bewaad institute@kasumigaseki

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  • 05/18/2007 (5:45 am)

    ソフトウェア開発の現場の待遇って、実際のところどうなんでしょうか?

    Filed under: economy, computer ::

    先日の、

    については、いろいろとご議論をいただいたところですが、webmasterの主張の前提としては、開発現場の待遇は極めて悪い、というネットでよく見かける話がありました。平たく申し上げれば、日本で無理してやろうとするから現場にしわ寄せがいくのではないか、ということです。

    他方で、次のようなご指摘をいただきました。

     私の実感としては、ある程度人海戦術が使えるのは、汎用的なパッケージ商品を作る場合のみではないかと思います。
     最近は組み込み系でもパッケージを購入し、製品用にカスタマイズするという開発方法がどんどん広がっています。そして、パッケージは中国等のエンジニアがプログラミングしています。

     実際のところ「海外で安く調達した方が」という指摘を受けるまでもなく、既に海外で調達できるものはしているという印象もあります。

     主張がごちゃごちゃしてきました…。一応まとめます。

    1. 海外で調達するという方法が適切な場合はそんなに多くないと思われる。
    2. 海外のエンジニアを使った方がいい分野では既に使われているのではないか。
    3. 最近は日本のエンジニアを使った方がいい場面で海外のエンジニアを使って失敗している例が多そうだ。

     最終的に、今言うべきことは「日本のエンジニアにやらせた方が、最終的な品質も良く、コストも低い場合があるから、目先のコストに惑わされて安易になんでも海外のエンジニアに任せるな。」ではないでしょうか?

    「想定がリアルでないということ」(@ダメプログラマーのお勉強5/15付)

    国を挙げて下請けと化しデスマーチを喜んでやってくれるというなら、やってもらえばいいじゃないですか

    というか、デスマーチ級のイカれた人海戦術プログラミングってのはプログラマの生産性が原因というよりマネジメントの失敗そのものだろうから、「デスマーチは海外発注すれば」という発想自体がズレてるのではと思う。

    というか、デスマーチの海外発注って可能なんだろうか?「ふざけんな」と突き返されて終わりのような気がするんだけど。マネジメント見直して向こうで受けれてくれる状態に変更してみたら、その時は既に日本でも実現可能なプロジェクトになってるのでは。

    hasenka 「そこら辺は適当にやっておいて」のコスト。

    ブクマコメントでもこういうのがあったけど、これは日本のプログラマの状況を非常に簡潔かつ的確に示してると思うっていうか「そこら辺は適当に頼む」が仕様レベルで通用する国は日本だけなんじゃねぇのか。

    「他国にやらせていいソフト≠他国にやらせたいソフト」(@Scott’s scribble - 雑記。5/15付)

    これらでお示しのように、現に人件費が致命的になるようなものは海外に移転している/日本でやっているのはそれだけの人件費をかける価値があるものだということであれば、たとえば残業が多い職種であるが、労働基準法に違反して、サービス残業を強いられているケースも多い。場合によっては、時給換算した給料が、最低賃金法に基づく基準をクリアしないこともあるWikipediaで書かれるような事態はきわめて特殊な事例であるように思います。言い換えれば、現場の待遇は、言われているほどには悪くないということではないかと推測されます。

    というわけで、実際にデータに当たってみました(最初っから当たれよというご指摘はまことにごもっともですが、過ちては則ち改むるに憚ること勿れということで)。材料は、賃金構造基本統計調査(平成18年)です。

    その第3表は職種別きまって支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額(産業計)となっていますが、この「職種別」は、SEやプログラマを含む全129種の分類となっています。それによる平均年間給与をみますと、

    SE

    557万7,300円(第17位)

    プログラマ

    406万8,500円(第73位)

    となっており、額面としてはそれほど低いわけではありません。

    #ちなみに、同調査による上位10職種を見ると、航空機パイロット(1,295万円)、大学教授(1,133万円)、医師(1,101万円)、大学助教授(885万円)、公認会計士・税理士(818万円)、記者(816万円)、弁護士(772万円)、大学講師(733万円)、高校教員(724万円)、不動産鑑定士(716万円)となっています。

