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  • 06/29/2007 (4:46 am)

    宮沢元総理の死去と彼の不良債権処理公的資金注入論

    Filed under: economy, history ::

    頭がよいので総理には向いても(自民党)総裁(もっといえば政治家、かもしれませんが)に向かないという稀有な人材でした。合掌。

    岸信介が宮沢喜一を評して曰く、頭が良くて見識もあり総理に適任、ただし「他人がみんな馬鹿にみえる」ので人の世話をしないから総裁には不適任、との由(pp. 374-375)。岸が「頭が良い」と評しているのは他には彼の兄くらいで、派閥が違う宮沢をここまで褒めるということはよっぽど宮沢が群を抜いていたということでしょう。「世界デフレは三度来る」(ASIN:4062820064)での宮沢の低い評価とあわせて考えるとこの評は大変興味深いものがあります。いずれ彼のことも詳しく調べてみるつもり。

    「最近読んだ本 岸信介特集 その4」(@svnseeds’ ghoti!4/21付)

    彼の「低い評価」とは、結局のところ次のような指摘に尽きましょう。

     不良債権問題で失われた十年をやっちまった戦犯として、あるいは、55年体制からポスト55年にいたる時代の節目の政権を担った宰相として、金丸氏と竹下氏の狭間で棚ぼたの首相就任、そして日本新党ブームみたいな、次の出し物の呼び水的ポジションであることは間違いなく。

     やはり個人的には「不良債権問題を処理するためには政府が財務面で緊急出動して早期に処理しなければならない」というセオリーを知っていながら、右顧左眄首鼠両端の挙句、指導力を発揮できないうちに問題を大きくしてしまったなあという印象が強い。回顧録でもたびたび出てくるネタではあるけれども、彼は周囲を馬鹿にし軽視したが彼の状況を打開するにはそういう人たちに頼らなければならないことに最後まで気づかなかったのだなあという。

    「宮沢喜一「分かっていて何も出来なかった人」逝く」(@切込隊長BLOG(ブログ)〜不滅の俺様キングダム〜6/28付)

    「『不良債権問題を処理するためには政府が財務面で緊急出動して早期に処理しなければならない』というセオリー」とは、宮沢元総理の文脈でいえば1992年8月の発言のことを指すのでしょうけれども、ではあの段階で公的資金を導入していたら、「不良債権問題で失われた十年をやっちまった」現実は変えられたのでしょうか? 経済学の世界では、その理論的構成としてゾンビ仮説というものがあり、

    • 不良債権問題を抱えた邦銀は、本来であれば破綻すべき貸出先を延命させ(ゆえに「ゾンビ」)、
    • その結果、市場から退出すべき低生産性企業が退出せず、経済全体の生産性を下押しした、

    というものがあります。まあ経済学界でもまだ議論が続いている話であり、webmasterごときがこれを妥当でないと論証することなど夢物語ではありますが、日本経済の生産性低下にバブル崩壊後の長期停滞の原因を見出すとしても、

    深尾:
    1つの仮説として、ゾンビ仮説があります。銀行が不良債権問題が表面化しないように、立ち直る見込みのない企業にお金を追い貸ししたり、金利の減免を認めるために倒産しかけている企業(ゾンビ企業)が倒産せず、生産性の高い新しい企業が参入できずにいるために生産性が停滞しているという議論です。しかし、我々が最近分析した結果ですと、工業統計表のミクロデータの分析を1981年までさかのぼってみても、日本では経済の新陳代謝機能は悪かったんです。たとえばアメリカや韓国に比べると1980年代から日本では新規企業の参入は少ないし、生産性の低い企業が必ずしも退出していない。それから生産性の高い企業がどんどん拡大するということもなくて、昔の方が生産性が高かったのは内部効果といいますが、それぞれの工場の中で努力して生産性が上がっていたために、産業全体の生産性も上がっていたということです。

    最近では、生産性が下がったのは結局内部効果が下がったからであって、退出効果や算入効果、再配分効果などは余り変わっていないということがわかりました。そうすると、ゾンビ企業が問題なのではなく、企業内や工場内の生産性の上昇がなぜ減速したかを調べないといけないということになります。あともう1つ解ったのは、最近までデータを伸ばすと、2000年以降、少し明るさが見えてきて、新陳代謝機能がやや多くなったかなという感じはあります。

    日本発展のカギは全要素生産性の成長をいかに加速させるか

    という見方があります。まして、生産性の低下とは需要の低迷に相当程度足を引っ張られた結果であり、需要が底堅ければ長期停滞は避けられたという見方を採るならば、総需要の不調ゆえに不良債権が増えたのであって、不良債権が増えた(ないし「抜本的処理」をしなかった)から総需要が不調になったわけではない、ということになります。

    webmasterはバブル潰しの金融政策こそが長期停滞の主因であると考える身ではありますが、そうした立場からすれば、宮沢元総理の最大の責任は、世のバブル潰しの風潮を拱手傍観したこと、となります(金融政策の独立性を尊重する前提で)。となると、実は切込隊長さんと同様に、「彼は周囲を馬鹿にし軽視したが彼の状況を打開するにはそういう人たちに頼らなければならないことに最後まで気づかなかったのだなあ」という結論になるのが面白いところではありますが。

    06/17/2007 (11:18 pm)

    切込隊長さんのご指摘を受けて老人介護を考える(前編):戦後日本における老人介護の歴史

    Filed under: economy, history ::

     最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では本質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。

