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writings concerning kasumigaseki issues and others: 2004-08(the 2nd half)

2004-08-31更新分

[共有地の喜劇]:第5幕

メールでのご指摘

前回の編集後記でゲッベルスの総力戦布告について触れたが、その録音の一部がネット上で入手できるというメールをいただいた。 ran an den Feind!というサイトがそれで、その中の第三帝国音声館からダウンロードできる(和訳が見つかったので、ついでにお示ししておきたい)。

最近の米大統領候補指名に係る民主党大会や共和党大会の演説もそうだが、日本での演説とは空気が違う。 一聴の価値ありではなかろうか。

(2004-08-31記)

[法令XML文書化計画]:舞台裏通信第5号(2004-08-31)

読者からのリンク

8月28日@ダメオタ官僚日記
内閣法制局の法令審査支援システムに係る1億円予算要求(後で詳述)に関連して。
8月28日@続・航海日誌
ダメオタ官僚日記さんと同じく、内閣法制局の1億円予算要求に関連して。

修正・訂正・変更レポート

  • 章等の「名前」を表す要素を「名前要素」に、「条」を表す要素を「条要素」に、「見出し」を表す要素を「見出し要素」に、各号列記以外の部分(柱書き)を表す要素を「文章要素」に、各文を表す要素名を「文要素」に変更した。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−name要素、article要素、heading要素、line要素、sentence要素及び関連要素)
  • 附則が項のみからなる場合において、その項に見出しが付される場合に属性で処理することとしていたが、見出し要素で処理することとした。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−項要素)

編集後記

「読者からのリンク」で触れた内閣法制局の法令審査支援システムだが、その情報は朝日新聞の報道毎日新聞の報道しかなく、仕様に類するものはそのうち朝日のそれに頼るしかないのでひょっとしたら誹謗中傷になってしまうかもしれないのだが、報道が正しいとすれば、この法令審査支援システムとやら、どうやったらこんなタコな仕様を考えつくのか想像がつかないほどのシロモノだ。どんな仕様かはリンク先をご覧いただくとして(リンクが切れている場合は、上記のダメオタ官僚日記さんをご覧いただきたい)、何がどうタコなのか。

なんで「作成」支援システムではなく「審査」支援システムにしようと考えたのだろうか。 改正法案をパソコンに入力条文ミス防止、ソフト頼み 内閣法制局が1億円予算要求@アサヒ・コムというからには、作るまでは結局今までと何ら変わらないということになる。 ミスを減らしたかったら、ミスを見つけやすくするのも大事だろうが、それ以前にミスが少なくなるようすべきだろう。 ついでに言えば、法案作成は一太郎でやるところが多いが、WordやOASYSで作っているところもある。 「入力」とはそれぞれのアプリのファイル保存形式に従ったバイナリデータを食わせることを言うのだろうが、その処理エンジンだけで余計なコストが追加されるよな。

このことから、必然的に生のテキストを用いることとならざるを得なくなる(バイナリデータを使うから正しい意味で生のテキストではないのだが、このシステムで活用するのはテキストデータだけであろう)。 つまりはマークアップされたもののように、データ自身には構造や意味についての情報が埋め込まれておらず、文章を解析してから処理を行うこととなる。 多分1億円もかかる最大の理由はこの解析エンジンの開発だと思うが、いくら法律が定型的な文章だと言っても自然言語であることに変わりはない。 だから、今回起きた、新しい条項の挿入による前後関係のずれ、引用の誤りなどがないかどうかの点検の必要性を指摘する同上ことしかできないのだ。

本企画は未完成だから偉そうなことは言えないが、タスマニア(オーストラリア)のEnActやアメリカのLegislative Documents in XML at the United States House of Representativesを直訳して導入した方がよほどコストパフォーマンスがいいと思われる。 その方が少なくとも、作っては見たものの使い物にならないようなシステムになってしまうリスクは回避できるだろう。

(2004-08-31記)

2004-08-22更新分

[書評]:問いなおされて考えてみたこと−「憲法と平和を問いなおす」(長谷部恭男著)

正直申し上げると、webmasterは学生時代、憲法の講義が嫌いであり、憲法についての本など読む気がしなかった。 なぜそう考えたかについて一例を挙げれば、長沼ナイキ訴訟の地裁判決に典型的に見られる、第9条に関する現実を無視した護憲論にあきれ果てていたからである。 自衛権の行使は、たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害にたいし、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められ長沼ナイキ訴訟の地裁判決るなどという意見がもてはやされていたのだから(この証言をしたのは田畑茂二郎(国際法学者)ではあるが)。 まあ外交努力はいいとして、軍事侵攻に対抗できる警察は名称が警察だとしても実質的に軍隊だろう(逆に言えば、普通に言う警察に軍隊と正面から対抗する力はない。 というか、名称が軍隊じゃなきゃいいなら自衛隊でもいいだろう)とか、群民蜂起って左の人間ならパリ・コミューンスペイン内戦時の共和国政府側の悲惨な結果(それでもワルシャワ蜂起に比べればかなりましだが)を知っているだろうとか、財産没収や国外追放がいかなる形で自衛につながるのか意味不明だとか。

そんなwebmasterにとって、本書は題名からして縁遠くて当然のようであるが、稲葉振一郎氏のインタラクティヴ読書ノート・本館避難所における議論を見て思わず手に取ってみたくなってしまった。 読んで納得、確かに議論が熱くなるだけの内容である。 当然ながら、先に紹介したような、伝統的な護憲派による自衛権行使についての考え方から導かれる帰結もきちんと押さえてある。

