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writings concerning kasumigaseki issues and others: 2004-10

2004-10-31更新分

[日本道路公団騒動始末記]−総括(中)

前回予告したのは、「都市」と「地方」の感覚のズレが軋轢を生んでいるわけだが、とある要因によってそれがより大きなものとなっており、そのとある要因とはなんだろうか、ということ。 それが何かを考えるに当たって、最初に民営化委員会という組織に着目したい。

何らかの制度改正を行う場合に一番ありがちなのは各省庁で検討し、この手の委員会は省庁に設置された審議会が同様の役割を担うというもの。 まあ今回のテーマについては、天下りなども問題視されていたこともあり、この手法が用いられなかったというのもわからないではない(世間で勘ぐられているほど審議会の議論は偏っていないというのがwebmasterの私見だが、そう勘ぐられているという事実は否めないし、勘ぐられている以上出した答えが受け入れられない可能性も相当程度あるのもまた事実だ)。

では、民営化委員会は省庁−本件について言えば国土交通省−で検討を行うよりベターな検討を行える性格の組織だったのだろうか。 結論からさかのぼるのではなくその成り立ちを考えてではあるが、少なくとも道路建設の抑制をすべきかどうかという議論にふさわしい組織であるとは言い難かった−道路公団という組織をミクロ的な見地からどうすべきかという議論であればまだましだったが。

マクロ的に、地方にも道路建設を行うことの是非を論じたいのであれば、まずは道路建設の計量的効果について議論ができる人間を集める人間が必要であろう。 また、地方の利益を代弁する者も必要である−道路建設抑制は地方にとって悪影響なのだから、そうした影響を被る立場を無視する検討プロセスが妥当だとは言い難い(皮肉なことに、中村委員がこれに近い主張をしたが、彼に求められた専門知識は都市計画・地域計画であり、ある意味上記のマクロ的立場に「かすって」いた。 その彼の処遇を見ると、委員会の最終段階でまさにその意見が無視されることとなったのである)。 さらに、経済的なメリット・デメリットをさしおいてでも社会的公正性の確保等の観点から、かかる資源配分への介入が必要だという議論もあり得るわけで、そうした問題を研究している法哲学者の参加も有益だろう。 しかし、委員会の委員にはそのいずれもいなかった。 これが、民営化委員会が道路建設継続の是非を議論する場として適当でなかった理由である。

だが見方を変えれば、この人選は極めて自然なものである。 どう変えたらかと言えば、アプリオリに道路建設を抑制することは正しいという見方に、である。 道路建設継続はおよそ取り入れる余地のない愚作であり、そんな主張に耳を貸すだけ時間の無駄だと考えれば、そんなことを言いそうな人間を排除した場で議論を進めることは合理的。 メディアの大多数もそうした見解であったことを記憶する人も多かろう。

当然ながらこうした都市サイドの利害を前面に押し出す検討プロセスが軋轢を拡大した要因と考えられるわけだが、さらに一段掘り下げてみるとそう簡単に断ずるわけにはいかない。 なぜそこまで「都市」が強硬な態度に出たかを考えれば、その理由は国会での意思決定への懐疑に他ならないからだ。 典型的な例を挙げればいわゆる一票の格差問題だが、唯一の立法機関として国の方向性を定める国会が過剰に「地方」に肩入れしていると思えばこそ、「都市」は国会を骨抜きにする手段の一として民営化委員会を編み出したと整理可能だ。 であれば、やはり問題は地方の「エゴ」と、それを国会での意思決定に反映することを許している選挙制度なのだろうか?