    しかし、これは残業が月間20時間(プログラマ)ないし24時間(SE)であり、サービス残業を加味した実質的な時給としてどうであるかを正しく表すものではありません。では、先のWikipediaの記述を参考に、最低賃金を割り込むほどのサービス残業があるとすれば、それはどの程度かを試算してみます。

    最低賃金は都道府県により差があります(昨年10月1日現在で、610円(沖縄)〜719円(東京))が、計算の簡便化を図るため、一律700円と仮定します。先に掲げたプログラマの平均年収をこの700円で割ると5,812時間となり、それだけ働いていれば実質時給が最低賃金割れということになります。所定内実労働時間が161時間/月ということですから、含まれている残業20時間/月とあわせてその12倍を差し引くと残り3,640時間、毎月300時間以上のサービス残業ということになり、これはさすがに非現実的でしょう。

    #単発的にはあるでしょうけれども、さすがに一年通してとなると・・・。

    逆に考え、最低賃金割れとなるような年収はいくらかを試算してみます。残業がどの程度で過酷な状況といえるかどうかは主観による差もあるでしょうけれども、とりあえずここでは、ネットで散見する情報(のwebmasterにとっての印象)や、webmaster自身の経験も踏まえ、200時間/月としてみます。平日は毎日日が変わるまでで6時間/日、それを20営業日で120時間/月、加えて土日出勤がそれなりに入る状況にほぼ対応しますから、相場としてそれほど外しているものではないでしょう。

    既述のとおり、所定内実労働時間は161時間/月ですから、これに200を足すと361時間/月、12をかければ4,332時間/年の労働時間となります。これに700円をかけると303万2,400円になりますので、このぐらいの年収で月200時間以上の残業をさせられていると最低賃金割れということになります。

    さて、これに該当するプログラマがどの程度いるのか、という話ですが、賃金構造基本統計調査の結果では分布がわからないので、全体の動向を当てはめてみます。2004年のデータとして、日本の全年齢における賃金の平均/メディアンは1.108とのことですので、これと同じ分布であると仮定します。この場合、プログラマの給与のメディアンは

    • 406万8,500円/1.108=367万1,931円

    となり、全体の半分以上は先のような過酷な状況には賃金だけを見てもなっていないということになります。

    #賃金構造基本統計調査では、企業の規模別の数字が掲載されていますが、その最も小規模である10〜99人区分でプログラマの年収を見ると、374万9,500円となっています。同じくメディアンを求めると338万4,025円となり、これでも半分以上は既述のようなサービス残業をしていたとしても、最低賃金割れにはいたっていないことになります。

    さらにP50/P90、すなわちメディアンと下位10%との差を見ると1.73ということですので、先の数字に当てはめると、プログラマの下位10%は

    • 367万1,931円/1.73=212万2,503円

    の年収ということになるので、これだと月200時間残業をしていれば最低賃金割れであることは明らかです(仮に4,332時間で割れば、時給490円ということになります)。各10%階層がメディアン以下では均等に分布しているとすれば、だいたい1/4程度は最低賃金割れの可能性がある年収303万円ラインを割り込むことになり、月200時間残業をしているのが仮にその半分だとすれば、1割強のプログラマは最低賃金割れの待遇ということになるでしょう。

    #9人以下の企業を加えると、もっと比率が上がるような気もしますが、データがない以上考えても致し方ないので、そういうことがあり得るとの言及のみに留めておきます。

    プログラマという単一職種で全体と同じだけの分布の幅があるという仮定には無理があることは事実ですから、これは若干の過大推計だとwebmaster自身認めます。それに留意した上で、約1割が最低賃金割れで働いている状況にある可能性がある(山勘では現実は5%を超えることはないだろうという気がしますが、まったく根拠はありません)というのは、これを多いと評価すべきなのか、少ないと評価すべきなのでしょうか?