では、いったいどういった内容なのかというと・・・単純でない問題を単純であるかのように説明するのは、詐欺の一種である(p9)と筆者が断っているその本の内容を簡単にまとめられるという自信は、webmasterにはない。 そこで、本書を読んでwebmasterがどのようなことを考えたのかを記し、そういったことを考える材料を含んだ本であるという形で、間接的にその紹介をすることとしたい。

筆者の発想の大本は、民主主義にもとづいて行使される国家権力でさえ制限されるという点に、立憲主義の強みとその謎がある(p13)という一節に代表されると考えられるが、その「強み」は本当に「ある」のだろうか? とwebmasterは疑問に思う。 この命題が真であるためには、民主主義に基づく意志決定の内容が立憲主義に反するものである場合に、その意志決定を無効化する強制力が立憲主義に備わっていなければならないが、果たしてそんなものはあるのだろうか。

最初の手がかりとして、オデュッセウスとセイレ(ー)ンのエピソードを引きつつ、民主主義国家にとって憲法が持つ合理的自己拘束としての意味は、このオデュッセウスの寓話にわかりやすく示されている(p156)という本書の記述を考えてみる。 この記述の含意するところは、民主主義は自らに立憲主義という拘束を課したのだからそれに従うということになろうが、これが一筋縄ではいかない。 オデュッセウスがセイレンの歌声に抗し得たのは、いみじくも筆者が書いたように部下に命じて自分を帆柱に縛り付けさせ、しかも、万一自分が縄を解いてくれと合図でもしたら、ますます一層強く締め上げるようにと命(p155)じたから。 これになぞらえるのであれば、筆者が立憲主義の制度的担保の一つであるとする硬性憲法では足りず、憲法の改正を禁じなければならない(先のオデュッセウスの例で言えば、1回や2回の合図なら一層強く締め上げるが、10回合図をしたらそのときはほどけと命じていたら、船は沈んでいただろう)。

しかし、憲法の改正を憲法により禁止することは、立憲主義に内在する制約から取り得ない選択肢である。 自然権論も、それに基づく立憲主義も、何か特定の宗教や哲学によって基礎づけられているわけではないことには注意が必要である。 立憲主義の底を掘っていくと、たとえば、人間だけが平等な権利を生来与えられたものとして万物の創造主によって創造された、というテーゼに行き当たるわけではな(p60)く、あくまで比較不能な価値の共存に重要であると経験的に考えられるにすぎないからだ。 こうした考え方に立脚する限り、憲法の規定は絶対的に正しく、その修正の必要は未来永劫生じ得ないという前提に立って初めて正当化され得る改憲禁止規定は設け得ないのは理の必然だ。

だから理論的には、改憲規定がある限り立憲主義を否定するような改憲も可能だ。 現行憲法の基本理念を変更するような改憲はあり得ないと言ってみたところで、現に日本国憲法は大日本帝国憲法の基本理念を変更しているのだから(それを法学的にどう正当化するかについては、憲法学の世界でも泥沼化した議論に陥っているので立ち入らないが、大日本帝国憲法も日本国憲法もそれぞれがそれぞれの時代で有効である−その間に断絶があるかどうかといった細かな論点はともかく−ことには異論はなく(少なくともまともな議論と言えるものでは)、であれば「変わった」という事実はその法的構成がどうであれ否定されない)。 日本国憲法への変化は「良くなった」ものだからいいのだという考えは、本書の立憲主義と共存する考えではないことはいうまでもない。

さらにラディカルな問題を考えるなら、改憲規定に則らない改憲が無効であることの制度的保障が可能かどうかというものがある。 当然憲法学者は無効だと主張するだろうが、憲法学者がそう解釈するから無効だなどということには絶対ならないのは確かだ。 もちろん、その改憲には司法の違憲立法審査権も及ばない(憲法を改正する法令は当然憲法である一方、違憲立法審査権の対象はあくまで法律以下の法令。 ぎりぎり及び得るとするなら、不文憲法とコモンロー裁判所の国イギリスぐらいなものか)。

筆者のこの問題に対する答えらしきものを探せば、本書において繰り返し主張される、アプリオリな線があらかじめ存在しないからこそ、いったん引かれた線にこだわらねばならない。 後退を始めれば、アプリオリな線がない以上、踏みとどまることのできる地点はどこにも存在しない。 公私の境界線に関して、たとえば最高裁判所が保護の線引きをすれば(・・・)、よほどの事情がない以上、それを維持していかなければ、人々の期待を裏切る措置が行われることになり、決まっているはずのことを、各人の抱く価値観にもとづいて後から変更する不公正な扱いがなされたとの非難を招くことになる(pp73,74)というものだろう。 つまり、趣旨・内容が絶対的に正当化されるものではなくとも、いったん決めた以上はそれを正当なものとして扱わなければならない、という立論である。 が、これでは残念ながら不十分だ。 第一に、先の引用でも「よほどの事情がない以上」という留保がついているように、この縛りは「よほどの事情」で覆し得る。 第二に、これも一憲法学者の見解にすぎず、制度的な担保はやはり何もない。

