bewaad institute@kasumigaseki

  • archives by smart archives
  • 08/03/2007 (9:50 pm)

    SEから見た社会保険庁システム問題

    Filed under: pension, computer ::

    年金記録未統合問題については、制度発足時に神の目で見渡すことが出来ない以上、申請主義等の手だてにより最悪の事態は回避した結果が現在ではないか、といったような趣旨のことを以前書きましたが、いかんせんシステム関係については素人のwebmasterですから、それがどこまで当を得たものであるかは疑わしかったとは言わざるを得ませんでした。幸いなことに、この問題についてのSEからのご発言がありました。

     複数の年金手帳,オンライン前の処理の杜撰(ずさん)さ,アルバイト入力…。基礎年金番号を統合することで表面化した凄まじい件数の宙に浮いたデータを目の当たりにして,社保庁のSEたちはどのように感じたでしょう? 少なくとも,バラバラの台帳では出現しなかった潜在的問題が露呈したのは,コンピュータ統合した効果です。複数回にわたる名寄せ統合で,日本の総人口よりも多かった3億件の被保険者番号は絞り込まれ,宙に浮いた年金番号は5000万件にまで絞り込まれました。今後どのように問題を解決していくのか?そのプロセスに関しては相当の議論が重ねられたと思います。

     過去からの様々な杜撰(ずさん)な措置が積み重なった結果が,5000万件の宙に浮いた年金番号です。一挙に解決するのは不可能です。おそらく,社保庁の決断は「年金の裁定申請時に決着させる」だったでしょう。少なくとも,オンライン化で社保庁の業務運用の品質レベルが下がったわけではありません。今までの杜撰さの本質的(?)解決は,裁定時決着しかない。私が社保庁の担当者であっても,そう考えてあきらめただろうと思います。

    (略)

     ここに「社保庁次期システム構想」があります。2006年の情報ですから,年金が国を揺らすような大問題になるなんて想像だにしていません。かなり詳細なデータです。これを見てNTTデータが悪いと簡単に言えるでしょうか?

     この中で,宙に浮いた5000万件の年金番号に関係する記述を探しました。もちろん,宙に浮いたデータがあるなんて言えるわけもありません。ぼかしながら「年金裁定時までに…(略)…確認整備を行っている」とだけあります。裁定時に決着するから,と軽く考えているわけでもないようです。社保庁システム全体の規模は,2100万ステップです。紛れもなく大規模システムです。何と700万ステップのプログラムもあるようです。Web2.0とかマッシュアップとかの問題ではありません。基幹システムの複雑性は,尋常ではないのです。

     COBOL言語とメインフレームは堅牢性に関して,オープンシステムの比ではありません。堅牢性は年金システムに求められる重要な視点です。ただ,制度改正や政治問題からバンバンにシステム変更があると思います。ユーザーである社保庁は,納期なんてほとんど聞いてくれなかったでしょう。

    ITから見た年金問題考察(2)私が社保庁プロジェクトのSEだったら?

    07/06/2007 (11:48 pm)

    続・人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義

    Filed under: pension ::

    前のエントリの趣旨を、政府が公式に認めました。

     政府は6日の閣議で、年金記録漏れにつながる記録のミスを政府として初めて認識したのは、「1964年9月以前」とする答弁書を決定した。

     氏名や生年月日の記録ミスが40年以上前から明らかになっていながら、有効な対策がとられずに放置されていたことになり、改めて社会保険庁の無策が問題視されそうだ。

    (略)

     答弁書によると、記録ミスが確認されたのは、64年9月1日付で、社会保険庁年金保険部業務課長名で社会保険事務所に対して出した「厚生年金保険被保険者台帳記号番号の確認について」という通知文書。「いぜんとして再取得及び重複取り消しの際の台帳記号番号(厚生年金番号)確認誤りによる記録事故が多数発見されており」との記述があった。

    読売「年金記録漏れ、政府のミス初認識は「1964年9月以前」」

    「有効な対策」なるものは、少なくとも保険料方式を維持する限りは、それほどなかったのではとのwebmasterの認識は前回書いたとおりです。組合の力が強かった社会保険庁職員に大いに責められるべき職場慣行があり、それが問題をそれなり悪化させたのは事実でしょうけれど、では全職員がまじめに取り組んでいればミスがなかったかといえば、そのようなことはあり得ないでしょう(し、全職員が長きに渡ってベストを尽くし続けるというのは、ヒトという生物に求めるべくもないことである)‐頑張ればミスがなかったと考えるのは、旧軍の精神主義に相通じるものがあるようにとwebmasterには思えてくるのです。

    失敗学とかフールプルーフとかフォールトトレランスとか、そういう発想で考えないことには、きちんとした再発防止につながらず、かえって問題を妙な方向に捻じ曲げるおそれがあるのではないでしょうか。個別の問題ある職員を批判することはもちろん必要ですが、事故を起こしたドライバーを全員終身刑にしたところで交通事故がなくならないように、個人をいくら責めたところでなくならないものはなくならないのですから。

    07/05/2007 (6:01 am)

    人智の及ばざる公的年金、あるいは申請主義の存在意義

    Filed under: pension, computer ::

    これだけ批判が喧しい昨今、このようなことを書くのは異端もいいところなのでしょうけれども、下記の記事を読んで切なくなってしまったのです。

    上記リンク先は1面掲載部分のみなのですが、10面掲載部分こそ、未統合問題の本質を突いていると思います。以下、引用します。

    年金制度の歴史は、記録の整理の歴史でもある。社会保険庁年金保険部業務課(当時)の内部資料「機械化十年のあゆみ」(67年刊行)には、年金記録が宙に浮いたり、消えたりした遠因が盛り込まれている。

    厚生年金は42年に加入者約300万人で始まったが、戦火が激しくなった45年に台帳を都道府県などに「疎開」させた。ここで「『原簿』の統一が破れ、やがて同一人について数枚の台帳が作られる」(以下、太字は「十年のあゆみ」)事態を招く。(略)

    戦後、職員は減り、事務量は増えた。台帳管理は、「極めて憂慮すべき状態に立ち至った」

    厚生省(現厚生労働省)は50年にようやく、台帳の整理を始める。57年まで続いた作業の間には、社会保険事務所の火災や水害で、失われてしまう台帳もあった。

    この間にも被保険者は急増。手作業では「記録を迅速かつ正確に行いうるか甚だしく疑問視されていた」。その対策として、57年から「パンチカードシステム」による記録の機械化が始まる。

    (略)

    当時、すでに年千万件の記録入力が必要とされ、カードの数も「等差級数的に増加」し、事務処理が追いつかなかった。さらに、61年には国民年金制度が始まった。

    (略)