    とまれ、この推計について、現場の実感とどの程度乖離しているのか、ご教示いただければ幸いです>読者諸賢。

    05/15/2007 (6:31 am)

    続・インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。

    Filed under: economy, computer ::

    昨日のエントリには多くの言及をいただき、ありがとうございました。それらを踏まえて、いくつかの補足を。

    改めて言いたかったことをちょー簡単にまとめると。

    「日本は人件費が高いので、人海戦術的なソフトウェア開発は海外で安く調達することにした方が得ですよ」

    過去のエントリでも似たようなことを寓話っぽく書いてますので、お暇であればそちらもご覧いただければ。

    情報サービス産業において日本の比較優位が成立し得る分野

    bewaadさんのところで紹介されていた記事なのですが、僕はこれを読んで、藤本隆宏氏が提唱している「インテグラル型(摺り合わせ型)」と「モジュラー型(組み合わせ型)」の概念がIT業界にも適用可能ではないかと思いました。

    そもそも要件定義や仕様書を作る理由は、そこに書かれた部分をモジュールとして分離して開発するためなので、要件定義や仕様書が必要な開発はモジュラー型であると言えるでしょう。一方、要件定義や仕様書の作成が難しい開発というのは、他の部分との関連が強かったり、外部からの要求(言い換えれば関連性)が頻繁に変更されるものであり、そのような開発は摺り合わせが必要なインテグラル型であると言えるでしょう。

    (略)

    だからbewaadさんが言うようにIT産業全体が日本において比較劣位にあるのではなく、「モジュラー型のソフトウェア開発」が日本において比較劣位にあるのだと思います。従って、日本のIT産業は「インテグラル型のソフトウェア開発」に特化すべきだというのが僕の考えです。

    「日本の比較優位は摺り合わせにあるのでしょうね。」(@Baatarismの溜息通信5/14付)

    これは実のところそんなに難しくない。「産業」を捨ててて、「生活環境」に注力するのだ。どういうことかというと、「ふつうの人」100万倍の人たちに「ここに住み続けていたい」と思わせるようにするということだ。

    実はこの点で、日本はけっこういい位置にいる。10代の女の子が平気で夜遊びできるほど安全な環境。引き蘢りにやさしい家庭。どんなオタクが一生かけても観きれないほどのマンガとアニメ….遊びネタが湯水のごとくあって、そして遊んでいることを咎められない環境というのは、プログラミングという狭義のソフトウェアのみならず、コンテンツという広義のソフトウェアまでふくめたソフトウェアにとって理想の土壌なのだ。

    「ソフトウェアの競争力は誰に宿るか」(@404 Blog Not Found5/14付)

     私が明確に考慮から抜け落ちていると思うのは、日本人が使いたいソフト・アプリ・サービスを作るのならば、作る側も日本人である必要があるということです。少なくとも今は。

    (略)

     日本のアプリケーションは、海外のもの(私の知っている英語圏)とは結構な差があります。そのため、がっちりした仕様の存在しないために必ず存在する「そこら辺は適当にやっておいて」に対応できません。驚くほど全く使えないのです。そんな指示が通用するのは日本人にだけです。
    #いや、現場を知らない方には仕様が存在しないということすら驚きかもしれませんが(笑)

    (略)

     ここ最近私の会社に仕事をくれた2つの大手家電メーカーも、プログラマーコストの低い中国とかに仕事を出して結果的に安くなく品質の悪いソフトウェアを手にし、「失敗した」と言っていたりするのも、そこら辺の事情が大きく影響しているはずです。

    「情報サービス産業の海外化について」(@ダメプログラマーのお勉強5/14付)

    日本の企業に対するシステム構築(インターナルウェア)に対する僕の見解は,ダメプログラマーのお勉強中のエントリ情報サービス産業の海外化についてと同じく,”日本企業につきあるのは日本企業しかないないのだから当分安泰”(要約)というものです.

    当然ながらインターナルウェアの分野で外国に出て行って戦う力はないと思われます.