結局、この疑問に対する回答としては、webmasterの考えでは、先の立憲主義の強みとは、事実がそうだというのではなく(さらに言えば、究極的には立憲主義は民主主義の制限足り得ないのだから、事実でないというにとどまらず事実に反している)、そうであるべきという主張にすぎないということになる。 立憲主義は自然な考え方ではない。 それは人間の本性にもとづいてはいない。 いつも、それを維持する不自然で人為的な努力をつづけなければ、もろくも崩れる(p180)というテキストを見ると、筆者の考えはwebmasterのそれとそう遠く離れてはいないと思える。 他方で、ここまでの議論は広い意味では自然法論法実証主義との間で長年繰り広げられてきたものの一つのバリエーションであり、そう簡単に止揚されるものではないようにも思える(誤解を招きそうなので蛇足かもしれないが付け加えると、筆者の見解が自然法論の系譜に、webmasterの見解が法実証主義の系譜に、それぞれ属する)。 この点について、筆者の本書の議論の先にある見解を是非聞いてみたいものなのだが。

さて、ほとんどwebmasterの考えを書き連ねておいて書評というのも気恥ずかしいものがあるので、このテキストを読んでなにがしかの知的好奇心(それが賛成であれ反対であれ)をそそられた人間にとってはお薦めだ、と最後に付け加えてお茶を濁しておきたい。 リトマス試験紙として適切なのは、本当はwebmasterの駄文などではなく、本書のあとがきではあるのだけれど。

長谷部恭男(2004)、「憲法と平和を問いなおす」筑摩書房

(2004-08-22記)

[共有地の喜劇]:第4幕

マーケットの馬車馬でのご指摘

経緯は以前同サイトを取り上げた際のテキストをご覧いただくとして、早速そのテキストに対する馬車馬氏のコメントについて、webmasterの考えるところを述べていきたい。

第一点目はバーナンキの背理法について。 異論があるのは財政政策に消極的な人がバーナンキの背理法を使うのは矛盾とのご指摘についてであるが、矛盾とは考えないものの、なんの説明もなしに通用するものではないことは事実である。 今回の馬車馬氏のコメントを見て、何を説明すべきかが見えてきたように思えるので(とっくにわかっていたという慧眼の士がいたら失礼)、その点を書いていきたい。

結論から書いておこう。 リフレ派は一般に、国債買入れを増やすことがインフレ期待の醸成につながるトランスミッション・メカニズムはバーナンキの背理法が示すそれに限るものではなく、複数あると考えている。 他のメカニズムでマイルドインフレが達成できればベターだと思うが故に、あたかもその主張とバーナンキの背理法が一見矛盾しているように捉えられるのだ。

じゃあバーナンキの背理法なんぞ持ち出さなければいいじゃないか、ということになるが、バーナンキの背理法は論理的に必然である一方で、その他のメカニズムはそれほど頑健な根拠がない(=インフレにはならないかもしれないだろ、という反論を完封できるものではない)。 従って、国債なんか買い増していってもインフレになんかなるもんか、という論者と議論を詰めていく過程では、バーナンキの背理法故にインフレにすることは絶対に可能だ、というロジックを使わざるを得ない局面がでてくるのだ。 言い換えれば、他のメカニズムではマイルドインフレに至らなかった場合には、バーナンキの背理法が含意する政策手法(=金融緩和と財政拡大の組み合わせ)に踏み切るにやぶさかではないのだが、それは最後までとっておこうよ、ということである(この点にはリフレ派内でも温度差があるので、もう少し財政拡大に積極的な向きもある)。 以下、他のメカニズムとは何かということと、それが金融緩和と財政拡大の組み合わせよりも優れていると考える理由を述べたい。

他のメカニズムの主たるものは2つ考えられる。 まずはポートフォリオ・リバランス。 それって何? という質問に答える前に、重要な補助線として限界効用逓減の法則を紹介しておく必要がある。 よく言われる例でなんだか、ビールは最初の一杯が一番美味しくて、飲めば飲むほど飲みたさが減っていって、最後にはもういいやとなるというあれである。 つまり、モノやサービスは増えれば増えるほど、増えることについての満足が少なくなっていくということだ。

日銀がどんどん国債を買い入れれば、その対価としてキャッシュが銀行に支払われていくが、キャッシュを受け取れば受け取るほど限界効用は逓減していき、それが他の資産の限界効用を下回った時点で、そのキャッシュをその他の資産に替える動きが出てくる−すなわち、有価証券や固定資産を買うこととなる(ちなみに、貸出に回すとか、消費してしまうというのも同じことだ)。 銀行にそれらの資産を譲渡した者も、当然対価としてキャッシュを受け取っているので、そのキャッシュについての限界効用が他の資産のそれを下回った段階で同様の行動に出、さらに、・・・という具合に、各経済主体がそれぞれのポートフォリオを組み替えていくことが予想される。

これがポートフォリオ・リバランスで、日銀がキャッシュを世の中にばらまけばそのこと自体が投資や消費を刺激するというメカニズムだ。 というと、読者にはキャッシュをばらまこうにも札割れが起きるだろうから限度があるのでは、との疑問が浮かんでくるかもしれない。 先のリンク先によれば、資金供給オペレーションで札割れが起こっているということは、金融機関に十分な資金が既に行き渡っているため、金融機関がオペレーションに全額は応じようとしなくなるほど、日本銀行が豊富に資金供給を行っていることを意味用語解説(あ行)@教えて!にちぎん)するとの説明があるからだ。

しかしこれは真っ赤なウソで、札割れというのは、日銀が定める基準価格(正確に言えば定められるのは基準利回りだが、そこから価格は一意に決定される)以下で売ってもよいという金融機関がそれだけしかいなかったということにすぎない。 基準価格などとっぱらって、オペ額に達するまですべての札を受け入れるのであれば、札割れなど起きるはずもないのだ。

