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  • 08/07/2007 (11:25 pm)

    日銀vs経済財政諮問会議

    Filed under: economy, CEFP, BOJ ::

    昨日の大田経済財政担当大臣の記者会見より。

     それから、日銀の福井総裁から、展望レポートの中間評価について御報告がありました。

     議論の中で、民間議員から日銀総裁に幾つか質問がありました。

     まずCPIが、この物価上昇率の改善がおくれているといいますか、下振れしているわけですね。昨年10月時点それから今回の時点、少し下振れしておりまして、これがなぜ下振れしているのかという質問がありました。これに対して福井総裁から、フィリップス・カーブがフラット化していると。念のため申し上げますと、フィリップス・カーブは横軸に失業率をとって、縦軸に物価上昇率をとると、この右下がりの関係にあるというものですが、つまり失業率が高い時点で物価上昇率が低くなっているという相関の姿ですけれども、これがフラット化していると、グローバル化ですとか国境を超えた企業間競争で、企業は生産性を上げる努力とあわせて固定費を削減する努力をしていると。日本はすでに失業率が3%台になって需給はタイトになっているけれども、労働者側も賃金よりも、やはり雇用安定への要望があると。それから、このフィリップス・カーブのフラット化は国際的にも共通の現象だと。ただ、需給は少しずつタイトになっているので、物価もタイトになっていくと見ていると。これが物価上昇率に反映してくるというふうに見ていると。

     それから、別の民間議員からの質問として、この2006年はCPIだけではなくて実質成長率も見通しといいますか、日銀の展望レポートでの見方を下方修正しているわけですけれども、これは実は需給がタイトになっていないのではないかという質問が出されました。これに対して福井総裁からは、2005年に GDPの確報で内閣府の計算として下方改定したことによって、ゲタと読んでいる発射台が下がったわけですね。それに基づく2006年の下方の修正であるという回答がありました。

     あとほかの、これは民間議員ではありませんが、これは名目が下がるということが問題であって、日銀は量的緩和を解除したときに、CPIはマイナスにならないという前提だったのではないかと、見通しを誤ったのではないかと。1日も早くデフレから完全に脱却しなくてはいけないという御発言がありました。

     福井総裁からは、日銀が用いている物価上昇率は、いわゆるコアと呼ばれる生鮮食料品を除く一方で、エネルギー価格は含むものなわけですね。したがって、原油価格の要因によって触れると。ただ、需給がタイト化している割に、サービスを含めて上昇圧力が弱いのは事実であると。これは4月の展望レポートには既に織り込んでいるという御発言がありました。

     それから、さらに民間議員から、このフィリップス・カーブがフラット化しているということは、急に物価が上がっていくということではなくて、労働需給がタイト化していっても、ゆっくりと物価が上がっていくという時間的余裕があるということではないかという指摘があって、福井総裁からは、十分に時間的余裕をもって金利水準の調整をゆっくり行うということをしていると。ただし、それ以上にさらにゆっくりやるということになると、資源配分のゆがみをもたらすことにもなりかねないという御発言がありました。

     マクロについては以上です。

    平成19年会議結果 第19回会議 記者会見要旨:内閣府 経済財政諮問会議

    民間議員らの日銀(そのロジックは、以前のwebmasterの分析に沿っているものです)へのツッコミはなかなかいいところを突いていると思うのですが、論破とまではいかないのは、もちろん福井総裁の受け答えのうまさ(あるいは鉄面皮っぷり(笑))はあるのですが、経済財政諮問会議自身、日銀を論破しては困ったことになってしまうからでしょう。何が困るかといえば、構造改革の神話が崩壊してしまうことです。

    結局のところ、上記の引用でいえば「需給は少しずつタイトになっている」という点がもっとも疑わしい(webmasterの分析でいえば潜在成長率<実質成長率(インフレギャップの存在))のですが、実はタイトにはなっていないのだとしてしまうと、潜在成長率が下がったことが日本経済の長期低迷の原因であり、それを構造改革で引き上げることが必要なのだ、ということの論拠もまた突き崩してしまうことになってしまいます‐現状の実質成長率ないしそれを若干上回る程度が潜在成長率だというならば、向上に向けた取組みの必要性は残るにせよ、他国に例を見ない経済低迷を潜在成長率の低下ゆえであるとすることができなくなるのですから。

    今なお潜在成長率の引上げが必要だとする安倍政権の経済政策をオーソライズしてきた諮問会議としては、あくまで潜在成長率は他国に比して低いものでなければならないわけです。福井総裁からすれば、そうした弱みを持つ諮問会議は、今の日銀の金融政策を説明する場として、これ以上なく気楽であるといえるでしょう。部分的には厳しくツッコまれるにせよ、大前提を同じくすることは保障されているのですから・・・。

    05/28/2007 (12:51 pm)

    国家公務員最大10万人削減だそうで。

    Filed under: CEFP, government ::