    パッケージについては,ここは外国勢に制圧されてますよね…OSからWEB検索からワープロから日本勢は全滅に近いです.*6多分bewaadさんが問題にしているのはここだと思うので,情報システム産業ではなく,パッケージソフトウェアの生産性の源泉なんてのを考えてみるのもいいかもしれません

    「情報システム産業について議論すべき前に抑えておくべきこと」(@y_rの落書き帳5/14付)

    これらはいずれも、実はあるひとつの日本という国の特長に着目した論考であるとwebmasterは思います。要するに、日本は豊かだと。そして、貿易財・サービス(輸入できるもの、すなわち外国から買えるもの)ではその日本の豊かさの影響度合いが相対的に少ないので、非貿易財・サービスに特化して、日本の豊かさから十分に見返りを受けられる分野で稼げ、と。

    豊かであることの意味というのは、山形浩生さんと海外著名経済学者とのメイルのやりとりを詳しくはご覧いただくとして、本件との関係で重要な部分を大雑把にまとめるならば、日本の床屋がガーナ(アフリカの。蛇足な補足で恐縮です)の床屋の何十倍も稼げるのは、日本の床屋の生産性がガーナの床屋の生産性に比べて何十倍も高いからではなく、日本という豊かな国で商売しているからに他ならない、と。

    日本が世界第2位の経済大国であるというのは伊達ではなく、その含意としては質量ともに豊かであるといえることです。ここでいう質とは一人当たりGDP、量とはGDPそのものとご理解いただければ足りると思いますが、一人当たりGDPがいくら高くても、経済規模が小さければ(ルクセンブルクとか)国内だけで稼ぐには限界があり、外国で売ることも考えなければなりません。GDPそのものがいくら大きくても、一人当たりが低ければ(中国とか)安い商品≒低付加価値商品≒誰でも作れる商品しか売れないわけで、それほど儲かりません。

    日本に立地する企業、あるいは日本で働く労働者は、この日本という市場に恵まれているのですから、それを最大限活用しない手はありません。もちろん、トヨタのように世界中でガチンコで戦って十分にやっていける企業はそうすればいいわけですが、プログラマの生産性が人件費あたりで平均的にはインド人よりも低いとしても、インド人にはなかなかできない日本という市場に適合した商品を作り出す部分に特化していけば、そこでは大いに儲けることができるはずなのです。

    情報サービス産業の外部性

    けれどもbewaadさんのいうように,ITが比較劣位なのだからインド人にやらせればいいじゃん,と割り切れるかというと微妙だ.ITが各業種の業務に深く関われば関わるほど,IT産業に於ける比較劣位が,社会としての生産性に影を落とす可能性がある.現在は比較優位にあるエレクトロニクスや自動車産業に於いても,組込ソフトウェアや生産管理など様々なところでITが競争力を左右する.比較優位な産業分野のITを中国やインドに外注すると,これまで以上に技術流出を防ぐことは難しくなるのではないか.

    (略)

    これからの日本に必要な情報政策とは,意外とエネルギー政策に近いのかも知れない.比較優位を望むことが難しいとしても,他の産業を粛々と支えられるように気を配る必要がある点に於いて.人余りから人不足へ,ハードからサービスへの転換に当たって,情報サービス産業の自助努力だけでは心許ない,政府のやるべき仕事として何があるのだろうか.雇用規制にせよ著作権ににせよ電力料金にせよ,政策が情報サービス産業の足を引っ張りかねないことが少なからずある以上,それを補って余りある活躍を期待したい.

    「SaaSで加速する情報産業の空洞化」(@雑種路線でいこう5/14付)

    技術流出して何か問題がありますか? というとラディカルでしょうか。知的財産関連で対価をきちんとせしめることができるかという別の問題はあるにせよ、わざわざ安く作ってくれるというのであれば、安く作ってもらえばいいじゃないですか。若干人権的には(笑)問題のある例ではなりますが、古代ギリシア人が農耕などは奴隷にやらせて、自分たちは哲学などにいそしんでいたような構造でいいじゃないですか。もう少しマイルドにいうなら、国を挙げて下請けと化しデスマーチを喜んでやってくれるというなら、やってもらえばいいじゃないですか(あまりマイルドではないかな?)。

    mkusunokさんが挙げているエネルギというのは多分に示唆的で、石油はITをはるかに上回るほど社会の多くの分野に影響を及ぼす財ですが、日本で自給自足というのはナンセンスです。さて、国内にそれなりの規模の油田を持つA国では、石油産業への配慮もあり、品質が悪いand/or価格が高い国内産石油の使用を一定水準は義務付けていて、他方で国内ではまったくといっていいほど石油が採れないB国では、世界中から品質と価格のバランスがもっとも優れているものを輸入して使っています。お得なのはA国とB国のどちらでしょうか?