脱線から元に戻って、次のメカニズムは円安効果だ。 今頃になってまだマネタリー・アプローチかよ、という声も聞こえてきそうだが、実証分析の結果(webmaster注:以下で紹介する本の第2章は、上記のポートフォリオ・リバランスについてより高度な論証をお求めの方にお薦め))は以下を物語る。

・・・得られた結果を要約すれば以下の3点である。 第1に、金融政策の指標としてベースマネーを用いる方が、マネーサプライを用いるより、為替レートに対して大きな説明力を有する。 第2に、為替レートに対して日米ベースマネー比と期待インフレ率の影響がきわめて大きいということも確認された。 これは90年代以降の日本経済において適切に推計された期待インフレ率の説明力が大きいということであり、本章の強調する点である。 第3に、ベースマネー増減を伴わない不胎化された為替介入や、公表介入額に基づいた為替介入の指標はモデルに追加的な説明力を与えない。 これらの結果により、金融政策に関わる変数であるベースマネー、期待インフレ率が為替レートに与える影響が大きく、不胎化介入などベースマネーの変更を伴わない金融政策の説明力が弱いことが導かれる。

浜田宏一・原田泰・内閣府経済社会総合研究所編「長期不況の理論と実証」p97)

従って、マネーサプライが増えないいわゆる「金詰まり」の状況にあったとしても、とにかく日銀がベースマネーを供給、つまりは国債をどんどん買い取って日銀当預残高を積み上げていけば円安となる可能性が極めて高いのだ−どうしてそうなるのかは今はまだ解明されていないが。 日本は経常黒字国であるので、円安による外需拡大効果は当然ながら大きなものとなる。

では、これらのメカニズムに比べ、財政拡大を後回しにすべき理由は何か。 一般に財政の三機能といわれるが、財政政策が用いられれば必然的に資源配分や所得再配分にも影響を与えざるを得ない。 むろんデフレ脱却を最大の目標とする以上、それしか手段がなければ財政拡大もためらうべきではないが、他に副作用の少ない手法が残されているのであれば、まずそちらを頼りにすべきという主張なのだ。

第二点目は銀行貸出の重要性について。 馬車馬氏も別に邦銀がダメでも外銀から出資なり融資なりを受けられるなら何の問題もないと記されているので、議論の本質に関わる部分についてはほとんど認識に差はないと思うので、いくつか余談を。

  • クルーグマン教授も強調していることだが、持続的な回復が見込めるようになってはじめて日本はデフレから脱出することができるとの点について、クルーグマンは経済成長とデフレ脱却は分けて論じている。 「復活だぁっ!」論文で、実質均衡金利がマイナスであっても、期待インフレ率を引き上げることができればデフレ脱却が可能だとしていることを参照されたい。
  • 外資でなくとも、東京三菱銀行や静岡銀行が有名な日本の健全行も、真に資金需要が出てくれば貸出を伸ばすことができるだろう。
  • さらに、銀行以外でも、企業間信用や証券市場を通じた資金調達もまた可能である。 企業間信用が銀行と同様、場合によっては銀行以上に重要な資金循環チャネル足り得ることについては、先に紹介した長期不況の理論と実証の第5章をご覧いただきたい。

第三点目は財務省について。 あの病的な財政赤字恐怖症は、日銀のこれまた病的なインフレ恐怖症に比すべき誤った信仰だが、ことデフレ脱却に関しては、日銀が長期国債の買入れはしない一方で、外為介入は半ば不胎化(介入額よりも介入時のベースマネー増加額が少なくなるようオペをしているという意味で使用。 為念)している以上、彼らにできることは限られていると考えられ、この文脈では日銀ほど非難されるべき対象ではなかろう。

ただ、リフレ派の多くも、財政拡大のみによってはデフレ脱却はできないとは思うものの、景気回復のたびにやたらと緊縮財政を持ち出す姿勢がデフレ期待に一役買っているとは思っているわけで、当面財政政策は全体として中立であるべきと主張している。 特に現状、地方公共団体が総じて緊縮財政に走っているので、中央政府、すなわち国の財政政策は拡張気味でちょうどよいだろう。 そうした観点からは、日銀ほどではないにせよ、財務省にも問題があるのは事実であり、その改善が求められよう(というか、あそこは財政畑と国際畑で意見統一がなされていないように思われる。 国際畑は財政畑よりはきちんとデフレの害を認識し、それを解消するという目的に添って政策を立案していると評価してよいのではないか)。

実は財務省のそうした態度は、以上のような経済学的文脈よりも、政治的・社会的文脈で糾弾されるべきである。 浅井隆、幸田真音といった財政破綻・国債暴落イデオローグが社会的に受け入れられる土壌ができてしまったことに関しては、間違いなく財務省の財政赤字をことさらに騒ぎ立てる姿勢にその責任の多くを帰せられるからだ。 貯蓄投資バランスを考えれば、一定程度の財政赤字は日本においては不可避なのだから、赤字それ自体を問題したって始まらない(ちなみに、昭和41年度の建設国債発行開始により均衡財政主義が破られ、昭和51年度以降は赤字国債の発行も恒常化した一方で、昭和40年代に入り日本の経常収支は黒字化し、昭和40年代後半以降、それまでは繊維という一業種の問題であった貿易摩擦が広範な分野において見られるようになったということは、当然ながら貯蓄投資バランスを介して整合的に説明可能な事象だ)。

