bewaad institute@kasumigaseki

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  • 01/14/2008 (11:59 pm)

    犯罪件数は失業率でほとんど説明可能!

    Filed under: economics ::

    先日の「近道」の実例のような話ですが、mkusunokさんのご紹介です。

    できれば国際比較を、と勝手な要望を申し上げます>松尾先生。

    この分析についてのwebmasterの主観的解釈を述べておくなら、失業者が犯罪を起こすということではなく、失業率に代表される雇用の不安定化=将来に向かっての希望の喪失が犯罪を引き起こすきっかけになりやすい、ということでしょう。「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」と2600年以上昔に喝破した管仲のなんと偉大なることか(「管子」の文言のすべてが管仲のオリジナルではないにせよ)。

    なお、この分析では因果関係が証明されているわけではないことはきちんと断る必要があるにせよ、おそらくは因果関係があるだろうとwebmasterは思います。小野先生の(自発的失業者を除く)失業者はリソースの無駄使い極まりないとのご所説に加えての外部効果ということで、やっぱり失業率対策は大切だなぁと申しますか、フィリップスカーヴやらオークン法則やらを考えるとマイルドインフレ+安定的経済成長は大事だなぁと申しますか。

    01/12/2008 (10:30 pm)

    「近道」の探し方

    Filed under: economics ::

    1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。より引用:

    • 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
    • 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。

    違うよ。全然違うよ。

    「現状を変える一発逆転」はいたるところにある。
    多くの人は、勇気がなかったり、ぼんやりと生きていたりするために、
    一発逆転のチャンスが目の前を通り過ぎるのを
    見過ごしてしまっているだけだ。

    むしろ、「近道を探す努力」こそが正しい努力であって、
    「近道や一発逆転を狙わないで地道な努力を積み重ねる」という姿勢が、
    自分と周囲を不幸にし、
    格差と貧困を生み出し、日本を衰退させてきた。

    それは、「ハゲタカ」というレッテルを貼られて悪者扱いされてきた人々が
    どのようにして人々に豊かさをもたらし、何十億ものお金を稼いでいるのかを見るとよく分かる。

    たとえば、3000万円の工作機械が故障したとする。
    仕組みが複雑すぎて、どこが故障したのか普通のエンジニアには分からない。
    だから直せない。だから、その工作機械はほとんど価値が無くなった。
    そこで、その工作機械の持ち主は、その工作機械を廃棄処分することにした。

    そこに、ハゲタカエンジニアがやってきて、その工作機械を30万円で買い取ってくれることになった。
    その機械の持ち主は、捨てようと思っていた機械を30万円で買い取ってもらったので、
    ハッピーな気分だった。

    ハゲタカエンジニアは、その工作機械の複雑怪奇な構造を理解できるだけの
    高度な知能と知識とセンスを持っていたので、どこが故障しているのかを5分で突き止め、
    5分で修理した。

    これによって、たった10分で、無価値なゴミでしかなかった壊れた工作機械が、
    3000万円の価値のある工作機械に生まれ変わった。
    時給1億8千万円分の仕事をしたことになる。
    これは詐欺でも錬金術でもない。純粋な価値創造労働だ。

    (略)

    その、分水嶺、運命の分かれ道を、意識を研ぎ澄まして見極める努力こそが、
    本当に効果的な努力なのではないだろうか。

    「「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方」(@分裂勘違い君劇場1/11付)(webmaster注:強調は、原文ではフォント拡大です。また、注記は略しました)

    趣旨には大いに賛同する(ただし、日本経済の低迷の原因と捉える部分を除く)のですが、fromdusktildawnさんの「分水嶺、運命の分かれ道を、意識して研ぎ澄まして見極める努力」とは、そのタイトルの「人生を好転させる努力の仕方」からすると、若干不親切ではなかろうかと思います。どうすれば「意識を研ぎ澄まして見極める」ことができるのか不明ですし、その結果、自分がそうだと思った努力が本当にそうであるかどうかが判断できません。fromdusktildawnさんのおっしゃるような努力だと思っていたら実は違っていた、では、努力の為の努力にもなってしまいかねません。

    そこで、どのような努力で「近道」が探せるのか、webmasterが公開してみせましょう!

    まずは経済学の基礎的な概念を紐解きます‐完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります(ただし、機会費用は会計上費用にカウントされないので、会計上は利潤が生まれます)。では完全競争市場とは何かといえば、次のとおりです。

    完全競争市場は、(1)経済主体の多数性、(2)財の同質性、(3)情報の完全性、(4)企業の参入・退出の自由性という4つの条件を満たす。

    市場に多数の売り手と買い手が存在するという条件(1)と、財が同質で価格情報などが完全に知れ渡っている条件((2)、(3))下では、一企業のみが他よりも高い価格を付ければ、その企業の財はまったく売れなくなる。そこで企業は市場で決定された価格を与えられたものとして、つまりプライス・テイカ−として行動すれば、利潤の最大化をもたらす生産量を決定できる。これは売り手が多数おり、一企業の供給量は市場規模からすれば微少で価格などに影響を与えないからである。よって、一企業としては現行の価格より安く売る必要もない。これは図表に描かれたように、ある財に対する市場全体の需要曲線が右下がりであっても、一企業に対する需要曲線は水平になることを示している。

    第7回 市場メカニズムの効率性と限界(webmaster注:括弧つき数字は、原文では丸付き数字です)

    「完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります」という命題の対偶をとれば、「生産者の利潤がプラスであるならば、完全競争市場でない市場においてです」ということとなります。すなわち、上記引用の4条件のいずれかが満たされていない市場を見つけることができれば、大儲けができるわけです。「近道」とは、これに他なりません。