    日本はB国に近しいというのは一目瞭然でしょうけれども、それと同じことが情報サービス産業で起きたとして、それは基本的に歓迎すべきことといえます。インドなり中国なりでは作れないもの、あるいは日本で作った方がいいものは日本で作るとしても、そうでなければ、作ってきたものを買ってきた方が、品質がよいand/or価格が低いわけですから、ユーザであるエレクトロニクス産業やら自動車産業やらにとってもお得になるわけです。

    この議論が成立しないとすれば、何らかの外部性が存在して、情報サービス産業の興隆が財・サービスの等価交換を超えて他部門へ好循環をもたらすような場合で、mkusunokさんもそうした外部性があることを前提にしていらっしゃるように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか?

    確かにコンピュータに詳しい人間がまるでいないというのでは、先に引用したBaatarismさんやダメプログラマーさんがお示しのような調整に要するコストがかさみそうではありますが、それは価格に反映されるでしょうから、外部性とはいえません。付け加えるなら、いみじくもmkusunokさんがお示しのとおり他産業においても相当程度組み込まれるわけで、そこでの就業機会がある以上、情報サービス産業の相当部分が海外移転したとしても、そうした人間がいなくなるというのも想定し難いでしょう。

    #そうした人間をきちんと育成できるかというのは、教育その他の問題でもあるので、情報サービス産業があるかないかがまったく影響しないわけもありませんが、それだけで決まる話でもないとwebmasterは考えます。

    可能性がありそうなのは、日本の市場ニーズにまったく合わない製品が氾濫してしまいいろいろと不都合が起きるということかと思います。といっても、そうさせないところに日本での稼ぎどころがあるとは既に記したとおりですし、何より商売は、基本的には買い手が強いものですから、そのような収益機会が放置されるというのは考えづらいわけです。

    #だからこそ、かつてはNECがPC-98シリーズで牙城を築いていた日本語処理にしても、DOS/VやらWindowsやらでMicrosoftその他が頑張って実装したわけですし。

    マクロ経済的な影響まで視野に入れれば、現在情報サービス産業に従事している者をどこにシフトさせるかという話はあるでしょう。どこかに有望な産業がなければジリ貧という可能性も、ゼロというわけではありません(情報サービス産業がそれほどの雇用インパクトがあるのかという話はあるにせよ)‐ただし基本的には、日本での収益機会を活かせるほどに海外の労働者が日本語に通暁する等の状況になれば、その分だけ海外の労働者の賃金が上昇して海外シフトは止まるはずですが。

    しかし、それはいかにしてさまざまな成長機会の芽を摘まずに育てられるか、最近の政府のはやり言葉でいえばイノヴェーションが活発かどうかに依存するのであって、情報サービス産業を大切にしていればよいという話ではありません。情報サービス産業が比較劣位なのに政策支援等でリソースを抱え込み続けるのであれば、それはかえってイノヴェーションを阻害する行為でありましょう。

    えっ、今後有望な産業は何かって? そんなこと官僚に聞かないでくださいよ(笑)。市場競争に勝ち残ったところがそうなるでしょう、としか。

    産業として論ずること、あるいは個別性について

    だから、ソフトウェアの生産性を決める一番の要素は、問題を選ぶ自由度と解き方を選ぶ自由度。だから、「ほにゃらら産業」といった時点で実は負け、その時点で産業という「解き方」を指定しちゃうんだから。何が間違っているといったら、主語が間違っている。「日本人かインド人か」ではないのだ。この主語は実は個人名でしかありえない。

