科学を報道する一メディア人の証言
先日のエントリに関連して、小僧さんから面白い情報をいただきましたので、その情報=「村松 秀さん インタビュー」から(この句を3/16追記)、以下、特に印象深い部分を引用させていただきます。
ひとつめ。
──そういう意識は、非常に私には真っ当に思えるんですけど、実は世の中でつくられている色々な科学番組、科学がらみの番組について見ると、必ずしもそうではないなと感じるんですね。先に結論があって、それを効果的に見せるために科学を裏づけとして使うような。あるいは、そこまで言えないはずなのに言っちゃっている、というところが、特に健康や食品に関する番組でありますよね。テレビならではの、伝え方の問題として非常に難しいところもあるように思いますが、その辺はどんな風に考えてらっしゃいます?
どこまでちゃんとできているかはわかりませんが、僕らはそこは相当意識してやっているつもりなんです。言えることだけを言おうとか、あるいは、ちゃんと「ここまではこういうデータはあるけれども、これはネズミでしかいえない実験なんで本当かどうかわからない」と正直に言うとか。特に『ためしてガッテン』は、逆に言うとそこを正直にやってきたことでブランド力をつけてきた番組でもあるので、来週(6月28日放送)の「環境ホルモン」がテーマの放送回を見ていただいたら驚くと思いますが、およそ「こんなことがわかりました」と納得してもらうための番組では全くないんです。それは番組を見ていただきたいんですが。
「村松 秀さん インタビュー」(@リビングサイエンスアーカイブス2/13付)
ふたつめ。
──ところで、村松さんは番組づくりを通して、たくさんの科学者・技術者と関わるでしょうが、そういう時の立ち位置についてはどうお考えでしょう。つまり、一般市民を代表してらっしゃる面もあるだろうし、科学者寄りで動いているところもあるだろうし。そのあたりで、どの辺に身をおいてらっしゃるのかな、と…。
理系というキャリアが役立ったことは全然ないかなと思うんですけど(笑)、科学コミュニティの雰囲気はわかっているので、それは大きいと思いますね。わかっているのでシンパシーもありますし、基本的には僕は応援団のつもりでいるんですよ、やっぱり。いい形で科学社会が発展していけば、その恩恵は大きいでしょうし。問題は、そのいい形が何で、本当にその方向に導かれていくかでしょうね。だから、そこで問題がないかどうかきちんと見立てるという姿勢は必要と思っています。
それから、NHKに入ったときにまず言われたのが、「理系出身で科学に詳しいからこそ科学番組が作れる、という考え方は捨てなさい」と。今振り返ってみると非常に真理だと思います。これは経験則的な話ですが、なまじ科学の知識をすごく持っていてその知識を伝えようという思いが強い人が作る番組ほど、つまらないんです。その場合、伝わらないですね、経験則としても。それは、知識を持っていることによって、興味のもちどころが普通の人からどんどんズレていってしまうことが最大の問題なんです。取材すればするほど面白くなり、こんなこともあんなことも聞きたいとなるんですけど、もちろん十分に取材はしますが、その結果をストレートに出しても一般市民にとってはたいした意味はないんですね。
(略)
そうなると、なるべく立ち位置は一般市民の側に立つことが基本ですが、でも姿を変えながら、科学者の方に立ち位置を置いてみたりしないと、また問題も見えなかったり。そうして行ったり来たりするということでしょうね。知識が不要というわけでは決してないのは、番組でひとこと間違えるだけで直ぐにお叱りをうけてしまうポジションでもあることからわかってもらえるでしょう。だからやっぱり、膨大な取材で知識は蓄積しながら、一般市民の立場で物を見る「複眼」が不可欠ですね。
──「科学コミュニケーション」という観点からご自身のお仕事を見ると、どうお考えになりますか?
