bewaad institute@kasumigaseki

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  • 04/10/2007 (3:50 am)

    福元健太郎「立法の制度と過程」

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    次のようなリクエストをいただいたので、早速読んでみました。

    917: 名無しさんの冒険  2007/03/28(Wed) 15:12

    BEWAAD氏

    これは、現職国会議員(かつ聡明な)人の次に、官僚が評者として相応しい書籍だろうと思う。まさにネット界隈ではBEWAAD氏が最も適切に論評しうる知見を持つ書籍ではなかろうか。ご関心があれば手にとってみて頂きたい。

    立法の制度と過程 [著]福元健太郎 木鐸社 ふくもと・けんたろう 72年生まれ。東大法学部卒。 学習院大助教授。日本政治専攻。

    いちごびびえす経済/経済学板「トンデモ経済学家元追求委員会vol.8」スレ・レス917

    全体についての感想としては、概ね妥当ではないかというもので、少なくともwebmasterがこれまでに当サイトで書いてきた内容ともそれほど齟齬はないと思います。とりわけ、

    • 制度は作った意図どおりに機能するとは限らず、社会的に受容可能なように機能する
    • 国会の質疑(立法過程)はある種のゲーム(本書の用語で言えば国会というアリーナでの「延長された選挙戦」)である

    といったあたりは、社会科学研究者にとっての常識になって欲しいと切に願うものです。後者に関連して、

    議院内閣制では、議会与党と政府との一体性が強調される余り、政府・与党間の緊張関係がややもすると軽視されるきらいがあった。他方でコンセンサス型民主制論は、与野党間の潜在的対立を隠蔽してしまう。(略)ここで話を日本に絞って、「国会は政府・与党・野党のうち誰のためにあるか」という視点から新旧の研究を整理すると、政府=与党のため、野党のため、与党のため、与党・野党のため、という4つの立法過程が見えてくる。

    第1に、「国会は政府=与党のためにある」という国会無能論あるいはラバー・スタンプ論が当初通説であった。国会は政府が出した法案に可決というゴム印を押してお墨付きを与えるだけということである。国会の委員会は中央省庁に支配されて機能せず、政府法案はあまり廃案や修正にならないといったように、立法機関が立法機能を行使していないことが指摘された。これは現在もマス・メディアでよく描かれる俗説であり、(かつて)通説であった「官僚優位論」の一環をなしていた(Baerwald, 1974)。

    pp23,24

    というのは、経済学における産業政策無効論と並んで、余の霞が関評価が幽霊の正体見たり枯れ尾花的なものであることを示すものだと思います。「俗説」ですから、「俗説」(笑)。

    以上のとおり、基本的には本書の分析を受け入れる立場ではありますが、今後の研究の発展を祈って、本書で掘り下げが不十分であると思われる点について、若干言及することにいたします。

    第1に、本書は政府内手続(第1章)や国会内手続(第2章・第3章)を対象とするものであり、政府・与党間関係については、第1章において政府の彼方に透けて見えるに過ぎません。政府の内部にいる人間にとっては、確かに国会は立法過程のハードルですけれども、与党もまたハードルで、法案への修正が行われるのは与党段階の方がはるかに多いのが(少なくとも最近の)実態です。公文書になっているものが少ないという制約があるため、その分析は難しいとはwebmasterも思いますが、そこを解明しないことには画竜点睛を欠くといわざるを得ないでしょう。

    第2に、予算関係法案(本書の用法。霞が関では「予算関連法案」と呼ぶのが通例で、本エントリでも以後こちらを用います)かどうかを(政府内における旧大蔵省の優位性の認識と絡めて)法案の重要性の指標として用いていますが、それには違和感があります。霞が関から見る限り、重要法案かどうかを判別するには、予算関連かどうかよりも、

    • 重要広範議案かどうか(本会議での総理答弁が求められるもの。通常国会では慣例上4本程度)
    • 日切れかどうか(年度内に成立しないと予算執行ができない等の不都合を生じるもの)
    • 委員会での審議時間の長短(当然ながら、長い方がより重要ということになります)

    といったものの方が感覚に合います。

    #webmasterの管見では、予算関連かどうかが決定的に意味を持つのは、内閣法制局での法案審査の事務の進捗管理上ではないか、ということになります(かつてはさておき、現在では)。

