときに、金融緩和が行われたことがある。
この場合もインフレ目標が物価安定(インフレ阻止)を目的に設定されたという事情は変わらない。
ということになってしまう。
安定とは落ち着いていて変動の少ない・こと(さま)なのだから、物価安定=インフレ阻止のみではなく、インフレ&デフレ阻止と考えるのが自然だと思うのだが、この言葉も筆者には届かないのだろう。
(小菅伸彦(2003)、「日本はデフレではない」、ダイヤモンド社)
(2003-06-22記)
意外に思う人も多いかもしれないが、実は、日本共産党の評判は、霞が関では悪くない。
ちょっと古くなるが、佐々木憲昭による鈴木宗男の追及を思い出してもらえればわかるように、国会での発言がきちんとロジックに立脚しており、センセーショナルな煽りをしない。 おそらく共産党の構成員には高学歴の人間が多く、官僚とバックグラウンドを同じくする部分が多いからだろうが、官僚としては理屈に基づく論戦は望むところであり、好敵手と認めるに足る存在なのだ(多くの場合、見解の相違としか言いようがない議論に終始することとなるが)。
さらに、国会の議員の質問については事前に役所が質問取りをするのだが、それをきちんと早い時間にやってくれるのも共産党だ(この点、ひどい政党もあり、彼らのせいで多くの官僚が質問が入手できるのを無駄に待っていることがある。 これにより必要以上に使われることとなる官僚の残業代、光熱費、タクシー代などは彼ら自身に負担させるべきだと思う)。 他にも、細かい事実の確認は政府参考人=官僚に質問し、大所高所からの政策論を大臣に挑むという点も、他政党に見習ってもらいたいところだ。
こんな共産党であるが、武力革命を目指していたことや、すべての社会悪をアメリカや大企業に帰するといった非現実性もあり、拒否感を示す人も多い。 野党共闘においても相手にされないケースもある。 このままでは、官僚としては残念だが、先細りは免れないだろうと思われていた。
そんな共産党が、第7回中央委員会総会で、党綱領の改定を持ち出した。 中で使われている言葉は相変わらずの共産党節で笑えるところもあるが、その内容については、天皇制や自衛隊の存続を許容するなど、昔の共産党からは考えられないものとなっている。
このまま行けば、そのうちもっと多数を取り、国会でもそれなりの議席を占め、官僚としては喜ばしい事態になってくれるのではないかとの希望も抱かないではない。 しかし、冷静になって考えてみれば、議席を増やせば増やすほど、今のようなインテリに偏った支持ではなくより大衆の支持を求めざるを得ず、悲しいながら今の美点が失われていくことになってしまうのだろう。 まったくもって、官僚とは永遠の少数派なのだ。
(2003-06-22記)
残る2つのうち1つは、志望動機のアピールだ。
社会人としてどの道を選ぶかというのは、学生結婚をしていない限り、多くの人にとって20年強の人生では最大の選択のはず。 どのようなことを考え、どれだけ情報をきちんと集めたかということが、志望動機には如実に表れる。
よくある志望動機として、「金儲けだけを考えるのではなく、社会のために働きたいから公務員になりたいと思います」というものがあり、これを評価する官僚もいるかもしれないが、webmasterとしてはこうした人間には官僚になってほしいとは思わない。 当サイトの主張からしてwebmasterが木村剛には批判的なのは一目瞭然と思うが、彼が高く評価されてしかるべきである唯一の点は、日銀の就職面接において、金儲けに否定的な意見をいう周りの学生に憤慨し、資本主義社会である日本で真に公益を達成するのは私企業の利潤追求であると言い切ったことだ(ウェブ上でソースが見つからないので、細部は不正確かと思うが)。
高い給料が欲しいなら、外資系コンサルをはじめ、国Iに合格するほどの人間なら他にいくらでもいい就職先がある。 社会のために働きたいのなら、見えざる手の一つとして民間企業で利潤追求に励むべきだ。 天下りなどでおいしい思いをしたいというのなら、そもそも官僚不適格。 労働条件は劣悪だし、政治家・メディアからは、認められる100倍はけなされる。
そんな官僚になぜなりたいかをきちんと説明し、それに対しての質問に当意即妙に答えることができれば、その学生の印象は強いものとなろう。
最後の、そして最も難しいものは、訪問先の役所の批判だ。
どんな政策であってもしょせんは人間が考えたものであり、欠点のないものなどあり得ない。 担当者は政策のことを知っているだけに、何がその欠点かはよく分かっている。 上記のように、日頃政治家・メディアから批判を多く受け、かつ、そのほとんどが事実誤認や言いがかりだったりするだけに、担当者は的確な批判を受けると、思わず「こいつはこの政策のことをよくわかっているのだな」と思ってしまうもの。