よくその手の論者が取り上げるアルゼンチンのように、経常収支が赤字(=貯蓄投資バランスが貯蓄過少)であるにもかかわらず財政赤字(=過少である民間貯蓄をさらに政府が吸い上げている)というなら、確かに財政赤字をなんとかしなければクラッシュは必然である。 しかし、そうではないにもかかわらず、(財政支出の使い方が非効率だから改善しようとかいうのではなく)赤字の存在そのものを問題視し、このままでは大変なことになると煽ることは、単に杞憂であるにとどまらず、社会不安をあおって消費を萎縮させるものであり、自ら財政政策の有効性を損ねているのだ。 金融緩和をするたびにそれは効果が薄いと言いつづけた速水前日銀総裁のそれと同種の愚行と言うより他ない(あ、政治的・社会的文脈じゃなくって経済学的文脈になってしまった(笑))。

(2004-08-22記)

[法令XML文書化計画]:舞台裏通信第4号(2004-08-22)

修正・訂正・変更レポート

  • 「編」を表す要素を「編要素」に、「章」を表す要素を「章要素」に、「節」を表す要素を「節要素」に、「款」を表す要素を「款要素」に、「目」を表す要素名を「目要素」に変更した。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−part要素からdoublesubsection要素まで及び関連要素)

編集後記

今回から、インライン要素グループと呼んでいる諸要素の定義に入った。 HTMLに倣えば、これまでもインライン要素と呼ぶべき要素をいくつか定義してきたが(区要素など)、当サブセットにおいては、文字列と混在して用いることのできる要素をインライン要素と呼ぶこととしたので、ご了解いただきたい。

法案作成のチョンボ防止のみを目的とするのであれば、今回定義した諸要素でインライン要素は最低限の要求にかなうと考えるが、他にもこういった要素があった方がいい、といったアイデアがあれば、ぜひともお寄せいただきたい。 また、法令のデータベース管理など、他の目的を考えるとこういった要素があった方がいい、というアイデアも同様にご教示いただけるとありがたい(法令中の字句の定義に関する要素はあった方がいいのかな、と考え中)。

(2004-08-22記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−参照要素および他法令参照要素

属性

対象条項等属性(必須)
概要:どの条項等を参照しているのかを指定する属性。
:参照される要素(編要素、章要素、節要素、款要素、目要素、条要素、項要素または号要素)のid属性値(半角スペースを挟んで複数指定可)
用例:対象条項="i1.2.3"(第3条第2項第1号)、id="c4.5 a6"(第5条第4項と第6条)
条項間関係属性(対象条項属性において複数の条項を指定している場合のみ必須)
概要:複数の条項を参照している場合に、それらの条項が"and"の関係にあるのか"or"の関係にあるのかを示す属性。
:andまたはor
用例:条項間関係="and"、条項間関係="or"
対象法令属性(他法令参照要素のみ。 必須)
概要:どの法令を参照しているのかを特定する属性。
:参照される法令のid属性値
用例:対象条項="l78_h9"(平成9年法律第78号)
略称属性(他法令参照要素のみ。 オプション)
概要:対象法令属性で指定された法令が再度参照される場合に、当該法令をどのような名称で記述するかを指定する属性。 対象法令属性を同じくする他法令参照要素のすべてにおいてこの属性の指定を省略した場合、登場するすべての箇所において正式名称で法令名が記述される(ただし、最初に登場した場合は、法令番号の記述が続く)。 どこかで一度指定すれば、他の対象法令属性を同じくする他法令参照要素に同じ略称が適用されることとなる(逆に、対象法令属性を同じくする複数の他法令参照要素で異なる略称属性値を指定した場合はエラーとなる)。
:文字列
用例:略称="独占禁止法"

内容

(空要素)

解説

法令文において用いられる他法令や条項等を示す要素。 具体的な表記(正式法令名か略称か、法令番号を付すかどうか、具体的な条項番号か「前条」「次条」「同条」か等)はスタイルシートで付与することとし、内容には含まない。 なお、条項間関係属性では一通りの関係しか記述できないので、それらが組み合わさった関係(例えば「第a条第b項及び第c項又は第d条」といった規定)については、論理和要素や論理積要素で複数の参照(他法令参照)要素を関係づけてマークアップする。 なお、参考までにレンダリングの際に期待される条番号の表記法を記せば以下のとおり(項番号や号番号もこれに準ずる)。

  • 以下のいずれにも当てはまらない場合:条番号
  • 参照要素を内容に含む条要素:この条
  • 参照要素を内容に含む条要素の前の条要素:前条
  • 参照要素を内容に含む条要素の前において3条以内で連続する条要素:前二条または前三条
  • 参照要素を内容に含む条要素の前において4条以上連続する条要素:第○条から前条まで
  • 参照要素を内容に含む条要素の次の条要素:次条
  • 参照要素を内容に含む条要素の次において2条連続する条要素:後二条
  • 参照要素を内容に含む条要素の次において3条以上連続する条要素:次条から第○条まで
  • 上記に該当しない3条以上連続する条要素:第○条から第×条まで
  • 一の項要素の内容において同じ条を指す参照要素が連続する場合における2番目以降の参照要素が指定する条要素:同条

(2004-08-22記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−論理積要素および論理和要素

属性

(なし)

内容

  • 論理項要素(必須)

