テロ特措法期限切れ
政治的な話はさておき、長らく洋上給油活動に携わってきた自衛官の方々、お疲れ様でした。
という動きがあるとのこと、ちらほら報道には出ていましたが、hamachanさんのエントリにて知りました。またぞろでたらめな同法案批判が出てくるかもしれませんので、それに向けての当サイトの過去エントリをサルヴェージしておきます。
#上記以外の関連記事は、当該連載のindexからご参照いただければ幸いです。
MiAUによる違法にアップロードされたコンテンツに係るダウンロード違法化についてのパブリックコメント提出を助長する以下の活動があります。
MiAUの運営側の主観的意図はさておき、客観的には、これらはテンプレ的な用い方をされ、多くの大同小異のパブリックコメントを生み出す方向に作用する可能性は大いにあるでしょう。そのようにパブリックコメントを提出する側には、パブリックコメントを提出する者の数に何がしかの意味があると考えが広がっても無理はないように思われます。もっとありていに言えば、より多くのパブコメを出せば出すほど、法案へ反映する可能性が高まるというような考えが広まるのではないかと。しかし、現実にそうではありませんし、さらに言えば、そうであることが望ましくもないのです。
数が多ければいい、というのであれば、本件でいえばJASRACや各種コンテンツホルダーが組織的にパブコメを提出したときに、「賛成のパブコメの数が多かったからダウンロード違法化を進めます」という結果になることを受け入れなければなりません。また、締切り直前に非常にいいコメントを思いついたとして、人に呼びかけている時間がないから自分ひとりで提出した場合に、「あなたひとりしか出していないので受け入れられません」という対応を甘受しなければなりません。でも、そんなのいやですよね?
#webmasterの霞が関経験からしても、業界関係者が大量に似通ったパブリックコメントを提出してきた例に直面したことがありますし。
MiAUのような試みは、パブリックコメントの提出という行動に際して自らの見解を省み、考察を深める機会を増やすものとして歓迎すべきことだとwebmasterは思います。であるからこそ、いくら「素材」と呼称したところで、テンプレとしてコピペされる可能性が高い形で提示されたことは再考の余地があるのではないでしょうか。具体的な提出手続をわかりやすく示すことは(役所の欠陥を補うものでもあり)すばらしいことです。具体的にどこに着目すべきかの言及もよいでしょう。しかし、どのようなコメントを出すのかについては、あえて自分で考えろと白紙で突き放す方が趣旨に叶うのではないでしょうか。繰り返しになりますが、数に意味があるわけではないのですから。
削除されてしまった方には申し訳ないが、このニュースは現在パブリックコメントが行われている文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理と、法制問題小委員会中間まとめに盛り込まれた内容の問題点が非常に分かりやすい形で現れたものだと思う。
(略)
著作権侵害が非親告罪とされてしまうと、著作権者の告発無しに著作権侵害が取り締まられることになる。
しかし、著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断できるのだろうか。
今回ニコニコ動画は、適法にアップロードされた動画を「権利侵害動画」であると判断して削除を行った。
ニコニコ動画は適法・違法の判断を間違えたのだ。
第3者からみて、適法・違法の判断が難しいことが、今回の削除ミスで明らかになった。
著作権侵害を非親告罪化すると、このような判断ミスによって告発されたり逮捕されたりするケースが出てくるだろう。
もちろん、一目で「著作権侵害だろう」と類推できるケースも多いが、第3者が的確に判断できるケースばかりとは限らない。
「ニコニコ動画が明らかにしたダウンロード違法化・著作権侵害非親告罪化の問題点」(@Copy & Copyright Diary10/23付)
親告罪とは、犯罪被害者が被疑者を指名すれば直ちにその者を犯罪者として罰する制度ではありません。犯罪被害者の告訴があり、それを受けて検察が起訴の要否を判断し、起訴があれば裁判所で実際に犯罪行為であったかどうかが裁かれます。つまり、親告罪においても検察や裁判所の判断を経て著作権法違反であるかどうかが判断されるわけで、「著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断できるのだろうか」というならば、現行制度を否定し、著作権者が違反だといったら違反だ、という制度に作り変えねば道理に合いません。
そもそも論を言うなら、親告罪とは犯罪被害者が被害を受けたと訴えでねば罪にならないというものではありません。犯罪被害者の告訴の有無に関わらず、ある行為が構成要件に該当する場合(正確には、加えて違法性阻却・責任阻却が成立しない場合)には、その行為は違法であり罪に他なりません。親告罪であれば、罪とは言え犯罪被害者がいろいろ考えて訴えないような場合には、あえて公開法廷にて追及は行わないということに過ぎないのです。もう一度書きましょう‐訴えがなくても罪であることに変わりはないのです。
「著作権侵害を非親告罪化すると、このような判断ミスによって告発されたり逮捕されたりするケースが出てくる」ことが問題だ、つまりは一件でも「冤罪」が出てくることが問題だとの議論であるかもしれません。それほど判断ミスによることが問題であるならば、著作者の判断ミスの場合だって問題だとしなければ一貫性がありませんが、そこは措きましょう。一般論として冤罪が不可避であり(神ならぬ身のやることですから・・・)、非親告罪化すれば親告罪であるよりも捜査件数が少なくとも減ることはない以上、冤罪の絶対数が増えることは間違いありません。それが問題だというのであれば、確かにそのとおりです。
しかし、であればネットにおいてよく見られる盗作等の糾弾活動を、非親告罪化に対する批判を超えて批判すべきでしょう。第三者の告発から始まる著作権法違反の捜査・起訴・訴訟手続においては、デュープロセスの保障が及びます。わかりやすくいえば、ニコニコ動画のような間違いに基づいて刑罰が科される可能性を極小化するよう、各般の法律上の歯止めが用意されています。今般のニコニコ動画の事例は運営者によるものでしたが、それ以外でもネットでの多くの人々の活動の結果として、有名どころで言えばスラムダンク盗作騒動は「著作権侵害であるかどうかを著作権者でない第3者が判断」して事実上の私刑を下した事例です。