とはいってもそこは担当者、自分でも弱いと思っている点であっても、そこを指摘された場合にどう対応すべきかはわかっており、学生が的を射た批判をしても反論してくる。 従って、最終的には担当者に論破されるのは当然(逆に、学生=素人を論破できないような官僚は大いに軽蔑の上、完膚無きまでに折伏してかまわない)なのだが、論破のされ方によりさらに好印象を与えることが可能だ。
具体的には、一度や二度は再反論・再々反論を試みつつ、最終的には適当なところで白旗をあげること。 何も反論をしないというのでは、的を射た批判は偶然だと思われかねないので、そうではなくきちんと考えた上での批判だということを示すためには、5分や10分程度は対等な議論をする必要がある。 その上で、自分は間違っていることは間違っていると認めるだけの判断力があることを明らかにするため、きちんと負けを認めて引き下がる(論戦は喧嘩と違って勝敗が見た目ではわからないので、自分が負けていることがわからない相手ほどたちが悪いものはない)。
これができれば、少なくとも面接の相手の官僚が優秀であれば、高い評価を与えること間違いない。
(2003-06-15記)
各省庁からすればいかがなものかと思う点も多い主張をする特区推進側であるが、その事務局にもまた官僚がいる。 そうした官僚の行動原理から、官僚のメンタリティの一部を明らかにすることにしよう。
目的のためには手段には目をつぶる
少なからぬ医療法人の経営が非効率であるという点に問題意識を持っている場合、構造改革特区を口実に少しでもそこに風穴を開けることができるのであれば、多少理屈に無理があっても押し通すべきと考えている官僚がいるはずだ。 「理屈はその通りかもしれませんが、それでは鴻池大臣が通りません」 ということを大義名分にしつつ、実際には鴻池大臣の意向以前に自分が通したくないというパターン。
交渉ごとに熱中する
中身が何であれ、相手との交渉自体に知的な駆け引きのおもしろさを見いだし、ディベートとして勝つことに意義を見いだしている官僚がいるはずだ。 世論形成を含め、勝ったという結果が施策の正当性をもたらすのであり、どんなに正しそうな理屈をいったところで、負けたのであればそれは正当ではなかったと考えるパターン。
仕事は仕事としてこなす
しょせんはペーパーを作成して調整するのが官僚の仕事と達観し、出向を命じられた以上、その職場でいつもとかわらぬ仕事をすると割り切っている官僚がいるはずだ。 これだけ注目を集めている事柄である以上、最終的な結論は大臣クラスの意向で決まる話であり、官僚は官僚として求められる範囲の仕事をすべきとしてそれ以上は踏み込まないパターン。
うしろめたさを禁じ得ない
本当は各省庁の言い分に理があると思いつつ、各省庁の方が正しいですといって上にあげても通らないので、仕方なく上が受け入れそうなペーパーを書いている官僚がいるはずだ。 「理屈はその通りかもしれませんが、それでは鴻池大臣が通りません」 ということを本気で言うパターン。
本当に特区が必要と思う
各省庁の主張を本当にごまかしだと思い、特区の推進がデフレの解消や構造改革の推進に不可欠だとの使命感に燃えている官僚がいるはずだ。 各省庁にいても、逆に特区への反論を上司にいわれて書きつつ、本当は推進すべきなのにと考えるパターン(ちなみに、特区のすべてが理不尽というわけでもないので、ケースバイケースでこうした考えはありだとwebmasterも思うが、およそ中身にかかわらずこう思う官僚は頭が悪いと言えよう)。
(2003-06-15記)
先日、マクドナルドの渋谷東映プラザ店(東口のビックカメラ脇)に行ったところ、M diningというまったく新しいタイプの店舗に改装されていた。 マクドナルドのサイトにも関連する記述がないので、このタイプの店舗を全国展開しているのかどうかは知らないが、店員がベレー帽をかぶったり、全粉パンをバンズに使ったりと、従来のマクドナルドとは異なったカラーを前面に押し出している(キーワードは"New York style"らしい)。
思えばこの会社も、デフレ時代の勝者として値下げ戦争の先陣を切ってもてはやされたのは過去の栄光となり、いまやその迷走を叩かれまくっている感がある。 店頭公開企業として、売り上げが落ち込んでいる以上、弱り目に祟り目となるのは感受せざるを得ないのだろうが、より問題なのは今後の展望が見えてこないことか。 先のM diningにしても、いくつかの店舗で成功する可能性は十分あると思うが(ライバルはFreshness Burgerか?)、明らかに都市型のイメージであり、全国展開は難しかろう。
さらにいえば、ドトールがスターバックスに対抗してエクセルシオールカフェを打ち出したときのように、完全には別ブランドとして立ち上げられないというのも、ずいぶんと弱気だ。