    さて、その同じ日に政府の経済財政諮問会議のいわゆる民間議員の方々が、こんな提言をしたそうです。

    国家公務員10万人の縮減可…諮問会議・民間議員が試算

     経済財政諮問会議(議長・安倍首相)の御手洗冨士夫・日本経団連会長ら民間議員が25日に開く諮問会議で、出先機関の事務を地方自治体に移すことなどで、国家公務員の3割以上に相当する約10万人を縮減できるとした試算を示すことがわかった。

    (略)

     約33万人の国家公務員のうち21万人が地方の出先機関に勤務している。試算では、91ある出先機関の事務のうち、縮減できる事務として、労働基準監督など、地方に移すことが可能な15事務と、交通基盤整備、廃棄物対策など地方と重複している46の事務を洗い出した。民間議員は、これらの事務を行っている9万799〜10万1629人の縮減が可能だとしている。

    (略)

    (2007年5月25日3時3分 読売新聞)

    ん、まぁ、大変結構なことですな。公務員10万人縮減ですか。いや、縮減は単に国家公務員ですな。地方自治体に付け替えるだけの話ですから。ところで、地方自治体で十分な効率化が図られるかというと、まあ、財源が乏しい地方はぎりぎりやっているのでしょうが、都下とか昔からいわゆる革新系が強い自治体はどうだったのでしょうかね。ああ、私が住んでる都内某区もなかなか笑える実態でしたな。むー。都会の公務員天国ばんざい。

    それより心配なのは、冒頭の社会保険庁の話とのかかわりなのですが、浅学な私が聞き知っている範囲では、社会保険庁のガバナンスが利いていなかった理由は多々あれど、その中でも組織的な問題として、地方の社会保険事務所は、地方公務員と国家公務員のあいのこのような位置づけで、中央の統制に必ずしも従わないと言うか、むしろ人事面で影響の強い地元のほうばかり向いて、内部統制どころではなかったことが大きな問題だったというお話でした。地方自治体にいろいろな業務を付け替えるのはいいけれども、労働基準監督とか、ただでさえ監督署ごとに法律の解釈とか運用の幅に甘辛がないわけではない困ったお役所が、さらに遠心力をもって運用されるのは、果たしていかがなものかと思うのですが、第二・第三の社会保険庁にならないことを祈るばかりです。まあ、民間議員の提言とかも、下書きをしたのは高名な委員の方とは必ずしも限らないので、実際にはライターは実務に通じた賢い賢い人たちなのでしょうから、そういうことにはならないように工夫してるんでしょうけどね〜。

    「社会保険庁のガバナンス不全と経済財政諮問会議」(@常夏島日記5/25付)

    そもそもなんのために行うのか、それがよくわからない話です。実際の資料を見てみますと、たとえば、直轄事業(河川、道路、国営公園、港湾、飛行場等)の実施は、地方に移譲可能な事務のうち、地方でも同様の事務を行っているものと区分されています。そりゃ「公共事業」とまとめるなら、その実施は地方(都道府県が念頭に置かれているのでしょうけれども)でやっているとはいえますが、そもそも国の直轄事業をわざわざ地方の責任で実施させる意義がよくわかりません。「縮減は単に国家公務員ですな。地方自治体に付け替えるだけの話」と割り切ればそうですが、国の経済政策の司令塔がそんなので本当にいいのでしょうか(笑)?

    potato_gnocchiさんのご懸念についても、あんまり工夫してなさそうです(笑)。監督事務関連については、備考として許認可、監督に対する事務は、政令等により基準等を定めた上で地方公共団体で管理・執行可能とされていますが、かつての機関委任事務においてどれだけの通達が発出されていたか、そしてその廃止に当たってすべてを法定受託事務・自治事務にしたわけではなく、国の直接執行に移管したものがあったことを考えれば、そう簡単に「政令等で基準等を定め」ればうまくいくはずもありません。

    実際に各都道府県が法律や「政令等」を参照して法執行を行っている最も大規模なものは、警察による刑事犯の摘発です。警察庁が法令協議に当たって、どれほど各省庁から嫌われようとも(笑)、しつこく罰則規定の内容を詳細にわたり尋ねてくるのは、それにより全国での統一的な法の適用を図るためです。そこでの質問・回答まで「政令等」に盛り込めば可能だともいえますが、分量がどれほど膨らむのやら(笑)。

    加えて、地方公共団体の各種業務において、警察は国の統制が相対的には強いことで知られています。典型的には国からの出向ですが、いくら旧自治省が出向させているとはいえ、財政課長や地方課長では当該団体の全般にわたる話であって、個別分野にそれほどグリップが効いているわけではありません。個別分野においては、やはり警察でしょう。