だが一票の格差問題の歴史を紐解けば、この問題が今になって始まったものではないことがわかる。 なぜ今かを考えると、この問題の社会的受容に思いを馳せなければならない。 だいたい、これが人権問題になるのは憲法の条文の文言から単純に導き出されるものではない。 例えば選挙権には20歳という年齢制限が設けられていて、それは憲法第15条第3項の「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」という規定を受けてのことではあるのだが、憲法の条文は未成年者に選挙権を与えてはいけないとは文言上は規定していない。 この条文は、ある程度の判断能力がない人間には選挙権を与えるべきではないという「常識」に基づく規定で、未成年者に選挙権を与えないことは憲法上問題ないと解するのが通常だが、では19歳11ヶ月30日の人間は、20歳ちょうどの人間に比べて甚だしく判断能力が劣るというのだろうか。 当然そんなことはなく、能力判定試験などを行なうよりは、実際の判断能力の有無を問わず機械的に年齢で切ったほうが全体として問題が少ないという「常識」に基づいて、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」という条文の合理的制限だと社会的に受容しているだけのこと。 とすれば、一票の格差問題が深刻なものとされるのは、「その程度の格差は仕方がない」というかつての最大公約数的な認識が変容しつつあることの証しでしかない。 言い換えれば、一票の格差が問題なのは、それを国民の多くが問題と考えているからというトートロジーにしかならない。

結局のところ、そのように遷り変わった社会的多数派の意見を踏まえつつ国家の意思決定をどのように行うべきか、はやり言葉で言えばガバナンスのあり方についての問題を今の日本が抱えているのだ、ということを道路公団を巡る騒動ははしなくもあらわにしたと言えよう。 最終的には「地方」の減衰により解消されるだろう、というのは前回明らかにしたwebmasterの見解であるが、それまでの間この問題を放置しておいて良いというものでもあるまい。 以前書いたことではあるが、自民党が分裂し都市部自民党と民主党の2大都市型保守政党が対抗し、キャスティングヴォートを行使する立場に地方部自民党が立つという姿が、当面、実現可能性がそれなりに高く、かつほどほどに都市と地方の対立を緩和する道ではなかろうか。

(2004-10-31記)

[共有地の喜劇]:第8幕

flapjackbookmarksおよびisuzukiの日記でのご指摘

前回あれこれ書いたことをブレイクダウンしていくに当たり、世間的によく言われている批判を整理してみたのが以下のリストだ。

  1. いわゆるキャリア制度に対する批判。 そんな特権階級は存在自体認めるべきではない、というもの。
  2. いわゆるキャリアとなる人間の選抜方法に対する批判。 東大法学部の人間ばっかり集めるから世間の機微がわからないんだ、というものから、いわゆるノンキャリアからの編入があってもいいのではとか、修士・博士が少なすぎて本当のエリートが選抜されていない、というものまであるが、これらはもっといい選び方があるはずなのに現実はそうではないという指摘だとまとめられよう。
  3. いわゆる縦割り行政に対する批判。 政策立案のやり方など、様々な分野にまたがる問題であるが、人事制度との関係では、各省庁別採用をやめて政府一括採用にすべきというものと、人事交流を盛んにすべきというものが双璧だろう。 前者は2とも重なるテーマだが、こちらで検討したい。
  4. いわゆる天下りに対する批判。

今回から詳しくコメントを、と申し上げておきながら恐縮だが、次回以降、上記の分類に従って論じていきたい。

マーケットの馬車馬でのご指摘

第5回目であるが、再び、論点を整理するというエントリと、銀行というボトルネックというエントリについてコメントしたい。

さて、上記の2つのエントリの議論は、以下の4つの論点(そもそもwebmasterが提示したものではあるが)に整理可能だ(登場順)。 ずいぶん間が空いてしまったので、なるべく簡潔にお答えしたい。

  1. ベースマネーの増加がマネーサプライの増加につながらない場合であっても、根源的につながらないケースではベースマネーを増加させてもインフレは起こりえないが、将来的にはつながるのだが一時的要因でつながっていないケースなら、将来のつながりを見越したインフレ期待が発生し、インフレが起こりえる。 で、単に日銀が国債を銀行から買うのは前者なので効果がない。(「再び」参照)
  2. 現金と国債は現在の経済環境の下では金融商品としてもっとも似通っており、日銀が銀行からどれだけ国債を買ったところで、経済の外部環境が変わって経済全体としての信用リスクが下がらない限りは、国債売却代金が社債や貸出に向かうことなく死蔵される。(「ボトルネック」参照)
  3. 銀行の自己資本については、公的資金は買入消却で「返済」されようと市中売却で「返済」されようと実質は同じであるし、繰延税金資産は金融庁が規制をかける検討をしていることからもやはり脆弱な資本と言えるので、両者に頼っている点でやはり問題がある。(「ボトルネック」参照)
  4. 経済政策がもたらすゆがみは定性的な話であり、これ以上議論を進めることは難しいのではないか。(「ボトルネック」参照)