    (1)の経済主体の多数性が満たされていない市場とは、独占が典型例です。(4)の企業の参入・退出の自由性が満たされていない市場とは、銀行やテレビ局といった免許業種が典型例です。いずれにおいても、そこで働く人々の給与が高いことには、きちんとした理由があるわけですが、いかんせんこれらは個人の努力によって見出せる「近道」ではありません。

    個人の努力によって見つけられる「近道」とは、よって残る2つ、(2)の財の同質性が満たされていない市場か、(3)の情報の完全性が満たされていない市場です。(2)の財の同質性とは、buzzwordでいえばレッドオーシャンとかコモディティ化と言われるもので、誰からも同じものが買えるならば、他人と同じ価格でないと売れないということとなります。これを差別化して、他の人からは買えないようなものを売ることができれば、他の人よりも高い値段で似たようなものを売ることができます。わかりやすくはブランド商品で、たとえばエルメスのバーキンが数百万円で売れるのは、1万円のバッグより数百倍使えるからではなく、ひとえにエルメスのバーキンだからに他なりません。

    (3)の情報の完全性とは、fromdusktildawnさんが挙げた事例が当てはまります。誰もが修理方法を知っている(=情報が完全である)ならば、30万円で買って3,000万円で売ることは不可能ですが、「ハゲタカエンジニア」しか知らないからこそ、そのような芸当が可能になるのです。他に知る人がいないことをどのように見つけ、それをいかに商売につなげるかについては、イアン・エアーズ「その数学が戦略を決める」に豊富な実例がありますので、それを参考にしていただければ(野球好きな方なら、マイケル・ルイス「マネーボール」もお薦めです)。

    ただし注意が必要なのは、同書に紹介されている事例は既に他に知る人がいるものですし、同書で描かれた手法で他に知る人がいないことを見つけようとする努力は世界中で行われています。となれば、「近道」としては、同書(に限らず類書)にて紹介されていない新しい手法を見つけるか、それとも同じ手法で他人より早く新たな情報を発掘するのか、いずれかが必要となります。

    ま、楽してお金は稼げない、ということですね!

    09/07/2007 (11:59 pm)

    土屋賢二先生による経済学解説

    Filed under: economics ::

    昨日の日経・経済教室に掲載されたものですが、経済学への愛情‐しかも、盲目的なものではなく、限界をよくわかった上でそれを暖かく受け容れるようなもの(土屋先生が奥様について書かれているような雰囲気、といえばおわかりいただけるでしょうか)‐が伝わってきます。もともと経済学に興味をお持ちだったのか、ファンを公言される飯田先生が実は秘密裏にコンタクトをとられて深い交流をもたれたのかはわかりませんが、土屋先生、おそるべし。

    わたしは経済学をほとんど知らない。現在の経済学は、素人が理解するには難しすぎる。経済学を知らないながらも、わたしは経済学には不信感を抱いている。矛盾するようだが、わたしは不信感をもちながらも経済学に頼っている。かりにわたしが首相だったら、経済学者の意見に従って経済政策を立てるだろう。

    不信感を抱くようになった原因としては、これまで為替の動向などに関する経済学者の意見に従って何度か損をしたことが大きい。(略)

    (略)

    奇妙なのは、専門家の予想が外れても、だれ一人として損害賠償を求めないことである。(略)

    予測は経済学の主要な仕事ではないのかもしれないが、ふつう、理論の正しさは予測が当たるかどうかによって決められる。たとえば理論物理学は予測を主な仕事にしているわけではないが、理論に基づく予測が外れれば、その理論は捨てられる。だが経済学では、予測が外れても理論には影響がないように見える。

    予測が外れても責任を問わないことは、社会的合意にさえなっている。

    たとえば政府が経済学者の意見に従って策定した経済政策が誤りだったと判明しても、責任をとるのは政府であって、経済学者ではない。(略)

    (略)

    ノーベル経済学賞受賞者が二人参加した米国のヘッジファンドが倒産したときも、ノーベル賞を返上しろとは言われなかったし、たぶん学者としての信用は失われていないのではなかろうか。こうしてみると、経済学者が信用を失うには、痴漢でも働くしかないのかとさえ思える。

    (略)

    経済学者が責任を問われないのは、たぶん最初から経済学の予測は確度が低いと思われているからだろう。天気予報が外れたからといって気象庁の責任を問うことがないのと同じく、経済学者を信用して損をしたら、信用した方が悪いと考えられているのだ。

    実際、もし経済学者が経済現象を確実に予測できるのなら、学者自身、予測を利用して大もうけしそうなものだが、そういう人を見たことがない。自分の利益に無関心なのかもしれないが、テレビで見るかぎり、さほど無欲そうに見えない。

    予測が確実ではない点では天気予報と似ているが、大きい違いもある。明日の天気をめぐって気象学者の意見が分かれることはまずないが、経済学では多くの場合、同じ現象について予測が分かれ、相反する見解が並立する。この点では競馬の予想に似ている。

    経済予測の結果がどう出ても、対立した双方は淘汰されないまま生き残る。この点も競馬の予想に似ている。ふつうの学問なら、明日、日食になるかどうかをめぐって学者の意見が分かれることはありえないし、たとえ分かれたとしても、事実と一致しなかった学者は淘汰される。だが、経済学の場合はどれだけ予測が外れても、淘汰されることはまずない。

    経済予測が難しいのは、経済現象が複雑すぎるからだ。経済現象に影響を及ぼす要因は無数にあり、すべてを考慮することができないのだ。

    (略)