著作権を侵害した(と疑われた)者が自ら罪を認めたからよい、という話ではありません‐そんなことを言い出せば、非親告罪であっても侵害した(と疑われた)者が自ら認めた場合には何の問題もない、ということになってしまいます。既述のように冤罪の可能性は刑事裁判手続において排除不可能ですが、私刑だったら排除できるというものではなく、むしろ冤罪の危険性は高いのですから、より問題は深刻です。にもかかわらずその危険性に何ら言及がないというのは、片手落ちの議論であるといわざるを得ないでしょう。
念のため申し添えれば、冤罪の可能性を懸念する声を無視してよいということをwebmasterは言いたいわけではありません。もしそれを懸念するなら、たとえば著作権者が事後的に著作物の使用・複製等を遡及的に許可できる制度の導入、なんてのはいいのではないかと思います。一言著作権者が「それはいいよ」と言えば、遡及的に違法性がなくなる‐この場合、構成要件を満たさなくなるのですから、親告罪とは違って完全な合法行為として法的に扱われます‐のですから、第三者の告発があったとしても、少なくとも警察・検察・裁判所において著作権者の意思が確認されるわけですし、そこで著作権者がやっぱり問題だと思うのであれば、事実上告訴があったものと観念できるでしょうし。
自民党の公約のとおりに、社会保障の充実や景気回復、地方経済の立て直しや戦略的外交の推進等につながるといいですね。
さて、t9930211さん、kei-zuさんのご紹介ですが、郵政民営化に関連して(霞が関の住人としては)気になる報道がありました。
10月1日施行の郵政民営化関連法を巡り、幹部の再就職を巡る条文に法制上のミスがあることが分かった。公務員の天下り規制に準じて再就職の承認権を「人事院」と規定しているが、先に成立した改正国家公務員法で承認権は来年10月にも「内閣」に移る。こうしたミスは「極めて珍しいケース」(関係者)で、法整備が急ごしらえだった実態がうかがえる。
何が気になるかといえば、webmasterが調べた限りでは、この問題は郵政民営化関連法ではなく国家公務員法改正の側のミスで生じたものだということです。本当のところはどうなのでしょうか・・・。
どのようなミスか、webmasterの考えを具体的に説明します。まず、郵政民営化関連法での関連規定を見ると、次のようになっています。
(国家公務員法の一部改正)
第12条 国家公務員法(昭和22年法律第120号)の一部を次のように改正する。
(略)
第103条第2項及び第9項中「、特定独立行政法人又は日本郵政公社」を「又は特定独立行政法人」に改める。(略)
附 則
(略)
(国家公務員法の一部改正に伴う経過措置)
第59条 (略)
2 施行日の前日から起算して7年を経過する日までの間における旧公社の職員であった者に関する新法第103条第2項の規定の適用については、同項中「又は特定独立行政法人」とあるのは、「、特定独立行政法人又は郵政民営化法(平成17年法律第97号)第166条第1項の規定による解散前の日本郵政公社」とする。
3 施行日の前日から起算して7年を経過する日の属する年までに人事院がした新法第103条第3項の承認の処分(同条第1項の規定に係るものを除く。)に関する同条第9項の規定の適用については、同項中「又は特定独立行政法人」とあるのは、「、特定独立行政法人又は郵政民営化法(平成17年法律第97号)第166条第1項の規定による解散前の日本郵政公社」とする。
郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)
現行の国家公務員法がこれらによってどのように変わるのかは次に示すとおりです(国家公務員法の規定は正しくは項番号を持ちませんが、見やすさのため付記してあります。以下同じです)。
(私企業からの隔離)
第103条 (略)
2 職員は、離職後2年間は、営利企業の地位で、その離職前5年間に在職していた人事院規則で定める国の機関
、又は特定独立行政法人又は日本郵政公社と密接な関係にあるものに就くことを承諾し又は就いてはならない。3 前2項の規定は、人事院規則の定めるところにより、所轄庁の長の申出により人事院の承認を得た場合には、これを適用しない。
4〜8 (略)
9 人事院は、毎年、遅滞なく、国会及び内閣に対し、前年において人事院がした第3項の承認の処分(第1項の規定に係るものを除く。)に関し、各承認の処分ごとに、承認に係る者が離職前5年間に在職していた第2項の人事院規則で定める国の機関
、又は特定独立行政法人又は日本郵政公社における官職、承認に係る営利企業の地位、承認をした理由その他必要な事項を報告しなければならない。
国家公務員法(昭和22年法律第120号)
これらの規定は、
退職後2年間の天下り禁止
退職後2年以内の天下りの特例(人事院承認による禁止の適用除外)
退職後2年以内の天下りに係る人事院承認の報告義務
を定めたものです。現在の条文は郵政公社職員を対象としていますが、これらの改正により、国家公務員相当として扱われていた公社職員について、民営化に伴いその扱いが変わり天下り規制の対象外になるということです(すなわち、自由に天下り可能となります)。しかし、郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(以下「郵政民営化整備法」といいます)附則第59条の規定により、法施行日より7年間は引き続き天下り規制の対象とします、ということとなっています。
さて、引用した記事中の「先に成立した改正国家公務員法」ですが、具体的にどのような改正だったのかは次のとおりです。
(国家公務員法の一部改正)
第1条 国家公務員法(昭和22年法律第120号)の一部を次のように改正する。
(略)
> 第百三条第三項中「前二項」を「前項」に改め、同条第七項中「、前項」を「前項」に、「場合に」を「場合について」に、「、第五項」を「第四項」に、「これを」を「それぞれ」に改め、同条第八項中「第六項」を「第五項」に改め、同条第二項及び第九項を削る。
(略)(略)
附 則
(略)
(郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律の一部改正)
第37条 郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)の一部を次のように改正する。
附則第59条第2項及び第3項を削る。
(略)
国家公務員法等の一部を改正する法律(平成19年法律第108号)
ここでの改正を国家公務員法第103条に反映させると次のようになります。
(私企業からの隔離)
第103条 (略)
2 職員は、離職後2年間は、営利企業の地位で、その離職前5年間に在職していた人事院規則で定める国の機関又は特定独立行政法人と密接な関係にあるものに就くことを承諾し又は就いてはならない。