    筆者の分析では、予算関連法案の方が国会提出が早いので、その分だけより多く成立している=成立させる必要があるという政府のシグナルだということになっているのですが、そうした帰結を導くには、

    • 日切れ以外の予算関連法案と予算非関連法案の比較

    が必要でしょう。日切れが多数含まれることにより、予算関連法案の成立可能性は高まっている部分があるはずで、日切れでなくても成立の確率が高くなってこそ、日切れかどうかではなく予算関連かどうかがシグナルとして意味を持つといえるのではないでしょうか。

    #ただし、予算関連の方が先に提出されるがゆえに先に審議され、十分な審議時間を確保しやすいことから、重要と目される法案をあえて予算関連にする(例えば、中央省庁等改革基本法は、中央省庁等改革推進本部を置くという組織の整備(の裏には、当然ながら人件費等の予算が張り付きます)を盛り込むことにより、わざわざ予算関連法案にしました)、ということが行われているのもまた事実です。

    第3に、衆参両議院の審議状況の比較から、いずれにしても二院制という制度は、その企図する政治過程をもたらしていないという意味で、無意味な存在でしかない、というのが本章の結論である(p139))と筆者はしていますが(webmaster注:強調は、原文では傍点です)、現にもたらしているかどうかと、もたらしてはいないけれども機会を確保しているというものは、分別した方が有益ではないでしょうか。自民党が参議院で単独で過半数を制することができなくなってからの自民党内の参議院議員の影響力の増大は、自民党内での政治過程に少なからぬ影響を及ぼしていますし、まして参議院での与野党逆転があれば、現行の政治過程は著しく変わらざるを得ないでしょう。

    言い換えれば、衆参でのドミナント政党が異なっていてなお政治過程が現状から大差ないのであれば、二院制は無意味であると言えるでしょう。しかしそうでなはなく、二院制が企図する政治過程が必要とされるときに現れたならば、その限りにおいて大きな意味を持つかもしれないのです‐まして、いわゆる55年体制が崩壊して以後、それ以前に比べてその可能性が増大しているのですから。

    #といっても、本書のように実証的な分析においては、これまで安定的に現出したことのないそのような状況については、想定の範囲外となっても当然です。あくまで今後の研究に期待、ということで。

    03/30/2007 (11:50 pm)

    井手壮平「サラ金崩壊」

    Filed under: economy, economics, policymaking, book, politics ::

    サブタイトルに「グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争」とあるように、昨年の一連の消費者金融の上限金利規制を巡る騒動を記録したものです。この問題は当サイトでも長きに渡ってフォローしてきましたが、本書の記述が概ね正しいとの前提に立つと、webmasterの理解が誤っていたことがわかり、非常に重宝する記録であるといえましょう。ちなみにwebmasterの誤解とは、政治主導(与謝野大臣・後藤田政務官(いずれも当時))で決まった話で官僚はそのイニシアティヴに受動的に対応していたというもので、本書によれば、(少なくとも)大森信用制度参事官と森課長補佐の2名はきわめて能動的に上限金利引下げを図ったとのこと。

    その他、最高裁判決から法案の決定に至るまでの流れが要所を押さえつつまとめられており、資料的価値はなかなか高いといえるとwebmasterは思います。金融庁担当の記者(共同通信)という著者のグラウンドが影響してか、自民党と金融庁の動きに傾斜しがちで、それ以外の部分が若干手薄にも思われますが、結局のところは勝負はそこで決まり、その余の関係者(業界、日弁連など)の動きはそこへいかに影響を与えたかという形で評価されるべきものでしょうから、本書の価値を落とすものではありますまい。

    ないものねだりをするならば、上限金利規制というものの持つ意味を掘り下げて欲しかったとはいえますが、それは本書、さらには著者の任ではないのでしょう。つまりは本件についての経済学者の発言がもっとあってもよいのでは、ということですが、webmasterが知る限りでは、早稲田大学消費者金融サービス研究所でのもののほか、大竹文雄先生と池尾和人先生の論争、それに当サイトにもコメントをお寄せいただいた吉行誠さんの一連の記事(ちょうどこの3者が大竹先生のエントリのコメント欄で相まみえていますので、概観はそちらをご覧いただければ)ぐらいしかめぼしいものはありませんでした。