    経済現象に影響を及ぼす要因は、素人考えでも、選挙結果、異常気象、災害、感染症の流行、主要国の政変、国際紛争、テロ、有力政治家の死、画期的発明、証券取引所のコンピューターの異常、害虫の異常発生、阪神の優勝など、数え切れない。これらをすべて考慮することは不可能である。正確な予想ができるはずがない。

    (略)

    天気予報との違いは複雑さの程度だけではない。気象の場合は、データを網羅して高速処理すれば予測の精度は上がるが、経済予測の場合は、かりにすべての要因を計算に入れることができたとしても、経済予測の精度が決定的に上がることはないとわたしは思う。

    それは経済現象に人間が関与しているからだ。(略)

    人間の下す決断というものは本質的に気まぐれで予測不可能だ。十円を惜しむ人が、状況が変わらないのに百万円の時計を買ったりする。長年連れ添った妻の消費行動を予測できる夫はいない。そういう人が世界の経済を予測しろと言われるのだ。つくづく経済学者でなくてよかったと思う。

    それでも、経済学は巨大なヌエのような経済現象を相手にするときの唯一の武器だ。経済学のおかげで、偶然にまかせることなく、理性的人間らしく理論的に納得した上で売り買いを決定できるし、その結果、損をすることもできるのだ(もうけることができるかどうかは不明である)。

    だからわたしは経済学者のことばに今日も耳を傾けるのである。

    日経「経済学を語る 異分野の視点(下)『巨大ヌエ』さらに解明を/経済現象斬る武器/人間の気まぐれさを考慮」(9/6付経済教室)

    #編集がつけたのでしょうけれども、「『巨大ヌエ』さらに解明を」というのは、テキストの趣旨をミスリードする見出しだと思います。

    09/06/2007 (11:59 pm)

    与謝野官房長官は反知性主義者?

    Filed under: economics, politics ::

    先日のエントリに関連して、svnseedsさんが次のようにお書きです。

    何にせよ個人的には、もう本当に日本はダメだなあと思いました。15年も同じことばかりやっている。根っこにあるのは反知性主義的な感情で、これは実は戦前から変わっていない。悪いことに、不景気が続くことでこの感情はますます多くの人々を引きつけて行く。これから日本がどこへ向かっていくかはわかりませんが、何れロクなものではないでしょう。真に自業自得と思います。

    「もう日本ダメだね」(@svnseeds’ ghoti!9/5付)

    ここでsvnseedsさんが「実は戦前から変わっていない」とおっしゃるのは、おそらく昭和恐慌時が典型ではないかと察しますが、では昭和恐慌時にいわゆる石橋湛山や高橋亀吉らの「新平価解禁四人組」が学界の通説を代表していたかといえばそうではありませんでした。ネット上のリソースとしては野口旭の「ケイザイを斬る!」/第4回 清算主義=無作為主義の論理と現実がよくまとまっていると思いますが、清算主義を正当化する知性もまた少なからず存在したのが実際です。

    与謝野官房長官の現状認識は、煎じ詰めれば、

    • 日本の経済低迷はサプライサイドの問題に因るところが大きい、
    • 日本の財政破綻を回避するためには消費税等の増税が不可避である、

    ということになりましょうが、前者は林&プレスコット論文に代表されるように学界においても支持者が多い仮説ですし、後者はたとえば、

    ――インフレになることで国の財政はどう変わるんですか?

    土居 たとえば、いまより物価が倍になるとします。これは、お金の価値が半分になるということです。缶ジュース10本で1200円だったのが、インフレ後には2400円になる。現金1200円では5本しか買えなくなるんですね。これがお金の価値が目減りするということです。

      このとき、国債と税金がどうなるかを考えてください。インフレになっても、国債の額面はそのままですよね。だから、国債の価値は半分になる。一方税金は、すごく単純に言えば、額面では倍になる。消費税を考えればわかりやすいでしょう。

      つまり物価が倍のインフレになると、国債という借金の負担は2分の1になり、税収は2倍になるので、借金が半分返せちゃうということです。だから、簡単に言えば借金を半分にしようと思ったら、物価を倍にすればいい。そういう関係になっているんですね。

    ――物価が倍になるなんてことは、ありえるんですか?

    土居 さすがに物価が倍になったら経済は破綻同然ですから、日銀はその前になんとかするでしょう。でも、このまま財政が悪化の一途をたどれば、10%ぐらいのインフレや20%ぐらいの金利というのは、ありえない話ではないと思いますよ。そうなったらかなりあやうい経済ですけど。

    ――それを避けるには……

    土居 今から手を打って、借金をできるだけ増やさないようにするしかないんですね。無駄な財政支出を極力減らし、つらいけれど増税をお願いする。

    ――どのあたりから手をつけるべきでしょう?

    土居 やっぱり消費税でしょうね。10%は当たり前、15%ぐらいの数字まで、段階を踏んで上げていく。これこそポスト小泉政権の最大の課題でしょう。

    ――財政学の専門家はそのあたりの見解は一致しているんですか?