    「ソフトウェアの競争力は誰に宿るか」(@404 Blog Not Found5/14付)

    ここでのご指摘にそれほどの異論はないのですが‐つまり、生産性とは究極的には個別の主体に帰属するということ‐、若干切り口が違ってきているのかな、と思います。まったく政府の支援等がない世界で自由に競争してもらう分にはそれでかまわないわけですが、「IT産業こそが21世紀の基幹産業であり、そこでの国際競争力の喪失は国家的損害をもたらすので、官民一体となって・・・」といったようなことが行われては無駄になりかねないし、現にそうした動きは少なからずあるよね、というのがwebmasterの問題意識だったりします。

    たとえば現在の日本においては、織物産業は比較劣位にあるといってよいと思いますが、それと人間国宝になるような優れた職人さんがいて、その人が作り出す織物が高額で取引されることとは、まったく矛盾しません。同様に、優れたプログラマが日本においてすばらしいプログラムを作り出すことと、人海戦術的なソフトウェア開発が日本では採算がまず合わないといった状況になることは、十分両立する話といえます。

    前回のエントリの例を応用するならば、営農技術に秀でた農家が高く売れる農産物を栽培する一方で、売れない産品しか作れない農家が農業を断念することはまったく問題ないわけですが、一定量の食料生産が必要だと政策リソースを投入することは無駄を伴うわけで、その無駄が生産量維持によってもたらされる便益と釣り合うものであるかどうかはきちんとした検討が必要です。昨今の情報産業施策は、そうした検討がなされているのかどうか、webmasterにとっては疑問であるといわざるを得ないのです。

    05/14/2007 (3:49 am)

    インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。

    Filed under: economy, computer ::

    タイトルが非常に差別的な響きであることは自覚しておりますが。

    情報サービス産業に対しては,人月単価ベースのビジネスモデルがいけない,エンジニアを使い捨てている,高い単価でオフショアとどう戦うのか,とかいろいろなことがいわれているし,どっかに活路がないものかなとここ数年いろいろ調べたりもしたのだけれども,最近ふと別に情報サービス産業に明日がなくても構わないじゃないか,と考えるようになった.

    結局のところ要件定義や仕様書に基づいてシステムをつくるという仕事は,ITが生む付加価値そのものを受け取るようにビジネスモデルができていないのだ.技術や製品・専門知識に希少性があった時代はそれでも儲かったが,ハードやソフト,それらに対する知識がコモディティ化した瞬間,サービスやソリューションそのものがコモディティ化することは避けられなかったのだろう.

    「情報サービス産業に明日がなくても構わない」(@雑種路線でいこう5/13付)

    ずっと前にarnさんが指摘されたことですが、情報サービス産業は日本において比較劣位にあるのでしょう。それをなんとか延命ないし発展させようというのは、多大なる非効率をもたらしてしまうわけで。Web2.0の代表的企業とされるGoogleに、日本ではそれを上回って利用されているYahoo!にしたって、現にインドに開発拠点をシフトしつつあるわけで、その流れは加速されこそすれ、減速、まして逆流するはずもないでしょう。

    #Googleにしても、アメリカでないと絶対にできないことというのは、広告市場を押さえることで、そこでの稼ぎこそが彼/女らの競争力の源泉なわけですから。好待遇をもって知られる開発環境にしても、広告での儲けがなければ絵空事でしかありません。

    経済産業省が必死になって旗を振っていることではありますが、比較劣位にある産業を政府の介入でなんとかしようというものだと理解すれば、評判の悪い農林水産省の農業政策と似たようなものです。比較劣位にあるものを比較優位にしようとするならば、現に比較優位にあるもの(たとえば自動車産業)を超えて、発展途上国との生産性格差を構築する必要があるわけですが、頭数がある程度必要であるならば、人件費の違いを超えて生産性格差をひっくり返すのは現実問題として無理でしょう。