解説

並列関係にある複数の字句の関係を示す要素。 論理積要素においては、その子要素である各論理項要素が「及び」や「並びに」で表される関係(and)にあり(論理学では通常、論理積の関係についての接続詞としては「かつ」が用いられるが、法令中「かつ」で表されている論理積関係はマークアップしない(「及び」と「並びに」の使い分けという問題が存在しないため))、論理和要素においては、それらが「又は」や「若しくは」で表される関係(or)にある。 なお、法令用語の「又は」は論理和ではなく排他的論理和の関係を表すこともある(例えば、「第x条又は第y条の規定に反して○○をしなかったとき」という記述は、第x条と第y条のうち一方に違反する場合に限らず双方に違反する場合も含むため論理和の関係となるが、「××又は△△をしなければならない」という記述は、××と△△のうち一方のみを行うことを想定し、双方をともに行うことを想定していないため、排他的論理和の関係となる)が、その意味での「又は」であっても論理和要素としてマークアップする。

(2004-08-22記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−論理項要素

属性

(なし)

内容

  • 文字列(インライン要素グループを含む。)

解説

論理積要素または論理和要素において、それぞれ関係づけられる部分を示す要素(なお、論理項要素自体はインライン要素グループには含まれず、インライン要素グループに含まれる論理積要素または論理和要素の子要素としてのみ用いられる要素である)。 入れ子構造を表す際、内容に論理積要素または論理和要素を含むことができる。 なお、参考までにレンダリングの際に期待される論理項間の関係についての表記法を記せば以下のとおり。

論理積要素
  • 2つの論理項要素:「及び」
  • 3つ以上の論理項要素:最後の2つの論理項要素の間は「及び」、それ以外は「、」(読点)
  • 入れ子構造の論理積要素:一番となる論理積要素の内容である論理項要素は「及び」、それ以外の論理積要素の内容である論理項要素は「並びに」(各論理積要素が3つ以上の論理項要素を内容とする場合は、最後の2つの論理項要素の間以外は「、」(読点))
論理和要素
  • 2つの論理項要素:「又は」
  • 3つ以上の論理項要素:最後の2つの論理項要素の間は「又は」、それ以外は「、」(読点)
  • 入れ子構造の論理和要素:一番となる論理和要素の内容である論理項要素は「又は」、それ以外の論理和要素の内容である論理項要素は「若しくは」(各論理和要素が3つ以上の論理項要素を内容とする場合は、最後の2つの論理項要素の間以外は「、」(読点))
用例
  • (((a∧b)∧c)∧d)∧e:a及びb並びにc並びにd並びにe
  • a∨(b∨(c∨d∨e)):a又はb若しくはc、d若しくはe
  • ((a∨b)∧(c∨(d∨e))∧f∧g)∧h:a又はb、c又はd若しくはe、f及びg並びにh

(2004-08-22記)

2004-08-16更新分

[共有地の喜劇]:第3幕

山本弘のSF秘密基地・掲示板及び山本弘問題連絡会掲示板でのご指摘

そもそもの始まりは、前者の掲示板の「7月の読書」スレにおける、通行人sさんの次の書き込みである。

☆ Re: 7月の読書 / 通行人s

> 「ヒーローでわかる日本経済」梶井厚志
これについてはamazonの子母原心さんの評が適切です。
梶井さん自身は必読の好著『戦略的思考の技術』(中公新書)もある気鋭のゲーム理論家なんですが。

なお山本さんの『神は沈黙せず』に対するこの書評はきわめて重要な問題を提起していると思います。
http://bewaad.com/writings.html#Jun20042

No.20265 - 2004/07/26(Mon) 01:18 [YahooBB218139178053.bbtec.net]

「7月の読書」スレ@山本弘のSF秘密基地・掲示板webmaster注:引用文中のリンクは、表示される文字とは異なり、「神は沈黙せず」の書評のパーマネントURIに張替え済)

この発言に対するレスは以下のとおり(必要部分のみ抜粋)。

☆ Re: 7月の読書 / 十一郎

>通行人sさん
そのサイトの一番下、「書評」からたどった先ですよね?
「予定説」という名前に関しては知りませんでしたが、「人間が神の真意を知り得ることはできない」といった程度なら、序盤に数ページかけて触れられていますよ。

☆ Re: 7月の読書 / 山本弘 [近畿]

 通行人sさん、こんにちは。

「予定説」というのは知ってましたが、それは結局のところ「神はなぜ悪が存在するのを許すのか」という疑問の出発点であって、答えにはなってないですよね。
 それが答えになると信じてる人がいることの方が不思議です。

(いずれも「7月の読書」スレ@山本弘のSF秘密基地・掲示板

図らずも、webmaster「神は沈黙せず」の書評で書いたこと、つまり山本とそのファン層にとってのいわゆる文系知識の縁遠さが裏付けられてしまったレスであるが、これらについては、後者の掲示板の「神は沈黙せず」ネタバレスレ(既にログが別途ファイル化されているので、もし流れた際にはそちらをご覧いただきたい)、レス番891から894までの書き込みで、webmasterのテキストを紹介の上、的確なコメントが付されている。 詳しくはリンク先を見てもらうとして、山本のコメントについては次のような指摘がなされた。

これが山本の考えがおかしな点。 予定説は悪について答えを出していない。 神沈もまた答えを出していない。 なぜこの世の終わりに救われる人間と救われない人間がいるのか、予定説は答えてくれない。 神沈もしかり。 どちらも神の意志は人間の理解を超えたものであり、人間はひたすらそれを意味も分らず受け容れるだけである、と述べている。 どこがちがうのだろうか。

両方とも「答えがないのが答え」なのだが、山本は、同じ事を既存の宗教が示すと「答えになっていない」といい、自分が述べると「神と人間の関係をきちんと答えています」になる。 つくづく困った人間だ。