    #その意味では、旧自治省においては、消防の方が警察に近いと言えるような気も。

    各省庁から警察なみに各団体へ出向させ、運用の統一を図ることが、果たして地方分権の本旨に適うのでしょうか? 昨今、出向人事全般が忌避されがちな風潮においては、当然「いいえ」という答えになることでしょう。となれば、中長期的には、法律の解釈が団体によってまちまち、という状況は不可避であるように思われます。団体への裁量権を法律上認めたものでなくっても。

    05/12/2007 (3:25 pm)

    経済財政諮問会議での農業論議

    Filed under: economy, CEFP, government ::

    去る10日、経済財政諮問会議で農業政策についての議論が行われたのですが、

     経済財政諮問会議の民間議員が農業の改革案を提出した。農業の再生策は農水省も進めているが、より徹底した素早い改革を求める内容だ。

    (略)

     農業の抜本改革には農業団体や族議員の抵抗が強く、掛け声倒れに終わってきた。安倍首相は改革の実現に向けてリーダーシップを発揮すべきだ。

    朝日「農業改革―民間議員の提案を生かせ」(5/11付社説)

    などと朝日がほめるならば、きっと中身はたいしたものではあるまいと想像し(笑)、確認してみたところ、なかなか評価に困るものでした。

    まず、諮問会議での配布資料を見てみましょう。所有から利用へというスローガンで、それは農林水産省がずっと進めてきた(たとえば、これまでの農地制度の改正をご覧ください)ことですから何をいまさらの感もあるわけですが、具体策を見ればなお驚きです。

    【「所有」から「利用」への具体策】

    1. 5年程度を目途に耕作放棄地ゼロを目指すという目標を設定し、その工程を明らかにする。

    2. 農地について定期借地権制度を創設する。

    3. 農地利用料は農地の需給を反映したものとし、農地の借り手が経営上、不利にならないような仕組みとする。現行の標準小作料制は一定期間後廃止する。

    4. 高齢、相続等により農地を手放すことを希望する人が所有権を移転しやすくするため、農地を株式会社に現物出資して株式を取得する仕組み等を創設する。

    強い農業への第一歩――農地の「所有」から「利用」へ――(平成19年第12回経済財政諮問会議提出資料)(webmaster注:箇条書きの数字は、原文では丸付き数字です)

    何が驚きといって、まったく現実味がないことです(大田経済財政政策担当大臣による概要紹介にいう5年間で耕作放棄地をゼロにするという民間議員提案についても、5年間でできるのかどうか、どれぐらい難しいのか、すぐには答えられないが、秋の取りまとめまでに検討して考えていきたいとの松岡農林水産大臣のコメントは、その婉曲表現でしょう(笑))。

    2項目めと3項目めは、借り手にとって現状よりも有利な貸借としようというものです。一定期間安定して耕作に専念できるようにし、農地利用料も引き下げようというものだからです。しかし、現状が借り手にとって不利に過ぎる、言い換えれば貸し手にとって有利に過ぎるのであれば、1項目めで対策が打ち出されている耕作放棄地の存在は、どう理解すればいいというのでしょう?

    耕作放棄地とは、文字通りそこで耕作が行われていない農地のことですが、つまりはこれらは現状の条件では貸借が成立していないということになります。2項目めや3項目めの処方箋が正しいというのであれば、その原因は、貸し手にとってあまりに有利なので、借り手がしり込みして借りないから誰も耕作しない、ということになります。では、なぜ貸し手は条件を引き下げて借りてもらおうとしないのでしょうか? 軽減されるとはいえ固定資産税もかかる土地、自ら耕しているのであればともかく、それが不可能であるというなら、安い利用料であっても貸した方が遊ばせておくよりもお得に決まっています。

    3項目めで触れられている標準小作料が価格統制(制度上は単なる参考価格で、それとは異なる価格付けも当事者の合意で可能なのですが、運用の詳細を知るものではないので、それは措きます)であるとしても、魚心あれば水心、歴史上、現実の需給を無視した価格統制が失敗している例などいくらでもあります。現に、「ヤミ小作」でぐぐれば規制逃れの農地貸借が行われていることは明らかです。であれば、統制価格以下で貸したいという申し出が殺到し、耕作放棄地などは限界的な事例でのみしか存在し得ないでしょう。

    しかるに、現実はそうではありません。とすれば、借り手が提示する価格は貸し手にとって安すぎるから、なかなか農地の貸借が成立しないのだと考えることが合理的でしょう・・・ん? 先に書いたとおり、遊ばせておくよりは貸した方が得であるはずなのに、なぜ貸すよりも遊ばせておく方が得なのでしょうか。

    実は、なぜそんなことが起きるかは、少なくとも伊藤隆敏議員は知っているはずなのです。

    経営拡大で一番ネックになっているのが農地の問題である。

    (略)

    2点目に、農地の価格が高いということも、規模拡大に向けて大きなネックになっている。農地の価格は、公共事業とか、商業施設にしたら高くなるとか、そういう転用期待分の価格が農地価格に反映されているので、純粋にそこで農業生産をした場合の収益還元の価格になっていないことが大きな壁になっている。要するに、農業生産のみでは、その農地を購入してペイすることができない状況である。