    土居 消費税10%はほぼ合意できてますね。消費税が1%あがると、2兆円の税収が入ってきます。だから5%アップの10%にすると、いまより10兆円増える。それでも単年度の借金の半分にはなりません。全然、足りてない。そこでもう一つ、国から地方への補助金を減らす。いま地方交付税が16兆円ありますけど、私はこれを半分にできると思っています。そうすると、8兆円浮きますよね。これで国が毎年している借金の半分以上は減らせます。消費税アップと地方交付税のカット、この二つが財政再建の軸だと私は思っています。

    「第11回 国の借金は減らせるの?――土居丈朗インタビュー其の二」 日刊!ニュースな本棚

    とあるように、「財政学の専門家はそのあたりの見解は一致してい」たりもします。となると、与謝野官房長官とて「知性」に依拠した主張をしているのであって、反知性主義に基づき専門家に広く支持される見解を無視しているわけではない、ということになるわけです。

    これらのうち、とりわけ財政問題については、財政学者なんてものは財務省の御用学者ばかりだとの陰謀説的な認識もあるのでしょうけれど、たとえば権丈先生が医療経済学の知見を無視した「経済学」に基づく主張が多いとお嘆きになっているように、真の専門家である財政学者は上げ潮政策に否定的で、あんなものを支持するのは一知半解で「経済学」を語る論者なのだ、という認識も枠組みとしては十分成立し得るわけです。どちらが反知性主義的かといえば、むしろ前者ということになってしまうのではないでしょうか。

    たとえば脚気について、「科学的根拠」があるとされた森鴎外らの脚気細菌説とそれに基づく誤った陸軍の脚気対策を退けたのは、最終的には医学界における学問的成果でした(森鴎外の死亡を待ってではありましたが)。日本の経済政策についても、経済学者の間でおおむね共有されている知見に明らかに反するものは少ないのではないでしょうか(たとえば貿易政策について、昨今においては真正面から保護貿易を是とする意見はなく、保護的な主張であっても、外部性等の存在を前提としたものでしょう)。つまりは経済学界で決着がついていないからこその経済政策を巡る路線の混迷であり、決して反知性主義によってそれが生じているわけではない、とwebmasterは思うのです。

    08/21/2007 (11:59 pm)

    飯田泰之「歴史が教えるマネーの理論」

    Filed under: economics, book, history ::

    ありがたいことに当サイトをご紹介いただいております(p141)ので、お礼を兼ねまして(笑)。

    高校〜大学(教養)時代に読みたかったなぁ、としみじみ思います。というのも、昔から歴史は好きだったのですが、となると高校教科書の記述では物足りなくなり、もっと深い話を知りたいと思いつつ、なかなかいい本にめぐり合えず、やきもきしたことがあったから。大学時代にヨーロッパ政治史の講義にはまったのも同じ文脈で、これぞ大学、と感激したものです。

    本書はその経済学版で、近世ヨーロッパからヴィクトリア期のデフレ、幕末インフレに昭和恐慌といった題材を、マネーの理論を軸に明快に分析しており、高校教科書の世界史・日本史における通り一遍の記述で飽き足らぬ好奇心を、存分に満たしてくれます。内容の充実に平易な表現が両立しているので、高校生でも十分読み通せるはず。今の学生はこのような本を手に取ることができ、本当にうらやましいかぎりです。

    なお、飯田先生にご紹介いただいたのは管子について当サイトがとりあげたことがあるとの点においてですが、実はその部分は過去ログ倉庫、つまりは別サイトになっております。もしご関心の向きがいらっしゃいましたら、下記エントリをご参照いただければ幸いです。

    #当サイトを参考にしていただいたと記されていますが、webmasterなんぞの素人エントリより、田中秀臣先生、BJ38さん、すりらんかさんのコメントこそご参考になったであろうと確信いたしております。

    06/25/2007 (1:29 am)

    ミートホープの偽装牛肉ミンチ事件と情報の非対称性

    Filed under: economics ::

    もちろん、ミートホープ社の虚偽表示は弁護の余地もありませんし、適切な情報開示体制が不備であることも事実なのでしょうけれども、そもそも虚偽表示が容易に可能であり、人為的な情報開示体制を整備しないとそれを見抜けないことが根源的理由なのです。経済学用語でいえば情報の非対称性があるということになりますが、よく教科書に出される例としては中古車の品質、現実の事例としては耐震偽装マンションもこの問題の範疇となります。

    中古車の例で言えば、試乗でわかるような不具合‐エンジン音がおかしいとか、サスペンションが完全にへたっているとか‐は回避できるでしょうけれども、たとえば走行距離が偽装されていた場合、確率論的に故障が起こりやすくなるとしても、偽装どおりであれば統計的に本来1万km走行あたり0.5%のはずが、実際には1%だなんてことは、平均0.5%の分散としてそうであったこともあり得るわけですから、なかなか見破ることができません。

    耐震偽装にしても、一定の加速度の地震に遭った際に壊れる確率を低く偽ったというものですから、そもそも地震が起こらなければ偽装かどうかが試される機会がありませんし、地震に直面して壊れたから偽装、壊れなかったから正確な表示とも限りません。その道のプロであっても見ただけではわからず、きちんと裏を取るには設計図等を基に構造計算をしなければならないわけです。

    今般の偽牛肉ミンチにしても、加ト吉や味の素をはじめとする企業が気付かずに仕入れ続けた、すなわちプロが見抜けなかった偽装なのですから、素人が見抜けないのも仕方がありません。というわけで、情報の非対称性を緩和する措置が必要なのです・・・あれっ?