     「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離された瞬間に難民化するのは当然なのであって、介護の問題と言うより家庭(一家、一族)の問題なんだろう、きっと。老人介護は無料の奉仕といっても、老人は金を稼がないのだから昔から荷物だった、だから姥捨て山とかあったんじゃないか。現代になって、そういう社会じゃ国民が不安だろうから社会(国)が介入しましょう、という話となり、家庭を政策がどう手伝えるか吟味しなければならなかった。

    (略)

     折口コムスン問題が投げかけたものって、この毎日新聞記事で指摘するような黒幕探しだけじゃなくて、結局私ら日本人が老人をどう扱っていくか実は良く考えてこなかったツケをいままさに払いつつあることを認識すべきってことじゃね。

    「毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件」(@切込隊長BLOG(ブログ)〜不滅の俺様キングダム〜6/15付)

    「私ら日本人が老人をどう扱っていくか実は良く考えてこなかった」とするならば、どの程度手抜きな考えをしてきたのか、気になって調べてみました。

    家庭内介護の黄昏

    かつては家庭において、とは多くの人が思うことでしょうけれども、いつ頃まで家庭での老人介護が主流であったのでしょうか。いわゆる核家族化に伴って主流を外れたとすると、次のような記述に行き当たります。

     急速な都市化社会の進展は,各種の問題を派生させているが,それが家庭に及ぼす影響も大きく,かつ,多様である。世帯規模および家族構成については,都市化の進展が顕著となつた30年以降の変化が注目される。

     第2-1-1図は, 1世帯当たりの世帯人員数の推移をみたものであるが,第1回の国勢調査の行なわれた大正9年から昭和30年までは,50人(ママ)を前後してほとんど変化しなかつた。市部においても,郡部よりは0.5〜0.9人程度少なかつたが,それでも4.5人前後から大幅な変動はなかつた。

     ところが,昭和35年の国勢調査では全国においては4.57人に,市部においては4.33人に縮小し,さらに昭和40年には全国で405人(ママ),市部ではついに3.86人にまで減少した。

     これを諸外国と比較すると,アメリカにおいては,1930年代に4人を割り,フランスにおいてはすでに 1950年に3.1人となつている。しかし,わが国の場合はこの変化がきわめて短期間に生じた点が特徴的である。5人から4人に縮小した期間をとつてみても,アメリカでは約50年間の変化であつたのが,わが国では昭和30年代のわずか10年間の変化であつた。厚生省人口問題研究所の推計によれば,1980年には3.3人,1990年には3.1人と,ますます縮小する傾向にある。

     しかも,この世帯人員の縮小は,同時に家族構成の大きな変化を伴つている。第2-1-2図は, 夫婦のみ,夫婦と児童または片親と児童の世帯,いわゆる核家族世帯の親族世帯に対する比率をみたものであるが,その上昇は著しく,40年においては全国で68.1%となつている。同年の市部人口集中地区においては,実に76.4%が核家族である。ただし,農家世帯については,30年代に変化はほとんどみられない。この核家族化の傾向は,都市化社会のいつそうの進展によつて,さらに進むことが予測されるが,厚生省人口問題研究所の推計によれば,1980年には普通世帯に対する比率で約70%を占めるとみられている。

    厚生白書(昭和46年版)

    「40年においては全国で68.1%となつている」計数の昭和30(1955)年におけるものは62.0%だったと第2-1-2図からは読み取れ、その限りにおいては1950年代においても核家族は過半数だったのは事実です。しかし、1950年代前半以前においては、

    • 世帯あたりの平均人口は変わっていないこと、
    • 高度経済成長に伴う大規模人口移動の前であり、核家族世帯であっても他の親族との物理的距離は総じてそれほど離れていなかったと考えられること、

    からすれば、おそらくは家庭内における介護は、1960年代において大きな変化に直面したものと思われます。

    そうした変化への対応として、もっとも象徴的なのが、1961年の国民皆年金・皆保険の成立でしょう。それ以前から被用者=サラリーマンには年金・健康(医療)保険制度が整備されていたわけですが、サラリーマンが核家族の典型であるとしても、農業者・自営業者に年金・保険制度が適用されるにいたったのは、家庭内での相互扶助が(少なくとも公的なサポートとの相対関係において)劣化したことへの対応と考えられるのではないでしょうか。

    自己負担・公的負担へのシフト

    権丈先生らがお示しのことではありますが、社会保障に充当するリソースとしては、究極的には、

    1. 自己負担
    2. 家庭内その他の相互扶助
    3. 公的負担

    のいずれかということになります。家庭内相互扶助から公的年金・保険へのシフトは、上記でいえば、2.から1.(保険料・窓口負担)と3.(税負担)へのシフトということに他なりません。ここで想定されている老後とは、健康な間は自宅(年金)で、病気になったら病院(保険)で対応、ということでしょう。この路線は、1973年のいわゆる「福祉元年」で頂点に達し(老人医療の窓口負担免除、公的年金における物価スライドの導入等)、その後の財政再建路線の中で調整が図られてはきたものの、30年程度はそれなりにうまく機能したと言えるでしょう。

    そうした時代の曲がり角は、1989年ということになるでしょう。この年、「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(俗に言うゴールドプラン)が定められ、少子高齢化の進展により持続可能性が危ぶまれた老人保険体制をなんとかしなければ、という機運が高まりました。厚生省(当時)が自ら厚生省として介護対策を総合的に検討した初めてのものとする介護対策検討会報告のも、この年でした。

    結局それから10年あまりで介護保険の導入(2000年)に至るわけですが、これについても、家庭内その他の相互扶助ではなく、自己負担と公的負担によって老後を支えていくという1960年代以来の路線に変化はありません‐介護保険もまた、利用者負担と保険料負担、そして公的負担によって支えられる制度であることに変わりはないのです。では、なぜ介護保険が必要とされたのでしょうか?