「神は沈黙せず」ネタバレスレレス894@山本弘問題連絡会掲示板

とまあwebmasterの言わんとするところを理解していただき、さらには(表現はともかく)先取りまでしていただいたが、一点だけ見解が分かれるところがあるので、そこについての意見を明らかにしておきたい。

これは賛同できないのだが。 何しろUFOや新興宗教のような部分を山本が信じているとは思えない。 むしろ信じていないことを選んで書いている。 それなら経済の部分もそうみるのが妥当だと思うのだがね。 逆に言えばこの人は山本が書いているUFOとかの部分をそこそこ本当ぽい(と山本が考えている)と考えているのだろうか。

「神は沈黙せず」ネタバレスレレス892@山本弘問題連絡会掲示板webmaster注:冒頭の「これ」とは、山本が跡田・浅井本木村本の内容に疑いを持っていないように見える、とのwebmasterの指摘)

通常、フィクションに何か一つ大きな仕掛けを持ち込む場合、その他の部分についてはなるべくリアリティを保つ必要がある。 書き込みにある、UFOや新興宗教について言えば、UFOがああいったものであるというのはここでいう仕掛けなので、リアルでないことを承知で作品世界に導入しているだろう。 また新興宗教は、山本自身は当然信じてはいないだろうが、ああいった宗教にはまる人がいるのは事実だし、その当たりは十分取材して書いていることは明らかにされている。

翻って経済についてであるが、この分野における仕掛けはAVP。 このAVPという仕掛けに説得力を持たせるためには、それ以外の部分について十分にリアリティを確保する必要があるし、山本はそういうものとして跡田・浅井本や木村本の世界を眺めた可能性が高い。 なぜなら、例えばタキオングッズを嗤うにはタキオンのなんたるかを知る必要があるように、跡田・浅井本や木村本を嗤うには、ドーマー定理とプライマリーバランスの関係国際収支統計の定義などについての知識が必要だが、ネタバレスレを見る限り、山本がそうしたことを知っているようには思えないからだ。

最後に少し脱線だが、そうしたトンデモな主張に手を貸す跡田を放置している経済学界には苦言を呈したい。 トンデモ世界の「ひでおの法則」に当てはまる工学博士は、自分の専門外でトンデモなことを言っているか、それとも専門分野でトンデモなことを言うが故に学会で相手にされていないかのいずれか。 トンデモをトンデモとして許容可能であるゆえんは、それが学会で無力であるが故に笑っていられるから。 仮に日本の理学界や工学界が「ひでお」たちをまともに受け入れるような事態になれば、多くの人は笑ってる場合ではないとばかりに激しい批判を浴びせることだろう。

かたや跡田は慶応大学教授であり、さらに日本経済学会や日本財政学会に所属ており、まさに自らの専門分野においてトンデモな言動をしているわけだが、それを批判する声は寡聞にして知らない。 彼を引き立てたという、経済財政諮問会議委員として権勢を誇る本間正明に遠慮しているのかどうかは知らないが、彼の肩書きを見てその言説を信じる素人が出てくることは、跡田個人の責任である以上に、それを黙認する経済学界の責任であるのではないか。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:舞台裏通信第3号(2004-08-16)

読者からのメール

本企画でまとめているサブセットの名称について、「ナイス法令」というご提案をいただいた。 あらかじめお断りしておかなかったwebmasterの手落ちであるが、通常この手のサブセットの名称は略語系が多く、ご提案の名称はむしろアプリになじむのではないかと考える。

読者からのリンク

8月5日@gwaihirのプログラミング日記(続)
先週ご紹介したgwaihir氏のご提案であるが、履歴管理については、ご提案どおり別管理することとしたい。 理由は単純で−気づいてみれば見落としていたのが恥ずかしい限りだが−、現存する法令のテキストデータは、当然ながら履歴情報を含んでいないからである。 本企画でとりまとめたスキーマの活用に当たっては、なによりまず法令をXML文書化することからはじめていただく必要があり、そのハードルはできるだけ低くして当然である。 したがって、履歴情報は別管理として、生のテキストをそのままXML文書化の原データとして使えるようにしたい。

修正・訂正・変更レポート

  • 「別表」を表す要素を「別表要素」に、「項」を表す要素名を「項要素」に変更した。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−attachedTable要素、clause要素及び関連要素)
  • 本則が項のみからなる場合があるので、main要素の内容に項要素を追加した。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−main要素)
  • 履歴管理方法の変更に伴い、関連する属性を訂正した。(変更箇所:要素解説及びスキーマ−別表要素、explanation要素、part要素からdoublesubsection要素まで、article要素、項要素)

編集後記

既述のとおり履歴管理を別途行うこととしたが、history要素などの関係する要素の取扱いについては、当面ペンディングとさせていただきたい。

要素名の日本語化に伴い多くの修正を行うこととなるが、それらについては作業の便宜上、"writings"ページ及び時系列アーカイヴに反映させず、要素解説ページのみに反映させていただくこととするので、お含み置きいただきたい。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−各号列記要素

属性

(なし)

内容

  • 号要素(必須)

解説

箇条書きを示す要素。 HTMLのol要素に相当し、入れ子にもなり得る。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−号要素