32 前2項の規定は、人事院規則の定めるところにより、所轄庁の長の申出により人事院の承認を得た場合には、これを適用しない。
43〜87 (略)
9 人事院は、毎年、遅滞なく、国会及び内閣に対し、前年において人事院がした第3項の承認の処分(第1項の規定に係るものを除く。)に関し、各承認の処分ごとに、承認に係る者が離職前5年間に在職していた第2項の人事院規則で定める国の機関又は特定独立行政法人における官職、承認に係る営利企業の地位、承認をした理由その他必要な事項を報告しなければならない。
国家公務員法(昭和22年法律第120号)
ご覧のとおり郵政民営化整備法附則第59条で参照している国家公務員法第103条第2項・第9項がなくなってしまう(形式的には第2項は存在しますが、郵政民営化整備法で適用対象としている条文ではありません)改正が行われており、このままでは郵政民営化整備法の参照規定が誤りとなってしまいます。そこでその改正を行った国家公務員法等の一部を改正する法律(以下、平成19年改正法といいます)においては、その附則第37条において郵政民営化整備法附則第59条第2項・第3項を削除し、そうした誤りを防いでいるわけです。
ここまでのところで大方の読者には想像がついたと思いますが、郵政民営化整備法の世界では、同法附則第59条第2項できちんと天下り規制が担保されていたわけです。それを後から削除する法律=平成19年改正法こそが、なくなる規制の代わりとなる新たな規制を課すか、それとも削除しっぱなし=新たな規制は課さないかのいずれかを決する役目を負うのです。
平成19年改正法は、郵政民営化整備法の天下り規制を削除するのみで、新たな規制を課しませんでした。冒頭の報道が正しければ、それは政策判断として自由としたのではなく、単純なミスということでしょう。本来、平成19年改正法により国家公務員法に設けられた新たな天下り規制(いわゆる人材バンク。改正国家公務員法の第106条の2以下)か、その立ち上げまでに課される経過的な規制(平成19年改正法附則第4条以下)のいずれかを、民営化された郵政公社の役職員に課すべきだったところ、それを課さなかったのは、郵政民営化整備法の問題ではなく、平成19年改正法の問題なのです‐「法整備が急ごしらえだった実態」があるとすれば、それは郵政民営化ではなく公務員制度改革の実態だったのです。
この記事で問題とされる条文は、次のとおりです。
第39条 (略)
2 旧公社法第52条第4項及び第70条(第2号に係る部分に限る。)の規定は、施行日から起算して2年を経過する日までの間は、なおその効力を有する。この場合において、同項ただし書中「任命権者」とあるのは、「総務大臣」とする。
郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)附則
ここで参照される旧公社法=日本郵政公社法第52条第4項は次のとおりです。
(役員の服務)
第52条 (略)
2・3 (略)
4 役員(非常勤の者を除く。)は、離職後2年間は、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(第70条第2号において「営利企業」という。)の地位で、公社又はその離職前5年間に在職していた人事院規則で定める国の機関若しくは独立行政法人通則法 (平成11年法律第103号)第2条第2項に規定する特定独立行政法人と密接な関係にあるものに就くことを承諾し、又は就いてはならない。ただし、人事院規則の定めるところにより、任命権者の申出により人事院の承認を得た場合は、この限りでない。
日本郵政公社法(平成14年法律第97号)
この条文を、次の条文と比べてみてください。
(私企業からの隔離)
第103条 (略)
2 職員は、離職後2年間は、営利企業の地位で、その離職前5年間に在職していた人事院規則で定める国の機関、特定独立行政法人又は日本郵政公社と密接な関係にあるものに就くことを承諾し又は就いてはならない。
3 前2項の規定は、人事院規則の定めるところにより、所轄庁の長の申出により人事院の承認を得た場合には、これを適用しない。
4〜9 (略)
国家公務員法(昭和22年法律第120号)
国家公務員法第103条はいわゆる天下り規制ですが、日本郵政公社法第52条第4項はそれと同じ内容を定めるものです。現在、日本郵政公社法は、国家公務員と同様の天下り規制を公社の役員に及ぼしてます。郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律は、平成17年における両者のそうした関係を前提として、平成17年における公社役員への天下り規制を民営化後も維持する(日本郵政公社法は郵政民営化に伴い廃止されるので、経過措置を講じないと規制撤廃となってしまいます)旨を定めているわけです。
さて、平成19年になって天下り規制を抜本的に見直す国家公務員法等の一部を改正する法律が成立したわけですが、そこにおいては郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律附則第39条について何ら手当てがなされておらず、廃止される国家公務員法の天下り規制を下敷きにした日本郵政公社法の天下り規制が、そのまま適用される状態になっています。
この状態にどう対応すればよいかといえば、
のいずれかとなります。素直に考えれば1.ということになるのでしょうけれども、報道が正しいのであれば、気がつけば3.にすべきところを気がつかずに1.になってしまったということで、その意味では紛れもなくチョンボ(法改正におけるミスを指す霞が関のジャーゴン)です。
しかし、このチョンボは何に属するのかといえば、報道のように郵政民営化関連法(=郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律)にではなく、国家公務員法改正法にです。改正国家公務員法が制定されたからこそのおかしな状態なのであって、であるならば改正国家公務員法制定時に手当てすべきなのはご理解いただけるのではないでしょうか。郵政民営化関連法と当時の国家公務員法・日本郵政公社法との間には、何らおかしなことは存在しなかったのですから。
#以上、raさんのコメントを踏まえ改稿しました。(10/9追記)
#難しいことを言わずとも、平成17年に成立した法律が平成19年の制度改正を見通した措置を講じられるはずもなく、したがって平成17年におけるミスであるはずもないのですが。
去る26日に開催された文化審議会著作権分科会の私的録音録画小委員会での議論が物議を醸しているようです。とりわけ、その会合を報じたINTERNET Watchの記事中、