    ことはごりごりのミクロ経済問題であり、しかも影響を受ける者の数は多めに見積もれば1,000万人を超える本件について、できれば政策立案過程においての経済学的な議論があればとは思いましたが、過去にとらわれていてもいたし方ありません。せめて今からでも、あるべき消費者金融規制とはどのようなものかを論じることに、経済学者の存在意義のひとつがあるのではないでしょうか。

    03/03/2007 (1:52 pm)

    移行期間中のクリップその3‐経済財政諮問会議の議論の程度

    Filed under: policymaking, CEFP ::

    最後に大屋先生のエントリです。

    なにやら大変に忙しいので簡単に事実だけ書きとめておこうと思う。経済財政諮問会議の民間議員が「国立大学の予算配分に競争原理を導入するための提案をする」という話。以下「国立大学交付金、競争型に 規模より研究重視」(asahi.com)より引用。

    国立大学の人件費や運営経費を支えるための運営費交付金は07年度予算案で1兆2043億円。このうち大学法人の教育・研究内容に応じて配分する「特別教育研究経費」は交付金全体の7%で、大半は教職員や学生の数で交付額が決まる。

    民間議員は提案で、大学と大学院を「技術革新の拠点」と位置づけ、職員数に応じた現行の配分方式を見直し、研究提案の内容で交付金を決定するルールに切り替えるべきだと提案する。

    (略)

    ポイントはここまでですでに運営費交付金だけではアシが出ているということであって、つまり運営費交付金の大半がなぜ「教職員や学生の数」に左右されるかというと研究成果とは関係ない基盤部分の経費しかまかなっていないからだ、ということである。

    (略)

    つまり報道された経済財政諮問会議民間議員の提案なるものは、研究活動とほぼ関係のない基盤経費の部分だけを見て・競争が行なわれている部分を見ずに・「ここには競争原理が働いていない」と言っているわけで知的水準が疑われますというか、大学のことを何も調べてないんだろうなという話である。というか、誰か止めるやつはいなかったのか。

    記事は「配分方法などを巡り研究現場からは強い反発も予想される」と書いているが、我々が反発するとしたら別にそれは配分の方法とか基準に異論があるからではなく、そもそも誤った前提で批判されたことに対してだ、というのは理解してもらいたいところである。あとこんな程度の話にもツッコめない新聞は役立たず。いまさらだけど。

    「運営費交付金の話」(@おおやにき2/27付)(webmaster注:強調は原文によります)

    民間議員提案なるものがどこまで本当に民間議員の発意によるものかは疑わしいのですが、それを脇に置くとしても、民間議員には2名の大学教員(東京大学大学院経済学研究科教授の伊藤隆敏先生国際基督教大学教養学部教授の八代尚弘先生)が含まれていてなおこの体たらくです。まして、民間議員がなじみのない分野に関する政策提言の程度といえば・・・。

    03/03/2007 (1:42 pm)

    移行期間中のクリップその2‐経済学博士の就職活動

    Filed under: economics, policymaking ::

    続いてyyasudaさんのエントリです。yyasudaさんはPh.D.取得後の就職活動をなさっていたのですが・・・

    面接に際して、以下のような質問には準備をしておいた方がいいかもしれません。いきなり聞かれると結構答えにくいものです(少なくとも自分はそうでした)。

    「なぜウチに興味があるのか?」
    「ウチの大学について聞きたいことはあるか?」
    「ジョブ・マーケット・ペーパーをどのジャーナルに投稿するつもりか?載りそうか?」
    「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」

    「就職活動回顧録:苦難のインタヴュー」(@ECONO斬り!!2/26付)(webmaster注:強調はwebmasterによります)

    日米のドクター採用事情に詳しいわけではまったくないのですが、経済学の知識が実際の政策にいかに結びつくかということを意識させるというのは、アメリカにおいて強い風潮であって、日本においてはそうでもないのだろうな、という気がします。違いますでしょうか? というのも、日本の経済学者の言動には、そのような思考パターンが感じられない場合が多いものですから・・・。

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