古くは「ウルトラマン研究序説」にまでさかのぼることができる、フィクションを題材に現実世界を論じようとするのが本書です。大別すれば2部構成で、世界征服をしようとする場合の組織論と(第1章〜第3章)、世界征服の意義(第4章)が論じられています。
著者ご自身が「内容が薄い」という人は、薄い内容しか読み取れなかったんだろうし
とおっしゃっているにもかかわらず、批判的なことを書くのは若干怖気づきもするわけですが(笑)。批判は大まかに言えば2点あって、
- 事実関係の確認が甘い
- 世界征服が割に合わないことの理屈に納得ができない
ということとなります。
前者については、たとえば次のような記述があります。
かつて、ローマ帝国は地中海世界を「支配」していました。
(略)
ローマ帝国は独裁者によって運営されています。というより、独裁者(ディレクトル)という言葉自体、ローマ帝国の政治システムから生まれた用語です。
p151(webmaster注:括弧書きは、原文ではルビです)
世界征服の独裁者を描く本なのですから、この部分は決して枝葉末節ではないとwebmasterは思うのですが、ローマ帝国の「独裁者」は独裁官と訳すのが通例ですし、何よりディレクトルではなくてディクタトルでしょう。ディレクトル=独裁者ということですと、テレビ局のディレクターは独裁者ということになってしまうわけですし(笑)。
アメリカの南北戦争時に、奴隷制を維持するかどうかで南北の経済力格差が生まれた(pp148-150)なんていうのも、奴隷に購買力がなくても南部はヨーロッパへの輸出で購買力を確保していたとか、南部において奴隷が解放されていたとしても南北の人口格差は十分にあったとか、そういった事実を無視して、奴隷制の存廃のみに経済格差を帰するのはいかがなものかということになります。そもそも北部だって、黒人を白人並みに豊かになれるよう遇していたわけでは決してないわけですし。
これらは著者の専門分野ではないので仕方がないといえば仕方がないのですが、たとえばルパン三世・カリオストロの城に関して「ゴート札(ふだ)」
(p76)(webmaster注:括弧書きは、原文ではルビです)と書かれているのを見てしまうと、webmasterがよく知らない話題についての本書の記述も、どこまで信じてよいものか、迷わざるを得ないというのが正直な感想です。いや、webmasterも本エントリを書くに当たってカリ城を観直してはいないので裏は取っておらず、おぼろげな記憶が頼りではありますが、偽札(にせさつ)なんだから「ゴート札(さつ)」でしょ?
後者については、本書の(webmasterの整理に基づけば)第2部=第4章に関することとなるわけですが、総括的な記述としては、著者のご主張は次の部分が典型でしょう。
あなたが世界を征服したとしても、実はそんなに「うまみ」がない、ということになるんです。あなたやあなたの一族、友人たちが「支配者階級」を作っても、その人たちだけのために作られる「贅沢」など、今の自由社会・大衆社会の「金で買える贅沢」に比べれば取るに足りないものなのです。
たしかに、十八世紀ぐらいまでなら世界征服にも意味があったのかもしれません。国王同士や将軍同士が戦って、勝ったら支配して上流階級の文化を独り占めできた時代なら。
しかしいまや、世界を征服して「富を独占」することには、意味がなくなってしまいました。富を独占するのではなく、市場を活性化して、みんなが豊かな世界を作ること。それが支配者がもっとも簡単かつ確実に「栄耀栄華」を楽しめる方法なのです。
p175
これは、世界征服に意味がないことを示すのではなく、富を独占することに意味がないことを示しているに過ぎないわけで、この理屈が妥当すると仮定しても、世界征服した上で、世界中で「市場を活性化して、みんなが豊かな世界を作る」こととすれば、立派に「『栄耀栄華』を楽しめる」ことになります。第1部では、目的別に世界征服を類型化して論じていたのに、ここにきていきなり世界征服=富の独占とは、残念なことです。
webmasterの管見では、18世紀以降(実際は17世紀だと思いますが)に世界征服(とまではいかなくとも、大規模な征服事業)が非現実化した理由としては、
- 貧しい地域が豊かな地域を征服するからこそ割に合うこと、
- 16世紀に、それまでユーラシア大陸において総じて最強の兵科であった騎馬民族軽騎兵に対する火力の優越が確立し(典型例としてはチャルディラーンの戦い、基本的に豊かな地域ほど強いという状況になったこと、
が挙げられます。1.については、帝国主義華やかりし頃に植民地経営が軒並み赤字であったり、最近では統一ドイツにおいて旧東ドイツ経営がいかに困難であるかとか、イラクでアメリカがどのような目にあっているかをご覧いただければということです。征服には、征服それ自体においても、征服後の経営においても、それなりのコストが必要です。豊かな地域を征服してこそ、そのコストを支払ってなお利益が出るわけで、貧しい地域を征服したところで持ち出しにならざるを得ません。
2.については、1.で書いたように豊かな地域を征服してこそ利益が出てくるわけですが、貧しい地域が豊かな地域に勝てなければ、前提となる征服そのものが夢物語となってしまいます。16世紀までの間、貧しいにもかかわらず豊かな地域に勝つ、その秘訣が騎馬民族軽騎兵でした。中世において世界中で最も発展した地域であった中国やイスラム世界が何度となく騎馬民族に蹂躙されたのは、軽騎兵が他の兵科に対して軍事上の優越を保っていたからといえます。
しかし、銃砲の発達によって、この優越は覆されました。銃砲を装備し、その運用を可能とするためには、他の何よりも経済力が必要となり、つまりは豊かな地域ほど強いという夢のない(笑)時代になったわけです。そんな時代において、相対的に軍事的に優位な地域=豊かな地域が征服事業を起こせば、必然的にその対象は自らよりも貧しい地域となってしまいます。つまりは赤字事業となることが運命付けられており、無理を承知で強行しても長続きは不可能であるというのが、現在の状況ではないでしょうか。