なお、本日の会合では、第30条の適用範囲から除外について検討してきた「違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画」の利用形態の説明として、「視聴のみを目的とするストリーミング配信サービス(例 投稿動画視聴サービス)については、一般にダウンロードを伴わないので検討の対象外である」という脚注を追記することが事務局から提案された。
この脚注を加えた理由について文化庁著作権課の川瀬真氏は、一部の新聞や雑誌で「YouTube」などの動画共有サイトを視聴することも第30条の適用から除外されるという記事があったためと説明。この点については「誤解である」と述べ、視聴のみを目的とするストリーミング配信は一般にダウンロードを伴わないため、動画共有サイトを視聴するだけでは違法行為にはならないとする見解を示した。
なお、YouTubeなどの動画共有サイトを視聴する際には、動画ファイルのキャッシュがPC内のHDDに一時的に保存される。この点について IT・ジャーナリストの津田大介氏は、「違法ダウンロードが法制化された場合は、キャッシュとして保存することも複製と見なされ、違法行為になってしまうのか」と疑問を示した。
この質問に対して川瀬氏は、「それが複製にあたるかどうかの知識はない」と前置きした上で、2006年1月に提出された文化審議会著作権分科会報告書の内容を紹介。それによれば、文化審議会著作権分科会に設けられた「法制小委員会」において、仮に現行の著作権法でキャッシュが「複製」と解釈されても、権利制限を加えるべきではないとする見解が示され、法改正事項として挙げられていると答えた。
INTERNET Watch「「法改正後はYouTube見るだけで違法」は誤解、文化庁が見解示す」
における川瀬真文化庁長官官房著作権課著作物流通推進室長の発言が、はてなブックマークでのコメントが問題視されています。曰く、
ような者がこの問題を担当するのはおかしい、と。
しかし、言及されている文化審議会著作権分科会報告書を読めば、川瀬室長が頓珍漢なことを言っているわけではなさそうでもあります。以下、関連部分を抜粋します。
デジタル化,ネットワーク化の進展に伴い,コンピュータの機器内部における蓄積,ネットワーク上の中継サーバなどにおける蓄積など,機器の使用・利用に伴う,瞬間的かつ過渡的なものを含め,プログラムの著作物及びその他の著作物に関する電子データを一時的に固定する利用形態が広く用いられている。
(略)
著作権審議会においては,これまでも著作権法上の複製権の対象となる「複製」の範囲について検討が行われており,例えば,昭和48年6月の同審議会第2小委員会(コンピューター関係)報告書では,「(コンピュータの)内部記憶装置における著作物の貯蔵は,瞬間的かつ過渡的で直ちに消え去るものであるため,著作物を内部記憶装置へたくわえる行為を著作物の『複製』に該当すると解することはできない。」としていた。
これらを受けて,一般的には,RAMへの蓄積(電源を切れば消去される蓄積)などのいわゆる「一時的蓄積」は,著作権法上の複製権の対象となる「複製」ではないと解されてきた。
(略)
著作権法においては,「複製」は「有形的に再製すること」と定義されており,規定の文言上は,有形的な再製であるが「一時的」なものであれば複製には該当しないとはされていない。そのため,いわゆる「一時的蓄積」であっても,複製に該当すると解することができないではない。
しかしながら,いわゆる「一時的蓄積」を「複製」に当たるとする方向で解する場合には,機器内部や通信過程の技術的プロセスにおいて不可欠なものなどについては,機器の使用や円滑な通信に支障が生じるおそれもあることから,権利を及ぼすことが適当ではないため,立法的措置の必要性について検討すべきである。
(略)
現時点において,いわゆる「一時的蓄積」の様々な類型について,そのすべてを「複製」に当たると解すべきとする具体的な要請は見当たらないが,国際的な動向を考慮すれば,「複製」に当たると解する方向もあり得る。その場合に,どのような立法的措置が必要であるかを検討しておく必要がある。
(略)
一時的固定(複製)のうち権利を及ぼすことが適当ではないと考えられる行為として,次の1〜3の要件を全て充たすものがあると考えられ,仮に立法的措置を行う場合には,これらを要件とすることが考えられる。
- 著作物の使用又は利用に係る技術的過程において生じる
- 付随的又は不可避的(著作物の本来の使用・利用に伴うもので,行為主体の意思に基づかない)
- 合理的な時間の範囲内
(略)
しかし,技術の進展に伴い,様々な形態の一時的固定が出現しており,また今後も出現することが予想されるため,上記1〜3の要件では,権利を及ぼすべきではない場合のすべてを対象とすることは困難であると思われる。例えば,通信の効率性を高めるために行われるミラーサーバにおける蓄積や,災害時等のサーバの故障に備えたWebサイトのバックアップサービスなどは「不可避的又は付随的」とは言い難いため,上記の要件からは外れてしまうが,通信の効率性や安全性の点から,権利を及ぼすべきではないとする社会的な要請が強いと考えられる。このため,権利制限規定を新たに設ける場合においても,明示的に権利が制限されていない一時的固定がすべて複製権の対象であるとする反対解釈は,避けるべきである。更に,必要な場面を想定し,個別に別途の権利制限規定を設けるなど,必要な措置を追加して検討する必要があると考えられる(デジタル機器の保守・修理時における一時的固定については,後述参照)。
(略)
したがって,これらの課題については,今後の技術動向を見極める必要もあることから,現時点では緊急に立法的措置を行うべきとの結論には至らなかった。しかし,法的予測可能性を高め,萎縮的効果を防止することにより,権利者や利用者が安心して著作物を流通・利用できる法制度を構築する観点から,今後も立法措置の必要性について慎重な検討を行い,平成19年を目途に結論を得るべきものとした。
文化審議会著作権分科会報告書(案)/第1章 法制問題小委員会/第3節 デジタル対応ワーキングチーム(webmaster注:1〜3の箇条書きは、原文では丸付き数字です)
長くなりましたのでwebmasterなりに要約すれば、
ということとなります。川瀬室長の発言について、以上を踏まえて補足してみると(括弧書きがwebmasterによる補足部分)、
ということになるのではないでしょうか。
#前者については、もし報道とおり川瀬室長が発言したならば、注記のとおり「検討の対象外」としておけばより誤解される可能性は少なかっただろうとは思います。あくまでここでの検討対象は「複製」であり、そもそも「複製」ではない「一時的蓄積」は、検討の対象ではないのですから。ただ、ITmediaの報道によると、あくまで川瀬室長は注記に沿って、「小委員会の議論の対象はあくまでダウンロードサービスと説明」したようですが。