    作業量が増えるなかパンチミスも生じた。「人間の誤差というのは、どうしても5千分の1ぐらい」あり、「パンチカード1枚のカードに50タッチある」。カードのうち1%にミスが発生する計算で、チェック体制も万全ではなかった。

    62年には社会保険庁が発足し、膨大な事務処理のために本格的なコンピューターが導入された。この時点で5千万枚を超えたパンチカードの情報を磁気テープに移す作業が進んでいく。

    63年からはコンピューターで年金番号による被保険者ごとの記録の統合が始まるが、生年月日をはじめ、記録の整合性がとれない「事故」が大量に発生した。年に1〜2回の突き合わせ作業で、毎回数十万件の「事故」が発生したという。

    年金番号だけで管理されてきた厚生年金の記録だが、79年にようやくカナ文字で管理するシステムが導入された。しかし、統合されていない(宙に浮いた)記録については「一般的な読み方をカナに変換する『漢字カナ変換辞書』を開発」(三十年史)し、漢字の情報が機械的に書き換えられた。正しい読みになっている保証はない。

    朝日「年金整理 先送りの歴史/社保庁内部資料から読み解く」

    未統合が問題となっていますが、もともとのデータベースのレコード設計において統合できるデータが具備されていない(読み仮名がないことが問題視されていますが、同姓同名で生年月日も一緒という人がいれば、読み仮名があっても誤統合が生じます)ことが根本的な問題だったわけです。基礎年金番号導入時の処理が批判されていますが、それはあくまでそのタイミングで顕在化しただけのことで、潜在的には制度発足時からの問題であると。

    #それでも戦争がなければ「疎開」による混乱も避けられたでしょうし、なにより当初からパンチカードシステムで管理されていたかもしれません(厚生年金発足時にはパンチカードシステムは国産不可能で、かといって日米関係の緊張度が高まった1940年ごろからは、IBMなどのアメリカ企業から輸入できる状態ではなかったわけです)。

    そのようなタコなレコード設計が悪い、と言ってしまえばそれまでの話です。しかし、よく官の発想の硬直性ゆえであって「民ならば」と言われますが、コンピュータ関連においても、たとえば先見の迷惑で紹介されている、

    • 「恐らく世界中のコンピュータ市場の規模は、5台だろう」(トーマス・ワトソン、IBM会長、1943)
    • 「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない」(ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977)
    • 「640Kもあれば、誰でも十分だろう」(ビル・ゲイツ、1981)

    といった一流の「民」たちの、今から振り返ってみれば妄言としか思えないような将来予測をしてきているわけです。これら以外にも、設計当初においては合理的(という認識が一般的)であったものが、今となっては大問題を引き起こしている例としては、2000年問題や2038年問題が有名ですが、ことほどさように将来予測というものは難しいわけです。

    #ちなみに、邦銀がはじめてコンピュータを導入したのは、Wikipediaによれば1959年とのことで、これも「官」だから「民」に比べてことさらに動きが鈍かったわけではないことの傍証となるでしょう。

    「先見の迷惑の迷惑」(@佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン7/7付)にて、上記「先見の迷惑」はバイアスがかった言及であり、原発言は文脈を加味すれば面白おかしく言挙げされるようなものではないとの検証をいただきました。webmasterの軽挙をお詫びいたします。ただ、将来を完全に見通すことは人智の及ぶ範囲ではないとのwebmasterの見解については、それがおかしなものだとは考えておりませんので、その旨はお断りさせていただきます。(7/9追記)

    そのような問題を抱える制度の運営としては、よく言われるように相互チェックの仕組みが必要でしょう。でも、考えてみてください。評判の悪い年金の申請主義は、制度として相互チェックをきちんと担保したものだとも言えるわけです。受給権者が自分はこのような履歴だと言い、それを社会保険庁の記録と突きあわせることで少しでも正確さを担保しようとするもので、受給権者各人に手間をお願いし、その分だけ「小さな政府」の枠組みの中で相互チェックを実現してきた、というのが実態でしょう。

    政府部内に相互チェックの仕組みを設ければ、当然ながら職員の頭数も事務費も増加せざるを得ません。現実の経緯を見れば、1960年代に第一次臨調等で行革の議論が盛り上がり総定員法が定められて以降、頭数は厳しく抑制されてきましたし、事務費もまた基本的には頭数に比例しますから、同様の傾向です。そうしたリソースの割り当てを前提とすれば、申請主義ではなく政府が一方的に受給額を認定するような制度であったパラレルワールドを想定するに、今よりマシな状況はなかなか思い浮かびません。

    自助努力だと突き放しっぱなしであれば、無責任との謗りは免れないでしょう。だからこそ社会保険労務士制度を整備するなど、それなりの対応が図られてきました。上記のような人智の限界、それを踏まえたもっとも包括的な相互チェック=申請主義の採用、そしてその便宜を図る社会保険労務士制度等・・・もちろん社会保険庁の運用に批判されるべき点はあったのですが、実際のところこの程度が人間社会において可能な限度に近いのではないか、という気がwebmasterにはします。今からスクラッチでシステム設計できればもっとマシなものにはなるでしょうけれども、それはないものねだりに過ぎないわけですし。

    06/14/2007 (3:33 am)

    OECDによる公的年金所得代替率比較

    Filed under: pension ::

    なんだか最近は(本日も)霞が関というよりは年金blogと化している当サイトですが(笑)、これまでとは違った切り口で。

    年金で大層大荒れのようですが、タイミング良くというか悪くというか、日経で「公的年金給付水準、日本は主要7カ国中最低」という記事が出ておりました。曰く

    現役時代の収入と比べた公的年金の給付水準は、日本の単身男性は4割と主要国で最低であることが経済協力開発機構(OECD)の試算で分かった。・・・(中略)・・・ 平均収入のある男性を例にとり、老後に現役時収入の何%の年金を受け取るかを試算した。日本の比率は39%で主要7カ国では最低。全加盟国の中で日本を下回るのはアイルランドなどしかない。

    だそうです。で、他の国はどうなっているのか、ちょっと気になって元データと思われる「Pensions at a Glance 2007」をちょっと拝見すると、

    (略)

    という感じになっています。えーと、制度も事情も全く違う国を比較しても云々、、、とは言え、レッセ・フェールのアイルランドと同水準とは・・・(絶句)

    「日本の公的年金給付水準は最低クラス?」(@Economics, Technology & Media6/13付)