結局のところ、キラーアプリならぬキラーメニューを編み出せないことが低迷の理由。 今のデフレ時代の前であっても、バリューセット(さらにはその前身のサンキューセット)の導入以来価格競争で日本のファストフードを引っ張ってきたマクドナルド、最後に頼りになるのはやはり価格競争ではないか(ちなみに、かの藤田田がインフレ到来を予測した上で値上げに踏み切ったのは完全に間違い。 インフレ=平均すれば皆が値上げせざるを得ない状況下では、コスト抑制により少しでも値上げのタイミングをライバルより遅らせてこそ商機があるというもの)。
牛丼界では300円を切る値段が最前線。 都市部の重複店舗をM diningに切り替えること等によりコストカット(路線が違うので、現在相当程度の規模で起こっているはずの店舗間でのカニバライゼーションの解消による売り上げ増にも効いてこよう)を進め、セット料金で250円を出すことができれば、違った展開が見えてくるのではないか。
(2003-06-15記)
最初に一つお詫びを。 先週触れたOpenJaneとは2ちゃんねる専用ブラウザの一つ。 リンクを張り忘れたので、ログを読みたくてもわけわからんという人がいたら失礼であった。
さて、官庁訪問で最初の課題となるのは自己アピールである。 まずは自分という人間に興味を持たせなければ始まらない。
その前段階として、どのような人間であれば評価されるかを考えると、端的に言えば頭の良い人間である。 そして、それと同じぐらい重視されるのが、コミュニケーション能力である。 それぞれ、順に説明してみよう。
まず頭の良さであるが、どのようなタイプの頭の良さが求められるかといえば、官僚の仕事は以前「官僚道の歩き方」でも書いたようにある種の情報処理であり、その過程で付加価値を十分つけることができるかどうかが評価の分かれ目だ。 ここで重要なのが時間と価値のバランス。 短期間で処理すべき案件については、使うことが許される時間から逆算して処理のレベルを設定しなければならないし、それなりの時間がもらえる案件については、ちょっとやそっとのツッコミでは倒れないだけの内容が求められる。
具体例を出すと、国会議員から説明を求められた場合が時間優先の典型。 急いで来いといわれれば何はさておき行くことが重要であり、説明がきちんとできるかどうかは二の次。 もちろん説明に行く人間は担当者であるからして、まったく何も説明できないというのは論外だが、個別事例についての問い合わせなど、急には詳細がわからないこともままある。 そうした場合には、とりあえず関係しそうな資料を斜め読みして枠組みを整理して対応し、わからないことはわからないと引き取って再度説明するというのがベター。
他方、時間をかけてじっくり取り組む典型は法律案の作成。 法律案の作成担当者は、自分が書く条文については、それこそ一語一語についてそれがなぜそのような言葉を使い、どのような意味を持ち、他法令との関係がどうであるか等々についてわかっていなければならない。 それも、独りよがりであっては意味がなく、その分野での専門の学者から批判されたとしても、最悪でも立場の違いで説明可能なレベルで反論する必要があり、論破されるようなことがあってはならない。
次にコミュニケーション能力であるが、官僚はあくまで役所という組織で勝負する人種であるので、組織内でうまくやっていくことと、組織を代表して外部の人間とうまくやっていくことの両立が求められる。 自分が正しいことであっても、相手のメンツをつぶして感情的に反対されるようなことになってはならないし、馬鹿な上司・使えない部下と思っても、それが伝わって嫌がらせを受けたり、サボタージュされるようでは仕事が回らなくなる。 論理で勝負したり、浪花節で訴えたり、政治家や幹部の威を借りたり(相手が折れる理由を用意するということ)と、様々な手練手管が使えることが望ましい。
以上のような能力があると訴えるのに適した手法は3つある。
1つは、自分の専門分野の説明だ。 例えば法学部出身の官僚であっても、大学を離れれば学界の最先端には疎くなるので(特に大学でメジャーな民法や刑法などは、法務省の担当以外は条文を読む機会すらほとんどない)、学生の専門分野については素人同然と考えてもらって差し支えない。 そうした人間を相手に、自分の専門分野をどれだけわかりやすく説明し、素人からの質問に、それがピントはずれのものであっても誠実に対応するというのは、自分の能力をどれだけ言葉で語るよりも説得力のあるアピールとなる。
専門分野とは、何も学問である必要はない。 サークル活動でも、国内外の長期旅行でも、とにかく人とは違う何かについて、それをわかりやすく、根気強く説明して、自分が打ち込んだ何かの魅力と、それを通じて自分が得たことを伝えることができれば、それを聞いている目の前の官僚も高い評価を与えることになるだろう。
あとの2つは次回だ。
(2003-06-08記)
