福元健太郎「立法の制度と過程」
次のようなリクエストをいただいたので、早速読んでみました。
917: 名無しさんの冒険 2007/03/28(Wed) 15:12
BEWAAD氏
これは、現職国会議員(かつ聡明な)人の次に、官僚が評者として相応しい書籍だろうと思う。まさにネット界隈ではBEWAAD氏が最も適切に論評しうる知見を持つ書籍ではなかろうか。ご関心があれば手にとってみて頂きたい。
立法の制度と過程 [著]福元健太郎 木鐸社 ふくもと・けんたろう 72年生まれ。東大法学部卒。 学習院大助教授。日本政治専攻。
いちごびびえす経済/経済学板「トンデモ経済学家元追求委員会vol.8」スレ・レス917
全体についての感想としては、概ね妥当ではないかというもので、少なくともwebmasterがこれまでに当サイトで書いてきた内容ともそれほど齟齬はないと思います。とりわけ、
- 制度は作った意図どおりに機能するとは限らず、社会的に受容可能なように機能する
- 国会の質疑(立法過程)はある種のゲーム(本書の用語で言えば国会というアリーナでの「延長された選挙戦」)である
といったあたりは、社会科学研究者にとっての常識になって欲しいと切に願うものです。後者に関連して、
議院内閣制では、議会与党と政府との一体性が強調される余り、政府・与党間の緊張関係がややもすると軽視されるきらいがあった。他方でコンセンサス型民主制論は、与野党間の潜在的対立を隠蔽してしまう。(略)ここで話を日本に絞って、「国会は政府・与党・野党のうち誰のためにあるか」という視点から新旧の研究を整理すると、政府=与党のため、野党のため、与党のため、与党・野党のため、という4つの立法過程が見えてくる。
第1に、「国会は政府=与党のためにある」という国会無能論あるいはラバー・スタンプ論が当初通説であった。国会は政府が出した法案に可決というゴム印を押してお墨付きを与えるだけということである。国会の委員会は中央省庁に支配されて機能せず、政府法案はあまり廃案や修正にならないといったように、立法機関が立法機能を行使していないことが指摘された。これは現在もマス・メディアでよく描かれる俗説であり、(かつて)通説であった「官僚優位論」の一環をなしていた(Baerwald, 1974)。
pp23,24
というのは、経済学における産業政策無効論と並んで、余の霞が関評価が幽霊の正体見たり枯れ尾花的なものであることを示すものだと思います。「俗説」ですから、「俗説」(笑)。
以上のとおり、基本的には本書の分析を受け入れる立場ではありますが、今後の研究の発展を祈って、本書で掘り下げが不十分であると思われる点について、若干言及することにいたします。
第1に、本書は政府内手続(第1章)や国会内手続(第2章・第3章)を対象とするものであり、政府・与党間関係については、第1章において政府の彼方に透けて見えるに過ぎません。政府の内部にいる人間にとっては、確かに国会は立法過程のハードルですけれども、与党もまたハードルで、法案への修正が行われるのは与党段階の方がはるかに多いのが(少なくとも最近の)実態です。公文書になっているものが少ないという制約があるため、その分析は難しいとはwebmasterも思いますが、そこを解明しないことには画竜点睛を欠くといわざるを得ないでしょう。
第2に、予算関係法案(本書の用法。霞が関では「予算関連法案」と呼ぶのが通例で、本エントリでも以後こちらを用います)かどうかを(政府内における旧大蔵省の優位性の認識と絡めて)法案の重要性の指標として用いていますが、それには違和感があります。霞が関から見る限り、重要法案かどうかを判別するには、予算関連かどうかよりも、
- 重要広範議案かどうか(本会議での総理答弁が求められるもの。通常国会では慣例上4本程度)
- 日切れかどうか(年度内に成立しないと予算執行ができない等の不都合を生じるもの)
- 委員会での審議時間の長短(当然ながら、長い方がより重要ということになります)
といったものの方が感覚に合います。
#webmasterの管見では、予算関連かどうかが決定的に意味を持つのは、内閣法制局での法案審査の事務の進捗管理上ではないか、ということになります(かつてはさておき、現在では)。
筆者の分析では、予算関連法案の方が国会提出が早いので、その分だけより多く成立している=成立させる必要があるという政府のシグナルだということになっているのですが、そうした帰結を導くには、
- 日切れ以外の予算関連法案と予算非関連法案の比較
が必要でしょう。日切れが多数含まれることにより、予算関連法案の成立可能性は高まっている部分があるはずで、日切れでなくても成立の確率が高くなってこそ、日切れかどうかではなく予算関連かどうかがシグナルとして意味を持つといえるのではないでしょうか。
#ただし、予算関連の方が先に提出されるがゆえに先に審議され、十分な審議時間を確保しやすいことから、重要と目される法案をあえて予算関連にする(例えば、中央省庁等改革基本法は、中央省庁等改革推進本部を置くという組織の整備(の裏には、当然ながら人件費等の予算が張り付きます)を盛り込むことにより、わざわざ予算関連法案にしました)、ということが行われているのもまた事実です。
第3に、衆参両議院の審議状況の比較から、いずれにしても二院制という制度は、その企図する政治過程をもたらしていないという意味で、無意味な存在でしかない、というのが本章の結論である
(p139))と筆者はしていますが(webmaster注:強調は、原文では傍点です)、現にもたらしているかどうかと、もたらしてはいないけれども機会を確保しているというものは、分別した方が有益ではないでしょうか。自民党が参議院で単独で過半数を制することができなくなってからの自民党内の参議院議員の影響力の増大は、自民党内での政治過程に少なからぬ影響を及ぼしていますし、まして参議院での与野党逆転があれば、現行の政治過程は著しく変わらざるを得ないでしょう。
言い換えれば、衆参でのドミナント政党が異なっていてなお政治過程が現状から大差ないのであれば、二院制は無意味であると言えるでしょう。しかしそうでなはなく、二院制が企図する政治過程が必要とされるときに現れたならば、その限りにおいて大きな意味を持つかもしれないのです‐まして、いわゆる55年体制が崩壊して以後、それ以前に比べてその可能性が増大しているのですから。
#といっても、本書のように実証的な分析においては、これまで安定的に現出したことのないそのような状況については、想定の範囲外となっても当然です。あくまで今後の研究に期待、ということで。