最初の点について。 計量的な話はsvnseeds' Ghoti!に譲るとして(風邪を引かれているとのこと、無理はされぬよう)、概念としてのマネーサプライと統計上のマネーサプライ、すなわちM2+CDがイコールとは限らない点だけは指摘したい。 以前馬車馬氏も、いくら国債買い切りを増やしても広義流動性には影響がないではないか、という指摘をしていたが、つまりはM2+CDが増えるとしてもそれで本当にインフレになるのか、ということ。 逆に言えば、ベースマネーの増加が統計上のマネーサプライ=M2+CDの増加につながらなかったとしても、インフレにつながらないと限ったものではない。 つまり、直接的な効果がないと証明されたわけでもないのだ。 いずれにせよ、この点はsvnseeds氏の検討を待ちたい。 (なお、繰り返しなので長くは書かないが、日銀が無制限に国債を買えばハイパーインフレになると信じている人間がそれなりにいることを前提とすれば、合理的なメカニズムがなくとも、それ自体がベースマネー増加→インフレ期待醸成のメカニズムたり得る。)

次の点について。 銀行の経営陣にとっては馬車馬氏の指摘は合理的だが、株主にとっては合理的でない。 つまり、単にキャッシュを死蔵すればよいなら、その様々なコストを負担させつつ銀行を存続させるより、銀行を清算して株主自身がキャッシュを死蔵する方が明らかに合理的な手段だ。 だから、銀行の経営者が内心どう考えようと、自社への投資がキャッシュ保有よりも有利な投資だと説得するためには、やはり全額をキャッシュに振り向けることは許されないのだ。

次の点について。 まず公的資金についてだが、政府保有株式を売却、というのは、要するに優先株(公的資金)の保有者である預金保険機構が、優先株を普通株に転換して市中に売却した事を言うのだが、これは銀行が一般投資家から新株を発行して出資を募り、そのお金で公的資金を返済したのと完全に同義webmaster注:強調は原文による)というのは全く正しい。 しかし、それが当てはまるのは公的資金だけではない。 ごくふつうの一般投資家が市中で株式を売却するときだって、銀行が一般投資家から新株を発行して出資を募り、そのお金で買入消却するのと(諸費用を除けば)経済的には同義。 つまり、公的資金だけを特別視する理由にはならない。

他方、繰延税金資産についてだが、少し誤解があるようなのだが、繰延税金資産がこれほど問題となるのは、これが自己資本としてバランスシートの借方に計上されるからというのは、やはり他の資産も同じ。 粉飾で資産が過大計上されれば、基本的にはその分利益剰余金が過大計上されることになる。 だから、繰延税金資産であろうがなんだろうが、ある資産が過大計上されていれば、その分だけ利益剰余金=自己資本が過大計上されるし、適正な額の計上であれば、(資産評価との関係では)自己資本の額は正しく実態を表していることになる。 だから問題にすべきは繰延税金資産が将来の節税効果を正しく計上しているのかそうでないかであり、多額であっても正しい評価額が計上されていれば問題はないし、少額であっても過大評価していればそれは粉飾であり問題であるということについては、他の資産と何ら変わるところはない。

ちなみに金融庁による繰延税金資産の算入規制だが、そのベースとなる金融審議会報告自体に問題がある。 当該報告では、繰延税金資産については、その資産性が将来の課税所得に依存していることや、金融機関が破綻した場合には無価値になるという脆弱性があるとの認識で概ね一致とされているが、同じ報告において、破綻時には繰延税金資産だけでなく繰延資産についても無価値になるほか、清算時には固定資産等の価値も大幅に下がることから、破綻時に繰延税金資産が無価値になることを敢えて強調することを疑問とする意見もあると反対意見が出されているのに、結局は繰延税金資産だけを特別扱いしているからだ。 具体例を見てみよう。 昨年破綻した足利銀行の破綻前の資本745億円(昨年3月期)と破綻後の資本-6,790億円(本年3月期)との差額は-7,535億円であるが、これに対する繰延税金資産全額取崩しによる部分-1,387億円の寄与度は約18%。 では何が効いたかというと、貸倒引当金を4,850億円も増加させたこと。 まあ一例だけで一般原則を導くのは乱暴だが、少なくとも足利銀行においては、繰延税金資産の3.5倍分、貸出資産の過大計上が自己資本を水増しさせていたわけである(厳密に言えば、1年間で正常債権が不良化部分もあるだろうから、全部が「水増し」というのは多分言い過ぎだが)。