    OECDの試算の詳細がわからないので、なぜ39%という数字になるのかをきちんと裏付けることはできませんが、まず外れてはいないだろうという2大要因は、

    • 保険料率が低い
    • 専業主婦を全体で肩代わりしているので、単身男性ベースの数字は低い

    ということになります。

    前者については、たとえば名目値での比較になりますが、G5+スウェーデンの国際比較を見ると、日本はアメリカについで2番目に低い保険料率となっています。支払いが少ないのだから受給も少ない、というのは自然な話でしょう。だからこそ、plateauxさんが引かれている日経記事においても(ただし、上記では引用を略されています)、日本の比率を平均並みに高めるには計算上、2004年で13.9%の保険料率をすぐに20%に上げる必要があると書かれているわけで、日本が民主的政策決定により低保険料率・低所得代替率を決めているのですから、保険料率を引き上げて所得代替率を上げろなんていうアドヴァイスは大きなお世話といえば大きなお世話。

    #OECDの分析自体、その概要を見る限り、平均所得代替率は書かれていても平均保険料率は書かれておらず、偏った記述であるのは否めないでしょう。

    後者については、日本では専業主婦に対する国民年金は保険料ゼロ(いわゆる第三号被保険者)ですし、厚生年金の振替加算もまた同じです。無から有が生じるはずもなく、これらの給付の原資はすべての保険料に上乗せして確保されているわけですから、単身男性ベースでの比較をすれば、その分だけ数字は低めにならざるを得ません。そのことの是非はさておくにせよ、国際比較をしようというのであれば、すべての受給者の平均を用いなければ、バイアスがかかっているということになってしまいます。

    なお、専業主婦に対する取扱いを見ますと、

    保険料拠出なしで被扶養配偶者自身の年金を支給するのは、日本、米国、英国
    日本の基礎年金満額は英米の配偶者給付より高い

    保険料拠出なしで一定の加給は、 フランス(月6000円強)

    自らの保険料拠出のない者に給付しないのは、 ドイツ、スウェーデン
    ドイツでは夫婦間の年金分割、スウェーデンでは最低保証年金

    大沢真理「『福祉国家』グループプロジェクトセミナー報告要旨/ライフスタイルの選択に影響が多い社会制度・慣行:日本の場合

    とのことですから、他のOECD加盟国がどうであるかという点に留意する必要があるにせよ、日本がもっとも単身男性に冷たい(裏返せば、専業主婦がいる家庭に温かい)制度ではありそうです。全体で平均すれば、理屈上は前回の財政再計算の計数ベースで59%強となり、OECD諸国平均(58.7%)を若干上回ることとなります。

    もちろん少子高齢化の進展が他のOECD加盟国に比して深刻であることの影響はあるにせよ、これらを無視してOECDの数字に乗っかるのは問題がある、ということなのです。

    06/14/2007 (3:28 am)

    木村剛さんの年金議論と公的年金タスクフォース

    Filed under: pension ::

    当サイトにtrackbackをいただいたエントリより。

    木村剛氏といえばもはや説明不要の著名金融コンサルタント。3年前の公的年金改正の議論が高まった時期には独自の年金制度分析チームを立ち上げるなど一時期は年金改革に熱意を持っていた御仁だけに、約2年ぶりに年金問題についてコメントし出したと聞いて興味津々。(略)

    (略)

    そもそも木村氏は、年金について偉そうに講釈垂れる前に、かつて自身が華々しく打ち上げておきながらその後すっかり廃屋状態の「公的年金タスクフォース」(←注:既に閉鎖)について未だ釈明すらしていない。せめて中間報告もしくはギブアップ宣言ぐらい表明したらどうだ。このまま自身の不作為を棚に上げているようでは、事務完遂能力の低さは木村氏も社会保険庁も五十歩百歩と揶揄されても致し方あるまい。

    「他者を嘲笑う前に、我が身を省みては」(@The企業年金BLOG6/12付)

    そんなものも確かにありましたなぁ(笑)。ちなみに、週刊!木村剛の年金カテゴリをみますと、最近になって思い出した様子がよくうかがえます(笑)。

    06/12/2007 (9:04 am)

    山口浩さんの問題提起にお答えします。

    Filed under: pension ::

    銀行預金が返ってくるかどうかについて不安に思っている人というのは、少なくとも現時点ではそう多くないように思う。(略)

    これに対して、国民一般の年金制度に対する不安というか不信というか、そういったものはきわめて強いように思われる。将来給付水準が切り下げられるだろうとか保険料負担が上がるだろうなんてのはおとなしいほうで、制度は崩壊寸前だとかもう崩壊してるとか、果ては詐欺だとか国営ねずみ講だとかいう人までいたりする。そもそもかなりの部分事実誤認があるだろうし、煽ってる人たちもたくさんいるし、怒りやいらだちのあまりことばが過ぎたなんてケースも多いだろうから、これらをすべて「本気」ととる必要もないだろうが、とにかく不安のレベルがけっこう高いのはまちがいないと思う。

    (略)

    なぜ銀行よりも信用力に勝るはずの国の制度である年金への信頼のほうが低いのか。上記の通り、本来あまり根拠がない部分が多いとみるのが適切なんだろうが、もし根拠のある不安というのがあるとすれば、それはひょっとしたら、国が銀行とちがって、自らルールを設定し、それを強制でき、さらに争いになった際には裁定を下す権限をもった存在であるという点に起因しているのではなかろうか。

    (略)

    「政府がらみ」というと、郵便貯金というのもあったな。銀行預金だけではなくて郵便貯金に対してもあまり不安を抱くことはないようだから、「政府がらみ」をすべていっしょくたにするのはちょっと乱暴かもしれない。どうも年金に関して、国民はこれまで裏切られすぎた、と考えるべきなんだろう。私にはどうも、この問題の本質が「信頼の喪失」にあるのではないかと思われる。なまじ国家権力を背景にしているだけに、いくら「権利である」といわれても、いつかその力が乱用されるのではないかと不安になってしまうわけだ。それがこれまでこの問題で「期待はずれ」を続けて見せつけられた代償、ということなのではないか。isologueさんの主張が「勇み足」だったのだとすると、それはつきつめればこういうあたりへのいらだちから出ているのではないかと思われるのだ。もしそうなら、私も一国民として共感する部分は少なからずある。私は基本的に、国の制度やそれを担っている人たちに対してそれなりの信頼をおいてはいるつもりだが、実感として、やはりこの種の不安を禁じえない。

    「銀行預金が返ってくることにほとんど不安を抱かないのになんで年金がもらえるかを不安に思うのだろうか」(@H-Yamaguchi.net6/11付)

    webmasterの管見を申し上げるならば、まさしく山口さんがご指摘のとおり郵便貯金を考えれば政府への不信ということではなく、年金というものが必然的に持つ次の2要素が不信の根源でしょう‐正確には、不信が多数派であるように見えること、も含みますが。

    • 他に類を見ないほどの超長期にわたるお金のやり取りであること。
    • 受益者と負担者が基本的に重ならないこと。

      »

    06/12/2007 (8:59 am)