    第3回EPA・農業ワーキンググループ議事要旨(澤浦彰治グリンリーフ株式会社代表取締役社長・株式会社野菜くらぶ代表取締役社長の発言)

    このEPA・農業ワーキンググループとは、経済財政諮問会議の下に設けられたグローバル化改革専門調査会の中のもので、伊藤隆敏委員はそのメンバーのひとりですが、この発言こそが農地の貸借が進まないことの本質を言い当てているとwebmasterは考えます(売買についての言及ですが、貸借でも同じことです)。つまり、転用期待があるので、借り手にとって適正な価格は、貸し手にとっては安すぎるのです。

    具体的に数字を置いてみましょう。毎年10万円がそこで行われる農業生産からの収益還元で適正な農地利用料だとします。割引率にもよりますが、毎年10万円という地代から農地の適正価格をディスカウント・キャッシュフローで求めれば、だいたい数百万円といったところでしょう(割引率が1%のときで1,000万円、それより割引率が高ければ価格は下がります)。この土地が、もし農地転用により1億円で売れるとすれば、こんな値段で貸すでしょうか?

    仮に、10年後に転用対象となり1億円で売れる確率が50%であるとして、貸してしまえば(まして、定期借地権であれば)売れないかもしれない、あるいは売れるにせよ解約料なりなんなりとコストがかかって儲けが吹っ飛んでしまうかもしれないと思えば、売れたときと同じだけの儲けが確保されると見込めなければ、貸すはずもありません。これまた割引率にもよりますが、毎年数十万円の利用料収入がなければ割りに合わないということになります(割引率1%のときで毎年約45万円、それより割引率が高ければ価格は上がります)。

    だからこそ耕作放棄地が存在するわけです(条件不利地域において、どう経営しようと赤字になるようなところは別の話です。為念)。この例で言えば、遊ばせておくよりは10万円で貸した方がいいと思いきや、数十万円でなければ損をしてしまうので、転用を当て込んで(転用の話があった際にすぐに応じられるように)あえて遊ばせておく選択をした結果、農地において耕作が放棄されるわけです。

    である以上は、「農地利用料は農地の需給を反映したものとし、農地の借り手が経営上、不利にならないような仕組みとする」といったところで、世の価格統制がそれこそうまくいかないように、価格はなるようにしかなりません。上記の例を借りるなら、年間10万円で貸すようにしましょうといっても、貸したくない人間にどうやって強制するというのでしょうか。

    実は、この点について、EPA・農業ワーキンググループでは、明確な答えを出しています。

    (5) 農地関係税制、ゾーニング規制の見直し

    農地が農地として利用されるようにするため、農地を農業経営資源として適切に利用している場合は保有コストを下げる一方、農地を適切に利用していない場合は保有コストを上げるという政策が必要であり、新たな理念に基づき農地関係税制を見直すべきである。また、ゾーニング規制についても転用期待を排除する観点から、例えば地域住民の意見を聞き一定期間(30年程度)ゾーニングを固定するシステムの導入を検討すべきである。

    グローバル化改革専門調査会EPA・農業ワーキンググループ第一次報告「EPA交渉の加速、農業改革の強化」(webmaster注:括弧つき数字は、原文では丸付き数字です。また、強調はwebmasterによります)

    ゾーニング規制、つまりは一定の区域においては転用を禁止するという規制の強化によって、上記の例で言えば転用による売却益を期待できないようにすることにより、10万円で貸そうという気にさせるということです。農地の貸借を活性化するには、これこそがもっとも有効な施策であり、その他は枝葉に過ぎません。にもかかわらず、諮問会議ではその旨がきちんと説明されないというは、いったいどういうことなのでしょうか。

    もしその有効性に気づいていないというのであれば、能力に疑問符が付きます。もし諮問会議の性質からしてそのような規制強化は言い出しづらく、とりあえず農林水産省を悪者にしておけということであれば、誠実さに疑問符がつくわけですが・・・。

    #以上について、詳しい話は神門善久「日本の食と農」が参考になりますので、ご関心の向きはお目通しいただければ。

    なお、個人的意見を申し上げるならば、転用の際に農地としての価格を超える価格がつくというのは、農業に用いると他産業に用いるよりも非効率にしか活用できないということを表しているわけで、そもそも転用規制をやめるべきだと考えています。先の収益還元法でいえば、より高い価格で買えるということは、毎期の賃借料として支払える額が大きい=儲けが大きい、ということなのですから。

    04/24/2007 (5:20 am)

    安倍総理の職歴と総理補佐官たちと経済財政諮問会議やその他諸々官邸系会議

    Filed under: policymaking, CEFP, government ::