    わかりやすい目安を挙げるなら、日本の一人当たりGDPは、インドの50倍を超えます。もちろんインドで情報サービス産業に携わる者は、平均よりは高い賃金を稼いではいるでしょうけれども、乱暴に言えば日本人ひとりでインド人50人以上の働きができるようにならなければ、絶対優位にすら立てません他産業の存在を抜きにしても価格競争力がありません(5/15訂正)。現に比較優位にある産業においては、それ以上の差をつけているわけですから、実際に日本でそれを比較優位にしようとするならば、さらに上を目指す必要があります。おそらくは、自動プログラミングソフトでも開発しないことには、達成できないとwebmasterは考えます。

    そうした認識が、mkusunokさんのようなそちらの分野において著名な人から出てきたというのは、非常に喜ばしいことではないかとwebmasterは考えます。日本人は日本人でないとできないこと(より正確には、日本人がやれば他がやるよりも儲かること)をやるというのが、日本人にとって幸せであるのみならず、他の国々の人々にとっても幸せなことなのですから。

    05/03/2007 (5:17 am)

    議会政治をMS Wordに擬えてみる。

    Filed under: politics, computer ::

    何でこのような突拍子もないことを考え付いたのか、きっかけは下記のエントリです。

    昨日の日本テレビのゼロで、地方議員の「費用弁済」という制度を取りあげていた。交通費の代わりに一日一万円程度の日当を、地方の議員が受け取ることを問題視しているらしい。あまりちゃんと見ていたわけではないが、テレビでやるほどの問題か?と思った。

    議員年金も議員宿舎もそうだが、地方議員でも国会議員でも、選挙で選ばれる議員の報酬を削ろうという議論には根本的におかしいことがある。

    現状、議員が報酬に見合った働きをしてない、という主張ならそれには同感だ。それを問題とすることは良い。

    だが、「現状の働きに見合った報酬にダウンせよ」というのは本末転倒だ。議員には報酬に見合った働きをしてもらうべきで、それができないなら違う人にやってもらうべきだ。

    税金の無駄使いは議員の責任だが、議員報酬という税金の無駄使いに限っては、責任があるのは国民だ。議員報酬の問題は税金の無駄使いではなくて「一票の無駄使い」という問題である。

    「 「モニターが悪い数値を出すのでモニターを壊せ」という議論」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)4/27付)

    ここで、議論の当然の前提とされている、「現状、議員が報酬に見合った働きをしてない」ということは、実際にそうなのでしょうか? 国会議員にせよ地方議会議員にせよ、彼/女らは選挙の洗礼を経ているわけで、少なくとももっとも多くの人が相対的に報酬に見合った働きをするであろうと考える人が選ばれているはずです。

    だからこその選挙制度をめぐる議論や、ここでの「一票の無駄使い」という議論なのでしょうけれども、それらが前提としているのは、有権者の意思が完全に選挙に反映されるならば、必ずや議員が報酬に見合った働きをするはず、という命題でしょう。選挙制度に歪みがあったり、有権者が意思表示を怠るから報酬に見合わないような働きをする議員が選挙で当選してしまうのであって、選挙というシステムが有権者の意思を完全に反映する理想選挙(理想気体等と同じ用法で、「理想」の語に価値判断は反映させていません。為念)であるならば、そのようなことは起きないはずであると。

    実際にそうであるかどうかはわかりませんが、そうではなくきちんと反映されたとしても、やっぱり「議員が報酬に見合った働きをしてない」という議論が残るのではないか、という可能性から、MS Wordが出てきました。

    #そもそも反映できるのか、反映するものは何かというあたりにご関心の向きは、アローの不可能性定理をぐぐっていただければ。

    前提となる現状認識として、ここでいう報酬の無駄遣いとは、積極的に害のある行動をとっている(eg言論弾圧)とか、義務を果たしていない(eg各種の事務が行われていない)ということではなく、無駄が多いということと定義します。各種の改革論においては、公共事業にせよ公務員人件費にせよ、不必要なことが行われているため、必要なことしか行わない場合に比べてコストが多くかかっているということが多くの場合共通項としてくくれるでしょう。そうした無駄の排除を行っていないことこそが、報酬に比して働きが悪いという評価の原因であると考えるのです。