    社会保険庁システムの分析

    Filed under: government, pension, computer ::

    webmasterが察するに、社会保険庁システムの最大の問題は、これを読む限りでは・・・

    ・はっきりと報告書にはかかれていないのだが、社会保険庁自体にシステム企画を行う部門が存在しない点が気になった。随時契約にしても、CPU時間の無駄遣いにしても、驚くほど社会保険庁自体の主体性が見られず、システム費用が湯水のように消えていっているように思えた

    (略)

    レガシーマイグレーションを否定するわけではないが、IBMが示した計画では単にメインフレームで行っている業務を、ほとんどそのままオープン系システムに移行する以上の提案はなかった。繰り返すが、非常に不満だったのは、現状のメインフレームからみればサブシステムに見える、高井戸庁舎にあるオープン系システムで構築されたシステム群だ。おそらく、データモデルは統一されていないだろうし、逆に最近の競争入札で、統一されたシステム構成にはなっていないだろう。本質的な問題は、社会保険庁にシステム全体を理解している人間がいないという点だ。だから、ベンダーが好き勝手に高コスト体質なシステムを作ってしまえる

    「最近話題の社会保険庁のシステム」(@von_yosukeyan の日記6/11付)

    06/11/2007 (5:42 am)

    磯崎哲也さんの問題提起にお答えします。

    Filed under: pension ::

    昨日のエントリを受け、磯崎さんから丁寧な対応をいただきました。ありがとうございました。

    その中で示されている問題提起について、webmasterの考え方を示すことで有益な議論につなげられる可能性もあるのかな、とも思いますので、可能な限りでお答えさせていただくこととします。

    在職老齢年金

    (略)今後の環境を考えてみると、「受給時に金持ち」だったり「収入が多い」場合など、(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などを侵害しない範囲で)、年金がもらえなくなる人や額が減らされる人の範囲が増える法改正が今後行われる可能性はそれなりに高いのではないかと思います。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    おそらくここで磯崎さんの念頭にあるのは在職老齢年金ではないかとwebmasterは思いますが、実際問題として、物価スライド・賃金スライドの存在を考えれば、在職老齢年金の基準額が名目固定であるのは、自動的に「範囲が増える」仕組みであるといえます。給付水準のスライドと同じ割合で基準額が上がってこそ、中立といえるわけで。

    これは一般論としても妥当することで、たとえば給付水準を引き下げる際は、昨日例に挙げた農業者年金のような例外を除けば、名目額の引下げは行わず、スライド率の調整によって実質水準を引き下げる形になっています。逆に言えば、そのような実質価値調整の仕組みを持たない一般の金融資産に比べ、年金は給付水準がその意味では受給者に有利で、その有利さを減ずるような調整が行われているということでもあります(調整のない一般の金融資産では、そのような減額を行う余地がそもそもない、ということです)。

    名寄せ問題その1‐民間銀行の状況

    もう一つ。
    国民の大半の人が非常に不思議に思っているのは、今回の5000万件ものデータのアンマッチというようなことが、どうやったら発生できるのか?ということかと思います。例えば10万人顧客がいる民間の金融機関で5万件ものデータがマッチしないというようなことは、やろうと思ってもなかなかできるもんではない。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    この件での官民比較が可能かどうかについては、そう簡単に民間ではあり得ないといえるのか、webmasterは疑問に思っています。

    第1に、銀行(で「民間の金融機関」を代表させます)で名寄せができているかどうかについて、それが実際にどの程度なのか各預金者と対面で確認するということは、実はまだ例がありません。仮名・借名口座が典型ですが、Aさんが本人名義に加えB名義・C名義で口座を開いていても、それらがみなAさんのものだということが試されるのは、銀行が破綻して預金がカットされる場合になります。で、預金カットの実例は(少なくとも戦後は)ないので、本当に名寄せができているかどうかはわからないのです。

    加えて、銀行預金の場合、名寄せができていない際に損をするのは破綻銀行(最終的には預金保険機構)であって、預金者ではありません。カット後の預金を払い戻すに当たって、預金保険機構が実際に名寄せがきちんとできているかを確認するにせよ、そこで確認もれで名寄せができていなかった場合、預金者はカット額が少なくなる(先の例で言えば、名寄せがきちんとできていればA名義・B名義・C名義通算して1,000万円までしか保護されませんが、名寄せできていなければ各口座で1,000万円(合計3,000万円)まで保護されます)わけで、預金者が「名寄せができていないじゃないか」と抗議するはずもありません。つまり、銀行にあっては、名寄せができていないことが問題視されていないだけ、という可能性が多分にあるのです。

    #今では規制により本人確認が厳格化され、口座開設時に名寄せが可能ですが、それ以前ですと・・・。

    第2に、睡眠預金の存在が挙げられます。睡眠預金とは、10年以上預入れや引出しがなく、消滅時効によって銀行の収益となる預金のことですが、これが最近では銀行と郵貯で毎年1,300億円にも上るとのこと。銀行と郵貯をあわせた預金残高が、マネーサプライのM2+CDから現金を差し引きそれに郵貯を足した約800兆円であると考えれば、毎年その0.016%がいわば預金者のものでなくなっているわけです。

    一般に、口座の残高が多ければ睡眠預金にはなりにくいと考えれば、口座数でいえば残高の割合よりも多くの割合で睡眠預金が存在していると推測することは合理的です。以下は勝手な数字に基づく試算ですが、上記リンク先による全口座数16.4億口座に対して、残高の10倍の割合の睡眠預金口座数を仮定すれば、毎年0.16%=約2,600万口座がなくなり、10年累計で2億6,000万口座にもなっている可能性があるといえます。

    睡眠預金とは、誰のものなのか銀行側からはわからなくなってしまった口座ですから、未統合年金よりも一段と不明朗度は高いわけです(未統合年金は、それが誰のものなのかわからないとは限りません)。それがこれほどにもあると推測可能である民間において、本当に社会保険庁よりも精度の高い名寄せが行われていると断言できるのか、webmasterには自信がないのです。

    名寄せ問題その2‐本当に困る事態とは

    通常、預金でも投資信託でも証券でも、自分の口座にいくら金がたまっているかは、「債権者」によって定期的に(またはランダムに)チェックされ、それによって一種の牽制が働いているわけです。民間だけでなく、役所の仕事でも、たとえば地方税で、自分の申告と住民税の通知の額が大きく違っていたら、その場で「あれ?」と思うでしょう。

    ところが、年金というのは、(1) しくみが複雑で理解しにくいだけでなく、(2) 「支払う義務」と「もらえる権利」が(実は)明確には対応しておらず、しかも、(3) その両者の間に何十年も隔たりがあるために、加入者からの牽制がまったく働かない構造であった、ということかと思います。

    (略)