    介護保険を必要とする社会

    webmasterの管見では、

    1. 高齢化(長寿化)の進展による要介護者の増加
    2. それによる高齢者医療サービスにおける需給のミスマッチ
    3. その結果としての財政負担増and/or介護の過少供給

    ということになります。これらについては、制度導入時のQ&A(厚生省(当時)によるもの)が示唆に富みます。

    1.については、Q1の【介護する者の2人に1人は60歳以上】と題された次の図(単位:%。分数表示を少数表示に変えています)がよく状況を表しています。

    65〜69歳 70〜74歳 75〜79歳 80〜84歳 85歳〜
    寝たきり(寝たきりでかつ痴呆の者を含む) 1.5 3.0 5.5 10.0 20.5
    要介護の痴呆性(寝たきり者を除く) 0.0 0.5 1.0 1.5 3.5

    ご覧のとおり、長生きする者が増えれば増えるほど、要介護状態になる者の絶対数は増えていきます。

    2.と3.については、同じくQ1の【高齢者介護に関する現行制度の問題点】と題されたポンチ絵の「老人医療」の部に掲げられた問題点がよくまとまっています。

    ○福祉サービスの基盤整備が不十分である一方、利用者負担が中高所得層にとって入院の方が低いことなどから、介護を理由とする一般病院への長期入院の問題が発生(特別養護老人ホームや老人保健施設に比べてコストが高く、医療費のムダ)

    ○治療を目的とする病院では、スタッフや生活環境の面で、介護を要する者が長期に療養する場としての体制が不十分(居室面積が狭い、食堂や風呂がない)

    介護保険制度Q&A

    結局のところ、医療サービスと介護サービスはその内容が異なり、医療サービスで介護サービスを代替するのは無理がある、ということになります。だからこそ利用者から見れば不満の残るサービスしか受けられないにもかかわらず、社会的なコストは大きくなってしまっていた(安かろう悪かろうではない)のです。

    餅は餅屋、医療サービスの中で無理な供給を続けさせるよりも、介護サービスに特化した主体によって供給させれば、より安くより質の高いサービスを提供することができるはず‐介護保険導入の狙いは、そのようなものであったと整理ができるのです。

    06/16/2007 (9:06 pm)

    なぜπは3.14…であって6.28…でないのでしょう?

    Filed under: science, history ::

    非常にどうでもいいことなのですが、ふとしたことから気になりだすといつまでたっても頭の中から離れず、他のことに身が入らない(笑)ので、いっそのことサイト管理者の立場を悪用してしまおうと。

    #我ながら、せっかくの天気のいい週末に、なんでこんなことに時間を使っているのかと半分呆れております。全面的に呆れるべきかもしれませんが(笑)。

    πは円周/直径として定義されますが、円の径として直径を基本とする(=半径はあくまで「半」、すなわちその1/2)のは中国的発想であって、西洋においては、少なくともローマ期以降は、半径が基本となります。半径を表すrはradius(で、その語源はラテン語)の略で、直径は2r、すなわち半径の倍と数式においては表されます。Wikipediaで調べる限り、円周率を求める歴史として残る最古のものはバビロニアであって、中国起源のものがオリエント・西洋に輸入されたということではないと考えてよいでしょう。

    もちろんπには他の定義もあれこれあるわけですが、英語版Wikipediaのπの項においては、In Euclidean plane geometry, π is defined as the ratio of a circle’s circumference to its diameter:とあり、ユークリッドは円周/直径で考えていたようなので、西洋においてもこれがもっとも基本となる定義として通用していると思います。他方でユークリッドは、その第3公準において「任意の点を中心とする任意の半径の円を描くこと」としており、やはり円の径としては半径を基本に考えています。

    であるならば、πの定義として円周/半径を用い、したがって数値としては6.28…になる方が、西洋の数学体系(とまで大風呂敷にしなくとも、少なくともユークリッドの原論)での整合性でいえば、しっくりくるのではないでしょうか。webmasterが理由として考え付くのは、円周率を用いる場合としてもっとも多いであろう面積の計算にあたって、半径基準のπを用いた上で2で割るよりは、直径基準のπをそのまま使った方が楽だから普及した(言い換えれば、当初は半径基準ではじまったものの、それを計算上2で割ることが多く不便なので、最初っから2で割ったもの=直径基準として再定義した)、というぐらいなのですが、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いいたしますm(_ _)m。

    06/13/2007 (6:23 am)

    第二次世界大戦ではなく、大恐慌対策のシミュレーションも可能?

    Filed under: economy, history, game ::

    歴史上の重要な出来事が違う結末だったら? 現在の世界はどう変わっていただろう?