    中古車は長い間乗ってみないとわからない可能性が高いですし、耐震偽装は地震が来てみないとわからない可能性が高いですが、では牛肉はと考えると、食べればわかるはずなのです。少なくとも、なぜ鶏や豚に比べて牛に高い値段がついているかといえば、高い金を支払うに値する味だと多くの人が思っているからということになります。視覚では判別できず虚偽表示にだまされたとしても、口にすることで高い金に値する味かどうかについての判別は簡単に可能となり、その時点で情報の非対称性は解消されることになるわけです。

    #鶏、豚、牛はアレルゲンでもあるので、それによって肉を選んでいる人もいるでしょうし、ヒンズー教徒やムスリムは宗教上の理由によって肉を選ぶでしょうけれども、ここでは捨象します。

    となれば、初回はだまされて買ってしまったにしても、二度とはだまされるはずがない、はずです。しかし実態はといえば、長きに渡り虚偽表示は行われ続け、今まで牛肉ミンチ製品であるとして口にしたものは、そうではないとは見破られてはこなかったのです。この事実が示すのは、牛肉に対する相対的高値は、味ではない何かのために支払われてきたということに他なりません。

    それが何か、webmasterにはよくわかりませんが、食材を味で選びさえすれば、このような事態は生じるはずもありません‐今般の事件からわかるのは、上記のとおり、味の満足度でいえば、鶏や豚でも牛と同じ程度の満足が得られるということなのですから。どうせ牛を食べたって牛だとはわからないのだから、安い鶏や豚を買おうと合理的に皆が行動するならば、自ずと牛の値段も下がり、すべての消費者にとって幸せな事態が到来するわけですが・・・。

    ま、ミンチだからこそ、ということは言えるでしょうし、コロッケ等に加工された後であればなおさらなのですが。仮にミンチでない肉の印象から牛がいいと思っているのであれば、ミンチは質の悪い肉でもそこそこ食べられるようになる、という事実ぐらいは学ぼう、ということでしょうか。ミンチにおいて元の肉が何かに過剰にこだわることの意味はそれほどありませんし、逆にそれほどこだわりたいのであれば、自分で挽け、ということになるのでしょう。

    #webmasterの主観では、たとえばハンバーグだと鶏を混ぜたほうが食感がよくなる(脂の融点が低いため)と思うので、鶏や豚を「質の悪い」と評価するには抵抗もあるのですが、一般的な理解としては、ということで。

    06/23/2007 (11:43 pm)

    マネーストック統計

    Filed under: economics, BOJ ::

    にマネーサプライ統計の名称が変わるらしいです。

     日本銀行では、現在、本年10月から実施される郵政民営化や、金融商品の多様化等の環境変化に対応するため、「マネーサプライ統計」の見直し作業を進めております。今般、その方向性が固まってきたことから、その内容を公表して、広く皆様のご意見をお伺いすることにしました。

     今回の見直しの主な変更点は次のとおりです。

    1. M2+CD対象預金と郵便貯金・系統金融機関預貯金を統合し、全預金取扱機関の預貯金を包含する新「M3」を作成します。なお、現行「M2+CD」と接続する指標については、新「M2」として当面は公表を継続します。

    2. 通貨保有主体の範囲を見直し、「証券会社」、「短資会社」、「非居住者」を通貨保有主体から除外します。

    3. 広義流動性に「私募投信」、「金融機関発行普通社債」を追加する一方、「債券現先取引、現金担保付債券貸借取引」を除外します。

    4. 統計の名称を「マネーサプライ統計」から「マネーストック統計」に変更します。

    マネーサプライ統計の見直し方針── ご意見のお願い ──(html版(冒頭のみ掲載))

    1は尤もな変更だと思いますし(郵便貯金はともかく、系統金融機関預貯金をM2から外していたことには、経緯以上の意味があるとは思えません)、2や3も説明を読む限りなるほど、というものです。しかし、名称をマネーストックに変更するのは、

    通貨統計の名称については、1967 年に「マネーサプライおよび関連指標」の作成が開始されて以来、「マネーサプライ統計」という名称が用いられてきました。

    しかし、海外では、当初はmoney supplyという名称を用いていましたが、その後徐々にmoney stockやmonetary aggregatesといった用語が使用されるようになりました。具体的には、米国では1970年12月、英国では1971年にそれぞれmoney supplyからmoney stockに変更されたほか、欧州中央銀行では、1998年の設立時からmonetary aggregatesという名称を使用しています。

    こうした国際的な動向を踏まえ、今回の見直しを機に、現在の「マネーサプライ統計」の名称を「マネーストック統計」に変更する予定です。

    マネーサプライ統計の見直し方針── ご意見のお願い ──(pdf版)

    と言われても、昔ながらのものでいいんじゃないの、という気がしないでもありません(どうしてもというならば、海外向け、具体的には英語版の資料の名前だけ変えればいいわけで)。実際、The Concise Encyclopedia of EconomicsのMoney Supplyの項(Anna J. Schwartzによるもの)を見る限り、英語圏でも経済学の世界ではmoney supplyの方が標準的な言い方であるように思われますし。

    ちなみに、変更が「マネーストック統計」へであって「マネタリーアグリゲイト統計」へではないことは、変更を所与とするなら、webmasterは評価したいと思います。というのも、現在のマネーサプライ統計のURIはhttp://www.boj.or.jp/theme/research/stat/money/ms/index.htmなのですが、monetary aggregatesだとこれがhttp://www.boj.or.jp/theme/research/stat/money/ma/index.htmに変更され、このページへの従来のリンクがデットリンクになってしまうと予想されるからです。ま、「マネーストック統計」にした理由は、そちらの方が日本人にとって親しみのある英単語だとか、長さが短いとか、そういった理由であって、URIを変更せずに済むなんてことは考慮の外でしょうけれども(笑)。

    05/09/2007 (9:19 am)

    大学院での政策エンジニアリング教育の可能性

    Filed under: economics, policymaking, government, politics, law ::

    先日のエントリを受けて、次のような興味深い言及をいただきました。

    ところで話が若干それますが、公共政策大学院のカリキュラムをみてみても、依然としてそのほとんどが理論系の科目であり、実践的な科目も名前だけが実践的にしてあっても中身は全然実践的ではないというのが以外と多かったです。bewaadさんのエントリで引用されていた、

    アメリカの大学等では「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」と聞かれたということですが、日本ではそのようなことはあまり聞かれないのではないでしょうか?