    権丈先生の最新の勿凝学問(77)を読んでいて、ふと思いついた話。

    勿凝学問はリンク先をお読みいただくとして、webmasterの考えるきっかけとなったのは、経済財政諮問会議で社会保障に関する試算を行うという話です。権丈先生は専門家が含まれていない経済財政諮問会議でそんなことをするなんて、という部分に関心を持たれたわけですが、webmasterはそこから若干それて、ではなぜそのようなことが行われるのかに思いが至りました。

    というのも、こと経済財政諮問会議に限らず、さまざまな会議が内閣官房等に設けられ、そこで従来であれば各省庁で検討されるようなテーマが検討されているというのが安倍内閣の特色のひとつといえましょう(代表的な例で言えば、教育再生会議)。ちょうど昨日付の日経金融新聞に次のような記事がありましたが、

    「美しい国づくり企画会議」「アジア・ゲートウェイ戦略会議」「地方分権改革推進会議」――。安倍晋三政権のもとで発足した官邸主導会議に、霞が関の中央官庁が振り回されている。

    会議を支える事務局として人員を奪われるうえ、各会議が掲げる戦略の目玉として、省庁が独自に温めてきたアイデアが吸い取られるケースが出てきたからだ。「政策を横断的に検討するはずの会議が、かえって個別の政策の検討速度を鈍らせている」との冷めた声があがっている。

    (略)

    それでも会議で具体的な政策立案が進めば、事務局派遣もムダではない。だが「横断的に検討する会議が多すぎ、検討課題も重複する。内容はまとまりにくい」(財務省幹部)。省庁を横断して課題の優先順位や統合計画をまとめるはずの会議そのものが、課題のすみ分けができない皮肉な状況だ。

    日経金融「乱立する「首相会議」/官庁、人材取られ不満」

    概ねそんなところだろうとはwebmasterも思います。先日も、

     政府は19日、教育問題を議論している政府の六つの有識者会議の代表者を集めた合同会議を設置し、各会議で共通の論点となっている大学・大学院の高等教育改革をめぐる課題を集中的に議論する方針を決めた。

    (略)

     合同会議は教育再生会議が呼びかける形で、経済財政諮問会議、アジア・ゲートウエー戦略会議、イノベーション25戦略会議、総合科学技術会議、規制改革会議の代表者が参加する。

    (略)

     各会議はそれぞれの観点から大学・大学院改革の議論を行っているが、「議論の内容が重複したり、方向性が逆になりかねない懸念もある」(政府筋)のが実情だ。

    (略)

     このため、一部では各会議の主導権争いも絡み、議論が紛糾するのではないかとの見方も出ている。自民党内では、以前から「首相官邸に会議が多すぎてわかりにくい」との指摘があったことから、「今度の会議が取りまとめ役を担うのでなく、屋上屋を架すことにならなければいいが」「中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)との調整も必要だろう」などと、懸念する向きもある。

    読売「教育6会議が合同で協議 政府、方針統一図る」

    というようなことがありましたが、こういうことをしている方々に霞が関の縦割りがどうのこうのといった批判はしてほしくないなぁ(笑)、という感情的な話はさておくとしても、それほど効率的に機能しているようには見えません。

    この手の流れは小泉政権の頃からありましたが、小泉政権(さらに言えば、官邸機能の強化等を打ち出した橋本政権)で現状が理想に近いとの認識がありつつも、まだそこまでの機運が醸成できなかったのでやむなく諦めていたのか、それとも現状はいわば行き過ぎであるのか、webmasterは後者ではないかと思うのです。そう考える理由は、安倍総理、及び安倍政権の性質にあります。

    安倍総理の職歴

    安倍総理の職歴において顕著なのは、大臣ポストは官房長官しか経験しておらず、副大臣・大臣政務官ポストまで拡げても官房副長官しか経験していないということです。つまり、閣内に入ったといっても、官邸にしかいたことがないわけです。

    かつては総理総裁候補の条件として枢要な大臣ポスト(外務大臣、財務(大蔵)大臣、経済産業(通商産業)大臣など)の経験があることが挙げられ、したがって総理にはそれらの経験を積んだ者が就任していました。小泉前総理はそれらのポストには就かなかったものの、厚生大臣(2回)と郵政大臣を経験しています

    大臣経験があると何がわかるか、それはいろいろとあるでしょうけれども、この文脈において重要なのは、大臣とは本当に力のあるポストであるということです。外部からは、大臣とは官僚の操り人形だなどということがよく言われますが、政策において大臣がしたいといえば、事務方はそれが法律違反でもない限りはなるべく意を叶えようとしますし、人事にしても、大臣の意向でいくらでも左右されます。

    それがわかっているなら、仮に総理の指導力を高めようとした場合、各大臣をきちんとグリップした上で大所高所の指示を出し、具体的な話は各省庁においてやらせる、というやり方があることは自明です。小泉前総理にしても、道路公団や郵政公社の民営化という政権の主軸に据えた話についてはその手の会議を設け、竹中元経済財政政策担当大臣の思い入れのあるテーマ、すなわちアンチ財務省的な話を諮問会議で集中的に取り上げさせはしても、あとはそれなりに各大臣=各省庁に「丸投げ」もしていたわけです。