    ハーバード大学のNiall Ferguson教授はこんなことをよく考える。経済史学者として有名なFerguson教授は、「反事実的な思考」の達人でもある。つまり、歴史上の主な出来事について、関連する史実を少しずつ変えながら、その成り行きがどうなるかを繰り返し想像しているのだ。

    (略)

    エッセイも面白いが、Ferguson教授が本当に求めていたのは、『ホロデッキ』[『スタートレック』に登場する究極のバーチャル・リアリティー環境]のような体験だった。コンピューター・シミュレーションを使って、実世界の事実に基づく歴史的反事実を設定し、何が起きるかを見守ることができたら、そう願っていたのだ。「私はいつも、将来ぴったりの技術を自分の人生に迎え入れることを夢想していた」と、Ferguson教授は打ち明けた。

    そして2006年、ついにその願いがかなった。『Making History』というゲームを開発した米Muzzy Lane Software社が、Ferguson教授に声をかけてきたのだ。『Making History』は第二次世界大戦のシナリオを作るゲームで、当時の経済状況が完ぺきに調べ上げられている。

    大戦を回避可能? 歴史のifを追求するシミュレーション・ゲーム(1)

    公式サイトなどをあれこれ見るに、1936年からのスタート(他のシナリオもあるようですが)で、経済についてもプレイヤーが指示を出せる模様なのですが、どの程度の指示が出せるのかがよくわかりません。能書きどおり「当時の経済状況が完ぺきに調べ上げられてい」て、マクロ経済政策運営が操作可能で、それによってそれなりに妥当な経済指標の変化が起こるのであれば、

    • 226事件後も高橋財政路線を維持した日本(その延長線上で、石橋湛山の小国主義を採用した日本)
    • FRBが出口政策に失敗しなかったアメリカ

    なんてものもシミュレートできるわけです。ゲームの趣旨からは外れるのかもしれませんが、小国主義を貫き第二次世界大戦にそれほど巻き込まれず、第一次世界大戦のようにヨーロッパの戦争需要で大儲けの日本、なんてのを試すことができれば、かなり愉快な結果が見られるのではないでしょうか。満洲・朝鮮・台湾から手を引くとまではいかなくとも、少なくとも1936年スタートであれば、日中戦争には突入しないという選択肢がゲーム的にはあり得るわけですし。

    ただ、あのマンキュー先生謹製のマクロ経済ゲームですら、いろいろと現実に合わない政策・経済情勢になってしまうことがあり得るのですから、期待は抑え目にしておいた方が無難なのかもしれません。そもそも金融政策(や金本位制の採用・不採用)はそれほど操作できなかったりとか、あるいは操作できても財政政策の方がはるかに影響力が強いというようなものだったりとか、経済政策といってもコーエーゲームのようなものだったりとか(笑)、いろいろと期待が裏切られる事態は想像できますので・・・。

    #RBC流大恐慌理解に基づいていて、マクロ経済政策ではいかんともしがたい、というものだったりして(笑)。

    05/20/2007 (11:57 pm)

    憲法学界の「原罪」

    Filed under: law, history ::

    昨日のエントリは勢いで書いてしまった部分もあるわけですが(笑)、「憲法学界は、総力を挙げてこのような事態になってしまったことを総括するべきです」とした部分について、具体的に何について向き合うべきか、webmasterの考えるところを書きたいと思います。もちろん、第9条の解釈というのは大きなテーマではありますが、それに先立つ「原罪」があるのでは、という問題意識をwebmasterは持っています。

    天皇機関説事件

    日本史の教科書に書いてある話ですから、ご存知の方も多いでしょうけれども、概要を示せば次のとおりです。

    • 大正時代には、それ以前の天皇主権説を覆し、天皇機関説が明治憲法上の天皇の地位に関する通説となっていた。
    • 昭和10年、この説の主導者であった美濃部達吉貴族院議員・東京帝大名誉教授に対して、国体を否定するものであるとの批判が貴族院にてなされた。
    • その批判は在郷軍人会を含む軍部や右翼の間に広まり、さらには野党政友会の倒閣運動にも利用された。
    • 政府が国体明徴声明を発表するなどして収集を図る中、美濃部は貴族院議員を辞職、その著書も発禁。

    一般には軍部による言論弾圧・学問の自由の封殺として理解されている事件ですが、webmasterが本件の文脈において問題視したいのは、美濃部以外の憲法学者の転向です。たとえば、次のような話があります。

    「学説に殉ずるは本懐」中島 関西学院大学教授 は言いながら、実際は改説または排説

    「著書発売禁止等の場合は在職の不可」の結果、発禁は美濃部の本のみ。

    東大の宮沢「教授は従来の講義案を変更し訓令の趣旨に副う様務めたり従て本年四月以降の憲法講義は右の改めたる講義案に依り講義し居る状況なり」

    本文書の表紙には秘の角印が捺されているが、その中に「憲法関係著書にして発禁、改訂、絶版となりたるもの」という極秘の角印があるページがある。そこにあげられている17人のうち、美濃部を除く16人が教鞭をとっていたが、解職の憂き目をみたのは一人だけだった。関西の3大学で非常勤講師をしていた森口繁治(元京大教授、滝川事件で辞職)だけが解職。

    17人の研究者のうち(憲法学者) 教鞭をとっていた16人のうち、15人が生き延びた。

    発売禁止が美濃部の3点

    改訂が美濃部の2点

    それ以外の33点が絶版(文部省、大学、教員の馴れ合いの構造?)