仮にwebmasterの補足を妥当とお認めいただいたとしても、著作権法の用語が技術的なそれと乖離していることが問題であり、そんなものを「ストリーミング」「ダウンロード」「複製」と呼ぶな、というご意見もあるでしょう。しかし、少なくとも「複製」については、引用の報告のとおり30年以上前からこのような事態を包含し得る議論をしていたわけで、法律の用語法が後追い・場当たり・泥縄というのは一方的ではないでしょうか。また、「ストリーミング」「ダウンロード」についても、たとえば当のYouTubeは川瀬室長と同様の使い方をしているわけで、一般的に許容されざるほどの乖離かどうか、webmasterには疑問も残ります。
#もう少し対外的な説明の仕方に気をつけた方がいいのは間違いありませんが。
ちなみに、デジタル対応ワーキングチームで「一時的蓄積」についての議論を深めていくことは、今年の3月19日の段階で既に同分科会法制問題小委員会において明らかにされていて、サーチエンジンについての検討に次いで俎上に載せられるようです。同ワーキングチームでのサーチエンジンについての検討は中間報告の案文を詰めるところまできているので、この問題にご関心の向きは、これからの同ワーキングチームの動向に要注目でしょう。
なお、本件については、小倉弁護士が、
現在著作権法の専門家の中で、ハードディスクへのキャッシュを、「一時的蓄積」に過ぎず著作権法上の「複製」にはあたらないとするものは決して多くはなく、むしろ、世渡りのうまい人たちはRAMへの一時的記憶すら著作権法上の「複製」に含めるべきであるとの強く主張しています。従って、違法にアップロードされた著作物を受信して複製する行為について著作権法30条1項から除外した場合には、YouTubeの画像を視聴したに過ぎない人々も、ハードディスクにキャッシュを保存したことにより、あるいは、RAMにデータを一時的に記憶させたことにより、複製権侵害に当たるとされる虞が十分にあります。
文化庁の川瀬氏は「それが複製にあたるかどうかの知識はない」としていますが、文化庁の著作権課の官僚さんが一時的蓄積に関する学説の状況を知らないとはにわかに信じがたいです。その上で、「仮に現行の著作権法でキャッシュが「複製」と解釈されても、権利制限を加えるべきではない」としているのは、裁判所が少なくともディスク上へのキャッシュについては裁判所がこれを著作権法上の「複製」とする可能性がそれなりに高く、その場合にはYouTubeでの動画視聴が違法とされることになることを十分に知りつつも、その場合には、これを適法なものとするような法改正は行わず、日本ではYouTubeの視聴自体をずっと違法なものということにしておきますよという趣旨ではないかと思います。
「文科省とダウンロード規制と思想統制」(@benli9/27付)
とおっしゃっているのは、以上に照らせば文化庁へのフェアな評価とは言いがたいのではないでしょうか。先に引用した著作権分科会報告において、先の引用では略した部分に、次のような記載があります。
権利を及ぼすべきではない範囲に関して,立法により法文上明確化する方法としては,(a)著作権法上の「複製」の定義から除外する,(b)著作権法上の「複製」であるとした上で権利制限規定を新たに設ける,という2つの方向性が考えられる。また,法文上明確にしない場合には,(c)「黙示の許諾」,「権利の濫用」等の解釈による司法判断に委ねる,という方向性も考えられる。このうち,(a)及び(b)の方向性を採る場合には,著作物の使用(視聴,受信,プログラムの実行等),又は利用(通信等)に伴い,「付随的」又は「不可避的」に生じる「一時的」固定(複製)であるものといった限定的な要件を付した上で,権利の対象から除外する必要がある。
なお,権利制限という方向性を採る場合の許容性について検証すると,権利者は一時的固定の前段階である媒体への固定やアップロード等の行為に対して権利を行使する機会があり,その時点で,その後の著作物の視聴等を予測することができるのであるから,限定的な要件を付した上で,一時的固定に関する権利制限を行ったとしても,販売機会を失うなど,権利者に現実的な経済的不利益を与えることは想定されず,権利制限の許容性を有していると考えられる。
文化審議会著作権分科会報告書(案)/第1章 法制問題小委員会/第3節 デジタル対応ワーキングチーム
つまりは立法措置により著作権者の複製権行使の対象外としたり、そのあり方を通常の行使よりも制限的にすることを選択肢として明示しています。既述のデジタル対応ワーキングチームでの今後の検討の結果、上記の(c)が選ばれた後であればともかく、現時点で「これを適法なものとするような法改正は行わず、日本ではYouTubeの視聴自体をずっと違法なものということにしておきますよという趣旨」との批判を甘受すべき状態に、文化庁はないのです。
新潟市出身で大相撲の序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17)=しこ名・時太山(ときたいざん)=が名古屋場所前の6月、愛知県犬山市でけいこ中に急死した問題で、師匠の時津風親方(57)=本名山本順一、元小結双津竜=が同県警の任意の調べに対し、斉藤さんへの暴行を認めていることが25日、わかった。兄弟子数人も「集団で暴行した」と供述しているという。県警は現在、死の直接的な原因を特定するため遺体の組織検査中で、結果を待って、同親方を傷害、兄弟子らを傷害致死の各容疑で立件する方針だ。
(略)
時津風部屋の県警への説明によると、斉藤さんは6月26日午前11時40分ごろ、犬山市犬山の寺院敷地内にある同部屋のけいこ場で、兄弟子とのぶつかりげいこ中に倒れた。搬送先の病院で午後2時10分に虚血性心疾患による死亡が確認された。
県警は、親方や同部屋の力士ら関係者から、任意で事情を聴取。死亡前日の25日午前、斉藤さんは部屋を逃げ出そうとして兄弟子らに連れ戻された。こうした斉藤さんの態度に腹を立てた親方が、力士らとの夕食の席上、ビール瓶で斉藤さんの額を殴り、切り傷を負わせていたことがわかった。その後、けいこ場の裏手で兄弟子数人が斉藤さんを取り囲み、数十分にわたって殴るけるの暴行を加えたことも、親方らは認めているという。
大相撲の序ノ口力士、時太山(17=時津風、本名斉藤俊さん)が6月26日のけいこ中に死亡したことに関し愛知県警は、刑事事件として立件する方針を固めたことが25日、分かった。既に日本相撲関係者もこの状況を把握。協会関係者によると、容疑は業務上過失致死になる方向という。
人を殺してしまった、という場合でも、刑事法上の類型としては多々あります。代表的なものを挙げれば(すべて刑法の規定)、