    #竹中元大臣から与謝野前大臣への交代に伴い諮問会議の路線が変わったのは、それが小泉前総理の関心事項ではなく、竹中元大臣の関心事項だったことの表れだとwebmasterは考えています。

    ところが、安倍総理は各省庁のトップとしての大臣経験がないので(官房長官は官邸(内閣官房)のナンバーツーです)、おそらくはそれが見えていません。各大臣にだって、大臣になるには政治家としてそれなりの格が求められますから、当然ながら自己の定見なりプライドなりがあり、官僚があれこれ知恵をつけられるなんてことがなくても、独自路線を求めたりもするものです。

    言い換えれば、明示的な総理の指示には当然従うとしても、自らの裁量に任されたと判断すれば、なるべく自分のカラーを出そう、あるいはいちいち総理の意向を探ったりせずに判断しようとすることもあり得ます(言われていないことについても総理の真意は何かを探りその実現にできるだけ努めようとする大臣もいます。このあたりはそれぞれの人格・性格によるでしょう)。大臣経験があればその辺りの機微もわかるでしょうけれど、官邸から各大臣・各省庁を見た経験しかなければ、これらは各省庁は思ったとおりにならず、官僚が大臣を取り込んでいる印だ、と思うこともあるでしょう。

    だからこそ、なるべく自らの目が直接行き届くところですべてを決したがるのではないかと、webmasterは思うのです。よくよく考えてみれば、既に引用したように、内閣官房に会議を作ったところで、その事務方になるのは官僚です。総理→各責任者→官僚という統制の仕組みは、官邸直轄であろうと各省庁であっても変わらず、違いは「各責任者」が大臣なのかそうでないのかの違いに過ぎません。にもかかわらず、「各責任者」が大臣だと官僚の操り人形に堕すというのは、大臣職の実態がわかっていないように見えるのです。

    総理補佐官たち

    そもそも総理補佐官を数多く置いたのも、以上のような大臣=官僚の操り人形論に影響されてのことではあったのでしょう。しかし、いったん制度が運用に移れば、当初の意図どおりには必ずしも動きません。

    安倍政権での総理補佐官は、任命当時から各大臣との権限関係が不明確であること等が指摘されてきました。同じ分野で総理補佐官と各大臣とが競争するならば、各省庁という手足となる組織を持っている大臣が有利なのは当たり前のこと。自然体でいけば、明確な特命事項がない限り、総理補佐官の存在感が薄れていくのは必然です。

    しかし、総理補佐官に任命された者は、それが政治家であればなおさら、そのような境遇に甘んじることはできないでしょう。いきおい、総理補佐官たちは、名が売れそうな話があればそれに飛びつき、その存在感を示そうとするでしょう‐各大臣との競争に限らず、総理補佐官同士での功名争いとしても。

    まして、各省庁という執行組織を持たない総理補佐官には、ルーチンワークがありません。つまり、何か問題を見つけてきてはそれに取り組むということでもしない限り、はっきりいえば暇なわけです(笑)。功成り名を遂げた人が就く名誉職というならばさておき、総理補佐官を今後の政治家としての上昇のステップにしようと考えていれば、暇でよかったなぁ、なんて気分になるはずもありません。むしろ暇であればあるほど何かがしたくて仕方がない心理状態になっても、それは極めて自然なことでしょう。

    既述のような各会議のバッティングは、それぞれが明確な統一的意図の下で立ち上げられたのであれば、おそらくは事前にきちんと担当が整理され生じないでしょう。バッティングが生じているということは、逆に明確な統一的意図がなく、まちまちに立ち上げられたことを示唆します。

    結局、各大臣・各省庁相手では統制がとれず、身近な官邸勤務者であれば統制が効くとの事前の意図に反し、各補佐官がそれぞれの関心に基づいて「権限争い」(笑)を繰り広げた結果、霞が関を非難する定番のラベルである「縦割り」が霞が関以上に似つかわしくなってしまったのでしょう。かつて今村都南雄「官庁セクショナリズム」の書評で書いたように、縦割りは遍在するのであって、霞が関の病理としてのみ解されるべきものではないのです‐おそらくは、現在の官邸の混乱は、各省庁の権限争いによるそれよりも見通しが悪いものでしょう。見通しの良し悪しは、政治的にいいか悪いかには、必ずしも直結するものではないにせよ。

    04/06/2007 (12:50 pm)

    大田経済財政政策担当大臣の虚偽答弁

    Filed under: CEFP ::