    ではないですが、このような真に実践的な政策論について議論するというのは、教員・学生双方の質という点でかなり難しいのが現状ですし、その意味で現状では就職活動でも学部卒と扱われても仕方ないかなという気がします。霞が関就職を目指す学生の多くは入学後から公務員試験勉強中心の生活になるので、振り返ってみてkoukyo政策大学院で何を学んだのかということを考えてしまった、となることが多いらしいです(伝聞ですが)。論文執筆なども必須ではないので、そこまで一つのテーマに打ち込むことがないまま修了してしまうこともありうるわけで、そのような状態ではとても院卒としての利点をもたらすことはできないでしょう。もちろん一つ一つの授業や事例研究なりに打ち込むことは可能ですが、はたして外部にそれを説明して説得力があるのかどうかはもう個人の資質次第というところでしょうね。

    「公共政策大学院雑感2」(@Koukyo政策大学院修了生の蹇蹇録5/7付)

    エンジニアリングという言葉は(svnseedsさんが訳された)Mankiwのテキストからのパクリではありますが、その表題である「科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者」ということからいえば、公共政策大学院はエンジニア志望者を集めつつも、科学者養成のカリキュラムしか(現時点では)持っていない、ということになりましょうか。医学でいえば研究医と臨床医ということになりましょうが、踊る大走査線風にいえば会議室じゃなくって現場ではどう対処すべきか、ということの体系化がなされていないわけです。もちろん、霞が関においても。

    アメリカではどうか、というのはMankiwのテキストに依拠すれば日本よりは期待できる状況にあるとはいえ、Public PolicyやPublic Administrationにしても、それほど実践的な話をしているわけではない、というのはビジネススクールと経営との関係と大差ありません。当サイトの先のエントリでは経済学についての議論をしていましたが、他の学部、たとえば法学部にしても、先日紹介した江頭・薄井本は相当程度そうした分野に近接していますが、法学部のカリキュラムの中ではまず見られない話であるのも事実です。

    #アメリカの実際について、ご家族もまた当サイトをご覧いただいていらっしゃる(ありがたいお話です)というyyasudaさんに、詳しいお話をおねだりさせていただきます。

    ではエンジニアリングといって何をどうするかというお話ですが、どのような現場かと言えば、たとえば次のようなものです。

     【質問】
     武装勢力の武装解除は,具体的にはどのように進められるのか?

     【回答】
     「アメとムチ」を基本とし,あらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみだという.
     以下引用.

     紛争地帯において,武装勢力を武装解除させる交渉の基本は,「アメとムチ」である.

     つまり,
    「このまま抵抗を続けても,この国は変わっていくから,いずれ君達の居場所はなくなる」
    と脅しをかけ,同時に,
    「もし今,武装解除するなら,犯した罪は不問にする」
    などの政治的なインセンティヴで譲歩する.

     アメを見せなければ交渉相手は動かない.

     しかし,これには慎重な根回しが必要だ.

     内戦中に虐殺を指揮した司令官などの場合,恩赦のやり方を間違えれば,被害住民の怒りに油を注ぐ事になりかねない.

     実は,紛争解決の仕事で派手な交渉の場面など何もなく,黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみである.

     現政権の長と反政府ゲリラのリーダーが握手を交わすシーンが,メディアで流される裏には,虱を潰すような地味な努力が隠れているのである.

    伊勢崎賢治 from SAPIO 2004/6/23号,p.24

    軍板常見問題/内戦

    政策決定・実施過程とは調整・妥協の繰り返しだというと過剰に現状肯定的であるように思われてしまうわけですが、結局現実の政策はそこから抜け出せるわけではない、ということがこの伊勢崎さんのお話に垣間見えているとwebmasterは思います(蛇足ながら、伊勢崎さんの「武装解除」はぜったいお薦めです)。内戦がようやく終了したような発展途上国だからそのようなことになるのであって、先進国では違うんだ、というようなことではありません。

    実際に「黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による『根回し』を際限なく行う」ということは、最後は実践経験を重ねて身につけるしかないわけで、教育機関において交渉技術その他をあれこれ磨いてもらうということは、それほど重要ではないでしょう(ロールプレイなどが課目のひとつとしてあるのは有益でしょうけれども)。そういう意味での優秀さは、必ずしも求められてもいないはずです。

    むしろ、考慮すべき(≒さまざまな調整対象が好き勝手に主張する)論点が数多くあり、それらが相互に対立しているような場合に、政策の諸要素にきちんとプライオリティを設定し、何であれば妥協でき、何は妥協すべきでないのか、という思考の訓練が必要であるようにwebmasterは思います。現場で調整技術のみが磨かれた場合、合意できればその内容は問わないということにもなりかねないわけで、高等教育として叩き込むことの価値がここにはあると言えるのではないでしょうか。

    究極的には、これが十分に成熟して公務員試験の科目になれば、受験者が能動的に学んでくれるわけで、効率よく普及が可能になるわけですが・・・。

    05/02/2007 (5:42 am)

    経済院卒の霞が関就職

    Filed under: economics, government ::

    一昨日のエントリにいただいたvicinityさんのコメントより。

    ところで私の場合、もしもアメリカ方式の公務員制度が日本で採用されていたと仮定すれば、おそらくそういう方面に職を将来的に得るべく、日本か海外でPh.Dを自力で取って、民間又は党のシンクタンクに行っていたかもしれない、という想像は出来ないわけではありません。