    「調査の性質上私文書―――行政指導」(@Non title(Tsuneishi) 無題(常石)2006/12/22付)

    軍部や文部省が悪かったのであって、憲法学者は被害者だということになっているわけですが、そのように他を責めるのではなく、自らの身の処し方をどう評価するのか、少なくとも学界を挙げて戦後総括したという話はwebmasterは聞いたことがありません。webmasterとて弱い人間ですから、事件の際に転向したことそれ自体の責任を問うべきとも思いません。しかし、戦後になってなお、自らの失敗として整理できなかったことについては、同情の余地はないでしょう。

    八月革命説

    こちらは天皇機関説事件とは異なり一般的な知名度は低いですが、大日本帝国憲法と日本国憲法の接続に関する学説です。日本国憲法は、大日本帝国憲法が定める改正手続に従って定められましたが、旧憲法下において、憲法改正には限度があるという学説が通説でした。端的には憲法改正において天皇主権を否定する(国民主権を定める)ことは不可能だ、とされてきたわけです。

    ところが現に日本国憲法が制定され、国民主権が定められました。本来、この日本国憲法制定に対して憲法学が取るべきであった立場とは、

    • 憲法改正には限度があるとした学説は誤りで正しくは限度はないのだとして、日本国憲法は正統なものであると整理する。
    • 憲法改正には限度があるとした学説を維持し、日本国憲法は正統性を欠くものであると整理する。

    いずれかであったはずです。ところが憲法学界(の通説)は、いずれをも選ばず、webmasterの理解では極めて姑息な学説‐すなわち八月革命説‐をひねり出したのです。その構造は、

    • 憲法改正には、やはり限度がある(従来の通説は誤りではない)。
    • しかし、これは改正手続にしたがった改正についての話で、革命のような事態においては、いわば「何でもあり」となる。
    • ポツダム宣言の受諾とは、敗戦という事態に直面した結果の革命的な事態としての天皇主権の否定に他ならなかった。
    • したがって、日本国憲法制定時には、すでに国民主権を受け容れる素地が大日本帝国憲法に含まれており、国民主権を定めた日本国憲法は正しく大日本帝国憲法の改正として成立している。

    というもの。従来の通説を誤りと認めることもできなければ、世論に背を向けて日本国憲法を否定することもできない(この説を唱えた宮沢俊義は、政府における憲法問題調査委員会での議論に携わり、そこでは大日本帝国憲法とはそれほど離れていないものを支持していたわけですから、学問的な一貫性からすれば、否定していてもしかるべきだったわけです)中で、理屈に淫した説であるとwebmasterは思います。

    以上の問題についての管見

    本件の文脈において両者に共通するのは、憲法学者が主観的にどう認識しているかはさておき、「国民世論が盛り上がってある解釈・規定が憲法として公認されてしまえば、憲法学者はそれを追認して理屈をひねり出す」と理解されても仕方がない状況だということです。どちらの事例においても、事前に憲法学者に見解を尋ねれば、天皇機関説が正しく、国民主権を定めることには問題があるというのが通説だったわけです。しかるに、結果は以上のとおり。

    #その意味では、天皇機関説はやはり正しかったといいますか、憲法制定権力がある程度は国民にも分担されていたという限りにおいては、旧憲法下の主権は国民にも担われていたわけです。

    とすれば、憲法について議論をしようとする際、憲法学者を無視しようと考える者が出てくることには、何の不思議もありません。歴史を見れば、どうせ国民の広範な支持を得て解釈でも条文でも変えてしまえば、憲法学者にそれを否定する勇気などあるはずもなく、それどころか事後的には翼賛さえするのだと舐められても無理はないのです。

    戦後、憲法学者は、天皇機関説などから偏った教訓を得て、権力に弾圧されたら問題だ、そういったことがないようにするにはどうしたらよいかという頭のみでいたのではないでしょうか。しかし、立憲主義が民主主義に対置されるとまじめに考えるならば、具体的な事例において、国民が憲法学が正統と認める憲法秩序に反した場合には如何にすべきか、という可能性を視野に入れておくべきだったのでしょう。

    ところが、憲法改正に必ずしも反対でない者が多数を占める現代にあっても、しかも憲法改正がなされるのであれば第9条は必ず論点に上がってくることがわかりきっているにもかかわらず、相変わらず憲法学界の多数派は、よくて個別的自衛権を認めるというもので、今になってもなお自衛隊違憲論者が少なからずいるというのが実態です。

    憲法第9条の改正が実際に国民投票にかけられようとする際に、このままでは、どのようなものならばよいのか、どのようにそれを考えるべきかという材料すら提供できないまま、反対だとしか言えずに終わる、そんな未来は決してwebmasterの妄想ではないでしょうし、その結果仮に第9条が改正されたとすれば、以前の態度を恥ずかしげもなく翻し、それは正しいのだという学者が少なからず出てくるだろうというのもまた、妄想ではないでしょう。

    05/04/2007 (6:24 am)

    中川右介「カラヤンとフルトヴェングラー」

    Filed under: book, history, music ::

    webmasterは非常に面白く読んだのですが、amazonの書評をみると否定的な見解もあります。表題の2人、さらにはチェリビダッケらの指揮者の極めて人間臭い部分を書いたことが誹謗中傷に当たると受け止めていらっしゃるのだと思いますが、それらを含め人並みはずれた感情の起伏があるからこそ偉大な芸術家足り得たとwebmasterが考えてしまうのは、おそらくは本書に登場する誰よりも俗界の欲に執着したヴァーグナー好きだからでしょう(笑)。

    ただ、読者を選ぶのは事実です。全くクラシック音楽になじみのない人が読んでもわけがわからないでしょうし、他方でナチスドイツや第二次世界大戦史についての知識がある程度はないと、本書で描かれる当時の歴史的事象はそれほど充実しているわけではないので(戦史書、あるいは一般歴史書ではないので当然ですが)、味わい深さも半減です。まして、既述のようにある種のファンにとっては憤慨の源にしかならないでしょうし。

    逆に、はまる人にはとことんはまる本だとも言えます。たとえば、音楽界に対してナチスがどのような統制を敷いていたかなんてことは、とりわけその具体は、政治・歴史学系では相当の専門書でないと出てこないのでしょうけれど、本書には詳しく書いてあります。もちろんナチスの文化・芸術政策の全体像がそれでわかるというわけではありませんが、当時の音楽界の状況を踏まえた巧妙なものだったのだなぁ、なんてことは双方についてのそれなりの知識があれば、とても納得のいく話です。