    #積極的に害のある行動をとっていると認識したり、義務を果たしていないと認識したりする人もいるでしょうけれども、それは多数派ではなかろう、というのがwebmasterの認識です。

    こう明確に定義すると、MS Wordと共通するものが見えてくるのではないでしょうか。MS Wordに対する批判は数多くありますが、webmasterが見るところ、その最たるもの、あるいは多くに共通するものは、無駄が多くて重い、ということでしょう。あれこれと無駄な機能を盛り込んでいるので、必要なメモリ容量も増えるし、CPUも速いものが必要になる(それらがないと遅い)というのは、webmaster自身もそう感じますし、ネットでもよく見かけるものです。

    他方、MS Wordがよく売れているというのもまた事実で、これまた選挙で選ばれている各議員と似通っています。それほどまでに人々が不満を持つのであれば売れずにライヴァルに敗れるはずなのに、そのようなことにはなっていません。Microsoftがあくどいとかプリインストールで選択の余地がないといった議論はあるでしょうけれど、これらは先の選挙の例で言うなら、選挙制度や投票率低下に対応するものでしょう。

    しかし、他ならぬMicrosoftの製品で、MS Wordに対する多機能で重いという批判にまさしく応えるものがありました‐MS Worksがそれです(今でもラインナップに載ってはいますが)。いわゆる統合ソフトというやつで、ワープロ、スプレッドシート、データベース等の機能が揃い、各機能はそれぞれの専用ソフトには劣るもののそれなりのものが搭載され、機能をダウングレイドしているので軽い(現行のWorks 8でいえば、Pentium120MHzにメモリ128MBが推奨の最低限。他方でWordですと、500MHzに1GB(文章校正等を行う場合に要するメモリ)ですから)のが特長です。

    これならばMicrosoft製品ですからあくどい商法があるとしても影響を受けません。ハード企業と結託して必要なシステムをどんどん高機能にしているとの議論はありますが、Microsoftとて利潤を追求する私企業ですから、Wordがまったく売れずWorksがどんどん売れるようならば、ハード企業を切り捨ててでもWorksに力を入れるでしょう。

    けだし、多くの人にとっては不要な機能であっても、当人にとってないと困るというものがあれば、それを目当てに買う人間が多いということではないでしょうか。たとえば1から10までの10種類の機能があり、それぞれ必要だという人が均等にいたとして、皆自らが必要とする機能以外は不要だと考えたとすれば、全員にとって無駄な機能が多すぎる(現に備えているものの10%で足りるのに)との不満はあれど、その必要な機能を目当てに全員が買ってしまうわけです。

    議員に関しても、各有権者がどの議員をよしとして票を投ずるかはさまざまです。ある人から見れば報酬に値する働きであっても、他の人から見れば報酬に値する働きではないことはいくらでもあります。自分が票を投じ(、選挙に当選し)た議員は報酬に値する働きをしていると認めても、地方議会・国会の議員数は数名〜数百名ですから、それ以外の多くの議員は報酬に値する働きをしているとは認められず、となれば議員なるものは総じて報酬に値する働きをしていないということになるわけです。

    社会の多様性が増せば増すほど、他人が議会に求めるものは、自分が求めるものとは食い違っていきます。議員が無駄だという指摘は決して新しいものではありませんが、価値観の多様化につれ、より多くの価値観に応えられるよう議会が動く対象は増えるでしょうし、それに伴い各有権者が無駄だと思うものはどんどん増えていくでしょう。つまりは今後、ますます無駄だとの指摘は増えるでしょうけれど、だからといって無駄をなくすことは価値観が多様である限り不可能ですから、それは解消されることはないのではないでしょうか‐おそらくはMS Wordの肥大化が、それに対する数多くの不平不満にもかかわらず止まらず、かといって売れ続けるように。

    #末筆&蛇足ながら、このエントリでWordPress移行後100エントリとなりました。ひとつの節目ということで、ちょっとだけ喜んでおきます(笑)。

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