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
第205条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。
第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。(略)
第210条 過失により人を死亡させた者は、50万円以下の罰金に処する。
といったものとなります。具体的にどのような行為がそれぞれに当てはまるかは判例を見ていく必要がありますが、ラグビー部においてたるんでいるなどといって十分な休みも取らせずに厳しい練習を強いた結果熱中症で死亡した場合には、指導者としての注意義務違反ということで業務上過失致死罪が適用されています。判例変更がないという前提ですが、本件においてぶつかり稽古に半ば制裁的な意味合いが込められていたとしても、その危険性に気づかなかった点において過失ありということで、同様に業務上過失致死罪が適用ということとなるでしょう。
しかし、報道においては、傷害・傷害致死罪での立件と、業務上過失致死罪での立件とで分かれています。前者であれば制裁行為と死亡との間に因果関係を認定し、後者であれば(制裁行為によって体が弱っていたことが遠因になったと認めたとしても)あくまで稽古を強行したことと死亡との間に因果関係を認定することとなりますが、webmasterの管見では、死亡前日の暴行が傷害罪に当たるとして、その際の負傷により疲弊していた結果稽古に耐えられなかったのだとしても、疲弊していたにもかかわらず無理に稽古させ(て死亡に至らしめ)たこと自体は業務上過失致死罪に該当するように見えます。いずれにしても、あくまで立件(=検察官送致、いわゆる送検)の見込みであって、当該罪状による起訴でもなければ、もちろん判決でもないわけではあるのですが。
とりあえずwebmasterの解釈が正しいとすれば、相撲協会としては、有罪となるのであれば傷害致死罪であってほしいことでしょう。というのも、
稽古(けいこ)か、暴行か――。大相撲時津風部屋で、序ノ口力士だった斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山=が今年6月、稽古中に急死したことを巡り、愛知県警が刑事事件として立件する方針を固めたことで、横綱朝青龍関の出場停止問題で揺れる角界に衝撃が広がった。
斉藤さんの頭を親方がビール瓶で殴ったことや、兄弟子たちが数十分にわたり暴力を振るっていたことなどが、これまでの同県警の調べで明らかになっており、識者からは「荒稽古と暴力は全く違う」と厳しい声が上がった。
(略)
相撲部屋の稽古とは何か、稽古の厳しさは、どこまで許されるのか。どこからが「行きすぎた稽古」になるのかは師匠の判断に委ねられ、その線引きをするのは簡単ではないという。
日本相撲協会に記録が残っている力士の死亡例は、入院先での死亡を除けば斉藤さんの事例を含めて平成以降で8件ある。それ以前はあいまいといい、具体的な記録は残っていない。だが、平成以降の7件については、警察が介入して事件として立件されたことはなかった。
というように、名もなき識者の「荒稽古と暴力は全く違う」ということとなれば、あくまで今回の死亡は時津風部屋において「暴力」がふるわれたことが問題だということで、死んだかどうかははっきりいえば二の次ということとなります。従来はそのような取り扱いがなされてきたからこそ、平成に入ってからの8件の死亡事故(が具体的に何かこれだけではわからないので、それらが稽古中のものだとすれば)は刑事上は不問とされてきたのでしょう。
しかし、業務上過失致死罪となれば、稽古であっても注意義務違反で罪が問われるわけですから、あれは時津風部屋がおかしいのであって、我々はあのような制裁行為はしておりません、あくまでまっとうな稽古をつけているだけです、という差異化が不可能となります。8件のうち時効が成立していないものについても捜査が行われてもおかしくないこととなりますし、今後も死亡事故があれば制裁行為の有無に関係なく捜査対象となる可能性が出てきます。
いくらコンタクトスポーツには危険がつきもの(だからこそ、その手のスポーツの試合において相手を死亡させてしまった選手がいても、故意に殺したのでなければ、正当業務行為として違法性が阻却されます)であるとはいえ、20年足らずで8件とは、他のコンタクトスポーツと比べても事故数は多いでしょうから、やはり問題は暴行の有無ではなく、稽古のあり方そのものに存在するのではないかとの疑いはゆえなきものではないでしょう。相撲界の体質改善のためには、本件において容疑者が有罪であった場合には、その罪は業務上過失致死罪であった方がよいのではないでしょうか。既述のとおり、判例に照らしても十分成立するでしょうし。
#実際の公開日は19日なのですが、18日中に公開できなかった理由がサーバダウンであり、webmasterの主観としては毎日の更新を続けられていたはずのになぁと悔しく思われてならないので(笑)、18日付で公開いたします。
法務省は民法で定める法定利率を、現行の年5%から引き下げる方針を固めた。
低金利時代を踏まえ、市中金利との乖離(かいり)を是正するのが狙い。引き下げ幅や変動型か固定型かなどについて検討を進め、早ければ2009年の通常国会で法改正したい考えだ。
法定利率は、民法404条で、「利息を生ずべき債権について別段の意思表示がないときは、その利率は、年5分とする」と規定され、金銭貸借などの契約で、利息をつけることになっているのに、具体的な利率が決まっていない場合に適用している。損害賠償金など法律上発生した債権に加算される遅延損害金、不正利得を悪意で得た受益者がその利得を返還する場合につける利息にも適用される。
企業間の特許侵害など巨額の損害賠償を求める民事裁判では、金利差が大きいため、賠償金を早く手にするより、法定利率を適用した遅延損害金を受け取る方が有利なため、権利者側が意図的に交渉を長引かせる弊害も出ている。
死亡交通事故の被害者が生涯で得られたはずの逸失利益を算出する際に、決定額は法定利率で運用されたと仮定し、その利息分を支払い時に差し引いている。
(略)
適用利率が低ければ、遺族が受け取る賠償金は多くなるため、識者や遺族の間には「低金利時代なのに年5%もの高利運用の見通しは立たず、被害者に厳しすぎる。現状との乖離を見直すため、法定利率の見直しが必要だ」の声がある。
読売「現行5%の法定利率、引き下げへ…逸失利益算出などに影響」
遺族はさておき「識者」とやらは、では高金利時代(たとえばオイルショック時)には法定利率の引上げが必要だとしたのかどうかという疑問はありますが(笑)、方向自体はあるべきものですし、できれば固定ではなく変動にすべきであることは、理屈としては明らかです。しかし、具体的にどうするのかということを考えると、実はなかなか悩ましい問題です。