    たとえば、コンピュータ利用が中心の事務であれば、開発時の内容の妥当性の検証や運用フロー等も含めた内部統制構築といった視点が必要でしょうし、もともと加入者のチェックが働きにくい(「保険の不払い」と似てますが、その何倍もリスクがある)構造なので、日常の業務処理フローや監査プロセスの中で、加入者への「確認」的手続きを取るしくみにするといった発想も必要だったと思われます。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    ここでの磯崎さんのご指摘はまことにごもっともなわけですが、別の見方として、権丈先生のご指摘を引きます。

    現状では5095万1103件の「宙に浮いた年金記録」――この中に、97年以前に転職した経験をもつわたくしの年金記録も含まれている。だからといって何が不安になり何が問題なのかわたくしにはまったく分からない(笑)――があるのだが、これら5095万1103件すべてを問題視するのは端なっからバカげている。自分が年金を受給する際に統合してもらえばすむ話であり、来年度から、年金定期便もはじまるために、それをみてそれ相応の手続をすればすむ話である。

    勿凝学問79/世の中には言ってはならない一言というのがある――はしか休講と消えた年金?をめぐる党首討論――

    ここで権丈先生がなぜ「何が不安になり何が問題なのかわたくしにはまったく分からない」「自分が年金を受給する際に統合してもらえばすむ話」とおっしゃっているのかですが、つまりは名寄せはどこかで一度行えばいい話で、その機会は必ずやってくる‐すなわち、昨日も触れた裁定の際‐からです。未統合であることが原因で年金受給権が消滅するわけではないので、仮に複数の制度にまたがって保険料を支払っていたとしても、年金手帳その他によってそれぞれの加入を示すことができれば、裁定時に統合されることになります。

    つまり、支払い記録が社会保険庁側にないのでもらえるはずの年金がもらえない、という話は、基本的には未統合であることとは別の話なのです。会社が本人負担天引きや使用者負担においてミスしていたような場合、基礎年金番号に統合済みであってもいわゆる「消えた年金」となってしまいます。読み仮名が違っているから特定の基礎年金番号に統合できていません、という話は、「消えた年金」問題とはまったく独立した問題となるわけです。

    ただ、どちらの問題にせよ、時間の経過とともに何らかの不備があった際に他の証拠で裏付けることが困難になりますから、早めに解消されるに越したことはありません。だからこそ権丈先生も裁定を待てばよいとのみせず「来年度から、年金定期便もはじまるために、それをみてそれ相応の手続をすればすむ話」とおっしゃっているわけですし、このねんきん定期便をみて社会保険庁側の記録と自らの記録を突合させる機会ができることというのは、したがって磯崎さんのいう「日常の業務処理フローや監査プロセスの中で、加入者への「確認」的手続きを取るしくみにするといった発想」そのものであることがおわかりいただけるでしょう。

    確かにそのような仕組みがなかったからこその問題ではありますが、その中で取り返しがつかない問題は一部に限られますし、それへの対策も、いまさらとはいえきちんと講じられることが決まっているのが現状であるのです。

    今般の問題の原因についての管見

    社会保険庁の現場のやる気がどうの組合がどうのと現場を責めることも必要かも知れませんが、それにも増して、年金制度を設計する立場の方々が、「年金を受け取れる権利なんて、もともと存在しない(いざとなったら、どうにかなるさ)」という発想だったということが、組織全体のガバナンスや組織風土の形成に強く影響していったのではないか。・・・・・・というのは、私、個人的には今回の「5000万件事件」の根源的な原因を非常にスッキリ理解できる説明だという気がしたんですが、どうでしょうか。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)」(@isologue6/10付)

    というわけで、5,000万件については、既述のように

    • 5,000万件の未統合そのものは年金受給権の認定そのものとの関連で言えば重要度が低かったこと。
    • その一部(および統合済みのもの)に存する「消えた年金」問題については、たとえば民間銀行と比べてどの程度ひどい状況なのかは慎重な検証が必要。

    ということがもっとも根本的な話であろうと思いますし、加えて、

    • 保険料の支払い開始から年金受給開始まで極めて長期間が経過するため、その間何らチェックがなされないことによる証明の困難さが事態を深刻なものとした(けれども、これはねんきん定期便の創設により今後は相当の改善が見込まれる)。
    • 予算制約から名寄せに割り当てられるリソースが少なく(裏から見れば名寄せは国の全体で各政策を比較した場合のプライオリティが低く)、限られた人員による作業とならざるを得なかった。

    ということも問題を大きくした要因として指摘できるでしょう。他方で、「『年金を受け取れる権利なんて、もともと存在しない(いざとなったら、どうにかなるさ)』という発想だったということが、組織全体のガバナンスや組織風土の形成に強く影響していったのではないか」とのご指摘については、逆に権利性を強く意識していたことがこの問題の背景の一つであると認識しています。

    というのも、まずは毎回の改正の際の附則まで網羅して掲載している政府の法令検索システムの厚生年金保険法をごらんいただきたいと思います。本則は188条からなり(6/15訂正。枝番号を持つ条文が含まれているので、もっと多くなります)、かなり条文数の多い法律ではありますが、その最後である第188条を表示していただけますでしょうか。そして、スクロールバーのノブがどこにあるか確認してみてください。

    だいたいの目分量ですが、バーの上から1/4ぐらいのところにあると思います。これが意味するのは、毎回の改正時に経過措置、つまり改正により変更が加えられた制度について、改正前の既裁定年金等は改正後の規定を適用せず、改正前の状態をなるべく維持しようとする結果が積もり積もって、本文の3倍程度にも達しているということに他なりません。

    わかりやすい例で言えば、1965(昭和40)年に60歳となって厚生年金をもらい始めた男性が、70歳で20歳の後妻を娶り、90歳で死んで妻が遺族厚生年金を受け取り始めたような事例があれば、その妻が死ぬまで(仮に100歳まで生きるとすれば2055年まで)、1965年当時の給付規定を活かし続けることが原則だということです。ある規定に基づき裁定し給付を受けている者がひとりでも生存していれば、その法律の規定は廃止しないのです‐そして、コンピュータシステムもまた、それに対応したものでなければならないのです。

    このようなことを続けているのは、磯崎さんのご指摘とは異なり、年金受給権、とりわけ既裁定年金のそれを憲法上の財産権保障の要請やその具体的適用となる牽連性を強く意識し、現に行われている給付をなるべく保護しようとしているからだとwebmasterは思います。それがために制度は複雑化し、システムもまたスパゲッティとなり、いきおいプログラムにバグが潜んだり、あるいはデータの取扱いにあたってオペレーションのミスが生じたりする確率は飛躍的に高まります。