    最近の2ちゃんねる(の一部)で、次の国会質疑が話題になっていました。

    ○佐々木(憲)委員 日本経団連の会長の御手洗さん、さらに財界の代表。ですから、四人のうちの二人は財界代表ですね。あとは学者の代表の方といいますか。それで民間四議員が形成されて、その四議員が常にこの間、連名の議案の提起をしている。
     その議案の提出の下作業を大田さんは大臣になる前、つまり竹中さんの時代にやられていたというふうにお聞きしますけれども、そういうことですか。

    ○大田国務大臣 民間議員が四名の名前でお出しになるか、お一人の名前でお出しになるか、あるいは二人にするかは、民間議員の話し合いによって決められるものです。
     私が内閣府勤務時代にやっておりましたのは、民間議員の御意見を集約しながら、民間議員提案のたたき台をつくるお手伝いはしておりましたが、最終的にペーパーをおつくりになるのは民間議員です。

    ○佐々木(憲)委員 民間四議員の実際上の事務局的役割を果たしておられて、その財界の代表の方々も含めた御意見を聞き、そしてそれを整理して、提案するペーパーにまとめていく。もちろん民間四議員の責任で出すわけですからね。しかし、それに深くかかわっていたということだと思うんです。(後略)

    (略)

    ○佐々木(憲)委員 (略)
     大田さんが書かれた「経済財政諮問会議の戦い」、これをじっくりと私も読ませていただきました。この中で、大田さん自身がこう言っておられるんですね、「諮問会議の民間議員が特異な位置を占めるのは、みずからペーパーを書くという点にある。」と。「特異な位置」と言っているんですよ。それで、「原案が作成されたあとは、それに対する修正要求しかできなくなる。常に、原案の作成者が優位に立つのである。」と。(後略)

    ○大田国務大臣 私の本を読んでいただきまして、ありがとうございます。
     本のその部分ですけれども、まず、民間議員が紙を書くところに特別な点があるというのは、他の審議会との違いを書いております。他の審議会は、民間の方がメンバーであっても事務局がたたき台を書くことがほとんどですが、経済財政諮問会議の有識者議員ペーパーは、民間議員がみずから書きます。(後略)

    ○佐々木(憲)委員 いろいろな弁解をしても、実際に大田さんが書かれているのを見ますと、みずからペーパーを書くというのが諮問会議の特異なものであった、特徴であると。審議会では事務局が答案を書き、委員はそれに意見を言う、しかし、この諮問会議の場合は、ペーパーを書くというところに非常に力点が置かれておりまして、それが議論の土台を設定するんだ、こういうふうにみずから書かれているじゃないですか。そして、原案が作成されれば修正しかできなくなるから、だから原案の作成者が優位に立つと。
     今までやってきたのは、実際、そういうことなんですよ。そこには労働の代表もいない、消費者の代表もいない。結局は、財界に直結した形での諮問会議の結論がそこから出されて、それが閣議決定に上げられるという形になっているんじゃないですか。結局、与党も無視、野党をもっと無視して、財界の言いなりの形でそれが閣議で行われてきた、小泉内閣時代からそれが続いているというのが実態なんですよ。

    第166回国会 予算委員会 第18号(平成19年3月2日(金曜日))

    どのように話題になったかは、基本的には佐々木憲昭議員の質問の文脈、すなわち財界の意向が政権の政策運営に色濃く反映されていることを問題視するものだったように理解しています。しかし、霞が関の住人であるwebmasterにとっては、よほど他の点が気になったのです。すなわち、今なお諮問会議における民間議員ペーパーは民間議員自身が書き、他方でその余の審議会等の合議体は官僚がペーパーが書くという点で大いに異なるのだ、という嘘がまかり通っていることです。

    審議会等において、一般的な傾向として官僚がペーパーを書いているということをwebmasterは否定するものではありません。となれば嘘とは、諮問会議では民間議員自身がペーパーを書いている、ということに他なりません。かつて紹介しましたが、次のような指摘が既になされています。

     竹中平蔵に続き、このポストに非議員の経済学者から抜てきを受けた大田。小泉前政権のうち4年半、経財相を務め、諮問会議を切り回した竹中の直系とも呼ぶべき後継者だ。02年1月から05年8月まで諮問会議の事務方である内閣府に官僚として身を投じていた。経済社会総合研究所の客員主任研究官から参事官、審議官と一歩一歩、役所のヒエラルキーの階段を上がり、最後は局長格の政策統括官(経済財政分析担当)を1年半、務めた。

     月例経済報告など政府の景気判断の事務的な責任者だった。同時に竹中諮問会議の舞台回しの要の役割を担っていた。毎回、大阪大教授・本間正明ら4人の民間議員が連名で提出する「民間議員ペーパー」や、毎年、年央に閣議決定して経済財政運営と構造改革の指針とする「骨太の方針」を起草していたのは実は大田だったのだ。竹中と民間議員、それに内閣府官僚の3者の結節点に立ち、諮問会議の実質的な事務局長役を演じていたのである。