    が、当時の日本では、そこまでせずに一般職として働ける環境があったので(逆に博士号を取れば某府省(某部局)を除き事務系1種職員で採用される可能性及び民間企業への就職の可能性もさらに下がることが見込まれる以上)、経済学部を卒業した後に、さらに上のアカデミックな世界に行くという結論には至りませんでした。いえ、むしろ真っ先に可能性を排除したのが現実です。

    「公務員の若年昇進の是非」(4/30付)へのvicinityさんのコメント

    関連して、某板某スレにて、なぜ日本では院卒がエリート層を形成しないのかという議論が最近あり(スレ違いでしたし、そこでの議論は終わっているので、リンクは張りません)、それも視野に入れつつ論じてみたいと思います。

    まず、「博士号を取れば某府省(某部局)を除き事務系1種職員で採用される可能性・・・もさらに下がることが見込まれる」のでしょうか。形式的には可能性は下がらないでしょうし、でも実質的には下がらざるを得ないのだろうなぁ、というのが私見です。

    #「某府省(某部局)」って、内閣府の旧経済企画庁ですよね?

    その含意は、国I合格者であれば学卒であろうと院卒であろうと平等に扱われるので、それが「形式的には可能性は下がらない」ということです。他方で「実質的には下がらざるを得ない」とは、院卒は学卒よりもコスト(機会費用を含む)を費やしてそのステイタスを入手しているわけで、学卒と平等にしか扱われないのでは、割に合わないとして敬遠されても自然なことでしょう。加えて、就職後には同様にコピー取りなどの下積みをさせるわけで、せっかく手に入れたスキルを思う存分発揮したいという思いも満たされないでしょうし。

    #実際にはこのコストはサンクコストになっているので、それを勘案したところでどうしようもないのですが。

    では、なぜ霞が関においては学卒と院卒を平等に扱うのでしょうか。わざわざ院卒を取り逃がしている側面があるわけで、これは愚策ではないのでしょうか?

    webmasterの管見では、愚策ではないということになります。つまり、院卒の処遇を向上させてより多くの院卒を確保したとしても、コストに見合うだけの便益を組織として得られない、というのが現状ではないかということです。具体的には、次のようなことが言えるのではないでしょうか。

    1. 霞が関に対する批判において、院卒の専門知識によって対応する必要のあるものが極めて少ない。

      霞が関は数多くの批判にさらされ、それを受けて対応しなければならないことが業務の過半を占めるわけですが、その中には、院卒でなければ対応策が思いつかないというものはほとんどありません。なぜほとんどないのかを考えれば、結局は学者その他の専門家による批判が少ないということかと思います。

      霞が関に比べれば、相対的には本石町には院卒が多いと思いますが、それもこうした批判の内容に応じている面が少なからずあるとwebmasterは思います。日銀の方が専門家の批判にさらされる機会が多い分だけ、そうした批判に反論できるだけの人材を確保する必要があるということではないでしょうか。

    2. 大学院で身につけるスキルが霞が関のニーズにそれほどあっていない。

      これは偏見かもしれませんので、誤りであったならば訂正するにやぶさかではないのですが、大学院(とりわけ経済学)で院生が身につけようとするスキルは、政策立案・実施への適用をあまり考えられていないのではないでしょうか。たとえば先日取り上げたyyasudaさんの就職活動において、アメリカの大学等では「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」と聞かれたということですが、日本ではそのようなことはあまり聞かれないのではないでしょうか?

    3. 留学により修士号(人によっては博士号)を取得させることが可能。

      これについては、留学への批判も多い昨今、将来的には環境が変化する可能性はありますが、さしあたり現状においては、ということで。

    しかしながら今後は、院卒就職というものがより重要になっていくのではないか、という気がwebmasterにはします。というのも、ロースクールや公共政策大学院の普及により、法学部生にとって、それらに進むことが優秀さのシグナルとして機能しはじめているからです。とりわけロースクールに進んだ学生は、法曹としての好待遇を勝ち得る可能性が多分にあるわけで、就職市場においてそうした就職先と伍していくためには、学卒を上回る待遇を提示しなければならないはずです。その流れが経済系にも及んでくるのではないでしょうか。

    加えて、キャリア制度に対する批判は根強いのですが、理屈で言えば、同じ学卒対象であるI種とII種に扱いの差を設けることの理屈がつかないということが説明が困難である点でしょう。何らかのキャリア的な存在を残すためにも、あくまで山勘ですが、I種は将来的には、院卒資格になるのではないかという気がするのです。

    04/15/2007 (4:09 am)

    プロ野球の経済学V(後編):裏を表にするには・・・(続)

    Filed under: economics, media, sports ::

    昨日の続きです。

    Q3 裏金問題をなくすためには、どのような賞罰設計をすればよいのか経済学的視点から制度設計を試みてください。

    昨日申し上げたように、裏金問題とはすなわちカルテル破りですから、それをなくすには、

    1. カルテルを破っても得をしない制度とする。
    2. カルテル自体を止める(存在しないものは破れない)。

    のいずれかということになります。

    前者については、昨日の便益計算を再掲すれば(4/18一部訂正)

    自らがカルテルに参加してい(て逆指名が得られず、抽選にな)る場合の事前の期待便益

    =(限界収入−カルテル価格)×抽選により獲得できる確率(=1/競合球団数)

    自らのみがカルテルを破(り、逆指名が得られ)る場合の事前の期待便益

    =限界収入−カルテル価格+α

    ということになりますが、カルテルを破った場合の期待便益が、

    • 期待収入−カルテル価格+α)×抽選により獲得できる確率(=1/競合球団数)