属性

id属性(必須)
概要:各号が個別の値を有する属性。 その値を他の条における参照等において用いる。
:その号のレベル(小文字で表記されるローマ数字。 号番号が漢数字で表記される場合(=その親要素である各号列記要素が項要素の子要素である場合)にはi、以下号番号がカタカナのイロハ・・・で表記される場合はii、括弧付きアラビア数字で表記される場合はiii、括弧付き小文字ローマ数字で表記される場合はiv)+号番号(号番号がイロハであるときはその順番。 号番号が枝番(別表第○の×の形式で付される別表番号)である場合、枝はハイフンで表記)+.+上位要素でid属性を有するもののid属性値
用例:id="i1.2.3"(第3条第2項第1号)、id="ii4.5-6.7.8"(第8条第7項第5号の6ニ)、id="iii9.1.2.3.4-5"(第4条の5第3項第2号イ(9))、id="iv6.7.8.9.1.2"(第2条第1項第9号チ(7)(vi))

内容

  • 句要素(必須。 最大で2)
  • 各号列記要素(オプション)

解説

各「号」を示す要素。 号番号はスタイルシートで付与することとし、内容には含まない(属性として扱う)。 HTMLのli要素に相当する。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−句要素

属性

(なし)

内容

  • 文字列(インライン要素グループを含む。)

解説

各号に掲げられ、または定められる名詞句を表す要素。 号要素中に2つの句要素が含まれる場合、それぞれが表す名詞句の間には空白が入るが、その空白はスタイルシートで付与することとし、内容には含まない。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−表要素

属性

id属性(必須)
概要:各表が個別の値を有する属性。 その値を他の条における参照等において用いる。
:table+_+親要素(項中にある場合は項要素、別表中にある場合は別表要素)のid属性値
用例:id="table_c1.2"(第2条の表)、id="table_at3"(別表第3)

内容

  • 欄名表項要素(必須)
  • 表項要素(必須)

解説

表を示す要素。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−表項要素

属性

id属性(必須)
概要:表中の各項が個別の値を有する属性。 その値を他の条における参照等において用いる。
:tc+その表項要素に係る表要素中の順番に1を加えた数+_+その表項要素に係る表要素の親要素(項中にある場合は項要素、別表中にある場合は別表要素)のid属性値
用例:id="tc2_c3.4"(第4条の表の2番目の項)、id="tc5_at6"(別表第6の5番目の項)

内容

  • 項名区画要素(必須)
  • 表準項要素(区画要素との選択)
  • 区画要素(表準項要素との選択)

解説

表中の「項」を示す要素。 HTMLのtr要素に相当する。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−欄名表項要素

属性

id属性(必須)
概要:表中の各項が個別の値を有する属性。 その値を他の条における参照等において用いる。
:tc1+_+その表項要素に係る表要素の親要素(項中にある場合は項要素、別表中にある場合は別表要素)のid属性値
用例:id="tc1_c2.3"(第3条の表の最初の項)、id="tc1_at4"(別表第4の最初の項)

内容

  • 項名区画要素(必須)
  • 区画要素(必須)

解説

表中に出てくる項のうち、最初に出てくる項を示す要素。 HTMLのthead要素に相当する(ただし、複数ページにわたる表においても、各ページのトップに再掲されるレンダリングは行わない)。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−表準項要素

属性

(なし)

内容

  • 区画要素(必須)

解説

表中の項はさらに細分されている場合があるが、その細分された部分を表す要素。 例えば、世界の人口1,000万人以上の都市(2000年現在)を大陸・国別にまとめ、大陸を項とする場合、国別の区分がこの要素で表される(参考のためにマークアップすれば以下のとおり)。

<表>
<欄名表項><項名区画>大陸</項名区画><区画>国</区画><区画>都市</区画></欄名表項>
<表項><項名区画>アジア</項名区画><表準項><区画>日本</区画><区画>東京 大阪</区画></表準項>
<表準項><区画>インド</区画><区画>ボンベイ カルカッタ デリー</区画></表準項>
<表準項><区画>中国</区画><区画>上海 北京</区画></表準項>
<表準項><区画>バングラデシュ</区画><区画>ダッカ</区画></表準項>
<表準項><区画>インドネシア</区画><区画>ジャカルタ</区画></表準項>
<表準項><区画>パキスタン</区画><区画>カラチ</区画></表準項>
<表準項><区画>フィリピン</区画><区画>マニラ</区画></表準項></表項>
<表項><項名区画>北中米</項名区画><表準項><区画>メキシコ</区画><区画>メキシコシティ</区画></表準項>
<表準項><区画>アメリカ</区画><区画>ニューヨーク ロサンジェルス</区画></表準項></表項>
<表項><項名区画>南米</項名区画><表準項><区画>ブラジル</区画><区画>サンパウロ リオデジャネイロ</区画></表準項>
<表準項><区画>アルゼンチン</区画><区画>ブエノスアイレス</区画></表準項></表項>
</表>

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−区画要素

属性

結合属性(オプション)
概要:複数の区画を結合して一つの区画とする属性。
:欄または行
用例:結合="欄"(前の欄の区画と結合)、id="行"(前の行(一つ前の表項要素または表準項要素中の同じ順番の区画と結合)

内容

  • 文字列(インライン要素グループを含む。)

解説

表中の「区画」を表す要素。 HTMLのtr要素に相当する。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−項名区画要素

属性

(なし)

内容

  • 文字列(インライン要素グループを含む。)

解説

表中の区画のうち、最初に出てくる(最も上の欄に属する)区画を表す要素。

(2004-08-16記)

[法令XML文書化計画]:要素解説−表補足要素

属性

(なし)

内容

  • 文字列

解説

表に付される注や備考を表す要素。 記法が定型化されていないことから、HTMLのpre要素のように整形済みテキストとしての内容を持つ。

(2004-08-16記)