    極論を言えば、権利性など無視して毎回の改正時にすべて新しい制度に基づく運営としていれば、システムは極めて簡明なものとなり、ミスの生じる可能性もずいぶんと低くなったでしょう。さらには、保険料の納付記録など知ったことか、年齢により一律に給付額を決めるんだ、とまで思い切ったならば(これこそ、年金の権利性を否定する発想の最たるものでしょう)、年齢さえ判明すれば給付額は自動的に決まるわけで、未統合だろうが「消えた年金」だろうが、その手の問題はまったく生じなかったであろうとは、webmasterは自信をもって断言できるのです。

    06/10/2007 (6:53 am)

    「年金を受け取れる権利」は当然存在します

    Filed under: pension ::

    磯崎哲也さんの「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない」は、この手の問題について磯崎さんへのネット上での信用度は高いだけに、とっても困ってしまいます(現に、はてなブックマークも多数集まっています)。というのも、完全に間違っているのですから。というわけで、このエントリをご覧いただきましたら、訂正いただければ幸いです。

    #このエントリは、磯崎さん向けということで、一般向けのわかりやすさを二の次にして書きます。わけわかんねーよ、といったご不満もあろうかと存じますが、趣旨をお汲み取りいただきますようお願い申し上げます。

    磯崎さんのご主張の概要

    磯崎さんのご主張が端的に表れているのは、次の部分でしょう。

    以前も書きましたが、法的な説明としては「年金2008年問題」の著者の玉木伸介氏がおっしゃっていた、

    年金をいくら受け取れるかは「法律」で決まっている。「法律」で決まっているということは、国会で過半数の承認が得られれば、いくらでも変更が可能だ、ということだ。

    年金は、国に対する国民の「債権」であると思っている人が多いが、債務者である国側の都合で金額が勝手に変えられてしまうものが「債権」であるはずがない。

    という説明が非常にわかりやすかったです。

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない」(@isologue6/8付)

    こうしたご認識の下、

    (略)「高齢者に年金を払わないといけないから、若いヤツは金出せ」という制度、あるいは「過去に掛金を払わなかった人は年金あげないよ」という制度ではあるが、「掛金を払った人には必ず将来年金を差し上げます」という制度ではないわけですね。
    (↑この微妙な違いを、じっくりお楽しみください。)

    「「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない」(@isologue6/8付)

    とおっしゃっているわけです。

    反論のポイント

    2点からなります。

    「掛金を払った人には必ず将来年金を差し上げます」という制度ではないのでは?

    法律を見れば明らかなように、25年という期間の縛りはありますが、「掛金を払った人には必ず将来年金を差し上げます」という制度になっています。

     (支給要件)

    第26条 老齢基礎年金は、保険料納付済期間又は保険料免除期間(第90条の3第1項の規定により納付することを要しないものとされた保険料に係るものを除く。)を有する者が65歳に達したときに、その者に支給する。ただし、その者の保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が25年に満たないときは、この限りでない。

    国民年金法

     (受給権者)

    第42条 老齢厚生年金は、被保険者期間を有する者が、次の各号のいずれにも該当するに至つたときに、その者に支給する。
     一 65歳以上であること。
     二 保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が25年以上であること。

    厚生年金保険法

    そんなこと言っても、法律改正してしまえば支払わなくていいのだから、「必ず」ではないのでは?

    私契約での債権(たとえば物を売った際の代金の受取り)であっても、民法の改正がなされ支払わなくてよいという可能性はゼロではないのですから、「必ず」支払われるものとはいえません。つまり、法改正すれば何でもありだからという理屈であれば、この世に権利はないということになります‐そのようなものとして権利を定義するならば、確かに年金受給権は現状債権と認められている他のすべてと同様、権利ではありませんが。

    しかし、そのような何でもありの法改正は行われないだろうと、通常は信頼が存在します。法的には、憲法第29条の財産権保護規定が根拠となり、当然金銭給付を求める債権もまた財産権に含まれますから、いわゆる徳政令のような形で国が勝手に債権を無効化するようなことはないと考えられるわけです。で、それは年金受給権も例外ではないのです。

    以後、マニアックな話が延々続きます(引用も多いです)ので、興味のない方は素通りしてください。

    #乱暴に言えば、「年金は預金ではない」なんて内容であれば何の問題もなかったのですが。

    »

    06/02/2007 (2:27 pm)

    意外にまともな新聞の「消えた年金」報道

    Filed under: government, media, pension ::

    年金については(勝手にかつ一方的に)よくお世話になっている権丈先生のサイトより。

    さてさて本題――今回の年金騒動。民主党の仕掛け通りに、大いにもりあがったのはいいんだけど、どうも新聞の反応が悪い。テレビは、キャスターさんがみんなで眉間に皺よせて「国民の皆さん!こういう事態を絶対に許してはなりません(~_~メ) ピクピク」とやってくれているけど。いつものことながら、新聞ってのは、テレビよりはかなりIQが高いのか・・・?

    昨日の読売新聞の社説なんか、民主党にとって痛いところを突いている。

    (略)

    読売の社説は、今朝も、民主党の仕掛けに水をさすようなことを書いていた。

    (略)

    ところで昨日、社説ではないんだけど、そして読売ではないんだけど、なんとも今回の「宙に浮いた年金記録」について正確な記事があったので、それを学生さんたちにでも紹介しておこうかなというのが、今日の本題である。朝日新聞の「ニュースがわからん! 宙に浮いた年金記録 大丈夫?」。

    (略)

    さてさて、今朝あたりから、この問題に対して、各紙の若手記者たちは少しばかりスタンスを変えはじめてきたようにもみえる――気のせいか?

    勿凝学問80/この度の泡沫うたかたの年金騒動の持久力はどのくらい?――ガンバレ民主党、このままでは参院選までもたないよ――

    権丈先生が言及されている読売社説(5/31付6/1付)や朝日の記事のほか、6/1(朝刊)の報道としては、

    • 産経「あなたの年金 本当に大丈夫?」
    • 東京「スコープ/年金記録漏れ/1年で全件照合 困難」

    なども、無用に不安を煽り立てることなく‐もちろん、何が問題であるかについてはきちんと指摘していますが‐、不安のある人はどのようにすればよいのかを丁寧に解説する記事でした。これらを見るに、権丈先生がおっしゃる「各紙の若手記者たちは少しばかりスタンスを変えはじめてきたようにもみえる」というのは、気のせいではなく、それなりに勉強の成果が記事に反映してきているということでしょう。

    他方、テレビについてはそうしたことはあまり望めないわけですが、せめて5,000万人分の年金が満額支給されないかのようなフレーズだけはなんとかならないものでしょうか。約5,000万件とはあくまで基礎年金番号に統合されていない件数なのであって、基本的には重複しているものを重ね合わせていく作業ですから人数は必ずそれより少なくなりますし(基礎年金番号創設時には約3億件の年金番号があり、当時の年金番号保有者をラフに1億人とすれば、平均して1人につき3件の重複があることになります)、上記の読売社説(6/1付)によれば現実には3万人弱しかいない100歳以上の人の記録が、162万件もあるという部分すらあるわけです。重複が少なければ照合しやすく、未だに照合を経て統合されていないものは重複が多いものに偏しているであろうという常識的な仮定を置けば、平均を超えて人数は絞り込まれるものと考えられます。

    もちろん絞り込まれたところで膨大な件数であることに変わりはなく、社会保険庁を批判すべき状態にあることは当然ですが、実態に基づかない批判をしても仕方のない話ではあります。社会保険庁が自らどの程度の人数に及び得る話なのかを公表していないことにも問題はありますが、だからといって民主党の扇情的な言動に安易に加担するのもどうかと思うのです。少なくとも、新聞はそれなりに冷静な記事を書いているのですから。

    04/27/2007 (6:45 am)

    年金の繰下げ受給、何歳まで生きればお得?