    となれば、「α×抽選により獲得できる確率」分だけカルテル破りをした際に損をすることになりますから、誰もカルテルを破ろうとはしなくなるでしょう。すなわち、いわゆる逆指名の廃止がこれに当たります。

    #カルテル破りが判明した際に課徴金を課すといった制度も考えられますが、カルテル破りを調べるコスト等を考えれば現実的でないと思いますので、詳述はいたしません。

    後者については、こと裏金問題に限定するのであれば、契約金(初年の年俸等の契約時に取り決められるその他の金銭給付を含む。以下同じ)の上限を撤廃する、ということになります。つまり、選手その他の関係者にいくらでも渡してよいこととすれば、すべては「表金」になりますから、裏金はそもそも存在しなくなるわけです。

    ただ、そもそもドラフト自体がカルテルなわけですから、「カルテル自体を止める」という路線を徹底するなら、ドラフトも廃止して、完全な自由競争にするということになるでしょう。選手が特定の球団と契約を締結するまでは、どの球団も自由に条件を提示することを可能とし、選手はその中からもっともいい条件を提示していると思う球団を選ぶ、というものにすることが、究極のカルテル廃止ということになります。

    Q4 そのような制度がオーナー会で採択されるのか、されないのかについて論ぜよ。

    カルテルを締結している目的は、昨日書いたとおり、「選手という労働力の買い手である各球団が連携して、あたかも独占企業であるかのように振舞うことにより、価格を引き下げ」ることですから、Q3の2つの選択肢でいえば、カルテルを維持してカルテル破りを防ぐ制度を球団オーナーは選ぶことでしょう。現に、2008年実施ドラフトから、希望入団枠を撤廃することが決められました。

    Q5 今回の裏金騒動であなたが「おかしい」と感じた言論を列挙し、その理由を述べよ。

    本来算盤勘定が原因である本件について倫理的な側面からのみ論じることなどもいかがかと思いましたが、もっとも「おかしい」と感じたのは、次のような評価でしょう。

     ◇今年度から希望枠廃止、難しくないはず=解説

     球界は、巨人は、いつまで内輪の論理に拘泥するのか。

     会議の席で、巨人とともに今年からの希望入団枠撤廃に反対の意見を述べた根来コミッショナー代行は、「制度を作るときは十分に研究しないといけない。勢いに流されてはいけない」と語った。一理はあるが、プロ野球が客商売であり、ファンあってのものであることを忘れている。

     西武の裏金問題が起き、アマ3団体が一致して希望入団枠廃止を要望しながら、それでも今年度からの廃止が合意できなかったことを、世間はどう見るか。多くの人は「すでに今年の希望枠で入団する選手と話ができているから、撤廃できないのだろう」と疑念を持ってしまう。イメージダウンの大きさは計りしれない。アマ3団体がそろって失望を表明したのも当然だ。

     また、巨人・清武代表は「希望枠を無くすなら、選手の自由がかなえられないといけない」として、ドラフト改革はフリーエージェント(FA)権取得期間の短縮と一体で論じる必要があるとした。しかし労組日本プロ野球選手会ですら、13日の話し合いで「FAの話はいったん置いて、まずは希望枠を廃止すべき」と、ドラフトとFAの切り離しを容認している。これでは巨人は、今回の問題をFA短縮に利用しようとしていると勘ぐられても仕方があるまい。

    毎日「プロ野球:希望枠08年廃止で一致 球団代表者会議」

    これまで繰り返し書いたことですが、ドラフトというカルテルの中で、それを破る道として機能しているのがいわゆる逆指名ですから、それを維持することは新人選手にとって得になることです(昨日のQ1への回答をご覧ください)。現行の希望入団枠の維持、あるいはその廃止に対する代替措置としてのFA期間短縮(ご存知のとおり、FA宣言した選手は全球団と交渉可能となりますから、これまた一種のカルテル破りとして機能します)は、いずれも選手の利益につながる措置です。それを主張するジャイアンツが、なぜこれほどまでに悪役とならなければいけないのでしょうか。

    アマチュア野球団体や選手会が希望入団枠廃止を主張するのも、当然ながらそれら団体にとって得になるからで、逆に言えば新人選手の利益よりもそれら団体の利益を優先してのことです。具体的には、

    アマチュア野球団体

    入団交渉が自由化され(いわゆる逆指名による実質的なそれも含む。以下同じ)、早い段階でプロ野球球団入団が決まるようになった場合、入団の決まった選手が怪我などを嫌って手を抜くのは困るので、ドラフト会議まで入団が決まらないことが望ましい。

    選手会

    球団の人件費という限られたリソースをめぐって、現役選手と新人選手は対立構造にありますから、入団交渉が自由化され、新人選手に対してより多くの支出がなされるようになった場合、現役選手の人件費が削られる(引退勧奨の増加and/or年俸削減)のは困るので、カルテルによる契約金上限が守られることが望ましい。

    ということになるでしょう。

    もちろんジャイアンツとて新人選手のためのみを思って利他的にそのような主張をしているはずもなく、自らの利益になると考えての行動であることは間違いありません。しかしながら、結果としては、関係者の中で新人選手の利益に沿う発言をしているのは、ジャイアンツしかいないわけです。

    そのジャイアンツをバッシングして、カルテルに基づく各球団・団体の既得権維持があたかも素晴らしいことであるかのように誉めそやす言論というのは、いかがなものでしょうか。まだそれがためにする理屈であるとわかっている(よね?)各球団やアマチュア団体、選手会はましでしょう。そうとも理解せず(少なくともしているようには見えません)、一方的な報道を垂れ流すマスメディアというのは、ねぇ。

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