(略)
たぶん「科学コミュニケーション」といってもそのコミュニケーションの相手や種類によってやり方は全然違うとは思いますが、基本的には相手の気持ちを考えることが大事ですよね。僕らは、すぐにでもチャンネルを変えてしまいそうな視聴者の皆さんを相手にしている。つまらないと思ったらバラエティ番組に変えられちゃう。45分間チャンネルを変えられないよう引き付けることは至難の業ですよ。だから編集した映像の1カットや台本のコメント一つとっても、絶対チャンネルを回させないというような魅力をつくるために、相当な努力をしているという思いがあって、それでやっと45分間見続けていただける。テクニック論に聞こえるかもしれないですけど、実際に見てもらうことで僕らが伝えたかった事や思いが伝わるわけで、こちらが自信をもっているものであればこそ、そういう努力をするわけです。だから一般市民の方の目線や気持ちを極めて大事にしないとできないので、その辺が今行われている科学コミュニケーションの議論と違うように感じます。基本的に、科学者と科学者周辺にいらっしゃる方で議論が行われていますよね。
──そうですね。
仕方のないことだとも思いますけども、やっぱり見立て方が研究者側に偏れば、コミュニケーションにはならないんじゃないかなと。サイエンス・カフェなどの試みは風穴をあけることにもつながっているとは思うんですが、そうした場で、ある程度関心をもって来る、モチベーションや意欲がある人に対してのプレゼンテーションやコミュニケーションとは違って、テレビの向こうの視聴者は、普段の生活の中で科学なんて関係ないように思っている人が大半を占めている。でも、うまいことプレゼンテーションすれば関心を持っていただける余地があるものなので、そのプレゼンテーションの仕方で全然違ったりすると思うんです。そういう意味で、僕らなりにコミュニケーションの専門家としての自負もあったりもするので、がんばりたいとも思っていますけどもね。
(略)
だから総合芸術だと思うんです。大きく言えば、ですよ(笑)。科学コミュニケーションをするってことは、科学をそれくらい総合芸術のように捉えて人々にプレゼンテーションしないと、「伝える」じゃなくて「伝わる」にならないというふうに思うんです。だから、最近の議論の状況と、僕らが思い描くコミュニケーションの実像とのギャップを、それを悪いとは言いませんが、違うんだなあという感じはすごく抱いたりしますね。
「村松 秀さん インタビュー」(@リビングサイエンスアーカイブス2/13付)
みっつめ。
──最後に、テレビというメディアについてお聞かせ下さい。
(略)
大先輩に相田洋さんという、『電子立国・日本の自叙伝』という番組を手がけられた方がいますが、その方が「番組っていうのはバナナの叩き売りなんだよ」とおっしゃるんです。これは非常によくわかります。つまり、バナナの叩き売りもある種、総合芸術みたいなところがあって、たかだかバナナなのに、そのバナナをいかに魅力的に、今あなたはこのバナナを買わないと損をしますよ、ということを様々なテクニックを使って語るわけです。品物の鮮度も落ちてはいけない、という点では情報も全く同じですし。しかも、そこを人が通過してしまうだけでは売れないわけで、チャンネルを合わせてくれるかどうかという面と同じ。他には紙芝居屋さんとか、僕もあんまり知らないですけど(笑)、でも子供たちを引き付けるプレゼンテーションの達人でしょうね。そういう人たちが実質的なライバルなんですよ(笑)。
そう考えていくと、インターネットとか情報をとりまく様々な事情は変わってきているとはいえ、いずれにしろテレビの本質は「バナナの叩き売り」なんだと。それはたぶん変えようがないし、そこに特化していくことが僕らの生きていく道かなと思うんですね。インターネットは非常に能動的なツールでもあって、検索するにしても、キーワードを入れなければYahooもgoogleも動かないわけで、自分が知りたいことをずんずん調べられるけど、それは知りたいと思うモチベーションがあるからできるのであって、知識を得るツールとしては非常に便利なんでしょう。インターネットとか本とか、いろいろある中で、テレビは一番伝えなければいけないエッセンスをちゃんと抽出して、しかも興味のない人であっても心地よく見ていってしまうというように誘ってあげることが「商売」なんだと思います。
「村松 秀さん インタビュー」(@リビングサイエンスアーカイブス2/13付)