    Filed under: pension ::

    4月から公的年金の制度が大きく変わった。なかでも経済的に余裕のある人に魅力的な選択肢に映るのが、厚生(共済)年金の受給開始を本来の65歳から最長70歳まで遅らせることができる「繰り下げ支給」制度。繰り下げると年金額が割り増しになるが、どこまでお得なのか――。

    この制度は、受給開始を65歳から1カ月遅らせるごとに年金額が0.7%増える。最長の70歳(60カ月)まで繰り下げた場合の割増率は42%。

    (略)

    割増率から計算できる「損益分岐点」は11.9年だ。つまり受給開始から12年以上過ぎると、どのケースでも繰り下げた方が総額では上回る。

    男性が平均寿命(78歳)まで生きると、通常1400万円対1年繰り下げ1409万2000円で、繰り下げが得に。女性は平均寿命の85歳まで繰り下げた場合は2272万円になる。

    毎日「春からこう変わってます 年金/繰り下げ受給 復活」

    この記事では、以上の具体例として、年額100万円の厚生年金を繰下げ受給した場合の累計受取額を示す次の表が掲載されています。

    年齢 通常受給 1年 2年 3年 4年 5年
    65 100
    66 200 108.4
    67 300 216.8 116.8
    68 400 325.2 233.6 125.2
    69 500 433.6 350.4 250.4 133.6
    70 600 542 467.2 375.6 267.2 142
    71 700 650.4 584 500.8 400.8 284
    72 800 758.8 700.8 626 534.4 426
    73 900 867.2 817.6 751.2 668 568
    74 1000 975.6 934.4 876.4 801.6 710
    75 1100 1084 1051.2 1001.6 935.2 852
    76 1200 1192.4 1168 1126.8 1068.8 994
    77 1300 1300.8 1284.8 1252 1202.4 1136
    78 1400 1409.2 1401.6 1377.2 1336 1278
    79 1500 1517.6 1518.4 1502.4 1469.6 1420
    80 1600 1626 1635.2 1627.6 1603.2 1562
    81 1700 1734.4 1752 1752.8 1736.8 1704
    82 1800 1842.8 1868.8 1878 1870.4 1846
    83 1900 1951.2 1985.6 2003.2 2004 1988
    84 2000 2059.6 2102.4 2128.4 2137.6 2130
    85 2100 2168 2219.2 2253.6 2271.2 2272

    しかし、よく考えてみればおかしな話で、65歳での平均余命を平成17(2005)年簡易生命表で見れば男性が18.11年(つまり、平均死亡年齢が83.11歳)、女性が23.16年(同じく88.16歳)ですから、65歳時点で癌などの重篤な疾患に罹患していない者については(、それらの者を除けばさらに平均余命は長くなるはずなので)、全員が最大の5年延長を選ぶことが合理的選択ということになります。そのように国が一方的に損をするような制度だというならば、なぜ導入されたのでしょうか?

    #記事で引用を略した加給年金の存在や、年金のみが生活原資となる者といった要素はあるでしょうけれども、ここでは捨象します。

    結論は簡単で、国が一方的に損をするかのように見える上記の試算が間違っているからです。当サイトの読者であればピンときた人も多いでしょうけれども、上記は単に名目額を足しているだけで、受給開始時点が異なることの評価が含まれていません。それをあわせる‐基準時点を揃えて、その時点での価値を比較する‐ことなくしては、本当に得なのが何か、わかるはずもないのです。

    というわけで、累計受取額の65歳時点での割引現在価値で比べてみますと、男性の平均余命を踏まえた83歳まで受給した場合では次のとおりです(強調は、最も有利となる繰下げを表します)。

    #以下の試算は、物価スライド・賃金スライドの影響を勘案していません(スライドゼロの場合の試算となっています)。スライドがある場合、その分だけ割引率が小さくなるものとご理解ください。(4/28追記)

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 1,739.8 1,777.6 1,799.7 1,806.4 1,797.9 1,774.5
    2% 1,599.2 1,625.1 1,636.6 1,633.9 1,617.6 1,588.2
    3% 1,475.4 1,490.9 1,493.0 1,482.4 1,459.6 1,425.2
    4% 1,365.9 1,372.3 1,366.3 1,348.8 1,320.5 1,282.2
    5% 1,269.0 1,267.2 1,254.1 1,230.7 1,197.9 1,156.4

    割引率(金利)によって、最も有利となる繰下げが0〜3年と変わってくるのがおわかりいただけるでしょう‐0年の繰下げが最も有利な場合があり、つまりは割引率が5%となるときには、繰下げをせずに65歳からの受給とすることがもっとも有利になるのです。続いて、女性の平均余命を踏まえた88歳までの需給の場合です。

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 2,145.6 2,217.4 2,273.6 2,314.4 2,340.0 2,350.6
    2% 1,929.2 1,982.9 2,022.0 2,047.1 2,058.6 2,056.8
    3% 1,744.4 1,782.5 1,807.2 1,819.2 1,819.0 1,807.2
    4% 1,585.7 1,610.5 1,623.0 1,623.9 1,614.1 1,594.2
    5% 1,448.9 1,462.2 1,464.2 1,456.0 1,438.2 1,411.9

    長生きなので繰下げ期間が長い方がより有利になりがちですが、それでも割引率によっては、繰下げ期間を短めにしておいた方がよいということになります。

    こうした計算を各年齢について行い、最も有利となる死亡年齢をならべると次のとおりです。

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 65〜77 78〜79 80〜82 83〜84 85〜86 87〜
    2% 65〜78 79〜81 82〜83 84〜85 86〜88 89〜
    3% 65〜79 80〜82 83〜85 86〜88 89〜90 91〜
    4% 65〜81 82〜84 85〜87 88〜91 92〜94 95〜
    5% 65〜83 84〜87 88〜91 92〜96 97〜101 102〜

    毎日の記事にしたがって、78歳には死にそうだから1年繰り下げればいいのかなんて判断をしますと、ちょっと金利が上がればかえって損になり、繰り下げなければよかったと後悔することに。毎日も罪な記事を書くものです(笑)。

    さあ、もうそろそろ65歳だという皆さん、今後の金利動向とご自身がいくつまで生きられそうかをよーく考えて、繰り下げるかどうか、繰り下げるならば何年にするか、心行くまでお悩み下さい(笑)!