一口に「利率」といっても、期間によって差があるのは預金金利をごらんいただければおわかりいただけるでしょうし、よってたとえば同じ5年満期100万円1%といっても、満期一括か元金均等か元利均等かで実行利率は変わってきます。政府においてこのあたりを一番きちんと整理して決めているのは、webmasterの知る限り財投の貸付金利なのですが、法務省にそこまで期待するのもなぁ、とは正直なところ。まして変動させるとするなら、変動のタイミングによってはそれこそ交通事故の賠償金が変わってきますから、なんで一日違いで○十万円も違うのだとか、そのような苦情の存在も容易に想像可能です。
最終的には一定のルールを定め、ルールなのだから一日違いだろうと何だろうとあきらめろとするしかないのでしょうけれど、具体的に何をどう定めるのかを検討する中で、結局はイールドカーヴすら描かないひとつの利率を定めるというあたりで落ち着きそうだなぁとは、webmasterの勝手な予測です。それでも変動になるだけマシ(もしそうなれば、ですが)と考えるべきなのかもしれません。国債のスポットレイトを基準にキャッシュフローのパターンに即して決める、というのがもっとも合理的なのでしょうけれども、それでは混乱を招く副作用の方が理論的に妥当な金利を適用する便益をはるかに上回る、というのが現実なのではないでしょうか。
稲葉先生のご推薦を受けて読みました。結論から申し上げれば、伊勢崎賢治「武装解除」とセットで読め、ということとなります。相乗効果はてきめんでしょう。言い換えれば、伊勢崎本を読んで感銘を受けた方には、ぜひとも手に取っていただきたいのです。
なぜセットで読むことをお薦めするかといえば、これら2冊は政治の現実という同じ対象を、まったく異なる観点からそれぞれ描いたものだからです。本書は、外部から政府(や国民、とするのが正確なところですが)に対して何らかの行動を求め、それを実現する過程を描いたもの。他方で伊勢崎本は、(現地人から見れば)政権内部の人間として政策をいかに実現していくのかを描いたもの。その交点に、世の中がどのように動いているかが鮮やかに立ち表れるでしょう。
対象が同じだというだけでなく、著者の姿勢もまた共通の基盤を持ちます。つまりは徹底的なリアリストなのです。リアリストといっても人によって使われ方が違ったりもしますが、ここではwebmasterは、プライオリティを明確にし、実現すべきものは何で、実現できなくても我慢すべきは何かを冷静に判断できること、という姿を念頭に置いています。具体は本書を紐解いてもらうとしても、いわゆる評論家的な態度ではなく、何がしかを実現するとはどういうことなのか、ここまでバランスの取れた記録というのはなかなか見られません。
したがって、著者は世間的なイデオロギー分布でいえば左に属するわけですが、右の人には左にもこのような実践があると知っていただくために、左の人には自らの為してきたこと/為さんとしていることを客観的に見直す機会を得るために、いずれであっても読む価値があるものと言えましょう。右の人が左の人間の書いたことと食わず嫌いをするにはあまりにも惜しいですし、左の人が本書を読んで違和感が生じる‐というのは生ぬるいかもしれません。なんとなれば、厳しい批判が左にも向けられているのですから‐ならば、それは次への発展の契機をつかんだに等しいのだとwebmasterは思います。
webmasterにしても、著者が専門(の一部)として取り組んできた慰安婦問題について、この文脈で軽々しく意見を書くほどずうずうしくはありませんが(笑)、それ以外でも見解の相違はあります。たとえば、
戦争責任に関する日独の比較は、評価が過度の単純化に傾きがちだという点を別にすれば、当たっている点が多い。ブラント、ヴァイツゼッカーにあたる国家指導者を、戦後の日本はもつことができなかった。社会全体の非ナチ化に相当する、国民全体による戦前の体制の見直しも行わなかった。とくに1970年代以降の西ドイツにおける戦争責任の内面化の努力は、日本よりはるかに徹底したものだった。
p179
というのは、ナチスを外部に見立ててすべての責任を押し付けることにより、自己を正当化している側面を無視していますし‐仮に昭和天皇が東京裁判で死刑になっていれば、あれは天皇制が悪かったのです、もう二度と天皇制には復帰しません、との「戦争責任の内面化」が日本においても行われていたことでしょう‐、また、
法的な観点からみれば、女性国際戦犯法廷は、法定の構成をはじめ、裁判として満たさなければならない公平性の要件の欠如やその他多くの面で深刻な問題を抱えていた。また、法廷は当然のことながら国家の支持を欠き、判決を執行できない法廷だった。しかし、同法廷による審理と判決は、出席した多くの被害者に巨大なカタルシスを与え、さらにそれをニュースで知り、また出席者から聞いたほかの被害者にも大きな高揚感と満足感を与えた。
pp219, 220
というのは、かつて「法的な観点からみれば・・・多くの面で深刻な問題を抱えていた」といみじくも論じたことがある身としては、評価が逆(=カタルシスを与えたかもしれないが、あまりに法的な問題がありすぎた)だろうと思いますし、著者のたとえばクマラスワミ報告への否定的評価(pp149-151)との整合性も問われるものだといわざるを得ないでしょう。
しかし、こうした話は本書の価値を低下させるものではありません。繰り返しにはなりますが、あくまで本書は著者が現実の政治と向き合ってその重要と思うことをさまざまな困難を乗り越えて実現した記録ですし、その中には、著者がアジア女性基金以前に取り組んだ諸運動から得た反省が確かに活かされています。著者の長年にわたる政治運動経験の精華、惜しげもなく公にしてくれているのですから、それを無視するというのではあまりにもったいないのです。
なお蛇足ながら、webmaseterはアジア女性基金に寸志を出させていただいたのですが、このような整理を運営陣から示していただき、かつどのような形でお金が活かされたかを実感でき、わずかながらの協力をさせていただいた身としてうれしく思うのです。
前回の続きとなります。前回は、Apemanさんのエントリ中、たとえ所有者=運転者=犯人だったとしても、それが法的に確定しない段階で「取引先や職場に迷惑をかけた」といった理由で懲戒解雇するというのは人権という観点からいってかなり問題があるわけだが、もし「所有者は車を当時貸していて誰が運転していたかわからない」という言い訳が事実だった場合、“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?