「あずみ」の上映開始にあわせ、最近やたらとメディアへの露出が目立つ上戸彩。 彼女の出世作と言えば金八先生になるのだろうが、その次のステップを間違えたようである。 「あずみ」のテレビCMを見ていると、よりにもよって向いていない役を選んでしまったとしか思えず、オスカープロが最近多用するメディア露出戦略も、こうなってしまうと大した効果はない。
現に、最近までその戦略を使っていた菊川怜も、そしてその前の米倉涼子も、露出が切れると同時に印象が薄くなってしまっている。 さらに言えば、国民的美少女コンテストの歴代受賞者を見ても、佐藤藍子ぐらいしか第一線には生き残っていないわけで(小田茜は「ぼくの魔法使い」で見かけたが、ずいぶんな様変わりだった)、メディアへの露出が生命線というのはこのプロダクション所属タレントの通弊のようだ。
それではどうすれば生き残っていけるかを考えても、なかなか難しい。 先の佐藤藍子もそうだが、宮沢りえや観月ありさを見ても、「美少女」で売ってしまうと、女優に活路を見いだすのが定番(後藤久美子はその中でもルックスが頭抜けているので例外)。 しかし、「あずみ」を見る限り、その方面の才能にはあまり期待ができそうにない。 当面はテレビドラマで場数を踏みつつ演技の勉強を重ねるにしくはないが、オスカーがそんな地道なキャリアを許容するかどうか。
まあ、許容されずにそのうちフェイドアウトする確率が高いとwebmasterは踏んでいるからこそ、「旬」の今、ここで取り上げたのだが。
ちなみに「あずみ」であるが、原作ファンの一人としては、映画化するのであればもっと人選を考えて欲しかった。
じゃあ誰がと考えると、殺陣をこなしても違和感のない雰囲気や演技力を重視するなら黒谷友香で決まりなのだが、あずみ役としては年齢がネックとなる。 年齢とルックスなら加藤あいか上原多香子だが、殺陣の違和感は上戸彩と大同小異となりそうだ(というか、上原多香子だと上戸彩より演技が下手だし)。
と悩んだ結果、松浦亜弥で決定。 あれほど完璧に「アイドル」を演じきれるのだから、半年ほど歌から隔離して演技をたたき込むことさえできれば、魅力的なあずみが十分期待できよう。
(2003-06-08記)
アジアの両端とは中東と日本。 その両者で、奇しくも日を近しくして、中東和平が合意に至り、有事法制関連法案が成立した。
中東和平に関しては、クリントン政権が精魂傾けて維持を図ったオスロ合意はあっけなく崩れたわけだが、今回の中東和平については、当面うまくいく可能性が高い。 パレスチナ側のテロも完全には収まらないだろうし、違法入植地からの引き上げに反発するイスラエル国内の右派が納得しているとも思えない。 ではなぜうまくいくのかと言えば、イラク戦争があったからだ。
イラク戦争でフセイン政権が崩壊し、イラクという中東の要衝に親米政権ができる以上、アメリカから見たイスラエルの重要性は間違いなく低くなった。 地勢要因を見れば明らかだが、海洋国家の支援なくしてイスラエルの存続はあり得ない。 アメリカに見捨てられたイスラエルを待つのは、800年前のエルサレム王国、アンティオキア公国等々の十字軍諸国と同じ運命。
無論、豊富な実戦経験と士気の高さを誇る軍隊が看板のイスラエルが滅びるとしても、相当程度の期間とアラブ側の出血を必要とするだろうが、中長期的にはじり貧となるのは避けがたい。 となれば、アラファトの実質的権限喪失・アッバース政権の成立で花を持たせてもらったこともあり、イスラエルとしてはアメリカの顔を立てて和平に応ずるより他ない。 ウェストバンクからの撤退を含め、今までであれば呑めない条件でも、それがイスラエルの存続のためどうしても譲れないものでなければ呑まざるを得ない。
反米・反イスラエルの巨頭イラクの存在は、大量破壊兵器さえなければ、イスラエルにとってこそ大きな意味があったのだ。
それを思えば、冷戦が終了して10年以上たってようやく有事法制が整うというのどかな対応が許された日本は、なんと恵まれた状況にあったことか。 日米安保条約は内閣を倒してでも守った自民党政権が、有事法制についてはその必要性に触れた自衛隊幹部を切り捨てたという事実を見ても、米軍の存在さえあれば実際には対ソ戦争の危険性は少なかったとの判断があったのだろう。
それが今になって立法化されたということは、冷戦下での対ソ戦争よりも今の北朝鮮のテロのリスクの方が高いとの判断があるいうこと。 今般の有事法制は対テロには役立たないとの指摘もあるが、テロという不正規戦に対応するプロトコルは正規戦へのプロトコルへの特例として定められるべきものであって、それだけで存在し得るものではない。 あくまで今回の立法は空振りを承知で対テロ用の有事法制の土台として作られたものと理解するのが正しく、本番はこれからやってくると言えよう。
(2003-06-08記)
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/時系列書庫[8]/2003-06