    #言うまでもありませんが、それなりの資産なり退職金なりがないと、繰下げの余地はあまりないわけですが。

    04/13/2007 (4:50 am)

    賦課方式年金≠マルチ商法

    Filed under: media, pension ::

    まったくもってひどい論説もあったものです。

    その社会保険であるが、わが国のものは賦課制度と呼ばれ、経済学的にはマルチ商法と同じといわれる。もちろん、マルチ商法自体は違法ではないし、民間では犯罪でも役所が行えば犯罪にならないものは、官に圧倒的に有利なギャンブルや銃器所持などあまたある。

    ただ、このマルチの問題は、集まった金を目的外に流用する一方で、新たな会員が集まらず、資金繰りが行き詰ってしまうスキームにある。破綻に向かっているマルチに支払いを拒む人が増えるのは当然の論理だが、厚労省はそのマルチスキームを糊塗すべく恣意的なシミュレーションを示し、百年安心などという誇大広告で懲りもせず制度の維持を図ろうとしている。

    朝日「経済気象台/濫税時代2‐マルチ商法」

    デタラメの最たるものは、賦課方式年金(「社会保険」とのみ書いてありますが、賦課方式(と積立方式)が議論になるのは年金であり、「百年安心」とは年金の平成16年改正際のスローガンですから、これが年金を指すことは間違いありません)が経済学的にはマルチ商法だというもの。さらには、直接は書いてありませんが、あたかも他国はマルチ商法でない=賦課方式でないと誘導する書きぶりでもありましょう。

    まず、現実としては、アメリカやスウェーデンをはじめ賦課方式年金を採用している国は数多くあり、この筆者の言に従えばこれらの国の国民(日本国民を含め)はバカばかりということになるのでしょう。マルチ商法に引っかかっているというのですから。印象操作は勘弁して欲しいものです。

    他国もそうだというだけでは足りないでしょうから、賦課方式がマルチ商法ではないことをきちんと論じてみましょう。大雑把に言えば、賦課方式とは年金受給世代への給付を現役世代からの保険料でまかなう(対する積立方式は、現役世代の間に支払った保険料を年金受給世代の給付原資とする)ものですが、保険料と年金給付の持続可能な関係を式で表せば次のとおりです(積立金の運用等の枝葉は除きます)。

    • 所得×保険料率×現役世代人口≧所得×所得代替率×年金受給世代人口

    この式を変形すると、次の条件が得られます。

    • 保険料率/所得代替率≧年金受給世代人口/現役世代人口

    「百年安心」の際には、保険料率が18.3%、所得代替率が50%を前提としていました。それ以上に年金受給世代が増えたり現役世代が減ったりしたら維持できないではないか、との懸念に対してはマクロ経済スライドが導入され、持続不可能となれば所得代替率を引き下げられ(=左辺の増大)、再度持続可能となるわけです。

    したがって、「資金繰りが行き詰ってしまうスキーム」という批判はまったくあたりません。あえて言うなら、支払った保険料と受け取る年金の額のバランスが見合うかどうかという問題はあるかもしれないので、これについても検討しましょう。各個人に着目し、保険料率と所得代替率を所与のものとする場合、支払う保険料よりも多い額の年金を受け取るためには、次の条件を満たす必要があります。

    • 現役年数×所得×保険料率<年金受給年数×所得×所得代替率

    とりあえず男性を念頭に置き(女性ですと3号被保険者問題などがあり議論が複雑になるので)、平成17年簡易生命表に基づき平均寿命を79歳とし、年金受給開始年齢を65歳とすると、大卒労働者の場合、先の保険料率と所得代替率を代入すれば、次のようになります。

    • 43×所得×0.183<14×所得×0.5
    • 7.869×所得<7.0×所得

    左辺が右辺よりも大きいので、条件が満たされないではないか、と一見見えます。しかし、ここでは「所得」と両辺同じものを置いていますが、賃金スライドがかかる、つまり所得が伸びれば年金給付額も伸びます。つまり、所得が(国民全体の傾向として)一定水準以上の右肩上がりであれば、右辺の所得が左辺よりも大きくなり、この不等式はやはり満たされるようになるのです。では、どの程度の水準の伸びが必要か、求めてみましょう。

    • 現役時代平均所得/年金受給時代平均所得<7.0/7.869≒0.89

    現役時代平均所得/年金受給時代平均所得は、22歳から79歳までの間の所得の伸びが年平均0.4%であれば0.893、0.5%であれば0.869となりますから、年平均0.5%以上の所得(≒賃金)の伸びがあれば、この条件は満たされることになります。言い換えれば、年平均0.5%以上の所得の伸び≒経済成長(名目)を達成できているのであれば、支払う保険料よりも多い額の年金を平均的には受け取ることができるのです。

    おそらくこの記事の筆者への反論としてはこれで足りるでしょうけれど、若干発展した議論をするなら、単純に支払う保険料よりも受け取り年金額が多いというだけでは、実は損になってしまいます。というのも、支払う保険料を自ら運用すれば、その運用収入が生じるので、それを加えた額だけをもらえないのならば、保険料を支払わずに自ら運用した方が得になるからです。

    大まかな感触を掴むため、所得の伸びと運用利回りが同じだと仮定すると、上記の式を次のように変形することで、同様の計算が可能になります。

    • 現役時代最終年所得/年金受給時代平均所得<0.89

    現役時代最終年所得/年金受給時代平均所得は、22歳から79歳までの間の所得の伸びが年平均1.5%であれば0.893、1.6%であれば0.886となりますので、だいたい年平均1.6%以上の経済成長が確保されれば、運用利回りを考えてもなおお得だ、ということがいえるでしょう。

    #マクロ経済スライドで所得代替率が下がる場合には、より条件は厳しくなります。なお、基礎年金部分には国庫負担があり、それを勘案すれば、もう少し低い経済成長でも割に合うことになるというのが実態です。

    最後に蛇足ながら、ちょっと前に、賦課方式年金はネズミ講だ、という今回の記事の元ネタと思しきことを言っていた人がいるわけですが、この記事の筆者は、そのご当人なのでしょうか、それともそれを読んで感銘を受けた人なのか、どちらなんでしょうかねぇ(笑)?

    次のページ »