    NET EYE プロの視点「安倍晋三の経済「高成長派」布陣の賭け(2006/9/27)」

    (山田厚史・朝日新聞編集委員)  経済関係の編集委員を務めている。金融財政を長く担当した立場からコメントしたい。

    (略)

     民間議員の存在が大きく、竹中大臣の参謀がペーパーを起案し、応援団となった。竹中大臣に対する好悪の情はあろうが、説明能力が高く、議論の場で仕切るのも得意であった。ロジカルに議論する場に耐えない人間は、出られなくなる。議事録を見れば、発言している者、していない者は一目瞭然である。イニシアティブを取れる者が勝ちであり、竹中大臣あたりが小難しいことをわーわー言って、最後に小泉総理が「そんなものかな」と言えば、それで諮問会議、いわば御前会議の決定となった。これは大きなチャレンジである。霞が関と永田町が混じるところで、こういう形で今後とも進むかどうかはわからないが、いずれにせよ、みんなの前で議論することになった意義は大きい。

    政策分析ネットワーク 第7回政策研究・教育カンファレンス議事要旨(1)

    加えて、竹中元大臣の発言として、次のような報道もありました(2006年9月29日付の当サイトで引用した新聞記事ですが、ネット掲載はなく、加えて現在当サイトの過去ログ閲覧を停止しているので、リンクが張れないことをご容赦いただければ)。

    ──あなたが総務相になって経済財政諮問会議は、政治主導から役所主導に変質したようにみえる。

    「私たちは、民間議員4人が連名で出す『民間議員ペーパー』をたたき台にして諮問会議をリードする機能をつくった。省庁が反対しても多数を取れるし、最後に総理に決めてもらうためにも大事だった」

    「ペーパーの原案は実はわれわれが書いていた。ところが、われわれが去ると、財務省がペーパーの書き手になってしまった。財務省が諮問会議への影響力を増した、とよく言われるが、違う。ペーパーを乗っ取ってしまったのだ。かつては民間議員と財務相でかなり激しいやりとりがあったが、この1年間は一度もなかった」

    東京「小泉改革と歩んで/竹中平蔵氏が語る‐下/諮問会議の変質/原案書き手 財務省に/改革なければ格差さらに」

    国会答弁で嘘がまかり通ることも悲しいのですが、それが霞が関批判のためということで問題視すらされないのはさらに悲しいことです。これじゃあ大カトーにとってのカルタゴじゃないですか、と思うのですが、大田大臣にとどまらず、国民の多数派も大同小異のご認識なんだろうなぁとwebmasterからみても思わざるを得ないのが、なんとも・・・。

    03/03/2007 (1:52 pm)

    移行期間中のクリップその3‐経済財政諮問会議の議論の程度

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    最後に大屋先生のエントリです。

    なにやら大変に忙しいので簡単に事実だけ書きとめておこうと思う。経済財政諮問会議の民間議員が「国立大学の予算配分に競争原理を導入するための提案をする」という話。以下「国立大学交付金、競争型に 規模より研究重視」(asahi.com)より引用。

    国立大学の人件費や運営経費を支えるための運営費交付金は07年度予算案で1兆2043億円。このうち大学法人の教育・研究内容に応じて配分する「特別教育研究経費」は交付金全体の7%で、大半は教職員や学生の数で交付額が決まる。

    民間議員は提案で、大学と大学院を「技術革新の拠点」と位置づけ、職員数に応じた現行の配分方式を見直し、研究提案の内容で交付金を決定するルールに切り替えるべきだと提案する。

    (略)

    ポイントはここまでですでに運営費交付金だけではアシが出ているということであって、つまり運営費交付金の大半がなぜ「教職員や学生の数」に左右されるかというと研究成果とは関係ない基盤部分の経費しかまかなっていないからだ、ということである。

    (略)

    つまり報道された経済財政諮問会議民間議員の提案なるものは、研究活動とほぼ関係のない基盤経費の部分だけを見て・競争が行なわれている部分を見ずに・「ここには競争原理が働いていない」と言っているわけで知的水準が疑われますというか、大学のことを何も調べてないんだろうなという話である。というか、誰か止めるやつはいなかったのか。

    記事は「配分方法などを巡り研究現場からは強い反発も予想される」と書いているが、我々が反発するとしたら別にそれは配分の方法とか基準に異論があるからではなく、そもそも誤った前提で批判されたことに対してだ、というのは理解してもらいたいところである。あとこんな程度の話にもツッコめない新聞は役立たず。いまさらだけど。

    「運営費交付金の話」(@おおやにき2/27付)(webmaster注:強調は原文によります)

    民間議員提案なるものがどこまで本当に民間議員の発意によるものかは疑わしいのですが、それを脇に置くとしても、民間議員には2名の大学教員(東京大学大学院経済学研究科教授の伊藤隆敏先生国際基督教大学教養学部教授の八代尚弘先生)が含まれていてなおこの体たらくです。まして、民間議員がなじみのない分野に関する政策提言の程度といえば・・・。

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