    なお、瑣末ながら、webmasterにとって気になる点がひとつ。表題の2人とチェリビダッケの次に本書で重要人物らしく取り上げられているのはウォルター・レッグ(EMIのプロデューサー)ですが、にもかかわらずエリザベート・シュヴァルツコップが登場しないのです。フルトヴェングラー、カラヤン、そしてレッグの3人とは浅からぬ縁のある彼女ですが、本書が取り上げる時間軸・人間関係においては、大した役割は果たさなかったのでしょうか。何か面白エピソードがあってもおかしくないようにも思うのですが、どうなのかなぁ・・・。

    #ご存じない方のために補いますと、シュヴァルツコップはフルトヴェングラーやカラヤンと数多くの演奏をともにした著名なソプラノ歌手であり、レッグの配偶者です。

    ちなみに本書には、絶対にwebmasterには納得できない記述があります。

    それは、セルジュ・チェリビダッケという指揮者が存在したからこそだった。チェリビダッケは一般的な知名度は低い。カラヤンはクラシック・ファンでなくてもその名前ぐらいは誰でも知っているが、チェリビダッケはクラシック・ファンのなかでもかなりマニアに近い人々でなければ、知らないだろう。(後略)

    p5

    チェリビダッケの名前を知っているだけでマニアに近いだなんて・・・webmasterはマニアに近い人ではないですから(笑)!

    #他方でカラヤンについては、死後それなりに時間がたっているので、もう知らない人も増えてきていると思いますが。

    05/01/2007 (2:17 am)

    天皇制と天皇家の違い

    Filed under: law, history ::

    昭和の日関連ということだったのでしょうか、( ;^ω^)<へいわぼけで紹介された2chのスレにおいて、天皇制の存廃についての議論が盛り上がっていました。しかし、どうにもそこで不思議に感じるのが、

    53 名前: 手話通訳士(樺太)[] 投稿日:2007/04/29(日) 11:38:08 ID:9LdXaAoXO

    無くしたら二度と元には戻らないよ

    (略)

    111 名前: ぁゃιぃ医者(宮城県)[] 投稿日:2007/04/29(日) 11:46:59 ID:yRC80MPq0

    日本人って馬鹿だよね

    数千年皇室を維持してきた歴史を持つ国なんて世界で日本だけですよ? 何故日本の皇室は数千年絶えることなく継承されてきたのかというのは海外では歴史のミステリーとして語られている。

    その歴史を自ら捨てようなんて言うんだからね

    (略)

    112 名前: ドラム(広島県)[] 投稿日:2007/04/29(日) 11:47:00 ID:L7rGgKCu0

    天皇いるだろ、はっきり言わせて貰うと 一度失うと、取り返しがつかなくなるからな それすらもわからないおこちゃまが多すぎる

    119 名前: 今日から社会人[] 投稿日:2007/04/29(日) 11:48:59 ID:DaDQip4l0

    >>112

    同意 無くなってから気づくものって結構あるしな。

    146 名前: コレクター(アラバマ州)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 11:52:15 ID:kUiiNDa30

    >>112

    一度 天皇制が無くなると復活なんて出来ないからね。

    天皇制廃止なんて言っている馬鹿は死ね

    「日本に天皇は必要か否か」(@( ;^ω^)<へいわぼけ4/30付)

    等のレス。ロシア革命時のロマノフ家のように根絶やしにされなければ、仮に制度としての天皇制をいったん廃止したとしても、いつでも復活は可能なのですから。世に天皇制廃止論はあれど、今どき天皇家を根絶やしにしろなんてことまで主張する者は、いたとしても極々少数でしょう。

    webmasterは天皇制存続を支持していますが、このような理由での反天皇制廃止論はよくわかりません。それとも、天皇家は国家機関として存在しているからこそ皇統の維持に努めているのであって、その地位を廃されたらあっけなく放棄してしまうとでも(笑)。出雲国造家だってずっと存続しているわけですし、国家機関であるかどうかはその継続に必ずしも重要な意味を持たないでしょう。

    #強盗にでも入られて一家皆殺し、なんてリスクは通常の市民になるのであれば相当程度増えるでしょうけれど、実際のところ、天皇制を廃したとしても、京都に戻って神祇を司る家となるのでしょうから、「通常の市民」にはならないでしょうし。

    webmasterの見解に近いのは、

    688 名前: 役場勤務(静岡県)[] 投稿日:2007/04/29(日) 13:13:36 ID:bkUAaQ7r0

    仮に憲法から削除されて制度としての天皇制がなくなっても国民から支持されて皇統は十二分に維持されそうだけどな

    天皇の存在すら許さない人はその辺がわかってるんだろうか

    「日本に天皇は必要か否か」(@( ;^ω^)<へいわぼけ4/30付)

    のレスでしょうけれども、「天皇の存在すら許さない人」が果たしてどれだけいるのやら、という事実認識が大いに違うようで。

    04/11/2007 (5:57 am)

    三國志好きなalpha bloggers

    Filed under: WWW, history ::

    切込隊長さんが

    を表したところ、

    と大物が続々参戦。リンクを張ったDan Kogaiさんは言うに及ばず、finalventさんも切込隊長さんに触発されたと思しきところ、いずれもその内容とは無関係なことを書かれているのが興味深いです。finalventさんはそもそも題材を演義にシフトさせていたり、Dan Kogaiさんはいきなりの曹操好きのカムアウトだったりするわけですが、この手の話題がお好きな人ならば、やはり次を読まないわけにはいかないでしょう。