という部分に主として着目して、
- 「たとえ所有者=運転者=犯人だったとしても、それが法的に確定しない段階で『取引先や職場に迷惑をかけた』といった理由で懲戒解雇するというのは人権という観点からいってかなり問題がある」のはおっしゃるとおりですが、その問題ある行為をしたのはあくまで自動車の所有者の勤務先であって、「祭り」の参加者ではなく(まして、「祭り」の参加者が直接に私刑と称すべき行動に出たわけではなく)、
- 仮に「祭り」がなければ懲戒解雇が生じ得なかったとしても、「祭り」の参加者の行動は刑法で言えば教唆に問えるようなものではなく、せいぜいが煽動にとどまるでしょうけれども、では煽動行為に有責性を認めるべきかといえば、基本的にはwebmasterは懐疑的、
との疑問を呈しました。これに対して、(コメント欄でのwebmasterの書き込みも踏まえ)すがりーさんから次のような書き込みがありました。
なるほど。事後的に明らかになった事実によって、行為の法的評価が異なる可能性を考えていらしたのですね。
しかしながら、そうであれば、事後的に明らかになった事情(冤罪)によって(解雇時における)解雇権濫用の有無が左右されるということは、論理的にあり得るのでしょうか? 言い訳になりますが、勤務先の責任を問う文章が前置きとなっておりましたので、この点で少々混乱いたしました。
なお、私は、リンク先の「“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?」との締めは、(とれないでしょ?だから節度をもって振舞いなさいよ。)という趣旨と読みました。
「Apemanさんの当て逃げ事件に関するご見解への疑問」(6/27付)に対するすがりーさんのコメント
理屈を申し上げるならば、札幌高判平成16.9.29(労働判例885号32頁)において、
本件各懲戒解雇については,本件仮処分命令によって,第1懲戒解雇の無効が暫定的に確認され,さらに,Gが同年5月20日に提起した本案訴訟において,第1懲戒解雇は権利の濫用に当たり,第2懲戒解雇もその根拠事実を欠くから,いずれも無効であるとする函館地方裁判所の判断が,札幌高等裁判所及び最高裁判所によって維持されたことが認められる。
このように,司法の判断によって本件各懲戒解雇が無効であることが最終的に確定した場合には,特段の事情がない限り,本件各懲戒解雇をした1審被告らに,本件各懲戒解雇時において,善管注意義務違反及び忠実義務の違反があったと解するのが相当である。そして,この特段の事情とは,本件各懲戒解雇をすることが当時の客観的事情からやむを得ないといえるかが問題となる。
道幸哲也「渡島信金会員代表訴訟事件と理事の善管注意義務・忠実義務」
との判断が示されているように、懲戒解雇の妥当性は善管注意義務・忠実義務の範疇で捉えられ、簡単に言えば刑事裁判における検事の立証責任に比べれば、雇用者の懲戒事由の判断に当たっての事実認定責任はより軽微であると考えられます。言い換えれば、「真犯人」であれば、より根拠が弱くても判断が妥当だったと推測されるでしょうし、「冤罪」であれば、「真犯人」と判断したことについてより高度な合理性・妥当性が問われると思われます。
しかし思い出してみれば、前回のエントリでwebmasterは、デュープロセスを欠いた責任追及を問題視することにおいて、webmasterはApemanさんと似通った思想的立場にいると思います
と書いたわけです。前回のこの記述と、「真犯人」かどうかを問題にするというのは、よく考えればおかしなことです(本当は、よく考えなくても気付けよ、という話なのですが)。ここで、デュープロセスを定めた憲法の条項を引いてみます。
第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
日本国憲法
ここでいう「何人」には、当然ながら「真犯人」も含まれます。「デュープロセスを欠いた責任追及を問題視する」と自称するならば、webmasterはApemanさんに対して、
もし「所有者は車を当時貸していて誰が運転していたかわからない」という言い訳が事実だった場合、“祭り”に加担した人間たちは一体どう責任をとるつもりなのだろうか?といいますが、では言い訳が事実でなかった(自動車の所有者が「真犯人」だった)場合には、問題がないとお考えでしょうか?
との問題提起をすべきだったのです。Apemanさんのエントリのコメント欄の現状などを見るに、Apemanさん、そしてもちろんwebmasterも、あたかも事実であれば問題がないかのような議論の立て方に巻き込まれてしまったことに、実はより大きな問題が潜んでいたのではないでしょうか。
#とりあえず、「責任」の定義問題は措きます。