最後の点について。 いかなる財政政策によるゆがみも議論には値せず、財政政策の有効性を論ずるにはその規模だけに意味があると仮定する。 この場合、例えばX兆円規模の財政政策が必要と考えられるのであれば、それだけの財政支出増加なり減税なりを行うのであればその具体的あり方はなんでもよいということになるので、全国の納税者の所得を上から順に並べ、順次所得税の免除を行なっていき、免除額の合計がX兆円になったところで終わりにし、それ以下の所得の人間は通常どおり税を徴収する、という財政政策であっても問題ないということとなる。 しかし、こんな減税は経済学的に見ても(明らかに平均的な限界消費性向の低い部分を対象とした政策であるから)フィージビリティから見ても(消費税でも逆進性が問題視されるのだから、まして)大いに問題である。 したがって、財政政策の有効性を論ずるのであれば、規模だけではなく、それが具体的にどのような政策をイメージし、それによる作用・副作用は何かを検討していく必要があると思うのだが。

読者からの投稿

リフレ政策に関連し、読者の方から投稿をいただいた。 その全文はご自身のサイトでデフレ、割引通貨と題してアップされているので、まずはご紹介させていただき、次の機会にコメントしたい。

(2004-10-31記)

(2004-11-03追記)

[法令XML文書化計画]:舞台裏通信第8号(2004-10-31)

読者からのメール

実際にXMLの仕様制定経験のある方から、以下のようなメールをいただいた(引用中、「○○○のXMLにも関係」は、実際は固有名)。

法令XML文書化計画を興味深く拝見しました. XMLの仕様制定にさんざん携わってきた私ですが、最近は○○○のXMLにも関係しています。

法律の例,改正の例を公開していただけると、議論が深まると思います. また、改正をXMLで書くことによって,何を自動化したいかについても具体例がほしいところです。 スキーマには,当面手をださないほうが良いと思います. (スキーマはDTDかRELAX NGにしましょう。 W3C XML SchemaはWebサービスかデータベース用で、人間が読む文書には向きませんよ。)

改正をXMLで書いて,改正後の法律を自動生成するというのも一つの方法ですが,別の方法もあります. 改正後の法律を書いてしまって,改正前の法律と比較し,そこから改正内容を逆算するという方法です. なお、XMLの差分を求めるシステムとしてDeltaXMLという商品があります。

それぞれのご指摘については、以下のように考えている。

改正の例示について
近々試案を公開予定。
スキーマについて
素人が、どうせなら最新のものでと思ってXML Schemaに手を出したのが間違いだったということで(笑)。 つまり、DTDやRELAX NGで書けるのにあえてXML Schemaで書いたのではなく、この企画にあわせてXML Schemaを覚えたのが実態である。 ご助言に従い、当面スキーマの記載はやめることとしたい。
改正方法について
改正をXMLで書くことを基本に考えている。 というのも、単なるテキストデータとしてまず改正案を作成することとすると、作成段階でのツール活用が限られると思われるからである。 XMLにより改正段階からマークアップできれば、それに応じた開発環境による支援が可能ではないかと素人的には思うのだが、この点、誤りがあればご教示いただきたい。

編集後記

法律時報9月号・10月号において、タスマニアのEnActについての紹介がなされたが、XMLと法改正作業の相性の良さがよくまとまった記事だと思う。 もう少しシステムの内容が紹介されていると、webmasterとしては作業の参考になるように思われうれしかったのだが・・・。

(2004-10-31記)