    これを読んだご両人の感想を、ちょっと聞いてみたい気分だったり。

     いちおう読んだがディテールは忘れたか。
     でも、曹操かな。

    「三国志演義で好きな武将?」(@finalventの日記4/10付)

    はっきり言って、三国志の世界では曹操の他は雑魚。太陽系に例えたら、曹操が太陽で孫家が木星。蜀はこないだ惑星から外された冥王星と言いたい所だが、三国志演義では地球みたいな扱いになっている。本シリーズでも、だいたいこんな序列で三国志世界を描いている。

    (略)

    これはある意味、曹操とは対極にある。彼は皇帝の座に拘らなかった。中華統一にすら拘らなかった。拘っていたら、蜀を鶏肋と捨てることもなかっただろう。もしマキャベリが当時いたら、君主論はチェザーレ・ボルジアではなく彼に捧げられていただろう。

    この破格の人を日本において再発見したのが、(狭義の)文学ではなく漫画だったところがまた素晴らしいではないか。

    (略)

    私は三国志の日本における過剰な人気がキモくて敵わんのだが、Stay Hungry, Stay Foolishな生き方を貫いたこの人にだけは共感することが出来る。

    「書評 - 蒼天航路」(@404 Blog Not Found4/10付)

     「演義」が史書に被せたところの、蜀漢正当論という朱子学的な民族主義のフィルターを通さずに、「三國志」を読めば必然的に曹操が主人公になるのではないか、とも考えられるものの、僕はどうも、戦後日本人が曹操を「武人でありながら一流の詩人だ」と持ち上げる感情の裏には、屈折したアメリカ崇拝の感情が隠されているような気がしてならない。曹操という人は当時の中国人としては異常なほど現実主義的でプラグマティズム思想の先駆者的な部分があり、自分の墓に金をかけたり宝物を入れるな、なんて当時の王侯としては非常識にも程がある遺言を残したりしている。さんざん人を殺しておきながら、戦争の最中に「戦さとは虚しいものよのう」と詩を吟じてホロリときたりするあたりも、普通に考えれば異常人格としかいいようがないのだが、この分裂ぶりは、日本と戦争をしながらハリウッドで大作映画をバンバン作っていたアメリカという国に、何やら通底するものがあるのではないか。

    (略)

     あと、曹操だけど、「演義」で不当に貶められているのはかわいそうだし、たいした大人物だとは思うが、今、曹操を持ち上げている人達の持ち上げ方も何やら滑稽というか、こちらもひいきのフィルターをかけまくっていて、とても史実通りに曹操を描いているとは思えない! だいたい「蒼天航路」の曹操は外見がカッコ良すぎる。曹操はチビでだらしがない酔っぱらいで威厳がなくて、つまり外見と礼節で人間を評価する当時の中国の価値観から言えばダメ人間にしか見えなかったのだ。「蒼天航路」や横山版「三國志」のようなニヒルな二枚目の訳がないのだ。結局、これらの「英雄曹操」像は、アメリカから輸入した「かっこいい男」のイメージを曹操に投影しているだけで、実像とは全くかけ離れている。武勇とか威厳とかのかけらもない人だったのだ。その上、宦官の孫という出自のコンプレックスもあった筈だから、実際の曹操は異常なほどに屈折した男だった筈なのだ。だから仕事もせず家に閉じこもって孫子マニアになったり詩人になったりしたのだろう。あえて言えばオタク系だ。

    (略)

      だが「秘本三國志」はそれでもまだマシだ。「蒼天航路」では「父親を殺されてカッとなって狂った」という理由すら書き換えられ、「父親なんてどうでもいいが、曹操が考える遠大な理想のためには数十万の犠牲などいよいよどーでもいい」的な「ビッグマン思想に大衆は従っていけばそれでよい」といういつもの「モーニング論調」。つまり父親の死にかこつけて、何の罪悪感もなく、例のモーニング笑顔で微笑みながら自己の理想のために民衆を殺しまくったというのだ。曹操を偉大に描いてるつもりなんだろうけど、こんな偉大なカリスマは絶対にご勘弁だ。第三帝国建設のためにユダヤ人を殺し捲ったヒトラーとどう違うんだか。まだ「親父を殺されて狂った」ほうが人間らしくてマシである。

     チビでだらしがなくてオタクで女好きで戦争中に詩なんか読み出す分裂性格で、その上親父を殺されるとトチくるって虐殺をはじめる困った人・曹操。その姿をありのままに描けばまことに魅力的だと僕は思うのだが、世の「曹操ファン」は要するに自分の理想に都合のいい曹操像を彼に押しつけているだけで、ちっとも実際の曹操を再評価しようとしていないのではないだろうか。というか、これでもかこれでもかとウソばっかり書いて、本物の曹操を貶めている。まるで、尾崎豊とそのファンの関係みたい。尾崎は凄く面白い奴だと思うんだけど、ファンが掲げる「尾崎像」があまりにも現実とかけ離れていて、僕はうんざりしているのだ。それってただの「ザ・ファン」じゃないのか? 「興亡三國志」なんて曹操がただの「いい人」で、馬騰の首もはねないのだ。論外! 曹操が馬騰を騙し討ちにしたので馬超が復讐に立ち上がるという「演義」話も大ウソだけど、これじゃあ話として面白くなくなってるからよけい酷い。霹靂車を曹操が作ったなんて言い出す「秘本三國志」もかなり問題だが、曹操がチビだとちゃんと書いてるからまだ全然マシ。さすが六甲の産んだ大作家・陳舜臣先生。っていうか「蒼天航路」とか最近の三國志モノ(我王の乱をのぞく)って、全部「秘本三國志」が元ネタなんだよね。この小説、曹操ときんさんぎんさん以上に長命な五斗米道の教母のババアばかり持ち上げて、逆に趙雲が曹操の親父を殺した人間の屑だったりするので、いまいち評判悪いんだけど、曹操を誉めるための邪推満載でとてもいいですよ。例えば呉に捕まった関羽が急性耄碌、つまりボケてしまって涎を垂れ流すあたり、酷いです。劉備は曹操のスパイとして袁紹や劉表を内側から破滅させるし、南蛮征伐も五丈原も孔明の仕組んだ八百長だし、曹操が勝つシーン以外は全くカタルシスゼロ。これは何度読んでも楽しいです。こんな無理矢理な話なのに「蒼天航路」と違って読後感がいいのは、曹操がちゃんと人間として描かれてるからかなあ。

    しろはた三国志

    ちなみに、webmasterが票を投ずるなら、呂布です。しょせんは田舎出の武辺者、典韋や許[衣者]のように一介の武人として生きていければ幸せだったのでしょうけれども、卓越した騎兵戦術ゆえにそれが許されず、群雄の一となり権謀術数に接し武勇を持ち上げられつつ粗野とさげすまれる中で深刻な人間不信に陥り、ために裏切り者のレッテルを貼られて死んでいくなんていうのは、ずいぶんと劇的な生涯ではありませんか。誰か彼を主人公にした小説でも書いてくれませんかねぇ。もちろんその際は、方天画戟でのチャンバラなんてギミックは抜きで、弓術と馬術を柱とする遊牧民族流の業をもって漢民族を恐怖に陥れた様を存分に描いて欲しいのですが。

    03/20/2007 (12:38 pm)

    村井淳志「勘定奉行 荻原重秀の生涯」

    Filed under: economy, book, history ::

    本来であれば17日来の「後編」を書かなければいけないところですが、非常に面白かったので明日まで我慢できずに取り上げてしまいます。荻原重秀といえば、江戸時代におけるリフレ政策の実現者として知る人ぞ知る存在ではありましたが、一般人でも入手可能なまとまった資料がないのが難点ではありました。しかし、今では本書があるのです。

    しかし荻原重秀という人物自身の生涯を詳しく調べようとすると、ほとんど史料がない。謎の多い人物である。これほど有名であるにもかかわらず、荻原重秀を主人公にした本格的な長編小説がいまだに現れないのも、史料の乏しさに起因している。本人は、何も記録を残していない。新井白石は『折たく柴の記』や日記を書いたし、柳沢吉保には『楽只堂年録』や、側室・町子による『松蔭日記』がある。彼らに比べると、本当に何もない。新井白石のように子孫もいない。『折たく柴の記』を別にすると、同時代人による荻原重秀の描写もあまりない。(略)

    (略)

    私も、荻原重秀の魅力にとりつかれてしまった。なんとかその生涯をリアルに再現したいと思い、史料を渉猟してきた。しかし研究上の奇手はありえず、驚くような新史料の発見は今後もあまり期待できないだろう。残された方法は、とにかく現存するさまざまな幕府の公式記録や当時の写本を徹底的に調査し、微細な事実を積みあげていくことで、これまで見えなかった荻原重秀像を構築するしかない。根気の要る作業だが、ほかに方法はないと思う。こうしてできあがったのが本書である。

    pp20-24

    まとまった資料がないなどとなげくのみで何も行動を起こさなかったwebmasterのような怠惰な人間にとっては、実際にいくつもの一次史料に当たった成果を書籍としてまとめて世に問う著者の存在は、なによりもありがたいものとしか表現できません。

    しかも本書は存在自体の貴重さだけではなく、内容もまたすばらしいものです。荻原重秀の人生そのものの面白さもありますが、上記引用のとおり幕府の公式記録などの無味乾燥な材料を積み重ねは、幕府官僚として生きた彼の人生の綴り方として、ある意味ふさわしいものともいえます。下手な心理描写など勝手に創造されてしまっては台無しですから(笑)。自らの口から弁解をするのではなく、出した結果によってその業績を語らしめる、そんな仕事に対するプライドを図らずも感じさせる体裁でもあるのです。

    #田沼意次も同様です。他方で新井白石にせよ、松平定信(「宇下人言」)にせよ、彼らの政敵は自己弁護の書を残しているのは、考え出すと面白い共通の性格が見いだせそうです。

    かといって本書は、単に公文書等を切り貼りしただけ、というものでは決してありません。史料では明示的に描かれていない点について、他の史料とも照合しながら背後にある事実関係を推理していく部分は、そのプロセス自体が読み応えがあるにとどまらず、史料の記述を豊かに膨らませるものでもあります‐その際たるものは荻原重秀の死をめぐる第9章です。そりゃこういう死に方を(著者の想像どおりに)したのであれば、史料は残らないでしょうねぇ。

    もちろん、元禄の貨幣改鋳についても1章が充てられ、貨幣改鋳とインフレについての興味深い分析がなされています。どうせなら経済学者とのコラボでさらなる充実を、と期待したくなるのですが、ひょっとしたらこれについては、飯田泰之先生がダイヤモンドの「経」でのかつての連載で取り上げていらっしゃったのかもしれません。でも、なかなか入手できないまま読まずに終わっているので・・・。

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